ハイウェイ一二二を北進中。平坦な直線コース。紗理奈はちらりとスピードメータを見やった。速度は一二〇キロに達している。暴走AIカーとの距離はじりじりと縮んでいた。
視界の隅には、アリスのMINIが映る。僅かにBRZから先行しているのがわかった。
『しばらく直線コースが続きますわ。ここで決着をつけますわよ』
アリスの声が耳朶を打った。
「どうするの?」
『サリナ、フォーメーションBで行きますわよ』
フォーメーションBは、エクスドライバーの走行技能の一つだった。一台が先行して暴走AIカーの頭を抑え、スモークマインでGPSを無効化し、後続の
「ということは、アリスちゃんが頭を抑えるのね?」
先行するMINIから、紗理奈はそんなアリスの思惑を読み取った。
『ええ』
そこはかとない不安が、紗理奈の胸中によぎった。
そうではない、よくわからない不安だった。言語化されない不安は、どう説明してものか、紗理奈にもわからず、
「大丈夫?」
と、口にしていた。
『あら? 見くびってもらっては困りますわ。これでも、エコールの
アリスは自信満々といった調子で応える。その雰囲気に、一瞬前までの不安がうやむやになるのを、紗理奈は感じた。
『それよりサリナ。あなた、ちゃんとピストルは持っていて?』
「うん。ちゃんと持ってるよ」
紗理奈はダッシュボードからカンプピストルを取り出して、いつでも打てるように準備する。
『ちゃんと
紗理奈は手の中のカンプピストルの感触を確かめた。中折式の単発拳銃を折ると、鈍色に光る
カンプピストルを元に戻し、
「もう、いくらあたしでもちゃんと入ってるよ。アリスちゃん心配しすぎ」
アリスは、ふふ、と和らいかい笑みを返すだけだった。
「アリスちゃん、なんだか楽しそうね」
『そうかしら?』
そう言って、アリスのMINIは速度を増した。ワゴンタイプの暴走AIカーは蛇行することなく、まっすぐに走っている。MINIはその横をすり抜け、暴走AIカーの前に出でる。
『行きますわよ』
暴走AIカーに隠れて、僅かにしか見えないMINIのテールランプが灯るのが見えた。
軽い破裂音が風に乗ってやって来る。
助手席の情報端末は、暴走AIカーのGPSを無力化するスモークマインが炸裂したことを伝えてきた。ほぼ同時に、暴走AIカーが持つ管制走行IDのGPS項目が、
紗理奈は、アリスの手際の良さに感心してしまう。
教習で行う仮想の暴走AIカーでなく、本物の暴走AIカーへの対処だ。初めてにしては見事なものだと思えた。
「やるなぁ、アリスちゃん」
『何か言いまして?』
「アリスちゃん、かっこいいよ」
おほほ、そんなことありませんわ。アリスの嬉しそうな声が耳朶を打った。
紗理奈は期待を込めて、情報端末へ視線を向けた。
この時、暴走AIカーのシステムは、一度
しかし、そんなのは一万車ある中で一台か二台程度の、ラッキーな場合の話だ。
今回も、そんなことはなく、リブートされた暴走AIカーは、止まることなく走行を続けた。
それもそうだ、と紗理奈は嘆息する。大体は走行系に障害を発生させていることがほとんどだ。
しかし、システムがリブートされることで乗員保護プログラムの優先度が最優先に上がれば、無謀な走行はなくなるはずだ。茉莉たちへ負担をこれ以上強いることはなくなるはずだ。
あとはセンサを無力化して走行系のシステムを停止させれば、停車するはず。
紗理奈は身を乗り出して、カンプピストルを構える。120キロで走るBRZから身を乗り出すと、ものすごい風圧で目を開けているのもやっとだった。左手でステアを保持し、右手で慎重に暴走AIカーの後部左センサに狙いを定める。
紗理奈は瞬時にBRZの速度メータを確認した。
先程から変わらず、一二〇キロで巡行している。
では――
瞬時に、紗理奈の脳裏にある予測が立ち現れた。うやむやになった、言葉にならない不安が、ふっと結実し、何が問題だったのか明らかになった瞬間でもあった。
「アリスちゃんッ――!」
言うが早いか、暴走AIカーはアリスのMINIに接触した。暴走AIカーがMINIの右リアに接触するや否や、アリスのMINIがスピンするのを、紗理奈は目の当たりにした。
なに、というアリスの可愛らしい声は、次の瞬間には悲鳴に変わっていた。
