家を盛り立て、レースを盛り上げ、そして勝ち獲ってきた。何より自分の為に楽しんで、走ってきた。
その自負がこの胸にあり、そして責務もまたこの背にある。
期待に応えた充足と、応える責務が。
あの日の私はそうだった。
今もそうだ。何も変わらない。
………と。あの白銀の前で、
「いよいよ、明日なんですね」
(誰の何が明日なんでしょうかね)
夕暮れの中庭で芦毛の美少女がなんかエモいこと言ってくれてますが、俺には何のことかサッパリ分かりません。クロスクロウです。
というか身体が全く動かせないんだよね。かといって固められて窮屈だとかそういう訳ではなく、姿勢はあくまで自然体かつ違和感も無く……まるで別の誰かの身体に入り込んで操られてるみたいな。
……みたいな。と言うより、まんま
(見える校舎もなんだか絶妙に古臭いし。タイムスリップでもしちまったのか)
あり得ないとは言えないのがウマ娘、有史以来非論理的な事象を度々引き起こすのを確認されてきた種族だ。んで俺にもそれが起きたってんなら、火急的速やかにバックトゥザ・フューチャーしたい所だけども……うぅん、動けん!バカな!!
「ああ。皆が見送ってくれる中、飛行機でひとっ飛びだ」
(キェェェェェェアァァァァァァ口が勝手にシャァベッタァァァァァァァ!!)
「その割にはなんだか寂しそうですけれど」
間違いない。やっぱ誰かに憑依してるわ、それも乗っ取りじゃないパターン。まぁ乗っ取りだと申し訳なくなるからむしろ良かったが……良くねぇよいつ元の体に戻れんだよあくしろよ。
……でも、なぁ。この芦毛さん、どっかで見覚えあるんだよな……。
「君と暫く会えなくなるんだ、当然だよ。その憂いを断ち切る為にこそ、ここに呼んだんだしね」
「あら、ロマンチック。シリウスちゃんが聞いたら嫉妬されそうです」
「ハハッ、その時はルナが良い具合に取り成してくれると有難いかな」
思案してる内に話は進み、談笑し合う2人。なんだか聞き覚えのあるような名前が出た気がするけど、暁に染まる銀髪が映えてそれどころじゃなかった。
なるほど、身体の持ち主さんが執着を見せるのも納得がいく可憐さを見せてきたな。こりゃあ相当だぞ。
「……シロ」
と、ここで持ち主さんが改まったように咳払い。数拍の沈黙を経て口を開いた。
「ご存知の通り、俺は海外に向かう。日本ウマ娘としては異例の長期遠征へ」
「───知ってますとも。一度跳ね返された壁へ、それでも諦め切れずにもう一度」
「手厳しいな。だがそれだけの価値はある。いや作り出してみせる」
「勝つ、と?」
芦毛さんの目が訝しげに細まる。というよりこれは、憂い?
