それでも、その紙一枚が、揺るぎない境界となる。
(──なに何!? 何なの!?)
ルーナはとにかく混乱していた。
船の高いところから、ゼノの城のある方を見ていた女の子が、ルーナにはわからない言葉(多分日本語)で何かを叫んだ瞬間。
さっきまで笑顔でもてなしてくれていた人たちが、いきなり豹変。連れの一人を叩きのめしたのだ。
びっくりして、怖くて──でも、それよりもっと怖いものが、空に見えてしまった。
──忘れられる訳もない、3700年前の悪夢の再現のように、空の向こうから迫り来る
カルロスとマックスと抱き合って怯えていたら、まとめて周りの人に引っ張られて、テーブルの下に連れ込まれた。
次の瞬間、爆音みたいなエンジン音が聞こえて、空から銃弾の雨が降って来た。
でも、銃弾の雨を降らせた戦闘機は、船の上を通り過ぎるなり、何故かそのまま墜ちていって。
それで終わったのかと思ったら、今度は河の下から潜水艦。
けれど、潜水艦から現れた武装集団は、
潜水艦から降ってきた手榴弾も、サムライみたい格好の人が竹の棒で弾いて、全部空で爆発。
「──馬鹿野郎! やめろ! この船が沈んだら、“石化を解く方法”も失われちまうぞ!」
そこで、一番最初に捕まえられてしまった軍人さんが、潜水艦に向かってそんなことを叫んだ。
その後、船の船長だと紹介されていた男──龍水が、日本語で何かを言って。
──それで、恐いことは、終わったらしい。
「──大丈夫? 三人とも、怪我はない?」
そう英語で訊いてきたのは、ニッキーだ。
英語がわかる一人として紹介された女の子。スポーツをやっているのだと、一目でわかる体つき。それも、多分、格闘技の類。──実際、叫んだ軍人さんを殴ろうとしたマッチョマンを、力づくで止めていた。
けれど、ルーナたちを見る目に、恐い感じはいっさい無かった。純粋に、こちらを心配してくれている声音。
「そうだ! お嬢! 怪我は!?」
「無事ですかい!?」
ニッキーの言葉で、はっと我に返ったように、カルロスとマックスが騒ぎ出す。
「だ、大丈夫。私より、二人の方こそ、怪我は?」
「何ともないっス!」
「ピンピンしてます!」
問い返せば、わざわざポーズをとってまで元気さをアピールしてくる二人。──かすり傷くらいはあるかもしれないが、大きな怪我はしてないようでホッとした。
「今の攻撃について、アンタたち、何か聞かされてたかい?」
「──えっ……? ううん、何も……っていうか、それって……」
ニッキーの言葉に、ルーナは愕然となる。
それは、その言葉は、つまり──
「……あの戦闘機と潜水艦は、こっちの軍人連中か」
苦い声で言ったのは、カルロスだ。
「そうだよ。──やっぱり、アンタたちは、何にも知らされてなかったんだね」
「──クソッ!『何が友好のためのパーティーだから、何の危険もない』だ、あのマッドども!! 最初っから
同情の滲むニッキーの声を受けて、マックスが怒り散らす。
──つまり、ルーナたちは、Dr.ゼノたちに“捨て駒”にされたのだ。
ゼノたちは最初から、ルーナたちごと、この船を攻撃する気で──ルーナたちは今頃、戦闘機の機関銃で蜂の巣になっていても、おかしくなかった。
そうならずに済んだのは、ニッキーたちが、ルーナたちを安全なところに引っ張り込んでくれたおかげなのだ。
「──あ、あの……助けてくれて、ありがとう……」
「礼なんて要らないよ。──『敵味方問わず、死人を出さない』っていうのが、
ニッキーは何でもないことのように言うが、それはかなり無茶な目標設定ではないだろうか。
確かにこの船への襲撃は死者なしで切り抜けたようだが、ゼノの城に出向いた千空たちは──
「──そうだ! あの光! あれって……!」
その後のドタバタですっかり忘れていたが、空に見えた、あの
