寂しがり屋の吸血鬼は人間失格と一緒に居たい   作:龍川芥/タツガワアクタ

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2.造花

コウモリの鳴き声が聴こえる夕暮れ。

 

ここはT県の片隅に位置する戸張市(とばりし)

海に面した人口20万人ほどのこの市には、大きな街と海辺の工場⋯⋯そしてその中間ほどの場所に、半ばゴーストタウンと化した区画がある。

中途半端に森を拓いて作ったその灰色の区画は、様々な事情により開発途中で放棄され、今は僅かに残る物好きな住人と廃屋が連なるのみ、といった有様だ。

 

そんな戸張市のゴーストタウン──床善町(とこよちょう)に、ひとつの屋敷があった。

それは廃屋に囲まれた大きな屋敷。豪奢ではあるが不気味で古ぼけた、幽霊屋敷のようなその建物は、一見すると他の廃屋達と遜色ないように見える。

しかしよく見てみれば、壁や天井には穴がなく、窓や扉にも傷は無い⋯⋯古ぼけ色褪せては居るが人が暮らせる建物だと分かる。

それを証明するように、屋敷の明かりがぱっとついた。カーテンで覆われた窓からオレンジ色の光が漏れる。暗い街に灯る数少ない光、それが示すのは即ち。

 

夜の始まりだ。

 

そんな夜の闇に包まれ出す街の中で、とある吸血鬼と人間の1日が始まろうとしていた──。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

⋯⋯。

眩しさを感じ、ゆっくりと意識が持ち上がる。

どうやら眠っていたらしい。

 

ぼんやりとした頭のまましばらくぼーっとしていると、だんだんと意識が覚醒してくる。

柔らかい感触、暖かい空気⋯⋯この半年で慣れた、いつもの寝床の匂い。

ゆっくりと、瞼が持ち上がる。

 

っ、目を開けられないほど眩しい。

天井の電灯の光だ。

夜になると自動的に点灯する室内照明がついているということは⋯⋯。

 

「もう夜か⋯⋯」

 

つまり起きる時間⋯⋯1日が始まる時間だ。

 

しかし怠惰な俺は当然のように起き上がる気になれず、そのまま布団の温もりを味わい続ける。大きくて柔らかいベッドと、滑らかな毛布に包まれるこの幸福感はなかなか手放し難い。

 

ふと、俺の体に何かがくっついているのが分かった。

毛布ではない。

くっついてるそれは、重みがあって、ひんやりしていて、小さな鼓動を伝えてくる。

 

少し光に慣れた目を薄く開けて見れば、赤い瞳と目が合った。

 

そこに居たのは、宝石のような大きな目、銀色の乱れた髪の、綺麗な顔をした吸血鬼。

 

「──おはよ、アクタ」

 

へにゃりと柔らかく目尻を下げて、ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトはそう言った。

 

どうやら俺にくっついていたのは彼女だったようだ。彼女の体は俺のすぐ右側にあって、半分くらい俺の上に乗るみたいに密着している。

自分以外の体温が、柔らかい命の感触が、花のように甘い匂いが、その存在を雄弁に語っている。

とくん、とくんと小さく鳴る鼓動が、重なった体を通して俺の体内に響いている。

⋯⋯心臓に悪い状況だ。慣れてなきゃ不整脈とかになりそうなレベル。

 

まったく。おかげで目が覚めちまったな。

 

「⋯⋯おはよう、ガブリエラ」

 

ま、寝過ごすよりは良いだろうけど。

そう思いながら、俺は眠気を振り払い、腕の中の可愛らしい吸血鬼に返事をした。

 

 

 

目が覚めたら最初に何をするか。

人によって答えは違うだろうが、俺の場合はまず水を飲む。

寝起きは喉がカラカラだし、水を飲むとある程度目が覚める気がするからな。

 

