試練は、週明けにやってきた。
云わずもがなの、ランク・キプロードンとの会談である。
場所は、先方の希望で軍本部になった。
「私は籠もりますからね、呼び出さんで戴けますか!」
タチは云い捨てて、またしても仮眠室を占拠したようだった。まぁ確かに、“眠って”いれば、同行してくるアストリッドに捉まる危険性もない。
代わりに、デラーズと、新しく秘書官代わりになった“鳩”――ユーリー・C・リュズギャル中尉と云う、眼鏡の男――をフル活用することになる。
「わ、私が閣下の秘書官など、本当に宜しいのですか」
などと云う、この男は随分自信がないようだ。“ガルマ”の許にやったトール・フォルタ中尉の傲岸不遜なところ――あのタイプは絶対にそうだ――を、少しこちらに分けてやりたいくらいだと思う。
「構わん。機密も多い部署であるし、他の“鳩”との兼ね合いなども考えると、貴官以外に相応しいものはないように思う。当座は据え置きで頼む」
「は、私で宜しければ」
リュズギャル中尉は、かちっとした敬礼をした。
「うむ、頼んだぞ。早速だが、明日のキプロードン首相の会談について、差配してもらわねばならん。できるか」
「は、会議などの算段には慣れております」
「ほう、それはそれは」
これは、なかなかの拾いものであったかも知れぬ。まぁ、拾ってきたのはタチであるが。
「タチ少佐殿が、今回は表に立つわけにはゆかぬとおおせですので――そのあたりにつきましては、万事お任せ戴ければ」
横幅の割に背ばかり高く、ひょろひょろとした印象であったが、“鳩”はやはり“鳩”だと云うことのようだ。
あるいは気弱そうに見えるのは、その明らかなアジアの血のせいか。
「うむ、では任せる。巧く計らってくれ」
「は」
とりあえず、これで当分は、秘書官問題には煩わされずに済みそうである。
晩餐会の後は、結局ララァ・スンの作った酒肴を食べ、最近手をつけていなかったシングルモルトを舐め――就寝したのは、結局日付が変わった後だった。帰ったのは二十一時頃であったと記憶しているから、まぁ三時間ほど“お喋り”につき合ったと云うことになる。
早く帰ったからかどうか、ララァはそれなりに機嫌がよく、こちらが不在の間の子どもたちの様子や、例によって学校のこと、アルテイシアやマリオン、ミルシュカたちの日頃の様子、日常の他愛もない“発見”などを話して聞かせてきた。
まぁ、酔っていなくて良かったと思う――往々にして女と云うものは、こちらが上の空であればすぐに察知し、厳しく問い詰めてくるものだからだ。疲れて帰ってきて、さらにそんなことになれば、翌日以降まで引きずることにもなりかねない。
それはともかく、ランク・キプロードンである。
アストリッドは“ガルマ”とキャスバルに任せることができたが、父親の方はそうはいかない。その上、リーア訪問時、あの男はこちらの正体を見抜いて声をかけてきた。そうである以上、今回の会談も、そのあたりのことどもから入るに決まっている。
“オルガ・イツカ”が存在しない人間であるとわかっているのだから、その節の“不法入国”――IDなどは“正規”のものだが、それとこれとは話が違う――やら何やらを、重箱の隅をつつくように突かれるのだろうか。
――厭だ厭だ。
それでさらに、娘をけしかけるような真似でもされれば最悪である。
ともあれ、キプロードン父娘はやってきた。
娘は当然会談の場には来ない――かつての“ガルマ”のような不作法は、流石にアストリッドはしなかった――ので、向こうも秘書官らしき壮年の男と、それからSP数名を伴っての顔合わせである。
「やぁ、久しぶりだな、ギレン・ザビ」
ランク・キプロードンは、当然“前回”とは異なり、仕立ての良いスーツ姿である。横に、初老の男を伴っているのは、秘書官でもあるのだろうか――日系にも見えるが、もしやこの男が、サキ・ミヨシの父親だろうか。
対するこちらは、例の軍服姿だ。
「えぇ、モニタ越し以外では」
リーアでのことはなかったことにして云うと、にやにやと笑われた。
「随分と違うな。どちらが本当の君だね?」
本当も何も、どちらも間違いなく自分ではある。
まぁそれ以前に、あの時顔を合わせたのは“オルガ・イツカ”なので、そこは混同してもらっては困る。こちらがあの時会ったのは、“アストリッド・クヌートソンの父親”であったはずなのだし。
「私はいつでも私ですが」
少々ぞんざいな口調になるのは許してもらいたい。
「ふふ、頑なだな」
「……それにしても、何故、私と会談を? 現状、私は軍の最高責任者ではありますが、他サイドの首相が会談を望まれるような要素はないと思われるのですが」
軽い挨拶の後、席につきながら云ってやると、ランク・キプロードンは小首を傾げた。
