身構えてる時に死神は来ないもんだよ、とはドクターの言葉だったか。
スズランの母親であるイングリッドと衝撃的な出会い方をして、いつ背後から現われやしないかとびくびく過ごしていたらあっという間に七日も経っていた。
ここまで来れば気持ちも切り替えられるもんで、ロドスの甲板で煙草を吸ってここ数日のストレスを解消する。
「荒野の見栄えは悪いが空は青いし。航行の風も気持ちいい……最高だな」
周囲には同じように気分転換か甲板に出てるやつらもいるが、俺は一人を満喫していた。
まあそれはこの後の用事のせいで台無しになるのだが。
要するに、気を抜いたから死神とこんにちはすることになったってワケだ。
部屋に戻った俺に待っていたのは、ドクターからの呼び出しだった。ほいほいとそれに釣られて呼び出された部屋まで出向けば、デスクの向こうにいる笑顔のドクターとソファに座っているイングリッドの姿。
──おいおい死んだわ俺。
「呼び立てしてすまないねエインウルズ」
「ああいやそりゃあ構わねぇよドクター。イングリッドもいるようだが」
「この前ぶりだね」
「あぁ、ロドスにゃ慣れたか?」
「わかっていたけれど、良いところだ。リサの成長が著しいものになるのもわかるよ」
軽い世間話。しかし本題は別だろう。ちょっとした会話のあと、ドクターは改まって本題を始めた。
「ま、それはさておきね、彼女はロドスのオペレーターになりたいそうで」
「そうか、それが俺と何の関係が?」
「もちろん一口にオペレーターと言っても色々ある。戦場での後方支援や偵察、はたまた直接戦闘もあれば本艦の整備士に各地の駐在もね」
「私はリサの傍にいたいと考えているから、本艦勤務を希望しているところでね」
「ついでに言うとイングリッドさんは結構……いや相当荒事に強い人なんだよ」
で、俺にそれを言ってどうするんだ?
ドクターに胡乱な目を向ければ、とんでもないことを宣いやがった。
「イングリッドさんは言いました。『戦闘能力を見せるなら、エインウルズという男を相手に指名してもいいかな』と」
「見知らぬ誰かよりは、娘の知っている相手が良いと思ってね」
イングリッドは涼しい顔で紅茶を口にしている。その飄々とした姿が、イングリッドの言葉がそのままの意味でないことを明確に物語っている。
「もちろん私は了承して、君を呼んだんだよ」
「なあドクター俺の意思も必要だよな?」
「仕事の時間だよエインウルズ。傭兵である君に、依頼としてお願いしようじゃないか。報酬も出るよ」
なるほど。こりゃあこの前のやり取りもドクターに知られてるだろうな。
がしがしと頭を乱雑に掻いて大きなため息。心底やりたくなさすぎて身に入らないが、仕事とまで言われちゃあ断りにくい。
「その仕事を引き受けよう。報酬は多めにしとけよ」
「結構、それでは今からやろうか」
防具良し、プロテクターよし、大盾よし、準備運動も終わって今は広い訓練室の真ん中でイングリッドと相対している。
この前会っていた時の服ではなくロドスアイランドの制服に身を包んでいるが、腰につけていた薄い紫のお守りだけは変わらずに腰へぶら下げており、既に片手には訓練用の剣を抜き身で持っていた。
刀身がぐねぐねしている剣はクリスってのに分類されるんだったか、あれは短剣だったがイングリッドの持つそれはロングソード並の長さだ。「得物のレプリカを作ってもらった」とはイングリッドの言。
「まず誤解しないでほしいのだが、私は君に含むところはない」
「ほ、本当かぁ?」
「ただ、リサに近付く怪しい傭兵を見極めるのは親の役目だと考えている」
「い、言い返せねぇ……」
ぐうの音も出ない程正論だった。ロドスに滞在し、協力する事が多いと言えども俺の身分は傭兵である。別件で一ヶ月ほどロドス外で仕事をすることもあるし、仕事の拒否権も持っている。
「だから力を示しなさい。あの子を裏切らないように」
「ふん」
切っ先を向けるイングリッドへ心外だと鼻を鳴らす。
左腕に通してあるカイトシールドの持ち手を強く握り、利き手のショートソードを構える。
「俺がそれくらいできねぇ奴だと思われるのは癪だな」
「では──」
ゆらり、とイングリッドの姿がブレる。地面を強く踏み込む音に一拍遅れて、構えた盾に甲高い音と衝撃が走る。
「受けられたか、良い腕を持っている」
「冗談キツいぜ!」
一直線の突きだ。速力を乗せた刺突は、ともすれば盾ごと俺の腕を貫いたんじゃないかとすら思った。というか、イングリッドが普段使いしている得物だったらそうなっていただろうなという確信がある。
幸い、訓練用装備だったのでそんなことはなく、体重を乗せて大振りに払ってやると数歩の距離が空く。
今度はこちらから、離れた空間を詰めてショートソードを振るう。だが俺の攻撃も捉えられない。既に身軽く一歩引き、すれすれで避けられた。
「チィ……!」
「おや」
込められた源石術が
アーツ適正が標準に満たなくとも、この程度の小細工はできるようになる。要は使い方次第、というやつだが。
「一寸先すら見えない闇の中ですら戦った事のある私には通らないよ。ましてや、半分も視界がある」
「優雅な女とは思っちゃいなかったがよぉ……!」
全く気にしないかのように再度の攻勢。今度は真下からの斬り上げ──と見せかけて大きく弧を描いての横なぎ。
下方を向いていた盾の上を跨ぐように剣が走り、俺の肩を切り裂く。
滑らかな動きだった。買い物をしたら財布を出すかのような自然な動作で、まんまとかかった間抜けが俺だった。
「ぐっ」
「? この程度なのか?」
態勢を崩しかけた俺への追撃が迫る。それは当然なのだが今度は腕がブレて見える。二重三重に見える剣閃を、なんとか盾で受け止める。
重たい音だ。一瞬だったがそれでもじわりと痺れた。実は剣でなく鈍器かなんかを使っているのか? とも思った。
決して大きいと言えないサイズの身体でこうも強撃ばかりされるとは、どこにそんな力がありやがる!
