《エデン条約》がご破算になった後の、トリニティ総合学園でのとある一日の出来事。
 友人ってのは、青春ってのは、一体何なんだろうね。





※ブルーアーカイブのメインストーリー、《エデン条約編》第3章「私たちの物語」後の時間軸のお話しです。ネタバレを含みますのでご注意ください。

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 《エデン条約編》のストーリーを見終わった後に、衝動に任せて書いた作品です。何せ急いで書き上げた作品ですので、多少の粗はご容赦ください。
 
 色々と情緒が不安定になったり、「好き」という感情にぶっ刺さったとても良いストーリーでした。
 一周年記念のPVも良かったですね……。あれだけでも考察が捗ってしゃーない。

 ハーメルンにまだまだブルアカの作品が少ない? なら自分で書くんだよ‼ というノリです。


この青い空の続く先に

 

 

 

 ――キヴォトスの空は、今日も変わらずに青かった。

 

 

 穏やかな日だった。朝にシャーレのオフィスを出る前にテレビで見た、クロノスジャーナリズムスクールが放映している情報番組の天気予報を見た限りでは、キヴォトスの中央部及びその周辺地域での降水確率は0%らしい。

 とはいえ、キヴォトスは広い。今もレッドウィンター学園周辺では容赦なく吹雪いているかもしれない。アビドス高等学校周辺では砂嵐が巻き起こっているかもしれない。

 

 窓から差し込む日光が眠気を誘う。そういえば昨夜は3時間くらいしか寝ていなかったなと思い出しながら、しかし頭を軽く振る事で悪魔的な誘いを振り払った。

 先程までは絶え間なく聞こえてきたペンが紙の上を走る音も、めっきり聞こえなくなってきた。否、まだ諦めてなるものかと忙しなくペン先が動く音が聞こえる。その様子を見ていると、どうしても頑張れと心の中でエールを送ってしまう。

 やがて、予めセットしておいたデジタルタイマーの表示がゼロになり、けたたましい音を鳴らす。

 それに対する反応は様々だ。60分間机に向かっていて固くなってしまった身体をほぐそうと背伸びをする生徒。最後の問題まで解き終わらなかったのか、驚くような表情をする生徒。集中しすぎていたせいでアラーム音を敵襲の警告音と勘違いしたのか脇に置いていた愛銃を構え始める生徒。そんな様々な反応を見てニコニコと穏やかな笑みを浮かべる生徒。

 ここは本当に相変わらずだなと思いながら、私は解答用紙を回収し始めた。

 

 

 《トリニティ総合学園》。それがこの学校の名称である。

 規律と優美を旨とする、いわゆる”お嬢様学校”であり、行き交う女生徒たちは珍しくもなく「ごきげんよう」などという挨拶を交わすような場所である。

 とはいえ、そこに通っている生徒達全てが優等生というわけではない。時には定期テストで芳しくない成績を取ってしまい、補習の憂き目にあってしまう生徒もいる。

 

 私の目の前で採点の結果を待っている生徒たちは、まさにその典型例のようなものだ。

 だが、決して悪い子たちではない。むしろ彼女らの絆はこれ以上ない程に強固になったと言っても差し支えはない。

 未だ記憶に新しい出来事だ。出会い、別れ、また出会う。私の価値観でそれを「青春」と称するには些か以上に物騒すぎるような気がするが、少なくともあの時、《通功の古聖堂》跡地で起きたあらゆる出来事を忘れろというのは無理な話だ。

 そんなこんなで数週間の間無茶ばかりした面々だが、何の因果かまたこの場所に集まってしまっている。いや、何の因果も何も、ここに集まっている以上、やらかしたことは一つなのだが。

 

 採点をする事数十分。模擬テストの点数が出揃った。各々自由に休憩していた面々を呼び戻し、着席させる。

 恐らく一人だけ暇を持て余して自席で官能小説を読んで顔を赤くしていたムッツリスケベがいたが、今更なのでスルーして答案を戻していく。

 

 

 

 

第1次補習授業部模試、結果――

 

 

ハナコ―35点(不合格)

 

アズサ―8点(不合格)

 

コハル―14点(不合格)

 

ヒフミ―72点(合格)

 

 

 

「デジャヴだなぁ……」

 思わずそう呟いてしまう。最初にこの部活の模擬試験を採点した時も大体同じような結果だったように思える。

 いや、最初の時はハナコの点数は4点とかだったような気がするから、それに比べればマシなのだろう。まぁ、問題なのはそこではなく。

 

「ハナコ……遊んでいるだろう」

 

「ふふふ、さぁ、どうでしょう?」

 

 ニコニコと変わらぬ柔和な笑みを浮かべるこの生徒が、この補習授業部の中で一番の曲者だ。

 浦和ハナコ。趣味は薄着と徘徊。口を開けば大体猥談。数日前にも《シスターフッド》の拠点である教会の前でいきなり制服を脱いで水着になり、歌住サクラコからかなりガチめの説教を喰らっていた。

 このように一見ただの変態のように見えるが――しかしながらこれでもトリニティ屈指のキレ者である。

 あまりにも賢すぎたが故に、あまりにも色々なものが見えすぎたが故に、入り乱れる学園の派閥のしがらみを嫌って自ら退学になろうとしたほどだ。

 その後、《補習授業部》の皆と過ごす事で悲観的な思惑は消え、前を向けるようになったはずなのだが……「私だけ放置プレイなんてズルいじゃないですか☆」などというよくわからん理由でこの部活に不死鳥の如く舞い戻って来た。

 ちなみに本試験では各解答の頭文字を繋げると口に出すのも憚られるエロワードになるように仕組んで無事に赤点を獲得したらしい。頭の良いバカの所業である。

 

 

「先生、この問題、以前のものよりも難しい気がするのだけど」

 

「いやまぁ、そりゃあ授業内容は先に進み続けるものだからね」

 

「むぅ……またヒフミたちに迷惑を掛けてしまうな」

 

 それに比べて殊勝な言葉を漏らすのは、先程アラームの音に不意打ちでビビって臨戦態勢に入ろうとした女生徒、白洲アズサである。

 陽光に晒されて更に煌めいている美しい銀髪と、宝石のような薄紫に輝く双眸。外見だけならば深窓の令嬢に見えなくも無いが、学園の至る所にブービートラップを仕掛けて定期的に《正義実現委員会》をガチギレさせるゲリラ戦のプロフェッショナルである。というかいい加減マジで懲りて欲しい。ハスミに愚痴を言われるのもキツいんだぞ。

 

 とはいえ、である。彼女の学習能力が他の生徒より劣るのも仕方がない事ではある。教本の代わりに作戦指示書を見て育ち、人と語らう機会よりも空薬莢が地面に落ちる音の方を多く聞いた少女だ。そんな彼女が今こうして友達たちと共に切磋琢磨できているその姿そのものが奇跡とも言える。