「ああ、あれは、ウチの使者団の仕業だよ。『ゼノサイドから攻撃された瞬間、相手の本拠ごと“石化する”』って決めてたから」
「──はっ?」
言われた言葉がうまく呑み込めず、ルーナはぽかんと口を開けて呆けてしまった。
「──お前ら……“石化を解除する方法”だけじゃなく……“石化する手段”も、もう持ってるのかよ!?」
カルロスの悲鳴じみた問いに、ニッキーは不敵な笑みを返すだけ。
──それは、無言の肯定だった。
「──ちょうどいい。ルーナ、カルロス、マックス。貴様らも、一緒に来い」
愕然と立ち尽くすルーナたちに、そんな声をかけてきたのは龍水だ。
「……こ、来いって、どこに……?」
マックスの問いに、龍水から返された答えは、
「ゼノの城へ、だ。──貴様らには、この戦争の証人になってもらうぞ」
そうして、ルーナたちは、ゼノの城まで連れて来られ──その光景を、見た。
一見して応接室だとわかる部屋に、七つの石像。
テーブルを挟んでおかれた、二人掛けのソファが二つ。
ホスト側のソファに座ったままの石像は、ゼノ。
その側に立つ、スタンリーとブロディの石像。
ゲスト側のソファに座った石像と、それを守るように抱きしめた石像。
そのソファの裏で、隠れるように蹲った姿の石像。
最後にもう一つ、テーブルの影に隠れるように倒れた石像──その衣服の胸元には、銃痕らしき穴が複数空いていた。
「──ッ……」
思わず息を呑んでしまったルーナを余所に、石像たちの姿を見た龍水が、“その瞬間”の状況を推察し出す。
「フゥン……スタンリーが千空を撃とうとして、それを司が庇い、相手の弾が尽きるまで盾になり続けた、というところか?──お前らには、どう見える?」
不意に問われても、ルーナには何も答えられなかった。
代わりに、マックスが口を開く。
「……仲間から銃を受け取るつもりだったにしても、スタンリーの立ち位置が少しおかしい。──盾になった男を
「ということは──司は、相手の弾が尽きた後も、盾として立ち続けたということか! ハッハー! さすがだな!」
その推察を受けて、龍水は高らかに指を鳴らし、仲間──司の奮闘を讃える。
(──そんなこと言ってる場合?)
石像姿とは言え、仲間が銃撃を受けたと一目でわかる状態で倒れているというのに、龍水のこの余裕は何なのか。
と、そこで、英語がわかるメンバーとして、ニッキーと一緒に紹介されていた女性──南が、何やら箱のような物を構え出す。
「……あれはカメラだよ。現場の記録を撮るんだろう。──邪魔にならないように、アタシらは一回出よう」
ニッキーが、そう言ってルーナたちを部屋の外へ連れ出した。
「──ね、ねえ……あの、倒れてた人、大丈夫なの……?」
いくら石化を解く方法があったとしても、あの位置の負傷はどうしようもないのでは──そう、問わずにいられなかったルーナへ、ニッキーは笑顔を見せてくれた。
「大丈夫だよ。アタシらはこの石化現象を“
「そ、そうなの!?」
思わず驚きに目を見開く。恐ろしいばかりだと思っていた石化には、そんなメリットもあったのか。──龍水の余裕の理由がわかった。
「じゃなきゃ、さすがに『攻撃
苦笑気味なニッキーの言葉で、気づく。──彼らは本当に、ゼノ側から
「でも、千空は、“話し合い”で事が収まる可能性を、最後まで捨てたくなかったんだろうね……」
溜息をつくような、ニッキーの呟き。
「千空は……平和主義なのね」
ルーナの呟きに、ニッキーは何とも言えない表情になる。
「……“死人を出さない”ためとはいえ、100人近い人間を詐術にかけた男を、平和主義って呼んでいいもんかい?」
「──えッ!?」
何かとんでもない前科が出てきた。
「いや、まあ、あれはアタシも共犯だったし、それで日本国内の復活者の争いはうまく終結したんだけどさ。……なんていうか、『死人を出さないためなら
(──えぇ……?)
