寂しがり屋の吸血鬼は人間失格と一緒に居たい   作:龍川芥/タツガワアクタ

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10.弱者

月光がステンドグラス越しに闇を照らす教会中。

戦闘が、始まっていた。

 

「――オレの”強さ”を思い知れや、ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトォッ!!!」

 

吠えると同時、赤い暴虐が突進する。

それは斬撃。刃状の翼を吸血鬼の腕力で振り回して放つ、ただの斬撃。

だが、吸血鬼の細胞はこの世のどんな物質よりも武器として有用で。

吸血鬼の腕力はこの世のどんな生物をも凌ぐ。

さらに、攻撃の主は米国(アメリカ)最強格の吸血鬼――【レッド・リッパー】ノーゲート・クリムゾン。

 

即ちその一撃は、

 

「(は、やいっ!)」

 

神速にして絶死。

 

空気が爆発したかのような音が、刃が振り抜かれてから一瞬遅れて教会に響く。

それは刃の速度が音速を超えた証。

受ければ斬られる所では済まない、骨が砕け肉が削がれ落命すると本能が理解する音。

その一撃の結果は……。

 

「あーあー、この程度で真っ二つかよ……ってことなりゃあ、まだ楽に死ねたのになァ」

 

ガブリエラは、先程の位置から数メートル程後退した場所に立っていた。

二枚の片翼を体を覆うように展開している。

その真ん中辺りに、へし折られたような一筋の痕があった。

そして彼女の足元には、踏ん張った結果地面に焦げ付いた摩擦後が残っていた。

 

ガブリエラは受けたのだ。

翼の斬撃を、同じく翼で。

 

「……なんだテメェ。四枚羽じゃねェのかよ」

 

ノーゲートは訝しげに睨みながらも、大剣を構えて距離を詰めてくる。

それは散歩のようなゆっくりとした足取りだったが、ガブリエラは彼から目を離せなかった。

 

骨まで響く衝撃がある。

あの斬撃をあと数回受ければ、自分の翼は壊れてしまうという確信がある。

ぎらり、と光る肉厚の刃が、巨大な翼が、やけに大きく怖く感じる。

それ程までに重く、鋭い斬撃。

 

彼女の頭の中の冷静な部分が、この相手は「今の状態では勝てない」と結論付けた。

逃げろと本能が叫ぶ。

退けと経験が指示をする。

その全てを……ガブリエラはねじ伏せた。

 

「(力で負けているなら、逃げ切れる保証はどこにも無い。それに――)」

 

そう、ヒトで在りたい彼女は。

優しさに満ちた少女は。

愛を知ってしまった怪物は……。

 

「(私は、自分の罪から逃げたくない。ちゃんと向き合って決着をつけて、少しでもまっすぐ立っていたい。

取り返しのつかない悪行なんて、山ほどやってきたのに。命なんてどれだけ奪ったか分からないのに。自分でも今更だって思うのに。

でも……ほんの少しでも今より綺麗で居られるなら。アクタに貰った心を、綺麗なままにできるなら)」

 

彼女は……ずっと負い目があった。

人を殺し続けたのに、(龍川芥)に縋って生きていくことに罪悪感を感じていた。

虫のいい話だと。

自分勝手で最低だと。

だから彼女は、彼の横で眠る時、いつだって誓っていたのだ。

許されなくていい。

認められなくてもいい。

ただ……自分の罪からは、決して逃げないと。

それが、せめてもの贖罪だと。

 

「四枚羽じゃなくたって……私は、戦う。戦う為の強さは、もう沢山貰ったから!」

 

負ける気は無い。

なぜなら、自分はまだ死ねないのだから。愛しい人とまた会いたいのだから。

そんなガブリエラを見て……ノーゲートは酷く無表情だった。

 

「強さ、強さねェ……」

 

誰にでもなく呟いて……間合いに入るや否や、一閃。

否、閃いた閃光は三つ。

2メートルはあろうかという大剣の、一瞬の間に放たれる三連撃。

 