 まぁ、だからといって本試験で何も書いていない白紙の答案をおくびにも出さずに提出して見事0点のまま《補習授業部》送りになったのはどうかと思うが。

 試験範囲を教わっていないのなら早めに言って欲しかった。言ってくれれば勉強を見るくらいは普通にしてあげたのだが……。

 

「だ、大丈夫ですアズサちゃん‼ 以前と同じように私たちが全面的に協力します‼」

 

「ヒフミ……うん、ありがとう」

 

「はぅっ」

 

 快く協力を申し出たヒフミが、アズサの繰り出してきた満面の笑みというカウンターパンチにノックアウトされかけた様子を見ながら、当の本人の解答用紙の写しを見ていく。

 阿慈谷ヒフミの解答は良くも悪くも普通だ。分かっているところと分かっていない所があまりにもくっきりと浮き彫りになっている。現時点で追試験の合格点を上回ってはいるのだが、ここからアズサに勉強を教えていく段階でその埋め合わせは出来るだろう。 

 お嬢様然とした雰囲気は持たない子だが、努力を人一倍重ね、自分の非力を理解し、それでも為すべきことを為し、守るべきものを守れる子である。当人は自分の事を「凡人」と揶揄する事が多いが、少なくとも私はここまでハイスペックな凡人は見た事がない。というか普通凡人は成り行きとはいえ強盗団のリーダーを勤め上げ、あまつさえ巨大PMCを叩き潰す為に榴弾砲を手配したりしない。あと、海に行くためにわざわざ戦車をパクったりもしないのである。

 

 早速お互いの机をくっつけ合ってテストの解き直しをするヒフミとアズサ。まぁ、今回こそ悲惨な結果となったが、元々物覚えは良いアズサの事である。以前の追試よりは早く合格ラインに乗ることができるだろう。……問題は。

 

 

「さて、コハル」

 

「うっ」

 

「数学の点数が良くないみたいだね」

 

 二重の意味でムラっけがあるコハルの事である。低い点数を取っている原因が学力不足から来るものだけではない事もしばしばなのだ。

 

「じゃあ振り返ってみようか。π-3|+|π-4|=1の時――」

 

「ぱ、ぱぱぱ|π(パイ)だなんて‼ 先生のバカ‼ 変態‼」

 

「数学覚えたての中学1年生か‼ なんで高1でまだその域にいるの⁉ 逆に凄いな‼ 良くこれまでやっていけてたね⁉」

 

 ダメだこの子……だいぶ分かっていたつもりだったけど、あまりにも思春期を拗らせすぎている……。

 いやまぁ、そういう事(エロい事)に興味津々なのは悪い事ではないと思うのだけど、あらゆる思考がソッチ系に直結するのは流石にマズい気がする。耳年増の極致に至ってるもんな。

 

「まぁいいや……じゃあこっちの問題に行こうか。y=……」

 

「エッチ‼」

 

「何が⁉ どこが⁉ ちょ、待って。今回はマジで分からない。解説プリーズ‼」

 

「そ、そんなの……」

 

「ハナコ、代弁よろしく」

 

「えっとですね、「y」を大文字すると「Y」じゃないですか。全体的な形がまるで男性k――」

 

「レベルが高すぎる‼ 何があったのコハル‼ 前はそこまでアレじゃなかったでしょ⁉」

 

 ちょっと本気でドン引くレベルの脳内ピンク言動を繰り出してきたコハルの精神状態が本気で心配になり、問い質そうとすると、再びハナコが割り込んできた。

 

「コハルちゃん、この前《正義実現委員会》でかなりエグめの官能小説を没収したって言ってましたもんね。かなり気が強い男性に、主人公の女性がメチャクチャにされてしまうような内容の」

 

「えっ⁉ ちょ、ちょっとハナコ‼ 何でそんなこと知ってるのよ⁉」

 

「うふふ♪ どうしてでしょう」

 

 ひょっとしてその”エグめの内容の官能小説”とやらは先程読んでいたそれだったのだろうか。思わずジト目になりコハルを見つめていると、彼女はリンゴもかくやと言わんばかりに赤面した状態で私と目を合わせ、そして数秒後に思いっきり目を逸らした。こ、こ奴は……‼

 

「没収」

 

「あぁ‼ 何で⁉」

 

「え、だってこれ没収品なんでしょ? 後で私がハスミなりマシロなりに渡しておくからさ」

 

 というか、こんなものをトリニティの生徒が持っていたという事自体が恐ろしい。性癖がかなり倒錯している生徒がコハルの他にもまだ居ようとは。

 その本の表紙を見てみると、既に表紙絵の時点でかなりヤバかった。凌辱モノと言うのだろうか。かなり加虐的な笑みをした男がお淑やかそうな主人公を縄で縛りあげている様子が描かれていた。

 

「あらあら、これは……♪」

 

「ハナコ、目ぇキラッキラさせながら近寄って来ないで……」

 

「私は、そうですねぇ。先生がお望みなら地下に監禁されての尋問プレイ位でしたら♡」

 

「ツッコミが追い付かなくなるからそろそろマジで勘弁して⁉」

 

 決して結託しているわけではないのだが、この二人を同時に相手すると中々に精神にクる。

 別に嫌というわけではない。面白いと言えば面白いのだ。しかしながら、流石にこの状態を放置したままというのは、仮にも”先生”と呼ばれている立場として如何なものか。その鬩ぎあいの果てに、とりあえずはこの諸悪の根源を没収するという結論に至った。若い頃から捻じ曲がった性癖を学ぶとロクなことにならんよ? もう手遅れかもしれんけど。

 

 『PiPi』

 

 そうして本格的にコハルに勉強を教えようとしたところで、モモトークに着信が入った。

 トークを送って来た相手を見ると……あぁ、成程。

 

「ゴメン、ちょっと呼び出しが掛かっちゃった。ハナコ、コハルの勉強を見てあげてくれる?」

 

「ちょ、ちょっと先生⁉ 私とこの性欲魔人を一緒にしないで‼」

 

「酷い言いようだね……。ハナコ? あんまりコハルを虐めないように。あと、ちゃんと勉強は教えてあげてね?」

 

「えぇ、お任せください先生。さ、コハルちゃん。私がゆっくりじっくりと教えてあげますからね♪」

 

「言い方があまりにも怪しすぎるんだけど⁉」

 

 いきなり触れられた猫のような威嚇音を発するコハルに近づくハナコ。完全に不審者のそれだが、ちゃんと頼まれたことはこなす生徒だ。問題は……多分、無いだろう。

 まぁ、あまりエスカレートするようならヒフミ辺りが止めに入るだろうし、何より彼女らには一度は追試を乗り越えたノウハウがある。もしかしたら私の助けもいらないかもしれないな。

