月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel   作:ペタンコ

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お兄様視点です。


第40話 そんなわけないだろう!

 時が来た、いや、作ったのだ。

 奴を捕え、服従させ、羽を手折る時を。

 微睡の時間は終わり、現実に帰ってくる時が。

 

 アンソニーからの電話で、奴が追い詰められていることを確信する。

 あと一押し。僅かな衝撃でも加われば、途端に奴は折れるだろうと目論んで。

 

 俺はアンソニー越しで、奴に指示を出す。

 遂にと逸りそうになる自身に、まだだと言い聞かせて。

 それでいて、どの様な処分を下すかを考える。

 二度と、俺に逆らおうなどと思わせないように。

 

 これは、支配欲。

 忌々しき父を名乗る愚者に、復讐するための道具への。

 職人は道具にこだわりを持ち、気遣い、磨き上げる。

 それらと同じものだと、自身の中に感じる執着を定義して。

 ――そうして。

 

『待て待て、そちらがそのつもりならばこちらにも考えがある。

 兄上と朝日ちゃんの交際を婚約に変更し、物理的にお前の兄弟になるという策だ。

 そうなれば、この無意味な遣り取りも意味を成さなくなるだろう?』

 

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 ???

 ?????

 

「何を、言っている……」

 

 何やら、おかしな幻聴を聞いた。

 あり得ない事象について語られて、妖物に化かされたような感覚。

 それを不快だと認識する暇もなく、更にアンソニーは理解できないことを話し出した。

 

『お爺様は俺たちのことを家族と呼んで憚らないが、大枠の括りではそうでも実際のところは険悪な親戚にすぎない。

 ならば、本当に家族と化してしまえばよいのではないか?

 きっとお爺様も、それならばと朝日ちゃんのことを喜んで受け入れてくれるはずだぁ、ハッハーッ!』

 

 アンソニーの脳みそが腐葉土に埋もれているのはいつものことだが、俺が聞きたいのはそういうことではなかった。

 

 ――アレと駿我が交際している?

 あり得ない、アレは兎も角として駿我は哺乳類ではなく爬虫類。

 人間足りうる情を持ち合わせていることなど、ある筈がない。

 ならば、利用するためにアレを用いようとしている他にない。

 

 俺の道具を、復讐のためのピースを、奴に……?

 脳裏の想像に、悍ましさが伴って飛来する。

 アレは俺のもの、それを他者が、よりにもよって駿我が扱おうなどとなどあり得ないにも程があるっ!

 

「――()れるな、アンソニー。

 それ以上寝言をほざけば……潰すぞ」

 

『ひ、ひぃっ!

 い、衣遠、なぜ怒っているのだ?

 思わず震えてしまったぞ、全く』

 

「ことの真贋をを見抜けない間抜けに、辟易としただけだ。

 考えてもみろ、アンソニー。

 奴が、あの冷酷で弟のお前すら駒として見ている男が、雌犬の子なぞに本気になるか、ないだろう?

 ――利用しようとしているだけだ、簡単な帰着に過ぎない」

 

『あー、なるほど、普段の兄上を見ていたら分かる。

 お前の言い分も理解できるし、朝日ちゃんを心配しているのだな?』

 

 俺の確固たる意志を持った言葉に、アンソニーはようやく理解を示した。

 これだから、無能な人間は困るのだ。

 一を理解させるために、十の説明が必要になるのだから。

 

「心配などしていない、アレは俺の所有物にすぎない。

 他者に触れられれば不快になるだけだ」

 

『え、兄上だけでなく衣遠とも!?

 従兄弟だけではなく、実兄までも……。

 朝日ちゃん、なんて恐ろしい子なのだ』

 

「悍ましいことをほざくなと言った!!!」

 

 どうやら、俺はアンソニーを高く評価しすぎていたらしい。

 無能は十の説明を必要とするが、身につけた事は忘れない。

 しかし、この男は説明した側から忘却していく。

 徒労とは、正にこれと関わった者に訪れる現象だろう。

 

『イヤイヤ、イヤイヤイヤ。

 衣遠、聞いてくれ!

 信じられないかもしれないが、兄上は本気なんだ!

