寂しがり屋の吸血鬼は人間失格と一緒に居たい   作:龍川芥/タツガワアクタ

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11.ずっと一緒

「今日は満月。死ぬにはとても良い日だよ」

 

龍川芥は、教会の入り口でそう言った。

その口は陰惨な嗤いに歪められ、その瞳は濁って何も写さない。

 

底無しの絶望。

剥き出しの悪意。

絵に書いたような最悪。

 

そんな彼は、祈る者達の空間に土足で踏み入る。

ただ、その絶望に似合わない願いひとつを持って。

 

「テメェは……」

「アクタ、どうして……っ」

 

その声は。

呻くように問うたガブリエラを踏み付けているノーゲート・クリムゾンの存在は、やはり龍川芥の脳を狂わせた。

 

――ざり、と。

得体の知れない、雪の日の約束の記憶が駆け巡る。

しかし……絶望は、謎の記憶も、それへの困惑も、いとも容易くねじ伏せた。

 

精神の強さだとか、特異な才能だとか、断じてそんなものでは無い。

ただ……無際限に湧き出る「絶望」、それのみが龍川芥の武器であり。

それは自分の心も、それ以外も、全てを望み通りに歪めていく。

 

「こんばんは、ノーゲート・クリムゾン。哀れで愚かな復讐者。

自己紹介をしておこう。

俺は龍川芥……君の傷付けたガブリエラの味方の、ただの人間失格さ」

 

絶望は、名乗る。

自分が何をしに来たのかを。

 

「ガブリエラ……助けに来たよ」

 

それは。

人間失格が、全てを捨てて願ったのは……ただひとりの吸血鬼の(いのち)

 

それを聴いて……ノーゲート・クリムゾンは不快げに吐き捨てる。

 

「ファック。何を言い出すかと思えば……。

人間風情が、弱者が、コイツをオレから助ける……?

ア”ー、笑えてくるぜ。

イラついてイラついて、怒り通り越して笑っちまうぜ……」

 

ぶわり、と。

吸血鬼の殺意が、龍川芥へ向けられる。

それはまさに鬼。心の弱いものであれば気絶してしまうほどの恐怖。

 

「弱ェクセに調子乗ってんじゃねェぞ雑魚がッ!

オレはテメェみたいな、身の程知らずの弱者が一番嫌いなんだよ!」

 

殺意の暴風が、怒声と共に龍川芥へと襲いかかる。

 

しかし……陰惨な笑みは、消えなかった。

むしろ嘲るように、嗤うように、人間失格は表情を深くする。

それは……ただ、不気味だった。

吸血鬼に抗うのでもなく、恐れるのでもなく……ただ、見下す。

力で消して勝てないハズの人間が、吸血鬼を見てなお精神の優位を揺るがせない。

 

それは最早人では無い。

狂って狂って狂い果てた先に到達した、人間以外の奇形の精神(こころ)

 

「くふ、くくく……」

「テメェ、何がおかしい」

「いや別に。あまりに安い台詞でね。

弱者を嫌う。弱者を侮る。弱者を殺す。

大いに結構、それが自然の摂理だ。

だが……俺に言わせれば、君には絶望が足りないな」

 

嗤う。嗤う。

ノーゲートという強者を相手に、人にすら勝てないハズの人間失格(じゃくしゃ)は嗤い続ける。

そう、それこそが「絶望」。

それは何者にも拭うことは叶わず。

ただ、全てを汚していく。

 

「”弱い”とは何か。

力が無ければ弱いのか?

知恵が足りなければ弱いのか?