鮮血が舞う。

 

切断されたのは。

石畳の床。

腐りかけの長椅子。

太い柱。

そして……幾本かの銀色の髪。

 

「――ッ」

 

ガブリエラは、ノーゲートの頭上。

床を蹴り壁を蹴り天井を蹴り、斬撃を避けながら反撃へと躍り出た。

太腿の浅い傷から血を流しながら……彼女は放つ。

翼による破壊の一撃。

 

全身を回転させ、威力を上げる。

狙うはノーゲートの脳天、人も吸血鬼も変わらない弱点である脳をグチャグチャにする為に。

 

直撃。

だが、防がれた。大剣の翼で受けられた。

ならば追撃。

追撃追撃追撃。

 

ガブリエラは翼を振り回す。

しかしノーゲートの体に届かない。

小さい体を活かし、ノーゲートを撹乱するために高速で移動しながら攻撃を繰り返す。

ピンボールのように教会内を跳ね回り、四角から隙から一撃を差し込もうと連撃する。

 

銀光が空を走り、紅の軌跡が闇を縫う。

翼と翼がぶつかる鈍い音が教会内に切れ間なく響く。

秒間数発の乱打。

全方向からの攻撃。

その全てが赤髪の吸血鬼に殺到する。

ガブリエラの翼が、その命を砕こうと猛攻を続ける。

 

だが、届かない。

剣の翼に全て阻まれる。

 

「それ、なら――っ」

 

ガブリエラは自らの2本の翼を絡ませ、1本の武器とする。

イメージは削岩機(ドリル)

人で言うなら、片手持ちから両手持ちに切り替えて剣を振るようなイメージで、両の翼の威力をひとつに集約する。

 

「(翼の防御ごと、貫く!)」

 

後方上からの攻撃、天井を蹴った勢いと全体重を乗せて放つ。

翼を、敵へと押し込む――

 

斬。

 

一瞬、ガブリエラは何が起こったか分からなかった。

紅い塊が、舞っている。

それは……自分の、翼。

 

――斬られた。

そう理解した瞬間、反射に近い動きで距離を置く。

 

両の翼、捻りひとつにしたそれが半ばから断ち切られていた。

翼をミチミチという怪音と共に再生させながら、ガブリエラは必死に前を見る。

教会に佇む、赤い剣の吸血鬼を。

追撃に対応しようと、睨んで。

 

そこには誰も居なかった。

 

「”強い”ってのはよォ、」

 

声が。

存在が、ガブリエラのすぐ横に。

 

「そういうコトじゃねェんだよ」

「――ッ!」

 

振り回した腕は空を切り。

意識の、殴りつけた方向と反対から襲いかかった蹴りが、ガブリエラの体をくの字に折り曲げた。

 

「(速、目で追えな――)」

 

思考すら間に合わず。

吹き飛び、壁に激突する。

衝撃に意識を空白にされながら、何とかすぐに立ち上がろうとした彼女は――。

見た。

眼前に立つ敵を。

振り上げられた脚を。

 

轟音。

衝撃。

 

教会が揺れ、天井から埃が落ちる。

ガブリエラは……強烈な蹴りによって壁に叩きつけられ、体を半ば瓦礫に埋めながら気を失っていた。

そんな彼女の頭を掴み、ノーゲートは言う。

 

「強いってのはこういうコトだ。

どんなものも壊せる。どんな奴にも勝てる。どんな命も奪うことができる……」

 

ノーゲートは……。

握り潰さんばかりに掴んだ彼女の頭を、再び壁に叩きつけた。

鈍い音、壁が壊れる音が教会内に響く。

赤髪の吸血鬼は、刃の翼を手から放し、純粋な腕力でもってガブリエラを傷つけていく。

壁に叩きつける。

何度も、何度も。

 

「これが”強さ”だ!

テメェを殺す、これこそが”強さ”だ!!

それをなんだ、テメェはよォ。強さを誰かに貰っただのなんだの、巫山戯てんのか?

