寂しがり屋の吸血鬼は人間失格と一緒に居たい   作:龍川芥/タツガワアクタ

5 / 13
5.額縁

「――吸血鬼って、なんだと思う?」

 

部屋に、男の声が響いた。

 

そこは不気味な部屋だった。

明滅する古びた電灯が、その中で佇む2つの人影を薄汚れた壁に写し出している。

 

弱い明かりが照らす室内は猥雑とした内装を隠す気もなく広げている。床は何らかの資料や器具が広がり足の踏み場も無く、複数個ある長机の上も空いたスペースが見当たらない程に様々なものが散らかっている。

天井や壁は配管を隠すことも無く、まるで血痕のような汚れも幾つか見受けられる始末。

 

この「研究室」が学校にある理科室と同じ間取りをしていることは、恐らく初見の人間には分からないだろう。そのくらい室内は混沌で満ちていた。

 

泡を浮かべる液体で満ちたフラスコ。

蒸気の様なものを排出する謎の装置。

天井から吊り下げられた人骨の様なもの。

床に散らばる様々な言語で書かれた論文達。

血色を隠そうともしない写真の群れ。

ケージに入れられた小さなモルモット数匹。

点滴台にセットされた輸血パック。

錆びたノコギリ。

乾いた血がこびり付いた鉈のような刃物。

ガスマスク。

水槽の中に浮かぶ数匹の死んだ魚。

部屋の隅で蠢く”なにか”。

ホルマリン漬けにされた赤い眼球。

同じくホルマリン漬けの脳。

謎の生物達。

見るもおぞましく知るも恐ろしい、謎の「実験器具」の数々。

 

そして……様々な機械が装着された殊更目立つガラスケース、その中で弱々しく蠢く赤黒い塊を覗き込む、ひとりの男。

 

彼は痩躯の長身だった。

彼は何故か全身を包帯でぐるぐる巻きにしており、容姿はほとんど判別つかない。

彼は白衣を纏い、学者の様な服装をしていた。

 

包帯の男はガラスケースの中の赤いものを凝視しながら、手元の紙にガリガリと何かを書き込んでいる。

「研究対象」を見つめる大きく見開かれた目には、最早不気味な程純粋な熱意と好奇心があった。

 

そんなマッドサイエンティストを絵に書いた様な男は、愉しそうに質問を繰り返す。

 

「ほら、吸血鬼とは何だと思う? 答えて答えて。なあに、これくらいいいだろう? 僕の好奇心を少ぉし満たすだけ、無理難題でもなんでもない。それで僕と君の良好な関係が保たれるんだから願ったりだろう、ね? ほうら、分かったら早く答えてくれよ」

 

男は愉快そうに、まくし立てるように言う。

その間も問うた相手には顔を向けず、実験器具を弄り何かを書き込むことを繰り返している。

 

そんな男に質問された相手――部屋の入口、入って来た場所で立ち止まっていた、この部屋にいたもう1人の人物は、ため息ひとつの後にゆっくりと答えた。

 

「⋯⋯吸血鬼は、人間の敵です」

 

その声は男のものと違い、高く、凛とした、涼し気な音色で……一欠片の愉悦も含まれていない、鋭い声だった。

 

そこに居たのは、喪服のような黒いセーラー服に身を包んだ、黒髪黒目の少女。

鋭い雰囲気のある少女だ。

まるで日本刀のような……触れるものを傷つける鋭利さが何者も寄せ付けない美を持つような、そんなことを思わせる少女。

 

そんな少女に、男は作業の手を止めずに言う。

 

「いやいや、そんな抽象的なことを聞いてるんじゃなくて、生物学的な話だよ。僕が聞くってのがどういう意味か分からないほど馬鹿じゃ無いだろう? ほら、ネクストアンサープリーズ?」

「……ですから、奴らは人間の敵です。あなたこそ、私に聞くのがどういう意味か分からないほど間抜けだったんですか?」

 

ギラ、と鋭い視線が男に送られる。

しかし男は意にも介さない。会話によって全く態度が変わらない。それもそのはず、彼は少女の方など見もせず、ひたすらに「研究」に明け暮れているのだから。恐らくこの問答さえ、片手間の暇つぶし程度の意味しかないのだろう。

しかし声音にはそんなことをおくびにも出さず、軽薄な声で包帯男は語る。

 

「はぁあ、つまんないねえ。まったく、”メタルスライムってなんですか”って聞いて”モンスターです”って答えられた気分だよ。つまるところ裏切られた気分。もうちょっとこう、”スライムの一種だと思います”とかさあ、そういう生物学的なの無いの?」

「ありません」

 

バッサリと。

その鋭い言葉に、男は今度こそ少し肩を落とした。

 

「うわぁー、仮にも命の取り合いしてる相手にその言い草、ドライだねぇ。カワイソ。そんな興味無いですみたいな態度じゃあ、君に殺された吸血鬼達も悔しくて死ぬに死にきれないでしょ、ねぇ?」

 

そう嘯き、ガラスケースの前に戻る。

中に閉じ込められた赤黒い何かは、ギーギーと鳴くように蠢いていた。

それを煽るようにコンコンとケースを弾きながら、包帯の男はわざとらしく呟く。

 

「残念だねえ。キミ振られちゃったよ。あの子、キミに殺意はあったけど興味は無いってさ」

 

ギーギーと、赤黒いそれは苦しげに蠢く。

ガラスケースの中の、血色の大きなアメーバのようなそれが”吸血鬼の成れの果て”であることを、男も少女も知っていた。

そして、それをこの場に持ってきたのが黒い少女であることも。

嫌な空気を切り替えようとするかのように、少女はゆっくりと口を開く。

 

「……そろそろ本題に入っても?」

「ノンノン。僕らは協力関係でしょ? そんな邪険にしないでさぁ、もうちょっと楽しい楽しいお喋りに付き合っておくれよ」

 

嗤いながら、愉しそうに、男は喋りを続ける。

笑顔の欠片も見せない少女のことを嘲笑うように。

 

