2人が緊張と不安を胸に会いに行った先で、母が話を切り出した。
オリ主とウマ娘の恋愛要素を若干含みます。
原作に登場したキャラクターをマイナスに描写する意図はございませんが、違和感を覚えた際にはお手数ですがブラウザバックをお願いいたします。
実を言うと、キングヘイローの母親に、トレーナーは苦手意識を持っていた。
話を聞く限りでは、実の娘のキングヘイローに対しては見放したような態度をとるし、勝利を収めても冷めた言葉を投げたという。
トレーナーにも、実の母親はいる。仲良く一緒に出掛けたこともあれば、喧嘩をしたことだってある。そんな親子同士のあれこれは色々あったが、仲はおおむね良好だ。
だからこそ、キングヘイローの母がそういう突き放す態度をいつも娘にするのは、少し心苦しい。自分がキングヘイローの担当で、そんな母の存在がキングヘイローのメンタルに影響を与えているのだから猶更。
「何を浮かない顔しているのよ」
隣を歩くキングヘイローが、訝しむように話しかけてくる。
「いや、大丈夫。何でもないよ」
「嘘おっしゃい。顔に『心配』って書いてあるわよ」
繕うが、すぐに看破された。流石に3年近くも苦楽を共にしてきた間柄、ちょっとやそっとの強がりは見抜かれてしまう。しかもキングヘイローは、高飛車ではあるが人を見る目も確かにあるので、表情などの変化には機微だ。
「まぁ、何が心配なのかは聞くまでもないとは思うけれど、大体お母様のことでしょ?」
「…その通りだよ」
そして悩みの種までお見通しだ。
何故に今頃キングヘイローの母について心配するのかと言えば、年明けにキングヘイローの実家に招待されたからだ。当然招待したのは彼女の母で、それだけでキングヘイローもまた疑問に思うところはあるらしい。
「確かに心配だけど、珍しくも思うよ。去年と一昨年は、実家に帰らなくてもよかったのに」
「私もそう思うわ。今までは電話で挨拶していれば何も言われなかったけれど、今回に限っては先に『家に来なさい』って」
この話が来たのは昨年の有マ記念の翌日で、随分と急な話だった。
件の有マ記念では、『黄金世代』と称される他の4人を抑えて奇跡の1着を果たし、キングヘイローの名はウマ娘界に広く知れ渡ることとなった。
元々スプリンターとして活躍する方針のキングヘイローに、有マ記念は彼女の脚質は合わなかった。それでもなお参戦を決意したのは、キングヘイローを除く黄金世代の4人が集う場にキングヘイロー1人だけがいないのを、本人が良しとしなかったからだ。
参戦を表明したのは、秋の天皇賞の後のこと。トレーナーもその意図を汲み、以降の2カ月は長距離向けのメニューを組み直しし、元々先行の脚質だった彼女に差しの走り方を教え、ほぼ一新したトレーニングを課した。
その末に、栄光を勝ち取ったキングヘイローとトレーナーの下に、実家への招集がかかったのだ。
「どういうつもりか、キングは聞いていない?」
「詳しいことは。でも、少なくとも怒っている風ではなかったわ」
冷淡な口調も聞き慣れたキングヘイローからすれば、感情の強弱ぐらいは判別できるらしい。それ以前に彼女は娘なのだから、やはり家族同士でその辺りも分かるのだろう。
それにしても、有無を言わさずトレーナーにまで同行を求めてきたのは驚いた。
「俺、何かしたかな…」
「問題のあることは何もしていないと思うわ。この私の目で見ても」
常に一流を自負するキングヘイローのトレーナーとして、自分も相応に立ち回ることができるよう努めてきた。万全の状態でレースに挑めるようキングヘイローを支えるのは勿論、見た目や外向きの言動にも気を遣い、時にはキングヘイローからマナーなどを教わることもあった。
そんな自分が呼び出されるとは、どれほどの話だろう。
「さ、着いたわよ」
そうこうしている内にキングヘイローは、ある家の前で足を止める。
トレーナーの実家よりもずっと規模の大きいこの家こそ、キングヘイローの家だ。この家で待ち構える人物を思い浮かべると、トレーナーの胃はキリキリと絞られるように痛む。咳払いでどうにか和らげようとしても、特に意味はなかった。
「あら、タイが曲っているわよ」
「え、嘘?」
「じっとなさい。直してあげるわ」
