風が吹いている。
白匡は馬上で敵陣を見る。闘志はあるように見えるが、見せかけだろう。兵に綻びが見える。そこをつけば殺すのは容易い。
白匡は秦の六大将軍筆頭白起の孫だった。祖父が昭王の命令で自害した時、身の危険を感じた父は、秦の将軍である麃公の下に逃げ、そこで好いた母と一緒になって自分が産まれた。父は祖父に似ずに戦争が恐ろしく下手だった。そのせいで麃公に従って従軍した戦で死んだ。母もその報告を受けた衝撃で心労となり死んだ。白匡は四歳で天涯孤独となった。
祖父が死に両親が死んで白匡は死について考えた。麃公に言って山に入り、一人生きた。その時に山の民である楊端和という女性と出会い、剣を教えられた。楊端和に一族に来いと誘われたが、白匡はそれを断って山を降りた。そして麃公に頼んで戦場に出た。十歳の時だった。百人を率いて戦ったが、部下は弱かった。だから白匡は最前線で剣を振るい、戟を振るった。剣の一振りで敵将の首が飛んだ。戟の一振りで兵士を六人以上両断した。それをしばらく繰り返しているうちに戦が終わった。
白匡に浮かんだのは虚無感だった。祖父はこんなことをして自害せざるおえなくなったのか。父はこんな簡単なことができずに死んだのか。
部下達が何か喜んでいたが、興味がなかった。そのあとに麃公に呼ばれて本営に行くと褒められた。殺した将の中に敵の大将がいたらしい。
興味がなかった。
褒賞は出たが必要最小限なものだけもらうと、全部部下にくれてやった。そして麃公に頼んで様々な戦場に行った。
戦場の空気が好きだった。人々が必死に生きようとする空気を感じて、自分が生きていると自覚ができた。
だから戦場を渡り歩いた。戦場から戦場を渡り歩き、敵を殺しつくす。そこに善悪はなく、ただ強い者が生き残るという理があった。
それをしばらく繰り返していると将軍という地位を授けられた。それと同時にもらった権利が独立行動権だった。丞相の意向ということだった。
もらった権利を行使して、さらに戦場を駆け回った。時には秦国内だけでなく、隣国にも侵入し、城砦を落とした。そのせいで楚からは懸賞金までかけられた。
それに目がくらんだ連中も多くいたが、全て殺した。ただひたすらに殺し続けた。
今は十七だ。率いる部下は機動力を重視して騎馬隊二千のみ。だが全員騎射もする。むしろできないなら部隊から追い出した。
「白匡様」
「王忠か」
やってきたのは副官となっている王忠と呼ばれる女だった。美人だし、胸もでかい。部下の噂では祖父と同格の将である王騎の係累という話だが、白匡は興味がなかった。ただ、強くて弓も上手い。さらに白匡の補佐がよくできるので副官としていた。
「何かあったか?」
「昌平君から伝令が参りました」
昌平君は秦の軍総司令官だった。これまでも何度かの指示があってそこの敵を潰した。
白匡は視線だけを王忠に向ける。王忠はその視線に気づいて畏まった様子で告げた。
「王都に出頭せよとのことです」
珍しいことだった。随分前に丞相から王都で防備につけという命令が来た時に、その伝令の首を刎ねて丞相に送りつけていらい、白匡が王都に呼ばれることはなかった。
白匡はそこで少し考えた。昌平君は戦に関しては無駄なことはしない。
「王忠、何があった」
「おそらくは趙が侵攻してきたのではないかと」
白匡率いる独立遊撃隊は韓に進撃している蒙驁の援護のために韓国内を荒らしまわっていた。白匡が他に知る将軍は麃公と張唐、蒙驁の息子の蒙武だが、すぐに動けるのは蒙武だけだろう。
「蒙武将軍だけでは不安だから、俺も呼ばれたか」
「おそらくは」
白匡の言葉に王忠は拝手して答える。
白匡は敵陣を一瞥すると轡を返す。
「蒙驁将軍に伝令を送れ。別の仕事が入ったとな」
「は!」
白匡の言葉に王忠は答えると走り去る。白匡は再び敵陣を見ると、ゆっくりと自陣へと戻ったのだった。
王都・咸陽正殿。ここでは秦国内に侵攻してきた趙に対抗するための軍の総司令官として王騎が任命されていた。長平の戦いでの白起の行いにより、趙の秦に対する恨みは深く、攻められている馬陽周辺では虐殺がおこっていた。
