月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
「は? 何それ」
想像よりも冷ややかな声で、内に秘めた感情を漏らしたのはエッテさんだった。
私に向ける視線は厳しく、糾弾されている様にも感じる。
納得云々の前に、意味が理解できないと言わんばかりだった。
「えっと、ですので、私がメリルさんを迎えに行くことが条件なんです」
「違う、そうじゃないよ、私が言いたいことは。
アサヒだって、分かってるよね?」
語気が強くなるエッテさんに、私は曖昧に微笑んで。
それが悪かったのか、エッテさんの表情はしかめっ面から怒りが滲み始めていた。
「アサヒのお兄さんだとしても、だよ!
メリルを何日も勝手に連れ回して! 挙句に、返して欲しかったらアサヒを差し出せなんて!
どう考えてもふざけてるよ、しんじらんない!」
確かに、エッテさんからしてみれば、お兄様を信用できる要素は微塵もない。
良くて不良、悪く見れば誘拐犯。
悪い方ではないのですと言っても、証明する術は私の証言のみ。
流石に分が悪いのは、自覚する他なかった。
「私を差し出せということではなくて、来なさいという指示があっただけで……」
「私も反対です、アサヒさんが一人で来いという指定。
どう考えてもあからさま過ぎます」
「リリアさんまで……」
リリアさんも眉を顰めて、首を振っていた。
そんな二人の言葉に、アンソニーさんは超高速電動赤べこの様に頷いている。
華花さんも、リリア様に同じくと呆れたように口にして。
全員が、私がお兄様の元へと向かうことに反対している。
ただ、事情を説明してメリルさんを連れて帰ってくると伝えるだけだった筈なのに。
「朝日ちゃん、俺も反対だ。
兄妹同士、仲良くしたいのはよ~く分かる。
だが、朝日ちゃんに何かあったら兄上に申し訳が立たない。
それに、何故だか兄上に連絡が付かないのだ。
だからこそ、余計な動きはしない方が良い」
「駿我さんも、お忙しい方ですから……」
アンソニーさんの意見に自分の考えを述べると、いやいやと首を振られた。
朝日ちゃんは兄上がどれだけ本気なのかを分かってない、なんて言葉と一緒に。
「兄上は、この欧州に何故来ていると思う?」
「それは……お兄様と、その……」
争いに……と口まで出かかった言葉を、何とか押し止める。
実際に口にしてしまうと、何か大きな出来事が起こってしまいそうだから。
だけど、アンソニーさんは頷いて言ってしまった。
「そうだ、衣遠と兄上は何かを巡って、戦いに来たんだ。
何が目的か、兄上は俺に話してはくれなかった。
だが、この時局を迎えて、ようやく理解できた」
澄んだ瞳で、アンソニーさんは私を見ていた。
彼の瞳に曇りは無くて、だからこそ察してしまった。
「わ、たし?」
ただ、意図は汲み取れても理解はできない。
私を理由に……そんな馬鹿なことで争う意味が分からない。
偉大な二人が、そんな理由で不毛なことをする必要はまるでない。
動揺するけれど、それ以上に困惑が大きい。
「そう、朝日ちゃん。愛だよ、愛」
そしてアンソニーさんの言葉を、私は信じられなかった。
駿我さんとの間に確かに絆はあった。
友愛、家族愛、そういった物を持って貰えていると図々しくも確信している。
もし私に何かあったら、心苦しくも私の為に戦ってくださるだろうとも。
――では、お兄様には?
……分からない、ううん、自信がなかった。
あの方は、何よりも才能を愛している人だから。
才能のない私を愛するなど、お兄様の道理からは外れている。
けれど、才能のない私に指導してくれたのもお兄様だった。
呆れられても、失望されても、最後まで見捨てられることはなかった。
それに――、
『待て、朝日っ!』
あの日のお兄様の言葉が、頭に蘇る。
『これは俺の物だ!
爪先から髪の毛一本に至るまで、俺が生殺与奪を握ってなければならない生き物だ!
