「やあ人たらし」
フルフェイスのメットで顔を隠した不審者が陽気な声と共に言葉で刺してくる。連日の過酷な勤務によって頭をやられてしまったらしいと、不名誉な呼ばれ方をされた男は眉間に皺を寄せた。
救出されるまでの記憶をまるっと失っているにも関わらず、戦場で目覚めて即座に部隊の指揮を取って包囲下から脱出に成功した希代の存在であるが、同時に仕事に関しては振られたら振られただけやってしまう悪い癖があった。
今回もそれのせいだろう。CEOが休ませてくれないとか四桁年生きてるフェリーンに監視されているからだと噂が出たりするが、どちらかと言えば倒れないギリギリを見極めるためにいると言われた方がまだ信じられる。
「ドクター」
「なにかなエインウルズ」
黒髪の男がドクターと呼ぶ不審者の肩に手を置く。
ガシッ。
ギュッ。
「あいだだだだだ!!!」
「おいおい肩こってんなあ、書類仕事ばかりしてっからそうなるんだろ」
ドクターの脳内では人体から発してはいけない音が大合唱を奏でていた。数秒前の自分の発言を思い返せば、脊髄と言語野が発声器官と直結してしまった事に至って必死に許しを請い始めた。
男も鬼ではない。
もちろん種族的な意味でもそうだが、この場合は心の事だ。就職活動に失敗した挙句どこぞの監獄で醜態を晒した等速で動く点Jよりは遥かに大きな器を持つ男は、ニッコリと笑みを浮かべてドクターの肩から手を放す。
「わかればよろしい」
「戦場に出る君達と違って私はひ弱なんだからもうちょっと手加減をだね……」
「模擬戦でロープとクリフハートとショウとエフイーターの四人でWをメリーゴーランドにした奴が何か言ってら」
「いやああれは壮観だったねぇ」
「哀れ過ぎてかける言葉もなかったぞ」
名を挙げた四人は強烈な力で対象を引き寄せたり押し出したりするタイプのオペレーター達で、それを発揮するためには大きな溜めが必要なところを複数人用意して順繰りに発動する事によって問題解決したドクターは、生意気な態度を取ったとあるオペレーターを時間目いっぱいまで訓練場で地面と平行にバンジージャンプさせる見世物を開いた。
サルカズ傭兵の頭、どんな時でも余裕な態度を維持していた某オペレーター――Wが終了のブザーと共に地面に這いつくばり、何かを飲み込むかのように数度喉を鳴らしてから目尻を光らせつつドクターを睨みつける光景は男の何かを刺激した。具体的に言うと危ない扉をノックしていた。
「とは言え私は一度も嘘を吐かない人でねぇ」
表情の見えないはずのヘルメット。その黒い空間の中に、ドクターのニタニタとした笑みを男ははっきりと見た。
「私はね、エインウルズ」
ドクターの厳かな声が執務室に響く。広いロドスと言えど今から話すことは個人の評価に値する事であり、誰かに盗み聞きされるのはよろしくなかったので廊下からドクターが出入りしても違和感がなく誰かがノックもなしに入ってこれない場所へと移動してきたのだ。
「ハーレム願望を否定する気はないんだよ」
「…………」
静寂な部屋に綺麗な音が一発。
「いやごめん。君にその気は一切なくとも一秒一秒をノリと勢いで生きるせいで思ってもない事を口に出す君の性格を否定する気はないんだよ」
今度は音は鳴らなかった。
ドクターが頭を押さえる横で、呻くような声が男の口から洩れる。
「例えばカジミエーシュでムリナールさんに『娘さんは二人とも頂いていきますね』と口走った事とか、チェルノボーグへ乗り込む時に『俺はホシグマさんからチェンを頼まれたから行く必要がある』とか言って私を人質に取りかけた事とか、スカジから聞いた君の話とか、ああ、エイヤフィヤトラの作戦報告書の八割が君とのやりとりを克明に記したものとかでも良いし、一時期スズランに家事を仕切られた事もあったよね?」
