「やあ、今日も頑張ってるみたいだね」
「ん、ああ。少しばかり思いついたことがあってな」
風紀委員会本部の掃除も終わり、アルバは達也と深雪とともに帰途についた。エリカやレオ、ほのかと言った話を盛り上げてくれるメンバーはいなかったものの、CADの調整や魔法に関する知識について達也に尋ねるアルバと、それに答えてくれる達也、深雪とである程度会話は成り立った。
そして現在。家に帰ったアルバは、いつものごとくCADの調整、正確には起動式の記述に関して勉強を行っていた。
現代の魔法師で、CADの調整や起動式のコードの記述に関して真剣に学んでいる者は実はそれほど多くはない。魔法師のすることはあくまでCADを使って起動式を処理し魔法を使うことであり、CADの調整や起動式の記述などは魔工技師が、即ち達也の目指しているような職種の者達がしているからだ。
またCADの調整に用いられるような設備は非常に高額なものであり、そもそも一般家庭や中小企業のレベルで用意できるものではない、というのも魔法師個々人がCADの調整や起動式の記述を行わない理由の1つだろう。第一高校に通っている生徒も、大半は魔法機器の専門店やメーカーのサービスショップで月に一度調整を受けるか、学校に備えてある最新鋭の設備で調整を行うかのどちらかである。自宅で整備を行えるのは真由美のような魔法師の家系でかつ名家と言えるような家庭か、雫のように実家が財閥であるような者ぐらいだ。その2人もあくまで整備は雇った魔工技師がやっており、自分たちで整備を行っているわけではない。
そんな中アルバの家には、かなり性能の低いものではあるがCADの調整機器が置いてあった。調整機器と言っても、一般的なCADの調整に使用される機能はほとんど持っていない。ただ単にCADに記述式を書き込み記録するための入力装置、と言ったところか。
ここで言う一般的なCADの調整というのは、そのCADを使用者のサイオン波の特性に合わせてチューニングする事を指す。
CADは魔法師から送り込まれたサイオンを材料として、サイオンによって作られた情報体である起動式を出力し、魔法師は出力されたそれを取り込んで設計図にして実際に魔法を使うための魔法式を組み立てる、というのが魔法を使う際にCADと魔法師の間で行われているやり取りなのだが、このCADとのチューニングが上手く出来ていないと、このやり取りに無駄な時間がかかってしまうのだ。そのうえこのサイオン波の特性は一人ひとりに微妙な違いがある上に、その日の体調などによっても変わるものであり、それを魔法師に合わせて調整するというのは難しいことだ。だからこそ腕の良い魔工技師は引く手あまたなのだ。
更にはこのチューニングに加えて他にもCADを使いやすくするためのポイントがいくつもあり、それらに手を加え調整することを総じてCADの調整と呼ぶ。起動式のコードを記述しCADに記録しておくという作業は、そうした調整作業のごく一部分でしか無いわけだが。
現代魔法についてある程度学んだアルバが最初八雲に要求したのが、このCADの調整装置だった。現代魔法は、CADなしでも使用することが出来る。だが一方で、CADが行っている事をすべて理解するというのは、真の意味で現代魔法を理解することに繋がる、とアルバは考えた。
プログラミングにおける見かけ上の処理と実際に行われている処理の違い、とでも言ってしまえば良いだろうか。現代の人が生み出した魔法について深く知りたいと考えたアルバは、それを求めたのである。
だが、八雲からの返答は残念なものだった。残念といってもアルバの意思の否定ではない。
ただ単純に、『それを用意するほどの財力は自分には無く、そこまでコネを使うわけにはいかない』というのが八雲がアルバに説明した内容だった。先述した通りCADを本格的に調整する機器というのは非常に高価なものであり、八雲がアルバとの繋がりを他に隠しながら用意するのは困難だったのだ。
結果として、その後色々と調べたアルバが、自分が本当に欲しいのはCADの調整を行う部分ではなく起動式を記述する部分だと伝えたため、現在アルバの家にあるポンコツ調整器を八雲が用意してくれた。
そんな機械を無表情で弄っているアルバの手元を肩越しに覗き込んだのは、しばらくぶりにアルバの家を訪問した八雲であった。
「今度は何を考えているんだい?」
