月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel   作:ペタンコ

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第7話 とんかつにキャベツを添えて

 拝啓 親愛なるメリル・リンチ様

 

 私がサヴォワを離れ、もうすぐ1年ほどになりますね。

 春が散り行き、夏が暮れて、秋が枯れ、冬が訪れました。

 この季節になると、メリルさん達が何をしているのか、思いを巡らせずには居られません。

 

 喜び、悲しみ、様々ありますが、修道院では全てが穏やかさに包まれていました。

 私の中で穏やかで暖かな象徴といえば、メリルさんを思い浮かべます。

 一方で、東京は活気に満ち、皆が時計と相談をし、人生の時間を駆け足で圧縮していく。

 過去を振り返る暇が少ないのです。

 夜の、僅かな祈りの時間こそが、記憶のメリルさんと邂逅する縁となっている。

 その事に気がついた時、メリルさんの送ってくださった手紙を手に取りました。

 大切だったものを、手の中に抱え込んでしまいたいと思ったから。

 

 実は、私は欲張りでした。

 最近になって気が付いたことです。

 家族、夢、希望、幸福、お風呂。

 思った以上のものが日本にはありました。

 ただ、流れ行く時間は、対価として過去を押し流していきます。

 

 お母さまの思い出は思い出せるのですが、思い返すことが少なくなっている。

 その親不孝に、戦慄を禁じえません。

 だからこそ、こうしてメリルさんが思い出になっていないことが喜ばしいのです。

 手紙を欲してくださり、ありがとうございます。

 手紙を書いてくださり、ありがとうございます。

 何時までも、図々しくも貴方の心の隅に居られればと思います。

 

 大蔵朝日より、また会える日を夢見て。敬具

 

 

 

 このマンションの一室は、文字通り私の部屋として機能していた。

 勉学に関すること以外の干渉が、全く行われないから。

 文字通り、プライベートな空間になっている。

 だからこそ、私は様々なことに取り組んでいた。

 掃除、洗濯、その他の諸々家事全般。

 やってみると、これが楽しくのめり込んでしまう。

 

 この部屋に来て1年、気分転換といえば私にとって家事がそれだった。

 特に、デザインが一息ついた時に、家事に頻繁に取り組んでしまう。

 それがどういうことか理解できるが、困ったことに改善する兆候はあまりない。

 お兄様のデザイン以外に食指が伸びないのは、私がお兄様の服を作りたいと思っているから。

 自覚できる位に、私のデザインはお兄様の色彩で満ちていた。

 

 そうして今日も、私はお料理に精を出す。

 お料理なのは、これが一番楽しかったから。

 メリルさん、縫い物以外の趣味が見つかりました。

 何故か青空に、メリルさんの苦笑が見えた気がした。

 

「今日は……うん、上手にできてる!」

 

 豚のロースが、食べやすく柔らかな弾力になっている。

 これなら、食べやすいとんかつが作れそうだ。

 そんな確信を得て、私は嬉々として調理に取り掛かろうとした……その時。

 ガチャリと、部屋の扉が音を立てて開いたのは。

 

「りそな? ごめん、料理中で手が離せないの。少し待ってね」

 

「――俺はりそなではない、愚かなる妹よ」

 

「えっ」

 

 想像していた声色よりも、遥かに張りと覇気のある声。

 ゾクリと背筋が凍り、勢いよく振り返る。

 するとそこには、衣遠兄様が腹立たしそうな顔で立っていた。

 

「お、お兄様、いらっしゃいませ」

 

「ククッ、声が震えているぞ。

 気を抜いていたところを見つかって、恐怖しているのか?