何を持ち得なければ”弱い”という言葉に値するのか、分かるかい?」

「……」

「そう、分からないハズだ。

なぜなら”弱い”とは、強さを持たぬことを指す言葉では無いからね。

それは敗北者のことを、自らの目的を果たせぬ者を見下して使う言葉なんだ。

つまり……”弱い”なんて言葉には、なんの意味もない。

それはただ、勝者面した者が創った、相手を貶すためだけの言葉だよ」

 

人間失格は語る。

なんの根拠も無い言葉の羅列を。

ただ、己の信念(ぜつぼう)に、18年の人生哲学にのみ基づく考え方を。

 

「勝てば”弱い”と嘲られる事は無い。

負ければ”強い”と認められる事も無い。

つまり、そんな言葉に意味は無い。

君はただ傲慢なだけだ。

人間風情には決して負けないと信じているからこそ、勝ってもないのに相手を”弱い”と言えるんだね。

まったく……絶望が足りてなさそうで羨ましい限りだよ」

 

呆れたように、心底羨ましそうに。

けれど、その陰惨な嗤いだけはそのままに、人間失格は語った。

 

それに神経を逆撫でされたのか、ノーゲートは更に声を荒らげた。

 

「ご高説ご苦労なこった……。

なら……テメェにコイツが救えるか!

オレを倒して助けれるのか!?

できるハズねェよなァ!

たかが人間が、吸血鬼(オレ)を倒すヒーローに成れるハズがねェ!」

 

吼えると同時、赤い翼が……巨大な剣が振り上げれる。

助けに来てみろと誘うように。

出来はしないだろうと突きつけるように。

ガブリエラの、泣きそうな瞳と目が合う。

 

その絶望を……龍川芥は、尚も嗤って跳ね除ける。否、受け入れる。

 

「ヒーローになんて成る気は無いよ。

そして君を倒す必要も無い」

 

彼は懐から”それ”を取り出す。

それは、銀の短剣。

護身用の武器にして……龍川芥の罪の証。

 

「君の目的は”仇討ち”だったね。

丁度此処は教会だ、俺の罪を懺悔するとしよう」

 

見せつけるようにして取り出したそのナイフから、ノーゲートは目が離せなかった。

彼の鋭敏な嗅覚は漸く捉える。

この、懐かしい匂いは。

雪の日を思い出す、鉄錆に似た匂いは。

 

「テメェ、人間……これはどういう事だ」

 

困惑とそれ以上の憎悪の声が、吸血鬼から漏れる。

そう、それは……ノーゲートの大切な妹の。

 

「なんでテメェの方から、ノースの匂いがしやがる……ッ!!」

 

くつくつと。

人間失格は嗤う。

 

「分かるのかい? 半年は経っているのにね。

そうかそうか、”彼女”は愛されていた訳だ。

羨ましいなあ。妬ましいなあ。

あんな奴でも愛されるなんて、とんだ絶望もあったものだなあ。

嗚呼、やっぱり……殺しておいて良かったなあ」

 

口を三日月の様に裂けさせて、嗤う。

その胸中は……しかし、表情とも言葉とも真逆のものだった。

 

殺しておいて良かった、だと?

我ながら吐き気のする大嘘をつけるものだ。

その逆だ。

殺したことを後悔しなかった日は、1度だって無いさ。

 

龍川芥は……俺は、想起する。

半年前。俺はガブリエラと出会った事件で、ひとりの吸血鬼を殺している。

 

それは、まるで物語の主人公にでもなった気分で非日常の世界に入り込んだ俺が、その認識の甘さを手遅れになってから初めて知った時。

ガブリエラが死に体にしたひとりの吸血鬼を殺さなければ事態の収集は計れない、と教えられた時、せめて俺は背負うことにしたのだ。

自分の甘さのツケを。

ガブリエラだけが背負うハズだった罪を。

 

あの感触を覚えている。

刃が肉に沈む音。骨を折る重く鈍い手応え。心臓を突き刺し、命を奪った感触。

明瞭に思い出せる最期の表情と、思い出す度背筋を這いずる罪悪感。

あれは罪で、これは罰だ。

 

だから――それすら利用しよう。

絶望で心を歪める。

覚悟も矜恃も実力も足りないのだから、それで補強をするしかない。

絶望だけが、俺の武器なのだから。

 

欺くのだ。

嗤うのだ。

無力の身で、おのが目的を果たす為に。

 

さあ語ろう。

真実を、笑って告白しよう。

そう、俺が殺した吸血鬼の名は──

 

 

「──ノース・クリムゾンを殺したのは俺だよ」

 

 

それが……消えることの無い、龍川芥の罪で。

ノーゲート・クリムゾンを操る為の一手だった。

 

「彼女の最後の表情を知りたいかい?

