鏡の国のイザベル   作:芸術家の魔女

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鏡の向こうの貴女

 鏡の魔女の結界、通称「ミラーズ」。この魔女結界の発祥は、日本の地方都市「神浜」だと言われておりますが、今や日本全国津々浦々、ともすれば海外でも見かけられるという、不思議な結界となっておりました。と言うのもこの魔女大変な引きこもりでして、自分からは滅多に人を襲わず、動こうともしないのです。

 「それでは結界が広がる筈もないだろう」って? ええ、全くその通りです。ですからこの魔女、自ら人を集めるのでなく、使い魔に仕事を任せました。しかし、悲しいかな魔女の性質(さが)。親と子は似てしまうのが道理です。意気揚々と使い魔を放ったは良いものの、それがどいつもこいつも親そっくりの出不精気質だったらしく。散った先々で魔女となって根を下ろし、自前の結界を張ったは良いものの、皆それを親の結界と繋げてしまったという事です。子にはとっとと独り立ちして欲しいのが親の人情というものですから、鏡の魔女は子らが繋げた結界からまた別の使い魔を送り出しますが、同じ事の繰り返し。こいつも少し遠くまで行って根を下ろしたと思ったら、やはり自前の結界を親の屋敷と繋げてしまう。そんなこんなで建て増す内に、鏡の屋敷はいつのまにやら、誰にもその構造分からぬ大迷宮となりました。

 

 さてそんな屋敷でありますから、もはやそれぞれの出入り口がどこに繋がっているかなぞ、知れたものではありません。中には場所だけでなく時間や次元すらも越え、過去や未来、平行世界と繋がっている扉もあるのだとか。眉唾と思っちゃあいけません。何せこのお話の主役は、遠い昔の魔法少女。時は一四二九年! 西洋は英吉利(イギリス)仏蘭西(フランス)とで勃発せし、音に聞こえた大事件! かの「百年戦争」にて英吉利(イギリス)側の将となり、バッタバッタと敵を切った大英雄! ……とかでは特にない、名もなき一人の少女なのでございます。彼女はこの摩訶不思議なる結界にて、地越え時越え次元越え、一体どんな冒険を繰り広げるというのでしょう? 長い前置きもこれにてお仕舞い。これよりはようやくお待ちかね、一種の貴種流離譚、なれど珍妙にして文字通り()()()()()旅のはじまり、はじまり。

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 見窄(みすぼ)らしい、とそう思いました。眼前のその少女は十分に若く、醜いという訳でもありません。ただ、いわゆる「芋っぽい」少女だったのです。顔だけでなく、全身がです。「如何にも田舎者です」といわんばかりの服装にぴったりの、パッとしない締まらぬ表情。特に装飾がある訳でもなく、オシャレに関心が無いだろう事は明白です。唯一と言ってよい特徴は、左手に携えた剣が不釣り合いに立派な事で、恐らくそれは他の誰かから借り受けたモノのようでした。「でなければそんな高価そうな代物を彼女が持てる筈はない」。十分にそう思える程度に、その武具と持ち主の対比(コントラスト)は見事でした。

 

「あ〜、その……重くないのですか?」

 

 私はひとまず、彼女にそう尋ねました。親切心からと言うより話題に困ったからなのですが、彼女も同じように思ってくれていたようでした。私が差し伸べた左手に、右手で返してくれています。思わぬシンクロに気恥ずかしくなり、さっと手を引っ込めると彼女も同じようにします。はにかみ。彼女もはにかみ。まあ、こんな所まで同じだなんて! 少し親近感が湧いてきました。よく見ればその格好も、安心をもたらしてくれるモノのような気がしてきます。着飾らない、だから疲れない。自分も、相手も。そう考えると実に巧みなセンスです。ノスタルジィ、というヤツでしょうか。故郷の情景が想起されます。そうアレは確か、私がまだ物心ついたばかりの頃。その時の私は……私は? 

 そこでようやく、私は気づくに至りました。私には過去がありません。私の名は? いつ産まれた? どこで過ごした? どうやってココに? 何をする為? なぜ来たのか? 一つも思い出せません。これはまずい。実にまずいです。何がまずいかと言えば、世間話ができない事です。世間話は大切です。私くらいの年頃の……そして目の前の彼女くらいの年頃の少女にとって、一番の娯楽なのですから。彼女と仲良くなる為に世間話は不可欠で、世間話をする為に世間の知識は不可分です。それが無い今の私には、()()()()()()()()()()! 