俺は体に力を入れて上半身を起こす。その際ガブが右横へとずり落ちるが無視。何やら不満の声が聴こえたが、布団は柔らかいしベッドは広いから別にいいだろ。

俺はベッドの横の小さな机に置いてあった水差しを掴んで、その横のコップに水を入れた。

まるで貴族の優雅な朝だが⋯⋯まあ慣れてしまえば日常の一コマだ。

 

コップに口をつけ、ごくごくと水を飲む。体が潤う感覚が気持ちいい。

 

「ガブ、お前も飲むか?」

 

同じように体を起こしベッドの上に座っていたガブリエラは、小さくこくんと頷く。

俺はもうひとつのコップを手に取り、それにも水を入れるとガブに手渡した。

 

「ほら」

「⋯⋯ありがと」

 

彼女はコップを両手で掴むと、そのままぐいっと大きく傾けた。

小さな口では受け止めきれなかった水が、口から溢れて喉へと伝うのが見える。

 

「お前、もうちょっと落ち着いて飲めよな」

「⋯⋯ごめんなさい」

「いや、俺は別にいいけどね。高そうなベッドが濡れちゃうだろ」

 

仕方ないので彼女の濡れた口元を寝間着の袖で拭いてやり、そのままベッドを出る。

 

水を飲んだら次は歯磨きだ。

 

俺がのっそりと歩きだそうとしたとき、左の袖がまったく動かなくなった。

見ると、白く細い指がちょんと袖をつまんでいる。ただそれだけで俺の動きが止められてるんだから、まったく吸血鬼とは馬鹿げた生き物だな。

 

「まって。ついてく」

 

そう言った彼女がベッドを出るのを待って、俺はゆっくりと歩き出す。ガブが袖をつまんだままなので、彼女の小さな歩幅に合わせるとゆっくりとしか歩けないからだ。

 

 

そのままの状態でしばらく屋敷内を歩いて、寝間着で寝起きの俺たちは洗面所に到着。

 

まずは顔を洗う。洗面所のスペースは、2人同時に顔を洗えるほどの余裕がある。全く豪華な屋敷だぜ。

共に顔が濡れた俺たちは、同じでかいタオルで顔を拭く。ガブは拭くのが下手なので、俺が追加できちんと水気を拭き取ってやる。

それが終わったら歯磨きだ。

 

俺は緑色の歯ブラシを取り、ガブは赤色の歯ブラシを取る。

同じ歯磨き粉をつけて、同じように鏡を見ながら歯ブラシをシャカシャカと動かす。

 

「⋯⋯あぅ」

 

ガブの口には吸血鬼特有の長い歯があるからか、どうにも上手くいってないらしい。

もう半年くらい同じことやってるので、そろそろ慣れて欲しいのだが⋯⋯。

 

俺が歯を磨きおわり口をゆすいでいると、拗ねたガブが歯ブラシの持ち手を差し出してくる。

 

「アクタ、やって」

「はいはい」

 

ガブには適当に座ってもらい、俺は彼女の歯を磨く。他人の歯を磨くのはなかなか大変だ。気も使うし単純に難しいし、何より長い牙が磨きにくい。

まあもう慣れたけどな。吸血鬼の最大の特徴を、俺は手際よくゴシゴシと磨く。

 

「⋯⋯ゃ、ふぁ」

 

なんかふるふると震えてるが、まあ嫌なら言ってくるだろ。

 

「終わったぞ。うがいしな」

「⋯⋯ん、あぃがと」

 

そのままガブのうがいが終わるのを待って、部屋に戻る。

歯磨きが終わったら朝食(夕食)だ。

 

部屋にある小さな冷蔵庫、その中からサンドイッチとお茶を取り出す。

サンドイッチはレンジで軽く温め、ふたつを持ってソファに座る。

その間もずっと後を着いてきたガブリエラは当然のように俺の膝の上に、抱き合うようにして座った。コアラかお前は。

 

「アクタ、いい?」

「まあいいけど⋯⋯いつもの事ながら、お互い食いづらくないか? これ」

「ダメなら、やらない⋯⋯」

「全然ダメじゃないからシュンとすんな。お前がいいんだったらそれが全てだ」

 