 

 すぐ戻るから、と残して《補習授業部》で使っている教室から出てトリニティの校内を歩いていく。

 総合学園、という名が付くだけあって、学校の敷地はかなり広大だ。校舎のみならず、古書館や音楽堂、美術館などといった施設まで併設し、そのどれもが歴史を感じさせる重厚かつ美麗な作りとなっている。

 ゆっくり見回ろうと思えば、それだけで一日が余裕で潰せるほどに興味深い建物が乱立している。私もここに来るようになって少し経つが、未だに敷地の半分も回っていないような気がする程だ。

 

 目的地に向かう途中、中央部に設けられた大階段の先に数名の生徒が居た。何も変なところはない、トリニティの一般生徒。嫋やかな体に似合わない銃器を肩から下げている光景は、もはや見慣れたものだと言って良いだろう。

 迂闊に視線を上げると先を進む彼女たちのスカートの中という、私を社会的にも物理的にも抹殺しそうなものが見えてしまいそうなので、周囲の風景を見ながら歩いていると、ふと石階段を強く擦過するような音が聞こえた。

 反射的に顔を上げてしまう。すると眼前にあったのは男にとって魅惑的ながらも危険なものではなく、階段を踏み外して今にも転げ落ちようとしている女生徒の姿だった。

 

「危ない‼」

 

 幸いだったのは、私の足場がしっかりしていた事だろうか。道連れに階段を転げ落ちるというようなことは無く、何とか生徒の体を受け止める事が出来た。

 この世界の人達は、キヴォトスの外から来た私と違って非常に頑丈だ。具体的に言うと至近距離でマガジン一弾倉分の弾丸をフルオートでぶち込まれても普通に動けるレベルに。

 だから、別に私が受け止めなくてもこの女生徒は大した怪我をしなかったかもしれない。だがそれとこれとは別だ。眼前で危ない目に遭おうとしている少女を助けないのは、先生とか男とか以前に、人としてダメだろう。

 まぁそんな、独り善がりのワガママの末に感謝の言葉を貰えたのだから対価としては充分だ。足元に気を付けてと軽く注意してから一つ息を吐くと――脇腹に少しばかり鈍い痛みが走った。

 

 その痛みの中心地には傷痕がある。条約のゴタゴタの最中、《アリウススクワッド》のリーダーが放った弾丸で貫かれた際の痕。

 死ぬほど痛かった記憶はあるが、流石にそれ程の思いをした傷はそうそう容易く完治はしないという事だろう。

 とはいえ、それ程痛みが激しいわけではない。そこら辺に設置してあるベンチに座って不快感が去るのを待とうとすると――

 

 

「先生っ‼ 大丈夫ですか⁉」

 

「うわビックリした‼」

 

 

 そういやそうだった‼ ここがトリニティなら彼女の本拠地じゃないか‼

 ……いや、こういう言い方するのは良くないか。悪い子ではないし、むしろとても良い子ではあるんだけど。

 

「……やっぱり、まだ本調子ではないですね。駄目ですよ、先生。ご自愛頂かないと」

 

「あ、あぁ。ゴメンね、セリナ」

 

 鷲見(すみ)セリナ。トリニティに存在する救護組織、《救護騎士団》に属する子。

 キヴォトスに来てから、私も何度かお世話になった生徒である。彼女の応急処置能力は高く、生傷が絶えないここでの仕事で大した傷痕も残さずに生き残れているのはひとえに彼女の尽力によるところも多い。そんな彼女に対して、何故私が出合い頭にビビったかというと……。

 

「もう、何かあったら私に連絡してくださいと言ったじゃないですか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「う、うん。ありがとうね」

 

 口約束(リップサービス)だと思うでしょう? この子に限っては本当に()()()()()()駆けつけてくるんだ。

 前にシャーレの自室で寝てる時に寝返りを打ってベッドから転げ落ちた時、どこからともなくやってきて、強打した頭の様子を見てくれた。……時刻は深夜2時、ミレニアムの《ヴェリタス》と《エンジニア部》に制作してもらった特注の五重オートロックが突破された形跡がなかったのにも関わらず、だ。

 まぁ何かを盗んだわけでもなし、危害が加えられたわけでもなし。何より美少女に心配されるのは悪くないしでその時はスルーしたのだが、よくよく考えてみるとあまりにも怖すぎて血の気も引いたし目も覚めたのだ。

 

「あ、せ、先輩~~~‼」

 

 そんなやり取りをしていると、少し離れた教室棟の近くから一人の背の低い少女が走って来た。

 

「はぁ、はぁ……先輩~、どうしたんですかもう。いきなり消えちゃったからどこかに攫われちゃったのかと……あ、先生‼」

 

「やぁ、ハナエ。あの時ぶりだね」

 

 セリナと共に《救護騎士団》に在籍している朝顔ハナエとも、私が撃たれて搬送されて以来だった。

 色々と片付いた後、わりかし無理をして動いていた私は案の定再入院と相成ったが、その時は事件の影響で重傷を負った生徒達への対応に《救護騎士団》が奔走しており、この二人と会える暇すらなかった。

 元々病院でのボランティアを趣味にしている二人だ。諸々の事情が落ち着いた後も、精力的に動いてくれている。私の怪我はもうほぼ完治しているようなものだし、彼女らの助けを必要としている人達の時間を奪うような真似はしたくないのだが。

 

「え? もしかして先生、まだ調子が悪いんですか⁉」

 

「いや、大丈夫。ちょっとだけズキッとしただけだよ。数分くらい経てば良くなる」

 

「それは大丈夫って言いません‼ ――って言っても先生はあまり聞いて下さらないですから……せめてセリナ先輩が飛び出していかない程度の無茶にしておいてくださいね?」

 

「君の中でセリナのセンサーに引っ掛かる基準があるなら教えて欲しいなぁ」

 

 何もない時に来てくれるならありがたいんだけど、真夜中にいきなり隣に立たれると心臓発作を起こすレベルでビビるから。

 まぁ、私が無茶したりして怪我しなければいいだけの話なんだけど、シャーレで仕事をしてる時に書類で指を切った際、絆創膏を探している間に怪我をした指にいつの間にかセリナ愛用の可愛らしいイラストの絆創膏が貼られていた時はもう訳が分からなかった。イズナよりも忍者してるのはどういうことなのか。

 

「でも良かったです。今の先生の姿をミア団長が見たら、強制的にベッドの上に連行されていたかもしれません」

 

「ミア団長……《救護騎士団》の責任者だね? まだ会った事が無いから、いずれ挨拶をしないとね」

 

