エクスドライバー名古屋管区車両基地。それが沙理奈たちが目指している場所の正式名称だった。
教習所からはルート一六四からハイウェイ一二二へ出る。しばらく行くと基地のランプウェイが見えてくるはずだ。
沙理奈たちは、いまルート一六四をAIカーの群れに交じって東進中だった。沙理奈は居心地の悪さを感じた。日曜日ということもあって、往来するAIカーは第四段階の路上教習時より多い。路上教習は平日に行っていた。
『進みませんわね』
アリスのボヤキが聞こえた。
渋滞はない。AIカーの群れは滞りなく流れている。
スピードメータは六〇キロを指している。法定速度だ。
「確かにね」沙理奈は同意する。「場内のコースでは、一〇〇キロオーバーが普通だったもんね」
『退屈ですわね。ねえ、ダイアナ。あなたもそう思って?』
アリスのそんな言葉が、沙理奈にはほほえましく思えた。
「ねえ。どうしてアリスちゃんはエクスドライバーになろうと思ったの?」
何気ない、世間話のつもりだった。
『わたくしですか? そうですね。わたくし、エクスドライバーとは、すなわち力だと思っていますわ。力とは権力であり、義務である。わたくし、あまりフランスは好きではないのですが、
沙理奈にはよくわからない話だった。
「う~ん……。それって、もしかして、アリスちゃんって貴族の人なの?」
『母方の
「え、すごい! 本物の貴族様なんて、あたし初めて見た」
『おほほほ。よしてください。ほめても何もでなくってよ。おほほほ』
アリスはとてもうれしそうだった。
『ではわたくしも訊きましょう。サリナはどうしてエクスドライバーに?』
「あたし? あたしはね――」
教習所に入るまでの事を沙理奈は考える。考えてしまった。
寮があるエクスドライバー教習所に魅かれたこと。
義務教育期間の高校生活をどう過ごすか悩んだこと。
親戚の家をたらい回しにされたこと。
両親との永遠にお別れをしなくてはならなくなったこと。
沙理奈はとめどなく落ちていく思考の渦から、力を振り絞って戻ってきた。無理に笑顔を作って、辛くないという気持ちをつくる。
「いまは内緒」
『なんですの、それ』
アリスはぷりぷりと怒った声を上げたが、本気で怒っていないのが沙理奈にはなんとなくわかった。この合格発表からきょうまで、アリスについて多くを知るには短すぎる時間だったが、それぐらいは沙理奈にもわかった。
しばらくして、インターチェンジが見えてきた。ハイウェイ一二二はもうすぐだ。赤信号につかまる。時刻は一二時五〇分。基地には一三時半までには着くだろう。
沙理奈がそんなことを考えていると、突然車内に甲高い電子音が響いた。
暴走AIカーが発生した、緊急事態を知らせるアラートだ。
沙理奈の緊張は高まる。
インカム越しに、アリスが息をのむ気配を感じた。
沙理奈は、教習通りの慣れた手つきで、助手席に設えられた情報端末を左手で操作する。
スタンバイ状態だった端末はすぐさまに立ち上がった。教習所の整備士の矢野が、交通管制システムへのアクセス設定をすでに済ませてくれていた。プログレスバーが、交通管制システムからのデータ転送の進捗率を表していた。
三〇パーセント……。
周囲のAIカーが、非常停止信号を受け取り、路肩に停車する。何事かと路上に出てくる不届きものも何人かいた。小学校で教わらなかったのだろうか、と沙理奈は苛立つ。これからエクスドライバーが爆走してくるというのに。
五〇パーセント……。
信号前に停車しているのは、アリスのMINIと沙理奈のBRZだけになった。二人は正規のエクスドライバーではなかった。
先に動いたのはアリスだった。アリスはMINIを路肩に寄せた。
『サリナ。何をしていて? 早く路肩に寄せなさい。プレライセンスで公道を走っているなんて知れたら、最悪の場合、ライセンス
七五パーセント……。
「そうね……」端末に目が釘付けになっていた沙理奈は、無理矢理視線をディスプレイから剥がすと、BRZを路肩に寄せた。しかし、気持ちは暴走AIカーから離れない。すぐに視線をディスプレイに戻した。
九六パーセント……。
脳裏に、幼い子どもの鳴き声が聞こえた。あやす父親の声、取り乱す母親の声――。
一〇〇パーセント……。
転送されたデータを開く。
《TYPE-iWagon。アップルインダストリー製。八五年型。車両重量:一三〇三kg。出力約七五キロワット。馬力換算:一〇〇馬力。速度:一〇〇キロで走行中》
ワゴンタイプのAIカーの、ワイヤフレーム状の3D情報が、スペックとともに表示される。
泣き叫ぶ、幼子の幻聴が、必死に沙理奈に訴えかける。
――おとうさん! おかあさん!
