レストラン白玉楼   作:戌眞呂☆

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第80話 霧の湖にて

 風に乗って運ばれてくる、澄んだ歌声に耳を洗われ、心を奪われ、何かが胸にジーンとこみあげてくる。文もこの歌に聞き入っているようで、穏やかな表情を浮かべている。

 声の主が歌い終えた瞬間、気づいたら2人そろって拍手を送っていた。素晴らしい歌を聞かせてくれたことに対する賛美を込めたつもりだったが、歌声の主は不意を突かれたようで「ひゃあっ」という悲鳴を上げてしまった。どうやら驚かしてしまったようだ。

 

 

「あ、ごめんね姫ちゃん」

 

 

「えっ、ああっ、欧我さんじゃないですか!お久しぶりです!」

 

 

「久しぶり!ごめんね、驚かせちゃったかな?」

 

 

「ちょっと待って、もしかして2人って会ったことあるの?」

 

 

 姫ちゃんと話していると、いきなり文が会話に割り込んできた。どうやら俺たちが知り合いだったことを知らず、驚いているようだ。そう言えば文に言っていなかったな。

 

 

「うん。小傘と一緒に何回か尋ねたことがあるし、遊んだこともあるよ」

 

 

「はい、毎回驚かされちゃうんですけれどね。お二人にはお世話になっております」

 

 

「へぇ、そうだったんですね!そうだ、その時の話を聞かせていただけないでしょうか?ついでにわかさぎ姫さんの取材なども…」

 

 

 って文、いつの間にかブン屋モードのスイッチが入っちゃってる。こうなってしまったらもう俺でも止めることができない。姫ちゃんも困惑しているようで、苦笑いを浮かべている。

 

 

「姫ちゃんごめん、少し文に付き合ってくれないかな?」

 

 

「えっ…え、ええ、分かりました」

 

 

 そうして始まった文の取材。いつものように強引な取材なのかと思っていたが、思った以上に穏やかで、姫ちゃんの話すことを傾聴し、相槌を打ち、共感や自分の考えや経験を交え、まるで親友同士の会話のような雰囲気を醸し出しているため、強引さは微塵も感じられなかった。姫ちゃんも最初に感じていた困惑は消え去り、笑いながら会話を続けている。

 しばらく見ないうちに劇的に変化した取材姿勢に、呆気にとられながらも非常に頼もしく、そして嬉しく感じた。これなら安心して取材に行く文を見送ることが出来そうだ。内心取材を断られていないか、相変わらず強引な手法で取材をしていないか、不安でたまらなかった部分がある。でもこの様子を見れば、そんな心配など不要だったみたいだな。

 取材の邪魔にならないよう、少し離れた岩に腰を下ろし、じっと霧の湖を眺める。先ほどと比べて若干薄くなった霧のおかげで、より遠くまで見通すことができ、岸辺に建つ紅魔館の真っ紅な時計塔が霧の間から顔をのぞかせている。そういえば、あの日以来紅魔館を訪れてなかったな。あの館の中で、レミリアさんや咲夜さんたちはどのような生活をしているんだろう。フランちゃんも元気に遊んでいるのかな。美鈴さん、また寝ていなければいいけど…。

 湖の景色を眺めながら物思いにふけっていると、ふと湖の上をこちらに向かって飛んでくる影が目に留まった。あの姿はチルノちゃんと大ちゃんだ。かくれんぼはもう終わったのかな?

 

 

「あっ、欧我発見!ねーねー、ぶんぶんはどこ?」

 

 

「文?今仕事中だよ。邪魔しないであげて」

 

 

「えーっ、そんなあ!」

 

 

 そう言うとチルノちゃんはやけに不満そうに、頬をぷくーっと膨らませる。かなり不機嫌な様子だけど、いったい何があったんだろう。大ちゃんはそんなチルノちゃんをなだめようと、何度も声をかけている。

 

 

「ねえ、チルノちゃん。文に何か用事があるの?」

 

 

 そう尋ねると、「うん!」と力強くうなずき、胸の前で腕を組んだ。

 

 

「だって、私がぶんぶんに勝ったことを自慢しても、大ちゃんが信じてくれないからね!だったら本人に聞くのが一番だと思って来たのよ!」

 

 