その言葉を聞いた男の心拍数が急激に上昇し、たまらず胸を掻き抱いてその場に崩れ落ちる。
身の丈程もある大盾を軽々振り回す彼にとって、それは自慢の防御力を貫通する源石術よりもタチの悪いものであり、著しい人権侵害をされた被害者の気持ちになった。生きたまま沸騰した鍋に突っ込まれ、茹で上げられるハガネガニのようにのたうち回りたくなる感情を鋼の心で自制する。
ちなみにカジミエージュでは半殺しにされた後に帰艦するとニアールには大言壮語は相変わらずだと笑われ、チェルノボーグの一件は親しい相手に酒の席で毎度ネタにされ、スズランの世話になったせいで一時期針の筵だった。ずっと味方だと思っていたキャプリニーの少女からすら「それは流石に大人としてどうかと思います」と言われて何もかもが粉砕されたのは忘れたくとも忘れられない。
一連の流れを鮮明に思い出して甚大なダメージを負った男は憎々し気にドクターを睨む。
「その話はしないって約束しただろうが」
「おおっと、似たような話を君と何度も約束してるからどれがどれだか忘れてしまったよ」
男の皮肉もなんのその、散々忠告する度に、同じ過ちを繰り返す男と同じ会話を繰り広げたドクターは肩を竦めて非難めいた視線をかわした。
ましてや長期間ロドスに在籍している元傭兵は身も心も染まり切っており、ロドス内では調子に乗る悪い癖があることを把握していた。ハーレム願望などと軽口を飛ばしたものの、一部オペレーターが男を監視するために周囲にいるのは明らかである。面白がってオーキッドにミッドナイトをけしかけて正座させられた数時間後にヴァーミルを高い高いしてイグゼキュターに執行を受けて医師のお世話になり、ワルファリンに血液を失神寸前まで抜かれかけるなんて事もあった。
……八割は自業自得だな。ドクターは男に対して同情の余地がないことを再確認した。
「とは言えねぇ。もう少し行動を改めるべきじゃないかな?」
「行動?」
男は眉間にしわを寄せ、心底わからないと言わんばかりに首を傾ける。
「もう少し思慮深い発言と行動が増えれば君ももっと好かれるようになると思うのだけれど」
「思慮深いだあ? 俺はいつだって仲間の事を考えてるじゃねーか」
「作戦中はね? そうじゃなくて日常でだよ」
思い当たる節があったのか、男は口を噤む。
「話は戻すけど、君は
「……」
様子を伺うドクターの視線に、男は噤んだまま真一文字に口を閉じて開かない。
「刹那的に生きていると言い換えても良い。いっそ、恋人でも作ったらどうかな? 護る者がいれば君も少しは考えることを覚えるだろうに」
それは決して嫌味でなく、彼ならばすぐにでも実行出来るであろうことだとドクターが睨んだからであった。
少しばかり心を入れ替えて男を好ましく思っている相手へ誠実に接し、己が盾のメンテナンスより優先順位を上に置けば三ヶ月と経たずにおめでたいニュースが艦内新聞の一面に小さく載るだろう。
「俺は傭兵だからな。ロドスにだって正式加入してるわけじゃねえ」
ドクターの心の声を読んだかのように、あっけからんと言う。実はこの男、護送依頼をこなしてすぐにロドスがとある事変に巻き込まれた後、なし崩しでずっと滞在しているのが現状であり、テストを経て正式なオペレーターになっている訳ではない。
そんな宙ぶらりんの状態が長い間続いて、事務のオペレーターがそれとなく勧めてものらりくらりと躱して言質を取らせず、かと言ってこうしてドクターと二人で話す程度には馴染んでいた。
「そう、そこなんだ。ケルシーからも突かれていてね、さっさと職員リストにあいつの名前を入れろって。仲が良くないのは知っているけど、感情を抜きにすれば彼女も君を評価している」