「大丈夫。大丈夫。大丈夫――」
沙理奈は口中でつぶやく。ステアリングに手を載せて、落ち着きなく指で叩く。
『サリナ?』
怪訝そうなアリスの声が耳元で聞こえた。
『大丈夫ですか? 暴走AIカーに緊張なさってるの?』
「ううん。大丈夫だよ、アリスちゃん。ありがとう」
半ば無意識に沙理奈は答えていた。
やがて背後から、甲高いセルモータの回転音が聞こえてきた。
ふと車窓を見ると、暴走AIカーの乗員と目があった。車内で泣き叫ぶ、茉莉の赤くなった瞳を、確かに沙理奈は見てしまった。
途端――。
沙理奈は、クラッチを踏み、アクセルを踏み込んだ。一秒の半分、高々とエンジン音が響きを上げる。レッドゾーン手前。タコメータは七〇〇〇回転をマーク。クラッチを戻す。後輪が滑りBRZはお尻を振る。獲物を前にして昂ぶる猫のように。甲高いスキール音が、摩天楼を空へと抜けていく。
沙理奈のBRZが急発進した。先行する暴走AIカーと車間は五〇メートルもない。
『ちょ、サリナ!?』
アリスの驚いた声が、遠く後ろに置き去りになる。
『もう!』
回転数は五〇〇〇をキープ。回転数にしては速度は遅い。当然だという思考は今の沙理奈にはなかった。すぐさまにクラッチを踏み、ギアをセカンド、サードへと入れた。ぐんぐんと速度が上がる。しかし、この間に暴走AIカーとの車間は二〇〇メートルになろうとしていた。
背後から、別の排気音が聞こえる。ルームミラーを見ると、暴走AIカーと沙理奈の車間ぐらい後ろに、アリスのMINIが見えた。くん、くん、と二回ほど、MINIはつんのめったように見えた。そのたびに、MINIは猛然とBRZへと近づいてくる。
やがて、MINIはBRZに並走した。
『サリナ、正気?』
詰問調のアリスの声に、けれども沙理奈は臆することがなかった。
「あのAIカーに茉莉が載ってるの」
『誰ですの?』
「
暴走AIカーはインターチェンジからハイウェイ一二二に乗った。
沙理奈もその後ろに続く。時速一〇〇キロオーバーでランプウェイを走る。後輪が滑った。先ほどの急発進で、タイヤのトレッドを摩耗しすぎたのかもしれない。いや、そんな簡単にタイヤは擦り減らない。これは自分の腕が未熟なせいだ。沙理奈は思った。
アリスの声が後ろからついてくる。
『サリナ、今の状況を考えてごらんなさい。本職の監督なしでの公道走行と、あなたのお友だちが乗ったAIカーの暴走。あなた、そのお友だちとライセンス、どちらが大切なの? 考えてごらんなさい。わたくしたちがでしゃばらなくても、すぐさま本職のエクスドライバーが来てくださりますわ』
「そうじゃなかったら?」
アリスの長口上に、沙理奈の焦燥心は煽られる。
エクスドライバーが早く来てくれていれば。
あと少し早く来てくれていれば。
泣き叫ぶしかできない幼い沙理奈が、ルームミラー越しに沙理奈を見返していた。
ランプウェイを出て本線車道に合流。AIカーはすべて路肩に止まっていた。暴走AIカーをはるかかなたに感じた。実際には五百メートルぐらいだろう。完全にコンピュータ制御されたクルマと、人間が操作するクルマ。いかに自分の技量が少ないか、沙理奈は思った。
しかし、名誉のために言っておけば、沙理奈の腕前は、本職のエクスドライバーと遜色はなかった。ただ、冷静でない彼女の脳は、そのような判断をする余裕がなかったのだ。
すぐさま、沙理奈は五速までギアを上げる。
アリスも同様にギアを上げたようだった。片側三車線。二人は並走して暴走AIカーに迫る。
『サリナ、あなたまるで人が変わっていてよ』
「そう?」
『ハンドルを握ると性格が変わる人っていらっしゃるけど、あなたの場合は暴走AIカーを見つけると、そうなるようね』
沙理奈は、遠まわしなアリスの言い方に、少しだけ苛立ちを募らせる。
フラストレーションをアクセルペダルにぶつける。乱雑なアクセルワーク。力強くBRZは加速する。ぐんぐんと暴走AIカーとの差を詰めていく。技巧もへってくれもない、パワー勝負の、ごり押しだった。
『いいわ。わたくしではまだあなたを御せませんし。付き合いますわ。本職が来る前に、早いとこ片づけて、トンずらしましょう』
「アリスちゃん、そんな言葉、どこで覚えたの?」
『母様です』
三度、アリスのMINIが横に並ぶ。沙理奈はアリスを見た。
いたずらを思いついた子どものような笑みを、アリスは浮かべている。
なぜだかそれは、非常に心強く、沙理奈には感じられた。