寂しがり屋の吸血鬼は人間失格と一緒に居たい 作:龍川芥/タツガワアクタ
我が家に犬がやってきた。
「アクタ、なにこれ」
「何って⋯⋯犬だけど」
帰宅したガブリエラの前には、俺こと龍川芥と、その両脇を固める犬2匹。
デカくて毛が長いゴールデンレトリバーと、それより一回りほど小さいドーベルマンだ。
俺はよく見ると目の色が赤みがかったドーベルマンを撫でながら、ガブに逆に問う。
「あれ、フーロンさんから聞いてないのか? こいつらちょっとの間預かってくれって。お前には話を通してるって聞いたけど」
ガブリエラは訝しげな表情になって⋯⋯何かに気づいたのか眉を少し吊り上げた。
「アクタ、たぶん騙された。あいつ嘘つきだから」
「マジか」
俺はちょっと前のフーロンさんとの会話を思い出す。
『
『どうもっすフーロンさん。⋯⋯なんすかその犬2匹は』
『いや~、知り合いにとんでもない変人が居ましてねえ。その人が”犬を吸血鬼にしちゃった”なんて言い出すもんですから。一応同胞ですし、見殺しも後味悪いので引き取ることにしたんですけど⋯⋯』
『けど?』
『ちょっと色々ごたついてましてね。安全な場所を用意するのに時間がかかりそうで。今晩だけでいいんです、彼らをこちらの屋敷に置いといてやってくれませんかね?』
『いや、俺は家主じゃないんで⋯⋯』
『まあまあ、アクタサマの言うことならあの方も素直に聞いて下さると思う⋯⋯じゃなくて、ガブリエラサマには既にご許可を貰っている(大嘘)のでね、何卒~』
『はあ、まあそういうことなら⋯⋯』
あの人マジか。
ガブリエラと会話するのが怖かったから、すました顔で嘘つきやがったな⋯⋯。
俺の脳内で性別不詳の吸血鬼が「てへぺろ」をかました所で、ガブリエラの声が俺を現実に戻した。
「フーロンは次来たら”いしゃりょう”をもらう。犬は外に出そ」
「えっ」
「⋯⋯?」
あまりにも残酷すぎる言葉に思わず声が漏れた。
吸血鬼って犬の可愛さを知らんのか⋯⋯?
「いやガブ、それはちょっと可哀想じゃないか? ほら、こいつらも無害そうだしさ、今日くらい部屋に置いてやっても⋯⋯」
「どうして? 獣は人を襲うこともある。私はイヌよりアクタが大事」
わふわふ言いつつも好き勝手うろつかない良い子達のリードを揺らしてアピールしたが、現実は無常だった。
いや、言い分的にはまだあるか?
なんか犬とライオンとかの区別ついてなさそうだしな、吸血鬼って。
「でもほら、犬って賢いんだぜ? こいつらも”人を傷つけちゃいけない”って理解してるさ。こんなに大人しくて無害そうじゃん。それに餌も貰ってるし、外に放置ってのは⋯⋯」
なんとか同居人に許可を貰おうとする俺は、まるで捨て犬を拾ってきた小学生だった。
「⋯⋯アクタ、そんなにそいつらが好き?」
ガブリエラはなんというか、少し棘のある声で聞いてきた。
⋯⋯いやまあ?
海外のでっかい犬飼う文化とかに憧れたことも人並みにはありますし?
ペットってどんな感じなのかな、なんて知りたい欲もちょっとあるし?
まあ知識欲としてね? 別に犬のこと可愛いと思ってるとかじゃ⋯⋯。
チラリと両脇を見ると、こちらを無垢な瞳で見つめてくる犬が2匹。
「⋯⋯正直好き⋯⋯」
ダメだった。
めっちゃ愛くるしかった。
いやこれはしょうがない、こいつらは人間に媚びれるように進化した種族だから。俺が可愛い生き物に弱いとかでは⋯⋯こら、しっぽを振るな! こっちまで嬉しくなっちゃうから!
俺がもふもふを撫でたいという内なる欲望と戦っていると、ガブリエラはなんだか凄くツーンとした表情になった。
「⋯⋯やっぱりだめ。私の場所が奪われる気がする」
「なっ、頼むよガブ~。世話は俺がするからさぁ~」
もう恥も外聞も無かった。
俺は犬の可愛さに魅了されていた。
いやこいつらは俺が守らなきゃ寒空の下何時間も飼い主を待つことになるんだ。ゆえに俺が守らなければならない、俺にしか守れない!
