洋上を征く航空母艦のような巨大な艦影を、夕焼けが赤く染め上げる。
艦上の街並みを、赤提灯が賑やかに照らし出し、通りには多くの屋台が軒を連ねている。道行く人々も浴衣を着こみ、夕暮れ時のメインストリートを楽しそうに練り歩いている。
そして、荒々しい戦車の轟音や砲声が止み、風情ある虫の声と、笛や太鼓、スチールドラムが織り成す祭囃子が流れ、穏やかな時が流れていた。
今日はしまなみ女子工業学園学園艦の年に一度の夏祭り。
戦車道も、ラグビーと同じく試合が終わったらノーサイドだ。ミカと零の決闘を終えた後、総出で一先ずの戦車の整備を完了させ、風呂で汗と煤を流し、しまなみの戦車道履修生とミカ達は足取りも軽やかに祭りに繰り出していた。
「ミカ! こっちこっち! はやくはやく!」
「わぁ…… なんだかとってもいい雰囲気 ミカ!早くいこう!」
朱色に矢絣柄の浴衣に着替えたミッコと、白い花模様の浴衣に身を包んだアキも、夕闇に浮かぶ風情溢れる祭りの様子に興奮し、ぐいぐいと手を引いてミカを急かす。浴衣も繊維科所属のマルティーナのコーディネートと着付けで大変可愛らしいものになっていた。
「おっと ふふ、そんなに急がなくてもお祭りは逃げないよ」
ミカも空色の浴衣に身を包み、からころと下駄の音を響かせながら風流な夏祭りの雰囲気を楽しんでいた。
「アキさん、射的でどちらが多く落とせるか勝負しませんか?」
「朝河さん、その挑戦受けて立ちます! ミカ、行ってきていい?」
「ミッコさん、とっても美味しいジェラート屋さんと、焼きそばの屋台があるんですよ~ 私達と一緒に回ってみません?」
「ホント!? ミカ、ヨツバ達と一緒に行って来ていい?」
「あぁ 私はここで待ってるから、二人とも皆と行っておいで」
少し歩き疲れた身を甘味処の軒先の長椅子に預けて、かき氷を食べながら、ミカはしまなみの一年生チームの子達と一緒に、祭りの喧噪の中に消えていくミッコとアキを見送る。どうやら日中の零との決闘で思った以上に消耗したらしく、かき氷の甘さがじんと体に染み渡る。
激しい戦いの後はいつもこうだ。心地よい疲労が身を包み、世界が只々ゆっくり流れていくように感じる。
「お疲れ様 ミカさん。隣いいかな?」
聴き慣れた声に顔を上げると、五式中戦車・ウメチーム車長の長原門野が立っていた。彼女もまた、紺色に花模様の浴衣に身を包み、艶やかな髪を整えたその姿は、普段の作業着姿とはまた違う嫋やかさに溢れている。
「もちろんだよ 門野さん」
ミカがにこりと微笑みながらそう言うと、丁度ミカの隣に長原が腰掛ける。男性のみならず、誰もが思わず視線を持っていかれそうな美姫が二人揃って並ぶ姿はなんとも華がある。そして、注文したかき氷が届き、長原は嬉しそうに満面に喜色を浮かべる。
「来た来た、ここのかき氷が美味いんだ。どうやらミカさんもお気に召したようだね」
「それはもう、美味しいものには目が無くてね。朝河さん達と食べた焼き鳥も絶品だったよ」
「だろう? しまなみは母港が今治だからね、焼き鳥も最高の味なんだ。ん~美味い」
年頃の女の子らしい表情で、わしわしと美味しそうにかき氷を食べる長原を見て、ミカも思わず微笑む。普段はしまなみの戦車道整備チーフとして、技術と規律を持って皆を指揮する頼れる存在の彼女だが、夏祭りの雰囲気に当てられてか屈託のないその姿は、普段とはまた違う魅力がある。
