レストラン白玉楼   作:戌眞呂☆

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第72話 文と思い出と白玉餡蜜

 

 レストランでの宴会の準備を終え、自室の前の縁側に腰を下ろして体を休める。太陽の光がさんさんと照りつける青空の中を、白い雲が優雅に漂う。レストランのリフォームにかかりっきりで、ようやくレストランが完成した時には気づいたらもう7月。日中の明るい時間は長くなり、4時を回ってもまだ太陽は高いところで輝いている。季節は夏真っ盛りなのに、あまり暑さは感じられず汗も流れない。ここが冥界だからか、俺が幽霊だからか、それとも日陰にいて風鈴の音に耳を傾けているからか…。

 

 

「ねぇ、欧我」

 

 

「ん?」

 

 

 名前を呼ぶ声が聞こえ、俺を一人だけの世界から引き戻す。声がした方に顔を向けると、文が不満そうな表情を浮かべていた。

 

 

「ねえ、聞いてる?せっかく取材について話してあげているのに」

 

 

 頬をぷくっと膨らませながらぶーぶーと不満を述べる文。それを聞いて失念していたことを思い出した。縁側で2人並んで腰を下ろし、取材中にあったことを身振りを交えて面白おかしく話て聞かせてくれていた。それを聞いていたのだが、吹き抜ける風と太陽の光が気持ちよくて途中から抜けてしまっていた。

 

 

「ああ、ごめんね。あまりにも天気が良かったから、ついね」

 

 

 両手を合わせて謝ると、はぁと大きなため息をつかれた。少々ふてくされた顔をしているが、どうやら許してくれたようだ。気持ちを切り替え、両手を組み上に上げて大きく伸びをし、そのまま後ろにごろんと寝転がる。頬を撫でる風が気持ちよく、このままでいると安らかな眠りの世界に誘われるようなそんな感じだ。

 

 

「ほら、文も寝転がってみたら?」

 

 

「んもう、しょうがないなぁ。欧我、腕」

 

 

「はいはい」

 

 

 伸ばした俺の左腕を枕にして、文も縁側に寝転がった。このように腕枕をねだられるのは今に始まったことではない。生前文の家で暮らしている時から何度もねだられ、小傘がいるときは両手を広げて2人分の枕を作るときもあった。腕枕と言うのは好きな人同士が愛を深めるために行う微笑ましいものだというイメージをしていたのだが、現実は全く違う。腕を圧迫されるため血液の流れが遮られ、腕の先端がピリピリと痺れてくる。そして頭をどかされた時、遮られた血流がせきを切った様にドバっと流れるときのあのゾワワっていう感触が好きになれなかった。さらに両腕が塞がれるとかゆいところを掻く事が出来ないし寝返りもできない。腕枕と言うのは男にとって苦行にも似たものだと痛感させられた。でも大好きな人の寂しそうな顔は見たくないから、ついついその苦行を進んで受け入れてしまうのが性と言うかなんというか。でも、幽霊になってからは多少楽になってきたのかな。

 される側の文はする側の俺の気持ちを知ってか知らずか、空を見上げながらなんだか幸せそうな笑顔を浮かべている。

 

 

「うふふ…」

 

 

「何がそんなに面白いの?」

 

 

「んー?なんでもなーい」

 

 

 そしてまたうふふと笑みを漏らす。文はいつもこうだ、頭の回転が速い上にそれを隠して相手のレベルに合わせてくる。だから文が一体何を考えているのか全く分からない。ずっと一緒に過ごしてきた俺だって分からない時がよくある。今だってそうだ。でも、俺に対しては時に純粋な少女のような、愛情に裏打ちされた単純で一直線な面もあり、それがちょっと魅力的でもあるからずるいんだよな。

 

 

「そう言えばさ、山で過ごしていた時も良くこういうことしてたね。縁側で寝転がっていたら隣に文がやって来てさ」

 

 

「そうね、何も話さなかったけど幸せなひと時だったわよ。欧我もそうだったでしょ?」

 

 

「うーん、あまり」

 

 

「あややややっ!?」

 

 

 俺の言葉を聞いた途端驚いたように上体を起こし、信じられないと言った表情を浮かべながら顔を覗き込んできた。

 

 

「やっぱりする側の気持ちは分かってくれてなかったんだね。腕を圧迫されて痛い上に、文は寝相が悪すぎるから何度お腹を殴られたことか…」

 

 

「そっ、それは…」

 

 

「いびきも大きい」

 

 

「う、うるさいうるさいっ!もういいもん!二度と頼まないから!」

 

 