あれだけ恐怖されたのは初めてだったから、よぉく覚えているよ。

泣きそうな顔で、なんと言っていたかな?

うーん、良く思い出せないなあ。

もしかしたら……”助けてお兄ちゃん”とかだったかな、なぁんて」

 

ニヤニヤと、仮面の嘲笑で。

大嘘を、語る。

分かりやすく挑発する。

 

そして……ノーゲート・クリムゾンは、ガブリエラを踏みつけていた足を床に下ろした。

ただ、龍川芥に向かって歩き出す為に。

 

妹の本当の仇を、彼女を侮辱した人間を、血祭りにあげてやる為に。

 

龍川芥は挑発の成功を確信し……隣で置物のように俯いていた少女へと優しく声をかける。

 

「ほら、君の出番だよ殺人者くん。

あの吸血鬼から、俺を守ってくれ給え」

 

少女はびくりと肩を跳ねさせて……そのまま抵抗の素振りも見せず、刀を構えた。

彼女は既に、思考を放棄していた。

考えてしまえばその分傷つくから。それは絶望の中に居るもの共通の特徴。

だからこそ、八雲泪は人間失格の言葉に従ってしまう。

何も考えたくないから。

誰かに従っていれば、誰かに”正しさ”を委ねれば、傷付かなくて済むから。

 

芥はそんな彼女から目を逸らし、ノーゲートの方を向く。

彼は地獄の底から響くような声で言う。

 

「……殺す」

 

ギラリと、ステンドグラス越しの月光が赤い大剣を光らせる。

けれど……人間失格は揺るがない。

 

「声が小さくて聴こえねーよ、お兄ちゃん」

 

それがトドメだった。

 

「殺してやるッ!! クソッタレの人間があああああアアアアッッ!!!」

 

半狂乱で、赤い吸血鬼は龍川芥へと突進する。

 

「アクタ……っ」

 

助けなきゃ。

ボロボロの体を激痛に支配されながら立ち上がろうとしたガブリエラは……見た。

芥がこっちを見ている。

口の形だけで伝えている。

 

――だいじょうぶ

 

そして、赤い剣が龍川芥に襲いかかり。

 

銀光、一閃。

 

斬り裂かれたのは……脆弱な人間ではなく、赤い大剣の方だった。

 

ノーゲートは勢いのまま、教会の外へ出てしまう。

彼は憎き仇の方を振り向いて……そして見た。

刀を振り抜いた残心の構えを取る、黒い吸血鬼狩りの少女の姿を。

 

――八雲流剣術奥義がひとつ、「(やじり)おとし」。

飛翔する矢を両断したと言われる剣技が、赤い剣を断ち切ったのだ。

しかしその神業を放った少女は、まるで怯える子供のような顔をしていて。

 

震える彼女に、龍川芥は優しく囁く。

 

「ありがとう。君は人を守れる優しい人だね。

さあ、あの吸血鬼はまだ俺を殺そうとしている。

足止めを頼むよ。

彼を教会の中に入れないでくれ。

そうすれば……後は俺が何とかするからさ」

 

それもまた、大嘘。

けれど八雲泪は、それを疑うことも無く。

ただ、教会の中に消える龍川芥を追おうとしたノーゲートの前に立ちはだかった。

 

「退け、雑魚がッ! テメェに用はねェんだよッ!!」

「……まもる、まもるんだ……私は……」

 

復讐者と復讐者の成れ果ての、無意味な戦いが始まった。

 

そんな彼等を振り向きもせず、龍川芥は教会の中へと……ひとりの吸血鬼の元へと歩いていく。

 

「さて。改めて……助けに来たよ、ガブリエラ」

 

 

◆◆◆

 

 

「助けに来たよガブリエラ。

それとも……こんな俺には、失望したかな?」

 