そうして、しばし二人でとりとめのないお喋りを楽しむ。お互いに口数が多い方では無いが、気心が知れるというか妙に気が合う。ミカ達がしまなみに来てから、BT-42の整備チーフを務めた長原と、互いに密度の濃い時間を過ごしてきたミカとの間には、互いを信頼しあえる絆が生まれていた。
「ミカさん達のBT-42の整備だが、明日の下船までには完成が間に合いそうだよ。とは言っても、今日の隊長との決闘でのダメージの修復と、転輪のソリッドゴムの交換もあるから夕方頃まで預からせてもらえるかな?」
「もちろん大丈夫さ。それにしても…… 零も、ビアンケッティさんも、室町さんも気にしないでいいって言ってくれたけど、私の我儘のせいで要らない仕事を増やしてしまって申し訳ないね」
ミカの言葉に、長原は一瞬きょとんとして、すぐにいやいやと首を横に振りながら答える。
「なんのなんの。個性的で面白い戦車だから、私も含めて皆、ついつい整備に熱が入ってしまってね。それに、ミカさんと隊長の決闘を見て、更にヒートアップしてしまったというか、興が乗ったというか…… とにかく、必ず満足してもらえるよう仕上げるから、私達の満足するまで任せてやってくれないか?」
ミカとしても、長原をはじめ、しまなみの履修生達の整備技術の高さはその身をもって知っているので、断る理由などある筈もない。こうなったら彼女達の厚意にとことん甘えるつもりでいた。
「それじゃあ戦車の妖精さん達に甘えさせてもらおうかな 門野さんにはお礼に白玉をあげよう」
戯れにミカが、かき氷に乗った白玉団子をスプーンに掬って長原に差し出す。
「あぁ、ありがとう。 お、こっちは餡入りなんだ なかなか気が利いてるな」
ミカの戯れに快く応じ、もきゅもきゅと美味しそうに白玉を頬張りながら、長原が嬉しそうに話す。少しマニッシュな印象のある長原は、男性的な言葉遣いや、堂々として気っ風のいい振る舞いも手伝って、なんだか一緒にいると素敵な殿方とデートをしているような気持ちになってしまい、ミカも不覚ながら鼓動が早まる。毛色は違うが、彼女の親玉の零といい、しまなみは自分好みの人間が多くて参ってしまう。
「ミカただいま~ 朝河さんと大勝ちして景品いっぱいもらっちゃったよ♪」
「ミカさん、アキさんってば凄いんですよ! 射的屋のおじさんが「お嬢ちゃんはシモ・ヘイヘみたいやな!おっちゃん今日は商売上がったりやわ!」って言ってました」
「あ、カドノの食べてるかき氷美味しそう!」
「ミッコさん、私達も頼んじゃいましょうか~ すみません、注文お願いしま~す」
屋台巡りに出ていたミッコとアキ、それに朝河・荒川達が帰って来て、辺りは一気に賑わいを増していく。
「おやおや、皆さんオソロイで~」「門野、カラオケ屋さんの予約済ませといたわよ」
そうこうしている間に、M15/42中戦車・オニユリチーム車長のエレナと、ARL44重戦車・カトレアチーム車長のルイーズも同じ車両のチームメイトを引き連れて合流した。ブラジル出身のエレナは黄色を基調としたヒマワリ柄の浴衣を、フランス出身のルイーズは、深紅の浴衣をまるで舞踏会のドレスのように見事に着こなしていた。
「みんなお待たせ~」「やれやれ、みんなの着付けを世話するの骨が折れた……」
江戸紫に菖蒲柄の浴衣を華麗に着こなす五式中戦車・ツバキチーム車長の室町椿と、皆の浴衣をコーディネートしたM15/42中戦車・アマリリスチーム車長のマルティーナも紺藍にアマリリス模様の浴衣を着こなし颯爽と登場した。
「うぅ…… 浴衣恥ずかしい、ジャージが恋しい……」「ふふ 響さん、とっても可愛いですよ」