 そう言うとプイとそっぽを向いて縁側に再び寝転がった。俺に背中を向けているが、相変わらず頭は腕に乗せたままだ。二度と頼まないと言ったくせに腕枕は続けるのか。

 さっき言ったように、確かに文は寝相が悪くいびきが大きい。しかしそれは気になるほどの程度ではなく、少し大げさに言ったまでだ。山で一緒に暮らしていた間、だらけたり大雑把になっていたりと、毎日ピッシリと決めている清く正しいブン屋からは想像できない言動をよく目撃していた。でも、それは俺に心を開いていてくれているからなのかな。心を許してくれているからこそ、普段見せないような言動を見せてくれているのかな。

 

 

「あれれ、もしかして拗ねちゃった…痛いっ」

 

 

 腕をグーで殴られた。まさか本当に拗ねちゃった?

 

 

「え、あの、文?」

 

 

「ふんだ」

 

 

 そして2人の間に漂う沈黙。どう声をかければいいか分からず、非常に気まずい空気が重くのしかかってくる。冗談のつもりで言ったのに本当に拗ねてしまうとは思ってもみなかった。どうしようこの状況…。

 必死に頭を働かせていると、不意に沈黙を破るように文の声が聞こえた。

 

 

「許してほしい?」

 

 

「へ?」

 

 

「許してほしいの?」

 

 

 許すというのは、腕枕が嫌だと言ったことに対する言葉であろう。でもたったそれだけのことで拗ねたり気を悪くしてしまうものなのか、女心というのは全く理解できない。かといってこのままでいるのも嫌なので、ここは素直に許してもらうしかないか。

 

 

「うん、許してほしいな」

 

 

「分かった、許すわ」

 

 

「ありが…」

 

 

「でも、ただじゃ許してあげない。私の一番の大好物を作ってきたら許してあげてもいいわ」

 

 

「大好物?」

 

 

「そうよ。私の最愛の夫なら分かるわよね?」

 

 

「はいはい、作ってきます。もう、食べたいんだったら普通に食べたいと言えばいいのに」

 

 

「えへへへへ」

 

 

 腕を文の頭の下から引き抜き、台所へと向かった。案の定幽霊になったことで腕のしびれや痛みは感じなくなっていたが、生きていることを実感できない虚しさとこれでずっと腕枕ができるという嬉しさが混じったような何とも言えない気持ちで満たされている不思議な心境だ。

 

 

 

 

 

「乙女心って、人生最大の難問だな…」

 

 

 台所に立ちボソッとつぶやく。さっきの言動について全く理解できないのだが、考えていても仕方ないので気持ちを切り替えて文の大好物を作ろう。文の大好物で真っ先に浮かぶのは甘い物だ。暇な時に人間の里に連れ出され、甘い物めぐりに付き合わされた。俺は甘い物は好きではないが、甘い物を食べている時の文の笑顔を見ているだけでお腹と心が満たされていた。その時に決まって食べていたものは…。

 

 

「餡蜜…かな」

 

 

 真っ先に思い浮かんだものは餡蜜だ。餡蜜を食べている時の笑顔が一番輝いて見えたのが印象に残っている。だから機嫌を直してもらえるような餡蜜を作らないとな。

 白玉粉に水を加えてこね、耳たぶくらいの固さになったら丸く形を作り、真ん中を少しへこませる。耳たぶの福耳具合が自慢の一つだ…って何どうでもいい自慢しているんだろう。そうしたらお湯を沸かして茹でて冷水で冷やす。こうすれば白玉の完成。後は皿に自家製のあんこと大好きなフルーツを乗せ、白玉を少し多めにおいて、そしてクリームを絞れば簡単に白玉餡蜜の完成だ!

 

 

「こんなもんかな」

 

 

 目の前に置かれた餡蜜を眺めていると、脳裏に昔のことが思い起こされた。俺が初めて手料理をふるまった相手、それは一緒に暮らしていた文だった。新聞の執筆に追われて家事が出来ないときに、代わりに身の回りの世話を一手に引き受けて必死に動いたことがある。その時に少しでも疲れを癒してあげようと秘密で作ったのがこの白玉餡蜜だ。その時の文の驚き様ととろけたような笑顔が印象的だった。そしてその後執筆の事を忘れて2人でのんびり過ごしたっけ。その時の温もりと幸せが記憶と共に蘇ってくる。

 

 

「どうして今まで忘れていたんだろう…」

 

 

 文と過ごした大切なひと時を作り出してくれた白玉餡蜜。2人にとって記念すべき料理なのに、これで良いのだろうか。

 

 