なァ、同じセリフ言ってみろや。

”私は強い”って大見得切ってみろやァ!

……無理だよなァ。出来るわけねェよなァ。

テメェは強くねェもんなァ。

テメェ程度の強さじゃあ、オレは殺せねえもんなァ……!」

 

憤怒が、苛立ちが、彼の顔にあった。声にあった。

絶対優位故か剣は使わない。ただ、その剛力で原始的な暴力を振るう。

怒りを乗せて、硬い壁にガブリエラの頭を叩きつける。

何度も、何度も。

出血して綺麗な銀の髪か汚れる。

一撃の度出血は増えていく。

ガブリエラはもう何の反応も返さない。

それでも止めない。止まらない。

何度も何度も、叩きつける。

 

「雑魚が!

カスが! クズが! 弱者が!

弱ェクセに”強さ”を口に出すんじゃねェ、吐き気がすんだろォが!

テメェら弱者は、何奪われても文句を言う権利すらねェゴミクズなんだよ!

それを自覚してから息しろや!

なァオイ! クソ雑魚のクソ吸血鬼が!

弱ェゴミの癖にオレの妹奪いやがって、お陰でオレは死ぬほどイラついてるぜェ!?

この怒り!

この恨み!

テメェ程度の弱者殺すだけじゃ消えねえよ!

どうしてくれんだ、この、クソ雑魚がァッ!!」

 

ぐしゃり、と。

もはやそう聞こえる程に打ちのめし、叩きつけ、ようやく連撃は止む。

パラパラと瓦礫が降る。

もはや壁はボロボロで……それ以上にガブリエラはボロボロだった。

顔は最早血だるまとなっている。そのダメージは計り知れないだろう。ぐったりと力のない体がそれを物語っていた。

 

けれど。

がしり、と。

震える手が、ノーゲートの手首を掴んだ。

それは彼の骨を軋ませるほどの握力を持っていた。

 

ノーゲートは見る。

眼下の吸血鬼は……その紅い眼は、死んでいない。

ボロボロのガブリエラは、明滅する意識で何とか抗う彼女は……けれどまだ、敗けてはいない。

 

「……あ、なた、には」

 

彼女は言う。

決して譲れぬものがあると、言う。

 

「私の貰った”強さ”、は、大切なものは、分から、ないよ」

 

豪風。

 

ノーゲートはガブリエラから距離を取っていた。

必死に掴まれた腕を振りほどき、必死になって後退した。

 

紅い翼が。

眼前にある。

 

先程まで自分の頭があった場所を、ガブリエラの翼が通り抜けていた。

ぽたりと、掴まれていた手首が、肉が抉れるほど無理やりに引き抜いたそこが出血して床を濡らす。

そこまでして必死になって避けなければならなかった……その事実は、ノーゲートに更に怒りを募らせた。

 

怒りの矛先は。

気高い眼をしたガブリエラ・ヴァン・テラーナイトは。

震える声で、絶え絶えの息で、それでも言う。

 

「私が貰った、”強さ”、は。

何かを奪う、ものじゃない。何かを壊すものじゃ、ない。

守る、もの。失くさない、もの。

自分の譲れない、ものを……ちゃんと抱いたまま生きていける、そのための、強さ」

 

その、真っ直ぐな瞳に。

ノーゲートは……頭が真っ白になった。

否。

思考を空白にするほどの怒気の爆発が、彼の胸中を支配したのだ。

 

「……なんだそりゃァよォ。

……テメェ、ホントにイラつくぜ。ア”ァ、有り得ないくらいイラつくぜェェェ……」

 

その表情は……まるで全ての感情が抜け落ちたようで。

しかしその(かお)からは、まるで黒く燃えているような、そんな恐ろしいまでの圧迫感が感じられた。

空間が、灼ける。

彼の憤怒が焼いている。

 

ノーゲートは再び剣を手に取った。

地獄の底から響くような声が、彼の喉から這いずり出てくる。

 