 なるほど、そういうことね。だから今すぐにでも文に会いたいっていうことか。彼女が言う勝ったというのは、おそらく背後をとるあの勝負のことだろう。あれは本当は文が暑さを和らげるためにチルノちゃんを抱きしめた、ただの遊びなんだけど、どうやらそれに気付いていないみたいだ。

 

 

「あの、欧我さん。チルノちゃんは本当に文さんに勝ったのですか?」

 

 

 大ちゃんが不安そうに、そして信じられないといった表情で問いかけてきたので、わざと大きく首をかしげ、両腕を組んだ。

 

 

「うーん、どうだったかなぁ…」

 

 

「もう、見てたでしょ!?もういいもん、だったら欧我、勝負しましょ!」

 

 

 イメージ通り、チルノちゃんは俺に勝負を挑んできた。あの遊びを見てなぜだか羨ましいと思ったし、俺も遊んでみたいと思っていた。それに、幽霊になったことで余り暑さや寒さなど、気温を感じなくなった状態でチルノちゃんに抱き着いたら、どれほど冷たく感じるのか、それも気になっていた。

 大ちゃんの心配をよそに、チルノちゃんは自信満々の良い表情をしている。俺も取材が終わるのを待っているのは暇だったし、少し遊びますか。

 

 

「ルールはさっきと一緒ね!どちらが背後をとれるか勝負だ、欧我!」

 

 

「いいよ。俺は文と違って、一筋縄ではいかないからね!」

 

 

「いいわ、どこからでもかかってきなさい!」

 

 

 ふふんと胸を張るチルノちゃんが目を閉じた隙を突き、能力を発動して姿を見えなくさせ、そっと彼女の背後に移動した。もちろん、不意にいなくなった自分に驚き、きょろきょろと左右を見回している。

 

 

「えっ、うぇっ!?欧我!?どこに行ったの!?」

 

 

「ここだよ!」

 

 

 能力を解除し、チルノちゃんの背後に姿を現した。驚いて体の動きが一瞬止まった隙をついて抱きしめようとした。ここまでイメージ通り。しかし、その直後チルノちゃんは予想だにしなかった行動に移した。

 

 

「アイシクル、フォール!!」

 

 

「うわっ!?」

 

 

 突然、氷符「アイシクルフォール」のスペルカードを発動。チルノちゃんを中心に氷の弾幕が形成され、一気に襲いかかってきた。弾幕を放つという行動は予期せぬ出来事であったため、イメージしていないことが生じ、完全に不意を突かれた。予想外のことが起き、頭が混乱し、身体が硬直する。その間に迫りくる弾幕と距離をとるため後方へ飛び退いた。

 

 

「私の勝ちね!」

 

 

「えっ!?」

 

 

 しかし、いつの間にか飛び退いた先にチルノちゃんの姿があった。弾幕を放ち、意識をそちらに向け、意識がそがれた隙をついて背後に回るとは思わなかった。それに、俺は弾幕を放ってはいけないというルールを設定していなかったが、チルノちゃんが弾幕を放たないと思いこんでいた。やられたな、こりゃ。

 

 

「つーかまえたっ!」

 

 

 そう言って元気良く背中に飛びついたチルノちゃんは、両手を前に回して俺をぎゅっと抱きしめる。ああ、冷やっこい…。

 

 

「どうだ、私だって欧我に勝てるんだぞ!」

 

 

「わぁ、チルノちゃんすごーい!」

 

 

 背後から聞こえる、チルノちゃんの元気な笑い声。大ちゃんもチルノちゃんに近づき、歓声を上げながら笑顔を浮かべている。二人の笑顔を見ていると、負けて良かったのかなと思えてしまうのはなぜだろうか。

 

 

「あやややや、欧我が負けるとは思わなかったですね」

 

 

 その声とともに、文がこちらに近づいてきた。あれ、取材はもう終わったのかな?文の姿を確認したチルノちゃんは俺を離し、彼女の方へ駆け寄った。その後を追って大ちゃんも駆け出した。

 

 

「ねえぶんぶん!私ってぶんぶんに勝ったよね!」

 

 

「そうですか?はて、そんなことありましたかねぇ?」

 

 

 そう言って文は口元にペンを当て、わざとらしく首をかしげて見せた。先ほど自分がして見せた仕草とどこか似通っている。そのしぐさを見て、チルノちゃんは不満そうな表情を浮かべたが、その後両手を組んでえへんと胸を張った。

