「う~~流石に疲れました……」
「ドクターの秘書業務に携わったんだって?」
日没、休憩室で腕を伸ばして硬くなった身体を真っ直ぐに震えさせる少女に男が労いの言葉と共にジュースを渡す。
ドクターが目覚めてからすぐに起きた事変から少し経ち、ある程度落ち着いてからはオペレーター達と交流出来るように雑務を持ち回りで手伝う秘書制度が提案され、賛同した者達が代わる代わるドクターの仕事を一部肩代わりしつつも雑談に花を咲かせている。今日は少女の順番だったらしく、朝から今まで付きっきりでドクターと共に真面目に職務を遂行してきたようだ。
「そうなんですよ! 聞いてください! 先輩ったらあれもこれもやろうとするんですよ!」
「あいつは見張ってないと仕事を探しだして消化するからな……チェルノボーグの後も色々面倒が重なってな」
「そんな話は聞いたような……」
「あー、エフィが来たのも丁度そのくらいだったな」
少女――エイヤフィヤトラの曖昧な相槌に男は記憶を探る様に頭を掻く。それは彼自身もその直前にロドスへ足を踏み入れており、直後の動乱で目が回る忙しさで時間間隔が曖昧であったためだ。
ドクターの救出作戦、謀ったかのように起きたチェルノボーグの動乱、それらの後始末と損耗した人員の補充、カジミエーシュの厄介ごと、一通り完了して夏の休暇に入ったと思えば秋のリターニアで後味の悪いとある出来事。最初は志願したから別として、それ以外のどれもに直接か間接的に関わることになった男は往時のストレスがフラッシュバックして腹部に手を当てた。
『エインウルズのかっこいいところ、見てみたいなあ?』
『それ前も聞いたぞ。ニアールさんに大口叩いてボコられた汚名、返上したくない? って言ってドクターの警護役任された時にな』
『今度はさ、君に懐いているリサちゃんがちょっとね』
『おいドクターてめぇ』
『こちらの不手際だ。けれど本格的な介入をするには複雑化していてねー。こちらからも人員を出す、それとは別に金で雇った“無所属”の傭兵を出すのはアリだと思わない?』
記憶喪失らしいと女狐から聞いていたが、それにしては図太く白々しいドクターの態度が男の怒りも蘇らせる。
いや、それでも、最終的に了承して使い勝手の良い駒として動いたのは自分だ。そんな台詞を数回ほど暗唱し、なんとか平常心へと戻す。
「まあそれはともかく、その時の目も回るような忙しさでアーミヤ社長が事務仕事をサボってるドクターに『まだ仕事が残ってるから休んじゃ駄目ですよ』って何度も言ったせいでな」
「アーミヤが……?」
エイヤフィヤトラは、よく話すロドスの最高責任者の少女を思い浮かべて意外そうに男へ続きを促す。自分が感染者であることを差し引いても、公私ともに気にかけてくれる同年代の少女にそんな厳しい一面があったとは知らなかったようで。
「アーミヤ社長も女狐、じゃなくてケルシーも、あの時は忙殺と言っていいぐらいだったし、ドクターも性根は真面目っぽいから真に受けちまって」
「あぁ……」
暴言を口にした男へ「ケルシー先生の事、そんな風に言っちゃだめですよ」と注意しながら、エイヤフィヤトラは納得したような、けれど諦観の溜息を吐いた。救出される前のドクターがどのような人物かを知る存在は少ない。
けれど、少なくとも。
今のドクターを知る面々は彼がどう考えどう行動するかを知っているが故に。
「でも、それならアーミヤやケルシーさんがきちんと言い含めればいいじゃないですか」
「言って聞く奴だったら良かったけどな」
自分より他人を優先する指揮官、救いたいと思えば身を挺して掬おうとする愚か者。第三者からすれば物語にして広めたくなるような勇者だろうが、それに付き従うものとしては気絶させてでも止めたくなるような道を選んでいるようなものだ。
そんな奴が自分を救ってくれた年下の少女と、お説教は長い上に散々憎まれ口を叩いてくるがなんだかんだ手を貸してくれる患者に真摯な医者が、疲労を隠して誰よりも奔走している中で休んでいいですよと言われて休むかどうか、である。
「太陽が顔を出したころから夜の帳が降りるまでずっとずっとずううぅぅぅっとですよ? 私が懇願しなければお昼ご飯の休みすら取らなかったんじゃ」
「そのための秘書制度ってとこだろう。記憶は失えど責任感は失わず、仕事と結婚しましたって言いだしておかしくないドクターのオーバーワークを阻止するために秘書って名の監視役をつけるのさ」
「困った話ですね」
全くだ。結男はエイヤフィヤトラの言葉に首を何回も縦に振った。結婚するならば仕事ではなく適当にオペレーターでも見繕えばいいだろうに。
女狐……ケルシーは面倒な事になりそうだしアーミヤ社長は少々幼過ぎるから除外するとして。
例えば安心院アンジェリーナとかはどうだろうか。一本芯の通った責任感と年相応の弱さが同居した新進気鋭のトランスポーター。彼女を厳しい世界を走る大人から、年相応の少女に戻してやるのも声をかけたドクターの責任と言えよう。
例えばカジミエーシュで拾ってきた元暗殺者。いや該当者が二名ほどいるが……まあロドスにやってきた原因になったドクターがこれまた責任を以て面倒を見るべきであり。
例えば龍門の経済に深く食い込んでいるスワイヤー家の一員であり、とある暴竜の後釜に収まった龍門上級警司でもある某オペレーターとか。
そこまで候補を浮かべたところで、十数年お世話になってきた第六感が警鐘を鳴らしてきたので思考を強制的に打ち切った。
