月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
悲しかった、リリアさんの壮絶な過去が。
苦しかった、それを抱えて生きてきた身の上を考えると。
それでも、全てを理解はしてあげられない。
私が想像する以上の痛みだろうから。
でも、その痛みを癒してあげたいと思ったのは間違いなくて。
共感したい、痛みを少しでも引き受けてあげられたらと思った。
「ダメですね、困らせるつもりなんてなかったのですけど。
気が付いたら、アサヒさんに全部話してしまっていました。
アサヒさんを慰めるのが先決なのに、自分のことばかり慰めてしまう。
こういうところが、ダメなのは分かっていますのに……」
「ダメなんかじゃありません。
リリアさんは、私のことを想って話してくださったのですよね?」
「それはそうですけど、本来ならば自分のパーソナルを軽く紹介して終わるつもりでした。
人には情けないところは誰にでもあって、それを悲しすぎることはないと。
ですのに、あのように赤裸々に語ってしまったのは私の落ち度です。
知って欲しい、伝えたいという気持ちが話している内に湧き出てしまって」
いつの間にか、わざとらしい悪い顔は無くなっていた。
困惑を隠せない、眉がカーブを描いているお顔。
戸惑いは所作に表れて、頬に手を当てて考え込んでしまっている。
リリアさん自身も、計画的ではない自身の行動がわからないみたいで。
そんな彼女を見て、少しの安心感を感じてしまったのは、私が知っているリリアさんの全てが偽物でないと確信できたから。
「分かって欲しい、気付いて欲しい。
そういう気持ちは、誰しもが持っているものです。
私も、親しい人に私のことを分かっていてもらえたら嬉しいですし、自分が友人のことを知っていると自負したい。
だから、話してくれてありがとうございました」
私の言葉に、リリアさんは私の目をマジマジと見た。
私の奥を、心を覗き込むように。
何を考えているのか、それを理解したいと思ってくれているように。
「アサヒさん、困らせたくはないのですが、敢えて言います。
私は確かに伝えました、自身が差別主義者で黄色人種に関しては特に思うところがあると。
ですのに、いつもと同じ様に友人として見てくださいます。
私の過去に涙してくださっても、そこに色眼鏡は加えないで下さいました。
それは……何故?」
重なり合った視線は、まるで糸で結ばれたかの様に解けない、解かせない。
ここで目を伏せてしまえば、何かが途切れる様な気がしたから。
リリアさんは真剣で、おおよそ全てを私に曝け出してくれた。
ずっと裡に隠していたものを、全て解き放った。
それはきっと、信頼というよりも限界だったから。
隠し事をするという不誠実に、リリアさんが苦しくなったから。
私をある意味で頼ってくれたのだ。
それを思うと、応えたいと私の中で僅かな火がついた。
互いに傷を曝け出して、それを慰め合うと言えば聞こえは悪い。
けれど、互いに支え合うには、相手の傷が見えていないとできないことだから。
自然と、流れで私たちはそれを理解している。
この人の助けになりたいと、お互いが思っていることを。
さっきの問いは、リリアさんからの最終確認。
信じても良いですかという、信頼が生まれようとしている瞬間だから。
「リリアさんを、私は知っています。
優しくて、デザインが素敵で、華花さんと仲が良い。
笑顔が素敵で、でも負けん気も強い貴族のお方。
このパリで、初めて絆を紡いだ人が貴方でした」
「……ですから、それは虚像の私だと告げましたでしょう?」
リリアさんの否定は、力のないもの。
怯えている風にも感じるそれは、自分の中に感じている本物の自分を怖がっているから。
皆に優しいと言われる自分は、実はそうではないと思っている。
これまでの話から、その感触を私はリリアさんから受け取れた。
今は共感しあいたい、相手のことを知りたいと必死な場面だから、リリアさんのことを沢山感じ取れる。
きっと駿我さんと一緒で、企んでも優しさを混ぜてしまう人だから。
それを分かった上で、私は首を振った。
「いいえ、いつだって私の前ではリリアさんはそうであってくれました。
思惑があって、結果としてそうなっているだけかもしれません。
ですが、それで私が救われていたという事実が何よりの結果です。
ずっと、優しくて華やかなリリアさんでいてくれました。それに……」
ふと、思い出したフレーズがあった。
それは日本にいた頃、湊から雑談がてらに教えてもらったこと。
「好きな人にほど、隠し事をしたり嘘を吐きたくなるらしいですよ?」
冗談交じりに、けれどもそれで良いという気持ちで口にした言葉。
私のことをリリアさんが好きなどと、普段なら言わない大胆なジョークだけれど、友人としてならば大切にしてもらってると確信を持っていたから。
笑顔で言い切って、リリアさんの反応を窺う。
馬鹿馬鹿しくなって、気持ちが和らいでくれたらと思いながら。
「あ、え、バレ、て?