「テメェのチンケな”強さ”を、オレの”強さ”で奪ってやればよォ……。

そうすりゃ二度と言えねェよなァ……。

そんな綺麗事吐けねえよなァ……」

 

おぞましい声の、恐ろしい吸血鬼(バケモノ)を前に。

ガブリエラは、壁から抜け出し、両の足で震えながら立つ。

まだ死ねないと。

こんな奴には負けられないと。

その眼が雄弁に語っている。

 

それが……ノーゲート・クリムゾンには赦せない。

 

「これ以上オレをイラつかせんなァ! テメェ程度の弱者がよォッ!!」

 

そして。

ノーゲートは剣を振り上げ。

ガブリエラは翼を構えて。

同時に床を蹴り。

 

再度、激突。

 

「――、ッ」

「ア”ァ!?」

 

翼が。

巨剣の翼と片翼が、鍔迫り合っていた。

 

ガブリエラは再び両翼を絡ませあっていた。先程よりもキツく硬く。ただ同時に動かすためでは無く、まるでひとつの翼とするように。

それが翼の強度を上げていた。

こんな小細工、彼女は初めてだった。

常に強者であったガブリエラが、今弱者として戦いを強いられている。

彼女は、何処か試されているような気がした。

こんな自分が、空腹を選んだ生き方が、この強者を倒せるのかと。

運命に抗えるのか、と。

 

「ぐッ――ァ!?」

 

赤髪の吸血鬼が呻く。

鍔迫り合いの力を受け流すように上体を逸らし放たれたガブリエラの蹴りが、ノーゲートの鳩尾を刺した。

吸血鬼の身体能力が放つ、蹴撃。

 

どれだけ翼が強かろうが、どれだけ再生能力が強かろうが、吸血鬼の耐久力は基本的に人間と同じだ。翼以外に当たれば、例え蹴りだろうとダメージはある。

後退するノーゲート。

均衡が崩れる。

 

「(――絞り出す! 今出せる全力を!)」

 

ガブリエラは、少ないエネルギーを使い切らない為にセーブしていた力を解放した。

彼女の瞳に、まるで燃えるような強い光が灯る。

 

紅い、翼撃。

 

「ぐッ!?」

 

苦悶の声をあげたのは、今度はノーゲートの方だった。

剣の翼で受けたガブリエラの一撃が重い。

明らかに攻撃の威力が上がっている。

威力だけでは無い。

速度も、迫力も。

先程までの倍はある。

「テメェ、何処にそんな力が……ッ」

 

ボロボロの体で、先程以上の力。

理解できない現象に一瞬思考が鈍る。

 

その隙を、百戦錬磨のガブリエラは見逃さない。

 

「はあああああっ!」

 

気合いの声を放つのも、初めてのことで。

彼女は弱者として、初めて「譲れない戦い」をしていた。

 

全身の細胞を燃焼させる勢いで血を回す。

残り少ないエネルギーを、後先考えず全てつぎ込む。

そうしなければ勝てない。

そうまでして勝ちたい。

覚悟と共に、翼で連撃を放つ。

脳が警鐘を鳴らしている。腹がカラッポで痛み出す。

けれど止まらない。止められるハズが無い。

勝つ為ならば。生き残る為ならば。

アクタとの日常の為ならば。

限界なんて、何度だって超えてやる!

 

「心が、体を動かす――これが私の”強さ”っ!」

 

頭に。

胸に。

胴に。

腕に。

脚に。

ノーゲートのあらゆる部位を狙って、翼が鞭のように振るわれる。

薙ぎが。突きが。

無数の”死”が放たれる。

 

「(受けきれ、ねェッ!?)」

 

二枚の剣の翼を攻撃ではなく防御に使い、乱打の雨を必死に防ぐノーゲート。

彼はガブリエラの燃える瞳を見て――彼女の背後に【紅い暴君】を幻視した。

忘れる事など出来ない、あの絶対の恐怖を。

 

「ッ……テメェ、程度が」

 