 

「あの……つかぬ事をお聞きしたいのですが……?」

 

 私は非常に恐る恐る、目の前の彼女に尋ねます。私の空虚さを悟られぬよう、必死に話題を考えながら。ところが彼女はそんな私を嘲笑うかのように、私と寸分違わぬ同じ顔、すなわち「顔色伺い」の表情でこちらをじろじろ見つめています。明らかに私を真似ています。なんと! こんなに失礼な人でしたでしょうか? 驚き、後ろに後退ります。彼女も驚き、後退ります。私は彼女を訝しみます。彼女も私を訝しみます。顔をしかめる私。顔をしかめる彼女。苛立ちのあまり声が漏れ出る。彼女からも声が漏れ出る! なんだコイツ道化か? ちょっとクソムカッ腹たってきました。

 

「てメェあんまりナメ腐るのもいい加減に……」

oi, moshimoshi? kontonarayosodeyatteitadakitainodesuga?

「はいっ?」

 

 ふと、背後から声が聞こえます。振り返ると、そこには小柄で可愛らしい、黒髪ツインテールの少女がいました。アジア系の顔立ちでしょうか? 未知の言語を喋っていますし、背中には何か分かりませんが、大量の品物を背負っています。見るからに異国の少女です。

 

sakkikarahitoridenaniyattendesuka, kyozoaiteni?

「はえ、なんです? 彼女が何か……?」

 

 黒髪の彼女はなんだか怪訝そうな顔で、対面の彼女を指差します。私がその指先を追うと、ちょうど対面の少女もこちらを向き直す所でした。やはり私と同じ動き……。ですが、単なる真似ではないような? 私が右手を挙げれば左手を。左足なら右足を。傾げる首の角度まで、そっくりそのまま同じ仕草。というかよく見れば少し奥にも、そのまた奥にも、同じ動き、同じ容姿の少女が居ます。離れていて気づきませんでしたが、一糸乱れぬ連携ぶりです。彼女達は皆私の動きに追従して、ほとんど同時に動きました。そして彼女達の動きは全て、私から見て左右が反転していたのです。

 なるほど、そういう事でしたか。これは正しく……鏡、ですね? 

 

「……あああのそのっ! 何と言いますかこれはぁっ!?」

 

 真相に気づいた私の顔からは、燃え上がるように湯気が立ちます。よもや異国の方との初対面が、こんな間抜けな形になってしまうなんて! と言うのも私、異国にはチョットした憧れがあるのです。だって異国は、()()なのです。私の故郷(くに)とは違う言葉、違う土地柄。違う人々に、違う常識! 異国の人々から見た「世間」は、私のそれとはまったく異なるに違いありません。だから私は是非とも異国の方と仲良くして、異国の「世間」を知りたいのです。その為には、異国の方に嫌われる訳にはいきません。奇行の類はもっての他です。あるいは最悪の場合など、私の奇行が「コイツ(わたし)の故郷・コイツ(わたし)の『世間』の常識なのだ」と捉えられてしまいかねない! 

 ……いえ、まあ、勿論。私に故郷の記憶が無い以上、今しがたの奇行とかが、「私の故郷の常識である」可能性も、無いとは言い切れないのですが。

 

 とりあえず、取り繕わなければ。私は異国の彼女の方に向き直り、ほんの数刻前と同じような顔色伺いをしようとします。しかし彼女はそんな私に見向きもせず、鏡の方へと向かっていってしまいます。そして背負った品物の中から棒状の武具を取り出すと「ああっ、ちょっとお待ち下さい!」等と私が声を挙げる隙も無く……私が話しかけていた鏡……いえ、()()()()()()()()()()()()()の頭部を粉砕したのです。

 

「……え? ……あれっ!? 今のは……鏡だったのでは……モゴッ!?」

 

 混乱した私が喚き出すのとほとんど同時、黒髪の彼女は何某かを取り出し、私の口に投げ込みました。ゴムのような食感! けれど味は意外に美味しい……? いえ、そんな食レポをしている場合ではありません! このままではこの謎の食品で窒息してしまう! 私は急いで口内を空にし、異国の彼女に問いかけます。

 

「もうっ、いきなり何を……」

「あーあー、テステス。私の言ってる事、分かります? YESなら右手、NOなら左手を挙げよ」

「えっ、はい? 手を? ……こっち?」

「はい、ちゃんと右手ですね。ビンゴ」

 