「何の冗談だね。コロニー同盟におけるムンゾの実質的なトップは君だと、皆知っているし、そもそも同盟の発足も、君が立案してのことだと聞いているよ。ある意味では、君はお父上よりも深く、コロニー世界の政治情勢に咬んでいるだろう」
「まぁ、同盟そのものが、軍事的な側面を多分に孕んでおりますからな」
結局のところ、コロニー同盟の肝は、連邦による武力行使があった際の、コロニー社会全体での対応の仕方にあるのである。ルウムの件で、ムンゾがかたちばかりとは云え部隊を派遣したのも、そのあたりの絡みなのだ。
まぁ仕方ない、ムンゾ以外は、文字どおり自警団に毛の生えたような武力しか持たぬのがコロニーである。ムンゾを見ればわかるとおり、一定以上の武力は、連邦との間に余計な軋轢を生み出しかねない。そうであるならば、武力を持つのはムンゾくらいにしておいて、同盟の数の力で、多少なりとも連邦政府を動かしていくしかないのである。
「そうだ」
ランク・キプロードンは頷いた。
「つまり、コロニー同盟における軍事面の最高責任者も、実質君と云うことになる。そのような人物との対話が、無駄なことだと云えるかね?」
「……なるほど、確かに御高説承りました」
半ば厭味のつもりで返すと、面白そうな顔をされた。
「この間も思ったが、君は意外に、何と云うか、感情が豊かだな」
「腹芸は向かんのですよ」
“狐”の何のと云われはするが、狸にはなれぬと云うのが正直なところだ。化かせるが、その方向性が違うと云うか。まぁ、これでよくぞ五年以上、ゴップと化かし合いがやってこれたものだと思う。
「そうかね? なかなかのものだと思うのだが」
「“父”にお聞き戴ければ、おわかりになりますよ」
特に、デギン・ソド・ザビ本人に対する態度などを聞けば。
が、ランク・キプロードンは含み笑っただけだった。
「親と云うものは、往々にして、自分の子どもの真の力などわからんものだよ」
「そこは否定致しませんが」
したいことしかできない、どうしょうもない娘の唯一の特技――音楽――を、天の恩寵のように褒め讃えるものがあったり、テロリスト気質の危険な娘を、“国母の器”と仰ぐものがあったり、様々だ。
まぁ、親の目には、どうしても自分自身に似た欠点ばかりが目につくところはある。他処の人間にとっては、その欠点すらが素晴らしく思えることもあるようなので、何とも云い難い部分はあるのだが。
ともあれ、相手がまともな会談をするつもりで来たのであれば、こちらも真摯に臨まねばならぬ。
当初の想定よりかなり真面目に、有事の時のムンゾとリーアの協力関係について確認し、また連邦に対して、コロニー同盟として足並みを揃えていくことを同意する。
これほど真面目な会談になるとは思っていなかったのだが、リュズギャル中尉が早速良い仕事をしてくれた。新しい“秘書官”が、なかなかに有能であることを確認できたのも嬉しい。なるべく長く務めてくれると嬉しいのだが。
予定していなかった合意文書を取り交わし、握手をして会談を終わるか、と思われた時。
「ところで」
握手の手をぐっと握って、ランク・キプロードンは微笑んだ。
「独り身と聞いたが、結婚はしないのかね」
他の弟妹はみな、相手が決まったと小耳に挟んだが、と云ってくる。
――きた。
「……一度逃げられたことがありますので、当分は独り身を愉しむつもりですが」
予期していたことであるので、用意していた返答を慎重に口にする。
相手は小さく笑った。
「もったいないことだ。君ならば引く手あまただろうに」
「ご本人と云うよりは、父親の方からお話を戴きますな。まぁ、最低限の条件を上げると、大概の方は沙汰止みになりますが」
「最低限の条件?」
「えぇ」
頷いて、いつもの文言を口にする。
「妻としたとして、もしも人質に取られることがあったなら、私は構わず犯人の制圧を命じるが、それでも良いかと」
かつてマハラジャ・カーンに告げた言葉を、今、ここでも繰り返す。
ランク・キプロードンは、暫、沈黙した。
やがて、
「……これはこれは」
溜息とも何ともつかぬ息を吐き出し、その唇の端がつり上がった。
「思ったより自信過剰ではないのだな。君のような立場なら、あらゆるものから自分が守る、とでも云いそうなものだが」
「国より大事なものがあっては、いざと云う時、判断に迷いが出ますので」
「国に仕えるものとしては立派な言葉だが、個人としてはどうなのかね」
「私には、ムンゾやコロニー社会以上に大事なものなどありませんので」
個々人が、その家族や係累、恋人などを最上位に置くのは自由だが、それならば、こちらが国や社会を第一にすることも認めてもらいたいものだと思う。別段、こちらは自分の価値観を強制するつもりはないのだ。ならば、そちらも自身の価値観を強制するのは止めてもらいたい。