家の前で悶々としていると、キングヘイローが先に身だしなみの乱れに気付いた。言われて直そうとするが、キングヘイローがネクタイに手を伸ばす方が早かった。こんな初歩的な服装の乱れにまで気付かないとは、自分も相当緊張していると思う。
「……」
一方でキングヘイローは、少しばかり手間取ってはいるもののネクタイを結び直してくれている。
しかし、その表情からは、自分と同じく緊張が見て取れた。
「…大丈夫?」
「ええ…」
トレーナーが訊ねるが、キングヘイローはネクタイから視線を逸らさず短く答える。
彼女もまた、これから起こることが予測できないからこそ、緊張しているのだ。3年近く一緒にいたのはトレーナーも同じ、彼女がどんな状態かも分かる。特に、キングヘイローは自分と違いギリギリの勝負の世界に生きるからこそ、その変化は些細なものでも感じ取れるよう努めていた。
「…ねぇ、トレーナー」
「?」
「もし…仮にもしよ?お母様があなたに、『キングのトレーナーを辞めなさい』って言われたら、どうする?」
いつになく気弱なキングヘイロー。だが、その心配は分かる気がした。
今まで、トゥインクルシリーズでは試行錯誤を繰り返し、敗北も経験してきた。これまで何度も、実の母に対し反抗的な態度も取ってきた。それがもし、キングヘイローの母の気に障っていたら…と自分で不安になっている。
「そんなことはさせないよ」
だが、トレーナーは首を横に振り、笑って見せる。
その言葉の自信は2つ。
1つは、例の有マ記念の後でトレーナー自身がキングヘイローの母と少しだけ電話で話をした時のことだ。
―――娘を、お願いします
トレーナーに、そう言ってくれた。
そこまで言っておきながら、年明けになってトレーナー契約を解除するよう迫るのは、どうにも辻褄が合わない。
もう1つは、仮にそういう話になったとしても、自分は誰かに言われる程度でキングヘイローとの契約を解除する気は毛頭ないということ。
苦楽を共にする中で、キングヘイローという1人のウマ娘に大きな魅力を感じ、このウマ娘が走り続ける限りは、自分がついていたいと、愛着のような気持ちが今のトレーナーにはある。
「…そう、よかった」
キングヘイローは、トレーナーの返事を聞くと安心したように笑い、結び直したネクタイを軽く叩く。
「もしお母様からそんな話が出たら、私も同じ返事をするつもりだったわ」
「?」
「今のあなたとの契約は、止めないって」
キングヘイローは、そう言って門を開いて家の敷地へ足を踏み入れる。
その後ろ姿に安心感を覚えつつ、トレーナーもその後に続いた。
◆ ◇ ◇
「まずは、あけましておめでとう」
「ええ、お母様。今年もよろしく」
いきなり門前払い、と言うことはなく、トレーナーはキングヘイローと共に応接間に通された。
キングヘイローの母親は、イメージする良家の夫人そのものと言うべきか、上品さと強かさを併せ持っているようにトレーナーには見えた。目元や髪の色はキングヘイローの血統を感じさせるし、顔立ちもどことなくキングヘイローに似ている。間違いなく、2人は親子だ。
「トゥインクル・シリーズでの活躍は聞いているわ。GⅠを連覇したようね」
「ありがとう。けれどお母様、今日はただ新年の挨拶や
一応は、キングヘイローの母が褒めようとしたが、キングヘイローは強気な言葉を返す。さっきまで気を揉んでいただろうにこの態度とは、彼女の意地っ張りも筋金入りだ。隣に座るトレーナーは気が気でないが。
一方、そんな口の利き方には慣れっこなのか、キングヘイローの母は紅茶を一口飲んで改めてキングヘイローに目を向ける。
「そうね、世間話ではないわ。けれど、あなたたちを全面的に責めるつもりでもない」
「「?」」
その言葉に、トレーナーはキングヘイローと目を合わせる。呼び出しの仕方と、これまでのキングヘイローの振る舞いから、確実に何かしらの叱責が飛んでくるとは思ったが、用件は少し違うらしい。
「確かに、半ば勝手にトレセン学園に入学し、クラシック級で身の程を弁えず皐月賞や菊花賞に参戦したことに関しては、私も憤りとも呆れともいえる気持ちを抱いたわ」
