和服の男と作務衣の男が深夜の道を歩く。見つかると職務質問でも受けそうなものであるが、九重の魔法によって2人に対する外部の認識は薄れているため声をかけられるどころか視認されることすら無かった。
「徒歩ですまないね」
「何故だ?」
「何故、というと?」
「己の足で大地を歩いていく。その何がすまないというのだ」
煌黒龍は、小さき者が好きだった。自分たち龍とは違って大した力を持たず、自然の力に抗うことすら出来ない。ちょっとした環境の変化に苦しみ、すぐに死ぬ。
そんな力なき者達であるにも関わらず、とどまること無く前へと進んでいく。だから、道をただ歩くというのは小さき者を感じられて好きだった。
「……君は、何者なんだい?」
無言のまま少し歩いたところで、九重がそう問いかける。煌黒龍のいた場所までは魔法を使って高速で移動してきたので、交通機関などを利用して寺に戻るには1時間ほどの時間が必要であった。それを待ちきれなかったのだ。
「ふむ。それはお前にだけ話したいのだがな。お前は我の気配に気づいた。だが他の小さき者達は気づいていない。ならば、お前にだけ話すのが小さき者達の言う道理、に当たるのではないか?」
「道理、かい?」
言っていることは理解できた九重だが、少しでも目の前の存在について探るためにあえて質問として返す。
「む? 小さき者達の考え方ではないのか? けんり、といえば良いのか」
「ああ、僕は君の存在に気づくことが出来た。だから君について知る権利がある、ということかい?」
「上手く表せぬが、そういうものなのではないか? お前と他の者達を同じに扱うというのは、小さき者達の流儀ではあるまい?」
能力の高いものに報い、低い者は報われるために努力をする。それが煌黒龍の知っている小さき者達の考えであった。
少なくともこの時代では、かなりの部分の情報については、すべての人間に『知る権利』というものが存在する。だがそこまで煌黒龍は理解していなかった。
「なるほど。それじゃあ今教えてくれないかな。実は今僕の魔法で周りから僕たちは認識されて無いんだ」
「む? 先程から妙な干渉があると思ったがお前がしていたのか」
「気づいてたかい? これでも隠蔽は得意なんだけどね」
「ふむ……。これをしているのがお前だというのであれば、我もお前に聞きたいことが増えたな」
「というと?」
「小さき者達が我らと同じ力を扱えるとは、興味深いことだ」
小さき者達、と煌黒龍は先程から言っているが、即ちそれは現代で言えば人間、あるいはそれに類する知的生命体のことを指している。
「これは魔法、という技術だよ」
「そうか。マホウ……興味深い響きだ。聞いたことが無い概念のようだ。では我も我について端的に説明しよう。我は、龍だ」
龍とは、いつの時代も煌黒龍や世界の裏側に干渉する力を持つ強大な者達につけられてきた呼び名の総称だ。それを現代の言葉で現した場合『龍』という表現となり、それが九重に伝わった。
「竜というと、あの火を吐いたりする架空の生物のことかな」
「竜ではない。龍だ。あの者達は嫌いではないが、あのような矮小な者達と一緒にされるのは心外である」
竜、と、龍。現代の人間にとってはどちらも巨大な体を持つ架空の化け物という認識しかないので明確な区別は行われないが、煌黒龍からしてみれば全く別の生物である。それこそ、原始の猿と現代の魔法を使えるという小さき者を同じとみなすようなものだ。確かに竜は龍の系譜を引いているものの、遥かに劣る生物でしか無い。
「僕たち人間には違いがわからないよ。龍、の存在を架空のものだと思っていたからね」
「我が龍であることを信じているような言い方であるな?」
「君が人間ではないことは信じているよ。龍なのか悪魔なのか、それとも別の何かなのかはわからないけどね」