暴走AIカーと接触したMINIは、そのまま左方向へスピンし、路肩へコースアウトする。ゴツンと鈍い音を立てて壁面にぶつかった。進行方向にお尻を向け、アリスのMINIは停車した。
幸い、ボディに目立った外傷はない。超硬度FRP装甲のおかげだ。
その横を、暴走AIカーは悠然と追い抜いていった。
一瞬にしてMINIを追い抜いた紗理奈は、反射的にクラッチとブレーキペダルを踏んだ。
ABSが作動。ブレキーペダルが踏み抜かれることを拒否し、紗理奈に反抗する。紗理奈はそれを無視。ペダルをさらに強く踏み込む。
これと同時進行で、紗理奈はギアを連続して二段階落とし、ステアを左限界まで切る。
ブレーキコントローラが紗理奈の意思を理解しABSを解除した。
すぐさま、BRZは紗理奈に従順に頭を左へ向ける。
サイドフォースがリアタイヤの摩擦限界を軽々と越える。リアがグリップを失い、テールスライド。そのままBRZはブレーキドリフトで方向転換をする。
この間、二秒と半分。
アリスがスピンしたポイントから100m強を進行した。
180度回頭手前、アクセルを開く。
タコメータが5000回転を示す中、クラッチをつなぐ。
ステアを僅かに右に戻し、サイドフォースが摩擦限界を下回る。
その隙を見逃さず、駆動力を取り戻したリアタイヤが路面をキャッチする。
アクセルをさらに開く。駆動力が、BRZを後ろに引き戻そうとする慣性力に打ち勝つ。
横殴りの遠心力にさらされていた紗理奈は、次の瞬間、強烈なトラクションにドライバーズシートに押し付けられる。
BRZはそのまま逆走し、アリスのもとへ駆け寄る。
そのまま停車し、BRZをMINIに横付けする。
「大丈夫!? アリスちゃん!!」
紗理奈の声は、半ば悲鳴に近かった。
『ええ……』弱々しくも、アリスは屹然とした口調で返した。『わたしくとダイアナは大丈夫ですわ』
MINIが咳き込むようにエンジン音を上げた。その運転席では、何度もイグニッションキーを捻るアリスの姿があった。
紗理奈はシートベルトに手を置き、外そうとして、
『サリナ。わたくしに構わずに、すぐに追いなさい』
アリスの声に止められる。
「そんな! だって……」
『これはわたくしのミスですわ……』まだ、エンジンはむせ込むんでいる。『うっかりしてました。オリジナルよりも66ポンドも軽いことをすっかり失念してました』
紗理奈とて馬鹿ではない。アリスの言わんとしていることを、瞬時に悟った。それは、紗理奈が抱いた不安そのものだった。
アリスのMINIも紗理奈のBRZも、今はなきガソリンカーだ。2118年現在、ガソリンカーを復活させるには、レストアするのが一般的だ。
現代においてレストアには二つの方法がある。一つは、レストアしようとするクルマの時代に合わせたテクノロジーで復活させる方法。もう一つは、見た目だけを再現し、中身は現代のテクノロジーで復活させるというものだ。
紗理奈のBRZは前者に近いものだが、アリスのMINIは後者に近いものだ。
アリスのMINIは、基本フレームは変わらずFF方式となっているが、1960年代初頭に比べて、エンジンは280psを実現するほど高出力で、反面、超硬度FRPを用いることで、車体重量ははるかに軽くなっている。つまり、少しでも大きな質量がちょっとぶつかっただけでも、簡単にテールが持って行かれてしまう。
つまり、少しでも油断すれば、とたんにドライバーは裏切られる。
まさに走るじゃじゃ馬だった。
『さあ、行きなさい、サリナ! それとも私の
アリスは挑むような視線を、BRZの紗理奈に向ける。
「アリスちゃん、本当に、大丈夫なのね?」
『ええ。
アリスの言に、ふっ、と紗理奈は破顔する。
紗理奈は、半クラッチを作り、ステアを左に切り、緩やかに車を回す。回りながら、ロー、セカンドと軽やかにギアを上げていく。
「わかった。アリスちゃん、先に行くね」
サードにギアを入れ、ステアを戻し、BRZを直進させる。
スピードメータは80キロを超える。
『すぐに追いつきますわ』
「アリスちゃんが三流でないって、信じてるからね」
な!? という驚きの感嘆詞が紗理奈を背後から追いかけてきた。
しまった、と思ったときには後の祭りである。
紗理奈は、思ったことが口に出てしまう癖を恨めしく思う。
アリスが追いついてきたら、まず謝ろう。
紗理奈はそう決めた。
暴走AIカーを追って、アクセルペダルを限界まで踏み込んだ。