トレーナーは、クラシック三冠の後でキングヘイローにかかってきた電話のことを知っている。いずれも、勝利こそならなかったがGⅠを走り抜いた実の娘に対する言葉としては、些か厳しい言葉だった。頑張りを褒めることも、慰めさえもないのは、トレーナーとしても物悲しかった。
「それからあなたたちが何を見て、何を考えて、短距離・マイル路線に転換したのかは私も知らない。けれど、あなたたちはそこで明らかに変わった」
そこで、キングヘイローの母はトレーナーに目を向けた。
唇が、わずかに笑っている。目元は相変わらず厳しいが。
「あなたたちを変化させた、その『何か』が気になってね」
「それだけかしら?」
「他にも、あなたのトレーニングや、普段トレーナーさんとはどう接しているのか。それを直接本人の口から聞きたいの。近況報告といったところかしら」
想像と比べればずっと軽い要件だ。トレーナーは胸を撫で下ろす。しかし同時に、母娘でそういった話をほとんどしていなかったのかと、驚きもあった。尤も、これまでの電話の後でのキングヘイローの言動を考えれば、仕方ないのかもしれないが。
「そういうことでしたら、分かりました」
ただ、特に隠すべきことはないし、キングヘイローも嫌がる様子はない。なので、大人しく話すことにした。
まずは、キングヘイローが変わることができたきっかけについて。
「お母様もご存じかと思いますが、キングヘイローはクラシック三冠で結果を残せませんでした」
皐月賞、東京優駿、菊花賞。中・長距離路線を目指すのであれば、クラシック級のこの3つのレースで結果を残すのは、最早必須条件と言える。キングヘイローを除く黄金世代、中でもスペシャルウィークやセイウンスカイは、これらのレースで自らの力を遺憾なく発揮し結果を残した。
だが、キングヘイローはどのレースでも1着になれず、東京優駿に至っては入着すら叶わなかった。東京優駿で惨敗を喫し、さらにキングヘイローの母からの電話の後、キングヘイローの瞳が涙で潤んでいたのは、トレーナーの胸にひどく突き刺さったものだ。
「それは自分の力不足…の面が大きかったのですが、その後の合宿やトレーニングを経て、キングヘイローはスプリンター向きの脚を持っていると気づいたんです」
本当なら、『自分の力不足』と言い切りたかった。しかしそこで、キングヘイローが見えないように太腿を抓ってきたので、多少妥協する。キングヘイロー自身、トレーナーが自らを卑下するのはお門違いと思ったようだ。
それは兎も角、キングヘイローが度々見せた脚の力や瞬発力は、短距離やマイル向けであると気づいたのは合宿の時だった。それも、自分の中にある引っ掛かりに加え、年配の記者が告げたほんの少しの所感を持って、ようやく気付くレベルだったが。
「菊花賞の後、キングヘイローの周りには多くのウマ娘が寄ってきてくれました。その誰もが、負けたキングヘイローを突き放したりはせず、クラシック三冠を走り抜け、絶対に諦めなかった彼女に感動していました」
キングヘイローに感化されたウマ娘の中でも印象に残っているのは、カワカミプリンセスだ。トレーナーとしても若干不安になるほど純粋な面はあるものの、キングヘイローの諦めない姿勢を見て自分も同じように不屈の精神を持ちたいと言っていた。そんな彼女を、キングヘイローも放っておけないらしく、たまにトレーニングを見たり一緒にお茶を飲んだりと親交は今でもある。
そうしたキングヘイローの姿勢を周りが評価し、心動かした事実はとても嬉しいものだ。彼女だけが持っている資質が、周りを動かしたのだと。
「キングヘイローは、中・長距離で結果は残せなくても、周りのウマ娘に影響を与えた。であれば、後はキングヘイローが結果を残せるようにする。そう考えて、短距離・マイル路線に切り替えました」
一流であることを志し、そのために努力を厭わないでいたキングヘイローだ。ただ周囲の
キングヘイローもまた、自らの脚はステイヤー向きではないと自覚していたようで、トレーナーの提案は受け入れてくれた。
「そして何より、キングヘイローは『お母様のような一流のウマ娘になる』と言う考えに固執していました」
「……」
「だから自分は、『お母様のような』と言う固定概念を取り払い、『キングヘイローなりの一流を目指せばいい』と言ったんです」