 彼女は私の手を見つめると、うんうんと一人頷きます。そして再び、鏡のようなナニカ……の遺骸? の方に向くと、その残った身体を念入りに砕き始めました。最早、私の事など眼中に無いかのようです。

 

「あの……何をしておいでなのですか……?」

「はあ? 見れば分かるでしょそんなの……()()の後処理ですよ」

「キョウゾウ……? はあ……」

 

 私が素っ頓狂な声でそう返すと、彼女は棒を振るう手を止め、眉間に皺を寄せました。

 

「……もしかして貴女、迷い人なんですか? こんな深部に……?」

「あっ、そう、そうなのです! 迷い人です! 一体こちらはどこなのでしょう? 先程の物真似師のようなナニカは何!?」

「……更に重ねて聞きますが。まさか記憶が無かったりしませんよね?」

「うえっ!? 何故それを……じゃなかった。イエ、バッチリキオクアリマスヨー?」

「ああ……最悪のやつだ……」

 

 そう言うや否や彼女はがっくりと項垂れて、ぶつぶつと何かを呟きます。もしかして私……何か多大な迷惑を彼女にかけてしまったかしら。あるいは現在進行形で、はたまた未来未然形で、多大な迷惑をかけつつある? それはいけない、と思った私は一応、無意味と分かってはいるものの、屈んで彼女の言を聞こうとしてみます。当然、異国の言葉の心得など無いこの耳では、その意味が分かる筈もないのですが……あら? 

 

「そう言えば通じてますね……言葉」

「今更気がついたんですか!?」

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 それから彼女……「安藤スズカ」と名乗った異国の少女は、私に様々な事を教えて下さいました。ここは「ミラーズ」と呼ばれる摩訶不思議な空間で、時間や場所や次元を超えて、様々な所と繋がっているのだという事。それ故にミラーズには魑魅魍魎が跋扈しており、私のような迷い人や、通行人に化けて人を襲う「鏡像(先程の物真似師の事ですね)」なんかが居るという事。そしてスズカさんはそんなミラーズで、迷い人を元の世界に帰したり、ミラーズに住み着いた人相手にモノを売買する行商人をしているという事でした。

 私が先程スズカさんに食べさせられたのは、彼女が異世界で手に入れた魔道具の一つで、食した者に異言語を理解させる力があるのだとか。それのお陰で、私は彼女の発言を一から十まで理解できたという訳でした。また彼女によれば、ここはミラーズの中でも他の世界との繋がりが薄い「深部」らしく、迷い人が訪れる事は滅多にない場所なのだそうです。その為彼女ははじめ、私をミラーズ住人の一人かと考えていたようですね。

 

「でも迷い人の自覚があるというなら、まあそういう事なんでしょう。記憶が無いってのも、別段珍しい話じゃありませんし」

「はえ〜、そうなのですねぇ……あ、いえ、キオクハアリマスヨ?」

「ではお名前は?」

「…………すみませんでした」

 

 どうやらスズカさんは、私より若年ながら中々に聡い方のようでした。取り繕い等するまでもなく、私はすっかり、彼女に空虚さを見抜かれてしまっていたのです。そして彼女は、私が記憶を取り戻すまでの仮名まで与えて下さいました。

 

「その剣」

「はい? ああ、この右手に持っているヤツですね」

「恐らくは貴女の『固有武器』ですね。今のところ、貴女の過去を知る唯一の手掛かりと言って良いでしょう」

「そうなのですか!? では、この武器から私が誰なのかお分かりになりますか!?」

「いえ、そこまでは……あくまで一般論ですよ。『固有武器』というのは、魔法少女の契約の際に形作られるモノですから……」

「はい? マホウ……ショウジョ?」

「……ああ、はい。そこも覚えてないんですね。こりゃ重症だわ……」

 

 そんなやり取りの結果として、私には「ヤイバ」という仮名が付けられました。唯一私を私たらしめられるモノ、それが刃。そういう由来の名前でした。同時にスズカさんが話して下さった「魔法少女」なる存在については……分かったような、分からないような感じでしたが。とにかく、迷い人も含めた、このミラーズに居るほとんど全ての存在は、その魔法少女に類する存在だという事らしいです。

 