しかしノーゲートは……怯えるどころか、なお怒りを深くした。

憎悪が、憤怒が、彼の中で燃え上がり――爆発して、体を攻撃へと動かす。

 

【紅い暴君】(アイツ)を思い出させてんじゃねェぞォッ!!」

 

左腕、左の剣による、下からの斬り上げ。

ガブリエラの翼を断ち斬る為の一撃。

攻撃の起こる瞬間を狙った、完璧なタイミングのカウンター。

 

それを。

ガブリエラは読んでいた。

否、その攻撃を待っていた。

 

「(なにッ!?)」

 

振り抜かれた斬撃。

空気を斬り、遠く離れた天井の梁を切断する衝撃波まで出した一撃は……しかしガブリエラの翼を断つことは無かった。

 

「(手応えが、ほとんどねェ……ッ!?)」

 

残心の構えを取る……つまり左の剣を振り抜いて無防備なノーゲートの懐に。

体を回転させながら翼を構えるガブリエラが飛び込んでいた。

 

「(コイツ、オレの攻撃を読んでやがったッ……! その上で迎え撃つんじゃ無く、攻撃の威力を利用したカウンターを……!)」

 

ノーゲートの剣戟。まともに受ければ翼が切断される鋭利さのそれは……しかし結局のところ翼撃。

翼に日本刀のような鋭さは無い。斬撃の体を無しているのは、あくまで吸血鬼の細胞の強度と攻撃の速さ。

つまり、同じ翼同士なら……ぶつかった所で、簡単には斬れない。剣と剣が硬くぶつかり鍔迫り合うように。

 

ならば……力を抜いて受ければ?

当然、受けた方が弾かれる。

攻撃を放った方は想定外の手応えの無さに勢い余って体勢を崩し……受ける方はその隙を突ける。

さらに攻撃を受ける方に、相手の力を利用する技量があれば。

 

今ガブリエラが行おうとしているように、強力で素早いカウンターが可能となる。

 

「(クソが! 吸血鬼の癖に弱者(ニンゲン)みてェな小細工を……ッ!)」

 

ノーゲートの攻撃の威力、それに抗わず力を利用することで体を急回転、そのまま勢いに乗せて翼で攻撃を放つ。

ガブリエラの構えは突き。

二枚の翼を捻り合体させた、肉を骨を貫く翼撃。

 

「(速ェッ! オレの渾身の力を利用して速度を大幅に上げてやがる!

……だがオレは二刀流、翼を一枚攻撃に使ってももう一枚で防御できる。仕方ねェから体の端はくれてやるよ、どうせすぐ再生するからなァ。

この際守るのは正中線だけでいい。心臓と脳だけを今動かせる右側の翼で防御する。その勢いの攻撃だ、決まろうが決まるまいが絶対に隙ができる!

そうなりゃァ形勢逆転だ、片翼のテメェは二刀の手数で押し切れ……ッ!?)」

 

ノーゲートは。

そこまで高速で思考して、ようやく気付いた。

 

「(――オレの翼に、罅が……ッ!?)」

 

自らの翼……防御に使おうとした右側の翼に、決して小さくない罅が入っていることに。

 

これは偶然では無い。

ガブリエラの連撃は、僅かな血を燃やして放った乱打は、全てこの時の為。

 

今までの戦いややり取りからノーゲートの左利きを読み。

焦れば左手で攻撃してくると踏んで、攻撃の狙いをノーゲートが右側の翼で受けられる範囲に集中した。

その他の部位への攻撃は、全て自らの狙いに気付かれないための目くらまし。

 

まるで弱者の様な小細工。

それが、強者(きゅうけつき)同士の戦いの行方を左右しようとしていた。

 

「(オレの翼は硬質な分痛覚が鈍い! 気付かなかった、いや侮っていた! 最初の雑魚のイメージが抜けてなかった! この程度の奴にオレの翼が壊されるわけねェと思い込んでいた!

……いや、違う! コイツ、最初からこれを狙ってやがったんだ! 眼が光りだしてからずっと! 今思えば、右の翼で受けた攻撃はやけに重かった!