恥ずかしそうに、黒地が引き立つ三日月模様の浴衣を着たⅣ号突撃砲・ドクダミチーム車長の音森響と、同じくⅣ号突撃砲を操るクローバーチームの車長ベアトリーセも、グレー地にヤグルマギク模様の浴衣を纏い、彼女のしとやかさを引き立たせている。
「零ちゃん、龍ちゃん こっちこっち!」「ふぅ…… よかった、なんとか間に合ったわね」
しまなみの隊長車、strv m/40L・キキョウチームの無線・装填手の紅城烈華も、紅梅色に撫子模様の浴衣を、操縦手の陸奥原龍子は、藤紫色に牡丹模様の浴衣で、紅城の快活な可愛さと、陸奥原の知的な雰囲気をより魅力的なものに見せている。
「遅れてごめんね、みんな。生徒会の書類を片付けるのに時間がかかっちゃって……」
そして、白地に薄くアクセントの藍色の波千鳥模様が描かれた浴衣を身にまとい、零がミカ達の前に姿を現した。本人の希望もあって、華美さをなるべく抑えた色合いとデザインのものであるが、浴衣の着付けを手伝った室町とマルティーナのコーディネート技術と、無自覚ながら本人の素材の良さもあり、はんなりと麗しい仕上がりになっていた。
「どうだい、ミカさん? なかなかのものだろう、うちの隊長は……」
「うん…… うん、そうだね 門野さん」
長原の問い掛けに、零を見たまま、ぽーっと譫言のようにミカは返事を返し、アキとミッコも大はしゃぎで零の浴衣姿を褒めまくる。コーディネートの成否は皆の反応を見れば明らかだったので、室町とマルティーナもハイファイブで成功の喜びを分かち合う。
「お疲れ様です、ミカさん わぁ……浴衣姿、とっても綺麗でよく似合ってますね」
零がミカに駆け寄って嬉しそうに、上気した表情でミカに話しかける。先刻までの決闘で、自らが全身全霊を掛けて戦った戦車乗りは、目の前に立つ、心優しく可憐な少女だった。あの激しい戦いを思い出すと今でも背筋がぞくぞくと戦慄く。なんだか現実感が伴わず頭が朦朧としてしまう。
「あ、あの どうかしましたか? ミカさん?」
「うん? あぁ、ごめんよレイ お褒めの言葉ありがとう。零も似合ってるよ」
いつもは零をペースを乱すような言動で翻弄してくるミカも、今回ばかりは先手を取られてしまい上手く掛け合いが出来ない。
その時、まるで照明弾を上げたように空が猛烈に明るくなり、ミカは空を見上げた。
空に、大輪の打ち上げ花火が上がっていた。周りの観客達は待ってましたと手を叩き、歓声を上げる。
「しまなみは夏祭りの花火に力を入れてるんです 絶対にミカさん達やチームの皆と一緒に観たいと思っていたので、間に合って良かった……」
雲一つない満天の星空に、間隙なく色とりどりの大輪の花が咲き、刹那の光を放ち消えていく。花火は色や種類は様々でも、それぞれが懸命に高みを目指し、放つ光と音で人の心を打つ。花火は自分が燃え散るときの色を知らない。だが、自分だけの渾身の色で咲き、潔き良く散る。そして、もっと高くと遥かな高みを目指す。アキとミッコ、そして苦楽を共にした、新たな友人達と一緒に花火を眺めるミカの心に、様々な思いが去来する。
「ありがとう 零、そしてみんな 君達と出会えたこの夏を、きっと私は一生忘れないよ」
ミカの言葉に、零も少しはにかみながら微笑みを返す。夜空を彩る花火の輝きが零達を照らしだし、新たな思い出を彩っていく。
ミカ達と、しまなみの履修生の一夏の交流に、あと少しで終止符が打たれようとしていた。
「う、ん……」