そして⋯⋯そのまま、「一緒に」朝食を始める。

 

俺は具の溢れそうなサンドイッチに。

ガブリエラは俺の首筋に。

 

「「いただきます」」

 

同時に、食らいつく。

 

これもいつもの事だ。

一緒の食事と言うにはかなり奇妙な光景だろうが、まあ人間と吸血鬼ならこうなるのが普通なのかもな。

 

「んく、んく⋯⋯」

 

首元で御満悦のガブを気にしないようにサンドイッチを頬張る。香りの良いパン、厚切りのベーコン、シャキシャキとしたレタス、甘めのソース⋯⋯間違いなく美味い。まったく、朝から贅沢だぜ。

 

もぐもぐと頬張って完食し、お茶で腹の中に流し込む。

ついでに色んな薬⋯⋯鉄分のサプリとか、増血剤ってのを飲む。くれた奴が言うには、飲んどいた方が良いらしい。

朝食を終了させた俺は、未だひっついたままの吸血鬼の頭をぽんぽんと叩いた。

 

「こっちは終わったぞ。まだ飲むか?」

「⋯⋯ぷは。うんん、我慢する。ごちそうさま」

「ほい、ご馳走様」

 

ふぅー、と食後の一息がてらソファに沈む。

すると当たり前のようにガブリエラがもたれかかってくる。まるで自分の体重を自分で支える気が無いような挙動だ。

自然、至近距離で見つめ合う。

視線がぶつかり、そしてどちらも退かず絡み合った。

俺が見るのはガブリエラの紅い瞳。

目を逸らせなかったのは、魅入られる程深い紅さが、俺の目を捉えるように離さなかったから。

 

ほんとうに宝石のような瞳だ、と思う。

真紅の虹彩にはきらきらと光が浮かび、黒目はまるで吸い込まれるかのような夜の深淵の色。

ふたつの紅はその宝石に見蕩れて覗き込むものを飲み込む蛇の様な、そんな妖しさすら孕んでいる気がした。

美しいほど綺麗なのに、逃げ出したくなるほど不気味。

まさに吸血鬼って感じの目だな⋯⋯。そう思ってると、不意に顔が触られた。

 

ガブがぐにぐにと俺の顔を触ってきたのだ。

 

「⋯⋯なんだよ、ガブ」

 

少し冷たい体温と滑らかな指の感触が顔の皮膚の上を這い回る。

もしかしたらこのまま頭を面白オブジェにでもされんのか⋯⋯? という思考が頭に浮かび、頬に当たる肌と爪の感触に冷や汗が流れる。

しかし想像と違い、その手つきは実に穏やかだった。まるで壊れ物に触るような、おっかなびっくりといった手つき。

そのままおそるおそるひっぱったり、つまんだり⋯⋯興味しんしんの子供かお前は。

するとガブの手は、俺の目の周りで止まった。瞳を優しく広げるような手つきになる。

 

「アクタの目、きれいだね⋯⋯。遠くから見たら真っ黒なのに、近くで見るとそうじゃない。まるで黒い星を閉じ込めた琥珀みたいに、とてもきれいで落ちついた色」

 

ぐぬ。

なんだこいつは。確かに俺の目は分かりにくい茶色だが、こんなこと言われたことねえぞ。

はー、無邪気はかくも恐ろしきだ。

 

「⋯⋯お、お前の瞳も綺麗だぞ」

「ん、ありがと」

 

くっそ、人生で褒められたことが全然無いから、ちょっとした事で照れちまう自分が恥ずかしい⋯⋯。

ガブはそのままなんでもないように、今度は俺の髪を弄り出す。

ひっぱったり、跳ねさせたり、ねじったり⋯⋯ほんと、こうしてるとただの子供だな。

 

俺は手持ち無沙汰に、ついガブの髪を触る。

銀色の美しい髪だ。長く、しっとりとした直毛。まるでシルクかってほど手触りが良いので

ついつい手櫛で整えるように触ってしまう。

 