だから、はじめから云っているのである、家族よりも国や組織が大事だと。
「そうなると、それでも良いと考える人間はぐっと減る、と云うことなのですよ」
そして、そのような男に娘を嫁がせたいと思う親も、ほぼいないでしょう、と云うと、小首を傾げられた。その様は、少し娘に似ているようにも思う。
「だが、好き合っていれば話は違うのではないかね?」
「国を動かすのに、あまり私情に左右されるのは好ましくありませんので」
まぁ、いつぞやの“昔”には、こう云う部分が嫌われて、結果、馘を落とされることになったのだろう――縁故や閨閥に頼りがちなものどもは、それで動かぬ人間をひどく疎んじるようだから。
とは云え、このような断りたい“縁談”がある時には、この云い訳はそれなりに使えるだろうと思う。
「……なるほど」
ランク・キプロードンは、苦笑混じりの溜息をついた。
「君の意志が堅固なのはわかった。アストリッドには、君は難しいようだな。娘を持つ父としても、娘がどのように扱われるかわからない相手に、嫁がせたいとは思わないだろう」
「結婚には向かぬ男ですよ、私は」
惣領息子であれば、子をなさぬわけにはいかないが、ザビ家の跡取りは“ガルマ”と云うことになるだろうから、そこを心配しなくとも良いのだろうし。
ジオン・ズム・ダイクンの娘とザビ家の婚姻は、ムンゾ――ジオン共和国の国民感情を高揚させることになるだろう。
そうなれば、不肖の子のひとりが独り身で終わろうと、気にするものもあるまいと思う。
「惜しいな」
と云うが、そう云う欲得絡みも出てくるから、縁談は面倒なのだ。
「ご縁がなかったと云うことで」
「君が並の男だったなら、飛びついてくれると思ったが――ギレン・ザビはやはり手強い」
「御冗談でしょう」
手強いのは、間違いなくリーアの政治家たちである。原作での蝙蝠ぶりは伊達ではないと云うことだ。
会談の場を出ると、“ガルマ”とキャスバル、そしてアストリッド・キプロードンと、何とサキ・ミヨシが顔を揃えていた。
「お父様」
アストリッドは云って、父親に歩み寄りかけ、ふとこちらにまなざしを向けてきた。
リーアで会った傍若無人な少女、しかし、流石にこの場ではおとなしくしているようだ。
「フラウ・アストリッド」
ギレン・ザビらしい、冷たい顔を作って声をかける。
「キャスバル中尉とわが“弟”は、正しくおもてなしできましたかな。あなたのムンゾ滞在が、良いものでありますよう」
軽く一礼する。
隣りで、ランク・キプロードンが微苦笑するのがわかった。
「では、私はこれで」
「あぁ、ありがとう、ギレン・ザビ」
殊更名を強調するように呼びかけてくるのは、娘に聞かせるためか。
あの日のように差し出された手を、今度はきちんと握り返す。
あの時のように引き寄せられることはなく、一礼すると、“ガルマ”たちを伴って、振り返ることなくその場を後にした。
ランク・キプロードン一行は、予定どおりにリーアへ帰っていった。
その週末、“ガルマ”を自宅に呼び出した。今回も含めての“反省会”のためである。
当然、キャスバルは置いてこさせた。いや、来ても良かったのだが、来れば“反省会”が“キャスバルに反省を促す会”になるのはわかっていたし、それで本人が反省するとも思われなかったので――いろいろな意味で、キャスバルの存在は、頭痛の種となりつつある。
「まずは、アストリッド・キプロードンの“接待”はご苦労だった。何とか無事に収めたようだな」
そこは労ってやるべきところだろう。
途端に“ガルマ”は胸を張った。
「頑張った!」
「……まぁ、そうだろうとも」
この“弟”は、ララァ・スンとの仲を取り持とうとしているようなので。
とは云え、
「今回の反省会は、わかっていると思うが、キャスバルの件だ」
と云うと、顰め面を向けられた。
「わかってる。もう、あっちからもこっちからも、ものすごく釘を差されてる」
「釘か」
「五寸釘通り越してもはや杭みたいな?」
吸血鬼に打つあれ、ヤバいやつ、と云う。
「ランバ・ラルか」
「ドズル兄貴と士官学校の先輩たちからもね」
「それでようやく、こちらの云った意味がわかったのか」
「あれだけ云われりゃね」
うんざりした顔。スルースキルの高い“ガルマ”をうんざりさせるとは、どれくらいの“苦情”がいったのか。
やっと正しく認識したか、と思うが、それで万事解決、とはならないのがキャスバルである。
「本当に、どうしてああなった」
「わっかんねー。いつの間に“テディベア”になってたんだろ、おれ」
「何だそれは」
「小さい子ってさ、お気に入りのぬいぐるみとか、絶対に手放さないでしょ。洗濯しようとしてるのに、すっごいギャン泣きして抵抗したり。あんな感じ?」
「キャスバルが小さな子ども?」
あるいは、“ガルマ”がテディベアだと?
