揺らめく陽炎の向こう側から、蜃気楼の中の幽霊のように巨大な鋼鉄の巨獣が獲物を見据えてにじり寄ってくるようにこちらに向かって進んで来る。
「はぁっ…… はぁっ…… すまん、おりょう。もう一度だ、右に再度修正頼む」
「あぁ、了解ぜよ」
蒸し風呂のような車内の暑さも、肝が冷えきるような思いを味わっている今では極寒に等しい。
砲手の左衛門佐は再度主砲の照準器を調節し迫りくる脅威に照準を合わせる。普段は釣り人やキャンプ客で賑わう汽水湖である涸沼の近く、少し小高い丘のような地形にある城跡である大館館付近。
要衝たるこの地に防御陣地を構築すれば、涸沼を北上するルートと、国道沿いを大洗市内で向かう二つのルートを両方見張る事が出来る。
絶好の迎撃ポイントだと手ぐすねして敵の出現を待っていたが、黒森峰のティーガーⅠが突然幽霊のように目の前に現れたのである。左衛門佐は度肝を抜かれた思いだった。
「くそっ、くそぅ! 六道銭をこんな所で使ってたまるか! これで決めて見せる!」
不安や怖れを振り払うように左衛門佐がトリガーを引き、Ⅲ突の主砲から砲弾が放たれる。昼飯の角度を取るティーガーⅠに対して、装甲厚が薄く抜ける可能性が高い車両下面を跳弾で狙う一発だ。だが、ティーガーⅠはお見通しだとばかりに少しだけ車両を動かし、車両に少しだけ当ててやって砲弾を虚空へ軽くいなす。
左衛門佐とて大洗一の弓取りを自負し、その砲手の腕に磨きをかけてこれまでやってきた。だがこの目の前の戦車はまるで合気道の達人のように、こちらの攻撃を軽く往なす。砲弾が当たっているのに当たらない。単に優れた装甲を持つ戦車のスペックに頼ったものでは無い。戦車道日本最強の学校、黒森峰女学園の西住まほ達五人の乗り手の神憑り的な技巧と、極限の集中力とチームワークが成せる離れ業である。
「何故だぁー!! 何故当たっているのに撃破出来ない!?」
「桃ちゃん落ち着いて ていうか、桃ちゃん全然当ててないじゃん。ちゃんと当ててよ~」
「いや~ははは、流石は西住まほ。実際目の当りにすると桁外れの怪物だね~」
ヘッツァーを駆るカメさんチームも、目の前で繰り広げられている超常現象のような事態に慌てふためく河嶋を小山が宥め、杏も落ち着いた様子でもきゅもきゅと干し芋を頬張りつつ飄々としているが内心は冷や汗だらだらだ。
「きゃあ!! 被弾!? みんな、大丈夫?」
「な、なんとか……」 「梓、どうすんの? このままじゃ皆殺しだよ!」
ウサギさんチームのM3リー中戦車も、突如現れたⅢ号戦車二両にマークされ、集中砲火を浴びせられていた。
「桂里奈ちゃん、敵に照準させないように前と後ろにぐにゃぐにゃ動いて。砲弾が着弾した穴に嵌らないように注意して」
「あいあいあーい!」
「あゆみとあやはとにかく絶え間なく撃って!」
「りょ、了解! ちっくしょーブランド戦車でこそこそ攻めてきやがって、大洗なめんな!」
「なめんな!!」
梓も必死にチームの皆に指示を出しているが、敵の至近弾がもたらす衝撃と、砲弾が車体を擦る身も凍るような擦過音にさらされて声と足が震える。ピンチに陥る事はこれまで幾度もあったが、隊長のみほは一体こんな状況でどうしてあんなに冷静に指示をする事が出来るのかさっぱり見当もつかない。
「会長、大垣さんは本当に救援に来てくれるでしょうか……?」
「大丈夫、大垣ちゃんは必ず来てくれる。だから小山、絶対に諦めるな」
こちらを見ながら、不安そうに呟く小山の頭を杏はぐしぐしと撫でる。杏の確信を持った言葉と、嘘の無い瞳を読んで小山も「はい!」と力強く返し、再度ヘッツァーの操縦に集中する。
「みんな、しまなみの救援は必ずくる! 白旗揚げた情けない姿を大垣ちゃん達に見せないように、ここは何としても辛抱して頑張って踏ん張るよ!」
普段あまり聞くことが無い、杏の熱のこもった言葉だ。
その熱に押されて、他の車両からも「はい!」と溌剌とした返事が返ってくる。突然降ってきた絶対絶命の状況。それでも大洗の士気は死んでいなかった。
