二度目の人生こそは─   作:霞草。

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第三話

「ラナン、寂しかったよなぁ…ごめんな。まさか第一子が生まれる直前だっていうのに、出張を言い渡されるなんて…」

 

 

「そう嘆かないで下さい。ラナン様は何のことやらと仰るかのように、きょとんとされてますよ。」

 

 

「ううっ…ラナンは可愛いなぁ。」

 

 

そんなやり取りを何度聞いただろうか。

 

ラナンの父親はこの部屋に来てからというもの、ずっとこの調子だ。

 

特にラナンに有益な情報を流すでもなく、ただただ出産後すぐにラナンも会えなかったことを嘆く。

 

アーシャが

 

 

「そろそろ、ラナン様のミルクの時間でございます。」

 

 

と、遠回しに“出ていけ”を伝えているのだが、ラナンの父はその真意に気付かず

 

 

「ああ、いつもラナンの世話をありがとうな。」

 

 

といったような返事で終わってしまう。

 

別に、父親がここにいるのは構わない。

 

ただ問題は─

 

 

「あり得なくないか?どうして愛する我が子の生後すぐに会えなくなるような出張期間になってるんだよ…ラナンもそう思うよな!?」

 

 

(うるさい…)

 

 

アーシャは時々愚痴や近状を話すだけだからまだ良い。

 

問題なのはこうやって嘆きながら騒がしく話し掛け続ける面倒な父親だ。

 

ラナンの父親は昔からずっとこんな性格だった訳ではないらしい。

 

ラナンの母親曰く、母と出会って変わっていった、とのこと。

 

外見通りの冷淡な性格だったラナンの父は、彼女と出会って初めて人の優しさを知り、その本性をさらけ出していったそう。

 

 

(“初めて”人の優しさを知り…。決して平坦な道を歩んできた訳ではなさそうだが、それにしても騒がしいな。)

 

 

ラナンは少しの同情と嫌気が差しつつも父親を見ると、その端麗な顔はすっかり幼稚なものへと変わってしまっていた。

 

 

「もう…ラナン様が困惑してらっしゃいますよ。声のボリュームを抑えて頂けますか。」

 

 

(アーシャ、よく言った!)

 

 

「いや、ラナンはそんなこと思ってないよな?な?」

 

 

(…)

 

 

この父親には前世から手を焼かされていた。

 

母親と会ってから変わったのかは知らないが、普段の性格は幼稚で能天気で。

 

 

─でも、いざという時には本当に頼りになった。

 

 

政治面での駆け引きは段違いに強く、小さい頃に父親とチェスをやって惨敗になった記憶も朧気ながらある。

 

ラナンが彼の書斎を覗くと、いつもとは比べ物にならない程真剣な面持ちで仕事をする姿がよく見られた。

 

そんな父親の横顔が格好良くて、好きだった。

 

 

「ほら、高いたか―い!」

 

 

そんな感動的な良い話をぶち壊すかのように、彼は思い切りラナンの身体を持ち上げる。

 

 

(ちょ…死ぬ!死ぬ!こんな(赤子の)身体じゃもたない!)

 

 

何度も身体を上下に往復させて満面の笑みを浮かべる彼には、僅かながら殺意が湧いた。

 

 

(前言撤回だ、こんなの。悪意がないのが余計にたちが悪い。)

 

 

「きゃああ!何をなさっているのですか旦那様!」

 

 

アーシャが悲鳴を上げ、ラナンも丁度、本格的に嫌気が差してきた頃。

 

 

─「もう!何をしているの!」

 

 

室内に響き渡る、甲高く怒気が混ざった声。

 

 

「フォン、そんなに乱暴に扱ったら駄目じゃない!」

 

 

「あっ、ヴェリア…」

 

 

声の主はラナンの母だった。

 

出張から帰ってきたラナンの父を出迎えたためか、いつもより少し明るく、けれど、それでも控えめなローズ色のドレス。

 

中心部分にある光輝くルビーが、青い瞳と対比していて美しい。

 

その艶のある茶髪を靡かせながら、彼を長々と叱咤する。

 

ラナンの父は子犬のようにしょぼんとして落ち着いたが、ラナンにとってはもはやどうでも良くなっていた。

 

 

(どういうことだ…?お母様の名前は前世と変わっていて、お父様の名前は前世と同じ…?)

 

 

前世のラナンの母親の名前はヴィカリア。

 

共通する文字はあるが、全く同じではない。

 

前世から転生したものの意識はない、という母の状態から考えても、別に違和感は抱かない。

 

ただ、問題は父の方だ。

 

前世と今世で名前が変わらない。

 

間違いなく、ラナンの母親は彼を“フォン”と呼んだ。

 

 

(ひょっとして、前世の記憶があるのか…?)