なぜ? どうして?」
けれども、帰ってきた反応は著しく動揺しているリリアさんの姿。
赤くなったり、頭を振ったり、なぜ、と呟いたり。
どうしてか、リリアさんは今日の中で一番動揺していた。
どうしてか、と考えてみる。
リリアさんがあたふたしている、その理由を。
今日は、分かり合いたいと思っているから。
焦っている、慌てているのは予期せぬことがあって動揺しているから。
そして、その予期せぬことというのは……会話の前後を考えると、さっき言った冗談以外に心当たりがない。
――つまり、リリアさんは私の言葉にとても照れてくださっているということだ!
……推測が目の前の現実と結合して、眼の前のリリアさん同様に私の顔も熱くなるなる。
違うというには、リリアさんのことを考えすぎていたから。
多分、うん、きっと合ってる。
思い至ってしまえば、ムズムズが体中に広がっていく。
だって、私がリリアさんを口説いてしまっているから。
軽薄に、同性に不埒なことを言ってしまった感覚。
リリアさんと目を合わせると、なぜだかマジマジと顔を覗き込まれて。
頭から湯気でも出てしまうんじゃないか、というくらいに恥ずかしくなってしまう。
必然的に、違うんですという力ない言葉が口から出てしまってのは仕方のないことだった。
「変なこと、言っちゃってごめんなさい。
とにかく、リリアさんにおかしなことを言うつもりじゃなくて、下手な冗談だったんです」
「じょう、だん?」
「はい、困らせてしまってごめんなさい」
リリアさんは、お顔から赤さが少し引いて、今は不思議そうに首を傾げていらっしゃる。
何か、本当に分からないモノに遭遇してしまったみたいに。
私のジョークセンスは、思っていたよりも数段下だったのかもしれない。
「……つまりは、私のことに気が付いたという訳ではないと?」
「リリアさんのことですか?」
今度は私が首を傾げると、ホッとしたような、けれども無念でもあるような溜め息をリリアさんは吐いて。
そうして、ツカツカと私の下までやって来るリリアさん。
前髪をたくし上げられ、コツンとおでこ同士をぶつけらるのを私は抵抗なく受け入れるしかなかった。
熱くて、私の方へと温かさが移ってくる感覚。
でも、風邪みたいなものじゃなくて、何か別の要因でリリアさんは体温が上がっているのを感じる。
息が掛かる至近距離で、リリアさんはか細く囁いた。
「悪い人です、人を弄んで」
「ご、ごめんなさい」
「男性の方に愛を告げられたことはあります。
ですが、女性には初めてです」
「あの、本当に違うんです……」
「いいえ、違いませんよ。
私の初めてを、アサヒさんは奪っていきました」
「ど、どうしましょうか……」
心から、どうしようかと思ってしまう。
熱を帯びているのは、リリアさんのおでこだけでは無くなってきている。
良く分からない熱が、場の空気を支配しつつある。
おかしな重力が、私とリリアさんの間に存在した。
「……フフッ」
リリアさんは、意味深に笑っている。
その笑みの意味が、私には分からない。
ただ、ひどくイケナイものを感じてしまい、背筋がゾクリとしてしまう。
――離れないと。
そう思うけれど、拒絶するような反応をするのは嫌だった。
だって、ようやく互いのことに踏み込み合えたのだから。
よって、固まったように私達は互いの熱を交換しあって……。
「次は男の子の、コクラくんになって告白しに来てくださいまし」
その言葉と共に、リリアさんはゆっくりと、名残惜しげにおでこを離した。
そして私は、思わずと言った感じでその場にへたり込んだ。
危なかったとも、助かったとも言える心境で。
「真心を込めて、お願いしますね」
「は、はぃ」
私はひどく情けない声で、気の抜けそうな返事をしてしまっていた。
どうやらまた、何時か私は男装することになってしまったのだった。
「ところで、リリアさん」
「はい、アサヒさん」
アレから少しして、落ち着いてから一つ抱いた疑問を尋ねていた。
