月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
私を乗せてくれていたプランケット家の車が、エンジンを止めた。
眼の前には、歴史を感じさせる大きなお屋敷。
リリアさんの実家であるラグランジェ邸が、泰然とそこにはあった。
緊張も相まって、お屋敷の威容が私を威嚇しているようにも感じる。
まだこれからなのに、手汗が滲む。
けれども、ここまで連れてきてくださった運転手の方に礼を言って、私は何とか車から降りた。
眼の前の鉄製の門がいかめしく、落ち着かない。
なので、行動している方が落ち着くかもと思って門を開けようとすると、どこからともなく使用人の方が現れて、私がアタフタしている内に開門された。
どうぞ、と招き入れられた私は、お屋敷の中に足を踏み入れた。
そうして案内されたのは、客間と思われる一室。
その中には、一人の男性がいらした。
お兄様ではない、中高年くらいの男性が一人。
私の姿を確認すると、にこやかに笑って立ち上がった。
赤い、リリアさんの情熱の色と思い出す髪の色の人だった。
「ようこそ、我が屋敷へ!
娘が何時も世話になっているようだね、オオクラアサヒさん」
「……失礼ながら、ラグランジェ伯であらせられますか?」
緊張と困惑が綯い交ぜになった声に、この人は鷹揚に頷いた。
リリアさんのお父さん、ラグランジェ家の当主……リリアさんを、私達の元に預けたであろう人。
身構えてしまいそうになる私を、ラグランジェ伯は手で制した。
落ち着き給えと、穏やかな声を添えて。
「アサヒさん、君の気持ちは分かる。
ある日、自分が理解しない内に大きな思惑の中に囲まれた気分なのだろう。
その気持はよく分かる、私もそうだった」
「私、も?」
「分かるだろう?
君も私も、同じ境遇の仲間なのだよ」
口元は緩やかに笑みを浮かべていて、けれども目にはクマが出来ていて疲労が透けて見える。
ただ、何だか安心したような、解放されたような……或いは、投げやり気味な目。
その目で、私に同情を寄せるように見つめられていた。
「お兄様、ですか?」
「イオン氏か……確かに恐ろしい人物ではある。
だが、怖いだけで、害を与えられてはいないな。
むしろ、この状況では頼れる味方であるとも言える」
味方、とお兄様のことを口にするラグランジェ伯。
きっと、両者の間で何かしらの取引が行われたのだろう。
でなければ、お兄様もこの屋敷を指定場所になんて選ばない。
でも、一体何の取引を、何の目的が行われたのか?
それについて、私は一切のことが分からない。
ただ、この状況的に、明るい話題という訳ではないという推測しか立てられない。
「失礼ながら、質問をさせていただけますでしょうか?」
「気持ちは分かるが、困るな。
だが、私の問い掛けに答えてくれるのならば、その質問に答えよう」
「分かりました、よろしくお願いします」
その条件に、私は直ぐに頷いた。
恐らくは、ラグランジェ伯が私に聞きたいことなんて、一つしか無いはずだから。
「リリアは、どうしていたかな?」
やはりと言うべきか、ラグランジェ伯の問いは大切な一人娘のことだった。
先程まで浮かべていた笑みは、どこかへと隠れて。
今は落ち着かなさげな、父親の顔があった。
それに、私は安心感を感じながら滑らかに答えていた。
リリアさん、貴方のお父さんにも何か事情があったみたいです、と後で伝えようと決めながら。
「酷く落ち込んでおられました。
お父様やお母様に、私は何か嫌われるようなことをしてしまったのかと。
それが過ぎ去ると、かなりムッとされていました。
あとで酷いから、仕返しが出来たらなんて言われてました」
リリアさんには申し訳ないけれど、隠し立てすること無く話していく。
この人は、リリアさんのことを良く分かっているみたいだから。
私の話す内容に苦笑して、相変わらずの跳ねっ返りがと呟いているあたりは特に。
「ですが、ずっと落ち込んでおられた訳でも、仕返しの計画を練っていた訳でもありません。
勉学のこと、服飾のこと、友人との交流、それらのことはよく取り組まれていました。