人間失格は、いや俺は……陰惨な笑みではなく、何処か寂しげな微笑みで言った。

ガブリエラは混乱のまま、ただ首を振って否定してくれた。

 

「ありがとう。さて、大丈夫かい? ガブ」

 

俺は倒れた彼女を抱き起こしながら、声をかける。

その体は傷だらけで、顔は酷く憔悴していた。

 

「アクタ、なんで⋯⋯」

 

なんで来たの。言いたいのはそんなところだろうか。

弱々しくそう問うてくる彼女に、俺は笑いながら返す。

 

「俺が君を助けたかったからだよ」

 

俺は……ただ、優しく微笑んだ。

陰惨な嗤いなど、もうどこにも無かった。

それはきっと……彼女にだけは絶望を与えたくないという、人間失格なりのエゴだったのだろう。

 

俺はガブリエラの背中、そこから生えた片翼(ふたつのつばさ)を見ながら言う。

 

「ガブリエラ、やっぱり君、満腹になるまで血を吸ってなかったんだろ」

「⋯⋯」

 

それはずっと疑問だったこと。

それは彼女の様子を見て確信に変わった。

かつて大きな四枚羽だった彼女は、それが見る影もないくらいのサイズの二枚羽に変わっている。

 

お腹が空いた、なんて。

そんなこと、1度も言い出されなかったな。

俺は優しい吸血鬼の頭を、くしゃりと撫でる。

そして、どうしても聞きたかったことを、聞いた。

 

「質問だガブ。俺の血を全部吸えば、あいつに勝てるか?」

「⋯⋯それはっ! それはダメ! アクタが死んじゃう!」

「⋯⋯なるほど。今の答えで充分だよ」

 

彼女は狼狽えてはいても、否定しなかった。

それはきっと⋯⋯ようやく俺にも”(さいご)”の時が来た、ということだろう。

俺は真剣な顔で、言う。

 

「ガブリエラ、時間が無い。聞いてくれ」

「いや! ききたくない! アクタが死んじゃったら、私は、わたしは⋯⋯っ!」

 

半狂乱で力の入らない体を振り回すガブリエラへ⋯⋯人間失格は、絶望で人を操った男は。

 

「ガブ、頼む」

 

ただ、真摯にそう言った。

その言葉に含まれた真剣さが、ガブリエラの動きをゆっくりにさせ、そして止める。

 

俺は彼女に、美しい吸血鬼に――心の底からの願いを、告白した。

 

 

「ガブリエラ、俺の血を吸え。

いつもみたいに勿体ぶらず、俺の全部を持っていけ。

血も、命も、全部君にあげるから。

だから⋯⋯生きてくれ」

 

 

それは、人間失格の、龍川芥の唯一の願い。

全てを捨てた男が、唯一捨てられなかった……否、そのために全てを捨てられたほどの、大切な願いだった。

 

「⋯⋯アクタぁ」

 

それを聞いて、美しい吸血鬼は……ガブリエラは、かつてないほど泣きそうな顔になって、俺の胸元へ縋り着いた。

 

そう言えば聞いたことがあるっけ。

涙は血だから、吸血鬼は泣けないって。

だったら、これで充分だよ、ガブリエラ。

君の涙は、君の優しさは……縋りつかれた胸が感じるこのあたたかさは、確かに受け取った。

 

俺は泣きじゃくる子供のようなガブリエラを座らせ、彼女と目線を合わせる。

ちょっと前、こうやって慰めたっけな。

それも⋯⋯もう最後か。

俺は……大切な思い出の、その再現を始めた。

 

「そうだ、ガブリエラ。心の話は覚えてるか?」

「こころ⋯⋯」

 

ガブリエラが胸に手を当てる。

俺はそれを見て笑いながら、人差し指を立てた。

 

「ガブリエラ。俺の心は何処にあると思う?」

 

自分の心臓を指さす。

血液を身体中に送る臓器。

命の証明である鼓動を響かせる場所。

 

「ここ?」

 

今度は脳味噌。

体を操る、ものを考える場所。

電気信号で、愛や恋を創り出す……不思議な臓器。

 

