Ecole de éX-D   作:三河豊田

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Sec.2

 その男は困り果てていた。

 

 ただでさえエクスドライバー基地は居心地が悪い。まるで、幼い頃に両親に叱られたことを思い出す時のようだ。いたたまれない。それをおして基地司令に直訴すれば門前払いだ。ならばとエクスドライバーに直接掛け合おうとするも、男の話を聞いてくれる者はいなかった。

 

「どうしたもんかなぁ……」

 

 一周4キロはある基地の専用コース。これがF1のコースならちょうど観客席があるあたりに、ちょうど基地の建家(たてや)が背を伸ばしている。その下で男は飴を舐めながら思案にくれていた。

 

 地平線には、白く高く盛り上がる積乱雲が見えた。セミの鳴き声が聞こえる。今朝の天気予報は、きょうは快晴で絶好の洗濯日和でしょう、と確約していた。

 

 基地に警報(アラート)が鳴り響く。

 

 男はぼんやりと空を眺めている。三度目の出動要請だった。いままで、二組のエクスドライバーチームが基地から出動するのを、茹だるような厚さの中、男はただ眺めていた。

 

 にわかに、基地が活気立つ気配を感じる。ぴりっとした緊張感がある。車庫(ガレージ)の方から聞こえる音が増える。怒声や金属のぶつかり合う音、シャッターの開く音。男は何気なく、陽炎の向こうに見えるガレージへ視線を向けた。

 

「あ」

 

 高校生ぐらいの女の子がガレージへ向かって走っているのが見えた。先日のエクスドライバーか。

 

 男は脱兎のごとくガレージの方へと走り出した。が、少し行くと、ふと何かを思い立ったかのように立ち止まり、日陰に逃れる。

 

 じっとガレージの方を注視する。

 

 男は飴を噛み砕いた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 自室を出てすぐの寮の廊下で、

 

「なんでこんな時に出動がかかるかな。先任のエクスドライバーは出払っているっていうのに!」

 

 紗理奈は走る足を緩めずに毒づいた。バイトから帰ってきたばかりで、まだ汗も引っ込んでいない。ガレージまで全力疾走。第五段階になって、一番初めに教わったことだった。

 

「あら? いいことですわ。だからわたくしたちが出動できてよ」

 

 紗理奈の隣でアリスが言う。クマのぬいぐるみであるところのダイアナをしっかりと抱きしめながら、長い金髪が左右に揺れる。

 

「かもしれないけど。多すぎよ、最近。暴走するAIカーが」

 

「わたくし、日本(ジャパン)に来て驚きました」

 

「やっぱり、イギリスはこうも頻繁にAIカーは暴走しないよね――」

 

「日本の夏は暑い上に湿気が多すぎです。ダイアナもどこか元気がありませんもの。きっとAIカーも暑さにまいってしまわれて、暴走してしまうのね。エアコンがなかったらと思うと、わたくしが暴走してしまいたいほどですもの」

 

「ア、ウン。ソウダネ」

 

 寮から基地に連絡する廊下を駆け抜け、外に出る寸前、角から整備士の松本が出てきた。ぶつかりそうなところを、ふたりは咄嗟に避け、立ち止まる。

 

 黄土色のツナギを着た青年は、驚きに細い目をわずかに開いて二人を見た。右手にはフライパンとスパナのセット、左手には小早川。

 

「おっと、ごめんよ」

 

「いえ」紗理奈は応じる。「あの、それ……」

 

 紗理奈は、松本の左手を指して、遠慮がちに()いた。

 

「小早川」

「見ればわかります」

「エクスドライバー?」

「知ってます」

 

 松本は首をひねって数秒間逡巡(しゅんじゅん)すると、突然、納得顔になる。

 

「こいつ、朝弱いんだよね」

 

「もう10時過ぎてます」

 

「一度寝ると、なかなか起きなくて」

 

 はぁ、と紗理奈は生返事をする。よくよく見ると、小早川のワイシャツにはシワができ、ベルトも少しゆるいらしくズボンからボクサーパンツの紐がのぞいている。左足の靴下は、落ち着いた黒色で、右足は何故かファンシーな動物をあしらった柄物(がらもの)だった。