危ない危ない。仲を深めると決めた相手に基地の中枢を突然任せたり、あっちこっちへと作戦に連れまわして本人も現地入りして苦楽を共にし、あっという間に打ち解ける天然人たらしの人間関係は複雑に絡み合った時限爆弾のようなものだ。そこいらのナマクラより切れ味の鋭い言葉を不用意に発してコードを引っ掻いて予想外の爆発を起こした瞬間が命日になってしまう。
さらに言えば、長く戦場に身を置いた男よりも直感の働く恐るべき存在もいる。野次馬気分で余計な詮索をして、後日綺麗サッパリその記憶を失った職員がいるなんてまことしやかに囁かれるくらいなのだから警戒し過ぎるに越したことはない。
話を戻すが、仕事や作業を必要以上に行ってしまうというのは非常に良くない。心底から同意出来る事だが問題は、だ。
「エフィ、それはお前にも言える話なんだが」
「えっ」
「疲れたなら書類見るのをやめたらどうだ」
何せタスク管理がなってないと嘆いたエイヤフィヤトラ本人が、心底疲れたと言い放った数分後には文字とグラフがぎっしり詰め込まれた書類を会話の片手間に読み込んでいるのを見るにドクターの事は言えないなあと男はひとりごちる。
「これはその」
「なになに、レイキャネの近くにある火山の噴火兆候? こっちはカトーラ? しかも大災害の可能性が極めて低い……? しかもこの報告書、めちゃくちゃ有名なとこが出してんじゃねーか。それでも故郷が心配なのか」
「昔お世話になった人達がいますから……」
いずれも男の記憶に覚えがある地名だった。いずれもリターニアの移動都市の航路付近にある火山だ。万が一にでも接近中に噴火が起きれば移動都市は闇に覆われ、補給もままならず甚大な被害を覆いかねない。
降り積もる火山灰、火砕流や岩屑なだれによって変動する地表に足止めされ、復旧のめどが立たないまま天災襲来までの破滅的連鎖が男の脳裏に描かれる。
「気に掛ける理由はよくわかった。けど、どんなに良い頭持ってたって休みはきちんととらねえと100%の能力は発揮できねぇぞ」
「そんなこと、知ってますよぉ……」
「自分がなんとか出来るかもしれない、力になりたいって気持ちを持っているとしても、休むことは大事だ」
しかし、男にとっては生まれた国であるリターニアより目の前の少女の方が大事だった。テラという厳しい世界では赤の他人に無理矢理救いの手を伸ばしてしまえば、元々持っていたものを落としてしまう危険性を孕んでいる。
相棒とも言って差し支えない少女と見知らぬ都市一つ分の見知らぬ国民、どちらを取るかと言われて躊躇出来る程豊かな人生を送れていたならば別だったが。
「エインさんは……その……」
何かを聞きかけて、言い淀んだエイヤフィヤトラの葛藤。「エインさん」と呼ばれた男――エインウルズは一転して柔らかい声で少女の気遣いを褒める。
「俺がリターニア生まれってこと、知ってんだろ?」
「…………」
「その沈黙は答えを言っているようなものだな」
とは言え、特別隠してきたものではない。そこいらの源石廃棄物より取り扱いが難しいお貴族様を嫌っているのは周知の事実だし、なんだったら彼を慕う行動予備隊のとあるペッローと出身国が一緒だと盛り上がっていた事もある由。
それなのにエイヤフィヤトラが暗い顔なのは、どう言った経緯なのかを知っているからだろう。一緒に盛り上がっていたペッローだって自分の故郷に対する義務感は持っていたのに、エインウルズがそれを欠片も匂わせないのは、相応の理由があるはずだと。
ロドスアイランドで一番エインウルズと過ごしている自負のある少女はそう確信していた。
「ま、その話はいつかな。何時何時までに話すって確約は出来ねぇが」
「無理にとは言いませんけど……」
「今はそれよりもっと大事な事がある」
「……?」
ほれほれ、とエインウルズが手を上下にひらひらさせる。その意図がわからずエイヤフィヤトラが首を傾ける。
その仕草は確かに可愛いが、すぐに理解してくれなかった少女へ男がめんどくさそうに思考を言葉にする。
「エフィが無茶しないように俺も手伝ってやるから、もっと作業しやすいところへ行くんだよ」
「あ、ありがとうございます!」
鉱石病によって視力と聴力の悪くなった少女の手を引き、艦内の道を指示されるがままに歩く。
ロドスアイランド技術部の類稀なる努力の結晶によって製作されたエイヤフィヤトラ専用の補聴器は、それにかかった費用と材料に比例した高い性能で少女をサポートするが、いかんせん視力の方はどうにもならなかった。出来ない事もないが、曰く「光を集めて肌を焼きそう」だそうで、細かい事はわからないが無理だというニュアンスはエインウルズに充分伝わった。
なので自分が近くにいる時にエイヤフィヤトラがそこそこの距離を歩くときは自分が案内すると決めていたのだ。
エイヤフィヤトラの小さく柔らかい手の感触を確かめながら、必要以上に責任を負わないようにと男は願う。
傭兵として世界を放浪してきて、さらにロドスで色んな任務へ足を延ばして、どうにもならない事は沢山あった。
手のひらも小さければ体躯も同じようなもので、華奢な双肩に不釣り合いな責任感を載せれば誰よりも先に本人が耐えきれずに壊れてしまうのだから。
「俺の目の黒い内はそんなことさせねぇからな」
「うん? 何か言いました?」
「いいやなんでもねぇよ」
補聴器付きのエイヤフィヤトラにも聞こえないように。そっと男はいつ現れるかもわからない敵意へ中指を立てたのだった。