「所有物みたいに思ってるフシがあるんだ。もしくは、自分の延長……“三日月”がバルバトスに感じてたそれに似てるかも。ついでにおれの方でも、キャスバルを異物として認識できてない」
「……なんだと」
それは“何ちゃってニュータイプ”の能力だと云うのか。
しかし、
「……だが、それならアムロたちはどうなんだ。そこまでではないだろう」
“ガルマ”は肩をすくめた。
「キャスバルとは、最初に繋がってからずっとそのままだった。アムロも時期は早かったけど、その後でゾルタンやフロルが来たからさ」
「おい、待て。いつからだ? いつから繋がっていた?」
肩を掴んでがたがた云わせようとするが、するりと逃げられた。
「……フラットに行った初日に。吃驚しすぎて殴り合いになったんだ」
「あれはそういう事態だったのか!?」
単に、馬が合わずに、言葉の行き違いから殴り合いになったのだと思っていたのだが。
「聞いてないぞ!」
「言う時期を逸しちゃってたんだよ……」
ごにゃごにゃと云うが、いくら何でも逸し過ぎだ。あれから何年経ったと思っているのか。
「それは置いといて、話を戻すよ!」
“ガルマ”は、強引に話を変えた。
「おれもひとのこと言えないけどさ、テリトリー意識がすごく強いんだ、キャスバルも……うちの子達はみんなそう。身内とか親しい人間に対して、独占欲、なのかな? 他人が領域に入ることをひどく嫌うんだ。キャスバルがアストリッドに噛み付いたのも、彼女が“ギレン”にちょっかい出したからからじゃないかと」
「ほう?」
無事に“接待”できたわけではなかったのか。
「なんとかなったけどさ……」
「最低限の礼は失しなかった、と云う報告は、粉飾だったのか」
「“最低限”をどこにもってくるかで違うよね」
「良識の範囲内、と云う意味だと思ったが」
「小娘の喧嘩を真っ向から買っちゃってたよ」
「……何と云うことだ」
別段、キャスバルとアストリッドの仲を取り持とうなどと云う望みなど端からなかったが、良識の範囲外の“接待”になるとは思いたくなかった。キャスバルは、軍人としての任務を何と心得るのか。
「ほんと、どんだけヒヤヒヤしたと思ってんの?」
キャスバルの口に紅茶とかスコーン詰め込んで黙らせてさ、と云う、それは物理的に黙らせたと云うものではないか。
「リーア側はアストリッドを野放にしやがるし、ムンゾはおれに丸投げだし」
ぶつぶつと文句をこぼす。
「……まぁ、多少はわからないでもないんだけどさ」
身内とか、懐に入れたとかでない人間が、自分のテリトリーに踏みこんでくるのが厭だったんじゃない? などと云いつつグラスを傾ける。美しいカットのオールドファッションに注がれているのは、いつの間にやら持ちこまれていたらしきボウモア12年である。バーなどなら眉を顰められること請け合いの、グラスの半分以上まで注がれたそれを、舐めるように飲んでいる。
「……だけど、それ以外では極めて優秀。恐ろしいくらいに頭が切れるから、判断も行動も迅速。カリスマはあの通り。人気は言うに及ばず。欠点は唯一、おれっていうテディベアを抱えてること」
「唯一の欠点で全てが台なしだ」
唯一どころか、最大の欠点ではないか。
「テディベアにしては、随分と物騒じゃないか」
“ぬいぐるみ”は、自ら動いて精鋭部隊を組織しようと画策したりはしないはずだが。
「かかる火の粉は払わないとね」
と“ガルマ”は肩をすくめる。が、その火の粉の何分の一が、“ガルマ”の行動と無縁だったかは怪しいところだ。
「お前は、平地に乱を起こすようなところがあるからな」
「失礼な!」
と云うが、すべては今までの経験から、つまりは大体が“ガルマ”のせいである。
「……まぁいい。アストリッド・キプロードンには速やかに帰ってほしかったからな、キャスバルが酷くとも、問題にはならんだろうが。父親の方とは話もついたし、この件は、これで終わりになるだろう」
父親の方とは話もついたし、この件は、これで終わりになるだろう。アストリッドが、こちらを“オルガ・イツカ”と認識したかどうかはわからないが。
「これで、面倒なのがひとつ減ったと云うことだな」