そうでなければ、全てを奪ったことにならない。
故に、お前は俺の妹で居なければならない!』
あの日のお兄様の言葉が、忘れられない。
だって、お兄様が私のことを妹だと思ってくれている、何よりの証拠だったから。
奥様に平手打ちされて、お顔に痛々しくも残った痕。
けれども、そんなことが気にならない程にお兄様は怒ってくださった。
私が居なくならないように、私があの方の妹で居られるように。
それを裏切ったのは私で、戦うことをしないで逃げたのも私。
お兄様が私に対して怒っているのも、当然のことだと思う。
その気持ちは愛、なのだろうか。
お兄様は、私を愛してくださっていた、のだろうか?
分からない、私は自分勝手で、自分が愛しているという事実だけで満足していたから。
恩人で、兄妹で、尊敬して、構って下さることが嬉しくて。
自分の愛は確認していたから、相手がそうだったら嬉しいと思っていたくらい。
真剣に、相手が自分をどう思っているかなんて考えたことがなかった。
だからこそ、今になって無理解が混乱を呼んでしまう。
お兄様のことを神格化して、与えられるのみで知ろうとしなかった自分が恨めしい。
「おにい、さま」
でも、間違いないことは、自分はお兄様やりそなを愛しているということ。
その一点だけを持ってしても、私は確かめたいという気持ちを抑えきれない。
――私は、貴方の妹で居ても良いのでしょうか?
そんな愚かしい問い掛けを、堪えられそうにない。
いつか夢見た形、湊や七愛さん、駿我さんにりそなからの手紙。
色んなものが混じり合って、望みの形をハッキリさせた。
また家族と一緒に暮らしたい。
そうして、あの日の続きを取り戻したい。
浅ましくも確かに芽吹いた欲望は、私の中で今も育まれ続けている。
ただ、私は勘違いをしていたのかもしれない。
私が家族のもとに戻るのは、奥様に認められれば良い。
それだけが条件だと思っていたけれど、本当はもっと複雑なものがあるのかもしれない。
お兄様のことを、もっと知る必要があるのだと思ったから。
私は、心を決めてアンソニーさんに伝える。
やっぱり、何よりも私自身が話し合わないといけないと思ったから。
「自分本位で本当に申し訳ないのですが、それならば尚更にお兄様に尋ねたいのです。
貴方は、私が為に事を成されているのかと。
お兄様の目的に、私のことが僅かなりとも含まれているのだと」
自分でも驚くほどに、声に張りがあった。
確かめたい、その気持ち一つが活力になって私のなけなしの勇気に油を注いでいく。
愚かでも良い。
愚妹だと言われても、それは仕方がない。
ただ、それを確認しないことには全てが始まらないから。
「行かせてください、どうか……」
アンソニーさんに懇願する。
この人が行かせまいとすれば、私はここでずっと足を止めることになるから。
どうか、とその手を握る。
恥を隠さずに、みっともなく哀願していた。
この人の優しさに漬け込もうという、卑怯な行為。
……結果は、悪辣な私の望んだ通りに。
「朝日ちゃん……そうか、そうだな。
俺にも分かる、俺だって兄上のことをもっと知りたいと思っている。
兄弟間でさえ、理解出来ないのは辛いよな……」
アンソニーさんは、本当に優しい方だ。
私の甘言に、直ぐに理解を示してくれる。
本当にごめんなさい、お優しいアンソニーさん。
「では?」
「うん、分かった。
確かめたいというのならば、行こうか」
その言葉に、ちくりと胸の良心が痛みつつも、ホッとしたという感触があった。
これで、力ずくで阻止されるということは無くなったから。
「待って、勝手に進めないで」
ただ、問題はまだ解決していない。
声のした方を振り向けば、明らかにおかんむりなエッテさんがいて。
リリアさんも無表情で私を見ているのが、あまりにも気まずい。
もう諦められているのか、華花さんだけは素知らぬフリを決め込んでくれている。
私は何とか二人に向き合う。
言葉を尽くして、気持ちを伝えて、何とかわかって貰おうと。
「ごめんなさい、エッテさん。
ですが、どうかお願いします。
心に決めたことで、もうやると決めてしまったんです」
「うん、それは良いよ。別に」
「はい、ご無理を言ってるのは重々承知で……え?」
「家族の問題で、メリルと同じくらいアサヒにとって重要なんでしょ?