「こちらゼーフント隊、全車両潜水渡渉を終え大館館付近の大洗を掃討中。おっと、コイの丸焼きが…… あぁ、何でも無いしこちらは問題無い。エリカ、久々のみほとの試合だからといって派手に羽目を外しすぎるなよ。交信終わる」
副隊長のエリカとの交信を終え、まほは自分の目の前に降ってきた爆炎でこんがりと丸焼きになったコイを成仏してくれと祈りながら払い落し、ティーガーⅠの砲塔から身を乗り出して籠城戦となった大館館跡を見つめる。
「まさか黒森峰に居る間にお前と潜水渡渉をするとは思わなかったな。湖の底でエンストでもしたらどうしようかと思っていたが……よしよし、偉いぞ」
可愛い愛犬を褒めるように、長年連れ添ったティーガーⅠの装甲を愛おしそうに撫でる。
まほが乗るティーガーⅠと、一年生の選抜組が乗るⅢ号戦車には限定的ながら渡河に利用出来る潜水能力があり、これが杏達に奇襲を行えたカラクリであった。湖面を動く潜水渡渉用パイプにはビーバーの巣を乗っけて擬装して涸沼の湖底を忍者の水遁の術のように渡り、杏達の隊の正面と両側面を急襲するというものである。
正面から仕掛ける事を至上としていた黒森峰にあって、これまでとは全く異なるアプローチの作戦である。従ってこれを実行出来るのは並みの乗り手達では務まらない。それ故に高校戦車道最高のティーガー乗りである西住まほ達と、将来の黒森峰を背負って立つ将来有望な一年生達に白羽の矢が立つのは自明の理であった。
「さぁ、どうする大洗の諸君 そんな距離では五千発撃とうが私を抜く事は出来ないぞ。生き残ろうという心構えで戦に臨む者は必ず死ぬ。死ぬ気で私に撃ち込んでこい」
体からオーラが見えるように気迫を滾らせ、眼前に敵を見据えるまほの瞳は鋭く、どこか優しい。戦場では一切の手抜きなく、万感の思いをもって相手に向き合う。西住流の体現者たるストイックなまでの西住まほの戦車道、それが今ここに体現されようとしていた。
その頃、大洗からの救援要請を受けたしまなみは全車両車長が無線で緊急討議を行っていた。
「ちょっと待ちなさいよ! 奇襲って一体どういう事? あの大洗が居眠りでもしてたって言うの!?」
あまりに突然の事態にカトレアチーム車長のルイーズが思わず声を荒げる。
「よく分からない……ちゃんと警戒はしていたみたいなんだけど、大館館跡あたりで警戒していた角谷さん達を包囲するみたいに突然Ⅲ号戦車四両とティーガーⅠが一両出現したらしいの。まるでマジックみたいだったって角谷さんは言ってたみたい……」
大洗からの無線を受けた紅城も、みほとの交信で知りえた事しか話せない。しかし、今年の全国大会優勝校の大洗の警戒網を抜けて突然戦車が出現するという恐るべき事態が今も進行している事だけは確かだった。
「だけど、私達もプラウダをここまで追い込んでいる。下手に動けばプラウダに対する包囲が崩れかねないのでは?」
Ⅳ号突撃砲・ドクダミチーム車長の音森響が淡々とした声で話す。確かにこの場面でプラウダに対する包囲とプレッシャーに綻びが生じればこの試合の全てを失ってしまう可能性がある。
「響さんの言葉もっともです。しかし、交信途絶という事は知波単学園の本隊が壊滅的な打撃を受けている事が予想されます。もしここで角谷さん達の五両まで失ったら、私達にとって継戦不可能と言っても過言では無い打撃になる事は間違いありません」
冷静に話すⅣ号突撃砲車長・クローバーチーム車長のベアトリーセ・メルダースの分析通り、危機に陥っている角谷杏率いる小隊には杏達のヘッツァーとは別に、カバさんチームのⅢ号突撃砲、ウサギさんチームのM3リー、アヒルさんチームの八九式中戦車、そして知波単学園からの助っ人として久保田りんが車長を務める新砲塔の九七式中戦車チハの合わせて五両だ。八九式を除いてどの戦車も火力に優れるものばかり、しかも八九式を駆るアヒルさんチームは大洗にあって偵察・陽動と屈指のワークレートを誇る要石と言って過言では無い。ここでこの四両を失えば大変な事態を招く事は誰の眼にも明らかだった。