どうやら向こうも、持ち主さんの事を憎からず思ってるようではあるけども……それが恋愛か友愛かは置いとくとしても。それでも彼女の進退について思う所があるようだった。跳ね返されたという単語から垣間見るに、一回失敗してるっぽいな。
それでも持ち主さんは揺るがない。毅然とした態度を崩さず。
「勝つさ──なんて無責任な事は言わない。だが負けるつもりも無い。この身体が前よりも充実しているのは確かだからな」
(まぁその体に今俺が入り込んでるんですけどね……なんて、茶化してる場合じゃないか)
だって、熱い。持ち主さんの心臓が熱を上げて、体ごと俺を蝕んでいる。不安は確かに燻ってるのに、それを全部覆い尽くしてしまうような炎が。
どうしてここまで強く在れるんだ。失敗を恐れながら、なんでそこまで出来るんだ。
……その答えは、一秒後に示された。
「続くんだ、この道は」
道。
「例え俺自身が地に塗れて終わったとしても。灯った火を誰かが継いで、俺が死に物狂いで掻き分けた獣道を照らしてくれる。この屍を踏み越えてくれる」
自分ではない誰かの。
「それを何度も何度も続けていけば、獣道はいつか踏み馴らされて本当の道になるだろう。そうすれば、今度こそそこを通った誰かが、叶わなかった夢を叶えてくれる筈だ」
「捨て石になると。本気で言ってるんですか」
「なる気は無い。だが
芦毛さんが僅かに醸した怒気も跳ね除け、持主さんは本気でそう言っていた。つまり、彼女は。
「シロ。俺はね」
その身一つで。
「この日本競馬に、風穴を空けたいのさ」
「───っ」
芦毛さんは、一頻り呆けてから、告げた。
「その道は、後から続く者の
「希望、の間違いじゃないかい?」
「だって、それを魅せられたルナちゃん達はどうなりますか。シリウスちゃんはどうすると思いますか、俊ちゃんは。勝てれば良い、しかし貴女がもし辱めを受ければ……どうなってしまうとお思いで?」
「……ああ。分かっている」
容赦なく叩きつけられる懸念は、お互いの信頼関係を前提としたもの。真摯にそれを受け止めて、持主さんは頷いてみせた。
「だから君を此処に呼んだ。君にしか頼めない事だ」
「……何をすれば良いのでしょうか」
「俺を叱ってくれ」
そして告白する。己の要求を、欲求を、目の前の少女に。
「もし俺が、君の心配通りに無様を晒し、君の懸念通りに
「もし俺が栄光を掴めたなら、褒めてくれ。讃えてくれ。
「今日この時と同じ場所で、同じように向かい合って、その為に此処で───」
「───待っててくれ」
ああ、うん。これは本当に告白なんだ。
愛だ。持ち主さんは、芦毛さんへ今、自分の愛を送った。愛って、こんなに熱く強く、激しいものだったんだ。知らなかった。
この人は……誰よりも何よりも早く、芦毛さんからの言葉を聞きたくて。それが称賛でも罵倒でも。
「……願掛けですか。貴方というヒトは、本当に」
「ははっ、ダシに使うようですまない。だがこう見えて緊張してるんだよ」
「分かっています。だって、ホラ」
「!!」
それに応えて、そっと取られた両手。その強張りをなぞる指先に、思わずドクンと心臓が跳ねる。
脈動を感じ取ったのだろう芦毛さんは、どこか悲し気に微笑んで。
「こうすれば、頑張れますか?シンボリ家のウマ娘としてだけではなく、一人のスピードシンボリとして」
「……敵わないね。ああ、頑張れるとも。これで百人力だ」
額が合わされた。双方眼を閉じて、感触だけで互いの存在を味わい尽くすかのように。
相思、相慕、相愛。それを体現した二人に、しかしそれ以上の事をする事は無い。
……時代が時代だ。具体的にどれほど昔かは分からないけれど、今より色々厳しい世界だっただろう。恐らく名家に生まれたのだろう持ち主さんと、同性である芦毛さんが、一線を越えるにはあまりにも。
それ以上に直感が告げている。この二人は、きっと結ばれなかったんだって。
だからこんなに切ないのか。だからこんなに尊いのか?
