白匡は部隊を後方において単身で王騎本陣に向かっていた。次の指示を聞くためである。普段から比較的自由に動き回っているが、今回の戦いにおいては王騎の指示に絶対に従うように昌平君から厳命されていたからだ。
白匡が王騎の本陣に到着すると、王騎配下の軍長達が配置に着くところだった。白匡は軍長達に一礼して、王騎に騎乗したまま近寄っていく。
「コココ、白匡さん。先遣隊としての役割、お疲れ様でした」
「特に問題はない」
王騎の言葉に白匡は一言で切り捨てる。その反応を予想していたのか、王騎は少しだけ楽しそうに笑うと、真面目な表情になった。
「公孫龍はどうでしたか?」
「殺しづらい。あいつを仕留めるならそれなりの犠牲が必要になるはずだ」
白匡は王騎の質問を予想していたのか、簡潔に返す。それは本心だった。欠点という欠点がなく、軍もなかなか崩れない。ああいう将が率いる軍は強い。
王騎は白匡の返答を聞いて、楽しそうに笑って副官である謄に振り返った。
「聞きましたか、謄。秦の狼が狩りをするのに苦労するそうです」
「はい、驚きのあまり言葉を失ってしまいそうです」
言葉のわりには全く驚いていない謄に対して、白匡は内心で苛つくが表には出さない。昔からの付き合いでこの王騎の副官が一筋縄でいかない人物なのは理解しているからだ。
「さて、それでは当初の予定通りにまずは馮忌さんに退場してもらいましょうか」
「そうですな」
王騎と謄の会話を白匡は黙って聞いている。白匡は副官の王忠から趙軍の将軍の報告を聞いていた。その中で厄介だと思ったのは公孫龍と馮忌の二人だ。二人共長期戦になるにつれて厄介になる相手だ。公孫龍は後方に引っ込んでいるなら、前線に出ている馮忌を殺すのは当然の選択だった。
「王騎将軍、次の指示は?」
「コココ、働き者ですね白匡さんは。まぁ、いいでしょう。白匡さん、馮忌が構える陣の背後に森が見えますね」
王騎の言葉に白匡が確認すると、確かにそこには軍を伏せられるほどの森が広がっていた。
それを見て白匡は頷いた。
「埋伏か」
「話が早くて助かります。敵将・馮忌をあそこの前におびき出します。近寄った時に軍旗を掲げて奇襲し、馮忌を殺してください」
王騎はぞっとするような笑みを浮かべるが、白匡は動揺することはない。
「どうやって釣り出す?」
「ココココ、安心してください。私にも考えがあります」
その内容を語る気は王騎にはないらしい。白匡はそれを感じて命令を受諾して王騎本陣から去る。やることが決まったら後は早い。
白匡が王騎に指示された森に潜み始めた時、秦左軍が馮忌の罠を受けて大打撃を受けているところだった。
だが、白匡は動かなかった。
あの怪鳥・王騎がそんな簡単に潰される策を立てるわけがないと思っているからだ。
少しして馮忌の本陣に百人程の部隊が斬り込んだ。
「白匡様。今動けば馮忌の首がとれます」
王忠の言葉を白匡は黙殺した。確かに今動けば馮忌の首は取れる可能性があるが、絶対ではない。奇襲は失敗してはいけないのだ。
だから黙って待ち続ける。
しばらくして百人の小隊が五十人に分かれて馮忌本陣に突撃した。だが、馮忌は本陣を避けることでその奇襲を避け、逆に五十人の小隊を死地に入れた。
「白匡様」
そこで周囲の警戒に放っていたものが、白匡に近寄ってくる。白匡は横目でその人物を見ると、その者は報告を始めた。
「敵の物見に発見されました」
その言葉に白匡の目がピクリと動く。
「馮忌の手の者か?」
「いえ、一人捕らえて尋問したところ公孫龍の者のようです」
そこで白匡は戦場を見ながら考える。公孫龍に見つかったのは痛いが、公孫龍の伝令が馮忌に届いた様子はない。公孫龍もこの状況で伝令が届くとは思っていないだろう。ならば可能性があるのは。
「王忠」
「ハ」
白匡の言葉に、側に待機していた王忠が近寄ってくる。
「千五百を連れて公孫龍からの援軍に備えろ。場合によっては趙の本陣からの援軍もあり得る。適当にいなせ」
「承知しました」
白匡の命令に王忠はすぐに受諾すると、音を立てずに立ち去った。王騎から命じられたのは馮忌の首を落とすことだ。白匡は状況を見て馮忌を殺すだけなら五百もあれば充分だと判断した。だから、邪魔をしそうな趙の援軍を妨害するために王忠に白匡軍の大半である千五百を預けて出した。彼女の有能さは白匡が一番知っている。いなせと命令したなら、無駄な犠牲は出さずに処理するだろう。
そう考えていると、馮忌の本陣が白匡が隠れている森の茂みに近寄ってきた。それを見て白匡は手で合図して全員を騎乗させる。
「閣儀、旗」
白匡の言葉に白匡軍の旗手である閣儀は白匡軍の軍旗を掲げる。それを見て動揺した趙軍を見て、白匡は薄く笑う。