ニッキーのその言葉で、ルーナが勝手に思い描いていた『たった一人の叡智で皆を率いて日本を復興した、知性あふれる地道な信念の努力家』という千空像が、ブレる。
(……なんか、千空って……思ってたより、
ルーナがショックで呆然としているうちに、記録が終わったのか、龍水と南が部屋から出てきた。
「──杠、コハク」
龍水に呼ばれたらしい少女二人が、南と入れ替わりで、彼と一緒に部屋へ入っていく。──それに、何故かニッキーが表情を硬くした。
「……どうかしたの?」
ニッキーが答えるより先に、部屋の中から聞こえたのは、
「──え、えっ!?」
「……多分、
重々しい、ニッキーの声。まさかの単語に、ルーナはぎょっとした。
「し、手術……!?」
「割れた石像を直すだけなら、杠だけでいい。でも、コハクも呼ばれたってことは、それだけじゃない。──多分、司の石像の
「──ひえっ……」
つまり、弾を
いくら治るとわかっていても、それは、相当に──
「イ、イカレてやがる……」
思わず、という風にカルロスがこぼせば、ニッキーは困ったように笑った。
「──訂正するよ。『死人を出さないためなら
自嘲のような口調に反して、誇らしげな響き。
(──イカレた……)
ルーナはそこで不意に、パーティーで出されたアイスクリームの味を思い出した。
──3700年ぶりに食べたあのスイーツは、リーダーである千空が、出かける直前にわざわざ作ってくれたものなのだと、出された時に聞いた。
その時は、彼の言っていた「美味いもん」ってこれのことだったのだと、ただ素直に喜んだだけだったけれど──今思い返すと、あれも
だって、それはつまり──千空は『いざとなったら敵の本拠ごと“石化する”覚悟を決めた』上で、『わざわざ
そして、ニッキーたちも。戦闘機が今にも迫り来るという時に、
そもそも、『敵味方問わず、死人を出さない』という科学王国のモットー自体が、壮絶だ。──敵の命なんて諦めた方がずっと楽なはずなのに、それでも、彼らはそうしない。
その
でも、その在り方は、ルーナからすると、
(……まるで、本物のお医者さんみたい)
ルーナ自身は落ち零れだったけれど、それでも医大生だったから、本職の医療関係者の講義を聞く機会もあった。
だから、思うのだ。千空たち科学王国の在り方は、まるで──『目の前の患者の命を決して
彼らは、“石化現象”を“
──だって、きっと、ゼノたちだったら、そんな風に“石化現象”を使ったりしない。
「危険など何もない」と嘯いて送り出しておいて、諸共に銃弾の餌食にするようなゼノたちは、もし“石化現象”を使えるようになっても──きっと、そんな
ゼノみたいな人間を
決意と行動力が強すぎて、うっかりすると、同じもののように見えてしまうけれど──彼らにあるのは“人を死なせない”という揺るぎない
(──“石化現象”を使えるようになったのが、この人たちで、よかった)
そう、ルーナは心の底から思う。
──“人を殺す狂気”の持ち主ではなく、“人を生かす信念”の持ち主が、“石化現象”の使い手になってくれて、よかったのだ。
「……科学王国って、亡命を希望したら、受け入れてくれる?」
ルーナの言葉に、カルロスとマックスがぎょっと目を剥いたけれど、ルーナはこの要望を引っ込めるつもりはなかった。
ニッキーは、ちょっと意外そうに目を見開いてから、
「
破顔して、そう、歓迎してくれたのだ。
* * *
捕縛した軍人の一人──戦闘機に乗っていた女パイロットが、フランソワと何やら言い合っている。