「はいっ‼ 団長はこの前戻って来たので、時間があればいずれ騎士団の詰所にいらっしゃってください。歓迎します‼」

 

「では、私たちはこれで。でも先生? 絶対に、絶対無茶はしないで下さいね?」

 

 私に念入りに釘を刺して、騎士団の二人はトリニティの正門の方へと歩いて行った。

 不思議な事に、二人と話している間に痛みもすっかりと消えていた。彼女らが定期的に訪れている病院では、二人の訪問を心待ちにし、彼女らと接しただけで病状が緩和した人たちもいるという。

 病人を癒すことができる天性の才能があるのだろう。噂では、とある病院に出現した包帯を巻いた幽霊すら癒してあげたらしい。それが本当なのだとしたら、脱帽ものだ。

 

「さて、と」

 

 随分と時間をかけてしまった。あそこにいる子たちを待たせると少しばかり怖いので、ちょっとだけ早足で目的地に向かう。

 

 歩く事十数分。近づくにつれて、恐らくは役職持ちなのであろう生徒達が増えてきた。それと同時に、横目で見られる回数も増えてくる。

 その視線に悪意はないが、奇異の感情はある。まぁ、色々な組織の子たちを連れてドンパチやらかしたのだから、それも然るべしと言ったところだろうかね。

 

 

 ――やがて、二名の重装備の生徒に守られた部屋の前に辿り着いた。

 一応非公式の訪問になるので止められるかなぁと思っていたけれど、驚くほど素直にお通ししてくれた。この中に居る生徒の権力様様と言ったところだろうか。……いや、この言い方は良くないな。反省反省。

 

 

 

「ようこそおいでくださいました、先生。お待ちしてましたよ」

 

 耳によく通る玲瓏な声。広めの円形のテーブルの上に並べられたティーセットの奥で優雅に座っている少女が、先程私を呼んだ当人。

 

「遅くなってゴメンね。ちょっとばかりハプニングに巻き込まれちゃってさ」

 

「先生のことですし、放っておけなかったのでしょう? むしろトリニティの生徒を助けていただいた事、感謝いたしますわ」

 

 そう言って優雅に紅茶を飲む姿を見る限り、彼女は私と違って負ったダメージを既に全快させているらしい。

 

 トリニティ総合学園の生徒会にして最高組織。その名を《ティーパーティー》。

 その中でもトップである生徒会長は”ホスト”と呼ばれて、《ティーパーティー》に属する生徒が持ち回りで担当するという伝統がある。言うなれば、”お茶会の主催”と言ったところだろうか。

 そして現在、その”主催役”を担っているのが目の前の少女。この間まで何かと酷い目に遭っていた筈の桐藤ナギサは、しかしそれを感じさせない程の余裕を取り戻している。

 

「お茶会にお招きいただいてありがとうね。こういうのとはとんと縁がない身だったから、無作法には目を瞑ってくれるとありがたいかな」

 

「問題ありませんわ。お客様が楽しんでいただける形こそが最も正しいティータイムマナーですもの」

 

 侍従として近くに立っていた生徒に促されるままに着席すると、すぐに一杯の紅茶が運ばれてきた。

 素人目に見ても分かる、上等なものだった。普段市販の紅茶を飲むときは加糖のものを選んでいるのだが、これ程の上物に角砂糖を入れるのが勿体なく思い、そのまま口を付ける。

 

「……美味しい」

 

「えぇ。トリニティ自治区内の高級ブランド店から取り寄せた逸品です。ふふ、先生のお口に合ったのなら幸いです」

 

 徹夜する時はエナジードリンクをがぶ飲みし、合成着色料マシマシのジュースを好んで飲んでばかりいて舌がバカになっていただろう自分でも、流石にこのクラスの高級品を無下にする程落ちぶれてはいない。

 しかし何というか、途轍もなく上品で美味しいのだけど、普段摂取しない高級な成分を飲み込んだせいで胃がびっくりして跳ね上がっている気がしないでもない。やっぱり私は、どこまで行っても小市民がお似合いのようだ。

 

 

 

「――改めまして先生。一連の事件に関しまして感謝と謝罪を申し上げます。本当に、ありがとうございました」

 

 それは、彼女なりのケジメだったのだろう。ここで「気にしなくてもいいよ」というのは簡単だが、それでは彼女の感謝と謝罪を無為にしてしまう。それは望むところではない。

 

「アリウスの生徒、《ユスティナ聖徒会》、そして、古聖堂地下の太古の福音(ヒエロニムス)。《ティーパーティー》のホストともあろう者が、それらに対処も出来ずに眠りこけていたなど、お恥ずかしい限りです」

 

「巡行ミサイルが撃ちこまれたんだ。中心地にいた君が重傷を負って眠り続けてしまったのも無理はないさ」

 

「それでも、ゲヘナの風紀委員長や《正義実現委員会》、《シスターフッド》の方々は戦っていたのです。自分を不甲斐なく思って一時は《ティーパーティー》からの脱退も考えましたが……この状況下でそれをするのは流石に無責任だと思いましたので」

 

「ナギサは、責任感が強いんだね」

 

 ある意味では、ゲヘナ風紀委員長(ヒナ)と似たところがあるのかもしれない。

 「自分がやらなければならない」「自分でなければできない」という考えが積み重なって、それがやがて心のどこかに罅を入れる。

 そして、一度入った罅が広がるのは一瞬だ。人間の精神というのは、一般的な認識よりも脆いものなのだから。

 ナギサは、”猜疑心”という形でそれが現れた。周囲の全てが敵に見え、遂には”裏切り者”と見なした生徒達を一か所に集めて退学にしようとも企んだ。

 

 何もかもが信じられなくなったトップの末路、というのは古今東西似たようなものである。

 だが、どれだけ大人びていようとも18歳の少女である事には変わらない。年齢に伴う精神性と、背負う重荷が釣り合っていないようにも思える。

 でも、私にそれを否定する権利はない。彼女は望んでそれを背負ったのだ。その意思を尊重しなければならないし、私に出来る事があるとすれば、彼女が何らかの拍子に弱音や疑問を漏らした時に、それに誠実に対応する事だけ。……まぁ、それが上手くできなかった結果がああいう事件を招いたとも言えなくもないのだが。

 

「難しく考える事は無いと思うよ。トリニティの生徒は有事の際に、自分たちの意思で行動して、事態の鎮静化に奔走したんだ。そういった形を作り上げたのは、ナギサ、君が頑張った結果だよ」

 

「えぇ、それは確かに嬉しい事です。ですが先生? 動いた理由が()()()()()()()()()()()()()であった生徒が居た事も事実でしょう?」

 

「…………」

 

