月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
大蔵家で、定期的に行われる晩餐会。
大蔵本家で行われるそれは、体裁としては笑顔で和やか。
でも、本当の笑顔を浮かべているのはあの祖父だけ。
他の人達は、何かを探り合う様に微笑を浮かべつつも、目が誰も笑ってはいない。
むしろ、視線こそが凶器で、相手を刺す武器だと殆どの人が思っている。
お陰で、他人の顔色を伺うのが段々と得意になってきてしまった。
微塵も、少しも嬉しくなんて無いけど。
元々、この集まりはあまり好きじゃなかった。
怖い人達でいっぱいで、この場所では何時も優しい母も怖い魔女の様になってしまうから。
……いや、違った、ここ以外にもあった。
あの人、ここには呼んでもらえない私の姉。
彼女の話をした時も、まるで別人になってしまったかの様な、魔女の様な表情を思い出す。
私は、母にあの姉の事を話したことで、不幸にしてしまったことを知った。
お母様が、自慢する様に話していたから。
あの姉の、優しく美しかった黒髪を刈り上げて二度と戻れない地下の世界に追放したと。
そう語っていた母の笑顔が、何よりも怖かった。
それ以来、私は姉の話を家族の前でしていない。
姉への申し訳無さと、母を信用できない気持ちで心を閉ざして守るしか無くなってしまったから。
また、姉に会いたい。
あの日の様に、従者ごっこをして、いっぱい楽しくお話して、そうして謝りたかった。
私がキッカケで、苦しめてしまってごめんなさいと。
ずっと、これからは守りたいと。
「里想奈、聞いているのですか、里想奈!」
「あ、はい、お母様。
申し訳ありません、晩餐会での食事が美味しくて衣遠兄様への感謝の言葉を考えていました」
「えぇ、流石は衣遠。
素材の味を引き出す、京都の心というものをよく知っています」
満足そうに頷いて、母は兄と祖父への挨拶へと向かった。
一方で父は、ムッツリとした表情でこの場に残っていた。
昔、ある失敗をしたとかで、父は祖父との接触を減らしている。
だから、こんな時も無言で一人ぼっちで居る。
今も、父と家族は、日本とイギリスとで別々に住んでいる。
私にとって、父は血族らしいけど他人というのが正直なところの印象だった。
でも、滅多に会えない父と今が話のできるチャンスだ。
それも、母には聞かれたくない話なのだから。
「あの、お父様」
「何だ里想奈?」
「姉のことで、少し聞きたいのですが」
尋ねても、彼は僅かたりとも表情を変えない。
でも、まるで能面そのものな顔は、他の想いを隠す仮面にも見えた。
「何も知らない」
「助けてあげないのですか?」
「知らぬ、だからできない」
目と見て、表情を確かめても、何の揺らぎすら生じない。
鉄面皮で、頑固さを感じさせる姿。
恐らく、何も聞いても話してくれない。
それに、失望を感じざるを得なかった。
「失礼致しました、お父様」
「良い」
本当に、必要最低限のことしか話さない。
もう少し饒舌に話すこともあるが、そういう時は説明を口頭で行ってるだけ。
この人が何を考え、思って生きているのか、私は知りようがなかった。
「里想奈さん、少し良いかな?」
「え、あ、はい」
父に対してブツブツと考えているところに、声が掛けられた。
返事をし、顔を上げて――目を見開いた。
だってその人は、何時も兄と弁舌による応酬を繰り広げていた、あの上の従兄弟だったから。
「衣遠に少し伝言を頼みたいのだけど、良いかな?」
「か、構いません」
この人は怖い人、あの視線で人を刺せるくらいには。
そんな人に話しかけられても、父は一瞥しただけで目を閉じてしまう。
関係ない、関知しないといった感じなのだろうか、酷い親過ぎる!