「僕も最近分かったんだよねぇ、吸血鬼達の正体。これも君の持ってきてくれた”サンプル”のおかげなんだし、君にも教えてあげようと思ってさ。いやあ、もし僕が何処かの国に属してたら、絶対馬鹿な実験に付き合わされただろうなあ。やっぱりしがらみなんて持つもんじゃない、僕の知識欲の邪魔でしかないよアレは」

 

独り言のような長台詞を愉快そうに語りながら、彼は注射器を手に取った。

赤い液体の入ったビンの蓋にそれを刺し、液体を吸い上げていく。

ピュッ、と注射器の先から漏れた液体が机を濡らすのを、少女は無表情で眺めていた。

 

「ああ話題が逸れたね。そう、吸血鬼の正体についてだ」

 

男はそんな少女に向けてでは無く虚空に向かって話す。

そして彼はケージの中からモルモットを1匹、乱暴に鷲掴んで取り出した。

 

手の中でキーキーと鳴き暴れる小動物を強く握った男は。

 

ブスリ、と。

なんの躊躇いもなく、注射器の針をモルモットの首へと突き刺した。

 

「吸血鬼の正体はねぇ、細胞の集合体なんだよ。彼らは人間に取り付いて、その中で細胞分裂することで種の保存を実行してるのさ。吸血鬼の細胞は空気中では存在出来ないから、生き残る為には居心地のいい宿主が必要なんだね。

要するに、吸血鬼ってのはちょっと変わった寄生生物なんだ」

 

モルモットに、ドクドクと赤い液体が注入されていく。

小さな悲鳴を発しながら鳴く被検体を、男は興味深そうに、少女は目を細めて見ていた。

 

そして、包帯男の手の中で暴れるモルモットは……キーと大きく鳴いた後、目から血を流して動かなくなった。

くたりと力の抜けた肉の塊が、そこから溢れる血が、男の手に巻きついていた包帯を赤く染めていく。

 

死んだモルモットの恐怖に見開かれた瞳は――凡そ生物のものと思えない、毒々しい赤色に染まっていた。

 

注射器で注入していた赤い液体の入ったビン、そこにはこう記されていた……「Vampire(吸血鬼の) cells(細胞)」と。

 

「ま、こんな小動物じゃ宿主足りえないみたいだけどね」と死体をプラプラと振りながら嗤う男に、少女は険しい表情で問う。

 

「⋯⋯つまり、吸血鬼はその”変わった寄生生物”の被害者だと?」

 

その声は敵意に満ちていた。

それは命を弄んだ蛮行への怒気か、それとも。

そんな刺々しい声音を軽く受け流し、男は飄々と続ける。

 

「ま、別にどう思うかは勝手だよ。僕は生物学者で、正義の味方じゃないからね。

……でも面白いとは思わないかい? 彼ら、つまり吸血鬼達は明らかに”自分は人間では無い”と認識している、つまり記憶や認識に影響が出るほど脳を細胞に支配されている」

 

いや、飄々と、では決して無い。

その語り口は明らかに熱を帯びていた。

粘性を感じるほどの執着。熱さを感じさせるほどの欲望。

それが男の――研究者の声にはあった。

唾が飛ぶほどの熱量で、男は独りでに語り続ける。

 

「カマキリを操るハリガネムシなんて比較にもならない! 人格や記憶は残しつつ、人の脳を容易にコントロールし、けれど完全に支配する訳でも無いなんて! 自我を残し人であることを残し、けれど吸血鬼として生まれ変わらせる、その目的は!そもそも吸血衝動のメカニズムは、人の血液からエネルギーを取り出す手段は、人の細胞と同化して再生能力を有する仕組みは一体! 謎だ謎だ、全てが謎に満ちている!

嗚呼、知識欲が抑えられないよ! まったく吸血鬼というのは、度し難いほど興味深い! 研究すればするほど、知れば知るほど知りたいことが増えていく! 最高だ! 最高に過ぎるよ! 君もそう思わないかい? いやそう思うだろう!?」

 

モルモットの死骸を遂には握り潰しながら語る男に、黒髪の少女はため息をついて吐き捨てるように返答した。

 

「⋯⋯知りませんよ、そんなこと。吸血鬼は、人を襲う”正しくないモノ”。正体がなんであれそこに変わりはありません。

吸血鬼は、人間の敵です。だから私は彼等を斬らなければならない」

 

そう言ってヒートアップする男の言葉をバッサリと切り、少女はその鋭い眼を薄暗い部屋の一点に向ける。

 

そこには鞘に収まった刀があった。

艶やかな黒い鞘に、最低限の装飾が成された柄の、誰が見ても日本刀と分かる代物。

纏う気配が他の実験器具達とはまるで違う。その雰囲気は、何処か黒い少女の持つそれと似ていた。

 

論文を踏みつけながら少女は部屋を歩き、乱雑な研究室にやけに似合わないそれを手に取る。

 

「私は約束通り新しい刀を貰いに来ただけです。直ぐに出ます」

 

それを聞き、クールダウンした包帯男は血濡れの手を拭きながらお喋りを再開する。

そこには先程の狂気すら感じる熱は無く、ただどうでもいいような軽薄さだけがあった。

 

「――ああ、それね。合金の銀含有率を10%上げたスグレモノだよ。試しに吸血鬼の細胞を斬ってみたら、これが豆腐を切るみたいで。モチロン強度も問題ナシ。”どうのけん”から”てつのけん”って感じかな? ともかく、吸血鬼に対する有用性は保証するよ」

 

少女が刀を鞘から少しだけ出すと、その刃が薄明かりの中でギラリと光った。

 

「……良くこんなもの作れますね」

「いやあ。僕は知り合いに頑丈な銀合金の理論を提供してるだけだけどね。寝る前の良い暇つぶしになるんだよこれが」

「……はぁ。あなたが変人でさえ無ければ、我々吸血鬼狩りの技術は更に進歩していたでしょうに」

「そりゃ残念だったねえ。ま、僕はしがらみなんて御免だよ。君達には”僕が知りたいと思ったことを知るため”に協力してもらってるに過ぎないからねぇ」

 

くつくつと笑いながら、包帯男は刀を再び鞘に収めた少女を見ながら続ける。

 