「吶喊」
白匡の言葉に騎馬隊五百が森から飛び出る。すぐさま控えていた趙軍の一部隊が邪魔してくるが、白匡隊はそれを鎧袖一触に壊滅させると馮忌本陣に襲いかかる。それとほぼ同時に白匡軍に気を取られた馮忌を、白匡と同じくらいの年の少年が馬上から斬り落とした。
一瞬だけ静まり返るが、馮忌を討ち取った少年に王騎配下の軍長である干央と何事か会話すると、干央が大声で告げた。
「趙将馮忌の首! 飛信隊の信が討ち取ったぞォ!!」
その声に劣勢になっていた秦軍から歓声があがる。馮忌の側近の残党が動き出そうとするのを、白匡はすぐさま動いて叩き潰した。
そして干央と少年の近くにいく。
「干央」
「白匡将軍か」
傷だらけになっている干央に白匡は一人で近づく。そこで干央は不審そうに白匡を見た。
「数が少ないようだが?」
「趙に動きが悟られた。それの抑えで千五百を向かわせた」
「千五百で足りるのか?」
「殲滅するわけではない。千五百もいれば充分にいなせる」
干央は納得したのか、白匡から視線を外して白匡軍の動きを見る。
「何をやっている」
「趙は馬がいい。だからそれを奪っている」
干央が見たのは逃げる趙の騎馬兵を叩き落として馬を奪っている白匡軍の姿だった。白匡軍は速い。それは秦の将校のみならず、他国の将達にも知られていることだった。白匡軍はその速度を持って考えられない速度で進軍して敵を打ち破っているのだ。それの基幹となっているのが目の前の光景なのだろう。
白匡はふと馮忌の首を落とした少年を思い出して、その少年を探した。それはすぐに見つかった。
王忠に預けた別働隊に守られながら喜んでいる歩兵の集団の中央にいた。
白匡がそちらに近づいていくと、副官の王忠がすぐに気がついて白匡のところにやってきた。
「趙軍は?」
「急な編成だったのでしょう。公孫龍の部隊と趙の本陣の一部だけでした」
「損害」
「零です」
王忠の言葉に白匡は黙って頷くと、馮忌の首を落とした歩兵部隊に近づいていく。それに気づいたのか馮忌の首を落とした少年が白匡の馬の前にやってきた。
「おまえがこの騎馬隊の指揮官か?」
「そうだ」
仮にも将軍に対する言葉遣いとは言えない言葉に、王忠を筆頭にした白匡軍から殺気が漏れるが、白匡がそれを制した。
そして少年はすぐに白匡に頭を下げた。
「あんたの騎馬隊のおかげで仲間が助かった! ありがとよ!!」
「おまえの配下の運が良かったんだろう。だが、その運もいつも続くとは考えないほうがいい」
白匡は少年にそれだけ告げると馬首を返す。
「俺は信! 飛信隊の信だ!」
背後から叫ばれて白匡は無表情ながら振り返りながら告げた。
「独立遊撃軍将軍白匡だ」
「へへ、知ってるよ」
信の返答を聞くことなく、白匡は配下二千と共に趙の残党狩りに出るのであった。
その日の戦闘はそのあとすぐに終わった。白匡は馮忌軍の残党を適当に狩ると、趙本陣に襲撃をかけた。だが、半刻ほどでそれも切り上げて撤退した。
本陣の動揺が少なかったのもあるが、公孫龍が動いた気配がしたのだ。
そのために全速で離脱したところに、退路を絶とうとしていた公孫龍軍と接敵してこれを突破した。被害は軽傷が十二。
そこで白匡は確信した。公孫龍は間違いなく自分に狙いを定めていることに。
白匡は秦軍の本陣の近くに野営する準備を始めさせると、単身で本陣に向かった。公孫龍に見張られていることを王騎に知らせるためだ。
だが、本陣には王騎がいなかった。副官の謄に行方を聞くと、飛信隊の所に行っているらしい。
それを聞いて白匡は左軍に馬を走らせた。
白匡が飛信隊の場所を見つけると、そこに飛信隊の前に立つ王騎を見つけた。
「王騎将軍」
「おや、白匡さんですか」
「お、白匡」
信が白匡を呼び捨てにしたことで、飛信隊から緊張が走る。何せ白匡は秦の名将・白起の孫であり、諸国にその名を轟かせる将軍なのだから。それを相手に同い年とは言え呼び捨てにした信に対して一瞬だけ恨みを抱いた飛信隊の面々だった。
「白匡さんのことですから、てっきり趙の本陣に奇襲しに行ったものだと思ったんですがね?」
「もう行ってきた」
「はぁ! 趙の本陣に奇襲だって!?」
王騎の言葉に白匡が答えると、驚いたように叫んだのは信だった。だが、王騎と白匡はそれを気にした風はせずに会話を続ける。
「おや、結果は?」
「罠を張られた」
白匡の言葉に王騎の顔が初めて変わる。
「相手は?」
「公孫龍。奴は間違いなく俺を見ている」
白匡の言葉に王騎は笑い声をあげた。
「なるほど。私が馮忌を狙い撃ちしたように、趙軍も白匡さんを狙い撃ちにしていましたか」