「私も幼稚舎の頃からこのトリニティに在籍していますもの。派閥の争いなど見慣れたものです。あの事態を好機と見てゲヘナに侵略戦争を仕掛けようとした者達が居た事も勿論聞いています。……それを聞いた時、不甲斐なさを覚えたのも否定致しません」

 

 トリニティとゲヘナ。この二校の間に横たわる亀裂は余りにも大きい。

 規律と理性を旨として動く事を推奨するトリニティと、自由と本能で動く者が多いゲヘナ。……正直言って、”戦争”という火種を起こすのに必要な燃料は過剰すぎる程にあったと言える。

 ”自分の思想とは違うナニかがある”。その思想が行き着く先に戦争があるのだとしたら、一部の派閥が過激化して、粗という名の瑕疵を見つけ出して開戦を望む理由は充分にあったのだ。

 

()()()()()()()()()()()

 

「えっ?」

 

 だからこそ、私はナギサにそう伝えた。

 

「組織が大きくなれば大きくなるほど、人心は一枚岩とは程遠くなる。異なる派閥を纏め上げた組織なら猶更ね。むしろ平時とはいえその軋轢を抑え込んでいたその手腕は素晴らしいよ」

 

「私、は」

 

「状況の全てを把握してその全てに手を打つなんてのはできないさ。たとえ、政治に長けた大人でもね」

 

「……それでも、先生は成し遂げました。トリニティとゲヘナの正面衝突を防ぎ、元凶を討ち果たしました」

 

「私の行動は基本的に行き当たりばったりさ。大局を見る才能が無い。私に無いものを君は持っていて、君が取り漏らしたことを私が拾った。今回の事件は、たまたまそうなっただけだ」

 

 人一人が対応できる事態には限界値がある。それを上回れるのは怪物の所業だろう。

 ナギサに足りなかったのは対応力の高さではない。”誰かに頼る”という、基本的ながらも組織の長として大事な事だった。

 

「ふぅ、敵いませんね、先生には」

 

「あまり持ち上げないでくれるとありがたいな。他の子からはよく調子に乗りやすいと言われるんだ。――まぁ、教師として生徒の役に立ったのなら嬉しいよ」

 

 苦し紛れに笑いながら言うと、ナギサは少し驚いた様な表情を見せて、気が抜けたように微笑んだ。

 

「先生は、私の事も”生徒”と呼んでくださるのですね」

 

「そりゃあね。何かに全力で挑んで、失敗して、それでも諦めずに次の成功の為に奔走できるのは学生時代の特権のようなものだよ。だからナギサも、あまり悲観的になる事はないさ」

 

 まぁ、そこいらの失敗とは規模が異なる事もあるだろうけれど、怪我人こそ出たけれど致命的な事態にはならなかった今回の一件を契機に彼女が変われるのなら、私の怪我など怪我の内にも入らないだろう。

 

「ヒフミさんからのお願いで榴弾砲(L118 105mm)を用意した時は、シャーレに少なからずの貸しを作るという目論見があったのは事実ですが、ふふ、今回の一件で”借り”になってしまいましたね」

 

「貸しとか借りとかはあまり考えないで欲しいんだけど……あぁ、そうだ。ならその”貸し”の分で一つだけ答えて欲しい事があるんだけど、いいかな?」

 

「……はい、私に答えられる事でしたら」

 

 おー、予想通り神妙な面持ちになっちゃったか。

 まぁそりゃあそうだ。彼女の中で余剰分の”借り”がどれ程の大きさなのかは分からないが、そこに付け込んで為される質問というのは大抵の場合はロクでもないものだ。ナギサの警戒も当然のものだろう。

 それでも私は、ついこの前から気になってた事をナギサに訊いてみた。

 

 

「収監中のミカの口に大量のロールケーキぶち込んでナマ言わないようにシメたって本当?」 

 

「誰ですかそんな根も葉もないガセネタを広めたのは」

 

 ナギサが手を当てていたティーカップの取っ手部分がパキンという音を立てて割れた。それと同時に全身から、こう、覇気みたいなのが溢れ始めた。あ、これヤバいやつだ。

 

「先生? 情報の出処を教えてくださいますか? 確かにミカさんは私が入院してる時にワガママ言いたい放題の手紙を送りつけてきたので以降の彼女の食事を全てロールケーキにするよう命令はしましたけど、そこまではしていませんよ?」

 

「3割くらいは事実じゃないか」

 

「口を縫われたいのですか?」

 

「ハイスミマセン」

 

 やっぱ暴君だったわこの子。

 とはいえ情報の出処なんて確かなものは何もなくて、トリニティを歩いていると噂話で聞く程度のものだ。

 まぁ、どうせ尾ひれが付きまくっただけのものだろうと思っていたのだけど、思いの外エグい事をしていて若干引いた。しかしなんなんだ。トリニティにおいてロールケーキってのは拷問器具としても使われるのか?

 

「はぁ。先生もそのような噂話を真に受けないで下さい。確かにミカさんは隙あらば私を煽ってきますし、それに対して私も時に物理で返したりしてますが」

 

「私は本当に君たちが親友同士なのか良く分からなくなってきたなぁ」

 

「う~ん、まぁ確かに私がナギサちゃんを煽るのはいつもの事だけど、別に嫌いだからやってる訳じゃないからねぇ」

 

 ふと、後頭部にに柔らかいものを感じた。それと同時に、一瞬で高級品だと分かる香水の香りもちょっと待ってやめなさい年頃の女の子がそんなに容易く異性に抱き着くんじゃない‼ 特に君は色々と発育が良いんだから‼ 何がとは断言しないけど‼

 

「……ミカさん? 本日は自由行動を許可していない筈ですが?」

 

「えー? 細かい事言わないでよナギちゃん。先生がトリニティに来るっていうから、こう、ちょっと色々して脱獄()てきただけだよ?」

 

「葬送の言葉は《シスターフッド》の方に一任しましょうか」

 

 ノータイムで葬式送りにしようとしているのはさておいて、まぁこういう軽口のやり取りが今でもできているのは、確かに仲が良い証拠だとも言えるだろう。

 

 聖園(みその)ミカ。アリウス生徒がトリニティを急襲した際に、その手引きをした子。要は、ナギサがずっと警戒していた”裏切り者”に当たる子だったわけだ。

 色々とこの子に振り回されていたところはあったが、飄々としているように見えて一本心が通った子だ。”やりたくない事はやらない”を信条にしているのは、彼女らしいというかなんというか。

 

 そんな彼女は、今も外患誘致等の罪状でトリニティ内の監獄施設に収監されている。ナギサの計らいでたまに外にも出ているらしいが、そんな現状に身を置いている彼女が、タイミングを見計らったような形で脱獄などできるものだろうか。