キングヘイローは、母親に対して反発的な態度を取っていたが、常にその中には母親の栄光があった。そんな母を、一度たりとも侮辱したことはなかった。
だからこそ、キングヘイローは母親のようなウマ娘になることを目標とし、それに囚われていたのだ。それをトレーナーは、一流の背中を追うのではなく、自分が新たな一流となるのだと、背中を押した。
「そうして挑んだ高松宮記念では1着、安田記念でも2着、スプリンターズステークスでは1着を勝ち取り、キングヘイローは自分の力を知らしめたんです」
「秋の天皇賞と有マ記念にも参加したのはなぜかしら?あの2つはこの子には合わない中・長距離だったけれど」
キングヘイローの母が、口を挟んでくる。トレーナーは、物怖じせずに伝える。
「2つのレースは、いずれもキングヘイローの同期である他のウマ娘と勝負する場を設けるためでした。『黄金世代』と謳われる5人ですが、3年間のトゥインクル・シリーズを終えればそれぞれが違う道を歩むことになります」
「……」
「キングヘイローは、そうなる前に勝負がしたかったんです。それは、キングヘイローの意思だけでなく、周りの希望を叶える面もありました」
ただの思い出作りとは違う。各々がレースの世界で戦う中で、お互いが自分たちの全力をもってライバルと戦いたいと、渇望したのだ。それは、ウマ娘という種族共通の強い闘争本能からくるもので、ヒトであるトレーナーが止めることはできず、キングヘイローの意思を尊重したいのもあり、トレーナーは彼女を送り出した。
「それで、スプリンターとして脚光を浴びたこの子が、中距離の天皇賞と長距離の有マ記念で負けたらどんな評価をされるか、とは考えなかったのかしら?」
そこで初めて、キングヘイローの母は棘を含んだ質問をしてきた。スプリンター路線として活躍していたキングヘイローが、結果を残せなかった中・長距離のレースに出場して、また惨敗してしまったらどうなるのか。
「考えなかったわけではありません」
メイクデビュー前後では『親の七光り』『じゃじゃウマ娘』と、当人からすれば不本意な評価を下されていたのはトレーナーも知っている。もし、黄金世代との直接対決で負けていれば、またそういった風評が再燃しかねなかっただろう。
そこまで理解していれば、今まで結果を残せなかった中・長距離レースには出さないのが『普通』だ。
「ですが自分は、どうなるかも分からない後のことを考えて行動しないのは、キングヘイローの掲げる『一流』ではないと、考えました」
その時、キングヘイローの視線がこちらに向いたのを肌で感じ取る。だが、今はキングヘイローの母から目を逸らさない。
「自分は望んで、キングヘイローのトレーナーになりました。そして、自分の力で『一流』を志すキングヘイローの傍にいる中で、一流たる彼女のトレーナーとして自分が取るべき行動は何か。それを考えた結果が、戦いに挑む彼女を支え、送り出すことでした」
だからこそ、スプリンターズステークスから秋の天皇賞までの1か月は、中・長距離向けのトレーニングを重点的に行った。速さは既にスプリンター路線で鍛えていたし、中・長距離を走るコツは前年で掴んでいた。あとは、それらの距離を走り切れるだけの力と持久力を身につけるだけだったからこそ、トレーニングの期間がそこまで取れなくとも結果を残すことができたのだ。
「キングヘイローは、何度も敗北し、その悔しさを糧に前へ前へと進んできました。そして、一度も諦めたり立ち止まったりすることはなく、自分の掲げる信念を曲げずに戦い抜いてきたんです」
「……」
「そんな彼女のことを、俺は尊敬しています。そして、そんなキングヘイローのことを、俺は支えていきます」
トレーナーとして導くはずが、逆に自分の方がキングヘイローに導かれるようになっていた。一流に相応しいトレーナーとなるように、振る舞いや考え、能力を身につけていった結果が今のキングヘイローの隣にいる自分だ。
自分をそうまでさせたキングヘイローのことを、トレーナーは純粋に尊敬している。
そして、そんな彼女がレースの世界で生き続ける限りは、自分はそれを支えていたい。
「…なるほど」
キングヘイローの母は、トレーナーの言葉に納得したかのように、ゆっくりと頷いた。