 愛だぞ、愛! あの兄上が愛を見つけたんだ!

 だからこそ、俺は兄上と朝日ちゃんのことを応援している!』

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 伝えることはすでに伝えた。

 俺が指定した場所に、アレがノコノコやってきた時が最後だ。

 そう思い、この無益な電話を切るーーその直前。

 

『……がうんです!』

 

 昔に聞いた、忌々しくも覚えのある声がした。

 

『ア……二ーさん、でん……貸して……』

 

 携帯越しに、アンソニーとアレの声がする。

 薄皮一枚まくった先に、その気配を感じさせられる。

 幾らかの茶番の後の様な口論が途切れながら聞こえて、そうして――。

 

『あの、その、お、お久しぶりでございます、お兄様』

 

 小鳥の囀る様な声が、確かに携帯越しから聞こえてきた。

 

『お兄様が呼び止めてくださったにも関わらず姿を消した自分が、厚顔無恥にもまた貴方に話しかける無礼を、どうかお許しください』

 

 俺は返事をせずに、ただ淡々と携帯に耳を傾ける。

 あの日に失った者、それが手元まで後少しだという実感を得ながら。

 

『その、声を掛けさせていただける機会に、この様な下世話な話をするべきではないということは、重々承知しております。

 ですが、私ではなくて駿我さんの名誉のためにも言わせてください。

 あの、違うんです。

 私と駿我さんが交際していたという事実は存在致しません』

 

 知っていた、そんなことは。

 わざわざ理解していることを告げにくるなど、やはりコレは愚昧が過ぎる。

 ただ、俺へ伺いを立てようとする姿は、俺の所有物としての自覚があるのだろう。

 カエサルの物はカエサルに、世界の道理とはそうあらねばならない。

 それを覚えていたことだけは、無能なりに褒められたところか。

 

『きっと駿我さんは、素敵な女性と巡り合って結婚なされるのだと思います。

 なので、お兄様は駿我さんのことを誤解されないでください』

 

 ……しかし、やけに奴の肩を持つ。

 恐らくは、餌を貰える宿主だからだろうが、良くない傾向だ。

 幾ら大恩あるはずの俺を裏切ったとはいえ、恩義には反射で応えようとする能無しだ。

 だから、あまりに入れ込みすぎられると、後々に面倒になる。

 

『私の一方的な言葉に耳を傾けてくださりありがとうございます、お優しい衣遠兄様。

 ……ですがお兄様、個人的な感情としては、このままお兄様にお話を聞いていてもらいたいです。

 長く空いた空白を塗りつぶす為に、お兄様のお話も拝聴したいです。

 ――でも、その前にお兄様にお尋ねしたいことがあります』

 

 声音が変わる。

 先程までの無駄話の時とは違う、上位者に伺いを立てる弱者のもの。

 おもねりと怯え、震える声からは事のあらましを理解しているであろう事が伝わってくる。

 笑い声が出そうになるのを、なんとか噛み殺す。

 まだだ、まだ早い。

 全てを暴露し、奴を取り戻し、俺から逃れられなくなり絶望の淵に立たせた時こそがその時だ。

 故に、まだ俺は奴の言葉に耳を傾けて。

 

『メリルさんを、私達のところに返してあげてくださいませんか?

 お兄様の深慮について、私は見識を持ち合わせていないので、語ることはできません。

 ですが、メリルさんがいなくなった時は、心配で胸が張り裂けそうになりました。

 私にできうることならば、何でも致します。

 ですので、どうかメリルさんをお返しください』

 

 ――その言葉を待っていた。

 自ら、俺にその身を差し出す覚悟をする、その瞬間を。

 何でもする、文字通りの意味だ。

 奴は他者と自身を比較した時、他者を取る。

 だからこそ、俺はあの時に逃げられた。

 

 俺が無様にも、待てとまで呼び止めてしまった汚辱。

 その後に好物さえ奴を連想させられ、食指が動かなくなった屈辱。

 覇道へ邁進する最中に、奴のことで路傍に寄り道をしなくてはならなくなったことに対する忍辱。

 