 そんな事を考えていると、答えは意外に早くやって来た。

 

「私が許可したんだ。すまないねナギサ。本来ならホストの君の指示に従うべきなんだろうけれど」

 

「――成程、セイアさんの差し金でしたか」

 

 ミカの後ろから小さい歩幅で歩いてきた女の子。ナギサやミカと比べると随分と小柄な、触れれば壊れてしまいそうな儚さを内包した子。()()()()()()、その外見的特徴がより強調されているように見えてしまう。

 まぁ、ミカの気持ちも分からないでもない。こんな神秘の具現化のような子が死んだなどと伝えられれば、背水の陣を覚悟するのも当然と言えるだろう。

 

「やぁ、久し振りだね先生。こうして現実で会うのは初めましてかな?」

 

「やぁ、セイア。そうだね。夢の中では随分と世話になっちゃったな」

 

「それは私のセリフだね。先生のお陰で気付かされたことも色々あった。私もすこし秘密主義が過ぎたと反省しているよ」

 

 他者の”夢”に干渉できる力を持つセイアとは、何度も夢の中で話をした。

 彼女の言葉がアズサを救い、彼女の言葉で私は《補習授業部》の皆との接し方を再確認できた。ともすれば恩人と言ってしまってもいいかもしれない。

 

 少しして、ミカとセイアも席に着いた。

 私を除けば、これが本来在るべき《ティーパーティー》の姿であると思うと、少し感慨深い気持ちにもなる。まぁ、当時の在りし日を知らない身からすれば、偉そうなことは言えないのだけど。

 

「ミカさん? お茶をご一緒するのは別に構いませんが、これ以上先生に迷惑はかけないようお願いしますね」

 

「それナギちゃんが言う? まぁ、私が先生にこれ以上ないくらい迷惑かけたのは事実だし? ちゃーんと大人しくするよ。……情けない姿もいっぱい見せちゃったし、ね?」

 

 その”情けない姿”とやらが、古聖堂へカチコミに行く前の泣き姿なのだとしたら、私はそうは思わない。

 あの時、ミカはちゃんと耐えたのだ。確かに彼女がしでかした事は簡単には許される事ではないが、それでもタチの悪い神輿として担がれることを彼女は跳ね除け、暴力を振るわれても決して反撃することは無かった。

 強い子だ。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。仲間への想いが強すぎたが故に、行き着く所まで行ってしまった。

 

「まぁ、別に構わないよ? 程度はあるけれど、ミカに振り回されるのは面白いからね」

 

「……そういう事を普通に言えちゃうの、ズルいと思うなー」

 

「おや、ミカがそういう顔をするのは珍しいね。さしずめ喉元を優しく撫でられた猫といったところか」

 

「セイアちゃんは本当に一言多いよねー。というか、それを言ったらセイアちゃんの方が仔猫っぽくない? ホラ、背丈的に」

 

「おや、これでも褒めていたんだけどね? 自由気ままで、本能の赴くままにやらかして、それでも最終的に許されてしまう愛嬌とか」

 

「あはは。セイアちゃん、拳の握り方って知ってる?

 

「何で最終的に物理に訴えようとするんだこの組織は」

 

 いや、キヴォトスの生徒は基本的に物理上等みたいなところあるからここに限った話じゃないんだけど。

 とはいえ、楽しそうな関係だなとは思う。気取らず、隠すものもなく、ありのままの感情を曝け出せる場所。青春を面白く過ごすには、こういう場所が必要だ。

 

「まったくもう。でもまぁ、それを差し引いても、悪い意味で先生を振り回したくはないかなー。……もう先生を怒らせたくないし」

 

「そんなに怖かったかい? あの時の私は」

 

「うーん、そうだねぇ。私がアリウスを引き入れた時のアレは少し怖かったかなぁ。あの時も言ったけど、先生、あんな顔も出来るんだなぁって」

 

 あの時は、うん。確かに少し怒っていた。

 ミカに騙されていた事に、じゃあない。刹那的ではなく計画的に、ゲヘナを潰すというその一点の目的の為に周囲の全てを不幸にしようとした事。

 それは駄目だった。教師として到底許せるものではなかった。私は怒るのが苦手だという自覚はあるが、あの時ばかりはミカに対してのやるせない感情が抑えられないままに表面に出ていた。

 しかし、恨みの感情を抱いていたかと言えばそんなことは無い。私もあの時は少し大人げなかったと反省している。怒るにしても、互いの背景を詳らかにしてから怒るべきだったのだ。彼女の抱えていた闇と悲しみを、ちゃんと理解してから怒るべきだったのだ。

 そういった事をミカに話すと、彼女は小さく首を横に振った。

 

「ううん。私が悪い事をしたから先生は怒ってくれたんでしょ? 実は少し、嬉しかったんだ。こんな所まで来ちゃった私に対しても、本気で怒ってくれる大人の人がいるんだなぁって」

 

「ミカさん……」

 

「私を助けてくれた時にも先生、怒っていたじゃない? そこでようやく分かったんだ。先生は、心底()()()()()()()()()()()()なんだって」

 

 正直、このキヴォトスに来る前の記憶が曖昧な私は、自分自身が元々どのような人間だったのかも定かではない。

 ミカの言う通り、誰かの為に怒れるような人間だったのか、あるいはその逆だったのか。善い人間だったのか悪い人間だったのかも分からない。

 私はただ、生徒(彼女)達に対して胸を張れる人間でいたかっただけ。そうでなくとも、せめて生徒が悩んでいる時に話くらいは聞いてあげられるような人間でいたいだけなのだ。 

 

「私はセイアちゃんほど頭が良いわけじゃないし、ナギちゃんほど上手く立ち回れるわけでもない。でもそんな私でも()()()()()()()()()()()くらいは分かるよ。問題なのは、それが分かるまでにとことんまでやらかしちゃった事なんだけどね?」

 

「……ミカさん? 本当に反省してますか?」

 

「反省してるよ。後悔もしてる。でもどんなにそれを突き詰めても、私がやった事が消えるわけじゃないじゃない? セイアちゃんが無事だったって分かってれば行動しなかったかもしれないなんて、そんなのは結果論でしかないわけだしね」

 

 そう言ってから、ミカは少し力無さそうに笑った。

 

「私が今日セイアちゃんに無理を言ってここに来たのはね。先生にお礼が言いたかったからなんだ。今はこんなんだから次いつ先生と会えるか分からないからさ。……ありがとうね」

 

 表情こそ笑ってはいるが、萎れて枯れてしまいそうな声だった。

 初対面で会った時のような、活き活きとした笑顔のミカはどこにもなかった。……いや、もしかしなくても私は、彼女の心からの笑顔を見た事がないのかもしれない。

 こんなに晴れやかな顔が似合う子なのに、それを見る事が出来ないというのは、何というか、うん、すごく勿体ない。

 

「むきゅ」

 

 そう思った瞬間、私はミカのほっぺたを指で突いていた。……………………何でだ?