そして次に見せたのは、困ったような笑顔。
「けれどあなたの言葉は、どうにもプロポーズみたいに聞こえるわね」
言われて、ハッとする。特に最後の方は、そう捉えられてもおかしくないような感じだった。
そして、キングヘイローを見る。彼女は視線を右往左往させ、トレーナーとは視線を合わせようとせず、小声で『おばか…』と呟くのが聞こえた。これは後で謝らなければなるまい。
「で、トレーナーさんはこう言っているけれど、あなたはどうなのかしら?」
今度はキングヘイローに対して問われる。
キングヘイローは、頬の紅潮を押さえ込み、先ほどのようにきっと強気な目を母に向ける。
「異論はないわ。私が短距離路線に変えた理由も、天皇賞や有マ記念に挑んだ理由も」
「そう…中々、あなたのことをよく見ているようね」
今のは褒められたと素直に捉えていいらしく、トレーナーは会釈をした。
「それであなたは、これからどうするのかしら?」
キングヘイロー最初のトゥインクル・シリーズは、間もなく終わりを迎える。その後はどうするのか、それはトレーナーもまだ聞いていない。
「身を引く?」
「まさか。これからも私は、一流の王であり続けるわ」
キングヘイローの母が試すように聞くが、一笑に付す。これだけ華々しい結果を残しておきながら、最後はあっさり引退すると言うのは、キングヘイローの在り方に反する。それはトレーナーは勿論、訊いたキングヘイローの母も予想していたようで、失笑した。
「それにまだ、URAファイナルズが残っているじゃない。そこでも私は、必ず勝利して見せる。そして、この私キングヘイローの名をより広く知らしめるの」
自信を持って、これからのビジョンを告げる。
確かに、トゥインクル・シリーズでは最終盤にURAファイナルズと呼ばれるレースが存在する。そこで勝利してこそ、トゥインクル・シリーズの功績は称えられ、その名は大衆に知られるのだ。
キングヘイローは、これまでのレースで結果を残し、さらには多くのファンもいる。ここまで来たのであれば、最後の決戦には是非とも参加するべきだ。それはトレーナーもまた考えている。
「そう」
キングヘイローの母、言葉では興味がなさそうに、しかし表情は期待を込めているように短く言う。
「…少し、席を外してもらえるかしら?」
すると、キングヘイローにそう告げた。キングヘイローは、突然のことに疑問を抱いたようだったが、一先ずはそれに従うことにしたらしく、席を立つ。
「…お母様」
だが、部屋を出る直前に、キングヘイローが振り返った。
「私のトレーナーに
それだけ言うと、返事を聞かずにキングヘイローは扉を閉めて出て行った。
あとに残されたのは、トレーナーとキングヘイローの母のみ。扉が閉まる音が、やけに長く部屋に響いた気がした。
「私の下を離れてから…あの子も大分変わったわね」
沈黙がどれぐらい続いたか、それを先に破ったのはキングヘイローの母だった。それも、今度は嬉しそうな言葉で。
トレーナーとしては、一対一の状況に冷や汗が止まらない。テーブルに出された紅茶はすでに温くなっているが、それでも緊張で渇いた喉を気休め程度でも潤すために一口飲む。
「トレーナーさん」
「はい」
呼ばれる。持っていた紅茶のカップを落としてしまいそうになるが、どうにか耐えて平静を装う。
「あの子に対する気持ち…先ほどはあの子がいる手前、お世辞を含んでいたと捉えられるのだけれど、本当のところはあの子のことをどう思っているのかしら?」
キングヘイローがいる手前、自分の本心を別として、彼女が満足するであろう答えをトレーナーが用意して答えたと勘繰っているらしい。
しかしその答えは、『NO』だ。
「先ほどの俺の言葉に、偽りはありません」
「扱いにくいとも、手を焼かされているとも?」
「最初はそう思っていました。けれど、それもまた彼女の魅力だと今は思っています」
自分の周りのトレーナーや報道陣は、まだデビューもしていなかったキングヘイローのことを侮っていた。トレーナーもまた、最初こそ不安な気持ちはあったし、大分苦労を掛けられた(特にキングコールとか)こともあったが、一度だって彼女の担当を辞めたいと思ったことはなかった。それは、義務感はあったが、彼女自身の魅力に惹かれた面もある。でなければ、今日までのおよそ3年、彼女と共にい続けたりはしない。