「ここか?」

 

そして、ガブリエラとの中心点。

彼女と視線がぶつかる場所。

俺とガブリエラ、ふたりがいるから意味を持つ場所。

 

「人とひとの間かな?」

 

ガブリエラは⋯⋯覚えていてくれたのだろう。

おずおずと、その白く細い手を差し出してくる。

ふたつの手のひらが⋯⋯傷だらけの美しい手のひらと、そうではない手のひらが、重なる。

 

「覚えてるかな、ガブリエラ。目に見えないものは」

「⋯⋯あると信じた場所に、ある」

 

俺は⋯⋯ゆっくりと、白く小さな手と指を絡めた。

少し遅れて、彼女も同じことをしてくれる。

 

「俺は信じてる。俺の心は、間違いなくこの中に在るって」

 

それはきっと、彼女のものとは色も形も違って。

目に見えなくて。不確定で。

とても醜いかもしれないけど⋯⋯。

でも、どこか美しい、心。

彼女に恋した分だけ美しい、俺だけの心。

 

「君にも信じて欲しい。俺の心がこの手の中にあることを」

 

繋いだ手を、ゆっくりと押す。

それは、ガブリエラの胸に当たり、彼女に優しく熱を伝えた。

 

まるで、心と心がキスをするみたいに。

 

「そして今は、君の胸の中に」

 

ガブリエラはこの前とは違って、顔を上げて俺の顔を見た。

その表情がどんな感情を表しているのか⋯⋯彼女の心に触れた俺の心は、何より雄弁に感じた気がした。

 

「君の心の隣に、俺の心が在るんだ」

 

彼女を抱きしめるようにして、その口元を……血を吸う牙を、俺の首筋へ持っていく。

手は、繋いだまま。

離さない、離したくないと、お互いの心が言っていたから。

 

「寂しいならさ、俺の心を持って行って」

 

彼女の頭を優しく押す。

自分の首に彼女の牙が当たるように。

びくりと、ガブリエラの体が強ばった。

 

「大丈夫。いつも言ってるだろ?」

 

安心させるように、笑う。

その笑顔は見えていないハズだけど。

けれど、伝わってるって信じてる。

 

牙がゆっくりと、俺の首筋へ沈んでいく。

皮膚を突き破り、肉を押しのけ、血管へと到達する。

それはどっちの力だったのか。

もしかしたら、ふたりの心が重なったゆえの力だったのかもしれない。

俺は……そうだったらいいな、と、ただそう思った。

そして、言う。

彼女のためだけの台詞を。

 

「──俺の”(さいご)”は君のものだ。他の誰にも渡さない。

そして今、その願いは叶うんだ」

 

ガブリエラ・ヴァン・テラーナイト。

俺を救ってくれた吸血鬼。

俺に恋を教えてくれた女の子。

そして⋯⋯俺が本気で愛を願った、この世界で唯一のひと。

 

 

「愛してる」

 

 

本当は、言うつもりじゃなかったんだけどな。

 

他に言いたい10000の言葉は、触れ合った心が直接伝えてくれると信じてる。

君が言いたい1000の言葉は、言葉にせずとも俺の心に届いてるって信じてる。

 

ガブリエラ。生きてくれ。

あんなやつに負けないでくれ。

こんな世界に絶望しないでくれ。

 

俺が屈した運命を⋯⋯お前がぶっ壊してくれ。

 

 

まるで、それが聞こえていたかのように。

 

ゆっくりと。

血が、吸われ始める。

命が、俺を構成するものが、全てが、ガブリエラへと流れ込んでいく。

龍川芥が、人間失格が……綻ぶように、消えていく。

 

そうか。

これが”死”か。

嗚呼。

想像したよりずっと美しくて。

 

――なんて、悲しい”(さいご)”なんだろう。

 

薄れゆく意識の中で、俺は言う。

あの嘘を、ガブリエラを笑顔にするための嘘を、彼女の世界の真実にするために。

冷たくなっていく体に、舌に、俺の最後の力を込めて。

 