「どうだかな」
「少なくともケルシーが他人を評する時に主観を交えないのは知っていると思うけど?」
「そりゃそうだがよぉ」
犬猿の仲、とまでは言わないが嫌っているからこそ解る事だ。男もケルシーも、感情をなによりも優先する行為をしない程度には現実的な思考を持っているし、相手もそんなバカではないと言葉にせずとも無意識下で考えている。
「『例えばあの男が敵対したとして、容赦なく敵意を向けられるオペレーターがどれ程いるかドクターは考えた事があるか? 第一印象が不審者であろうと長く滞在し、報酬があるとは言え我々に献身的に尽くしてきて、かつ感染者にも友好的に接し身を投げ出す覚悟すら持つ存在は得難いものだろう。翻って傭兵は金銭を感情より上位に置く職種の男だ。莫大な報奨金と過去の職場、どちらを取るかは明白だ、賭けてもいい。だからそうなる可能性を摘むために、ただの傭兵を“ロドスアイランドのエインウルズ”にすべきだと私は考えている』だとさ」
「一言一句あの女狐が言いそうなことだな。わざわざ覚えてきたのか?」
「本人には言わないけどケルシーは話が長いんだ」
「それはな、言わないじゃなくて言えないって言うんだ」
「じゃあケルシーに言ってみる?“もっと簡潔に話せないのか”って」
「それを素面で言えるなら俺はそいつに一週間分の酒代を全額持ってやる」
「よぉーく解っているじゃないか」
得意げなドクターに対して、男は苦々しい表情だ。だが長い間居候をして情が沸かない程機械的でないのも確かだった。まあ、ドクターの言う通り依頼を引き受けた先に敵としてロドスアイランドが相対するとして、見たくない相手が二桁を超えているのもある。例えばライン生命から出向しているオペレーター、例えば雪世界の一家、例えば騎士競技で有名な家系、例えば良く面倒を見たとある予備隊の面々、例えば傭兵時代に引っ付いたとある賞金稼ぎ、例えばリターニアの天才学者etc...
義理と人情を重んじる傭兵の男にとっては全てが無視出来ないものだ。だから、男は改めてよく考えたのちに結論を出した。
「…………わかったよ。今すぐに書類を書いて気が変わらねぇうちにサインしてやる」
「えっ」
「なんだその顔面に源石術ぶち当てられたオリジムシみたいな顔は」
「い、いやね本当に頷いてくれるとは思わなくて」
「ドクター直々に言われちゃあよ。ここで長くやってきて、お前の判断は信じられるものだって解ってるからな。ま、そろそろ腰を落ち着けてもいいだろうとも考えてたんだ」
「じゃあ今すぐ行って、記念すべき入職の日にしようじゃないか」
そう言って前を歩くドクターの歩みは軽快だ。数ある悩みの一つが解決したからかもしれない。或いは顔なじみがやっと観念してちゃんとした仲間になったからか。
なお、ロドスの通過儀礼となっているオペレーター訓練を、性根を叩き直さんと意気込むドーベルマン教官が務めると知って入職早々にげんなりする未来が待っているのだが、必要な手続きを終えて改めて歓迎されている時点では知る由もなかった。
改めてよろしくドクター。流浪の傭兵からロドスに就職とは、昔の俺じゃあ想像もしなかった事だが、ま、悪くねぇ。今までだいぶ都合よくあちこちに飛ばされていたが、これでちっとは落ち着くよな……本当に頼むぜ、休日と酒の用意はしっかりしてくれよ?
Q.そのままエタってて良くない?
A.二次創作止めた後のガチャの引きが酷かったから“かけば出る教”を益々信じたため。パラスは80連、水チェンは初めて天井叩いたのでさもありなん。
Q.旧版との変更点は?
A.色々。多分変わったところはそのうち触る。シエスタじゃなくてドッソレスに行ったとかね