後は、ギニアス・サハリンを残すのみ、か。
呟くと、
「それ! ギニアス・サハリン!」
“ガルマ”が身を乗り出してきた。
「なんであんなヤバいの野放しにしてんのさ? さっさと排除したいんだけど! ヤっていい?」
“ヤって”が“殺って”に聞こえるのは、多分気のせいではないだろう。
「殺ってどうする」
確かに、アイナ・サハリンのことなどを思えば、ギニアス・サハリンを“殺る”のは選択肢のひとつであると云えなくもないが。
「下手に飼っとくより、ヤっちゃった方が世のため人のためだと思うけどー」
あのままにしとくと、いずれこっちを殺りにくるよ、と云う。
『08小隊』は見ていないが、あれやらこれやらで、その常軌を逸した振る舞いは見聞きした。旧友を爆殺したり、スタッフ全員を、アプサラス完成祝賀のパーティーで毒殺したり――確かに、まともな人間とは思われない。
ただ、
「そんな男でも、アイナ・サハリンにとっては、唯一の肉親だからな」
原作軸のように、既にいろいろあった後ならともかくとして、まだ今の段階では、納得し難いのではないか。
「せめて、何かやらかしてくれた後ならやれそうだが……」
例えば、こちらを毒殺しかけるとか。
と呟くと、
「やめてよ」
“ガルマ”が睨んできた。
「そういう危ないのはなし。タチにおれの“糸”渡したでしょ。もう拾ってるはずだよ」
「……本当に、渡したのか」
“ガルマ”の悪だくみの元になった、あの蜘蛛の巣のような情報網を。
「渡したよ。戦争になったら、どのみち前線に出るんだ。指揮と諜報と両方は難しいから」
だったらタチに渡しといたほうがいいでしょ、と云う。
「――まぁ、ギニアス・サハリンについては、最悪、開戦後に難癖をつけて処分するか」
本当に最悪のラインではあるが。
「そんなことしなくても」
“ガルマ”はグラスを舐め、にやりと笑った。
「実験中の事故なんて、いくらでもあるんだから」
“事故”なら、アイナだって納得するでしょ、と云う。
「……相変わらず恐ろしいな」
こう云う発言をぺろっとできるところが、“ガルマ”の尋常でなさだと思う。普通の人間は、例え思っていたとしても、このような発言を平然とすることはないはずだ。
「だって、優秀な他の科学者を殺されたくないでしょ」
と云うのは、『08小隊』におけるスタッフ皆殺しの件についてか。
「確かにそうだが」
しかし、それで未然にギニアス・サハリンを排除する、とは、なかなかにいかぬものなのたが。
「そういうのは、おれがやるよ。得意だって知ってるでしょ」
“ボス”は手を汚さなくていい、と、まるで旅行の計画でも話すような口振りで云う。
どうしても正当な理由を求めてしまうこちらとは、そのあたりで様々に違ってくるのだろう。いつぞやのことについては、“形式を尊んで後手に回り、結果失脚した”などとも評されたが、形式を尊んだのではなく、アリバイを作りたかっただけなのだ。その結果が失脚からの横死と云うのは、仕方がないとは云え、業腹ではあったのだが。
しかし、有事の際には“ガルマ”のやり方でも構うまいが、平時となればそうはゆかぬ。今は、有事と平時の端境期である。このような時には、よくよく潮目を読んで動かねばならぬ。有事になった途端に、その手前の判断で足元を掬われては、その後の濁流に呑まれ、二度と浮かび上がってこれなくなるかも知れないのだ。
「よく“兵は拙速を尊ぶ”って言ってるじゃない。もたもたしてるより、さっさとヤッちゃった方がいいと思うよ」
「……“ヤる”の字が“殺”に聞こえるんだが」
と云うと、ふふと含み笑いが返ってきた。あながち間違いでもないらしい。
「デギン・ソド・ザビやドズルたちは、どうしてこう云うところが見えんのだかな……」
この本性を知れば、末子可愛いでは済まぬと思うのだが。
“ガルマ”はチェシャ猫のように笑った。
「“ギレン”が自分でよく言ってるじゃないか、人間は、見たいものだけ見るんだって」
「……つまり、きゅるんとしたお前の顔だけ見たがっていると云うことか」
それは確かに、“見たいものだけしか見ていない”。
「そんなことより、この先のことを考えようよ」