「分かってると思うけど、もし研究材料になりそうなものが手に入ったら持ってきてね。肉でも血でも歯でもいいから。吸血鬼って死ぬとすぐに灰になっちゃうから、こんなこと吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)にしか頼めなくて」

「手に入れば、そうします。それに応じて武器を提供してくれるのは、こっちとしても助かりますから」

 

少女は刀を黒い布製のケースに仕舞い、肩に背負った。

そのまま部屋を出ようとする少女に、後ろからニヤついた声がかかる。

 

「復讐パワー、期待してるよ八雲(やくも)ちゃん」

 

少女は、今度こそ苦々しげに表情を歪めた。

鋭い目で非難するように振り返り、吐き捨てる。

 

「⋯⋯変人はデリカシーも無いんですね。さようなら、奥戸(おくと)さん」

「そこは博士(ドクター)って呼んで欲しいなあ⋯⋯あら、行っちゃった」

 

バタリ、と扉が閉じる。

奥戸と呼ばれた包帯男はコツコツという足音が遠のくのを聴きながら、改めて研究机に向き直った。

死んだモルモットをゴミ箱に放り投げる彼は、何が楽しいのか口元からニヤニヤとした笑みを絶やすことはなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

「アクタ、あーん」

 

やあみんな。俺の名前は龍川芥。人間失格気味、吸血鬼に養われてるプロのヒモ(18歳)。

今日は何故か、夜食のパスタを同居中の吸血鬼ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトちゃんにあーんして食わされそうになってる。

……うん、意味が分からない。どうしてこうなったかも分からない。俺は普通に飯を食おうとしていただけだったんだが……。

じりじりと近づいてくるフォークをいつまでも無視出来ず、俺は意を決してガブリエラに聞いてみることにした。

 

「⋯⋯ガブ、これは一体どういうことだ?」

「? あーんしてる。アクタ、口開けて」

「いや、そういうことを聞いてるんじゃなくてだな⋯⋯」

 

俺の隣に座っているガブリエラはフォークをグーで握りしめ、そこに一口で収まるか不安なほどパスタを巻き付けて俺の口に押し付けようとしている。

ステンレス製のフォークの持ち手がねじ曲がって見えるのは多分見間違いじゃないだろう。ガブ、食器はそんな力いっぱい持つものじゃねーんだよ。

 

⋯⋯そう。この「あーんをされている」という状況、遠目から見れば甘い光景かもしれんが、当事者として言わせてもらうと……ハッキリ言って怖い。

フォークは顔が口のどっかに刺さりそうだしパスタは多すぎてどこかしら汚れそうだし、なによりこの”慣れてない感”がどんな悲劇を生むか予想出来ないのが怖い。

そんな訳でまず動機から解明し、なんとかこの状況を脱出したかったのだが⋯⋯。

 

「これをすると喜ぶって知った。あーんしてもらったらドキドキするって。アクタどう? ドキドキする?」

「おう、(怖くて)超ドキドキだ」

 

このなんというか、善意100パーセントみたいなガブリエラの態度を見てると簡単に断れねえな⋯⋯。

 

「ほら、口開けてアクタ。あーん」

 

じりじりと近づいてくるフォーク。

 

……はあ、仕方ない。

覚悟を決める。どうせこいつが本気なら断れないのだ。ならせめて、善意には善意で返そうじゃないか。

 

「あ、あーん⋯⋯んぐっ」

 

意を決して、フォークに絡まったパスタに食らいつく。

以外にも悲劇は起こらず、俺は五体満足のままパスタを頬張ることができた。

……味とかまるで分からん。

そんな感じで口いっぱいのパスタをなんとか咀嚼して飲み込むと、隣の吸血鬼はどことなく上機嫌そうな雰囲気を出していた。

 

「どう、おいしい?」

「あ、ああ。おいしいよ」

 

別にお前が作ったわけじゃないだろ⋯⋯と思っていると、ガブリエラはまたフォークを不器用に動かし出した。

おいお前まさかとは思うが⋯⋯。

 

「それじゃ今日は全部あーんしてあげる。アクタがおいしいと私もうれしい」

「⋯⋯ヨロシクオネガイシマス」

 

吸血鬼サマが相手だ、ただの人間に拒否権は無い。

俺は甘んじて、口内を数回刺し口元と服をベトベトに汚す不器用な”あーん”を受け入れた。

 

ま、お前が笑ってくれたんなら、恐怖に耐えたかいはあったかな。

 

 

 

 

――ピンポーン。

 

その音が邸内に響いたのは、ちょうど汚れた服の後始末が終わったときだった。

滅多に聞かない、意識を啄く玄関チャイムの音。

この屋敷を訪れる客は少ない⋯⋯というか素直に歓迎できる相手は1人、いや1体しか居ない。

 

そう、俺たちは隠れ住む身だ。大っぴらに日の下を歩けない。

なんせ吸血鬼と、それに魅入られた人間だ。いつどちらが何を引き寄せてくるか分かったもんじゃない。

警察や吸血鬼狩りに嗅ぎ付けられるかもしれない。吸血鬼が縄張り争い的な感じで襲ってくるかもしれない。

もしそうなったら逃げるか、それとも全て失うか……。

つまり、俺たちの日常は、案外不安定な土台の上に乗っているのだ。

それを、再び強く思い起こす。

 

そもそもこんな夜中に――俺たちが起きてる時間に訪ねてくるのは、吸血鬼か厄介な人間かの二択だ。

自然、ガブリエラと顔を見合わせる。

 

とりあえずふたりで玄関まで行き、ガブに判断を委ねた。

 

「⋯⋯音も匂いも知ってる。出ても大丈夫」

 

とのことなので素直にドアを開ける。

はたして、そこにいたのは顔見知りの吸血鬼だった。

 

晩上好(ワンシャンハオ)、芥サマ。いつもの配達に参りました~」

「どーもっす、フーロンさん。いつもありがとうございます」

 

ぺこり、とお互いに軽くお辞儀する。

キョンシーとかが着てそうな中国系の伝統的な服を着た、中国の(ワン)家というところの吸血鬼、晚福龍(ワンフーロン)。それが来客の名前だった。

 