私とも、交流を持ってくださり、友人として多くのことを互いに学び会えたと思います」
伯はよく頷いて、勤勉ではあるからな、とリリアさんを評された。
顔に滲んでいる緩みは、多分安堵から来るものか。
やっぱり、娘を家の外に出さなければならないのは、親にとっても心配なことだったのだろう。
こうして伯を見ていると、リリアさんの家庭については大丈夫な気がする。
逆に問題なのは、むしろ私の方なのだろう。
「ありがとう、アサヒさん。
何時も通り……いや、ここに居る時よりもリリアが生き生きとしている様で安心したよ」
「リリアさんがこの家に戻られたら、お話をしてあげてください。
事情が分からなくて、酷く苦しんでおられてたのは事実ですので」
「そうしよう、有益な情報だったよ」
それで、とラグランジェ伯は促した。
私が尋ねたいこと、それを言ってみなさいと。
私は頭を下げて、ずっと思っていたことを口にした。
私自身が、事態を理解出来ていないことが根本的に良くないのだと結論づけて。
「お兄様は、一体何が目的でこの様なことを成されているのでしょうか?」
それが、ずっと気になっていた。
アンソニーさんは私の為、なんてことを言っていたけれど、それにしたって迂遠すぎる。
もし仮にそうだとしても、お兄様ならもっとスマートな手段を持って私に会いに来てくださるだろう。
駿我さんも、お兄様のことでこのパリに来られた。
メリルさんも、お兄様にお世話になっていたと言っている。
ラグランジェ家やプランケット家まで巻き込んで、大掛かりなことになっている。
なのに、その目的が私一人というのは、まず持ってあり得ないから。
その真意を知らない限りは、私が状況に振り回され続ける他にない。
だからこその問いに、ラグランジェ伯は頷いて答えてくださった。
「分からぬ」
「……え?」
「私も駒に過ぎないのだろう。
君はポーンに喋りかけながらチェスをするかね?
ましてや、イオン氏がその様な行動を取るとでも?」
「それは……」
言葉に詰まった。
お兄様は無意味なことを嫌っていて、必要を感じなければ他のことにリソースを割くだろうから。
ラグランジェ伯の仰ることは、確かにと思わされて。
ただ、それならば、先程の伯との取引は……。
「言ったであろう、困ると。
なにせ、答えを持ち合わせておらん」
「……いえ、答えてくださり、ありがとうございます」
伯の言葉に、私はため息を漏らしてしまいそうなのを我慢した。
これが大人の、貴族の話術というものなのかもしれない。
不平等だと思う気持ちはあったけれど、確かにそれも答えの一つではあったから。
私が迂闊だっただけだと納得しようとした、そんな困り顔が表に出ていたのだろう。
伯は、だが、と言葉を紡いでくれた。
「これは独り言で、誰も聞いていないからこそ言える、恥じ入るべきことだがね」
はい、と返事しそうな口を閉ざす。
これは独り言で、返事なんてある筈が無いという体裁だから。
「イオン氏の前に、私に接触してきたものが居た。
その人物もオオクラ家の人物で、その名をスルガという」
知っている、親しい人の名前。
それが伯の口から出て、動揺しなかったといえば嘘になる。
ただ、それ以上に今は伯の言葉に耳を傾ける。
知りたいこと、一つでも情報を知ることが何よりも今は必要だから。
「彼は私を脅迫したのだよ。
娘を利用されたくなければ、イオン氏に立ち向かうための駒となれ、とな」
まさか、とも、そんなはずは、とも思った。
けれども、途中で口を挟むには私は無知すぎるから。
もしかしたら、多面的に見ればそういう風に受け取れる物言いを駿我さんはしたのかもしれない。
そう思い込んで、ひたすらに情報を集める。
真偽のほどは、駿我さんに後で聞けば良いのだから。
「私はオオクラの大きさを知っていた。
私が足掻いても、彼にとっては赤子の手を撚るようなものだ。
欧州名家としての屈辱はあったが、受け入れねば私は大きな損害を負ったであろう」
だから、と伯は続けた。
非常に言いづらい事を、何とか口にするような口上を並べての言葉だった。
「リリアを、君のところへ手放さなければならなかった」
――駿我さんが、リリアさんを外に?