というか、一方的に女パイロットの方が口汚く罵っているのを、フランソワがやんわり宥めている様子。
その光景を見ての、モズの感想がこちら。
「うーん、結構カワイイ
(……ブ、ブレねぇ……)
思わずゴーザンは、そのブレなさに感動してしまった。──さすが、敵だったコハクを口説いたという男。
「ふざけたこと言ってないで、片づけを続けてください、モズ」
モズのぼやきを、スパッとキリサメが切り捨てる。
「
──キリサメの言う通り、現状、ペルセウス号は酷い有様だった。
盾にするためにひっくり返したテーブル。当然、それに載っていた料理は床に散乱し、ドタバタの中で踏み荒らされてグッチャグチャ。
あげく、戦闘機の機関銃やら、潜水艦が無理矢理引っかけてきたフックやらで、甲板に穴まで空いてしまっている。
(……まあ、戦闘機と潜水艦に攻められて、被害がこれだけで済んだと思えば、相当安いもんなんだけど)
しかし、放っておけば、料理が腐って悲惨なことになるので、甲板の掃除は急務である。
「スイカもお役に立つんだよー!」
人のお役に立つのが生き甲斐な超絶有能幼女は、戦闘中は船内で隠れていることしか出来なかった(本人がどう言おうとこればっかりは周りが許さなかった)反動もあってか、すさまじく張り切って掃除してくれていた。
──そうして、ペルセウス号がざっくりと清掃を終えた頃、ゼノの城(へ、龍水たちが持って行ったケータイ)から、連絡が来た。
『河からボート回すから、そっちにいる捕虜ども、こっちに連れてこい』
無事に復活したらしい
「敵の本拠に閉じこめると? あまりにリスクが高くありませんか?」
そんな風に異を唱えたのは、氷月だ。
『いや、俺らで“
「ああ……なるほど、人質ですか」
『言い方は
──そうして、ゼノの城から
と、それまでずっとギャンギャンやかましかった女パイロットが、スタンリーの石像を見た瞬間、絶句したように黙る。
他の捕虜も衝撃を受けたような表情をしていたが、特に彼女の反応は顕著だった。
(──恋人、とか……そういう感じか?)
ゴーザンは、そんな風に二人の関係を予想する。
だとすると、少し可哀想な気もするが──スタンリーのやらかしたことが凶悪すぎて、弁護の余地がない。
「千空からの指示でね、俺は
司のその言葉で、氷月と金狼が入れ替わりにボートに乗る。
そうして、捕虜を乗せたボートは、龍水の操舵でゼノの城へと戻っていった。
「ゴーザン、手を貸してくれるかい?」
「ウッス!」
そう声をかけられたので、ゴーザンは司と一緒にスタンリーの石像をペルセウス号の奥まった船室へ運び込み──
「おう、司! 緩衝材とか持ってきたぜ! 容れる箱は、これから石像のサイズに合わせて作る!」
「ワシ謹製の鍵もあるよ~。箱と、部屋につけるヤツの二つ」
そこに、大荷物のクロムとカセキがやってきた。
「ああ、ありがとう。──千空から、この後のことも、聞いたかい?」
「いや、『次の仕事は、司に言ってあるから直に聞け』ってだけ言われた。──これ、電波に乗せたくねぇ話ってことだよな?」
「──あ、俺、失礼した方がいい感じっスね?」
司の言葉に対するクロムの返答で、機密性の高い話だと察し、ゴーザンはその場を去ろうとしたが──
「待ってくれ、ゴーザン。君、自分の顔のヒビ、気になるかい?」
「はい?」
司に呼び止められ、そんなことを訊かれて、思わず目を丸くしてしまうのだった。
世界線変動:ルーナ(とお供二人)が、千空との