「息が荒くなっているな」
「舐めやがって……」
追撃は来ない。なるほど、愛娘に近付く輩への試練だから本気を出すつもりはないと。
深く息を吸い、全てを出すかのように吐き出す。イングリッドは息一つ乱していないが、今の一瞬の攻防で俺の気力はごっそり持ってかれた。
それでも、舐められたままじゃ許せんと怒りをくべてにらみつける。
「それじゃあ続きだね」
イングリッドの構えが変わり、俺は足先の向きと肩の線に意識を集中させた。
ぐっと身体が沈み込んだかと思えば、最初の焼き増しかのように盾への刺突。だが上段に向けて放たれたそれを芯で防ぐには切られた肩を高く上げて身を沈み込ませる必要がある。
さらに今度は斬撃への移行。これを予備動作なしに手首の返しだけで行われる。すれ違いざまの一閃、というやつだろう。ダンスを踊るかのように、盾を起点にぐるりと身体を回してなんとか回避。
「迷いなし、やっぱり腕前は確か」
「そりゃどうも……!」
相変わらず値踏みしやがって! なんて叫ぶ間もなく次の影が迫る。
戦い慣れた動きだった。剣のリーチを押し付け、たまに深く入り込んで強い一太刀を放つ。そして突然の大振りでリズムを崩すような一撃。
それら全てが速い。カウンターをなどと考えてもイングリッドの止まる瞬間がない。
守り続けることはできるが、それだけじゃあジリ貧だ。切り下ろしからの水平切り、これも読んで防げたが、態勢は崩される。
「オラァ!」
裂帛の気合とともに、前へ出る。無理矢理にでも前に出ることで勢いのままにイングリッドへ体当たりする。
当たった──
「残念、今のは良い判断だったけれど」
ピリッと腰回りの布が破れ、薄く切られた肌から血が滲む。どういうことだ? 俺は今確かにイングリッドを押して転倒させたはずなのに。
「
「くそったれ……」
「陽炎みたいなものさ。私は炎のアーツを使えてね、それを極小にまで効率よく圧縮して、空気の揺らぎで誤認を生む」
どういう原理だよ、と叫ぶ間もなくイングリッドが動く。
「盾の動きが緩慢だ。肩腕が耐えらていないし先の怪我で足回りも悪いときた」
本気ではない。こちらを伺うように乱雑に、しかし滑るように正面から左右、背後に回り込まんと剣を振るう。
俺はと言えばついていくのがやっとだ。この女本当に強すぎる。自分とて十数年を戦場で生き抜いてきた自負があるし、殺しなしの模擬戦環境とは言えここまでの差とは。
「リサは強い子だ。それでも、世界はそれ以上に残酷。だから私はあの子の歩む道を共に行く相手を間違えるわけにはいかない」
「──ハッ」
はっきりと嘲笑の意を込めて笑う。
「じゃあ間違えようがないな」
「なに?」
一瞬の硬直、だがそれで充分だ。
「ここはバカばっかだからよ、隣に並び立つやつも背中押してくれるやつも、疲れた時に肩支えてくれたやつも、全員いるんだよっ」
いくらこちらの目をごまかしても、剣を盾で受けたならあとはその先にイングリッドがいるのは事実だ。押し返した手ごたえで方向を悟り、
「捉えたぞ!」
足りないリーチを、ショートソードに纏わせた氷を一気に結晶化させて伸ばす。確かな手ごたえと共に盾に残っていた感触も消え、数メートル先に着地したイングリッドが剣先を落とした。
「……そうか」
「満足かよイングリッド」
「どうかな……でも、信じられる理由にはなりそうだ」
言葉に反して、イングリッドは“認めるべき瞬間を見られた”という事実があるのだろう。最初の冷淡な声と裏腹に、娘を想う温かさがある気がした。
模擬戦闘は終わりだ。その言葉と共に俺は装備を捨てて地面へ身体を投げ出す。ホンット~~~に疲れた!
「ああそれと、私が求めるのは“娘の前で強がる人”ではない。“折れずに立ち上がる人”だよ」
「けっ」
淡々とそう言い残して、イングリッドは先に訓練室を出ていく。
「バケモンみたいな強さの女だったな……どうなってんだマジで」
後日談であるが、見事オペレーターとなったイングリッド──改めウルピスフォリアの経歴を見て、ふざけんなと憤慨することになる。
シラクーザのマフィア、それも大きなとこのファミリーにいて暗殺任務や奇襲戦のエキスパートとして名を馳せていた。そんな女と密室で二人きりの戦闘なんて聞いてねぇぞ! と。
ドクターはへらへらして「言ってなかったっけ?」などと宣ったので一発ぶんなぐった。