「お前もCADに興味があるのか?」
珍しくアルバの生きたかつての時代のことではなく現代魔法の技術に興味を示した八雲に、椅子ごと振り返ったアルバが尋ねる。これまで八雲は、アルバが龍として生きた時代や、その後人と交流するようになった時代のことしか聞いてこなかったのである。
「いやいや、現代魔法は僕とは交わらぬものだけどね。そこに君が関わっているとあれば、興味は出てくるじゃないか」
「そういうものか?」
「君はいつか僕たち人間の常識に当てはまらない魔法を編み出しそうだからね。気にもなるよ」
そう言われてアルバは首を捻るが、実際にそうしたことは起こり得るだろう。えてして発明、発見というのは偏見や先入観を捨てたことによって生まれる。最初から現代魔法に関しては無知でありかつ魔法の大本となる
「そういうものか。今考えていたのはサイオンの砲弾とでも言うべきものだ。俺はサイオンを直接操作することで出来るのだが、普通の人間に可能なものかと思ってな」
「それでどうするんだい? サイオンは物理に影響を与えないよ」
「ああ。だが同じサイオンで出来たものには影響を与えられる。であるなら、起動式や魔法式を吹き飛ばすことも可能だと思う。俺が以前サイオンで溺れさせたのの劣化版といったところか」
「ああ、
自分のよく知る少年を思い出しながら言った八雲の言葉に、アルバは答える。
「高校で知り合った中に、サイオン保有量が桁外れに高い者がいた。一般的な魔法の評価は低いものの相当の体術も持っている。あいつがこれを使えればなかなか面白いのではないか、と思ってな」
お、そう言えば、と。アルバはそこであることを思い出す。
「確かあいつは、九重八雲に師事していると言っていたぞ。お前の弟子か?」
アルバの言葉に、八雲は珍しく少し目を見開いた後愉快そうに笑う。同じ学校に同じ学年で通っている以上いつかはこんな日が来るとは思っていたが、この龍が個人的に興味を、それも善意を示す程の間柄になるとは、と。
「そうだね。確かに彼は僕の弟子だ。彼のために考えていたのかい?」
「あいつのために……と言えば確かにそうなのかもしれないな。どうもあいつは自分が強くないと考えているようだが、この技術があればサイオンを大量に保有するというのもまた強さの理由になりうる、と思ってな。もしや余計な世話だったか?」
「どうしてそう思うんだい?」
アルバの問いかけに、八雲はその目を細める。アルバを前にして考えるのは失礼かもしれないが、アルバはあまり気を使える方ではない。余計な世話だったか、と尋ねるということは、余計な世話であったと考えうる何らかの証拠を掴んでいる。
あの兄妹の秘密には、例えアルバであっても。いや、アルバであるからこそ接するべきではない、と。八雲は考えていた。それを伝えていなかったのは、八雲のミスでもあるし、アルバに一切の事前情報なしで現代の人を見てもらいたいという八雲の親心のようなものでもある。
「達也は何か秘密を隠しているようであったからな。自分の実力を隠したくてこれを使えるのも隠している、というのであれば納得だ、と思っただけだ」
予想通り余計なところまで踏み込みつつあったアルバに、八雲はため息を隠さない。
「どうした?」
「君は、本当に……人以上に見えてしまうというのは考えものだねえ」
「そうか?」
「そうさ。君のその感覚にかかってしまえば、隠していたい秘密だって容易く暴かれてしまう」
「……」
達也が何かを隠しているのだろうという推測に対して深雪の見せた反応を思い出したアルバは、八雲の次の言葉を待つために沈黙を選ぶ。
「人は、誰でも踏み込んでほしくない領域というのがあるものさ」
「それは理解している」
「そして同時に、『何かを隠している』と悟られたくもない」
「……」
再びの沈黙。だが今度はあえて選んだのではなく、口にできる答えを持っていなかったからだ。
「この思いには、今の君は気づけ無いのだろうね。君は自分に隠し事がある事を特に隠そうとはしないだろう」
「……そうだな。何か隠しているのか、と問われれば、『隠しているが今は話せない』と返すつもりだ」
「けどそうなれば、例え親しい者であっても君を見る目線は探りを入れるものになる。そんな状況に人は耐えられない。そんな相手と親しく出来るほど、人は強くない」