「で、ヤイバさん。早速ですが、これからどうするおつもりですか?」

「はい? どうする、と言いますと」

「普通なら、迷い人にはさっさと家にお帰りいただきたいんですよ。ですが貴女はそうも行かない。なんせ家が分からないんですからね」

「ああ、そうでしたわね……。あら、でも記憶の無い迷い人は珍しくない、というお話では?」

「記憶が無いだけなら割と居ますよ。でも貴女の事情はどうもそれだけじゃなさそうです」

 

 スズカさんはそう言うと、私に一つの推理を披露して下さいました。まず第一に、ミラーズは「ニホン」という国に本拠地があり、「ニホン人」以外の迷い人はそれなりに珍しいのだという事。第二に、私の「固有武器」のデザインが非常に古めかしく、恐らくは2000年代以前の代物がモチーフになっているだろう事。この二つの事実は即ち、スズカさんのような2000年代のニホン国から訪れる()()()()()()()()()()()と、地域と時代の異邦人たる私との間には何の接点も存在しない事を示していました。よって、私は通常の迷い人の家探しの際に行うような、「大雑把なアタリを付け、それらしい世界を総当たりする」手法が使えないという事でした。

 

「では私は一体、どうしたら良いのでしょうか……? この世界の先達である貴女がお手上げなのであれば、私には何もできない気がするのですが……」

「一応、最後の手段的な手はあります。それを使っても、確実に帰れる訳ではありませんが」

「本当ですか? その手段と言うのは!?」

「……このミラーズの、()()()に問うんです。そいつはミラーズの全てを見ている。貴女自身か、平行世界の貴女がミラーズに訪れた事があるのなら、そいつが記録している筈ですよ」

「なるほど。その案内役の方ならば、私をご存知の可能性があるのですね!」

 

 ああスズカさん、何と博識で頼もしい方なのでしょう。世間話の一つもできないどころか、住む国も時代も違うこんな私に、ここまで良くして下さるなんて! そんな方が捻り出してくれたアイデアです、実行しない訳には行きません。そう考え、私は一刻も早くその案内人に会いに行こうと持ちかけます。ですがスズカさんはどうにも、その案内人に会う事を躊躇っているご様子でした。

 

「どうしたのですか、スズカさん? 何か問題でも……?」

「私は……会うのはオススメしません。長い道のりになろうとも、自力で過去を探った方が多少なりとも()()です」

「そうなのですか? その案内役の方は、危険人物なのですか?」

「逆ですよ。()()()()()()()()()()()()()

「へ……?」

 

 スズカさんが懸念していたのは、つまりはこういう事でした。「本来の『私』自身が、私にとって受け入れがたい者かも知れない」。もしそうならば、私には魔女化のリスクが付き纏う。魔女化については詳しくは分かりませんでしたが、とにかく、魔法少女は精神的に大きな苦痛を感じると、遠からぬ内に死ぬのだそうです。時間をかけて自分を知るなら、その分精神を落ち着かせ、慣らしていく時間が取れる。案内役にいきなり聞くなら、突然のショックを受け止め切れず、死んでしまうリスクがある。正しく、命懸けのギャンブルです。

 ……スズカさんは聡明なだけでなく、心優しい方のようです。全ての情報を包み隠さず私に与えてくれた上、出会ったばかりの私の身を案じてくれさえしています。私をどうでも良く思うなら、そこらに放っておく事も、案内役の下に引きずってさっさと話を済ませてしまう事もできたのに。こんなに良くしてくれる方は、私の人生で初めてです。記憶が無いので当然ですが、記憶を失くす以前より……私の身の周りには、こんな優しい方は居なかった。そんな気がしてならないのです。

 でなければこんなにも、目の奥が熱くなる筈がない。

 

「……どうしますか、ヤイバさん。提示はしました。選択するのは、貴女です」

「聞きに行きます」

「即答っ!? 話聞いてたんですか!?」

「はい、しかと聞かせていただきました。その上での判断です」

「……なぜ、わざわざリスクを取るんです? 急がねばならない事情なんて……」

「あります。私は一刻も早く……

 

 スズカさんと仲良くなりたい。

 貴女と是非、世間話がしたいのです」

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 こうして、スズカさんと私の旅は始まりました。私はこの旅を通して、多くのモノを得ていきました。同時に、多くのモノを失いました。そして私が生まれたのです。

 そう、これは私が生まれるまでのお話です。どうか願わくば最後まで、お付き合い頂ければ幸いです。


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