 

先生(ふぇんふぇい)?」

 

「ゴメン。何かつついてた。……すごいモチモチしてる」

 

そりゃあ普段から(ほりゃあふはんはら)お肌の手入れには(おはらふぉふぇいふぇひは)気を遣って(ふぃをふはって)――じゃなくて(ひゃはふふぇ)

 

「ロールケーキめちゃくちゃ食べさせられたって聞いたけど、流石に体調管理はプロの領域だねぇ」

 

「むみっ」

 

「――ふふっ。ふふふふっ」

 

「――ふふ、ミカ、きみ、変な声出て……ふふっ」

 

 笑いを寸前で堪えているナギサと、堪えきれていないセイア。馴染みである二人のそんな姿を見て、ミカもようやく表情を綻ばせた。

 

「あはっ、あはははははっ。ちょ、セイアちゃん笑わないでってばー‼ ナギちゃんまでー‼」

 

「で、でもミカさん凄い顔してて――くふっ」

 

「ちょ、ちょっとお腹が痛くなって来たね。まさかこんなくだらない事で、ふふっ、ツボにハマってしまうなんてくふっ」

 

「セイアちゃん紅茶こぼし……あはははははっ‼」

 

 普段は静謐な雰囲気に包まれているはずのテラス席が、まぁ不思議。お嬢様たちの笑い声に包まれてしまいました。それはもう笑い過ぎて外で待機していた護衛の生徒が様子を見に来るレベルだった。騒がせちゃってゴメンね。

 それから数分。三人は笑いっぱなしだった。途中でナギサは周りが見えなくなってスコーンやケーキが乗せられたスタンドを倒しかけ、セイアに至っては過呼吸を起こしかけていた。

 ミカはと言うと、テーブルをバンバンと強く叩きながら誰よりも笑っていた。

 

 どれだけ良く見積もっても上品とは言い難い様子ではあったが、少なくとも暗い雰囲気は跡形もなく消し飛んでいた。

 この状況を作り出せたのなら、私としても本望だ。――後でミカに対してのセクハラで《正義実現委員会》に拘束されても甘んじて受け入れよう。

 

「ふー、ふー、ふーっ……あー、笑った笑った。こんなに本気で笑ったのはいつ以来かなぁ?」

 

 ひとしきり笑い尽くした後に、ミカは涙を拭いながらそう言った。

 

「ナギちゃんもそうだけど、セイアちゃんの爆笑姿なんて、もしかして初めて見たかもしれないなぁ。――うん。私達、結構長い間一緒に居た筈なのに、()()()()も共有できてなかったんだね」

 

「……そうですね。心のどこかに壁を一枚隔てたまま、笑顔を表面に張り付けて語り合っていただけ。幼稚舎の時や初等部の時は、比較的何も考えずに笑えていたのに」

 

「”大人になる”という事を指すのならばそうなのかもしれないけどね。あぁ、でも。この中で一番”大人”である筈の先生が私たちに童心を思い出させてくれたのだとしたら……私たちは要らない意地を張り続けていたのかもしれないな」

 

 存外、”大人で居続ける”というのは疲れるものだ。

 誰かの視線を気にして、意地を張り、自己を殺し、「そう在るように」と望まれた姿であるように背筋を伸ばし続ける。極まった人ならばそんな日々を過ごしていても大丈夫だろうけど、大半の人はそんな生活を続ければ段々と神経がすり減らされていく。

 ずっと続くと、今まで出来ていたものが出来ないようになる。見えていた筈のものが見えなくなってくる。そうなると、何もかもが上手く行かないような錯覚に陥ってしまう。

 ”大人になる”というのはつまり、”大人である自分”と”童心を思い出す自分”を上手く使い分けられる事でもあると、私はそう思っている。

 

 だから、この三人にもそれを思い出して欲しかった。何のしがらみもなくただ面白い事で笑い合えた頃の事を。

 

「君たちが抱える事情は、私程度じゃどうにもならない事も多いのかもしれない。君たち三人の間でなきゃ解決できない事なのかもしれない。まぁ、だから、もう少し本音で話し合ったり、本気で怒ったり、本気で笑い合っても良いんじゃないかな? 普段は無理でも、この限られた”お茶会”の中でくらいはね」

 

 限られた学生生活だ。多少の制限があったとしても、やっぱり楽しく行きたいじゃないか。

 

 さて、言いたいことは全部言った。その上で私は、自分用の端末を取り出して、とある画面を三人に見せる。

 

「実はね。近々《シャーレ》が活動し始めてから1周年のパーティーを開くんだけど、三人も時間があればどうかなと思ってさ」

 

「パーティー、ですか。私たちのような生徒が伺ってもご迷惑なだけでは?」

 

「そんなことは無いさ。むしろ来てくれたら嬉しいな。ヒフミは絶対に行きますって言ってくれたし、ナギサが来てくれたらあの子も喜ぶと思うよ」

 

「そ、そうですか。ヒフミさんも。――コホン、時間を空けるように尽力します」

 

「ミカも、ナギサの許可が貰えたらおいで。面白可笑しくなる確証はないけれど、多分退屈はしないと思うよ」

 

「そうだね、折角のお誘いだし。それに、《シャーレ》の拠点っていうのにも興味があったんだ。ナギちゃん、拘留者の外出許可その他諸々の書類作業お願いね~♪」

 

喉奥まで生クリーム注ぎ込みますわよ? ……まぁ、今回ばかりはそちらも協力しましょう」

 

「セイアはどうかな?」

 

「私は見ての通り身体が弱くてね。校区外まで出られるかどうか……うん、出来る限り行く努力はするよ。あぁ、ちなみに言っておくと別にこれは社交辞令の類ではないからね? その時の自分の体調と相談して判断する」

 

 ひとまずパーティーの招待状を三人分、ナギサの端末に転送しておく。ミカの端末は現在没収中だし、セイアはセイアで、普段はあまり携帯していないらしい。

 ……そんな事をしていると、いつの間にか自分のティーカップの中身が空になってる事に気付いた。腕時計を見てみると、入室してからいつの間にか一時間くらい経っていたらしい。

 

「さて、私はそろそろ失礼するね。お茶もお菓子も美味しかった。もう少し居たかったけど、《補習授業部》の皆を待たせるわけにはいかないから」

 

「あら、失礼しました。――先生、引き続きあの子たちの事、宜しくお願いしますね」

 

「うん、分かってるよ。何だかんだで、あの子たちとの付き合いも長くなってしまったからね」

 