 

 

「でもいいもんね!私欧我に勝ったもんね!どう、すごいでしょ?」

 

 

「ええ、見てましたよ。さすがチルノさんですね」

 

 

 そう言ってよしよしとチルノちゃんの頭をなでる。

 

 

「えっへへーん!やったぁ、ぶんぶんに褒めてもらったぁ!」

 

 

 文に褒められたことが非常に嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべながら、嬉しそうに何度もぴょんぴょんと飛び跳ねる。その無邪気で真っ直ぐな性格がチルノちゃんらしい。

 

 

「あっ、チルノちゃん!大妖精さん!おーい!」

 

 

「あーっ、わかさぎ姫!あそぼ!」

 

 

 後からやってきた姫ちゃんに呼ばれ、2人は彼女の方に飛んで行った。2人の姿を見送りながら、文は俺の隣でニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 

 

「あやややや、まさか、欧我がチルノさんに負けるとは思わなかったわ」

 

 

 どうやら文は俺を馬鹿にしたいのかな。その表情がなんだかむっとする。

 

 

「しょうがないよ。弾幕を放つとは思っていなかったし、その発想はなかったからね。意外とチルノちゃんって頭いいのかもしれない」

 

 

「そうかもしれないわね。それでは早速…」

 

 

「文、新聞に書いたら焼き鳥にするよ」

 

 

「ギクッ!?そ、そんなわけないわよー」

 

 

 そう言い、頬をポリポリと掻きながら、途中まで取り出していたメモ帳を慌ててしまいこむ。まったく、やっぱり新聞のネタにするつもりだったのか。油断も隙もありゃしない。

 姫ちゃんの方に駆け寄り、3人で楽しそうにワイワイとはしゃいでいるチルノちゃんたちの姿を眺めながら、心の中に湧き上がってくる感情を優しく抱きしめる。今までずっとレストランに篭って料理をし続けていたから、こうして外で誰かと遊ぶことなんて全くなかった。だからこそ、こうして遊んでくれたみんなには感謝の気持ちでいっぱいだ。文のダイエットのために散歩に誘い出したんだけど、その文を差し置いて散歩を物凄く楽しんでいる自分に驚いた。

 

 霧の湖の上を走る風は、相変わらず涼しい空気を運んでくる。真夏の照りつける日光で火照った体を優しく癒してくれた。手ごろな石に腰を掛け、湖で遊ぶ姫ちゃんたちを眺めながら、隣に腰を下ろした文と何気ない会話を交わしながらそっと体を寄せる。たった2人だけの世界、幸せでいっぱいだ。

 

 

「ねえ欧我」

 

 

「ん?どうしたの、文」

 

 

「あのね、私…甘い物が食べた」

 

 

「だーめ、また太っちゃうよ。せっかくの運動が台無しになるよ」

 

 

 そう言って文をなだめるが、どうやら納得のいっていない様子だ。むっとした表情を浮かべ、ブーブーと文句を言う。

 

 

「だってぇ、運動して疲れたし、一仕事終えた自分にご褒美あげたくなるじゃん?それに暑いから、冷たいものがいいなぁ」

 

 

「はぁー、その自分へのご褒美が太る要因だよ、もう。痩せたいんじゃないの?」

 

 

 そう言ってはぁっと頭を抱える。甘い物が大好きなのは構わないし、食べたいと言われれば今すぐにでも作ってあげたいけど、さすがにダイエットのための運動中に言われるとなると話は別だ。文が痩せたいと思っているのであれば、精一杯協力するのが俺のするべきこと。時には鬼にならないと。これも文のためだ。

 

 

「とにかく、痩せたいのなら今後甘い物は無し!食べても一日に一種類。そうまでしないと逆にふうわぁっ!?」

 

 

「ひどいじゃない!もう!欧我のバカぁ!」

 

 

 そう言っていきなり俺の服を掴み、全力で大きく体を揺さぶる。甘い物のことになると途端に子供っぽくなるのが文の悪い癖だけど、そこが普段の文からは考えられないような仕草であり、ギャップ萌えで可愛いな…って流暢に思っている状況じゃないぞ、これ。鴉天狗の全力だから幽霊の俺だって痛い。