「フーロン、なにしにきた」

「わっひゃあ! 居たんですかガブリエラサマ⋯⋯。い、いやぁ本日はお日柄も良く⋯⋯あの、もしかしてご機嫌斜めでらっしゃいますか? お願いですからワタクシに八つ当たりはおやめ下さいね、多分楽しくも美味しくもありませんので⋯⋯」

 

晚家は吸血鬼としては珍しく、取引や商売を行う家らしい。そしてフーロンさんは言うなれば日本支部店長という、かなり凄い吸血鬼だそうだが⋯⋯ガブ相手に毎回このビビり様じゃ、とてもそうは思えねーな。

 

「別にガブはなんもしませんよ。それより、今日はいつもより早いっすよね。なんかあったんすか?」

「ん、なんもしない」

「⋯⋯それがですね、実はガブリエラサマにお願いが御座いまして⋯⋯その、ご気分を悪くされなければ嬉しいのですが⋯⋯」

「⋯⋯なに」

 

フーロンさんはおっかなびっくりといった感じで喋っている。

大人な雰囲気にしては小柄な体型と、声からも容姿からも性別が分からないミステリアスな雰囲気の吸血鬼(ひと)なんだが……こうも見た目女の子のガブにびくびくしてるのは、マジで違和感しか無い光景だ。

 

そもそもこの屋敷だって俺の飯だってこの人達のおかげなんだから、もうちょっと強く出てもいいと思うが。

 

ちなみに晚家とガブの取引内容は「ガブリエラが敵対せずたまに依頼を受けてもらうかわりに、食料品やその他の物資を提供する」というものだ。

 

⋯⋯はいそうです、俺はただのヒモでございます。

しかしそんな緩い条件で吸血鬼に不利そうな経済的援助を受けれるなんて、ガブリエラってもしかしてすげぇ吸血鬼なのかもな。

 

蚊帳の外の俺がそんなことを考えていると、吸血鬼同士の話はかなり不穏な空気を感じるものになっていた。

 

「⋯⋯最近、世朱町付近で吸血鬼(どうほう)が襲われることが増えています。うちの吸血鬼もふたりやられました。しかも、その内のひとりは戦闘員です。生半可な腕じゃない」

吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)? 吸血鬼?」

「恐らく吸血鬼狩りだと思われます。戦闘員がやられた現場に、折れた刀が落ちていました。銀が使われてるやつです。そんな武器を使うのは吸血鬼狩りしか居ない」

「⋯⋯私になにをしてほしい?」

「今日、そこそこ大きな”仕事”があります。その見張りをお願いしたいのです。ガブリエラサマなら吸血鬼狩りにも遅れを取ることはないでしょうし」

「ん、わかった」

 

吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)⋯⋯銀の武器で吸血鬼を狩る人間。

 

銀は吸血鬼の弱点のひとつで、細胞をグズグズに焼くらしい。思わずイメージしてしまう。ガブリエラが銀の刃に貫かれる光景を。

……きっと大丈夫、なんて言える性格じゃないんだよな俺は。どこまでも後ろ向きに、吸血鬼狩りという脅威と対峙するのを想像してしまう。

そしてそんな危険にガブが飛び込むことに、俺はひどい抵抗を感じた。

 

「アクタ、用事ができた。すぐ帰るから待ってて」

「あのー、すぐ帰られるとワタクシちょっと困るというか⋯⋯いえなんでもないです! できるだけ早く終わらせますから睨まないで!」

 

普段通りのガブリエラに少し安心しつつも、まだ拭えない不安を胸の内に押し込む。

……ガブなら多分大丈夫だろ。聞く感じめっちゃ強いらしいしな。

いや、例えそうじゃなくなって……俺に出来ることなんてなんにもないのだ。俺は結局、吸血鬼に飼われてる非常食代わりの人間でしか無い。

 

だからこの場で俺が言えることはただひとつだけだ。

 

「……行ってらっしゃい、ガブ」

「いってきます、アクタ」

 

そうして、吸血鬼ふたりは闇に消え、後には食料品の入った袋と俺だけが残った。

俺はなんとも言えない無力感を噛み締めつつ、袋を持って屋敷の中に戻り、分厚いドアを閉めた。

 

 

 

 

「⋯⋯つめたい」

 

ガブリエラはビルの上に居た。

空では月を雲が覆い隠している。

冷たい風が吹き抜けるが、吸血鬼はその程度では凍えない。

だから、冷たいのは心だ。

芥にもらった心が、彼の温もりを忘れてしまうと泣いている。

 

目下では吸血鬼達が”仕事”に勤しんでいる。

いつ終わるんだろうな、とぼんやり眺めていると、ふと近づいてくる気配に気がついた。

 

まるで吸血鬼のように、ビルの屋上から屋上を飛び移って移動するひとつの気配。

しかし匂う⋯⋯鼻につく、不快な銀の匂いが。

 

ガブリエラが振り向いたとき、そこに彼女は立っていた。

 

喪服のように黒いセーラー服。

鞘に収まってなお銀の異臭を放つ刀。

こちらを射抜くような、敵意丸出しの鋭い眼。

 

刀使いの、吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)

 

「【刀使い】⋯⋯」

「銀髪に少女型の吸血鬼⋯⋯まさか、お前【四枚羽】か」

 

視線がぶつかる。

敵意が、殺気が、両者の中心で爆ぜる。

ガブリエラはちらりと下を見た。

その隙が見逃されたのは、両者の戦力差ゆえか。

眼下では、吸血鬼達が”仕事”を続けていた。彼らが仕事を終わらせるにはもう少し時間がかかるだろう。

 

「待って」

 

ガブリエラの提案に、刀を抜こうとしていた少女の手が止まった。

訝しげな表情で続きを促す。

 

「私はべつにあなたに興味無い。逃げるなら見逃す」

 

それは言外に語っていた。

”戦いになればこちらが勝つ”と。

今度は少女が問う番だった。

 

「質問だ。今まで人を殺したことはあるか」

 