謎の正義感に駆られ、俺はなんとか頼み込んでみる。
「なあガブリエラ、本当に駄目か⋯⋯?」
「⋯⋯アクタがどうしてもって言うなら⋯⋯」
「どうしても頼む」
「⋯⋯わかった。⋯⋯アクタはずるい」
許可が降りました。
なんというか、ヒーローってよりはヒモって感じの頼み方になってしまったような気が⋯⋯いや、構わん。目的のためなら手段は選ばない、そんな贅沢な生き方はしてきてないのだ。
という訳で、俺たちと犬2匹の1日が始まった。
「⋯⋯ふん。イヌなんてしょせん獣。私は会話もできるし積み重ねた時間もある。おまえらなんか敵じゃない⋯⋯」
わふわふ。
「わ、くすぐったい。やめ、きゃっ」
わんわん。
「この、いい加減に⋯⋯」
わふわふ。
「⋯⋯あったかい。やわらかい」
わんわん。
「⋯⋯⋯⋯しょうがないから、ちょっとくらい撫でてやってもいい」
吸血鬼が犬にオチていた。
ものの見事に陥落していた。
そんなガブリエラのことを視界の端で捉えながら、俺は目の前の犬を見る。
いわゆるドーベルマンという犬種のそいつは、そのつぶらな瞳に赤色が混じっている。
そう、こいつはいわば「吸血犬」。吸血鬼となってしまった犬だ。
ちなみにガブリエラと戯れてるでかいゴールデンレトリバーは、この吸血鬼ドーベルマンのご飯係⋯⋯つまり、ガブにとっての俺みたいなポジションらしい。
「なあ、お前はどうして吸血鬼になっちまったんだ?」
わん!
ドーベルマンを軽く撫でながら思い出す。
吸血鬼ってのはそのほとんどが元人間らしい。人間が吸血鬼になるのは、咬み付いた吸血鬼が食料ではなく手下が欲しくなった時⋯⋯というのがもっぱらの噂だ。
ということはこの犬が吸血鬼になったのは、吸血鬼に咬まれたからか⋯⋯それとも別の理由からか。
まあ考えても答えは出ない。
とりあえず俺は犬をかわいがることにした。
「いやしかし大人しい良い子だな。ちょっとだけゾンビ犬みたいなのをイメージしちまったけど、全然杞憂だったみたいだな」
わふ。
「おーよしよし。いやあ、俺は小動物系を飼うのが憧れだったんだが⋯⋯案外でかいのも悪くないな」
わう!
「おー嬉しいか。よしよし」
パタパタと尻尾を振る姿が可愛くて撫でるのに夢中になってしまう。
こう、人間と違って裏表が無いというか⋯⋯「今嬉しいよ!」て分かりやすく示してくれるのが実に良い。相手の内面に怯えなくてもいいというのは、動物の癒しポイントのひとつなのかもな。
そんなこんなで犬の魔力に囚われていると、急に横から腕を取られた。
「うおっ⋯⋯なんだ、どうしたガブ」
振り向けばそこには犬を従えたガブリエラが。
俺の手首あたりを掴んだ彼女は⋯⋯なんだろう、なんか機嫌が悪そうな気配を感じる。
若干怯えながら様子を伺っていると⋯⋯ガブは俺の手を動かして、自分の頭の上に乗っけた。
そしてちょっともじもじしながら、一言。
「⋯⋯私は?」
”私は?”???
これはなんだ一体?
こいつが何を考えているか分からん。
⋯⋯とりあえず撫でればいいのか?
なでなで。
「⋯⋯ん」
⋯⋯ほんとにこれで正解なのか?
いや俺の手を自分の頭に乗っけたのはガブだし⋯⋯でもやっぱりこれは女性からするとキモい行為なのでは? いやそもそも吸血鬼にそういう感性ってあるのか?
犬の存在を忘れるほどに不安と猜疑の世界に入り込んでいると、止まっていた手の下のガブリエラが聞いてきた。
「⋯⋯どう?」
なにがだよ、もうわかんねえよ!
こっちは18年間人間関係失敗続きなんだよ!
この状況で相手が喜ぶ答えなんて知らねえよ!
誰か俺に正解の選択肢を教えてくれよ!