「じゃあ一つだけ。
屋根裏のラプンツェルの件、アレは貸しだって、それだけ伝えて欲しい」
「は? 屋根裏のラプンツェル……あ、あの!」
身構えていた時に掛けられた言葉に、私は反射的に食いついてしまっていた。
それは今まで知ることが出来なかった、あの姉に関する情報を知ることが出来るかもしれない高揚から。
私に声を掛けてくる事への意味は、今は考えるのを放棄していた。
「何かな?」
「教えて下さい、姉について教えて欲しいんです!」
そう告げると、彼は考える様に唇に人差し指を当てて。
一つの質問を私に投げかけてきた。
「それは、どうして?」
探るような目をして、嘘かどうかを見極めている。
ここで嘘を吐こうものなら、彼も嘘で応えるかもしれない。
元々、私に彼の言葉が嘘かどうか分からない。
それでも、姉の事では誠実で居たいと、そう思ったから。
「一度だけ、遊んでもらったことがありました。
それがとても楽しくて、また会おうねと指切りもしました。
だから、約束を守りたいんです」
迷いなく、私は本音を話していた。
頼み事をするのに、今ここで私が渡せるものは正直であることだけ。
怖いと感じていた上の従兄弟の目を真っ直ぐに見て、信じてくださいと伝える。
今は、恐怖よりも、姉に会いたいという気持ちが何より上だったから。
「……里想奈さんは賢い子だ、俺が何を望んでいるかをよく理解している。
嘘のない思い遣り、この家でそれを感じることが出来るとはね」
彼の顔が、目に見えて柔らかくなった。
今まで怖いと思っていた目に、人間的な色が垣間見える。
でも、そんな事を気にしていられないほど、私は前のめりになっていた。
姉のことが、他の何より気になっていたのだ。
「今、日本にいる。
俺から言えるのはそれだけ、あとは衣遠の方が詳しいだろう」
彼は微笑を浮かべて、頑張ってと言いその場を去った。
残された私は、ドキドキと早く脈打つ心臓を抑えるのに必死になっていた。
母の前ではいつもどおりに。
それを意識して、頭の中で予定表を組み立てていく。
ここを出て、すぐ兄に連絡を取るために。
――抑えようとしていた心音は、やっぱり高鳴り続けていた。
「お忙しい衣遠兄様の黄金にも等しいお時間を頂き、誠にありがとうございます」
「能書きは良い、さっさと要件を言え」
「……姉が、日本に居ると聞きました」
「ちっ、駿我か。
愚かなる妹と俺を、離間の計で分断するつもりか」
「私は、如何なる時も衣遠兄様の味方です。
ですので、姉について教えて頂きたいのです」
あの後、予定通りに兄に話を通すことが出来た。
母の居ないホテルの部屋で、姉の事について会談をする。
煩わしそうな顔をしている兄は、されども話を打ち切ろうとしない。
兄は私を無視できない、正確には私が姉関連で無茶をして、面倒なことが起こる事を憂慮している。
自分の至らなさは、時に有能で恐ろしい兄への武器になることがあった。
だからこそ、彼は私を愚かなる妹と呼ぶのだけれども。
「己が罪悪感を隠すために、アレに心を配っている事は知っている。
だが、その様な些事に俺が構う理由がない。
アレは、俺が管轄し、教育する。
何れ、俺の道具として相応の活用をする予定だ。
お前は臍を噛んで黙っていろ」
関わるな、と端的に告げられる。
兄としても、私が関わってややこしくなるのは合理的でないのだろう。
そもそも、求めるだけで還元しない人間を兄は蛇蝎の様に嫌っている。
なので、私は何か兄に対価を示す必要がある。
「姉の……」
それを考えた時、一つの考えが浮かんだ。
でも、これを言うと、自分が凄く悪い人間になってしまう。
だから、本当はこんな事は言いたくない。
けれど、私は兄の言う通り、無力で何も出来ないから。
こんな、酷いことを言うしか手段がない。
あの人に会って、謝って、これから一緒に居たい。
その一心で、私は兄に提案していた。
「姉の、鎖になります。
雁字搦めにして、この妹から離れられなくします。