⋯⋯大丈夫、俺たちは。

ずっと一緒に居られるよ。

 

 

「──これからは、ずっと一緒だ」

 

 

そうして、俺は目を閉じて。

 

最期に瞼を過ぎるのは、彼女との日常のこと。

俺が居て、ガブリエラが居て、それだけで良かったあの部屋での半年間のこと。

 

ありがとう、ガブリエラ。

俺は――幸せだったよ。

 

微睡むように、俺の意識は遂に消え去り。

 

 

紅色の「死」が顕現した──

 

 

◆◆◆

 

 

ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトの命は、孤独と否定の積み重ねだった。

 

彼女は【紅い暴君】の忌み子として産まれ、そして世界全てから嫌われてきた。

 

吸血鬼達は、彼女を畏れ、呪い、排斥し、そして殺そうとした。

人間達は、死に際の最期まで神に祈り、自分の命と彼女への天罰を願って死んだ。

 

その全てを、強い細胞(からだ)を持ったガブリエラは跳ね除け。

そしてその全てに、普通の心を持っていたガブリエラは傷ついた。

 

そうやって200年間、ただ流れるままに生きてきた。

獣のように、何も考えず生きてきた。

いや、彼女は考えないようにしていたのだ。

人と同じカタチの心を押し殺していたのだ。

 

当たり前のように傷ついてしまう、それが当たり前に嫌だったから。

 

だから彼女は獣だった。

ただ、命を奪うだけの存在だった。

 

そんな哀れな吸血鬼は──200年を超える長い長い旅の果てに、ようやく出逢ったのだ。

 

運命に。

恋人に。

救済に。

 

自らを救ってくれた人間、龍川芥に。

 

 

彼は──ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトを拒まなかった。

 

彼がしたことは、ただそれだけ。

それだけが、どうしようもないくらいにガブリエラを救ったのだ。

獣をヒトへと戻したのだ。

ただ、傷つけないよと優しく手を差し伸べられただけで。

 

ガブリエラは命を奪う獣から、愛や恋が何かを知っていく子供になった。

 

 

そんな彼が⋯⋯ガブリエラを助けに来てくれた。

絶対絶命の運命から、救い出しに来てくれた。

 

対価に──その命を差し出して。

 

 

「ガブリエラ、俺の血を吸え。

いつもみたいに勿体ぶらず、俺の全部を持っていけ。

血も、命も、全部君にあげるから。

だから⋯⋯生きてくれ」

 

 

それは、きっと心のどこかで欲した言葉。

吸血鬼の本能が求めた理想の言葉。

 

そして⋯⋯ヒトとしてのガブリエラが、決して聞きたくなかった言葉だった。

 

 

彼女の脳内を、半年間の記憶が駆け巡る。

 

それは200年間の積み重ねより何百倍も濃い、”人生”とも呼べる半年間。

 

いつも傍らに龍川芥は居て。

私達は笑いあった。

 

いつも一緒に眠った。

芥に抱きついて眠るのは、とても心が安らいだ。

 

いつも一緒に遊んだ。

楽しいってことも、笑うってことも、全部芥に教えて貰った。

 

いつも一緒に過ごした。

私がくっついても受け入れてくれることが、ずっと変わらず嬉しかった。

 

毎日の様に、血を吸った。

愛し合ってる。そう思えた。

ただ愛しかった。

ただ好きだった。

ただ、ずっと一緒に居たかった。

 

 

いつかこんな日が来ることを、ガブリエラは知っていた。

けれど早すぎる。

もっと、ずっと⋯⋯例えいつ終わりが来たとしても、同じようにそう思うことは分かっているけれど。

 

吸血鬼は泣けない。

それでも涙が流れないのが、今は何より苦しかった。

心が壊れてしまいそうな悲しみが、外にも出れず体の中で暴れているから。

 

「ガブリエラ。心の話は覚えてるか?」

 

忘れるハズがない。

芥がくれたこの心。

どうしようもなく苦しくて、どうしようもなく愛しいこれをもらった時のことを覚えている。

 