などと云われても、まだ今日のところは、この先のことまで考える余力はない。
それに、
「――それを云うなら、この先どうキャスバルを躾けるかが問題だろう……!」
このままやりたい放題のキャスバルとともに戦争に突入することがあれば、蟻の一穴とやら、どんなに万全を尽くしたとしても、キャスバルからすべてが崩れていく、と云う展開がないとも限らない。
「もう大丈夫だよ」
多分、と小さくつけ加えられたのを聞き逃さない。
「多分、じゃない、断言しろ。でないと、危なくてお前らを一緒にしておけん」
えー、と“ガルマ”が不満の声を上げる。
「離した方がやばいって。また同じことになると思うけど?」
「キャスバルに、お前を戦場に出す覚悟があるとは思われん!」
これがアルテイシア相手ならまだしも、同じ軍人であるはずの“ガルマ”相手にあれでは、実際に戦場に臨んだ時のことが思いやられると云うものだ。
「せめて、“多分”を取って、大丈夫だと断言できるようにしろ」
それができたとしても、その時になれば駄々をこね出す可能性はあるのだし。
“ガルマ”は少し目を見開いたが、やがて肩をすくめ、
「……はいよ、りょーかい」
と頷いた。
しかし、反省会には続きがあった。“ガルマ”やキャスバルとではない、少女たちの方である。
お泊り会がないはずの週末に、アルテイシアとララァ・スンに自宅を強襲されたのだ。
「キプロードン首相とそのご令嬢は、無事にリーアに帰国されたそうですわね」
アルテイシアが、またしても圧の高い笑顔で云ってきた。原作軸でよく見た笑顔だが、あれを浮かべるにはもう少し間が――いや、もうそろそろ十五なら、あのような笑顔を浮かべはじめてもおかしくはないか。
だが、四十過ぎの男が、十五ばかりの少女に押し負けるわけにはゆかぬ。況して、こちらが“ギレン・ザビ”であるならば、なおさらに。
「……そうだな、無事に戻ったようだと報告もあった」
アストリッドは、何やら酷く沈んでいたそうだが、まぁ、“オルガ・イツカ”は存在しないのだ、いい加減、自身の現実を見て、足許を固めるべきである。
「あのひとのこと、断らなかったの?」
少しばかり膨れ面のララァ・スンが、上目遣いに睨んでくる。
「父親の方には断りを云った」
事実を端的に告げる。
「娘の方には、そもそもこちらが誰か云っていなかったからな。いもしない男を探しているのだ、いずれ諦めざるを得ないだろう。断りは、父親の方だけで充分だ」
「“逃した魚は大きい”と云いますわよ、ギレン殿」
アルテイシアは、ふふと笑った。
「今ごろ、アストリッドさんは、あなたのことを想って、涙でも流しているかも知れませんわね。本当に、罪な方」
「私が誑して回っているような云い方は止めてくれないか」
そもそも、こちらとしては、束の間の“喋る財布”枠のつもりであったのだし。
どうせあの父親とサキ・ミヨシとが、アストリッドに何やら吹きこんだのに決まっている。
「あら」
アルテイシアは、にこりと微笑んだ。もちろん、引き続き圧は高いままだ。
「そうですかしら。女の勘は侮れぬものでしてよ、ギレン殿」
「勘だけではどうにもならぬこともあるだろう」
「そうだと宜しいですわね」
「どちらにせよ、断りは入れたのだ、あちらがどう思おうと、アストリッド・キプロードンと何かあると云うことはない」
ここだけは断言できる。
アストリッド・キプロードンにうっかり構ってしまったのは、多分“昔”の娘に少し似ていたからだろう、と“ガルマ”に云われたのだ。云われてみれば、好きなことしかできない方の娘に、若干似ていなくもなかったかも知れない――無論、アストリッドの方が数段賢そうではあったのだが。
それで、リーアで流された訳も腑に落ちた。なるほど、娘に近いのだ。決して、対等な女として見ることなどできない。
アルテイシアの青い瞳が、鋭くこちらを見た。
「そのお言葉、信じても宜しいのでしょうね?」
「あぁ」
そもそも、よほどの女でもない限り、意に沿う相手とはなり得ないのだ。アストリッドはまだまだ子どもだ、自身の甘えたい、構って欲しい要求を突きつけてくることも多いだろう。だがこちらは、きたるべき“一年戦争”――期間は一年とはならないかも知れないが――に向けての準備で手一杯で、とてもそのような要求に応えられるとは思われない。