これで、私もあの人も、衣遠兄様の下から離れません。
衣遠兄様を頼りにすることで、自分達が衣遠兄様を裏切れない状況を作ります」
姉が地下に封ぜられたと母から聞いた日、私は世界が思っていた程に輝いてなかった事に気がついた。
それから、本当の世界が見える様になり、姉に初めて会った日の私はどこかへと消え去った。
それを悲しく思うこともあるけれど、でも前よりも今の私の方が信用できる。
考える頭を持ち、賢しく振る舞おうと出来るから。
あの日にした、無思慮からの後悔を避けれるようになったから。
「自ら俺の家畜になると。
豚のような生き様だな、妹よ」
「姉に謝罪を出来ないと、私は動物以下になってしまいます。
お願いします衣遠兄様。
どうか姉と、会わせて頂けないでしょうか……」
声がか細くなるのを感じる。
姉に謝るために、姉の人生を無断で担保にしている。
明らかに、これは善意からの行動ではない事を理解できてしまっているから。
私が姉に出来ることは、イザという時に姉を守るだけの手段を構築する事ぐらい。
その身勝手さを兄に見咎められ、罰を与えられるのを恐れていた。
そうされれば、あの姉ともう会えない気がしたから。
「愚かな提案だ、小賢しい。
だが、良いだろう。
どちらにしろあの母の手前、お前に苛烈な教育を施す訳にも行くまい。
雌犬の子が、お前への楔へとなりうる可能性も、今の様子からすると十分にありえる。
近日中に、お前が朝日と会う準備を行う」
「あ、ありがとうございます!
この御恩は忘れません、衣遠兄様」
恐ろしさのあまり寒気がし、鳥肌が立っていた。
それでも、最後まで私は話をできた。
交渉と言うには、我儘で、一方的で、更には空回りしていたけれど。
この時ばかりは、兄の計算高さに感謝せざるを得なかった。
「お前はただ、俺から一方的に与えられるだけだ。
俺に与えられるだろうと思い上がるな」
「はい、衣遠兄様の言う通りにします。
それが、私に出来る唯一の事です」
「そうだ、愚かなる妹。
お前が役に立つ時は、道具として扱ってやる。
しかし、道具には意志は必要ないが、お前を破壊する訳にもいかない。
故に、雌犬の子を使う。
お前が裏切ればアレがどうなるか、心得ておけ」
この人は、大体の事を成し遂げられる能力を持っている。
そして、やると言ったら成し遂げる精神力も持ち合わせている。
私は姉の為に、この人を裏切る事は出来なくなっていた。
でも、元々この人は私の兄なのだ。
そんな人を、積極的に裏切る気なんて無い。
だから、私はとても楽観していた。
この人と敵対するときなんて、きっと来ないと。
私は賢く立ち回れる、そう自分に言い聞かせながら。
今、この日本のどこかに居る姉に思いを馳せる。
勝手に貴方をダシに使ってごめんなさい。
今後は、今までの分だけ私は尽くします。
どうか、それでも元気で居てください。
そうして会った時に、あの時みたいに笑いかけてください。
本当は朝日とりそなを再開までさせるつもりだったのですが、ちょっと長くなってしまいました。次の話まで、お待ち下さい。
思い出の欠片
「姫様の髪は、オニキスの如き輝きです」
「おにきすって、何?」
「黒色の宝石で……とりあえず、キラキラしてて綺麗って事ですよ」
「そうなんだ、えへへ。
えっへん、お姫様の髪はピカピカなんだよ!」
「髪だけじゃなくて、お人形さんみたいに、姫様は可愛いです」
「朝日はいっぱい褒めてくぇる、えらい!」
「ひと目で、好きになってしまいましたよ」
「? 朝日、りそなに一目惚れ、したの?」
「はい、淑女として、貴方に魅入られました」
「女の子なのに、へんなのー。
でも、嬉しい!
朝日も、凄くかわいい!」
「ありがとうございます、麗しきりそな姫様」
忘れられない記憶。
姉妹で、初めて笑いあった、最初の瞬間。
多分、大人になっても、ずっと覚えている光景。
最初に、母に我儘を言ってしまうくらいに、好きになった女の子との記憶。