鋭い眼が、嘘は許さないと射抜く。

そんな眼を意に介さず、吸血鬼は答えた。

 

「もちろん。むしろ殺したことが無い吸血鬼って、いるの?」

 

銀の匂いが強くなる。

少女が刀を抜いたのだ。抜き身の刃が三日月のように夜を照らす。

もはや吸血鬼狩りの側に、逃走も敗北も選択肢には無かった。

 

「……よく分かった。吸血鬼、お前はここで斬る」

 

白刃を突き付け、吸血鬼狩りは宣言する。

その殺意に、ガブリエラの瞳が細められた。

そこに込められているのは殺気に反応した獣の敵意⋯⋯では無い。

心ある者の、大切なものを否定された時の憤怒。

 

「⋯⋯私は”いってきます”って言った。それは”帰ってくる”ってこと。”おかえり”を貰いに帰るって約束」

 

相手にとって意味不明なことを言うのは、まるで幼い子供のよう。

しかしその顔は、姿は、最早少女のカタチを取っているのが意味をなさない程に”化け物”で。

 

みしり、と。

何かが軋む音がした。

それはガブリエラの体内から響く音だった。

もし彼女の背中を見るものが居れば、何かがその皮膚の下で蠢くのが分かっただろう。

背中、肩甲骨のあるあたり。

その身体の下で、蠢く何かがガブリエラの白い肌を突き破って外に出ようと暴れている。

 

「私を斬るってことは、私を殺すっていうことは……私がアクタに嘘をついた事になる。アクタを裏切った事になる。

そしたら嫌われちゃうかもしれない。

見捨てられるかもしれない。

おまえのせいで、私がアクタと一緒に居れなくなるなんて。

そんなの……絶対に、許せない」

 

支離滅裂な言葉を、紅い瞳の彼女は羅列する。

その表情は見えない――俯いた事でできた陰と、銀の髪が顔を隠しているから。

ただ、その紅い瞳が。

爛々と見開かれた眼が、”敵”を睨みつけていた。

 

ぶちり、と。

遂に皮膚は裂け、その下から紅い肉の塊が飛び出した。

巨大な、おぞましく赤黒い血の色をしたそれは……相対する人間から見れば、まるで大きな翼の様な。

 

「アクタとの約束を邪魔するなら――殺す」

 

月下、吸血鬼(かいぶつ)が顕現した。

 

 

 

吸血鬼は通称「翼」と呼ばれる戦闘器官を持つ。

 

それは彼らの背中から肉を突き破って出てくる、第3第4の腕のようなもの。

血のように赤黒く平べったいそれを、吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)は翼と仮称する。

 

そして翼の大きさと数は、吸血鬼の強さを示す。

翼が1本の吸血鬼は、成り立てで大した強さは無い。

翼が2本の吸血鬼は、吸血鬼として成熟していて手強い。

更に2本の中でも特別翼が大きい者たちは、100年は生きた強力な者たちだ。

 

黒いセーラー服の少女、八雲(やくも)(るい)もそれは知っていた。

彼女が刀を犠牲にしてまで辛勝したのは、普通サイズの翼が2本の吸血鬼。

それゆえ、その特徴が警告とともに流布されている【四枚羽】という吸血鬼がとてつもない強さだということは簡単に予測できた。

 

そう警戒する吸血鬼狩り、八雲泪が構える前で。

銀髪の少女――否、その形をした吸血鬼の背から、血色の翼が飛び出した。

それはまるで、皮膚の下にある赤い肉をそのまま空気の元に晒したかのようなおぞましさで。

けれど矢張り、その巨大な肉の塊は、天に手を伸ばすかの様で――何処までも”翼”だった。

 

ばさり、と翼が広がる。

少女の後ろで、夜を冒涜するように。

【四枚羽】と呼ばれた少女のその背には、しかし……。

 

「(これは、片翼――?)」

 

それはまるで、蝶の羽のような。

上下一対の翼が、少女の右側だけに生えている。

左の翼は、上も下も存在しない。

それは何処か歪で、それでも何処か美しい光景だった。

紅い紅い片翼を携えた、美しい吸血鬼。

それは片方の羽をもがれ地に落ちてきた天使か。

あるいは番を待つ比翼の鳥か。

それ程の魔性。

 

片翼の吸血鬼が、口を開く。

銀髪の間から覗く紅い瞳は――その美貌をかき消すような、爛々と光る殺意と狂気で満ちていて。

 

「――死んで」

 

泪の眼前に”紅い死”が迫り――。

 

轟音。

衝撃。

 

屋上に、大穴が空いていた。

コンクリートは砕け、捻じ切られた鉄筋が覗き、瓦礫が階下の部屋に見える。

まるで爆発でも起きたかのような破壊痕。

それを作った下手人は、不思議そうに首を傾けていた。

 

「……?」

 

ガブリエラの紅い瞳が見るのは、彼女の巨大な紅い翼。

まるで意図しない動きをした自分の手を確認するように、蠢く翼を見つめている。

 

「……当たったと思ったのに」

 

八雲泪は――先程の立ち位置から大きく離れた場所で、片膝をつきながらの無理な体制で刀を構えていた。

彼女の息は荒く、頬を冷や汗が伝っている。

その左腕の肘から上辺りの服が破れ、擦過傷と内出血を引き起こした血色の肌を空気に晒していた。

 

「(速、すぎる……っ! 破壊力も異常、掠っただけで特殊素材の服が破れた! コイツは……危険だ! とんでもなく!)」

 

吸血鬼が片翼の二枚羽と知った時、泪の胸中には僅かだが安堵や油断に似たものがあった。

当然だろう。【四枚羽】という未知の脅威が、二枚羽という現実的な脅威に落ち着いたのだから。

しかし……甘かったと言わざるを得ない。

殺気を感じた瞬間、勘に任せて我武者羅に床を蹴っていなければ死んでいた。ぐちゃぐちゃになって瓦礫の中に混ざっていた。

そう確信できる威力と速度。

 

しかしそれを齎した災害のような吸血鬼は、幼い少女みたいに首を傾げている。

それが堪らなく恐ろしい。

不気味で非現実的で悍ましい。

 