なら、文句は言わない。
私が気に入らないのは、私たちだけ今更無関係にされるってこと。
メリルのことが一番好きだけど、アサヒも私に取って大事な友人なんだよ、分かってる?」
その言葉、胸にキッチリと届くくらいに温かくて。
反論のための言葉が、詰まってしまう。
「色々と思うところはありますが、アサヒさん」
そしてリリアさんは、そっと私の耳元まで近づいてきて。
「貴女のご家族の問題に巻き込まれたのなら、最後まで責任を取ってくださいまし」
そういうと、イタズラっぽく囁いた。
ゾクっと背中に走るものは、リリアさんに対する罪悪感か。
……ちょっと気持ち良い感じがして、非常にソワソワした。
「ですが、皆さんが来られるとメリルさんは……」
その想いが嬉しくて、付いてきてくださいと言いたくなる。
でも、お兄様は一人で来いと言っていた。
そうしなければ、メリルさんはどこか遠い場所へと行ってしまうと添えて。
ならば、やはりそうしなければならない。
また、メリルさんと一緒にいたいから。
そう伝えると、二人は難しい顔をしてしまうが、アンソニーさんだけは何故だかキラリと歯を輝かせて。
「なら、朝日ちゃんは一人で行けば良い。
俺達は、偶々同じ方角に向かうとするからさ」
「そっか、確かにそれなら行けそう!
屁理屈だけど、最初に捏ねてきたのは向こうなんだし!」
その言葉に、エッテさんはおっと感心して、アンソニーさんを肘でつついていて。
リリアさんも、我が意を得たりと頷いていた。
私としては、本当に大丈夫なのか疑念の余地がある。
けれど、その方法以外に納得してもらえる代案を持ち合わせてもいない。
なので、渋々ではあるものの、その提案に頷いて。
「外までだったら、大丈夫かもしれません。
中に付いてくるのはダメですからね?」
「うんうん、任せておいてくれ。
で、行き先はどこになるんだ?」
その言葉に、私は言いづらさを覚えながらも行き先を伝える。
視線を宙に彷徨わせながら。
「ラグランジェ伯のお屋敷……リリアさんのお家になります」
「は? お父様?」
リリアさんの声が聞こえた気がしたが、私の視線は宙にあるので気付かないふりをした。
「それでは、ここから結構遠いじゃないか!
迎えがくるのかな?」
「えっと、エッテさんの実家に連絡してあって、ここにくる時に使わせてもらった車を使用されてもらえるとのことで……」
「は? パパ? ママ?」
今度は、エッテさんの低い声が聞こえたけれど、私の視線は宙に浮いているので気づかなかったフリをした。
……ただ、見事に友人達のご両親を巻き込まれてしまっている。
本当に困った時、二人のご両親は頼れないという事に他ならない。
根回しが見事で、それだけ衣遠兄様はいま成されていることに本気なのだと理解できた。
「どう、しましょうか?」
皆さんの足が無くなってしまう。
付いてくるという行動は、かなり難しくなるだろう。
そんな私の懸念を、アンソニーさんは笑って消し飛ばした。
懐から、大蔵の小切手を取り出して。
「車なんて、そこらで買えば良いさ。
なにせ大蔵家は、お金持ちだからな!」
……あまりにも頼りになる。
アンソニーさんは自分のことを卑下なさるが、そんなことはない立派な大蔵のお方だった。
その言葉でそれぞれに頷いて、私たちは行動を開始した。
どうかメリルさん、と願いながら。
お兄様の胸中を想像しながら……。