これに対して秦軍は総司令官として引退していた六大将軍の最後の一人である王騎を総司令官とした。
秦王・政からの命令に、見事な態度で返す王騎。
「待たれよ、王騎将軍」
任命されて立ち去ろうとした王騎を、軍総司令官である昌平君が呼び止めた。
「コココ、どうしましたか。昌平君。私も準備があるのですが」
王騎の不遜な態度にも昌平君は気にもしない。王騎のほうが圧倒的に上だと知っているからである。
「王騎将軍。貴方の下に蒙武の他にもう一人将軍をつける」
昌平君の言葉に王騎は少し意外そうな表情になった。
「おかしな話ですね。麃公さんと張唐さんはそれぞれの戦線があるので動けず、蒙驁さんは韓に行っているはずですが?」
「その通りだ。だから韓方面軍から一人引き抜いた」
昌平君の言葉にその場にいた文官から抗議が出る。韓から軍を引き抜いても間に合わないという言葉だ。だが、昌平君はその言葉を否定した。
「それはない。私は趙の侵攻を受けた報せと同時にその将軍に戻るように伝えた。奴の軍の機動力なら既に戻ってきているはずだ」
昌平君の言葉に納得のいった表情をした王騎と昌文君。だが、他の文官達は誰だかわからないといった表情をしている。
そこに伝令の文官が慌ててやってきた。
「報告します! 白匡将軍がやってきております!」
その言葉に文官達から血の気が失せる。白匡は今まで丞相・呂不韋の命令にも従わずに咸陽に近寄らなかった男だ。それが自分からやってきた。良い報告のためにやってきたのではない。多くの文官がそれを考えた。
しかし、丞相・呂不韋はようやく納得がいったという表情をしていた。
「なるほどな、昌平君。引き抜いた将軍とは彼のことか」
「その通りです。機動力があり、王騎将軍や蒙武に匹敵する武勇も持つ。そして強力な騎馬隊を率いるという理由で彼を韓戦線から戻しました」
「しかし、彼は私の誘いも断り続けている男だぞ? それをどうやって呼び出した?」
「彼は戦場に生きる男です。そのために戦争に関する命令は聞きますが、政争に関する命令は無視します」
昌平君の言葉に呂不韋派の文官達は血相を変えるが、呂不韋はそれを笑い飛ばした。
「ハッハッハッ、なるほど。私の命令は政治扱いか。まぁ、間違ってはいないな。その戦人の顔を見てみたい。呼んできたまえ」
呂不韋の言葉に伝令の文官は慌てた様子で飛び出していく。
近くで待っていたのだろう。すぐに正殿の扉が開いて一人の少年が入ってくる。その瞬間に正殿内の空気が死んだ。その少年が放つ圧倒的な武威と死の気配に飲み込まれたといっていい。
正気を保っているのは王騎、昌平君、昌文君、呂不韋の四人だけであった。
少年は真っ白な衣服と鎧をつけていた。それはまるで自分の名前を表すようであった。
少年は一度だけ周囲を見渡して秦王・政がいるのを見つける。少しだけ目の端を上げ、秦王・政に対して礼をする。
「独立遊撃軍白匡。昌平君より命令を受けまして韓より引き返してまいりました」
「ああ、白匡将軍が戻ってきてくれて嬉しく思う」
政もまた、白匡の放つ空気に飲まれかけていたが、すぐに思い直して白匡に対してお礼を言う。白匡はそれに対して再度一礼すると、今度は昌平君に向いた。
「昌平君、命令は?」
「今回、趙の侵攻に対して王騎将軍を総大将とする軍を編成する。白匡は王騎将軍の麾下に入って趙軍を撃退せよ」
昌平君の言葉に、白匡は王騎を見た。
「王騎将軍。命令は?」
「ココココ、相変わらず淡白ですね。昔世話になった恩人に会ったのですから、少しは世間話でもしてはいかがです?」
王騎の言葉に白匡は鼻で笑った。
「くだらん。今は少しでも早く救援に行くべきなのだろう。だったら無駄に会話をしている余裕はない」
「ココココ、その辺りはお祖父さんにそっくりですね」
王騎はそう言って大きく笑うと、今度は真面目な顔をして命令をくだした。
「まずは馬陽周辺を飛び回っている蝿を叩き潰してください」
「その後」
「馬陽を囲んでいる軍に対して撤退しない程度の損害を与え続けてください」
「承知した」
白匡はそれだけ聞くと、正殿から出て行った。白匡が出て行くと文官達から安堵のためいきが出る。