「⋯⋯なんだかくすぐったい」

「すまん、嫌だったか」

「ちがう。もっとやっていい」

 

ま、ガブもずっと俺の髪で遊んでるしおあいこってことだろう。

そのままお互いしばらく髪を触り合う⋯⋯冷静になったらなんか恥ずかしくなってきた。何してんだ俺たち。

 

「⋯⋯止めるか」

「ん、わかった」

 

お互い手を離し、なんとなく沈黙する。

その間もガブは離れなかったから、まあ不快になった訳じゃないだろうと思って一安心だ。

 

俺はなんとなく気まずい空気を断ち切りたくて、なんとか言葉を絞り出す。

 

「あー⋯⋯その、なんかやりたいこととか無いか? 別になんでもいいんだが⋯⋯」

「んー、アクタと一緒にだらだらのんびりする」

 

答えになってねえよ⋯⋯。ま、だらだらするなら俺の右に出るものはいないから問題無いな。

そのままぐでーとほっぺたを俺の体に押し付けてくるガブを受け止めてぼーっとする。

 

「あ!」

「うわ、どした急に」

 

すると不意にガブリエラが大声を出し、いそいそとテレビを付ける。

しばらくチャンネルを移動し、映ったのは月9の恋愛ドラマだった。

 

「忘れるところだった。先週すごくいいところで終わったから気になる」

 

俺はよく分からんが、旬の俳優と女優が主人公の、ロマンチックに愛を求めるタイプのラブロマンス系ドラマらしい。そういや俺たちは夜起きだから、なんだか朝ドラ見るみたいな感覚だな。

どうやらちゃんとシリーズ通して見てるらしいガブは、あきらかにワクワクした感じで俺の隣に座り直した。

 

「⋯⋯吸血鬼って人間の恋愛に興味あんの?」

「もちろん。このドラマはすごく興味深い。参考になる」

「なんの参考だよ⋯⋯」

「アクタ、今日はいっしょにみよう。きっとアクタも好きになれる」

 

と、キラキラした目のガブリエラに腕を取られる。どうやら一緒に見たいらしい。今までは興味なかったから1人でベッド行ってゲームしてたんだが⋯⋯ま、こいつが望むならそうしよう。

 

テレビの中では、ヒロインの女優をヒーローの俳優が後ろから抱きとめていた。確かあすなろ抱きって名前の格好だったかな? なんというか、凄いテンプレ的だな⋯⋯。

 

「ユリは病気で半年の命。リョウは病気のことを打ち明けられて、それでもユリのことが好きだから一緒に居たいって言った」

「お、おお⋯⋯」

 

いや設定もテンプレかよ。まあ確かに死ネタは安易に感動的だししょうがないか。

あまりにどこかで聞いたことがあるような内容にちょっと戸惑いつつ、隣でふんふん言ってるガブとドラマが進むのを見守る。

俳優⋯⋯確かリョウは、ユリの耳元で『好きだ、ユリ』と言った。驚くユリ、そして流れ出す壮大なBGM。

ちゃんと見てたら結構感動的な告白シーンなのかもしれんが、正直思い入れが無さすぎてなんも感動出来ん。どちらかと言えば「よくそんな恥ずかしいこと出来るな⋯⋯」という感想しか出てこない。

と、ぐいぐいと腕を引っ張られるのを感じて隣を見る。そこにはどことなくキラキラしてるガブリエラの顔が。

う、なんか嫌な予感が⋯⋯。

 

「アクタ、あれやって」

「⋯⋯マジかー」

 

ふん、とガブが元気に背中を向けてくる。リョウがユリにやったくだりをやれと言われているのは誰でも理解出来るが⋯⋯いや、まあやりますけどね。

矮小な人間風情は、吸血鬼サマに逆らえんからな。

でも超恥ずかしい。できるなら逃げ出したい。くそうやりたくねえなあ⋯⋯。

 

「あー、ガブ。やるぞ⋯⋯」

「うん。はやくっ」

 

ええい、もうどうにでもなれ!