時間は少し進んで現在時刻は午前三時、心地よいまどろみの中でミカはふと目を覚ました。零との決闘で生じた精神の昂りが、あの「家」での習慣を思い出させたのか。早朝稽古に備えて二時間早く目覚めていた頃を思い出す。
あれから打ち上げ花火が終了した後に、しまなみの履修生達がミカ達の為に準備した送別パーティーに招かれたのだった。パーティー自体は大変楽しいものだったのだが、結局、零・アキ・ミッコと一緒に部屋に戻ったのは真夜中。いかにタフな四人といえども疲労には勝てず、すぐに泥のように眠ってしまったのだった。
とりあえず起きようと、重い瞼をうっすらと開けて、ゆっくり手を動かす。すると、自分が随分と心地の良い抱き枕を抱いている事に気が付いた。
「う~ん むにゃ……」
可愛らしい声を漏らす、カーテンから零れる月明かりに照らし出された抱き枕。それは居候先の主 大垣零 だった。
どうやら随分と寝惚けていたのか、零の部屋のベッドに間違えて潜り込んでしまったらしい。
「おっと、これはいけないな いや…… うん、とてもいいね」
ベッドから出ようかと思ったが、零と自らの体温で、丁度いい温もりの布団と、薄開きの窓からそよぐ、ひんやりとした夜風が心地よく、どうにも錨を上げる気になれない。折角気持ちよさそうに眠っている部屋の主を起こすのも悪いだろうと、ミカはそのままぽふっと零の胸に顔を埋める。パジャマの生地を通して柔らかな感触と、零の鼓動が伝わってくる。
「ふふ、可愛い寝顔だ いいのかな、零 私の前でこんなにも無防備にその身を晒して……」
余程疲れていたのだろう。ミカが零の前髪を優しく、とかすように撫でてやっても、眉根一つ動かさず眠っている。
ほんの半日程前に死闘を戦った相手、自分が獲り逃がした極上の獲物が目の前にいる。
敗北の名誉も、勝利の栄光も、彼女との戦いで得られなかった。無論そんな刹那的な事象に一喜一憂する自分では無い。しかし、それが自分に一太刀浴びせた相手となれば話は別だ。
ミカは零との決闘中に、カンテレの弦で切った自分の指を見る。
カンテレのリズムを久しぶりに上げた。しかも、試合中に弦で指を切ったのも初めてだ。
自分をそれ程までに滾らせた相手が、決闘の大舞台で討ち取れなかった自分を嘲笑うかの如く、純白の浴衣――まるで「死装束」を着て自分の前に現れるなど――獲物を仕留め損ねた自分を愚弄する気持ちなど、零には毛頭無い事は端から承知だ。しかし頭では理解していても、心が掻き乱され追いつかない。
寝起きで理性が暴走気味の頭に、幼い時に読んだ北欧の寓話の、飢えた狼の言葉が過る。
――なぁ鹿さん、君の豊かな肉は私の飢えをきっと満たしてくれるだろう。なぁ鹿さん、君の清き血は私の渇きをきっと癒してくれるだろう――私の絶えぬ飢えと渇きは、君の命で満たされる。
「ねぇ、零…… 君は知っているかい? 狼は自分を傷つけた獲物は絶対に逃がさない…… そして、地の果てまで追いかけて、その喉笛を喰いちぎるんだ……」
ミカがおもむろに零の首筋を見つめ、顔を近づけていく。
「逃してしまった獲物には、マーキングが必要だね……」
自分がこんなにも大胆な事をするとは夢にも思わない。只一つ明確なのは、その衝動に駆られて行動に移すのは思ったよりも簡単だったという事だ。
「ぷはっ…… ふふっ、零 ――鹿がどうなったかは、またいつか教えてあげるよ」
ミカが零の頬を優しく撫でつつ、起こさないように静かに布団から出て、ドアを開けて来客用の寝室に戻っていく。