「私達の地点から、大館館跡までは凡そ10分で到着出来る。夏海運動公園通りを経由して林道を上手く抜けられたとしてその位だな。どう思う、エレナ?」
「うーン…… 途中の森をチカラワザで突っ切ればもっと早いかもしれなイ…… でも、これだけの木を薙ぎ倒したら戦車がメチャメチャになっちゃうカラ、やっぱりカドノ達が正しいヨ!」
五式中戦車・ウメチーム車長の長原門野と、抜群の地形把握能力を持つオニユリチーム車長のエレナが救出までの最短ルートを調べる。海岸沿いの夏海バイパスと山を抜けて涸沼方面に出る夏海公園通りの結節点にしまなみは防御陣地を敷いており、飛ばせば10分程で到着出来そうな位置にいた。
「でも…… 黒森峰のティーガーⅠと言えば、もしかしてあの西住さんのお姉さんが……」
五式中戦車・ツバキチーム車長の室町椿も不安を隠せない。戦車道の権化と謳われる西住まほの強さは、夏の大会で直接対峙した零やベアトリーセ、ルイーズから聞いている。更に自身が直接対峙した、Ⅲ号戦車を駆る黒森峰の一年生達の強さはその身をもって味わっていた。
「もし椿の言う通りだとしたら、救出まで一刻の猶予も無いわね……」
アマリリスチーム車長のマルティーナも、風雲急を告げる事態に対処すべく思考を巡らす。自分達とエレナのオニユリチームが駆るM15/42中戦車は峻険な山々が連なるイタリアの地形に備えてエンジンのトルクが厚く、登坂力に優れる。森と山を抜けるルートを走るなら打って付けだ。もしも零が救出する事を選ぶなら真っ先に志願するつもりでいた。
「梓……」「大丈夫よ潮見ちゃん、梓ちゃん達なら簡単にやられはしないわ。多分……」
そわそわした様子を見せるユズリハチーム車長の朝河を、ガーベラチーム車長の荒川が落ち着かせる。ライバルとして互いに激しく鎬を削る関係ではあるが、朝河と荒川は大洗の澤梓と親友の関係にある。朋友が危機に瀕しているならすぐにでも助けに行ってやりたいという気持ちで一杯だった。
「どうする、零? 私たちは貴女の命に従う」
もう腹は決まっている。副隊長を務めるルイーズの決断を促す言葉に、零は三秒で決断を下す。
「――角谷さん達を助けに行きましょう」
無線から聴こえる零の決意を感じさせる声に、各車車長も思わず「よし!」と掌を拳で叩く。
「これより、部隊を二手に分けます。副隊長のルイーズさんの指揮でカトレアチームと、ドクダミチーム・クローバーチームは進軍して来るプラウダ本隊の迎撃を、ウメチーム・ツバキチームはルイーズさん達の側面警戒と直掩をお願いします」
「ふふ、そう言うと思ってたわ。
聞こえたみんな!? そうと決まれば陣地変換! プラウダを迎え撃つわよ!」
ルイーズは零の言葉に満足そうに微笑み、即時に砲撃陣地変換の指示を出す。
「他の皆さんは、私と――」
「もちろん私も行くわ、零」「隊長サン、私も行きまス! ノリコ達を助けル!」
「零隊長、喜んで御供致します!」「私も~ 梓ちゃん達を助けてあげなくっちゃ!」
零の命令をもう待てないとばかりに、マルティーナとエレナ、そして朝河と荒川も我先に名乗りを上げる。仲間たちの声に零は「ありがとう」と静かに頷く。そうと決まればもたもたせず先を急がなければならない。
「烈ちゃん、西住隊長に至急連絡。『これより救出隊が向かいます。到着までおよそ10分。なんとか持ちこたえて下さい』って伝えて」
「あいよ零ちゃん!」
「救出隊の先頭は私とエレナが引き受ける。零達のヨンマルを前後で護衛する形でユズリハとガーベラで後ろを守りながら行きましょう。みんな、それでいい?」
「了解です、マルティーナ先輩!」
「うふふ、先輩たちのお背中は私がしっかりガードしますからね~」
