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副会長にみっちりと叱られた後、タキオンは何食わぬ顔で学園内を歩き回っていた。我城である研究所に直行しても良いが、カフェに最新の奇薬を獲られているため、それを取り返す算段を組み立てるために散歩していたのだ。研究所で計画を立てていたらまた煙のように現れてバレてしまうに違いない。
中庭に出ると、昼休憩だからか多くの生徒がお腹を膨らませて胃を休めていた。
タキオンが在籍しているトレセン学園の学食では常人では考えられない量の食事が提供される。それはこの施設が一般人が通うような普通の学園では無く、レースで活躍するウマ娘を養成する目的で設立されたからである。トレセン学園に在籍するウマ娘達は大きな夢を掲げて日々トレーニングを欠かさず続けている。そして彼女らを特に支えているのが食堂の存在だった。
「良く食べるものだね……」
タキオンは胸ポケットに入れてあるタブレットが入った板状の容器を取り出して、二粒口に放り込む。
ほとんど味はしない。たったこれだけでタキオンの昼ご飯は終わりである。彼女にとって食事は栄養さえ取れれば良いという考えであった。
自身で作成した一粒でミネラルやビタミン、そして三大栄養素も賄えるタブレットだけで充分である。故に食堂を利用したことなど無く、食事の時間すらも新しい薬品の開発のための時間に当てる程に己の研究に没頭している毎日だった。
舌で転がしながら中庭を抜けて再び校舎に戻ろうとすると、廊下へ続く道から誰かが飛び出してくる。
「おっと、危ないね」
タキオンはすんでのところで後ろに下がり避ける。
しかし、相手は何も言わずにそのまま走り抜けて行ってしまった。顔を上げるとそこには何かが転がっている。タキオンはそれを手に取り、拾い上げる。
「うん? これは……」
黒いラベルに白文字でハチミーコーヒーと書かれたごくありふれた普通の缶コーヒーだった。右下には無糖と記されており、タキオンはうげ、と舌を出す。
彼女はコーヒーが苦手だった。あの渋みと苦味がどうにも喉を通さない。更に砂糖が入ってないタイプである。無糖のコーヒーを好む物好きなど一人しか思い浮かばなかった。
そのまま捨てるのも忍びないのでこれを飲みそうな通行人に渡そうかと思った瞬間、タキオンの頭上に雷が落ちたかのような閃きを得て、毛並みがぶわっと逆立った。
タキオンはにやりと笑う。周りにまたおかしなことを考えていると思われるとカフェに怪しまれてしまうので白衣の裾で口元を押さえながら研究室に戻ろうとした。缶コーヒーをポケットに隠し、研究室のある地下へ続く階段へ向かうため体を翻し通ってきた道を戻る。裏庭を抜けて東の校舎に入ると、先程と同じく目の前に何かが飛び込んできた。
「うわっぷ!」
「あら、大丈夫?」
目の前が真っ暗になった。頭上からはおっとりとした優しい声色をかけられる。今触れている柔らかい物質が何かをすぐに理解したタキオンは即座に顔を上げて、ふるふると頭を振った。
「ああ大丈夫だ。すまないね。君こそ怪我はないかい?」
「うふふ、心配してくれてありがとうございます。ここがクッションになってくれたのよ」
「ハハ、相変わらずだね」
タキオンは豊満な胸部をじろじろと観察する。どのように育てばこの大きさになるのか、少しだけ興味をそそられる。どうやらその視線に気づいたようで、頬を赤く染めて両腕を拡げた。
「タキオンちゃんもようやく甘えてきてくれるのね……!」
「クリークは一体何をしているんだい?」
「ええ~!? 違うんですか!? ひどいです!」
白けた表情で内に秘めた母性を暴走させた少女を見つめる。
彼女はスーパークリーク。タキオンと同じ高等部の生徒である。
母性を剥き出しにした類いまれな肉付きをしており、本人のおっとりとした性格が顔に良く表れていて、一部の生徒からは聖母のような包容力で親しまれているらしい。人を甘やかすことが生き甲斐だそうで、彼女の趣味に付き合わされているウマ娘も存在するというが、その真相は謎に包まれたままである。
彼女の膝まで届きそうな大きな三編みの髪が風に
「悲しいです……。うう、代わりにアケボノちゃんに甘えて貰おうかしらねぇ」
「あの中等部の?」
肩を落とすクリークは項垂れながら頷いた。
「そうなの、あの子に用事があって……たぶん食堂にいると思うからそこに向かう予定だったんです」
「そうかい、ならその子に相手してもらうといい。私はこれから薬を取り返す作戦を……おっと、何でもない」
「お薬ですか……? はっ! もしかして誰か病気で寝込んじゃったんですか!? それは大変です、看病しにいかないと」
「違う違う。気にしないでくれ。ほら、早く行かないとヒシアケボノくん……だったかな? 食堂から出ていってしまうかもしれないよ」
そうでした、とクリークは目をまるくして手のひらを口に当てる。
「ではこれで。あ、タキオンちゃんもちゃんとご飯食べてくださいね。今度お弁当を持ってきます」
「おお、ありがたいね。頼むよ。食べやすいようにミキサーにかけてくれれば尚嬉しいね」
「めっ、ですよ。ちゃんと噛みましょう。顎を使いましょう。私が口に運んであげますから、ね?」
ずいと身体を押し寄せるクリークを躱し、「考えておくよ」と言葉を濁らせてタキオンは階段を逃げるようにして降りていった。あのままペースに乗せられるとおかしな約束を気づかない内に結ばれそうだったからだ。
何とかやり過ごしたタキオンはふぅと一息ついて、研究室へと向かおうとする。
突然、背後がひやりと冷たくなった感覚がした。気のせいではない。明らかに気温が1℃以上下がっている。そしてこんな現象が起こる原因はただ一つであることを彼女は知っていた。
「おや、どうしたんだい?」
振り向かなくても分かる。確実にカフェが背後に忍んでいる。
「……いえ、気になることがありまして」
音もなく現れたカフェはのらりくらりと前に出て、階段を降りてすぐの壁際に設置された自販機の正面に立った。
しばらく見つめている。何がしたいのだろうか。まぁしかし、追求する意味もないだろう。
タキオンは踵を返して階段を上がろうとする。
「研究室に帰るんじゃないんですね……」
「ああ、忘れ物を思い出してね」
このまま研究室に向かってもまた、音を立てずに侵入されて計画がバレる可能性が非常に高い。
タキオンはそう思いつつ、悟られないようにその場を後にしようとする。すると、カフェの呟きをタキオンの大きな耳が拾った。
「ん? 売り切れなのかい?」
階段の踊り場からカフェを見下ろす。そして視線を横に動かすと、3列ある一番下の左端が赤く点灯していた。その位置には大抵缶コーヒーが設置されている。そして売り切れ品がどんなものか、遠目でも視認できた。それはハチミーコーヒーの無糖タイプである。
「……ええ。どこにも無いの。コーヒーを……ましてやブラックを、飲む子なんてそういないはずなのに……」
カフェの両手は空いている。どうやら昼前の缶コーヒーは飲みきってしまっているらしい。珈琲豆もまだ届いておらずやむ終えず缶飲料に切り替えたようだが、どうやら自販機に異変が起こっているようだ。