青い月明かりに照らされた零の白い首筋に、一つの小さな内出血の跡が残っていた。
「おっきろー! ミカ!」 「ぐえっ」
ミッコの得意技「ジャンピングダイブミカ起こし」を強かに食らって、ミカは目を覚ました。時刻はとっくに朝を迎えており、カーテンから燦々と太陽の光が差し込み、外からは長閑にも雀の声まで聞こえる。この学園艦に来てから、相変わらずの平穏な朝を迎えた。
「おはようございます! ミカさん!」
「なにやってんのよ~ 遅いよミカ」
美味しそうな匂いに誘われ、寝ぼけ眼でミッコに引かれてキッチンに行くと、エプロンを着けて甲斐甲斐しく朝食の準備を行う零とアキが笑顔で迎えてくれた。
「お~ すっごく美味しそう! ねえ、レイ! 少し食べてもいい?」
お皿に盛られたご馳走を目にして、ミッコが零に抱き着きながら話しかける。この学園艦に来て以来、ミッコは驚くほど零にべったりになっていた。
「ダメだよ、ミッコ レイが困ってるからもう少し我慢しなさい」
それをアキが優しく窘めて、零に助け船を出す。
ミカはアキの零の呼び名が変わっている事に気が付いた。ああ見えて、アキは警戒心が強い。自分とミッコ、そして学園艦の仲間達以外に、名前を呼び捨てにしている人間を見るのは零が初めてだった。
「ぶー つまんないの。 ん? レイ、首になんか赤い跡が付いてる……」
ほらここと、ミッコが指で赤い跡を辿ると、零がくすぐったそうに笑いながら身を捩る。蚊にでも刺されたのかなと話すミッコと零を眺めて、ミカの悪戯心が目を覚ます。
「ひゃっ ミカさん!?」
「ふむ…… 零の血は甘いのかな?」
素知らぬ顔でミカが、赤い跡が残る零の首筋を指で撫で上げる。そうして、かしましくはしゃぐ三人を見ながらアキが「三人ともしょうがないな~」と困ったような、呆れた様子で声を上げる。
ミカは、まるでトリオから「カルテット」だねと声無く一人ごちていた。
「んん?――ねぇ、ミカ…… なんか、今日凄くツヤツヤしてない?」
普段よりも妙に肌艶がいいミカを見て、怪しく感じたアキがジト目でじろじろと見てくる。
「そ、そうかな? きっとアキのエプロン姿が可愛いせいだね……」
咄嗟に出た煽てにも、怪訝そうな表情を崩さない目聡い相棒をなんとか躱したミカは、「恐るべし、オオガキニウム……」と、杏の言葉を思い出すのだった。
そうしていよいよ、しまなみ女子工業学園学園艦が横浜港に入港する時が来た。とは言っても、様々な船で混み合う浦賀水道や東京湾に、巨大な学園艦が何隻も入港する訳にはいかない為、外来の学園艦は相模湾や駿河湾、及びその周辺の洋上で投錨し、物資の補給や整備・乗員の乗り降りは近隣港からの大小の連絡船を介してやりとりされるようになっている。
普段であれば台風が心配な季節であるが、幸い天候は穏やかなもので、しまなみの学園艦入港も無事完了した。先客もあったようで、その中には甲板上ににょっきりと生えた巨大な木が特徴的な、ミカ達の母校、継続高校の学園艦も入港していた。巨大な学園艦が何隻も軒を連ねて停泊している様は正に圧巻である。
「お~い! ヨウコ! こっちこっち!」
しまなみ女子工業学園学園艦の小型連絡船用ドックに、一隻の小型船が近づいてきた。上陸用舟艇の特徴的なフォルム、継続高校が使用している年代物の特大発動艇である。ミカ達を見送る為、全員でドックに来ていた戦車道履修生達も、面白い船に出会えてしげしげと珍しそうに眺めており、船舶工学科所属のベアトリーセに至っては興奮を隠せない様子だ。