 

がばっ、と焦りのあまり勢いよくガブリエラの体を抱きしめる。「きゃ」と小さな悲鳴が腕の中から聴こえて少し慌てるが、ドラマの中でもこんな勢いだったからと自己弁護して正気を保つ。

触れ合う肌が、自分より小柄な体、柔らかい感触、冷たい体温を伝えてくる。

えーと、こっからどうすんだっけ。そうだ、告白シーンだった。

 

「す、好きだ、ガブ(棒読み)」

「ぁぅ」

 

そして俺は勢いよくガブから離れる。

やり遂げた⋯⋯やったぞ俺は! ちくしょう顔あっつ!

 

「これでいいか⋯⋯てかもう絶対やらんぞ俺は」

 

何となく顔を逸らしながらぶっきらぼうに言い放つ。もうほんとに無理だ、次は死ぬ。

振り向いたガブリエラはどこか赤い顔色をしていた⋯⋯お前も恥ずかしかったんじゃねーか。やらせんなこんなこと⋯⋯。

 

お互い沈黙し、何となく再びテレビを見る。

ドラマが終わりに近付くにつれて俺たちの距離も元に戻り、気付けばまた右腕はガブリエラに掴まれていた。相変わらず手癖悪いなお前。なんでもいいけど、力入れすぎて俺の手折らないでくれよ⋯⋯。

 

リョウとユリはこの先どうなるのか、みたいな感じでドラマが終わり、CMが流れ出す。

ガブリエラはほうと息を吐き出し、ソファに背中を埋めながら聞いてきた。

 

「アクタ、ユリとリョウは幸せになれる?」

「いや知らんけど⋯⋯話の内容によるとしか。本人たちがどう感じるかなんじゃねえの」

 

病気とかの境遇は傍から見れば不幸だが、本人がどう思ってるかは他人には分からない。まあそもそもキャラクターだから設定みたいなのでどう思ってるかとかはあるかもしれないけどな。

するとガブリエラはどことなく嬉しそうな雰囲気になった。

 

「なるほど。それなら大丈夫。好きな人と一緒に居れたら幸せ、これはまちがいない」

 

無表情ながらどことなくドヤ顔なのはなんなんだ。変に器用だな。

しかし、なんかお涙頂戴展開に微妙に乗り切れてないなこいつ⋯⋯。なんだよそのよく分からん自信は。

そんなことを考えながら遠い目をしていると、ガブリエラがこちらを覗き込んでいることに気づいた。

 

「⋯⋯アクタはこのドラマ、興味なかった?」

 

うーん、そんな目をされるとなんか罪悪感があるが⋯⋯。

自分の感性は曲げらんねえし、正直に言っちまうか。

 

「興味ないことは無いけど⋯⋯俺は、ちょっとひねくれてるからな」

 

物語としては、この先どうなるのかとか僅かばかりの興味はある。引きも上手いしな。だが題材が⋯⋯恋愛というのが問題だ。

こう言うと実に陳腐な感じだが──つまり俺は、恋愛というやつを全く信じていないのだ。

 

「愛だの恋だの、人は綺麗なものだと言うけどな⋯⋯正直俺には全部茶番に見える。だって俺たちは所詮”生物”でしかない。愛も恋も、DNAに設計されてただけの感情なんだよ」

 

全生物共通の目的は「種の存続」。

しかし恋愛感情を持たない人間の場合、これが正常に行われないおそれがある。

なぜなら人には知性があるから。生存競争を有利にするために獲得したそれが、異性に手を出すことを阻ませた結果、種の破滅を招くなんて笑い話にもなりやしない。

 

だから人には衝動が備わった。愛や恋と名付けられた、理性を突破するための衝動が。

 

「馬鹿みたいな話さ。生物として欠陥にならないためのセーフティに、夢見て憧れてそれこそ恋焦がれて⋯⋯全くもって茶番だろ。このドラマの中でやってるのは、生物としては完璧に無駄な行為。ただの1+1を複雑な数式にしたみたいな、遠回りでしかない喜劇(ドラマ)だよ」