「…あなたは、これから先のあの子の行く末を、どう考えているのかしら?」
「今はまだ、ウマ娘に興味のある人にしか話題になっていません。ですが、URAファイナルズの後は、この先もまたスプリンター路線に挑み続けます」
「……」
「そして、メディアの注目も正しく集められれば、いずれは『キング』の名に相応しい存在になるかと」
実際、有マ記念の後でキングヘイローを独自に取材させてほしいという問い合わせが何件かあった。つまり、今はまだほんの少しだが、世間はキングヘイローへの注目を集め始めている。しかもそれは、キングヘイローを問題児として扱うのでも、このキングヘイローの母の娘と扱うのでもなく、『キングヘイロー』という一人のウマ娘として扱っている。それがトレーナーにとっては、一番嬉しいことだ。
であれば、後は今まで以上にキングヘイローの名を知らしめる。
「…そうなるためには、あの子とあなたが、精進しなければならないでしょうね。それも、並大抵ではないほどの」
「もちろん、承知の上です」
「それがどれだけ難しいかも?」
「無論です」
キングヘイローの母の表情は、先ほどよりも厳しく見える。自分たちの目指すものが、どれだけ厳しいものかも、分かっているように。
だが、トレーナーは決して彼女から目を離さない。泳がせたりもしない。そんなことをすれば、自分たちの覚悟が、自分の言葉が薄いものになってしまうから。
「…分かりました」
わずかな沈黙を挟み、キングヘイローの母はそれだけ言う。それと同時に、彼女が纏う緊張感も緩んだような気がした。
「一つだけ、あなたにアドバイスをしましょう」
「?」
「あの子は、
その言葉の意味は、分からなかった。彼女がどれだけ気難しい性格なのかはトレーナーも重々把握しているが、キングヘイローの母の言葉は、トレーナーの想像とはまた別の意味で『手強い』と評価しているようにも聞こえる。
「ええと、それはどういう…」
「すぐには気付けないでしょう。けれど、いずれ気付かされます」
言葉だけでは、威圧されているようにしか聞こえない。
だが、なぜかその時だけは、キングヘイローの母は今日一番の優しい笑みを浮かべていた。
トレーナーはその真意が掴めなかったが、すぐにキングヘイローが呼び戻された。
「トレーナーさんは、随分とあなたを買っているのが分かったわ」
「……」
キングヘイローの母は、一本芯の通ったような姿勢と言葉で、キングヘイローに話しかける。
「これまでの行いや、私に対する態度を今頃責めはしない。これから先のことにあれこれ口出ししても、あなたは聞かないでしょうし」
「…よくお分かりですこと」
キングヘイローが皮肉で返すと、母は口元を緩める。
「…だからこれから先、あなたが自分なりの『一流』をどう知らしめるのか、見せてみなさい」
その言葉に、トレーナーは僅かに目を見開く。
それは初めて、キングヘイローのことを認めたということだ。例え言い方が婉曲的でも、それは分かる。
「……」
横目にキングヘイローを見る。彼女もまた、認められたと言う事実に気付いているのか、瞳が揺れている。泣きはしないが、言葉を噛み締めるように口元に力が入っていた。
「最後に一つ、忠告だけしておくわ」
「…何かしら」
「その過程で、あなたを信頼するこのトレーナーさん、そしてあなたを慕う他の子たちを裏切るようなことを絶対にしないこと。もしそうなれば、今度は許さないわ」
それだけ言って、キングヘイローの母は短く息を吐く。
そして最後に浮かべた表情は、穏やかな笑みだ。
まるで、キングヘイローの今後に期待する、とでも言う様に。皮肉も、落胆もない、純粋な『期待』の顔。
「…もちろん、言われるまでもないわ」
それに対してキングヘイローは、不敵に笑って見せた。
◇ ◇ ◆
帰り道、キングヘイローはトレーナーと共に寮までの道を歩んでいた。実家に着いたのは昼前だったのだが、長い時間話をしていたもので、気付けばもう夕方になっている。この時期は太陽も早い時間に沈むので、陽はかなり傾いていた。あと少しすれば、街灯が灯るだろう。