内心の絶叫を押し殺しつつ、もうわかんなくなった俺はただ思うがままを答えた。
「サラサラしてる。良い撫で心地だ、と、思います⋯⋯」
「⋯⋯ん」
その反応がセーフなのかアウトなのかも俺にはわかんねえんだ。
誰かこいつに、嬉しいと揺れる犬の尻尾をつけてくれ⋯⋯。
俺はようやく手を解放され、ソファの背もたれに沈む。なんかどっと疲れた。
するとまるで俺が疲れたのを嗅ぎ取って癒そうとするかのような動きで、犬2匹が足元に寄ってきた。
なんとかわゆい奴らだ。
俺は優しい犬達をゆっくり撫でてやる。
と、俺の横に座ったガブが聞いてくる。
「アクタは、犬が好きなの?」
「うーん、そうだな⋯⋯」
俺は犬達の相手をしながら少し考えて、答える。
「犬が好きってよりは⋯⋯何も考えなくていい相手が好きなのかもな」
人間は皆、違う考えの元生きている。
本質的に分かり合うことは不可能なはずなのに、それでも相手への理解と相手からの理解を求め、それが人間関係というものを重くする。
相手が望む言葉。
それを嘘と共に届けるのは悪なのか。
自分が欲しい言葉。
それを嘘と疑うのは果たして正しいのか。
そんなことを考えているうちに、俺は分からなくなったのだ。
いや、答えは出ている。
社会という”人間の世界”に適応するなら、心を騙してでも嘘をつくべきだと。
そうだな、それでも俺が今ここにいるのは。夜の屋敷に流れ着いたのは。
きっと、諦められなかったからだろうな。
嘘と猜疑で出来た世界を認めたくないという、この潔癖症じみた考え方を。
ま、そんな難しい話でもないか。
結局俺は⋯⋯人を信じたかったから、逆に彼等を嫌いになったのだ。
嘘が無いと生きられず、それを認めてしまう人間という種族のことを。
尻尾を振ってこちらを見つめる犬たちを撫でながら、自嘲する。
誰でも出来る妥協をついぞできなかった負け犬、所詮俺の正体はその程度だ。
「誰かと関わりたいのに、そうすると傷ついてしまう自分が憎い。
だから俺はこいつらみたいな、言葉も無ければ嘘も無い相手に癒されるのかもな」
と、犬たちは俺の手を離れどこかへ行ってしまった。
こんな情けなさ全開の男に撫でられるのは嫌だったかな、とちょっと寂しい笑顔をしてしまうと、ずっと隣に座っていたガブリエラが俺の手を取った。
「⋯⋯私は嘘をつかない。私はどこにも行かない。私はアクタを傷つけたくない。
それでもアクタは、私が怖い?」
横を向けば、ガブリエラの紅い瞳が俺の顔を見つめていた。
まるで全ての嘘を見抜きそうなほど、真っ直ぐな瞳。
触れ合った手が、体が、そのつめたさがどこか優しくて。
「ありがとな。
お前といると救われるよ」
ただ、そう言った。
それは答えになって居ないかもしれないけれど。
でも確かに、俺が固執し続けた”真実”だから。
俺たちはただ笑って。
そのまましばらく、手を握っていた。
お互いの体温を覚えるくらい、長く。
今更気付いたよ。
相手の内面なんて分からなくていい。
ただ、彼女のくれた言葉を真実だと信じきること。
それだけでどこか満たされること。
これがきっと、俺が欲しかった関係なのだ。
しばらくのんびりしていた俺は、ふと思い出した。
そうだ、犬達に餌をやらなくちゃいけない。
生き物を飼うというのは、こう⋯⋯凄い責任の重い行為だな。こういうのを毎日やる人とか尊敬するぜ。
適当に貰った餌を皿に出して、犬達にあげようと彼らを探す。
結構でかい部屋を見渡して⋯⋯彼らは部屋の隅に、暗がりに隠れるみたいにしてくっついていた。
「あいつら仲良しだなあ」
なんて呟いて、彼らの元へ餌皿を持っていく。
と、近くに寄った時彼らが何をしているかがようやく分かった。
ドーベルマン、つまり吸血犬が、ゴールデンレトリバーの首に食らいついている。
つまり吸血中ということだ。
「⋯⋯なんか外から見ると残酷な構図だな」
力が強い方に押さえつけられて血を吸われているようにも見え、ちょっと気の毒だ。
俺は邪魔しないように少し離れた床に皿を置いて、そのままソファまで戻った。
待っていたガブリエラの隣に座る。
「なあガブ、あいつ血吸ってたんだけど⋯⋯」
放っておいて大丈夫かな、と聞こうとした時、ガブに遮られた。
なんかいつもよりジトーっとした目で⋯⋯ちょっと頬も赤いような。
「アクタにはこういうデリカシーが足りてないと思う」
「⋯⋯はあ? どういう意味だよ」
「⋯⋯私の口からは恥ずかしくて言えない」
「?」
なんだか良く分からない展開だ。
俺は吸血鬼の文化に詳しくないから、犬達は大丈夫なのか聞きたかっただけなのだが⋯⋯。
チラリと部屋の隅を振り向く。遠目だがまだ両方動いているようだったので一安心し、目線をガブの方へ戻す。
⋯⋯と、一瞬見えた時計の針は前に見たときからかなり動いていた。
あんまり気にして無かったが、もう結構いい時間だな。
「なあガブ、あいつらは吸血してるけど、お前は腹減ってないのか? 俺は何時でもいいんだが⋯⋯」
なんの気なしにそう聞くと⋯⋯ガブリエラは頬を染めてそっぽを向いた。
そして一言。
「⋯⋯アクタのえっち」
「!!??」
はあ!?