確かに白匡を殺せば趙軍の士気は大きく上がるだろう。多くの犠牲を払ってでも落とすべき価値が白匡の首にはある。
「それでは飛信隊のみなさん。私は白匡さんから報告を聞かなければならないので、ここで失礼させていただきますね」
王騎はそう飛信隊に告げると、乗ってきていた馬に乗って本陣へと引き返す。白匡もそれについていきながら報告を続ける。
「公孫龍はどの程度あなたの首を狙っていましたか?」
「戦が始まってから常に斥候が纏わり付いていた。王騎将軍の指示された森までは処理できたが、そこで待機している時に見つかって逃げられた」
「おや、あなたが処理しそこねるとは珍しい」
白匡の失敗に王騎は楽しそうに笑った。
「その後に趙の本陣に奇襲に行ったが、待ち構えられていた。嫌な感じがしたから一あたりして撤退したら公孫龍の部隊が退路を塞ごうとしていた」
白匡の言葉に王騎は力強く頷いた。
「それは完全に見張られていますね」
「……どうする?」
本陣に戻りながら王騎に問いかける白匡。王騎は少しだけ考える姿を見せると、白匡に向き直った。
「白匡さん。あなたは今の趙軍が本命だと思いますか?」
「思わない」
王騎の問いかけにすぐに答える白匡。戦って感じたことだが、今の趙に王騎を殺せる布陣とは思えない。武では蒙武と白匡に足りず、用兵でも王騎を超えるとは思えない。それが白匡が感じたことである。そこに違和感を感じた。
「馬陽を囲んでいた公孫龍を想定以上に叩いた。普通なら撤退する被害が出たはずだが、公孫龍は待った。そこで本隊に本命がいるのかと思ったが、そうでもない。ならば何故趙軍は王騎将軍を待ったのか。それがわからない」
白匡の言葉に王騎は頷いた。
「その通りです。趙の狙いは私を殺すことで間違いないでしょう。しかし、私も全体を見て思いましたが私を殺せる人間が一人しかいない」
白匡は意外だと思った。白匡は昔から王騎を知っている。その化け物染みた武勇もだ。だからこそ、この戦場で王騎を殺せる人間がいるとは思えなかった。
「誰だ?」
「コココ、総大将の龐煖ですよ」
王騎の言葉に、白匡は思わず王騎の顔を見た。その表情を見て王騎は愉快そうに笑う。
「総大将同士の一騎打ちを狙っているというのか?」
「可能性の一つがですよ。さて、白匡さん。貴方には新しい任務についていただきます」
王騎の言葉に黙って先を促す白匡。
「北に放っている間者が一人も帰ってきていません」
「……北の匈奴には楊端和が征伐に出ると聞いていたが」
「ええ、私も白匡さんからその話を聞いたので間者を多めに出したんですがねぇ」
王騎はそう言いながら独特な笑い方をする。
「情報統制か」
「そうでしょうねぇ。そしてそこにあると思われる強力な軍が私を殺す切り札なのでしょう」
長い間前線から遠ざかっていたとは思えないほどの頭の冴えである。
「さて、白匡さん。趙軍に狙われている貴方の軍をここに置いておいても囮にはなりますが、それでは勿体ない。そこで貴方には北に行ってもらいます」
「援軍の抑えか?」
「いえ、私も六大将軍の生き残りです。それを殺すためなら強力な兵を大量に用意していることでしょう。ですので、増援を発見次第に私に伝令を送り、貴方はその増援に対して奇襲を繰り返してください」
「ここに到着するまでに兵の減少と疲労を狙うということか」
白匡の言葉に王騎は頷く。
「これは極秘任務とします。野営地はそのままにして貴方は今晩中に北に向けて進発してください。白匡軍のフリは私の手勢で行います。このことは副官の謄にも知らせません」
王騎の命令に白匡は拝手して答えると、すぐに自分の手勢のところに戻ろうとする。それを王騎が呼び止めた。白匡はそれを不審そうに見た。
「王忠はどうですか?」
「……? 言っている意味がよくわからないが、優秀だ。だから副官として使っている」
王騎は白匡の言葉に楽しそうに笑った。
「あの娘は私の弟の娘でしてね。実の子のように育てました。槍、剣、馬。どれも上手く扱いましたが、特に弓が良かった。そのおかげで中華十弓の一人に数えられているわけですが……正直に言うと、貴方の下に行くと聞いた時は不安でしたよ。ですが、貴方の軍に馴染み、貴方の事を慕っている」
「……何が言いたい?」
迂遠な王騎の言い方に、白匡は少し苛つきながらさっさと本題に入れと言外に込める。その反応に王騎は益々楽しそうに笑った。
「王忠を嫁にとりませんか?」
「寝言は寝て言え」
王騎の言葉をバッサリと切り捨てると、白匡はさっさと自陣から走り去り、それを王騎は楽しそうに見送るのであった。
公孫龍の評価が高い?
作者の推しなんだ。許してくれ