 

「おっと、こんなところで話し込んでる場合じゃない。行こう!」

 

 言うが早いか、松本は外へ飛び出す。

 二人共あとに続いた。

 

「ミスターコバヤカワは、そうとう肝が座った殿方みたいですわね」

 

「ん? んん~?」

 

 紗理奈は走りながら器用に首をひねる。というか、殿方って……。

 

「緊張した空気の中でもユーモアを忘れない。素敵な方ですわ」

 

 とりあえず、これ以上アリスの会話に踏み込むのはやめようと、「そうだね」と相槌(あいづち)を返すだけにした。

 

 先にアリスがガレージに着く。ガレージには三台のクルマ、MINI、BRZ、ガヤルドが順に駐車してある。アリスはMINIの助手席のドアを開けると、手際よくダイアナにシートベルトをした。

 

 傍目にその光景を見ながら、紗理奈もBRZの運転席に滑り込む。ドライバーシートに身を埋めると、バケットシートの硬質な質感をお尻に感じる。四点式のシートベルトに手を伸ばしたとき、外から松本の声がかかった。

 

「嬢ちゃん、悪いけど先にエンジン回してもらえる?」

 

 整備士として基地で永く働く松本の言葉に、紗理奈はエクスドライバーは、まず先にエンジンを回すものなんだ、と脳内にメモした。

 

「あ、はい。すみません」

 

 クラッチを踏み、エンジンを始動させる。セルモータが回転する女性的な声が一瞬すると、ガソリンカーの命であるレシプロエンジンが、ガソリンを燃焼させる排気音を声高に上げた。タコメータは1000回転でアイドル。BRZに積まれている四気筒水平対向エンジンが上げる、ボクサーサウンドと呼ばれる独特の排気音がガレージに満ちた。

 

 次の瞬間、地面に突っ伏していた小早川がむくりと起き上がり、

 

「おはよう、松本!」そこで紗理奈たちに気づいたようで、ベルトを締め直しながら「と、お嬢ちゃん方! いやぁ、いい朝だね。スバル水平対向エンジンが奏でるボクサーサウンドが聞けるなんて! 素晴らしい! ディ・モールト!」

 

 と言った。

 

「朝じゃないの! ディ・モールトじゃねぇの! さっさと乗る!」

 

 小早川をガヤルドに押し込めると、松本は疲れたように、

 

「悪りぃな。面倒かけちまって……」

 

 と紗理奈に謝る。

 

「いえ。大丈夫です。あはははは……」

 

 小早川対策には先にエンジンを回す、と紗理奈は脳内にメモし直した。

 

 そのままシートベルトを締め、インターコムをつけると独り語ちる。

 

「ドリフね」

 

 アリスが返す。

 

『なんですの、それは?』

 

「ジャパニーズ、モンティ・パイソン」

 

『ああ、なるほど。知ってますわ。確か、伝説と言われる、タケシ・キャッスルで行われるコメディ・ショーのことですわね』

 

 そそくさとガレージを出て行った松本が、黄色いフラッグを振った。

 

『では、お先に失礼』

 

 と、アリスのMINIがガレージを出て行った。紗理奈もギアをローに入れて出ていこうとすると、目の前を黄色いガヤルドが走り去っていった。

 

「早ッ!?」

 

 さきほどまでのぐーたらな小早川を見ていた紗理奈としては、彼の頭の切り替えの早さに驚いた。あるいは、エクスドライバーはどんな状況・状態でも一度ステアを握ると、すぐさま戦闘態勢に入れるのかもしれない、と心のどこかでほんの少しだけ感嘆した。

 

『ふぁ。ねむい……』

 

 電波に乗った小早川の欠伸(あくび)がインカム越しに紗理奈のもとに届いた。少しでも感嘆した自分が恥ずかしかった。頭を軽く振ると、BRZを発進させた。

 

 基地のコースとハイウェイをつなぐランプウェイは、直線1キロの先にある。真っ赤なMINIと黄色いガヤルドは、すでに遠くになっていた。

 