……待て、そんなの有り得んのかよ!? 有り得ねェだろ! オレの行動を何手先まで読めばそんなコトが出来んだよ!

弱ェクセに!雑魚のクセに!一体なんなんだコイツはァッ!!?)」

 

ノーゲートの眼前で。

ガブリエラの瞳が燃えている。

紅く紅く輝く眼が、真っ直ぐ自分の心臓を見据えているのをノーゲートは感じた。

 

「(この壊れかけの翼じゃ受けきれねェ! だがもう動きを変えれねェ! 間に合わねェ!

……負ける!? オレが、コイツにィッ!?

クソが! クソがクソがクソが!)」

 

壊れかけの翼の防御。

今迄で最高の一撃が、それを砕かんと空気を裂きながら襲い来る様を幻視する。

それは一瞬後の未来。

敗北の、予感。

 

ノーゲートがひび割れた翼をなんとか再生しようと慌てて翼に血を送る。

だが遅い。

間に合わない。

 

”死”の一撃が、眼前に。

 

「クソ、がァ――ッ!!」

「(――決める!)」

 

そして。

その一撃は。

積み重ねた一撃は。

弱者として放つ一撃は。

まるで矢のように放たれた。

 

紅い翼が。

突き進む。

敵を喰い破らんと。

防御を穿ち貫かんと。

心臓目掛けて疾走する。

それはまるで、牙を剥く紅い龍か、はたまた血を纏った突撃槍か。

 

翼が。

破壊そのものとなって、ノーゲートを襲う。

 

「(とど、けぇ――っ!)」

 

ガブリエラの、魂の絶叫。

それに呼応するかのように、紅い翼は炎を宿した。

 

夜を灼く翼が。

空を裂き。

音を超え。

光に成り。

「紅」が突進する。

「死」を纏って突き進む。

 

そして。

矛盾、激突。

 

紅蓮の一撃が。

赤い壁を、貫いた。

ノーゲートの防御を貫通した。

 

ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトは、敗北の運命を打ち砕いた――

 

 

「――、え」

 

 

――ように見えた。

 

しかしその一撃が、ノーゲートの(しんぞう)に到達することは無かった。

 

剣の翼を僅かに貫通した所で、ガブリエラの一撃は力尽きるように止まっていたのだ。

ノーゲートの胸元まで、たった数センチ。

だが……届いて、いない。届かない。

 

 

「な、んで……」

 

ガブリエラの瞳から、翼から、紅い炎が消えていた。

 

彼女は悟る。

自分の中には、もう攻撃に使えるエネルギーなど残っていない事に。

 

一瞬、たった一瞬なのに、間に合わなかった。

 

血が、尽きた。

生き方が、勝機を逃した。

 

景色が、視界が、ぐにゃりと曲がって。

脚が、動きが、力が入らず止まって。

 

 

――赤い、斬撃。

 

 

ガブリエラの肩口から、血が激しく吹き出た。

小さな体が吹き飛び、床を転がる。

そんな彼女を……ノーゲート・クリムゾンは見下ろしていた。

 

「……イラつくぜ」

 

ざり、ざり、と。

ノーゲートは距離を詰める。

 

「ぐ、うぅ……っ、あッ」

 

ガブリエラは……立ち上がれない。

彼女には最早、立ち上がる力すら残っていない。

何度も必死にもがき、その度床に頽れる。

肩の傷もほとんど再生していない。

床を、赤い血が汚していく。

そんなボロボロの吸血鬼へと、赤髪の吸血鬼は近付く。

 

「ア”ァ、イラつくぜ。

イラつくぜイラつくぜイラつくぜ。

テメェは強ェなァ。ちゃんとあのクソ強ェ暴君のガキだなァ。

なのによォ……心底イラつくくらい、どうしようもねェくらい弱ェなァ……!」

 