「どう貴女を罵るか、今から考えておきます」
「頼むよ」
「でも私、そういうのは苦手なので。碌な言葉が出てきてくれないでしょう」
「それは怖いな。想像するだけで鳥肌が立ちそうだ」
「ですから、どうか言わずに済みますように」
それで最後。二人、目を開いて、見つめ合って。
「勝って、
……そこで景色が一変した。
枯葉の舞う女神像。先程までと同じく、向かい合う二人。時間が飛んだことはすぐ分かった。
芦毛の少女の表情から、遠征結果の如何さえも。
罵倒は無かった。
代わりに、抱擁が身を包んだ。
言葉は無かった。
「……」
「──」
あれだけ考えた罵りの言葉を、少女は放てなかった。
持ち主は、受けるべき誹りを免れてしまった。赦されてしまった。
呪いとなった夢を抱えて。二人の関係は、終わった。
「まぁ、はい」
現在俺は、持ち主さんからの体から離れて自由の身になっている。目の前には抱き合ったまま止まった二人、というか俺が離脱した時点で映像の再生が止まったみたいだ。持ち主さんはうつ向いていて背中しか見えない。
そんなこんなで囚われの身から脱せた俺は、引っ張り出してくれた誰かさんに背中越しに礼を告げる。
「ありがとうございます。どうすれば良いかマジで分かんなくって」
「え?」
振り返るけども、誰かさんの立ち姿は相変わらず靄に包まれてよく見えない。それに視線を貰うのは嫌なようで、また不機嫌を示されて元の姿勢に戻されてしまった。
……どう思ったか、ね。
「この過去の先に、俺の今がある。ってとこですかね」
気に召したようで、続きを促される。こちらとしてもそのつもりだったので悪しからず。
「彼女は報われなかった。だからこそ日本ウマ娘レースは海外への戸口が開かれ、今も夢への挑戦が続いてる……誰かが先駆けにならなきゃ、その道は築かれなかった」
「そんな訳が無いでしょ……と否定できる立場じゃないのが困った話です。彼女たちの涙の恩恵を受けてこそ現在のURAはあって、その恩恵を俺達は享受してるんですから」
海外はレベルが違う。今なお壁は厚く、でも挑む土台は辛うじてできてるのが現状だ。彼女達の夢が無ければそれさえ無かった。
彼女達だけではなく、きっとこんな例は他にもいっぱいある。夢を背負った、半生を賭けたそれでも叶わず打ち砕かれ打ちひしがれ……同時に打ち砕いて、踏み潰して。そうしていったい幾千の夢が、このターフを過ぎ去っていったんだろう?
その台の上に立っている俺達は、決して否定してはならない。その業を受け入れなければならない。
………けどさ。全肯定するのもまた違うよな?
「無駄にしたくないな、って」
だってこのままじゃ、ただの悲劇だ。それじゃあんまりだろ。
折角切り拓かれた道だ。誰かが進まなきゃ無駄になって終わってしまう。
だから誰かが、この道を選ばなきゃいけないんだ。きっと芦毛先輩は、この事をこそ“呪い”と呼んだんだろうな。
でも、俺は……
「報いたいし、報わせたいんだ」
きっとルナちゃん、シリウスちゃんだってそうだ。彼女達も夢を継いで、持ち主さんから俺の時代に繋いでくれた。名前よく聞き取れなかったけど。
時を超えて何度でも受け継がれた想いを。その意志は無駄じゃない、このまま終わらせはしないって。必死に走って、バトンを託して───それは今、俺の手の中にある。
だから。
「報われるまで進み続ける。それだけだろ」
終わらせたい。長年の悲願へ決着を。
繋ぎたい。積年の想いを次の世代へ。
どちらの結果になろうとも、その道をどこまでも。望む果報を勝ち獲るまで、何度でも。
……これは直感なんだけど、アンタもそうなんじゃないか?
「こっわ。助けて貰っておいてなんですが祟らないで下さいよ」
「色んな意味で聞き捨てならないっすねそれは。夢が続く限り、彼女は負けてない」
俺の問いに、靄を纏った右手が動く。そのまま彼女自身の胸へ……その心臓を指差したのはすぐ分かった。
「それは……」
そして靄さんの背後が光り輝く。どうやらこの時間にも終わりが来たようだった。
「……分かりました。見返せると良いですね、その人達の為にも」
「それはもう全身全霊で」
「えっちょっそれもうちょっと早く言ってくれません!?」
締まる言葉の一つも言えずに、そこでおしまい。止まった世界も、悲しみのまま終わった持ち主さんも芦毛さんも、靄さんも光に中に消えて………────
───起きた。
普通に全部覚えてた。あるぇ?