「王騎よ」
「なんですか、丞相」
そんな中で呂不韋と王騎は普通に会話を始めた。
「今の王騎の言葉では馬陽を囲んでいる軍は白匡だけで撃退できるようだが」
呂不韋の言葉に王騎は独特な笑い方で返す。
「えぇ、可能でしょうね。彼はすでに六将級の強さを持っています。足りていないのは経験だけでしょうが……まぁ、軍総司令官が転戦させ続けていますので、それも時期に問題がなくなるでしょう」
「ほぉ、それはまたすさまじいな。ならば、白匡に行かせるだけで足りるのではないか?」
呂不韋の言葉に昌平君が口を開いた。
「それは無理です。白匡だけでも馬陽の軍を撃退することは可能ですが、その後に控えている本隊を相手にするには数が足りない」
「だからこそ、少しでも数を削ってもらおうと思っているわけですよ」
昌平君の言葉に王騎は笑いながら付け足すのであった。
王都で命令を受けた五日後。白匡は軍を率いて馬陽に辿り着いていた。その間に周辺に略奪に出ていた趙軍は殲滅している。だから、趙軍は白匡がここに来ていることに気づいていないだろう。その証拠に趙軍からは奇襲を警戒する気配がない。
「王忠、敵の指揮官は」
「公孫の旗が見えるので、おそらくは公孫龍」
「特徴」
「攻守共に優れており、欠点らしい欠点はありません」
白匡の言葉にすぐ側で控えていた王忠が答える。その返答に白匡は少しだけ表情を顰めた。一点特化な相手はやり易いし殺し易いが、欠点がない相手は戦が上手く殺しにくい。白匡は若いながらも各地を歴戦したのでそれを知っていた。
「閣儀。旗は俺が合図するまで立てるな」
白匡の言葉に白匡軍の旗持ちである閣儀は黙って頷く。軍旗はその将軍が健在の証である。だからこそ旗手は絶対に将軍の側から離れず、決して軍旗を倒してはいけない。そのことを白匡軍の旗手である閣儀はよく理解していた。
白匡は合図を出して騎兵二千を引き連れて趙軍に向かって並足で走りだす。趙軍も白匡軍に気づいたが、周囲に散っている部隊が戻ってきたのかと勘違いしたのか、特に戦闘態勢に入ることはない。
白匡はその事に薄く笑った。
公孫龍は優秀な将のようだが、それが下まで伝わっていない。これなら公孫龍は殺せなくてもある程度は削れるだろう。
ある程度まで近づくと、白匡は閣儀に合図を出して軍旗を掲げさせる。
深紅に白の一文字。
諸国から死の化身として知られる白匡の旗だった。
それを見た趙軍から動揺が走り、馬陽からは喚声が出る。趙軍の動揺につけこむ形で白匡は一言だけ命令を出す。
「吶喊」
その一言と共に白匡軍が趙軍に突撃する。狙うのは動揺が激しいところ。そこを中心にして殺して回る。逃げようとする兵を馬蹄で踏み潰し、戟で惨殺し続ける。部下も続くように駆けている。白匡は戦いながら将軍を探す。
見つけた。
動揺がほとんどない陣に翻る公孫の旗。今なら届く。
「王忠」
「ハ」
白匡の側で敵兵を斬り殺していた王忠が側によってくる。それに白匡は短く告げる。
「退路の確保。撤退の機は任せる」
「承知しました。ご武運を」
王忠に部隊の一部を任せて退路を確保させ、白匡は公孫の旗に向かって突っ込む。途中で邪魔してくる兵は相手にならない。
「敵将白匡! 趙の仇である白起の孫よ! その首はこの丁発が」
「叫ぶ前に殺せ」
途中で立ちふさがった将校を斬り捨てる。白匡軍は無言で戦う。無言で殺し、無言で死んでいく。ただ、白匡の指示だけが響く。
名前を覚えるまでもなく殺した将校を相手にした一瞬の隙で公孫龍は堅陣を組んだ。白匡は敵兵を殺しながら考える。今の状況でも公孫龍の首は取れるだろうが、おそらくは部下が多く死ぬ。部下が多く死ぬのは本意ではない。
突き出されてきた槍を避けて戟を叩きつけると、撤退の合図である矢の音が鳴り響く。王忠だろう。
白匡はそれを聞いて撤退を開始する。すでに退路は王忠が確保している。白匡はその道を塞ごうとしている兵を斬り殺しながら趙軍から離脱する。
ある程度離れたところで陣を組み直すが、公孫龍は追撃してくる気配はない。だが、馬陽に必要最小限な兵士を残し、全軍でこちらを迎えうとうとしている。