「俺の心は何処にあると思う?」

 

なんとなく、彼がやろうとしていることが分かってしまった。

だって、そんなことしなくても。

 

私の心はずっと前から、芥と同じ所にあるから。

私はそう信じているから。

 

「覚えてるかな、ガブリエラ。目に見えないものは⋯⋯」

 

あると信じた場所に、ある。

 

だから、信じたくなかった。

彼の中に託した心を、この胸の中に返されることになるなんて。

 

「今は、君の胸の中に。君の心の隣に、俺の心が在るんだ。

寂しいならさ、俺の心を持って行って」

 

寂しいよ。

寂しいよ寂しいよ寂しいよ。

嫌だよ。

離れたくないよ。

やっぱりずっと一緒に居たいよ。

痛いよ。

芥の分まで、胸の中の心が苦しいよ。

 

芥が優しく、私を抱きしめる。

そしてその首筋を⋯⋯自分の命を、私に差し出すように近付ける。

 

牙が、芥の肌に触れる。

脈を、体温を、感じ取ってしまい、私の中で遂に感情が爆発した。

 

嫌だ。

嫌だ嫌だ嫌だ!

死んで欲しくない!

ずっと一緒がいい!

他に何も要らない!

愛されなくたって構わない!

だから、芥には生きてて欲しい!

芥が居ない明日なんて欲しくない!

吸いたくない! 殺したくない!

嫌だ、嫌だよ!

お別れなんて嫌だよ!

だって好きだから!

世界で一番、芥が好きだから⋯⋯!

 

「大丈夫。いつも言ってるだろ。

俺の”(さいご)”は君のものだ。他の誰にも渡さない。

そして今、その願いは叶うんだ」

 

⋯⋯ひどいよ。

 

ぽつり、呟くように思う。

 

芥はひどいよ。

そんなの、ずるいよ。

ばか。

ばかばか。

ゆるせないよ。

かってだよ。

 

⋯⋯でも、すきなの。

だいすき。

だいすきだから。

あなたが本気で望むなら、私に拒めるはずないのに。

 

芥の体に刺さった牙が、彼の命の脈を感じる。

芥に抱きしめられた体が、彼のあたたかさを忘れないように噛み締める。

彼の居ない世界で、彼のことを忘れないように。

彼の居ない明日の、そのつめたさに耐えられるように。

 

 

私の半年間の恋を、永遠に私の心に刻みつけるように。

 

 

「愛してる」

 

 

私は⋯⋯もう、何も言えなかった。

グチャグチャの心は、ただ泣いていた。

心だけが、大粒の涙を流していた。

そして──その涙を拭うみたいな優しさが、私の隣の心から伝わって。

 

言いたい無限個の言葉は、ただ心の中に押し込んだ。

嗚咽と共に飲み込んで、ぎゅっと芥を抱きしめる。

 

 

血を、命を、龍川芥を──私の幸福を、吸っていく。

牙が感じる。腹が感じる。心が感じる。私の全部が芥を感じる。

幸せなくらい、甘い味。

いつもと同じ、愛の味。

そのはずなのに。

その血は、苦い涙の味がした。

 

 

ガブリエラは⋯⋯絶対に言えない言葉を、心の奥底に仕舞い込んだ。

繋がった心から伝わらないように。

決して口から溢れてしまわないように。

 

これは我儘だ。

これは否定だ。

これは身勝手だ。

これを言うのは最低だ。

 

それでも、その言葉は心の中心まで浮かんできてしまった。

なぜならそれが、ガブリエラの1番の願いだったから。

 

 

あのね、芥。

私ね。

本当はね。

これからも、ずっと。

あなたの、隣で。

 

 

「──これからは、ずっと一緒だ」

 

 

ずっと一緒が、良かったな──

 

 

チラリと最後に過ぎるのは、なんでもない日常の風景。

彼が笑い、私が笑い、それで完成されていた世界。

もう、二度と戻らない、私のしあわせ。

 

 

さよなら、芥。

私もずっと、愛してる……っ。

 

 