だが……八雲泪は引かなかった。

追撃が無いのを悟り、ゆっくりと立ち上がる。

刀を、構える。

その眼は刃物のように鋭く、此方に向き直った敵を見据えていた。

 

「ふぅ――」

 

息を、吐く。

恐れを迷いを吐き出すように。

邪念を捨て、体をひとつの剣とする。

目的を果たすための機能だけを残して、他を全て体から追い出すイメージ。

 

地を、蹴る。

 

突撃したのは、吸血鬼では無く人間。

弱者が強者に襲いかかる異常。

その蛮勇を許したのは、手に握られている銀の刃故か。

 

「(斬る!)」

 

銀光瞬く。

選んだ技は斜め下からの斬り上げ。

吸血鬼狩りが放った斬撃は、しかし。

 

紅い翼が、泪に迫る。

質量が、破壊が、死が、刃をゆうに超える速度で振るわれる。

 

吸血鬼と人間では、見える速度も違い過ぎる。

例え数年数十年かけて磨き上げた剣術だろうが、吸血鬼にとっては見切れる速度でしか無く。

 

闇夜、血が空に舞った。

 

「――な」

 

斬られたのは――ガブリエラの、紅い翼。

 

続け様に振るわれた追撃の刃。

それを飛び退いて躱し、怪物は大きく距離を取った。

屋上の端、落下防止の柵に飛び乗って「敵」を睨みつける。

その表情は、焦りで僅かに歪んでいた。

 

「(……あの銀の武器。すごく純度が高い。私の翼が触れただけで崩れた……。それに今の剣技、私の攻撃を読んでたみたいに軌道を変えて斬ってきた)」

 

奥戸から譲り受けた銀の刀。

そして八雲流剣術奥義がひとつ、人呼んで”曲がる斬撃”――「うつし月」。

それが、人間が吸血鬼を倒す為に用いた手段だった。

 

そう、吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)とは。

どの国にも古来より存在し、一族代々吸血鬼狩りの技術を受け継いできた人間のこと。

そんな百年単位で対吸血鬼に特化した彼等は、人間の身でありながら絶対強者たる吸血鬼に抗う力を持つ。

 

牛に角があるように。

鼠に牙があるように。

蛙に毒があるように。

捕食される側もまた武器を持ち、それは時に捕食者すら恐れる脅威となる。

 

「ニンゲン、おまえは……ちょっと気をつけて殺さないといけないみたい」

 

ガブリエラは翼を再生させながら、眼前の存在の評価を引き上げた。

「武器を持った人間」から、「危険な吸血鬼狩り」へと。

 

「吸血鬼、お前は……此処で必ず斃す」

 

そして吸血鬼狩り、八雲泪は、再び刀を正眼に構えた。

月光を帯び、銀の刃がギラリと光る。

彼女は呼吸を整えながら……確かに存在する勝機を見据え、再び吸血鬼へと斬り込んだ。

 

 

紅い翼が振るわれる。

銀の刃が数度閃く。

 

空を駆けるように飛び回る銀髪の吸血鬼。

地で踊るように刃を振るう喪服の吸血鬼狩り。

 

勝負は拮抗していた。

いや、お互いに一手足りないと言うべきか。

 

高速で空を舞い、再生させた翼を振るいながらガブリエラは考える。

 

銀の刀に触れることは出来ない。だからこそリーチで勝るこちらは相手を傷つけられない。刀で防御されるだけで、こちらへの攻撃にもなるからだ。

しかし相手の吸血鬼狩りもこちらに有効打は無い。傷が簡単に治らない人間は攻撃を優先して手傷を追うことを忌避しているし、そのために守りを優先すれば彼女の技量ではこちらの喉元まで刃は届かない。

 

しかし問題はそんなことでは無い。

そもそも全盛期のガブリエラであれば、最初の一撃で勝負はついていた。

 

「(私、弱くなった⋯⋯)」

 

吸血鬼の力の源は細胞。そして細胞のエネルギー源は人間の血液だ。

ガブリエラがいかに細胞の量(スペック)に優れていようと、僅かな血液量(ねんりょう)では力を出し切ることは出来ない。

本来四枚羽の彼女が二枚羽となっているのもその影響だ。

僅かなエネルギーを使い果たして仕舞わぬよう、体が全力を出すことにストップをかけているのだ。

故に……未だ対峙した人間を殺せていない。

 

膠着した戦況。

そんな折ふと、相手の人間が話しかけて来た。

 

「⋯⋯吸血鬼。何故お前達は、人の命を奪う」

 

これは多分、体力回復の為の時間稼ぎだろう。人間はすぐに疲れ、動きが鈍る。彼女は荒く肩で息をしていた。

しかし罠である可能性もあるし……何より、時間稼ぎはこちらにも好都合だ。

だからガブリエラは戦闘を継続するのではなく、その問答に乗ることにした。

 

「普通はそうしないと生きれないから。私達にも食事は必要。なのになんでそんなに怒る?」

「なっ⋯⋯!」

 

幼い精神のガブリエラにも、相手が怒っているかどうかくらいは分かる。

目の前の吸血鬼狩りは、自分の言葉に憤怒している。

しかし彼女は……本気で不思議だった。

ずっと疑問に思っていた事があった。

だから丁度いい機会と思い、目の前の人間に聞いてみることにした。

 

「人間も命を奪ってる。牛、豚、鶏、魚、植物や虫⋯⋯なのになんで、吸血鬼はダメ?」

「お前達が殺すのが人だからだ……っ! 我々には帰りを待つ人が居る! 死ねば悲しむ人が居る! 人の命を軽く見るな!」

 

泪の言葉に構わず、ガブリエラは続ける。

 

「私達吸血鬼は生きるために人を殺すだけ。

人間だって生きるために沢山命を奪ってる。

そこに貴賎は無いはず。

それなのになんで人間は、自分達から奪われるのは許せないの? なんで自分達だけは特別だと思ってるの?