「ヨウコ、出迎えありがとう」
揚陸艇用ドックに驚くほどスムーズに入港し、特大発を操縦していた野球帽を被った継続高校の生徒がこちらへ降りて来た。ミカが礼を言うと、その生徒はミカにハイファイブで応える。
「零、紹介するよ。この子は私達のチームメイトのヨウコ。ヨウコ、こちらはしまなみ女子工業学園の生徒会長で、戦車道チーム隊長の大垣零さんだよ」
零が初めましてと握手の手を差し出すと、ヨウコはもじもじと恥ずかしそうに、零の手を握り、よろしく……と小さな声で言ったっきり、ミカの後ろに隠れてしまった。
「すまないね、零 ヨウコは凄く恥ずかしがり屋なんだ。さて、早速戦車を載せようか。ヨウコも手伝っておくれ 皆さん、よろしく頼むよ」
ミカの呼びかけを合図に、ミッコがBT-42を操り、道板を降ろした特大発にゆっくりとBT-42を乗せていく。零達も、戦車の重さで特大発のトリムが崩れないように、慎重に誘導する。皆の息はピッタリだった。そうして船倉にラッシングワイヤーで戦車を固定し、荷物を積み込み、これで一先ず安心と零も息を付く。
そういえば、横浜は愛里寿のホームタウンだ。夏の全国大会の後、愛里寿とその母、島田流家元の島田千代に、横浜の街を案内してもらった時の事を思い出し、零は顔を綻ばせる。その二人も、今は大学選抜チームの夏季海外遠征で米国にいる。毎日メールをもらっているが、今頃どうしてるかなと零は思いを巡らす。
「門野さん、ありがとう 短い間だったけど、本当にお世話になったね」
「世話になったのはこちらも同じさ、ミカさん こちらこそありがとう。継続高校との交流試合、楽しみにしているよ」
ドックで許可された滞在時間も一杯になり、ミカと長原が互いに別れの挨拶と、握手を交わす。
「零もありがとう エキシビションマッチ、必ず応援に行くよ」
「ミカさん、ありがとうございます! ミッコさんも…… エキシビションマッチ、ぜひ応援に来て下さいね。美味しいご飯を作って待ってますから」
「ぐすっ んっ…… ぐすっ ありがとう、レイ…… マルティーナも、みんなもありがとう」
皆でお別れの挨拶をしていた所、突然ミッコがぽろぽろと大粒の涙をこぼして泣き始めてしまった為、零がミッコを抱き締め、頭と背中を撫でて慰める。短い間とは言え、苦楽を共にし、密度の濃い時間を共に過ごしたら情も移る。別れの時はいつもつらいものだ。
「アキさん、今度は是非私達も御手合せお願いします。BT-42に乗った、継続のアキの弓の味。楽しみにしています」
「こちらこそ、室町さん! 室町さん、そして皆さん 沢山のおもてなし、本当にありがとうございました!」
室町とアキも、新しき友との再会の日を楽しみに、互いの腕を称え、別れの挨拶を行う。最高の鉄砲鍛冶と、最高の砲手の出会いを祝福するように、陽光を浴びたBT-42も光り輝いている。
「朝河さん…… 交流試合で君と戦える日を楽しみにしているよ」
零の隣に立っていた朝河が、ぐっと喉の奥で息を呑む。ミカのその言葉は、後輩への激励であると同時に、きっと静かな叱咤であると感じる。「お前は成長出来るのか?」と同時に問われているような感覚。だが、零とミカの決闘を目の当りにした朝河に、最早迷いは無い。
朝河は姿勢を正し、顔を上げ、ミカに向き合う。――顔を上げろ、下手でもいいから胸を張れ!零隊長はあの継続のミカとの決闘から逃げなかったんだ!私ももう逃げない! 朝河はそう自分に言い聞かせる。