それは、アルバの理解できていない領域。自分が秘密を隠していると知っているものに対する警戒などといった考えは、アルバにはない。いつか自分はそれを話すという未来は決まっているし、あくまで傍観者たる自分が人に深く信をおかれるようなことも無いと考えている。
アルバはその本質故に、人という小さな存在を好きであり、愛してすらいながらも、それと自分の間に明確な一線をひいてしまっている。
それがアルバに、こんな簡単なことすらも気づかせなかった。
今日のアルバの発言を聞いて、深雪はアルバを警戒しただろう。そしておそらくその話を深雪から聞いた達也も警戒するだろう。
「……難しいものだな」
「まあ、あそこは色んな事情や秘密を抱えた者が多い場所だからね。特に有力な家を持つ魔法師は、皆それぞれ何かしらを抱えているものだ。そこに踏み込むな、とは言わないさ。だが相手が語ってくれるまでは待つというのも、友人というものなのだろうね」
「……友人、か」
「馴染みの無いものかい?」
八雲の問いかけに、アルバはその言葉の定義を思い出す。志をともにしたりして、同等の相手として交流しているもの。
アルバと同等の存在など、ヤツラしかいない。だがきっとこれは、そういう意味ではないのだろう。
心が同等の相手として。
それがきっと、友人というものであるはずだ。であるならば
「……いや……。俺にもいたのだな。友人というのは。今ようやく気づいた」
かつて破壊の化身として怖れられていたアルバに対等に語りかけた戦士達や。アルバにその先の未来を託して逝った祈り手達。
彼らは正しく、アルバの友人だったはずだ。アルバはそう思っていなかったとしても、彼らは、きっと。
人の心を知らぬ破壊の龍。だが、それは知らないだけで。これから学ぶことができないわけではない。今こうしてアルバは、友というものを学んだ。それを実践するのは難しくても、いつかは出来るようになるだろう。
「ときに、何故達也君が力を隠していると思ったんだい?」
「昨日のことだが―――」
思い出に浸りそうになったアルバは、八雲の問いかけに意識を引き戻して昨日校門前であった出来事を説明する。アルバが達也が何かを隠していると考えたのは、あの時彼が明確な意図を持って手を突き出していたように思えたから。そして達也の膨大なサイオン量に気づいていたからだ。
それを聞いた八雲は、ウンウンと頷く。
「それぐらいなら、まだごまかしが聞くだろうね」
「ごまかし?」
「正直に説明してしまえば良いのさ。あの時達也君がこんな行動をしていたから何か出来るのではないかと思った、とね。変に思わせぶりな事を言って警戒させるよりも、その方が遥かに良いさ」
普段八雲は、人間関係についてこんなアドバイスをするようなタイプではない。むしろ面白がって、笑って見ているタイプだ。
だがそれでも。人の気持を理解できないこの人ならざる者にはそんな配慮をしてしまう。八雲もまたアルバを、1人の手のかかる友人として認識していたのだった。
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少しの雑談と、八雲の得意とする忍術に関する話の後八雲が帰り。まだ連絡するのに遅い時間ではないからメールだけでもしてみると良いと言われたアルバは、早速深雪へとメールで連絡をする。文面はシンプルに、といっても事務的になりすぎてはいけないという八雲のアドバイスを受けたものとなった。
夜遅くに連絡したことに対する謝罪と、夕方模擬戦の際に深雪に変な事を言ったことに対する謝罪、そして自分の発言の真意を隠すこと無く説明する。
達也があのとき何かをしようとしていたことも、人より多くのサイオンを持っていることも、それ自体は特に隠している事ではない。そのためそれを伝えれば余計な疑いはかけられないだろうというのが八雲の予想であったのだが、それは概ね良い方向へと働いた。
メールを受けた深雪は非常に丁寧でフレンドリーさは皆無であるものの概ね好意的な返答を返してくれた。深雪にとって兄の実力を曲解せずに受け止め認めてくれる相手が喜ばしいものである、というのも大きくはたらいて、アルバと深雪、達也の間にわだかまりは残らずにすんだのであった。
アルバと既に滅んだ文明の人たちの交流というのは、おそらく書きませんがある程度想像は出来ています。考えれば考えるほど、なんかアルバ不憫だなと。作者なのにうるっと来てしまいます。