――なんで誰かの罪は許せないのに、自分の罪は許せるの?」

「……それ、は」

 

彼女は不思議だった。

人間は犠牲から目を逸らす。

それでも自分の命が他の命を奪って成り立っているって知っているハズ。

だってそれは全ての命が同じだから。

奪われれば死に、同じように奪えなければ死ぬ。

なのに目の前の相手は、奪うことを悪だと言う。

 

龍川芥なら言うだろう。

もし奪うことが悪なら、奪う機会を奪うことも悪になるだろう、と。

 

ガブリエラは思う。

吸血鬼だって、より強い相手からは奪われる。

それは自然の摂理であって、糾弾される行為では無いはずだ、と。

 

人も吸血鬼も皆変わらず、あまねく死体の山の上に立っている。

なるほど確かに、殺人が罪なのは道理だろう。

では目の前の人間は……牛や豚に仇討ちの反乱を起こされた時、黙って罪の裁きを受け入れるのだろうか?

 

と、ガブリエラの鋭敏な聴覚がある規則的な音を拾う。

それは”仕事終了”の合図だ。

つまり……もうこんな場所に居る理由は無い。

動きが止まった人間を前に、彼女は翼を仕舞った。

 

「さよなら」

「⋯⋯っ! 待て!」

 

ガブリエラは既に、殺すと宣言した相手への興味を失っていた。ゆえに闇へと逃げ込む。

”ただいま”を貰いに帰る為に。

彼女の興味はいつだって、たった1人の人間のことだけ。

 

 

半壊したビルの屋上には、黒いセーラー服の少女だけが残っていた。

あの吸血鬼が本気で逃げれば追うことは出来ない。それは直に戦った彼女が1番強く感じていたから、追わなかった。

 

俯いた彼女は刀を握りしめ、ぽつりと呟く。

 

「だったら⋯⋯恨むなって言うの。

私の両親を奪ったのは吸血鬼(あなたたち)なのに、私には恨むことすら許さないって言うの⋯⋯」

 

その言葉を聴いていたのは、雲間に浮かぶ月だけだった。

 

 

 

 

 

⋯⋯俺、龍川芥は何となく、扉を開けて玄関先に座り込んでいた。

吹く風は冷たく、夜は人の目では見通せぬほど暗い。

それでも俺は夜を見ていた。

その中から、待ち人が飛び出してくるのを期待して。

 

俺は……無力だ。

何にも持っていない。

そう改めて、思い知らされる。

この世界には、きっと俺が関わることで成功させられるものなんて何ひとつとして無いのだ。

俺程度が変えられることなぞ、この世の何処にも転がって居ないのだ。

この手の中には……何も無い。

心配で仕方ない彼女を――ガブリエラを守る力も。

彼女を安全な場所に留める力も。

彼女を支えてやるための力も。

何一つとして、持っちゃいない。

だからこうして、無様に帰りを待つことしか出来ないのだ。

探しにも行かず、さりとて部屋にも戻らず。

その中間の玄関先で座り込んで。

諦めと執着の狭間で、どっちつかずの姿を晒すしか無いのだ。

 

ひとりぼっちの夜は、ひたすらに冷たかった。

それはきっと、自分の醜さを隠してくれる、美しい彼女が居ないから。

嗚呼、俺は……また弱くなっちまった。

笑ってくれよガブリエラ。

ガキみたいだろ。

俺は……お前が居ないと寂しいんだ。

 

 

ふと、月が翳る。

けれど視界には光の群れが舞った。

それは見慣れた、銀の髪。

 

……ゆっくりと、ため息をつく。

けれどそれと裏腹に、表情は我知らず笑顔の形を取っていた。

 

「⋯⋯まったく。心配して損したぜ。

──おかえり、ガブリエラ」

「うん。ただいま、アクタ」

 

夜風に冷えた小さな手を取る。

心の中にあった小さな棘は、彼女の笑顔であっさりと消えていった。

 

 

◆◆◆

 

 

戸張市の海沿い近くにある廃工場群。

この辺りは遮蔽物が多くて見通しが利かず、人気も無い。つまりこの場所は、吸血鬼の狩り場として充分な条件を満たしていた。

 

廃工場内にたむろする数体の吸血鬼。

彼らは攫ってきた人間の血をその命ごと吸い終え、食後の満腹感に浸っている最中だった。

干からびた死体を取り囲み、たわいない話で盛り上がっている中――”それ”は訪れた。

 

轟音と共に、錆びた廃工場の壁が吹き飛んだ。

空気が震え埃が舞い、瓦礫が転がって建物が揺れる。

 

「な、何が……」

 

状況を飲み込めない吸血鬼達は、一瞬遅れて気付く。

壁に出来た大穴、埃の舞う工場内を照らす月明かりが入ってくるその場所に、それを遮るような人影が立っていることに。

 

それは「赤」だった。

赤い髪。

赤い眼。

赤い(スーツ)

まるで炎のような、あるいは血のような色のその人影は、破壊後の大穴をまるで玄関のように跨いで廃工場内へと踏み込んだ。

 

「⋯⋯Good night, Jap vamps……あァ、日本語で言うとこんばんわクソ共、だっけか。なんか間の抜けた響きだよなァ、この国の言葉はよォ」

 

それは。

訪問と言うには余りに荒々しく、挨拶と言うには余りに刺々しく……そして人間というには、余りに圧倒的な存在感だった。

 

「な、なんだお前は!」

「見張りは何をしてる!?」

 

狼狽える有象無象の吸血鬼達に、赤い男は小馬鹿にしたように指をさす。

 

「見張りィ? 見張りってのは……ソコに捨てられてるゴミのことかァ?」

 

男が指さした地面には。

血達磨になり、恐怖と痛みで絶望の表情を取った吸血鬼が、ぴくぴくと痙攣しながら転がっていた。

 

「……ッ!」

「き、貴様ぁ! なんてことを!」

 

憤る吸血鬼達を前に……されど赤い下手人は堂々と立っていた。

 

「うるせェなァ雑魚共が。弱ェソイツが悪ィんだぜ? 弱ェクセに、雑魚のクセに、オレをイラつかせたりなんかするからよォ」

 