困惑が大きくなり、動揺が顔に現れたのだろう。
私を見る伯の目が変わっていた。
にこやかなものから、無表情へと。
まるで、隙を見せないように様に。
「彼らが気にする君が何者なのか、私にも多少の興味があってね。
こうして話し合いをさせてもらった。
その上で、敢えて言わせてもらえば特別さは感じない。
リリアのことを語る時、親しさを感じさせられたのは人柄か。
好感は抱いたが、取り込まれると思う程惹きつけられもしなかった。
そういった意味合いで、私にとって君は単なる娘の友人に過ぎない」
だが、とラグランジェ伯は私をマジマジと見られた。
探るように、深々と。
「彼らにとっては、そうではないらしい。
君は、彼らにとっての重要事項であると、そう自覚し給え」
その言葉に動揺してしまった。
私は大蔵家の姓を下賜されたが、影響力なんて全く持ち得ていない。
だから、それならば、私を気にしてくださる意味合いを考えれば、それは家族としての……。
自惚れても良いのか、心の中でのみしまっておくべき事柄なのか。
整理がつかない頭の中が、更にアレてしまいそうになって。
ラグランジェ伯は、そんな私に一枚の紙を渡してきた。
書かれている内容に、私は開きかけた口を閉ざした。
余計なことを言わないために、頭でそれを整理するために。
――この部屋は盗聴されている。
――この家は大蔵衣遠によって掌握されている。
――大蔵駿我は、何らかの理由によりパリから離れた。
「それで、君は彼らの妹、で良いのかね?
それとも、他に情熱的な何かがあるのか?」
「家族、と大きな括りの範囲内に入れていただければと思います」
「では、ある意味で君と私も、家族のようなものだな。
正確には、もう少しで家族だったと言えば良いのか。
彼、イオン氏はリリアと婚約していたことがあるのだよ」
「お兄様と、リリアさん、が?」
情報量が、あまりにも多すぎた。
他に考えるべきことがあるのに、別のことに意識が割かれてしまう。
グチャグチャになった頭の中が、収集が付けられなくなりつつある。
「事情があり、解消されてしまったのだがね。
だが、ここは欧州だ。
女子同士での関わりというものも、認められている。
どうだねアサヒさん、リリアーヌは?
お転婆ではあるが、君はそれも受け入れてくれそうだ」
「その、リリアさんは大切な友人です」
「そうか、友人から始めると、そういうことか。
最近は貴族であっても、恋愛結婚はままあることだよ。
そういう経緯を辿りたいというのならば、それも良いだろう」
無表情から、今度は何やら面白そうな表情になられて。
完全にからかう口調で、伯は私に微塵も本気でない提案を並べ立てていた。
そこで、ようやく気がついた。
伯が、わざと気を逸そうとしてくれていることに。
いま色々と考えても、混じり合って潰れてしまいそうだと、気を利かせてくださっているのだろう。
「リリアさんは、情熱色の一輪の薔薇でおられます。
私ごときが手折るのは、価値を理解してないという誹りを受けても仕方がないものでしょう」
「しかしねぇ、私が水を注いでも全て地面に零れ落ちてしまうのだよ。
昨今では、花も好き嫌いをするらしい。
そういう意味合いでは、花屋が似合いそうな君の水は受け取ってもらえそうだが」
「花屋で取り扱うには、手に余ってしまいそうですね」
和やかな空気が……流れているというには、伯の目はあまりにもエネルギッシュだった。
それになにか不穏な空気を感じて……もしかすると、予感があったのかもしれない。
私は背筋を正しながら、先程の冗談を口の中で転がした。
「その様なことがあれば、結婚式はどちらもローブ・ド・マリエを着ることになりますね」
「ブーケも二つと、なるほど物理的にも華やかになるものだな」
傍から聞くと、まるで何気なく話が進んでいる様にも聞こえる会話。
冗談だと分かっているので、落ち着きながら話ができている。
ただ、一向に緊張は解れない。
それは、ただ情報の多さを捌ききれていないという訳ではない。
コツン、と廊下から聞こえてくる足音に、背筋がピンと伸びた。
「おや、ようやく足を運ばれたようだな」
ソワソワと、ざわざわと。
心が揺れて、今すぐに振り返ってしまいたい。
けれども、どんな顔をして会えばいいのか分からない。
怒った顔? 困った顔? それとも、嬉しそうな顔?
どれも不適切な気がして、気が気じゃない。
けれども、私の都合に物事が合わせてくれる筈もなくて。
「愚かなる……妹よ」
その声が聞こえてきた時、未だに妹と呼んでくれることに対しての喜びも溢れてしまいそうで。
けれども、メリルさんのことについて、どう聞けばよいのか逡巡しながら。
「お、にい、さま」
私は俯いたまま、彼の人のお顔を見れずにその人のことを呼ぶ。
数年ぶりで、けれどもかつてよりも凛々しく感じるお声だった。
実はムカついていて、少し引っ掻き回してやるか的な感じで朝日に友好的なラグランジェ伯(本来なら、もう少し塩です)。お兄様は、諸々の手続きで来るのが遅れてました。