デリケートなことで、あまり藪を突く真似はしない方が良いとは思ったけれど、それでも友人でいる上で大切なことだと思ったから。
「どうして、リリアさんは憎悪を捨てられたのでしょう」
リリアさんは確かに言っていた。
外国の人間、特に黄色人種に思うところがあると。
それは、過去の経験からすれば当然のこと。
貴族の血筋という属性で逆恨みをされ、覚えのない怨恨を塗りたくられたリリアさんは、心を守るためにも自身も属性で相手を憎まざるを得なかった。
でも、今のリリアさんは確かに私を友人だと思ってくれていて、認めてくださっている。
それは喜ばしいことだけれど、理由を知らないと私は甘えてもたれ掛かってしまう。
友情には義務はないけれど、無責任で居られるほどに無関心な関係性ではないから。
「何故、私と友人になってくださったのですか?」
傷に触れること、それは痛みが伴ってしまう。
自分でイタズラに触っても化膿するのに、他人に無思慮に触れられればそれはどれほど不愉快だろう。
そこに思い至っても、私は尋ねてしまっていた。
リリアさんとの絆を、突然断ち切られたくないという我儘で。
ただ、当のリリアさんといえば、不思議そうに首を傾げていて。
うん? と私も首を傾げたところで、リリアさんは事もなさげに言った。
「――許してませんよ、それは」
「え?」
「アサヒさんが特別なだけで、他の方々を許す道理はどこにあります?」
リリアさんの言葉に、私は確かに動揺していた。
まだ、彼女は憎しみを捨てていないということに。
微塵もそんな気配を感じさせないのに、ハッキリと断言されてしまったことに。
自分の声が震えるのを理解しながら、私は恐る恐る尋ねた。
「では、どうして私のことは……」
「あなたは、家族に突き放されて宛もなく苦境に立っていた私を支えて励まして、付き添ってくださった方だからです。
無論、メリルさんもそうです。
だから、あの人には仕方ないと思えるし、寛容でいられます」
あなただけは特別、脳内が蕩けてしまいそうな言葉。
正直なことを言うと、動揺もしたけれどホッとした気持ちはあった。
リリアさんの隣に居てもいいのだと、自分の都合で考えてしまう。
思わず自己嫌悪に励んでしまいそうになった時、でも、という声がそれを引き止めた。
「アサヒさん、あなたや華花のお陰で分かったことがあります。
それは、偏見を持っていたとして、接することで許せるということです。
今後、アジア圏の人に出会う度に私は過去を思い出して勝手に見下してしまうでしょう。
ですが、その後に己の不明を恥じ入ることができるようになったのです。
覚えていて下さい、私は少しだけでも貴方のお陰で変わることが出来たのだと」
リリアさんの微笑みは、本当に慈しみに満ちたものだった。
今までにも見たことのある笑みだけれど、今まで以上に素敵に見える。
リリアさんが、本気で私のことを慮ってくれているのを心から理解できているから。
「……その言葉だけで、少しでもお役に立てた気持ちになれて救われます」
ホッと一息吐くと、気疲れしていたことに気が付いた。
感じた気の緩みが、体に休んでと伝えているようで。
恥ずかしながら、あの、と声を掛けるとリリアさんは”えぇ”と頷いてくれて。
「お休みなさい、アサヒさん。
昔話にしては無様に過ぎましたが、最後は幸せに暮らしましたと綴るつもりですから」
リリアさんが部屋を出ようとして、ドアノブに手を伸ばす。
――そんな時のことだった。
バタンと勢いよく、部屋の扉が開かれる。
リリアさんではなく、華花さんでもない。
ここ三日間、自身の情報網を駆使してパリ中を駆けていて、何時も纏っている爽やかで軽快な雰囲気は乱れた髪や服で滲んでしまっている。
それは私と同じか、それ以上にメリルさんを大事に思っている人。
「アサヒッ!
目撃情報ッ、あったよ!!!」
彼女、エッテさんのその一言で、ようやく訪れた眠気はまた私から離れていった。