なにがどうなってそーなるんだよ!
やっぱり吸血鬼って分かんねえわ⋯⋯。
吸血鬼にとっての吸血とは。
ただ他の生物にとっての食事的意味合いだけでは無い。
特に”首を牙で咬む”という行為は食事である吸血と、同族を増やす⋯⋯いわゆる生殖の両方の行為に共通するため、吸血鬼達にとって首からの吸血はある程度性的なニュアンスを含む。
しかしそんなことを、ただの人間である龍川芥が知る由もなく⋯⋯。
そして吸血鬼に蓄積されたすれ違いの恥ずかしさは、そのままこの状況を産むことになった元凶へと。
「いやあ、今日は助かりました。それじゃあ犬はワタクシ達が引き取りますので。ああ、気に入られましたらこちらで飼って頂いても構いませんよ? ここより安全な場所は無いでしょうしね~。
あ、あれ? ガブリエラサマ? なんでじりじりと距離を詰めになさるんですか? ああ確かにアクタサマを騙してしまいましたが、それも全て癒しを提供したいという善意の元⋯⋯。な、なんで一言も仰ってくれないんですか? ワタクシ不安で仕方ないのですが⋯⋯。ヒィィィ、飛びかかって来ないで~!! 許してください~!!」
犬を引き取りに来たフーロンへと八つ当たり気味に襲いかかるガブリエラ。
それを白い目で見つめる犬達と、1人だけ状況が分かっていない龍川芥。
彼は言う。
「まあ⋯⋯こんな日があってもいいか」
夜明け前の星空が、まるで彼らを見守るように瞬いていた。
◆◆◆
月下。
世朱町と床善町の間にある山、その山中にひとつの人影があった。
赤い髪、赤い目、赤いスーツの男。
否⋯⋯赤い吸血鬼。
高所から床善町を見下ろす彼は、片手に”動くもの”を持っていた。
赤髪はその”動くもの”に問う。
「オイ。あの寂れた町に【四枚羽】が居るってのは本当なんだな」
”動くもの”⋯⋯下半身を無くした、上半身だけの吸血鬼は、弱弱しい言葉で返事をする。
その恐怖に塗れた様子は、彼の身に起こった今までの惨劇を語っているようだった。
「あ、う、噂。あくまで噂です。銀髪の美しい吸血鬼があの町に向かっているのを見たことがあるという奴が何体か居て⋯⋯」
「ファック。やっぱ弱えヤツは使えねえなァ」
「ひ、ヒィ⋯⋯っ」
怯える吸血鬼は、なんとか生き残ろうと恐怖に痺れた舌を動かす。
「あ、あの⋯⋯っ。私はもう用済みでしょう? 私の再生力では、このままだと死んでしまいます⋯⋯。どうか、どうか助けて下さい! ただ人間の前で解放して下さるだけでいいんです!」
その必死の訴えに⋯⋯赤髪の吸血鬼は、おもむろに彼を地面に投げた。
ぎゃ、という潰れた悲鳴を聴きながら、赤い吸血鬼は語る。
「……オレはよォ、弱けりゃ何を奪われても仕方ねェって思ってんだ。弱者がそれに文句を言う権利はねェ、ってな」
傲慢なセリフと共に、彼の翼が姿を表す。
それは死に体の吸血鬼に絶望を与えるものだった。
「ファック、テメェみたいな弱えヤツを見てると虫唾が走るぜ。イラついてイラついて、ついぶっ殺したくなっちまう」
「そ、そんな⋯⋯っ!」
「いいか、よーく覚えとけ。テメェがオレに奪われるのはテメェが弱いせい以外の何ものでもねェ。分かったらせいぜい自分の弱さを悔やんで死になァ」
「や、やめ⋯⋯ギャアアアアア!」
赤い暴虐が振り下ろされ、憐れな弱者は灰となって死んだ。
吸血鬼は眼下の町を見下ろしながら呟く。
「待ってろよ、【四枚羽】⋯⋯いや、ガブリエラ・ヴァン・テラーナイト。
テメェの全てを、このオレが──ノーゲート・クリムゾンが奪ってやるからなァ……!」
日常の終焉が、足音を立てて近づいて来ていた。