 

 

しかし今まででそんな素振りは見せていない。

 

前世と同じような容姿、性格、そして何も知らないような穏やかな顔。

 

前世の記憶が残っているのだろうか。

 

そしてそれを隠しているのだろうか。

 

それとも、まだ幼いラナンにはそれを理解出来る程の思考力はないと思っているのだろうか。

 

いくら考えても所詮は仮説のため、正確な答えを導き出せる保証はないものの、ずっと考え込んでしまった。

 

その時に丁度、父─フォンに名を呼ばれたようで、思わずびくっとして振り返る。

 

 

「ラナン、ごめんよ。まさか赤子の身体にそんなに振動が届くなんて思いもしなかったんだ…」

 

 

「ラナン、許してあげて。」

 

 

揺り籠に寄って項垂れながら謝るフォンと、その背を撫でる母─ヴェリア。

 

 

「ちゃんと考えて行動しないと駄目よ?フォン。」

 

 

フォンはしゅんと落ち込み、その姿は子犬の耳が垂れ下がっているのが見えるような錯覚すら感じさせる。

 

しかし、ヴェリアの瞳にはしっかりと愛が映っていた。

 

しっかり者の母親と、少し幼稚な父親。

 

 

─前世を彷彿とさせる、ありふれていた光景。

 

 

(この感覚は、懐かしいな。)

 

 

この居場所は本当に心地よくて、ずっといたい。

 

胸に温かい“何か”が染み渡っていく感覚だ。

 

そう、それはきっと─愛。

 

この空間で、ずっと生きていたい。

 

ラナンは安穏を抱き、(まぶた)を擦った。

 

 

(─それにしても。)

 

 

本当にフォンには、前世の記憶があるのだろうか。

 

 

「そうだヴェリア。せっかく帰ってきたんだから、二人で何処(どこ)かに出掛けないか?」

 

 

「何処かって?大体、ラナンが可哀想じゃない。」

 

 

「うーん…久しぶりに劇でも見に行くか?ラナンには少しだけ我慢して貰って…なんせ、久々の“デート”だし!」

 

 

フォンは満面の笑みで、愛おしそうにヴェリアを見る。

 

ラナンからしたら別にデートとやらに行っても構わないのに、ヴェリアはかなり心配…というより、ラナンに寂しい思いをさせたくないようだ。

 

フォンの出張期間中も、手が空くとすぐに子供部屋に来ていた。

 

その度にラナンを抱いて、中身は15歳のラナンは少しだけ羞恥を覚えて。

 

それでも結局、嬉しそうに

 

 

「デートって…ふふっ。まあ良いわよ。でも、すぐ帰ってきましょうね。」

 

 

と笑った。

 

 

「よしっ!」

 

 

嬉しそうにガッツポーズをして、その後少し我に返ったのか照れ隠しで頬を掻く。

 

前世と変わらない笑顔と仕草。

 

 

(あ…はは、お父様だ。いつものお父様だ。)

 

 

少し苦笑も混じったが、ラナンは確信した。

 

この家族の中で前世の記憶があるのは、ラナンだけだと。

 

◇◇◇

 

フォンは自室のドアを開け、使用人にここを出るよう伝えた。

 

一人きりになり、ドアを閉めた時のギィーという音がやけに室内に響いていた。

 

ヴェリアとは一度別れたが、午後に劇を見に行くことになり、身支度をするという建前で、頭を冷やすためにも自室に籠った。

 

 

(ラナン()、前世の記憶があるのか?)

 

 

あの赤子とは思えない落ち着きよう。

 

そして今世でも、フォンと同様に名前が変わらない。

 

 

(だとしたらこの(前世の)話を持ち掛けるべきか?でもどちらにしろ、言葉は話せないか…)

 

 

あの時─ヴェリアと共に火炙りにされて死んだ時。

 

自分が皇太子に裏切られる予測も出来た筈だ。

 

あの皇太子カルアの過去を調べれば、すぐに。

 

今世に来てやっと、僅かに残っていた古びた文献や記録から、カルアの母親についてとカルアとヴェリアの関係についてを調べられた。

 

それだけを調べるのに十数年は掛かったが、前世だとものの数年で調べられて警戒・阻止出来たのかもしれないと思うと悔やまれる。

 

知らぬ間にコントロールされていたのだろうか。

 

どちらにせよ、危機意識に欠けていたとしか言いようがない。

 

 

(今度こそは…ヴェリアを、そしてラナンを、守り抜かなければ。)

 

 

自分の愚かな判断で命が消えていく。

 

まるで戦場のよう。

 

フォンは無意識に自身の親指の爪を噛んでいた。

 

そこから滴る赤い涙にも、気付かずに。

 

◇◇◇

 

そして、5年の月日が経った。




登場人物メモ《今世》
・ヴェリア…ラナンの母。しっかり者。

・フォン…ラナンの父。前世と変わらずお茶目だが、その笑顔の裏では前世の記憶を持っていて─

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