 

どんな生物でもやっている。出会って交尾して子を為して⋯⋯たったそれだけに、人間は何年もの時間をかける。そしてその過程を、本来は無駄なはずの時間を”恋愛”と呼び、なんやかんやと祭り上げては馬鹿騒ぎ⋯⋯万能の霊長が聞いて呆れるぜ。

無駄を愉しむ、あるいはそれこそが人の本質なのかもしれないが⋯⋯それでも愚かなことには変わりないだろう。

 

⋯⋯いや、我ながらひねくれた考えだとは思う。ほんとにな。

恋愛素敵! ハイ終わり! で笑えたら、人生もっと楽だっただろうし。

でもそうはなれなかった。理想と現実にはいつも越えられない溝があって、俺は理想を対岸から眺めるだけ。

 

あるいは、恋をしていれば。

あるいは、愛とは何かを知っていれば。

こんな答えにはたどり着かなったのかも知れないけれど。

 

俺が歪んだ笑顔でそんな答えを吐き終わるまで、いや吐き終わった後も、ガブリエラはじいっとこっちを見ていた。

彼女は⋯⋯何故か、少し寂しそうな表情で。

 

「⋯⋯でも、アクタ。私は綺麗だと思うの。愛も恋も、まるで宝石みたいに綺麗。だってこんなに夢みたいなきもち、他にないから。

”あなたが好き”って思うこと。

”あなたに好かれたい”って思うこと。

”あなたと愛し合いたい”って思えること。

そう思うだけで、私の存在は無駄じゃなかったって感じられるから。

本当は必要無いんだとしても、それは私にとってとっても大事なきもち」

 

俺より幼い見た目の、俺より遥かに年上の吸血鬼は──まるで優しく微笑むように、ただ俺に向かってそう言った。

 

はは、そんな綺麗な答えを出されたら。

俺の言葉なんて、ただの負け惜しみじゃねえかよ。

 

俺は、ただ俯いた。

それは自分の間違いを認めたからなのか、それとも認められなかったからか⋯⋯。

ふと、ガブリエラが俺の頬に触れる。

それはまるで壊れ物を扱うような力加減で。

俯いた俺の顔を覗き込むように、ガブリエラは俺の膝に収まった。

 

「だからアクタ、そんな顔しないで⋯⋯」

 

そんな顔ってなんだよ。

俺は今いったいどんな顔をしているというのだろう。

安いドラマを見たあとならば、小馬鹿にしたような汚い笑顔だろうか。

 

⋯⋯いや、本当は分かっているのだ。

苦々しげに歪む自分の顔を。

笑顔とはかけ離れた醜い表情を。

知っている。他でもない自分のことだから。

これは”裏切られたとき”の表情だ。

 

どうやら俺はこの半年で、ガブリエラに随分と絆されたらしい。

それはとてつもなく自分勝手で、半端無く迷惑なだけの価値観の押し付けとも言うもので。

 

俺はただ──自分だけが苦しいのが許せなかったんだろう。

だから自分と同じ場所で蹲るガブリエラも、この世界が地獄に見えているとどこかで勝手に思っていた。当たり前みたいに妄想していた。

でも現実は当然のように違った。

さっき語るガブリエラの顔は、半年の付き合いがあればはっきりと分かるほどに輝いていたから。

現実が地獄に見えていたのは俺だけだったんだろう、と悟るには十分すぎるほどには。

 

彼女が俺の隣に腰を下ろしたのは、必要だからではなく優しいから。

俺たちの出逢いは、俺にとっては救済だが、彼女にとってはそうでは無いんだろう、と。

そう思ったから、辛かった。

吸血鬼と人間、捕食者と被捕食者、美しいものと醜いもの⋯⋯はなから対等なんかでは無いと知っていたはずなのに──それなのに、ガブリエラと対等でないことが、どうしようもなく不快だ。

 