 本当はあんな部活は無い方が良いのだろうけど、今のあの子たちには貴重な拠り所だ。……まぁ、だからと言ってずっと居て良いわけじゃないんだけどね。

 

「それじゃあね。また、機会があったら誘って欲しいな」

 

「えぇ、勿論です」

 

「先生が居てくれると楽しいからね。次は美味しいお菓子をお土産に持ってきてくれると嬉しいな♪」

 

「ミカ、君の神経の図太さは見習うべきなのかどうなのか……。先生、もし持ってきてあげられるのなら、ロールケーキ以外のものをお願いできるかな?」

 

 正直、このお茶会に出される紅茶に見合うお菓子を私の懐事情で用意できるのかどうかは分からないんだけど……《百夜堂》辺りで和スイーツでも買ってこようか。紅茶に合うかどうかは知らん。

 笑顔で見送ってくれる三人に小さく手を振り返しながらラウンジを出る。護衛の生徒から「え? 何があったんですか?」みたいな視線を感じたが、敢えて振り返らないでおいた。三人の秘密は、あの子たちがそう願うまでそのままにしておいた方が良いだろうからね。

 

 ラウンジからも見えていたけれど、空もすっかりと茜色になっていた。

 年を越したとはいえ、まだまだ寒い冬が続く。陽が落ちる時間も、まだ早い。あと一時間もすれば、暗くなってくるだろう。

 早いところ補習で使っている教室に戻ってあげよう。追試は別に明日明後日あるわけではないし、今日はもう切り上げてしまおう。そう思って離れの教室棟に向かったのだけど――。

 

「あ、先生ー‼」

 

 教室棟の入り口で、四人は待っていた。コハルとアズサが少しぐったりしているように見えるのは、それだけ頑張ったのだろう。

 

「お疲れ様。ゴメンね、長く席を外してしまって」

 

「いえ、大丈夫でした。アズサちゃんもコハルちゃんも、あの後は凄い真面目に頑張ってくれていましたから」

 

「うふふ♪ 私はコハルちゃんにちょっとイタズラしちゃいましたけどね」

 

「うう……。先生聞いてよ‼ ハナコってば、私が間違える度に首筋を撫でて来るわ、耳に息を吹きかけて来るわで大変だったんだから‼」

 

「でもそのお陰で、コハルちゃんの頭も冴えたでしょう? 最後の方はあまり間違えなくなったじゃないですか」

 

「う、ま、まぁそれはそうなんだけど……そうなんだけど‼」

 

「そもそもエッチな事しか頭になかったコハルちゃんがいけないんですよ? 私は先生のお願いでそれを正しただけですし♪」

 

「いつも頭の中がエッチな事で満ちてるハナコには言われたくないんだけど⁉」

 

 この二人のやり取りも、もはや見慣れたものになってしまった。

 なんだかんだで仲は良い二人なんだろう。ハナコが一方的にコハルを可愛がっているだけのようだが。

 

「アズサも、頑張ったね」

 

「うん、先生。ヒフミがちゃんと丁寧に教えてくれた。やっぱり、一緒に勉強ができる友達は最高だ」

 

 思えば彼女がアリウスに居た頃は、”優しく丁寧に教えてくれる”という事自体が有り得ない事だったのだろう。

 生死が関わらない学習。彼女にとって必要だったもの。アリウス時代の事を彼女は決して否定はしないが、どちらが幸せなのかと問われた時「今」と答えられるような、そんな日々を送れるようにサポートするのが、私の役目の一つなのだろう。

 

「あ、アズサちゃああああああん‼」

 

「ひ、ヒフミ⁉ いきなり抱き着いてきてどうしたんだ⁉」

 

「あ、ご、ごめんなさい‼ ちょ、ちょっと感極まっちゃったというか……」

 

「青春だねぇ」

 

「ですねぇ」

 

 私の呟きにハナコが同意したが、君もその青春の真っ最中なんだぞ? あと数年したら三十路に手が届く身にしてみれば眩しい限りだ。

 

「先生」

 

「なんだい?」

 

「えっと、こんな感じでまた色々と迷惑を掛けてしまうと思うけれど……また私達と一緒に居てくれると嬉しい」

 

 その姿は、ゲリラ戦のプロフェッショナルとして激戦地を駆けた戦士とは程遠い――しおらしくなっている、一匹の仔猫のようだった。

 気付けば私は、その小さな頭の上に自分の手を置いていた。

 

「当たり前だよ。みんな君の仲間で、かけがえのない友達だ。そんな君たちが望むのなら、私はどこへだって駆け付けるよ」

 

「――ありがとう、先生」

 

 その笑顔は、掛け値無く美しいものだった。

 私は美術品の類の目利きにはとんと無縁なのだが、それでも分かる。この笑顔には、きっと値段の価値など付けられない。

 そんなアズサを囲む関係は、きっとずっと続くのだろう。損得などというものを超えた先にある友情というのは、とんでもなく強固なものなのだから。

 

「よし。席を外しちゃったお詫びだ。今から皆で何か食べに行こうか」

 

「えっ、本当ですか?」

 

「げ、下校途中の食事なんて……うぅ、でもお腹空いたし……」

 

「あら、じゃあコハルちゃんの好きなものを食べに行きましょうか。その後本屋さんによってエッチな本を二人で買い漁りましょう♪」

 

「前半は嬉しいけど後半は絶対行かないからね⁉」

 

「アズサちゃんは何が食べたいですか?」

 

「うん……そう言えば、山海経の辺りで話題になってた激辛ラーメンとかいうのがトリニティの校区にも来たらしい。それを食べてみたい」

 

「い、意外とチャレンジャーですね、アズサちゃん……」

 

 そんな会話をしながら校門へと歩いていく四人。

 ふと、アズサが肩から掛けていた鞄を見ると、チャックが開いていて何かが顔を覗かせていた。

 ヒフミが大好きなモモフレンズシリーズの、ペロロ様のぬいぐるみ。――黒縁の眼鏡をかけた、相変わらず気の抜けたような表情をしているそれは、確か以前アズサが――

 

「……良い友達だなぁ、本当に」

 

 その形は様々だ。表立って表せるものもあれば、当人同士の間でしか表せないものもある。

 でも、それに多寡はない筈だ。こんな世界に生きる生徒達であれば、なおさら。

 

 先程まで茜色に染まっていた筈の空には、いつの間にか薄く星が瞬くようになっていた。

 白い息が漏れる冬の夜。どこか物哀しさを連想してしまう時間帯。

 

 だというのに、私の目には何故か、透き通ったキヴォトスの空がどこまでも続いているように見えてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もし熱が冷めていなかったらゲヘナ編も書くかもしれない。

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