その眼は。

まるで虫でも見るかのようで。

倉庫内の吸血鬼達は、明らかにその眼に気圧された。

 

ざり、と「赤」が歩を進める。

じり、と吸血鬼達が後ずさる。

 

一触即発の空気の中……されど赤い吸血鬼は、なんでもないように口を開く。

 

「ところでよォ、ジャップ共。聞きてェコトがあるんだが」

「……」

 

無言を肯定と受け取ったのか、赤い吸血鬼は自らの胸元を指さした。

そこにあったのは「K」を象ったバッチ。

 

「”クリムゾン家”……この名に聞き覚えはあるか?」

 

その表情は、逆光で見えない。

しかし吸血鬼達には聞き覚えがあった。

 

「あ、ああ……。半年前までこの辺を仕切ってた吸血鬼集団、奴らが確か”クリムゾン家”を名乗っていたハズだ」

「ああ、アイツらか……俺達の縄張りを侵そうとしてたからな。よく覚えてるぜ」

 

その時。

吸血鬼達の中の一体が、とあることに気付く。

 

「……ちょっと待て、確かソイツらのリーダーは赤髪で、胸に”K”のバッチを付けてたって……」

 

ぞ、と。

戦慄した時にはもう遅かった。

赤髪の吸血鬼が、今喋っていた吸血鬼の目の前に居たのだ。

身長差により見下ろされるような形になる。

威圧しながら、「赤」は問う。

 

「ソイツの名前はよォ」

 

睨みつけられた吸血鬼は、全身から冷や汗を出しながら悟った。

殺される。目の前の存在の機嫌ひとつで、自分は死ぬ、と。

 

「”ノース・クリムゾン”じゃなかったか?」

 

赤い死に見つめられながら……追い詰められた吸血鬼はただ、必死に呼吸を整えながら言葉を紡ぐ。

 

「……そ、そこまでは知らな、いッ!?」

 

がしり、と。

無造作に頭を掴まれる。

めりめり、ミシミシと頭蓋骨が軋んでいるのが激痛と共に分かった。

 

「オレはよォ。弱ェ奴が嫌いなんだよ。弱ェ弱ェ雑魚のクセにオレの役にも立てないならよォ、もう死ぬしかねェよなァ……!」

「あ、ぎぃ、ヒィ……ッ!」

 

まるで暴君の様な振る舞いに、慌てて周囲の吸血鬼達が助け舟を出す。

 

「ま、待て! 俺は知ってるぞ! 確かにそんな名前だったハズだ!」

 

ぐるり、と。

赤い吸血鬼が首を回して声の方を見る。

睨みつけられた吸血鬼は、それでもなんとか仲間を助けようと口を回す。

 

「は、ハッキリと思い出した! そうだ、確かに”ノース・クリムゾン”という名前だった!

あの半年前の事件で、【四枚羽】の吸血鬼が殺した当主の名は……!」

 

ぐしゃり、と。

果実でも握り潰すみたいに、吸血鬼の頭が潰れた。

顔の上半分を失った吸血鬼が、力なく地面に倒れる。

脳漿と血をこぼした死体の前で……蛮行に走った赤い吸血鬼が、俯きながら立っていた。

 

「オイ、テメェ今なんて言った?」

 

誰も、口を開けなかった。

頭の上半分が無くなって死ぬという、余りに異常な暴力が吸血鬼達の思考を奪っていた。

そんな中、ただひとり、赤い吸血鬼は語る。

 

「殺した? 【四枚羽】が、殺した……?

殺されたってのか? ノースが。オレの可愛い可愛い妹が……ノース・クリムゾンが死んだってのか、あ”ァ?」

 

ミチミチ、ギチギチと。

肉が千切れる音がする。皮膚が破ける音がする。

空間を支配するように。

赤い吸血鬼の背中から、巨大な翼が広がろうとしている。

 

「やっぱりテメェらもそう言うのかよ。他の奴も皆そう言うんだけどなァ、イマイチ飲み込めなくてよォ……。

そんでつい、イラついてイラついて、周りの奴ら全員殺しちまうんだけどよォ……!」

 

明確に殺意と狂気を振り回した赤い男に、ようやく吸血鬼達は動き出した。

各々が翼を構え、臨戦態勢に入る。

 

「あァ、そうだよなァ。分かってるぜ。オレもそろそろ現実ってヤツを受け入れるべきだよなァ。

……あァ、じゃあこうするか。

ひとり残して皆殺しだ。

そんでソイツを拷問して、妹殺したクソ野郎について知ってること全部吐いてもらうかァ」

 

日本の吸血鬼には預かり知らぬことではあるが。

赤い吸血鬼、彼の胸元のバッチは……アメリカ最大の吸血鬼組織「クリムゾン家」のトップオブトップ――クリムゾン家の戦闘能力上位5体のみが成れる「K(キングス)」の証である。

つまりそれは、アメリカで五指に入るほど強いということで。

そんな彼に勝てる者など、この場には一体も居なかった。

 

「そうだなァ。妹殺したクソ野郎は、ちゃあんとオレが殺さなきゃなァ。

腕も脚も輪切りにして、天国のノースに懺悔させてから殺してやらねェとなァ。

【四枚羽】、ねェ。あァイラつくなァ。イラついてイラついてしょうがねえから……とりあえず目障りな虫けら共を殺さねェとなァ!!」

 

狂気に飲まれた「赤」が叫び。

 

赤色の暴虐が、舞った。

 

 

 

 

⋯⋯数分後。

廃工場内は惨状で満ちていた。

壁や床はたくさんの切り傷のようなもので傷つき、薄汚れた数体の吸血鬼達が血まみれで転がっている。

 

そんな中で赤髪の吸血鬼だけが、無傷で場を支配していた。

彼は言う。

血みどろの肉袋を……拷問の痕を残した吸血鬼の首を掴みながら。

言葉の端々に、敵意と殺意を迸らせて。

 

「【四枚羽】……ガブリエラ・ヴァン・テラーナイトねェ。

――殺してやるよ。とびっきり惨たらしくなァ。

オレから妹を奪った報いは、必ず受けてもらうからよォ……ッ!!」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。