各車両、新たな任務に意識を集中させる。そして何より対プラウダの最前線にいるマルティーナとエレナ、そして零、朝河、荒川達の隊はこれからプラウダの追撃を死に物狂いで振り切ってルイーズ達に合流し先を急がねばならない。
「さぁ、いくよエレナ…… 目くらましを撃ったら死ぬ気で走ろう」
「了解! さぁ、マルティーナ 華麗に舞うヨ!」
「私達は煙幕を展開しつつ、アマリリスとオニユリチームを援護!」
「了解です、零隊長!」「かしこまりました隊長 よ~し腕が鳴るわ~」
その直後、二両のM15/42の主砲から、連発でありったけの榴弾が撃ち込まれた。
「わわっ!! ぷわっ…… けほっ こほっ ちょっと、なんで榴弾なんて……」
その頃、六両で重防御態勢を組み、反撃の機会を伺っていたカチューシャはしまなみから撃ち込まれた榴弾が巻き起こした土煙をまともに食らってしまい、思わずえづいてしまう。
「んんん? あーあいつら! このカチューシャをほっぽって一体何処へ行く気よ! 絶対逃がさないわよ! 全車両、急ぎ撃てー!!」
土煙が晴れて目を凝らすと、そこに見えるのは先程までこそこそ自分達を偵察していた斥候のM15/42二両が全速力で後退していく光景であった。それを目の当りにしたカチューシャは逃がすまいと大声で全車両に砲撃を叫ぶ。
「うっ……わ すっごい砲撃! 海岸の地形が変わっちゃいそう」
追撃を逃れるべく全速力で進むM15/42を捉えんとプラウダから凄まじい砲撃が加えられ、まるで一個のドラムに自分がなったかのような至近弾の衝撃に思わずマルティーナが呟く。IS-2からのスナイパーのような砲撃を間一髪で躱し、KV-2の地面を抉る削岩機のような砲撃をジャンプで乗り越え、二両のISU-152の巨大な152mm主砲から撃ち込まれる榴弾がもたらす鉄と土の猛瀑布の中を全速力でひたすらにエンジン全開で猛烈にぶっ飛ばす。
「ヒュウ! 最っ高のサーフライドだネ! マルティーナ!!」
偏差射撃で未来位置に撃ち込まれた砲撃で出来たクレーターを波乗りのようにジャンプで飛び越えながら高揚した声色でエレナが叫ぶ。常人であれば恐怖で戦車の中で縮こまるような鋼鉄の雨の中、心臓の鼓動が晩秋の紅葉のように体を紅く染め上げ、爆発的に分泌される脳内物質が恐怖を高揚に置換させ、熱病のように高くなった体温が体を溶鉱炉のように熱くし、血液が沸騰するような感覚に陶酔する。
「煙幕展開!」
アマリリスチームとオニユリチームのM15/42の通過を見計らって、キキョウ・ユズリハ・ガーベラの3チームがプラウダの視界を塞ぐ煙幕を展開し、プラウダの追撃に振り払うべく最後の仕上げに掛かる。
「あいつらどこまでも小賢しい真似を…… ノンナ!」「お任せ下さい……!」
カチューシャの声にノンナが静かに応え、カチューシャのT-34/85のすぐ傍らに付きそうIS-2重戦車の122mm砲が煙幕の中を高速で疾走するしまなみの隊長車を射抜くべく照準を合わせる。
いつもプラウダの学園艦が航行する高緯度地域に近い海域の清浄で冷たく澄み切った大気と違って、大洗の大気は湿度が高く粘度がある。若干の戦いにくさを感じつつ、ノンナは主砲を大きく、しかし繊細に動かしstrv m/40Lが走行するであろう未来位置に照準を合わせ十八番の静止偏差射撃の態勢を取る。
「あと少し……」
あと数秒でこの煙幕が晴れる。後はこの数多の敵を一撃で屠って来た122mm砲で敵の頭を潰し、混乱するであろう残党を散らかしてやるのみ―― 煙幕が晴れ、strv m/40Lが姿を現す。が、敵のstrv m/40Lもこちらに砲口を向けて行進間射撃の態勢を取っていた。
「! 狙撃!?」
ノンナが気付いた瞬間に、黒点になった敵の砲口から閃光が瞬く。反射的にトリガーを引いたが、がくびきのようになってしまったのと、先に着弾した敵の砲弾の衝撃で照準が少し上にずれてしまい放たれた砲弾は敵の少し上に着弾して地面にクレーターを作る。
「ノンナ!?」
「大丈夫です、カチューシャ…… 不覚を取りました、申し訳ございません……」