 あるいは、この俺こそを恐れているか。

 大蔵の長男であるこの俺に、畏怖の念を覚えるのは良い本能ではある。

 犬の仔故に、鼻自体は利くらしい」

 

「とんでもございません、敬愛する衣遠兄様。

 ですが、気の抜けたところを見つかってしまったのはその通りです。

 返す言葉もありません、申し訳ございませんでした」

 

「どうやら貴様は、余暇を持てるほどに才能を開花させたらしい。

 良いだろう、見せてみろ」

 

 衣遠兄様は、忙しい身でありながら、とても良く私の事を気に掛けて下さっている。

 それは、卑しくも私が大蔵の血を引いていて、同時に才能を確認するためだ。

 常々、そのことをお兄様は仰られている。

 こうして抜き打ちで訪れるのは、私を向上させようとするお兄様の優しさだ。

 

「わ、分かりました、少々お待ち下さい」

 

 声が震えるのを自覚しながら、私は食材を片付けようとした。

 今日、如何ほどの点数を衣遠兄様に付けられるのかを想像して。

 衣遠兄様の期待に応えられるのか、不安に苛まれながら。

 

「――待て」

 

 だから、その呼び止めが意外だった。

 冷蔵庫に手を掛けて、固まった私に衣遠兄様は問われた。

 即ち、その手に持っているものは、と。

 

「豚肉、それに衣の用意。

 とんかつの準備だろう、それは」

 

「はい、その通りです。

 今日の昼食に、とんかつを準備していました」

 

 僅かに、衣遠兄様の表情が変わられた。

 ほぉ、と小さく声が漏れ、試す様に目を細められた。

 それは、とても珍しい衣遠兄様の興味を示した顔。

 

「その様な油モノを昼間から食べようなどと。

 雌犬の粗野さは隠せていないようだな、愚かなる妹よ」

 

「申し訳ございません、衣遠兄様」

 

 謝るが、衣遠兄様は不快さを感じてはおられない様で。

 言葉とは裏腹に、その視線は豚肉に固定されたままだった。

 

「あの、衣遠兄様、もしよければで良いのですが……」

 

 もしかすると、と私は頭で妄想して。

 恐れ知らずにも、愚かな提案をしようとしていた。

 このお肉を、どうかお兄様にと。

 

「昼食がまだでしたら、このとんかつを食して頂けないでしょうか?」

 

 時に、人は蛮勇に従って行動する。

 大抵は、それらは魔が差したと言っても良い。

 つまり私は今、魔が差していて。

 

「愚かなる妹よ、大蔵の男子に施そうなどとは笑止。

 それも、数多の美食を巡った俺にとんかつなどと!

 ――だが、その愚昧さは最早才能であろう。

 故に応えよう、吐いた唾は飲み込めまい」

 

 衣遠兄様もまた、この場において魔が差しておられた。

 テーブルに座し、食事を待っておられる。

 ドキリと、心臓が高鳴った。

 高揚が、静かに心臓から漏れ出していく。

 

 私が、衣遠兄様のお昼ごはんを。

 そう考えると、冷たい手で背中を触られているみたい。

 でも、それ以上に勇気が湧いて出てきた。

 自信はないけど、衣遠兄様と共に食卓を囲める。

 それこそが、不確かな勇気の源泉だった。

 

「今すぐに取り掛かります!」

 

 お母さま、どうか私に力を与えて下さい。

 お月様、昼間なのでお姿は見えませんが、どうか見守って下さい。

 やる気マンゴスチンです!

 

 

「――どうぞ、お召し上がり下さい」

 

 そうして、私の気持ちを乗せたとんかつが完成した。

 有名店で作られているというデミグラスソースを研究し、ソースとしたもの。

 私が今日作ろうとしていたものより、手を込んだ作りにしたもの。

 

 衣遠兄様は何も仰らない。

 ただ、箸を持ち、緩やかにとんかつを口に運ばれた。

 心臓の高鳴りが、鐘打つように早まるのを感じる。

 静かに咀嚼される衣遠兄様を見つめ、胸が張り裂けそうになる。

 お味は? と聞こうとしても、声が少しも漏れそうになかった。

 

「面白みがない味だ」

 

 だからその言葉が発された時、私は大きな落胆に襲われた。

 また、衣遠兄様を失望させてしまったのだと理解して。

 胸の辺りをギュッと掴む私を他所に、衣遠兄様は二切れ目に手を伸ばした。

 その動作に、僅かな疑問が差し込まれる。

 私の作ったものを、衣遠兄様は落第としつつも食べていたから。

 