自分が感じて駆けつけた気配は、少なくとも人間のものではないのは確実だと九重は考えていた。そもそも、例えどれほど強力な魔法師であっても『気配』なんてものを遥か彼方の誰かに感じさせることなんて不可能である。魔法の痕跡などでも、離れた場所の物を感じれるのは本当にごく一部だ。それを目の前の男は感じさせた。例え人間であるとしても、九重の知っている兄妹と同等かそれ以上の事情を持っているのだろう。
「ふむ。その辺りも学ばなければならないな」
「君が、かい?」
「小さき者は興味深い」
それ以上話す様子の無い煌黒龍に、九重は質問を切り替える。
「ところで、君の名前はなんと呼べばいい?」
「む……アルバ、と呼んでくれ」
「アルバ。由来はあるのかい?」
「かつて呼ばれた名の一部だ」
「なるほど。それと、さっき君は、気配を隠すような何かをしたのかい? 恐ろしい気配がして来てみたんだけど到着する直前に気配が消えてしまってね」
話しながら2人は、改札を素通りして電車へと乗り込んでいく。九重の魔法によって機械にすら探知されない状態になっているのだ。
「気配……ああ。龍、と言った通り我らの本来の姿は小さき者とは違う姿をしている。その姿だと、力を抑えきれない。だから小さき者達と同じ姿を取ったのだ」
人間の姿を模した煌黒龍、アルバではあるが、実際はかつての小さき者達を模したために、現代の人間と比べて耳が尖っていた。本来の龍より力の劣る姿を取ることで、外に漏れ出す力を抑えるのだ。
「漏れ出す力?」
「我ら龍は世界に干渉する力を持つ、というより常に発揮している」
「どう、干渉するんだい」
「……いや」
初めて口ごもったアルバに九重が怪訝な表情を見せると、アルバは咳払いをして話し始めた。
「世界の有り様を変える。我の場合は、周囲に存在するすべての生命を滅ぼす力を振りまくことになる」
「有り様を変える? どうやって?」
「放出している力が世界に干渉する。おそらくだが、お前が魔法といったそれと近いだろうな」
「魔法を発し続けている、と?」
「そうではない。おまえたちのそれは、おそらく技術なのだろう。だが我らにとっては、ただ存在することなのだ。お前達が生きる、息をする。そのことが世界の有り様を変える」
かつて彼ら龍を研究した者達は、それを環境干渉作用と呼んでいた。龍が存在するだけで世界の形が変わってしまう。人が生きるように、龍が世界を変える。彼らはそういう存在なのだ。
「……恐ろしい力だね」
「全くだ。我は小さき者達と語らいたいというのに、いつも傷つけてしまう」
少し悲しそうにアルバはそう語る。彼の力は、周囲に死を振りまく、あるいは周囲のすべての生命を拒絶するものだ。それは彼が放とうと思おうと思うまいと出現してしまう。
そしてそのせいで、彼はすべての生命から拒絶されてきた。姿を変えるのが可能になり、力を制御できるようになってもほとんどの小さき者には拒絶された。
悲しい、というわけではない。その言葉を知識以上にはアルバは知らない。ただ、満たされぬ感覚はあった。
「それを抑えるために人の姿を取ってくれている。君は、人間が好きなのかい?」
「人間とは小さき者達のことか? であれば確かに好きだ。我は小さき者達を好んでいる」
「そうか」
アルバの説明を聞いて、ふう、と九重は息を吐いた。敵対的な存在であった場合にはどうしたものかと、ずっと思考を巡らせていたのだ。これほど、『怖い』と明確に感じたのは初めてのことである。それが、九重にアルバの危険度を実感させていた。
「降りようか。僕の家に行こう。そこで話を教えてほしい」
電車が九重の寺の最寄りに到着し、2人は降りた。
「ふむ。初めてこの乗り物は見た。面白い物を作ったのだな」
「そういうのも、知りたいのかい?」
「当然である」
滅びをもたらす煌黒龍。
だがこの現代においては。
彼が唯一、人間に味方する龍であった。
これ以上の細かい説明は、ストーリーを進める中で出していきます。九重との会話の場面は大きく省いて入試あたりまで飛ばし、それまでの期間は回想のような形を取ります。