 紗理奈は(はや)る気持ちでアクセルペダルを踏む。ワイヤで伝えられた力により、スロットルバルブが大きく開く。吸気マニホルドに車体下のエア・インテークから取り込まれた空気が瞬時に流れる。大量の空気はスーパーチャージャで圧縮され高温高圧となり、我先にと排気バルブから燃焼室へとなだれ込む。吸気、圧縮、燃焼、排気のサイクルが一分間に数千回行われる。BRZは加速した。アクセルペダルを踏んでからこの間に一秒とかからない。さらに二秒、三秒。BRZは、水を得た魚のごとく、ランプウェイを目指して爆進していた。

 

 その時。

 

 BRZの前に、ひとつの人影が躍り出た。

 

 突然のことに、紗理奈はブレーキペダルを目一杯踏み込んだ。この時、BRZは加速の真っ只中にあり、車速は70キロを軽く超えていた。

 

 70キロで走る車両が急制動をかけた場合、停車するには約45メートル、ないし50メートル弱ほどかかる。これは人間の根性や神様への祈りでどうこうできるものではなく、純然たる物理学的な真実だ。BRZと人影との間は、20メートルもない。

 

 間に合わない。紗理奈は戦慄した。どこの誰がクルマの前に飛び出すのよ、と無意識に毒づく。しかしながら、街中を往来しているAIカーが人を()く事はない。街中に張り巡らされた各種センサーの情報とリアルタイムでリンクして走行しているので、走行中のAIカーの前に出ても、()かれるようなことはなかった。あったとしても、接触し複雑骨折が関の山だ。だから、中には平然とAIカーの前に飛び出す不届き者が少なからずいるのだった。

 

 しかし、紗理奈がステアを握るBRZはAIカーではない。いまは絶滅した、ガソリンカーなのだ。

 

 紗理奈は右にステアをきると同時に、更にブレーキを踏み込む。2050年製の優秀なブレーキコントローラは、()()()()()()を理解してABSを解除する。ABS。アンチロック・ブレーキ・システムとは、急ブレーキの際、ブレーキペダルを目一杯踏むことによってタイヤがロックされることを防ぐ機構のことだった。どんなにブレーキペダルを踏み込もうと、決してタイヤはロックされることなく、一定を保ってタイヤ回し続けるシステムだ。大きな車速の時、タイヤをロックしてしまうと、クルマの運動量に耐え切れなかったタイヤが路面の上を(すべ)ってしまう。タイヤは運動エネルギーを路面に逃がすことができなくなり、結果として制動としてのブレーキの役割を果たせなくなる。それを防ぐのがABSだった。

 

 しかし、いまの紗理奈はABSを望んでいない。どう転んでも、物理的に停車するまでに人影を跳ね飛ばしてしまう。紗理奈は()()()()()()()()のだ。

 

 BRZのタイヤがロックされる。グリップを失った後輪が、路面との摩擦で生じた白煙をたなびかせる。BRZは猛烈な勢いで人影に突っ込んでいく。

 

 ブレーキを踏み込みながら、クラッチも踏み込む。ギアをリバースに入れ、ステアを右一杯にきった。

 

 フロントガラス越しに顔がわかるほど、人影が間近に迫る。男だった。紺のジャンパーが風になびく。

 

 誰だろう? と、間延びした時間の中で漠然とした疑問が脳裏に浮かぶ。瞬間、フロントガラスの景色がすごい勢いで左に流れていった。すぐさまステアを反対にきる。カウンターをブチ込む。

 

 テールスライド。BRZは、男を中心として綺麗な円弧を描いた。ちょうど半円を描いたところで、紗理奈はステアを巧み操り、クラッチをつなぐ。BRZは男から10メートル近く後退して、停車した。

 

 紗理奈の息は荒々しい。男がBRZの前に飛び出してきたという突然の驚きと、AIカーに慣れ親しんで恐れを失くしてしまった傲慢(ごうまん)さへの怒りと、人を傷つけてしまったのではないかという不安と、あーもうきょうは厄日だという諦観が複雑に入り乱れて、紗理奈の気持ちはごちゃごちゃとしていた。それでも、男の具合を確かめようと、車外に出ることにした。四点式のシートベルトは、乱れた心境では用意にはずすことができない。シートベルトをはずすのに手間取っていると、男がBRZの方に駆けてきた。何事かと手を休めて男を眺めていると、驚いたことに、男は助手席に入り込んできた。

