部屋には妖しげな灯りがいくつも灯っていた。
まず目につくのは硝子製の小さな瓶。その中には液体が詰められており、鮮やかに発色しているものもあれば、どす黒く染まっているものもある。中見はどれも不明であり、他人には簡単に触れさせないように分かりやすくドクロのマークがつけられている。
その他にも同じくカラフルな液体が込められた輸血パックや、マイクロ単位で液体を吸い上げるピペット、何が入っているか分からない一口大のカプセルなど危険な香りがする物で埋まっていた。
ここは――旧理科準備室――だったものを勝手に改修して作り上げた研究所である。
その研究所で昼夜問わず入り浸る少女が今日も、片手に瓶を持ち、恍惚とした表情でその中見を眺めていた。
「うん、良いじゃないか。この発色、きっと上手くいっているに違いない」
光の無い深海のような瞳が黄色く照らされる。
空気を含んだふわりとした栗毛が揺らりと揺れる。頭頂部から生えている遊びのある髪の毛も、それに合わせて生きているかの様に動いた。
「この光量……ちょっと明るすぎる気がするがね」
眩い光を放つ瓶を丁寧に机の上に置いて、手元にある黒い布を被せる。それでも十分に辺りを照らしていた。
「さて、と。これをカフェに飲ませれば面白い反応が見られるかも知れない。ただ問題はどう飲ませるか、だが……」
彼女はうーんと下唇に指を押し当てて唸る。
飲み物と混ぜたところで一瞬で気づかれてしまうだろう。固形物じゃないのでカプセルに入れることも難しいし、微量ではそこまで効果のあるものではないはず。
難しい。悩ましい。非常に。
「……何を悩んでいるんですか?」
「いや、最新の薬ができてね。効能を確かめたいのだが、どうやって仕込もうかなと」
「……それは悩んでしまいますね」
「うんうん、そうだろう。カフェにはお世話になっているからね。これを飲んでもらって元気になってもらいたいんだ。まぁ、安全は保証しないがね!」
「……そうですか」
「って私は誰と話して……うわっ、何故君がっ!」
彼女はいつの間にか正面に座っていた黒髪の少女に驚き思わず立ち上がった。相手は不思議そうに首をかしげている。
「……どうしました?」
――心臓に悪い。
栗毛の少女は苦笑いを浮かべながら椅子に座り直す。
「入る時はノックしてくれたまえよ」
「なぜですか? ここは私の部屋でもあるんです。アナタだけのスペースではありませんが」
顔をしかめる。
「それで、タキオンさん。その瓶を貸してくれますか?」
栗毛の少女――アグネスタキオンは目の前の少女の視線に気付き、咄嗟に先程の小瓶を手にとり羽織っている白衣のポケットにしまう。
「いーやーだぁ。渡したらどうなる? 私の目の前で勢いをつけて割るだろう? 絶対に。なぁ、そうだろう?」
こくり、と静かに頷く。
タキオンはむすっと口を膨らませてそっぽを向く。
「この前も研究のメモを君に燃やされたんだ。まったく、私が一体何をしたというんだ」
「……アナタの行動全てが駄目なんです。この前も私のコレクションを無駄に光らせましたよね。その前は珈琲豆が勝手に動き出したり……。ああ、頭が痛くなってきました……全部処理してしまいましょうか……冗談ですけど」
彼女の獣のように低い声色のせいで冗談には聞こえなかった。
タキオンはこのまま話していてもボロが出てきてしまいそうなので外に出ようとする。
「む? 珍しいね」
タキオンの足が止まった。流麗な尻尾がさらりと揺れる。
黒髪の少女の手に持っているアルミ缶に意識を向けた。薄暗くて書いてある文字は見えないが、おそらく缶コーヒーだろう、とタキオンは思った。
「ええ……いつも発注していた珈琲豆が在庫切れで届かなくて……アナタに台無しにされてなかったらまだあそこの棚に在庫はあったはずなのですが……」
視線に釣られて入り口付近の壁際に設置された木棚を見る。本来はそこに彼女のコレクション品が陳列されていたのだがちらほらと空いている。
タキオンは思わず目をそらし言い訳を言おうとしたが、無言の圧力に負けて素直に頭を下げる。
「あー……すまないね。ちゃんと賠償金は払うさ。それで仕方なく缶コーヒーを飲んでいるわけかい」
「ええ」
「あの大の珈琲好きのカフェが缶コーヒーで満足できるのかい?」
「届くまでの辛抱です……。それに……そこまで悪いものでもありません」
缶コーヒーを傾ける。啜る音が微かに聞こえた。
「ふぅん。それまで趣味に没頭することができなくなるから暇になってしまうね。だったら私の研究に付き合わせてやっても構わないよ」
「……実験台として、でしょう?」
「フフ、よく分かってるじゃないか」
いやらしい笑みを浮かべながらタキオンは研究所を後にする。
「さて、そろそろ動かないとまた生徒会長にあれこれ言われてしまうな。めんどくさいが、たまには走ってきてもいいかもしれないね」
「あ、忘れてました……。タキオンさんに伝えることがあるんです」
「うわぁっ!」
ふいに耳元で囁かれたタキオンは情けない声を上げてその場から飛び退く。
「び、びっくりしたじゃないか。気配を消して近づいてくるのは止めたまえとあれだけ言っているんだが。で、伝えることって?」
高鳴る心臓を抑えながら、立ち尽くす彼女を見る。
色素の薄い白肌に対して漆黒の黒髪が良く映えている。自身と同じく光の無い瞳に、何を考えているか分からない感情の薄い顔。視線があちこちに飛んでいて、自身を見ているのか、それとも他に何かいるのか分からない。不思議で不気味な雰囲気を常に纏っている少女の名前はマンハッタンカフェという。タキオンは彼女をカフェと読んでいた。
愛称で呼んではいるものの、別段親友といったわけではない。とある理由でひとつの部屋を二人でシェアしているだけであり、互いの性格もあってあまり干渉し合うこともなく学園生活を過ごしている。
タキオンは少しだけ彼女のことが苦手だった。性格とか、自分の研究を台無しにされたことがあるから……とかではなく、カフェの心を見透かすような瞳にちょっとだけ恐怖心を抱いていた。
「副会長さんからお呼びがかかってますよ。この前校庭で爆発させた件について話があるらしいです」
タキオンがそう思っていることは露知らず、カフェは淡々と答えた。
「ほぅ、あのことか? いや、あれか? うーん、心当たりがありすぎて分からないね」
「はぁ……とにかく、そういうことです。では」
カフェは溜め息を吐いて、廊下をコツコツと音を鳴らしながら去っていく。彼女の着込んだ黒のチェスターコートが窓から入ってきた春風に揺れる。
「あ、それとですね……これ、押収しておきます」
カフェの長髪が靡いた。
「あっ!」
タキオンは大声を上げる。
カフェの手には完成した研究品が握られていた。すぐさまポケットを漁ったが、やはり無くなっている。
やられた。タキオンは眉を潜めた。
カフェはそれをコートのポケットにしまい、ゆらゆらと揺れながら去っていく。追いかける気にもならなかったタキオンは、瓶のことは諦めて、生徒会室へと向かうためカフェとは逆方向に歩きだした。