「作り直そう。これじゃだめだ」

 

 

 適当に作っただけじゃ、文は絶対に許してはくれない。少しの工程にも愛情を注ぎ、食べてくれる相手のことを思って作らなきゃ絶対に笑顔にはなってくれないはずだ。忘れかけていた大切なことを取り戻す事が出来、ぼそりとお礼の言葉を呟く。これは妖夢にあげるとして、一から作り直そう。

 そうして心と愛情を込めて作り上げた餡蜜をお盆に乗せ、文のいる縁側に向かった。文は中庭を眺めながら足をバタバタと動かしていたが、俺の姿を見ると頬を膨らませ「遅い」と呟いた。

 

 

「はい、じゃあこれをどうぞ」

 

 

「やったぁ!ありがとう!!」

 

 

 白玉餡蜜を手渡すと、途端に笑顔になる。そしてパンと両手を顔の前で合わせると白玉とあんこをスプーンですくい、口へと運んだ。

 

 

「うーん、美味しい!」

 

 

 文の隣に腰を下ろし、持ってきた緑茶をすすりながら夢中で餡蜜を食べ進めていく文の笑顔をじっと見つめる。見ているだけで幸せでお腹一杯になるこの笑顔が一番大好きだ。

 

 

「うふふ、この味はちっとも変ってないね。欧我が一番最初に食べさせてくれたのよね」

 

 

「覚えていてくれたんだね」

 

 

「当然よ!あの時本当に嬉しかったわ。執筆に追い詰められていた私を救ってくれたこの餡蜜とあなたの優しさが大好きよ。ありがとうね」

 

 

「うん!」

 

 

 文の言葉が嬉しく、思わず笑顔を浮かべた。文も笑顔になって餡蜜を再び口へと運ぶ。一口ずつ味わうようにゆっくりと食べ進める文の笑顔は、あの時とちっとも変っていなかった。

 

 

「ごちそう様。あー美味しかった!」

 

 

「どういたしまして」

 

 

 文の一言が嬉しくて、そして文の笑顔をじっと見つめていたことで少し赤くなった顔を見られないように、目線を離して冷めてしまった緑茶をすする。

 

 

「それに、貴方の愛情もたっぷり感じられたわ。私のためにわざわざ作り直してくれたんでしょ?」

 

 

「えっ!?」

 

 

 驚いて文の顔を見ると、いたずらっ子のように白い歯を見せ、ニシシと笑っていた。

 

 

「なんで知ってるの!?まさか覗いてた?」

 

 

「さあね。私は欧我のことは何でも知ってるのよ」

 

 

 何度問い詰めてもその笑顔のままはぐらかしてきたので、埒が明かないと思いあきらめて緑茶を飲み干した。

 

 

「それに、欧我って最近忘れてたんじゃないかしら?作った料理を食べてもらう人のことを考える事」

 

 

「え、う、うん。本当に何でも知っているんだな…。でも、文のお蔭で大切なことを取り戻せたよ。これからは全ての人に感謝と愛情を込めた料理をふるまっていくよ。文への愛情と同じようにね」

 

 

「うん、それでいいわ。それならレストランも大成功間違いなしね。でも、浮気したら許さないからね?」

 

 

「するわけないよ。俺は文一筋さ」

 

 

「もう、欧我ったらぁ」

 

 

「えへへ、でもこれは本心だよ」

 

 

 縁側に座り、2人で体を寄せ合う。お互いに何も話さなかったが、手を繋いでお互いの温もりを感じ合っているだけで心が幸せで満たされていく。これからも長い時間を2人で寄り添って生きていく。こういった何気ない日常も、俺にとっては大切な思い出の一つだ。

 

 

「あ、もうこんな時間か。幽々子様の夕食を作らないと。文、手伝ってくれるか?」

 

 

「ええ、もちろんよ!欧我に負けじと家で練習して、上達してきた料理の腕前を見せてあげるわ!」

 

 

「そっか、じゃあお手並み拝見と行くか」

 

 

 文のやけに自信満々な表情を眺めながら台所に向かった。文と一緒に立つ台所での料理だって、大切な思い出になる。これからはもう二度と忘れないように、心のアルバムにしまっていこう。

 




 
「ところで、欧我の得意料理ってなんなの?」

「得意料理?やっぱり唐揚げかな」

「えっ…。あ、あはは。ごめーん、良く聞こえなかったわ。もう一回言ってくれるかしら?」ゴゴゴゴゴ…

「唐揚げ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「そう言えば餡蜜のおかわりあるけど食べる?」

「食べる!ありがとー!」パァァァァ
 


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