「えっ!?この状態からでも入れる保険があるんですか!?」
数年前にテレビから聞こえてきたこのフレーズを、当時の私はなんとなく聞き流していた。妙に頭に残るこのフレーズの元ネタが今になって気になり、探すために私はネットの海に飛び込んだ。
…しかし、無いのだ。
いくら探しても、検索ワードを変えてみても、見つからない。他の人に相談しても「ただの勘違いか空耳だろう」と一笑されて終わりだ。しかし、今回は今までの私の勘違いとは違う。「他に同じ思いの人がいた」のだ。
同じ思いをしている人の記事をネットで見つけた時、私は高揚した。「勘違いではなかった!」と。
私と同じ思いをしている人がいると知ってから、私の検索作業は急加速した。
媒体を変え、場所を変え、私は必死に探した。
…しかし、その結果は努力を嘲笑うようなものだった。
やはり無いのだ。手がかりすら掴めない。
何故?
やはり勘違いだったのか?
私の検索作業はそこで行き詰まった。
検索が無駄だと知った私は、別の考え方から真実を追ってみることにした。
私と同じ思いをしている人の記事には沢山のいいねが付いていた。これは、共感している人が他にもいるということだ。
しかし、私が探した限りでは元ネタは存在しない。
本来有り得ないことなので、少し現実味が無い所まで手を伸ばして仮説を立てることにする。
まず、「記憶刷り込まれ説」だ。
近年、「前世の記憶を持っている子供」というのが少なからず存在する。とても非科学的な現象だが、その子供が発する言葉や証言は何故か正しいものが多い。そのことから、「私達は別の記憶を保持できるのではないか」という発想からこの説が生まれた。
仮に、記事に共感している人全てが前世の記憶を持っているとしたら?そのCMが昔流れていたものだとしたら?
昔流れていたCMは現代まで保存するのが難しい。従って、今そのCMを探しても何処にもないのも頷ける。
2つ目は「世界線移動説」だ。
これは読んで字のごとく「CMが存在した世界線」から「存在しない世界線」へ移動したというもの。そもそも存在しないのだから、探しても出てこないのは当たり前である。
この2つの説は、どちらも現代の科学では証明し難いもので、結局真実は分からず終いであった。
人間誰しも勘違いはするものだ。しかし、同じ勘違いも何百何千と集まればそれは勘違いでは無くなる。命が生まれるのだ。あなたの勘違いも、実はどこかで生きているのかもしれない…
どこかで生きているといいな、私の勘違い