「何が狙いなのでしょうか?」
王忠が近くによってきて尋ねてくる。彼女もまた趙の返り血で真っ赤に染まっていた。白匡軍の誰もが返り血で真っ赤である。白匡自身も身につけている真っ白な衣服は返り血でところどころ赤く染まっていた。
「わからん。だが、これで公孫龍は馬陽だけを狙うわけにはいかなくなった」
「これからどうなさいますか?」
王忠の言葉に白匡は少し考える。
「まずは趙から捕捉されない位置に移動する。常に斥候は出し続けろ。隙を見せたらそこを潰す」
白匡の言葉に王忠は拝手して、すぐに指示を出しに行く。白忠はしばらく公孫龍軍を眺めていたが、すぐに馬を返してその場から走り去るのであった。
公孫龍は悩んでいた。最初の予定では馬陽を包囲しながら王騎の出陣を待ち、本隊と合流する手筈だったが、想定外の部隊が来て大きな損害を出している。
白匡軍。
四日前に突如現れて趙軍に襲いかかってきた無言の軍隊。
白匡の名前は趙の国内でも有名だ。長平の戦いで四十万人を虐殺した白起の孫。十歳で初陣して、そこからは常に戦場を駆け抜けていると聞いている。
四日前の奇襲には本当に驚かされた。確かに韓から姿が消えたという報告は受けていたが、こんなにも早くこちらの戦線に来ることは予想されてなかった。
周辺に出していた部隊が帰ってこないのは白匡軍により殺されているからだった。探索に出た部隊が全滅している部隊を発見していた。さらにはその探索に出た部隊も命からがら逃げ帰っていた。
そして昼夜問わずに行われる奇襲である。公孫龍は一度罠を張ったがそれを逆手に取られて大きな損害を出した。
「これでまだ十七か」
天幕で公孫龍は思わず呟く。そう、白匡は十七なのだ。その若さで趙軍をここまで翻弄している。一度だけ万極が出陣を願ってきたが却下した。奴は確実に殺せる時に殺さないと駄目だろう。生半可な相手では返り討ちにあう。
本国に伝令を出した三十人のうち二十八人が殺された。その証拠のように、公孫龍の陣に伝令に出した二十八人の首が投げ込まれた。おそらくは無駄なことはするなという警告だろうが、少なくとも二人は白匡の警戒網から脱出できたと考えられる。そうすれば本国も公孫龍の状況を理解するだろう。
そうすれば白匡のことを一番の危険だと言っていた新しい三大天の一人である李牧が動くはずだ。
「白匡だぁぁぁ!」
遠くで叫び声と敵襲を知らせる鐘が鳴り響いている。どうやら秦の狼がまたやってきたようだ。白匡は公孫龍が知略を振り絞って敷いている堅陣を、いともたやすく破ってくる。こちらの被害はすでに死者は五千以上。負傷者は数えたくもないほどの被害が出ている。それでいて白匡に与えた損害は十に満たない。
だが、今日の奇襲は半刻もしないうちにやんだ。白匡を討ったとは思えない。
「ようやく来たか」
公孫龍は床机から立ち上がって天幕から出る。遠目には趙の本隊が見えていた。予定よりも早いのは白匡が暴れていたからだろう。とりあえずの危機は乗り切ったとは言え、白匡があっさりと姿を消したのは秦の本隊も近くに来たからだろう。
「伝令!」
「秦本隊が来たか?」
駆け込んできた伝令にそう伝えると、伝令は驚きながら頷いた。
「乾原に秦本隊が到着! 旗印は王と蒙とのことです!」
「王騎と蒙武か」
秦六大将軍の生き残りと、武に長けているという蒙武。一筋縄ではいかない連中だろう。さらにそこに計り知れない能力を持つ白匡が入る。
「……果たして本当に王騎を殺せるのか……」
「はい?」
公孫龍の呟きが聞こえなかったのか、伝令が聞き返してくるが、それになんでもないと首をふる。
「趙荘からの指示は?」
「ハ! 渉孟将軍と万極将軍の背後に陣を敷いて欲しいとのことです」
公孫龍はその伝令に黙って頷く。白匡の襲撃によって公孫龍軍は大きな被害が出ている。そのために予備兵力として、攻めに特化した二人の将の背後に位置するのは間違っていない。
伝令が去ると、公孫龍は側近を呼んだ。
「白匡軍の動きから目を離すな」
公孫龍の側近はそれに黙って拝手するのであった。
続く予定はありません。
一応三回までは書いてあります