そうして。

ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトは、龍川芥の血を満腹まで吸い尽くし。

 

 

──紅い「死」が、彼女の体の内から溢れ出た。

 

 

 

◆◆◆

 

 

「⋯⋯ファック。クソが、雑魚の癖に手こずらせやがって。アイツらに逃げられてたらミンチにして魚の糞にしてやる」

 

教会の外、石畳の道路で。

ノーゲート・クリムゾンは無傷で足元に転がっている八雲泪を蹴り飛ばした。

反応は返ってこない。

彼女の生死は、彼にはどうでもいい事だった。

 

「それよりもあの人間だァ⋯⋯! オレも妹もコケにしやがってッ!

絶対に殺してやる! チリひとつこの世に残さねえッ!」

 

乱暴に歩き、教会の中を覗き込む。

 

足が、止まった。

 

「あァ? なんで⋯⋯」

 

ノーゲート・クリムゾンは目撃した。

 

教会のステンドグラス。

その下に、ガラスの絵の続きのように立っている⋯⋯

 

「死」を。

 

まるで燃えるような、見たことがないほど巨大な四枚羽を背中から生やした、吸血鬼のカタチの災厄を。

 

銀髪に、炎のような光が立ち上る紅い瞳の──ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトの真の姿を。

 

 

「【紅い暴君】⋯⋯ッ!!」

 

総毛立つ。

一度だけ見たことがあるその姿が、ガブリエラと重なる。

 

アレは⋯⋯バケモノだ。

どうしようもない天災だ。

ヒトに似たカタチの大嵐だ。

 

吸血鬼史上最悪の──

 

「ファック! ファックファックファックッ!!」

 

ノーゲートは叫んだ。

それは威圧のためでも、憤怒のためでもなかった。

ただ、恐怖を振り払うためだけの、意味の無い叫び。

彼は……衝動のまま、叫ぶ。

 

「オレが積み重ねてきた”強さ”が⋯⋯テメェに否定されないための”強さ”が⋯⋯。

ただのクソだったなんて、そんなの認められッかよォッ!!!」

 

吼えて。

剣のような翼を構えて。

紅い「死」へと、赤い暴虐は突進して。

 

そして⋯⋯当たり前みたいに、ノーゲート・クリムゾンは吹き飛ばされた。

 

翼は砕け。

骨も砕け。

突進した時の倍の速度で、教会の外へと吹き飛ばされる。

凄まじい速度で地面と衝突し、何度も転がり、ボロボロのドロドロでなんとか起き上がろうと顔を上げる。

 

 

そして彼は見上げることになった。

教会の十字架の上に立つ、燃えるような四枚羽の吸血鬼の姿を。

 

満月を背にして地を睥睨するその姿は。

最早自分程度が圧倒できた頃の面影など微塵も無く。

 

ただ恐ろしく。

ただ美しく。

そう、まるで、万物共通の「死」がそのまま形を成したような。

 

「芥の血から教えて貰った」

 

彼女は唄うように語る。

彼女は怒鳴るように啼く。

彼女は朗読するように言う。

その表情は、声色は、先程までとはまったく違う。

そこには怒りがあり。

悲しみがあり。

苦しみがあり。

憎しみがあり。

痛みがあり。

絶望があり。

空虚があり。

怨嗟があり。

そして、何よりも深い愛憎があり。

どこか神聖ささえ感じてしまう声だった。

 

 

「”死”は人にとっての神だ。

 

絶対で、絶望で、抗いようもなく、時に救いとなって、全ての生物に訪れる。

 

明日が来ないのが怖いか?

夢が絶たれるのが怖いか?

自分が消えてしまうのが、怖いか?

 

ならば⋯⋯崇めろ。

 

地に伏せて存在の存続を懇願しろ。

無様に自らの罪深さを懺悔しろ。

そうすれば、苦しまずに死ぬことを赦してやる。

 

 

私は、ガブリエラ・ヴァン・テラーナイト。

 

 

お前にとっての”死神”だ──」

 

 

月が、燃えている。

夜の太陽を従えて、紅い死神は顕現した。

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