「面白みがない、だが研究された味だ。

 味や弾力が柔らかくなる様に、小癪な工夫が仕込まれている。

 これをとんかつというのは、上品に過ぎる」

 

 どういう意味だろうと考えるも、衣遠兄様は黙々と箸を進められた。

 無言だけれども、少なくとも残そうという意思は見られない。

 その事実が、もしかするとと希望を芽吹かせる。

 白米、とんかつ、キャベツ、全てを綺麗に召し上がられた衣遠兄様は、ようやく私へと目を向けてくださった。

 服飾の採点をする時の様な、けれどもそれよりも目尻が柔らかな表情で。

 

「この俺を、大蔵の男子と見込んでのとんかつであった事は認めよう。

 だが! 真のとんかつとは! もっとエネルギーに溢れているものだ!

 お前はとんかつと言うものを、未だに理解しきれていない!

 そもそもキャベツの山盛りが低い!!!

 これは深刻な問題だ、愚かなる妹よ。

 とんかつを饗するならば、それを知る必要がある」

 

 ……凄い勢いで、衣遠兄様はとんかつについて話されていた。

 熱を込めて、これに関しては譲れないという風に。

 それは、ゴスロリを語るりそなにも似ていて。

 ここで兄妹の血を感じることに、意味のない嬉しさを覚えた。

 

 今になって思えば、衣遠兄様の好きなものを服飾以外で知らなかった。

 家族であるのに、私は能動的にそれらを知ろうとしなかった。

 恐れていたから……衣遠兄様に嫌われることを、何よりも。

 

 お兄様は、余分な事を厭う人だ。

 だからこそ、この人と話す時は出来るだけ機械であろうという意志を持っていた。

 けど、そんな意識こそが衣遠兄様を遠ざけていたのかもしれない。

 

 私に親しく話されることに、衣遠兄様は不快感を隠されない。

 けれども、僅かにでも意識を変えることで、衣遠兄様の好きなものを少しずつでも知っていきたい。

 まずは、衣遠兄様の好きな食べ物から。

 そう考える無礼をどうかお許しください、衣遠兄様。

 

「……衣遠兄様の定義するとんかつを、私も味わってみたいです。

 無知な私に、どうか知恵をお与え頂けないでしょうか?」

 

「良いだろう、今すぐに準備しろ朝日。

 これより、我らは青山の一流とんかつ店へと向かう!」

 

「お供いたします、何処までも!」

 

 

 恐る恐る提案したことは、衣遠兄様の情熱と勢いに飲み込まれていく。

 熱に浮かされた様な衣遠兄様に、私も気分が高まってくる。

 いざ、と衣遠兄様と私は勢いのまま、このマンションを旅立った。

 とんかつという、茶色い知恵の実を求めて。

 

 後になって思えば、衣遠兄様は私の出した昼食を食べられた直後であったとか、服飾については如何したものでしょうとか、色々と問題点はあった。

 けれど、衣遠兄様と情熱を共に出来るということは、初めての経験だったから。

 何を差し置いても、それらを優先したことを後悔できない。

 

 私と衣遠兄様が初めて心を通わせたもの、それはとんかつ。

 サヴォワのチーズと共に、私の思い出になった食べ物。

 出来れば服飾で語り合えれば良いものの、私にその実力はまだない。

 だからこそ、この奇貨こそが貴重な繋がりとなった。

 

 いつか、服飾で衣遠兄様のお役に立つと共に、とんかつでも美味しいと言ってもらいたい。

 私に芽生えた、お兄様風に言うならば野心。

 それを達成するための力、多くの技術を学びたい。

 

 光陰矢の如し、日本で時間は待ってくれないから。

 一生懸命に頑張りたい、その気持ちが強くなった。

 

 ……この日以降、お兄様ととんかつ屋さんを巡るツアーが時折発生するようになったのも、この気持ちをより強くしているかもしれない。

 

「朝日、とんかつは濃いソースと絡めてこそだ。

キャベツも、この様に28cm程に盛ることを心掛けろ」

 

「精進致します、お優しい衣遠兄様」

 






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