「はぁ、疲れたわ」
道を歩きながら腕を天に伸ばしてコリをほぐす。お嬢様らしくない仕草に見えるだろうが、こちらはやっとのことで母から認められたのは嬉しいものの、ただでさえ気の向かない相手と話をしていたのだ。周りに人はそんなにいないし、これぐらいしても問題はあるまい。
一方でトレーナーも、大いに緊張していたようで、肩を回しながら『本当にね』と同意してくれる。
「あなたも、お母様のお相手は疲れたでしょう?」
「いやぁ、そうでもなかったよ」
「嘘おっしゃい」
苦笑しながらトレーナーは言うが、それはきっと強がりだろう。それぐらいはもう分かる。
「でもよかったよ、キングが認められて」
トレーナーが改めて言葉にしてくれる。嬉しいことを言ってくれるが、あまり鼻が痒くなることを何度も言うのは勘弁してほしい。
「ところで、二人きりで何を話していたのかしら?」
「え?あー、それは…」
そんな彼に、聞いてみる。
わざわざ自分を外させてまで話したことだ。普通の話でないのは分かる。実際、トレーナーの反応を見てもただ事ではなさそうだ。あるいは、二人だけで話したことをキングヘイローに明かしていいのか決めあぐねているのだろう。
「教えて頂戴」
しかしキングヘイローは、引かない。
もしかしたら、母と会う前に懸念していた、『キングヘイローのトレーナーを辞める』話がほんの少しでもあったのかもしれない。
「…大丈夫、トレーナーを辞めるとかそういう話はなかったよ」
「……」
「ただ、俺がキングヘイローとどういう未来を目指しているか、それを聞かれた」
キングヘイローの肩が震える。
トレーナーとの『未来』。
それを意識すると、どういうわけか胸の中心が熱くなる。
「目指してるのは、『キング』の名に相応しくなるよう、知名度と人気を上げること。勝ち続けて、王者であり続けること。それが、俺が考えてる未来だ」
だが、トレーナーの言葉を聞いてその熱も引く。彼が考えている『未来』とは、自分たちの目指す目標的な意味の言葉だ。
それは兎も角、トレーナーの意見もちゃんと考えなければならない。
「キングは、それに異論は?」
「ないわ、全くね。それでこそ、私が目指す一流のウマ娘たらん未来よ」
今はまだ、目の前のURAファイナルズがあるからこそ、その先のことをあれこれ考える余裕はなかった。だが、大まかにそういった形の未来を描いていたのは事実だ。
そんなキングヘイローの考えを見通してそう言ったのであれば、流石は一流の自分のトレーナーと言える。そうでなかったとしても、それはそれで何だか嬉しい。自分とトレーナーの考えることは同じ、と言う点が。
「で、キングのお母さんが、『キングは
「…まったく」
付け加えられた言葉に、キングヘイローは渋い顔になる。やはり、曲がりなりにも『本物の』一流にして、自分の母だ。自分の気持ちなどほんの少し顔を合わせればお見通しらしい。
「あなたはそれを聞いて、どう思ったのかしら?」
「それもまたキングの持ち味だから、俺としては無問題だよ」
「…そう」
案の定、このにぶちんトレーナーはキングヘイローの気持ちなど微塵も考慮せずに平然と言ってのけた。それも今に始まったことではないので、呆れるほかない。
(私がどんな気持ちなのかも知らないくせに…へっぽこ)
キングヘイローは、自分の示す理想や姿勢が、世間と乖離していることにはもちろん気付いていた。デビューしたばかりの頃は、そんな自分に対する周りの目は冷ややかなものばかりで、自分のことを慕う後輩やカワカミプリンセスの存在をありがたいとも思っていた。
その中でもトレーナーは、自分の才能を見出して自らトレーナーを買って出た。どういう風の吹き回しかと思ったが、一時の気の迷いなどで自分を選んでくれたのではなく、自分のことを支えたいという信念を最初から持っていた。
それから彼と一緒に時間を過ごす中で、信頼関係はコツコツと積み上げられたと思う。その過程には、敗北や、他の優れた者との比較などの辛い思い出もあったから、よりお互いの関係は強い。
だからこそ、キングヘイローはこのトレーナーのことを特別に想っている。単純なウマ娘とトレーナーと言う枠組みを超えて、思い入れがあった。