音を立てながら、ノーゲートの剣にあった罅が、穴が、容易く治っていく。

状況は最早、誰が見ても明らかだった。

絶対絶命のガブリエラは、なおも立ち上がろうともがいて……その腹に、ノーゲートの蹴りが炸裂した。

 

「ぎ、あっ」

 

体が浮き上がり、再び地面へと激突する。痛みで呻くことすら苦しい。

それでも立ち上がろうと藻掻く。

そんな彼女の、精一杯の力を込めていた脚を、ノーゲートは思いっきり踏みつけた。

 

「あ、ぐう……っ」

 

みしり、と嫌な音がガブリエラの体の中で鳴る。

ノーゲートは……そんな彼女を見下ろしていた。心底腹ただしそうに見下ろしていた。

 

「テメェ、ろくに血を飲んでねェな。それで燃料切れ起こしたんだろ、なァ」

 

ミシミシと。

一言喋る度、踏みつけられた脚に力が入る。

その度に骨が軋み、血管が押しつぶされて、痛みがガブリエラの中を突き抜ける。

必死に歯を食いしばって耐える彼女に、しかしノーゲートは残酷だった。

 

「巫山戯てんのかテメェ。

テメェはただ弱いんじゃねェ。

テメェは強く成れるのに、強く在れるのに、そのための努力を怠ったんだ。なァそうだろ?

オイ。何とか言えよ、ガブリエラ・ヴァン・テラーナイト」

 

怖い。

ガブリエラはただ怖かった。

死の恐怖が、彼女に初めて襲いかかっていた。

失いたくないものがある。

別れたくない人がいる。

だからこそ、死が怖い。

怖くなかったものが怖い。

 

「テメェは……真性の雑魚だ。魂が腑抜けだ。誰かと戦う資格も何かを守ると豪語する資格もねェ、最低の弱者だ。

強く在ろうとせず。

弱さを恥じることもしねェ。

そのくせ奪われるのは嫌だと文句だけは人一倍言う。

それはよォ……この世で1番の罪悪なんだよ。

 

誰かに奪われるのは弱ェからだろうが。

文句しか言えねェのは弱者だからだろうが。

その程度の事も考えず、まるで自分が悲劇の主人公にでもなったみたいに振舞いやがってよォ……。

ちっとも強くなろうとしないクセに、周りが、環境が、自分より強い奴が全部悪ィみてェな顔しやがってよォ……!

テメェみてェなの見てると、オレはホントにホントにイラつくんだよォ……ッ!!」

 

ばき、と。

遂に踏みつけられていた脚の骨が、折れた。

激痛が、ガブリエラの体を跳ねさせる。

 

ノーゲートは……そんな折れた足を、尚も強く踏みつけた。

 

「ぐ、あぁ……っ!」

「痛ェよなァ。苦しいよなァ。踏みつけられて罵倒されて、こんなの嫌だよなァ。

でもよォ。それは全部テメェの自業自得だぜ。

テメェは”強さ”を軽視した。

奪う側でいる努力を放棄した。

そんなカスは――全部奪われて当然なんだよッ!!」

 

再び、蹴りがガブリエラの腹へと炸裂する。

吹き飛び、また崩れ落ちる。

もう悲鳴をあげる力もない。

折れた脚では、この飢餓感では、立ち上がることはもう出来ない。

 

叩きつけるような蹴りが。

動けないガブリエラを襲う。

 

何度も、何度も。

靴底が少女を汚し、傷付け、壊していく。

 

「オラ言ってみろよ!

テメェに何が守れんだ!?

弱ェカスのテメェが、いったいどうして”強さ”を語れんだ!?

テメェは負け犬だろ! クソみてェな弱者だろ!

そんなテメェが偉そうに語れるモノなんて、この世界にはひとつもねェんだよッ!」

 

言葉が。

ガブリエラを苛む。

 

「なァオイ、文句があんなら言ってみろや! テメェの言う”強さ”とやらでオレを押し退けてよォ!