 

 

「ちょ、ちょっと文!?痛い、痛いってぇ!」

 

 

「なによなによ!太ったからってまた運動すればいいでしょ!たった3kgなんかすぐにダイエットできるわよ!それなのに甘い物を悪者みたいにぃ」

 

 

「へぇ、面白いこと聞いちゃったなぁ」

 

 

 不意に第三者の声が響き、文の動きがピタッと止まる。その表情を見ただけで、しまったという気持ちがひしひしと伝わってくる。彼女の視線がぶるぶると小刻みに震えながら声のする方に向かうと、見る見るうちに顔から血の気が引き、汗が止めどなく流れ、この世の終わりが来たような、愕然とした表情となった。

 その視線を追って空に視線を向けると、そこにはほうきに座った魔理沙さんが、ニシシといういたずらっ子のような笑み浮かべていた。よりによって口の軽そうな魔理沙さんに聞かれた以上、文が太ったという情報は瞬く間に幻想郷中に広まっていくだろう。文がそんな表情を浮かべたくなる気持ちは理解できた。少し気の毒だな。

 

 

「文、お前甘い物の食べすぎで3kgも太ったんだってな。少し運動すればすぐに痩せるなんて甘いぜ。そうだ、私が運動の相手になってやろうか」

 

 

「あやややや!な、なんですって!?」

 

 

「私は善意で言っているんだ。ほーら、ここまでジャンプしてみな。きっと痩せるぜ」

 

 

 無邪気に笑いながら、魔理沙さんはほうきの高度を下げて文を挑発する。あの表情は完全に面白がっている。さすがにそれはやりすぎだと思うが、案の定文は恥ずかしさからか、それとも怒りからか、顔を真っ赤に染め、目に若干の涙を浮かべている。

 

 

「もう許しませんよ!鴉天狗の跳躍力を舐めないでよね!」

 

 

 そう叫ぶと俺を吹き飛ばすような勢いで飛び出し、魔理沙さんの下に駆け寄ると、大地を勢いよく蹴り上げて空に跳び上がった。しかしわずかに箒に届かず、重力につかまって地面へと落ちて行った。その後も何度も跳び上がり、足をぶんぶんと振り回して少しでも推進力を得ようと踏ん張るが、魔理沙さんが手の届かないギリギリの距離を計算しているのか一向に届く気配が見られなかった。

 

 

「なんか、本当に子どもだなぁ。完全に遊ばれている」

 

 

 ムキになって何度もジャンプを繰り返している文の姿を眺めながら、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。でも、その姿がなぜか微笑ましく感じる。ああいう文も可愛いなとつい思ってしまった。飛ぶ能力は幻想郷一だけど、ジャンプ力はそれほど高くないのかな。

 

 

「おいおい、鴉天狗のジャンプ力はそんなものか?まったく、話にならない…」

 

ガシッ!

 

「…ぜ?」

 

 

 もう届かないなと思っていた次の瞬間、文は魔理沙さんの箒 をガシッと掴んだ。予想だにしなかった状況に、魔理沙さんだけではなく、俺まで目を見開いた。今までまったく届いていなかったのに、どうして急に箒に手が届いたのだろうか。長い間文と一緒にいた俺は、その理由がすぐに理解できた。

 

 

「嘘だろ!?届いただと?」

 

 

「あやややや、もしかして魔理沙さん。鴉天狗の跳躍力がこの程度だと本気で思っていたのですか?」

 

 

「ま、まさかお前!?」

 

 

 そう、今までのジャンプはわざと低く跳んでいただけであり、これだけしか跳べないと思い込ませて油断させるための演技。相手が油断した隙を突いて跳び上がったというわけだ。たぶん、これもまだ文の全力じゃないだろうけどね。

 

 

「今頃気づきましたか、我々天狗を甘く見ないでくださいね。そうだ、外の世界の情報で、ボクシングという競技もダイエットに有効だという話を聞きました。魔理沙さん、相手になってくれるんですよね?」

 

 

 こちらに背中を向けているため、その時の文の表情を見ることはできなかったが、魔理沙さんの顔からどんどん血の気が引き、身体をブルブルと震わせ始めた。その様子を見て、俺は心に誓った。

 

 

「絶対に、文を挑発しないでおこう…」

 


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