「おはようございます。大丈夫ですか」
「あっすみません。えぇと……」
「高等部のマンハッタンカフェです。先程、おt「アグネスタキオンだ!カフェの“オトモダチ”が急に活発に動いたらしくてね、観測のチャンスかと思って追ってみれば君が倒れてたという訳さ!!」……ハァ。そういう事です」
「あー。中等部のクロスクロウです。ご迷惑をおかけしました」
卒倒していた所を先輩方に介抱され、ベンチに寝かせて貰ってたらしい。いやはや申し訳ないやら情けないやら、後日菓子折持ってお礼に窺わないと。しっかし、オトモダチさんとはいったい?
「恩に思ったなら提案があるんだが、ちょっと君の血液標本を戴けないか?黄金世代及び幕府に匹敵する君の噂は私の耳にも入っていてね、ぜひ研究させてもらいたいのだよ!!」
「それで良いなら是非……」
「ダメです。クロスさん、真に受けてタキオンさんを調子に乗らせないで下さい」
「カ~フェ~!!!」
(うおっ耳痛ッ)
金切り声が耳腔で反響する中、ふと思い至る事があった。芦毛さんの顔と、靄さんの最後らへんの言葉だ。
誰かに似てると思ってた。そりゃそうだ、なんで思いつかなかったんだ?
(……母さんじゃん)
───うん。決まった。
「よし」
「ヨシじゃないが」
「黙っててください。で、何か決まったんですか」
「グエー」
「すみません、ちょっと個人的な方針って奴を」
チョークスリーパーを掛けるカフェ先輩と掛けられるタキオン先輩を尻目に、膝枕から起き上がる。今まで下らない理由で邁進してきた疾走にやっと胸を張れそうな熱意が付いてきたから。
「三冠」
「ほぅ」
「……凱旋門」
「!」
王道名高いクラシックの華。そして世界の頂点に待つ仏国の栄光。
過ぎた願いだってのは分かってる。どこのウマの骨から生まれたかも定かじゃない身で目指すだなんて、不相応この上無いとさえ言える栄華の極みだ。
でも、それでも、俺は。
「勝たなきゃ……!」
命令された訳じゃないけれど。俺が俺の意思で選んだ茨の道だけれど、これは権利じゃなくて義務。
そう言い聞かせる事で、俺は俺の覚悟を固くする。それ以外に、自分を鼓舞する方法を知らなかったから。
from:シンボリルドルフ 件名:現世利益 スピードシンボリ 様 お世話になっております。シンボリルドルフです。 今はまだ詳細はお話できませんが、信じられないモノが手元に転がり込んできました。早ければ来年、もしくは再来年の秋に吉報を改めて送れると思います。 どうか楽しみにお待ちいただきたく存じあげます。
【追伸】 シリウスからも類似メッセージが届く頃合いかと思われますが、恐らく同じモノを指して書いていると思われるので御了承下さい。
中央トレセン学園高等部 生徒会長 シンボリルドルフ |
from:シリウスシンボリ 件名:果報 スピードシンボリへ 久しぶりのメールだが、簡潔に述べさせてもらう。 果報を待ってろ。
【P.S.】 ルドルフからも似たようなメッセージが届くかもだが無視してくれ。
中央トレセン学園高等部 シリウスシンボリ |
「相変わらず仲良いなぁ」
揃って送ってきた“匂わせ”に目尻が緩む。微睡に耽っていたところ、どうやら無視し難い拾い物を彼女らはしていたらしい。
まぁ、私相手に送ってくる程だ。どの案件に対する物か、というのは愚問だろう。
「……君の言った通りになったね、シロ」
『スピードシンボリ様。お時間になりました』
「今行く」
今話せないのなら、お望み通り私は待ちに徹するとしよう。故郷は遥か、夢破れたその地にて。