……無理だよなァ、出来ねェよなァ。

テメェが綺麗事言える余裕なんざ、オレが全部奪っちまったからなァ。

こんな簡単に奪えるくらい、テメェは心も弱かったもんなァ!

なァ! この雑魚が! クズが!

クソッタレの弱虫が!

気付いてねェなら教えてやるよ!」

 

自分を否定されて。

大切なものも否定されて。

最愛の人に貰った心を否定されて。

 

それでも尚、何も言えない。

弱ければ文句すら言えない。

ガブリエラは今更ながらに理解した。

自分が甘えていたことを。

龍川芥に、弱さを肯定してくれた存在に甘えていたことを。

本当に彼が大切ならば……強くなるべきだった。彼との日常を奪われないように、強く在らねばならなかった。

でもガブリエラは、そうしなかった。

結局自分は逃げていただけなのだ。

傷付けることから。

否定されることから。

選ぶことから。

奪うことから。

言い訳をして、逃げていた。

罪を犯すことを忌避していた。

それが「罪と向き合う」なんて言葉と最も遠い行為であることに、気付かないフリをして。

 

「テメェは、」

 

嗚呼、私は。

 

「何も、守れねェ」

 

ガツン、と。

ガブリエラの頭が踏みつけられる。

彼女の顔が床に押し付けられる。

乱暴に、乱雑に。

でも……もう彼女に、抵抗する力は無くて。

体にも心にも、そんなものどこにも残ってなくて。

 

「いいか雑魚。

弱ェ奴は奪われても仕方ねェ。その事に文句言う権利すらねェ。

それがこの世界の摂理、クソッタレな弱者の法則だ」

 

剣が。

振るわれた。

それは素振り。恐怖を煽るような、これから起こる惨劇の予行演習。

 

「だからよォ……テメェが何奪われようが、弱ェテメェが悪ィんだよ。

せいぜいそのことを後悔しながら苦しみなァ」

 

ぎらり、と。

ステンドグラス越しの月光が、赤い刃を鈍く光らせる。

 

「先ずは足だ。それから両腕。

ダルマにしてからゆっくりと懺悔させてやる。

テメェが殺したノースのことをなァ……。

その後は、この怒りが収まるまで嬲ってやる。

この憎悪が消えるまで殺さず苦しめてやる。

テメェには、自分がどんだけゴミクズだったかを理解してから死んでもらうからよォ……」

 

ガブリエラは、悲しくて悔しくて……でももう何も出来なくて、ただ諦めて目を閉じた。

瞼の裏にあるのは、アクタの笑った顔。

 

「いってきます」を言わなくて良かった。

約束を破らなくて済むから。

でも……もしひとつだけ、我儘を言うのなら。

 

「さァ、せいぜいクソな悲鳴を上げろや!」

 

翼剣が持ち上げられる。

死が、振り下ろされる。

 

ガブリエラは目をぎゅっと閉じ、祈った。

今まで殺してきた人間のように、無様に願った。

 

最期にもう一度だけ、会いたかった――

 

 

 

「――やあガブリエラ。今日はいい夜だね」

 

その声は。

壊れかけの教会に、やけに大きく響いた。

否。その声が孕んだ底なしの絶望が、不快感となって聴く者の耳に酷く残ったのだ。

 

ノーゲートは思わず動きを止めて振り返る。

ガブリエラは踏みつけられながらも必死に目を動かす。

 

声の出処は教会の入口。

そこには2人の人間が立っていた。

 

ひとりは、黒いセーラー服を着て、刀を握ったまま俯いている少女。

 

そしてもうひとりは――

 

 

ガブリエラが1番会いたかったひと。

ガブリエラが1番好きなひと。

ガブリエラが1番来てほしくなかったひと。

そして、ガブリエラが1番助けて欲しかったひと。

ガブリエラだけの、最高のヒーロー。

 

彼は、言う。

今まで見た事も無い顔で。

 

 

「今日は満月。死ぬにはとても良い日だよ」

 

 

人間失格(たつがわあくた)が、陰惨な笑顔でそこに居た。


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