そして⋯⋯そんなことを思っている自分が、この世の何よりも不快だ。

 

俺は裏切られたのだ。

ガブリエラに、では無い。

「世界の全てに期待しない」と決めていたはずの自分自身に。

 

⋯⋯ま、それでもいつも通りだな。

自分が醜悪なのは知っている。

その上で、俺はいつだって自分の醜さを許せない。

表情に出るほど苦々しく呪ってしまう。

これは俺が俺である以上逃れることができない業みたいなもんだ。

 

「⋯⋯悪かったよ、変な顔して」

 

笑顔をつくってガブリエラの手を払い、彼女から目を逸らす。きっと吸血鬼には、つくった笑顔と本物の違いなんて分からないだろう。

幸いにもテレビはまだついていたから、視線を逸らした言い訳はいくらでも出来る。

ガブリエラがどんな顔してるかは見えない。でもこれだけは言える。

 

そんな⋯⋯俺を許すみたいな顔をするな。

本気で憐れむような目はやめろ。頼むから。

 

俺は救われてるんだ。ゴミを美味しく食べてくれるお前がいる時点で、これ以上ないほどにな。

だから”これ以上”を俺に期待させるな。

こんな醜い命が、誰かに許されていいハズなど無いから。

 

食われるのも、俺が勝手に救われるのもいい。でも俺が許されるのは侮辱だ。

他でも無い、愛も恋も綺麗と言えるような、美しい(おまえたち)への侮辱でしかないんだ。

そして⋯⋯俺が裏切り、棄てたもの達への侮辱でもあるから。

 

「⋯⋯ほら、一緒にテレビ観ようぜ。今度は俺のオススメのバラエティにしよう。昔見てたんだけど、これが滅茶苦茶面白くて⋯⋯」

 

俺は、なんとか明るい声を出すことに成功した。

はあ。柄にもなく沈んじまったな。

俺はいつでも享楽的に刹那的に居たいと思ってる。それがこのクソッタレな現実を楽しむ唯一の手段だから。

だから沈んだ気分を無理やりにでも切り替えようとチャンネルを変えた。

 

テレビの中では、少々刺激が強めの笑いが畳み掛けるように展開されている。

ほら笑えよ俺。

これ以上しみったれた顔すんな。

笑え、笑え⋯⋯。

 

と、俺の服の袖がぎゅっとつままれた。

ガブリエラの細い指で、その力に見合わず弱々しい仕草で。

慌てて横を見れば⋯⋯そこには、くだらない笑いなんて簡単に吹き飛ばすほど悲しげな、美しい吸血鬼の姿があった。

 

「⋯⋯アクタ、私ね。えっと、あのね」

 

彼女は何度か躊躇したように言葉を切り、俯き、しかし顔を上げ。

悲しげに、けれどどこか力強さを感じさせる口調で、言う。

 

「──上手く言えないけど。アクタのこと、いつかちゃんと笑顔にしてみせるから」

 

⋯⋯はは。

なんだそりゃ。

そんな事のために、悲しそうな顔になってんじゃねーよ。

 

「⋯⋯気持ちだけ、受け取っとくよ」

 

そう絞り出した自分の声は微かに震えていた。

 

「⋯⋯迷惑、だった?」

 

裾を掴む手が握り締められる。怒られるのを怖がる子供みたいな仕草。

そうだ、俺は何となく分かってた。

この美しい吸血鬼は、きっと生き辛いほどに優しいということに。

 

「いいや。10年前に親に強請ったものを急にプレゼントされた気分だよ」

 

怯えたような瞳が揺れ、今度は不思議そうに瞬く。

俺は今度こそ笑った。真っ直ぐに、笑えた。

種族の違う存在に。

人を喰う化け物相手に。

優しくて愛らしい、小さな吸血鬼の為に。

 

いつかこいつのために死ねたらいいな、と。そう改めて感じながら。

 

「⋯⋯つまり、嬉しいってことさ」

 

まるで花のような微笑みが、俺の隣で小さく咲いた。


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