「時に、いいかしら?」
「?」
「もし私がこの先、レースの世界から退いたら、どうする?」
それは『あるかもしれない』のではなく、『必ずある』のだ。
ウマ娘の肉体は、ヒトよりも遥かに丈夫で、特に優れたウマ娘はこうしてレースの世界で活躍をする機会が得られる。
しかしながら、ウマ娘の肉体にも限界はあり、全盛期を超えると緩やかに衰えていく傾向がある。レースの世界から引退するまでの時間は、短くはないが長くもない。
だから、キングヘイローにも当然レースの世界から去る日は来る。それまでキングヘイローは、このトレーナーとの契約を切るつもりはないし、逆もまた同じだろう。では、否が応でも引退する時が来たら、トレーナーはどうするつもりだろう。
「んー…俺はトレーナーとしての仕事を辞めるつもりはないかな。キングにコーチして身に付けたノウハウは無駄にしたくないし」
「…まぁ、そう答えると思ったわ」
やはり彼は、根っからの仕事人間のようだ。そんなトレーナーに期待をするなど、いっそ自分の方が悪いとさえ思ってしまう。
すると、トレーナーは『でもなぁ…』と心残りがあるようにぼやいた。
「正直、キングの傍から離れる自分ってのは、想像できないんだよな」
「へ?」
「何と言うか、キングの隣で色々なものを見て、経験してきたから、それがなくなった後のことが考えられないって言うか…」
「……」
足を止めてしまう。
「ここまで一緒に来たんだし、キングから離れるのはちょっと、って」
それはつまり、トレーナーからしてみてもキングヘイローのことを大切に思っているということ。
きっと、まだその感情は『寂しさ』止まりなのだろう。けれど、心をキングヘイローの存在が大きく占めているということ。
自分と離れたくはない、と思ってくれている。
それだけで、今は十分だ。
「…キング、どうした?」
「…つまりあなたは、私と離れるのが嫌っていうことかしら?」
「え?あー…そう、だな。うん、どうしてかは上手く言えないけど」
それだけで十分だ。
今は言えないのであれば、これから先にその理由をトレーナーに思い知らさせる。
キングヘイローは、自然と笑った。
「なら…今からキングの言う言葉を、胸に留めておきなさい」
そして、口元に手を添えて、トレーナーを見据える。
「もしも、あなたがこのキングの傍から離れるのが寂しいと言うのなら、嫌と言うのなら」
自分ができる一番の笑みを、浮かべる。
一流だとか、気品だとか、そういう体面はこの時だけ捨てて。
自然で、自分の心からの笑みを浮かべて。
「これから先、ずっと私の傍にいる権利をあげるわ!」
そしていつものように、高らかに宣言して見せる。
その時風が吹き、街灯に明かりが灯る。
明かりに照らされたトレーナーの顔は、赤く染まっていた。
これにて、短いながらキングヘイローのお話は終わりです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
以下、あとがきです。
今回は、Twitterにて開催した独自の企画の結果に基づいて作成したお話でもあり、初めてハーメルン様にて投稿したウマ娘のお話でした。
キングヘイローとその母親の確執は育成ストーリーでも度々取り上げられていて、
特に厳しい言葉を掛けられたキングヘイローを見ると、一プレイヤーとしては仲直りしてほしいなと強く願っていました。
その結果、こうしてキングヘイローとその母親が、仲直りとまではいかなくとも、お互いに認め合う話を書き上げました。
と言っても、有マ記念後の隠しイベントではそこについて言及されてはおりますが、今回はより明確な形でお互いのことを表現しました。
トレーナーとの関係においても、お互いに挫折や失敗を繰り返してきた中で、絆というものが育まれていたことだと思いますが、筆者個人はこの二人の関係はトレーナーと担当ウマ娘としての契約が切れた後も続いてほしいと思い、将来のことにも若干触れる形としました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
また機会がありましたら、ウマ娘でも何か書くかもしれませんので、その時はどうぞよろしくお願いいたします。