 

 ふと、第二段階(セカンド)の座学が思い起こされる。テキスト曰く『運転中はドアをロックすること』

 

 警戒心をいっぱいにして、紗理奈は男を伺う。このまま自分のシートベルトをはずして外に出る前に、男の腕が紗理奈を捕まえられる距離にいる。逃げることもできずに、相手を注視するしかない。男は()()()四点式シートベルトをしながら、

 

「落ち着いてくれ。俺はシティ・ポリスだ」

 

 と言った。

 

「……。は?」

 

 男は懐に手を伸ばした。紗理奈の脳内で、突然ゴッドファーザーのテーマが流れる。あ、撃たれるなあたし。ああ、最後に駅前の立ち食いソバ屋でトッピング全部のせを食べてから心安らかに――

 

「交通課解析室の三栗谷(みくりや)智樹(ともき)巡査だ。よろしく頼む」

 

 男、三栗谷はシティ・ポリスの手帳を取り出して見せた。

 

「ああ……。そうだ、死ぬ前に一度でいいからトライデント屋のデラックスモンブランを食べたかったなぁ」

 

 紗理奈は三栗谷の言葉を右から左に聞き流しながら、内心ダダ漏れに独り語ちていた。

 

 三栗谷と名乗る青年は「何言ってるんだ?」と首を(かし)げ、インカムからは『大丈夫か?』と小早川の声がした。その声に嫌悪感を少し覚えた紗理奈は我に返る。

 

「え、いや……」混乱した頭で言うべき言葉を探すと、三栗谷への抗議の言葉が浮かんだ。「何考えてるんですか?!」

 

 まず、三栗谷という男への怒りがこみ上げてきた。紗理奈は助手席に座る男を改めて凝視した。ボサボサの髪は栗色で、その下に(くま)の目立つ二つの(まなこ)があった。男にしては小顔で、まるで高校生のように見えなくもない。しかし手帳をかざす手の先はささくれ、うっすらと柔毛(にこげ)が見える。彼が羽織っているジャンパーの胸元には交通課解説室と銘打たれていた。彼がだしている手帳は本物に見えなくもない。ドラマでよく刑事が出しているものとソックリだ。

 

 紗理奈は続ける。

 

「走ってるクルマの前に飛び出すなって、小学校で習いませんでしたか?」

「習ったよ」

「じゃあ――」

 

 紗理奈の言葉を、三栗谷はもう片方の手を挙げて制する。まるで興奮した馬を「どうどう」となだめるようで腹が立つ。

 

「エクスドライバーなら止まれるさ。少なくとも僕はそれを確信して飛び出した」

「なんで!?」間髪いれずに紗理奈。

 

 そんな問答をしていると、インカムから小早川の声がする。

 

『あー。お取り込み中悪いんだけど。紗理奈、大丈夫か?』

 

「シティ・ポリスとかいう変な人が車内に入ってきちゃったんですけど」

 

『あー、うん。聞いてた。いまローズに照会してもらってる。俺たちは、もうハイウェイに出るとこだけど、合流できそう?』

 

 小早川の問いに、紗理奈は少しだけ冷静になる。生まれた余裕から、暴走AIカーという単語が浮かび上がり、早く現場に行かなくては、という焦燥感が心中に拡がってきた。

 

「すぐ合流します」

 

『おう。早くしろ』

 

 おもむろにギアレバーへ手を乗せたとき、三栗谷がまだ車内に残っていることに気付く。三栗谷は当然顔でシートベルトをしていた。

 

「あの、降りてもらえません?」

 

 三栗谷は空咳をひとつ。

 

「実は、頼みがあるんだが――」

 

「嫌です」

「早いな」

「時間がないんです」

「なら走りながら話そう。ほら、早く出して出して」

 

 叫びたい気分だった。

 

「舌、噛んでも知りませんから」

 

 そう言うが早いか、紗理奈は乱暴にBRZを発進させた。

 

 




14/10/23 一部修正
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