「はい! 私も楽しみにしています、ミカさん この度はご指導ありがとうございました!」
溌剌とした声で、朝河がミカに感謝を込めて最敬礼を行う。良く通る声がドックに響き、彼女を心配していた長原や荒川、そして零も自分を取り戻した朝河に胸を撫で下ろす。
「こちらこそ。心配しなくても君はもっと強くなれる、そして素晴らしい仲間達がいるんだ。朝河さん、頑張るんだよ」
ミカの言葉に朝河も「はいっ!」と、張りのある声で応える。いい声だ、この雛鳥はもう大丈夫だろう。きっと自分の翼で風を捉えるようになると、ミカも安堵していた。
「お~い ミカ! 出発するよ!」
いよいよ特大発のエンジンに再び火が入り、ドックにエンジン音が響き渡る。
「うん、今行くよミッコ そうだ、零――」
突然ミカが、一気に間合いを詰めて、零に顔を近づけて来る。まるで忍者のようなミカの鋭い身のこなし、一瞬で眼前にミカの吸い込まれそうな瞳があり、零も意表を突かれ、体が動かず言葉が出ない。
「ありがとう 私の「家族」がいつもお世話になっているね……」
零の耳元で、優しく、包まれるような声でミカが囁く。
それはまるで、優しい姉が、妹と遊んでくれている友達に話すような声色だった。
「じゃあね、零 みんな! また会おう!」
「あの、待って!ミカさん 「家族」って一体――」
零の問い掛けに答える間も無く、颯爽と駆け出したミカが、アキ達が待つ特大発へと八艘飛びのような大ジャンプで飛び乗る。サーカス顔負けのミカの軽業を目の当りにして、履修生は思わず手を叩く。そして、皆で手を振り、ミカ達を万感の思いで見送るのだった。
「も~ミカ せっかく学園艦がすぐそこに来てるんだから、しまなみの皆を招待すればいいのに……」
継続高校学園艦への道中、遠くに見えるしまなみの学園艦を眺めながら、アキが不満げに言葉を漏らす。
「長い時間が互いの理解を深めるとは限らない、何事もタイミングさ。それに、交流試合の約束も取り付けられたからね。楽しみは後に取っておけばおくほど大きくなるものだよ」
ミカはミカで、ご機嫌な様子で船倉に積まれた米俵に腰掛けてカンテレをつま弾く。しまなみの学園長が「生徒達を稽古でみっちり鍛えて頂いたお礼」にとミカ達へ贈ったもので、他にも愛媛の海の幸・山の幸がどっさり積み込まれている。
「新しい友人達が、我が家を訪ねてやって来る…… 皆で盛大におもてなしをしないとね」
にっこり微笑みながら話すミカを見て、アキもそういう事ならと、ため息混じりに同意を示す。
「ねえねえ、ヨウコがBT見てびっくりしてたよ。レイ達に自分のも整備してもらいたいってさ」
ミッコが草切れを口元でくゆらせながら、にひひと悪戯が成功した時のような顔で話す。狙撃手は総じて仕事道具に強いプライドとこだわりを持っている。もちろんヨウコもその例外ではない。そんな彼女が、赤の他人達に自車の整備を任せたいと言わせる程の腕前。零達の整備の技が、同じチームの仲間にも認められて、ミカ達はなんだか自分達まで誇らしい気分になってくる。
「不思議で面白い風が吹き始めた…… 零、そして皆 再び相まみえる日を楽しみにしているよ」
夕陽を浴び、輝く海原にそびえるしまなみの学園艦を、ミカは微笑みながら見送る。彼女達の思い出も、きっとこの夏の海原のように、心の中で輝き続けるだろう。こうして、風変わりな旅人達と、戦車の妖精達の一夏の交流は、ここに一つの結末を迎えたのだった。
そして、エキシビションマッチ。大洗で総勢六校が激突する一大決戦が始まろうとしていた。