まして、問題児の極みたるキャスバルを抱えている現状では、とても構ってやる余裕などない。
いずれ、不満を爆発させて別れることになるのが目に見えているのだ、そうだであれば、お互い無駄な労力を使うより、端からそのような間柄にならない、と云うのが正しい身の処し方と云うものではないか。
「じゃあ、あのひとはもう関係ないのね!」
と、ララァ・スンは云うが――個人としては関係ないと思いたいが、ランク・キプロードンがこの先も首相を務めるのならば、完全に縁が切れたとは云い難いところはある。
「私としては、そのつもりだが」
「“つもり”、ですか」
アルテイシアがひやりと笑う。
「では、あちらが諦めない限り、次もある可能性が?」
どうやら、姫君の何かに触れたようだが、こちらに云えるのはここまでだ。
「あちらの気持ちまでは測りかねるな。まぁ、父親の方には最低限の条件は告げておいたから、あれで次があるとも思われんが」
「何ですの、その“最低限の条件”と云うのは」
「妻としたとして、もしも人質に取られるようなことがあっても、犯人確保を優先すると」
つまり、妻であろうと見殺しにすると云うことだ。
アルテイシアは沈黙した。
やがて、ゆるゆると息を吐き、
「……はじめの奥様が出ていかれた訳は、何となくわかりましたわね」
「云っていただろう、私は結婚に向かぬ男だと」
「ガルマのお兄様とも思われぬご発言ですこと」
「あれと私は根本から違う」
“ガルマ”は血縁と、半径二メートルほどの範囲の人間関係が最優先だ。だから、キャスバルや、こちらの云うことを、割合に唯々諾々と聞いて、それを解決するためにのみあの“悪知恵”を使うのだ。
まぁ、あれで優先する範囲が広かったなら、本人がパンクするか、あるいは世界が滅びることになるだろうから、あれはあれで丁度良いのかも知れないが。世界は、案外巧くできているものなのだ。
「私にとっては、あなたの父上の作られた、このムンゾ、ジオン共和国こそが第一なのでな。それ以上に優先すべきものなど、考えつきもしないのだよ」
「私たち、身近なものも、ムンゾ以上ではないと?」
「あぁ。だが、ムンゾを守ることは、あなた方を守ることでもある。そうではないかね?」
「間接的にはそうでしょうけれど」
アルテイシアは溜息をついた。
「それに頷ける女性は少ないでしょうね。よくわかりましたわ」
「おわかり戴けるのはありがたいな」
どうにも、批難しかされんのでね、と云うと、肩をすくめられた。
「前の奥様もお気の毒だったこと。――ララァ、あなたはどう?」
「私は大丈夫」
ララァ・スンは胸を張った。今までの話を聞いて、そこでどうして胸を張れるのかがわからない。
「だって、私は多分、“それ”が近づいてきたらわかるわ」
“それ”――自分たちに対する悪意を向けてくるものが。
「――なるほど」
流石はニュータイプだ。
「そうよ。だから、あなたは私のことを守ろうとしなくても大丈夫。私は、自分のことはどうにかできるわ。それに――何かあっても、ガルマがいるし」
「……それはどうなのだ」
端から“ガルマ”に頼るようでは困るのだが。既に、それでキャスバルがああなところもあるのだし。
「大丈夫」
ララァは笑った。
「万が一のことよ。あなたは、何も心配しなくていいの」
ね、アルテイシア、と、隣りの少女に笑みかける。
アルテイシアは、小さく溜息をついた。
「ガルマが約束したのなら、確かにそうね」
「――良いのか」
自分以外の少女を守らせるなど。
と問うが、少女にとっては想定内、あるいは既に知ったことのようであった。
「だって、私たちはもう家族ですもの。あの人は、家族のことは絶対に守りますから」
あなたとは違って、と言外に云われるが、そこは重点を置くものの違いだろう。
「あれと私は違うのでな」
「わかってるわ」
ララァは笑った。
「だから、いいの。あなたが私を守るんじゃないわ。私があなたを支えるの」