 あの日の雪辱を果たす為に、俺はこの様な無駄なことをしている。

 その怨念を果たす時が、ついに来たのだ。

 活力が溢れ出そうになり、高らかに宣言しそうになることを抑えながら、俺は極めて事務的な口調で告げた。

 

「ラグランジェ伯の屋敷まで来い、そうしたら小娘の身柄を解放してやろう。

 但し、貴様が一人でだ。

 条件が破られた時、特に駿我の手先を介入させた場合、小娘は何処へと旅立つことになるだろう。

 足はプランケット家の車を使え、話はつけてある」

 

 息を呑んだ気配が携帯越しにする。

 俺の手が友人の家にまで及んでいたことが、それとも自らの末路を想像して戦慄したのか。

 どちらにしろ、奴は愚かであるのだから一人で来る。

 その時に命脈を絶てば良い。

 勝利を確信して、口角が上がるのを自覚していた……そんな矢先。

 

『お兄様のお声。

 ずっと聞けていなかった、お兄様の声です……』

 

 喜色を滲ませた様な、しみじみとした呟き。

 意味が分からないままに、俺は口を閉ざした。

 俺がコレを喜ばせなければならない道理など、この世に一片たりとも存在しないのだから。

 

『私ばかりが話していて、お兄様のお声が聞けなくて、もしかすると電話を切られてしまうことも覚悟していました。

 ですが、お兄様は私の話を聞いて下さって、メリルさんのことも返していただけると約束してくださいました。

 ですので、ありがとうございます、お優しい衣遠兄様。

 朝日は、お兄様の変わらぬお声が聞けてとても嬉しく思っています』

 

 ……相変わらず、犬の様な反応をする。

 かつてから、俺が話しかけるとこの様な反応をして、尻尾を幻視させる程に喜びを露わにする。

 まるで変わっていない愚かさが、僅かな郷愁を呼ぶ。

 

 この俺がこの時も忘れていない憎悪など、まるでなかったかの様な。

 あの日に何もなかったかの様な、今日まで日々が連続しているかの如き態度。

 もしもなどという仮定は人生には不要なれども、無かったはずの出来事を想起させられる。

 ――間違いようがない程、コレは毒婦であった。

 

 俺は自らの感情を押さえつけながら、何とか電話を切った。

 ただ、口から溢れた一言は、抑えようのないもので。

 

「雌犬の仔めが……」

 

 漏れ出たその言葉は、俺の想定していた激情とは程遠いもの。

 弱りきった人間が吐き出した、虚な負け惜しみじみていて。

 やはり、奴を屈服させる必要性があるのだと強く確信した。

 他の誰でもない、この俺が。

 

 

 

 

 

「りそな、なんで旅支度なんかしているんだ。

 会社の売却案が纏まりそうなんだから、共同経営者として細部を詰める必要があるだろう?」

 

「ルナちょむなら大丈夫です。

 何なら私が余計なことをしない方が、余程上手くいくかと」

 

「……お姉さんのことか?」

 

「あ、分かります?」

 

「君は自堕落だが、責任は果たそうとする人間だ。

 そんな奴が、それらを放り出してどこかに行こうとする。

 なら、とても大切なことに違いないからな」

 

 ルナちょむの言う通り、姉に関する動向で何かがあった。

 ただ、何があったかまだは分からない。

 

 それは、何かあった時のために修道院の人に教えていた携帯の番号。

 大蔵に、特にあの母にバレない様に、ルナちょむのメイド長名義で契約してもらった、誰も登録されていない携帯電話。

 その電話から、こっちの携帯に着信があった。

 ワンコールで切られたそれは、事態が逼迫している証左でもある。

 説明しているほどの時間が無い状況に、修道院の人が追い詰められているのは間違いないのだ。

 そして、修道院の人が危ないということは、姉も同様に危険だということ。

 修道院の人は、姉が大好きで離れようなんて思う筈がないのだから。

 

「そういうことなら仕方ない、こっちは勝手に進めておくとしよう」

 

「ありがとうございます、ルナちょむ。

 暇があればお土産を買って帰ります」

 

「うん。で、どこまで行くんだ?」

 

 今日の空は曇っていて、何だか不安にさせられる。

 

「――パリですね」

 

 そんな虫の知らせが、私を急かしていた。

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