真っすぐな、澄んだまなざしだった。
それに、胸を突かれたような気分になる。これが、“シャア・アズナブル”をして「私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!」と云う科白を吐かせしめた少女の勁さなのかと。
だが、残念ながら、こちらは母親など求めてはいない。必要なのは、ともにムンゾを動かしていき得る対等なパートナーであり、守ってくれる女でも、守ってやるべき女でもないのだ。
まぁ、ここでそれを口にして、少女の夢を砕くところでもあるまい。
薄く笑んでやると、ララァは瞳を輝かせ、アルテイシアは溜息をついた。
「まぁ、私はララァの意志を尊重致しますわ。ギレン殿も、そのことはお含み置き下さいな」
「わかっている」
だんだん、アルテイシアは、原作軸の“セイラ・マス”に寄ってきたな、と思う。やや切口上な感じのするところなど、本当に“セイラ”そのものだ。
――まぁ、三倍の年齢の男を相手にするなら、それくらい肩肘張らねばならないか。
“ガルマ”に対しては、相変わらず子どものような口利きだそうだ――と、ララァ・スンが云っていた――から、相手によって使い分けているのだろう。そう云うところは、ある意味ではその兄よりも、きちんと育っているようだ。
――それに引き換え、キャスバルは……
原作軸とは似ても似つかぬ――否、原作でもそんなところは多分にあった。だからこその「情けない奴!」であり、また「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!」なのだろう。
それにしても、原作軸ではもう少し、隠すようなところもあったように思うのだが。
――“ガルマ”が甘やかし過ぎたな。
それだから、軍の任官ひとつにもがたがた云うことになるのだ。
「キャスバルが、あなたくらいしっかりしていてくれればな……」
思わず呟くと、アルテイシアは目を見開き、やがてくすくすと笑い出した。
「仕方ありませんわ。男の方って、いつまでも子どもみたいなんですもの。況して、まだ若い兄が、そうそう大人のように振るまえるとは思われません」
「キャスバルは、凡愚ではないと思っていたが」
「それとこれとは関係ないんじゃありませんこと? ランバ・ラルも、クラウレにはたじたじじゃありませんか」
「……確かに」
あの夫婦も、歳の差は十数歳ほどだったはずだ。そして、いつでも余裕があるように振るまっているのは、歳下のクラウレの方である。
「ギレン殿は、あまり子どもっぽさはおありになりませんものね。だからおわかりにならないのかも知れませんけれど」
「まぁ、子どもの頃から、可愛げはないと云われていたな」
だから、集団からやや弾かれているようなところはあった。まぁ、もちろんそれだけが理由ではなかったのだが。他愛のなさを後天的に獲得するのは難しいのである。
つまり、子どもの小集団と云うものは、殊に“異分子”を嫌うと云うことだ。大人になれば何と云うこともない差異も、学校と云う均質さを求められる場においては、排除の対象になり得るほどのものとなる。特に、東アジアにおいてはその傾向は著しい。
――そう思うと、“ガルマ”はどうしてそれを乗り切ったのだかな。
あるいは、より近しい性質――つまりは男子――の集団に接近して、そこに紛れてでもいたものか。
「……誰か、キャスバルを支えて立たせてくれるものはないのだろうか……」
こぼれた愚痴に、アルテイシアがまた笑った。
「ガルマが兄にべったりしている限りは難しいかも知れませんわね。ギレン殿とは違う意味で、兄も恋愛や結婚に向かないのかも」
「それでは、ダイクン家はどうなる」
せっかく、この手で守ってきたと云うのに。
「まぁ、何とでもなるでしょう。今のギレン殿くらいの歳になったら、変わることもあるかも知れませんし」
と云って笑うのは、キャスバルの手本になれとでも云う圧力か。
冗談ではないと思うが、それを口にする無神経さは、流石に持ち合わせてはいなかった。
「……まぁ、そうあらまほしいものだな」
それだけ云うと、少女たちは勝ち誇ったような笑みを浮かべてきた。