もう一度照準器を覗くが、敵の五両は煙幕の遥か向こうに逃してしまった。千載一遇の好機を逃してしまい、不甲斐なさを感じてノンナは口をきっと閉じ、ぎりりと音がする程に歯噛みをする。
「絶対に逃さないわよ! 全車両、追撃! うわっと……!」
追撃を命じるカチューシャのT-34/85の目の前に、まるで自分達の仲間に手を出すなと警告するように、砲弾が撃ち込まれる。この距離をこの秒数で着弾させられる戦車は一両だけだ。
「へぇ、愛するお姫サマに手を出すなってワケ? フランスの騎士気取りがかっこつけちゃって、じゃあお望み通りあんた達から先に捻り潰してやるわ!」
カチューシャの合図で、KV-2が先頭に、そしてその両脇にISU-152が両脇を固める楔形隊形を組む。カチューシャ・ノンナ・クラーラの車両はそのすぐ後方につく。
「え? ちょ、ちょっと! ニーナ、アリーナ! なに勝手に先頭に出てんのよ!」
自分が先頭を務めるつもりだったのだが、勝手にKV-2とISU-152が先頭に出てしまった。
「カチューシャ様、ここの先陣はわんどらに任せて下さい! アクサナらもやられて、この上カチューシャ様までやられたらみんなや試合を見に来てくれたかっちゃととっちゃに顔向け出来ねえ。わんどの力で、何が何でもわんどらのめんこい隊長を勝たせてやりてぇ、んだはんでどうかわんどらのわがままを許してください!」
「カチューシャ様、お願いします! ノンナ副隊長や皆には前から相談しとったんです、わんどらにどうか先陣を切らせてけれ! お願いします!」
砲塔から身を乗り出しているカチューシャが隣のIS-2を見れば、砲塔から身を乗り出すノンナがこちらを見ながら無言で頷いていた。
「――全く、何を自分達だけで勝手に話を進めてるのよ。このカチューシャ様が皆に守られてかしづかれないと勝てないっていうの? はんっ 勘違いも程々になさい。この私も随分見くびられちゃったものね」
カチューシャが芝居がかった様子で、やれやれと手を広げる。
「ニーナ、アリーナ お望み通り斬り込みを任せるわ。普段の訓練の成果、今こそ存分に発揮して見せなさい。だけど、もし途中で無様に撃破されたり履帯を切られたりしたらタダじゃおかないから。この私の前衛を務めると言うのなら、覚悟して死ぬ気で役目を果たして見せなさい!」
ニーナ達に、可愛らしい声でカチューシャの檄が飛ぶ。いつもなら縮み上がって、泣き言を言ってしまう所であるが、今日の自分たちは違う。自分達がぼんやりしていたばっかりに、今年の大会の準決勝で大洗にしてやられ、決勝への切符を逃した。だからこそこの試合だけは絶対に勝って、プラウダを、自分達を、何よりカチューシャを表彰台に登壇させたい。
「お任せくだせぇ! 弘前者の底力、しまなみに見せてやるっきゃ! おめえら、気合入れていくべ!」
「おぉ!!」
まるでマウンドに上がる野球選手がグローブを拳で叩くように、ニーナが装填手用のグローブを付けた両手の掌を叩き合わせれば、KV-2の車内にばんばんと威勢のいい音が鳴り響く。無線から聴こえてくる、まるで陣太鼓のようなその響きにKV-2の、そしてプラウダ全体の空気がかわったのをカチューシャは感じる。
大洗との戦いを経て、少しずつの変化がチーム全体に熱のように伝わり、全員の意識が勝つことに向き始めている。いい具合に脂がのってギラついてきた隊員、特に目を掛けていたニーナの変化に、カチューシャは思わず口角が上がる。
「KV-2を先頭に楔形隊形で両脇にISU-152重突撃砲が二両、第二列の中央にT-34/85と両脇に同じくT-34/85とIS-2…… 全く、まるでモンスターカーニバルね。零達に任せておけだなんてカッコつけちゃったけど、ほんのちょっとだけ後悔してるわ」
その頃、こちらに向かって地響きを立てながら進んでくるプラウダの戦車を見つめてルイーズが額に一筋の汗をたらしつつぽつりと零す。ロシアの戦車は火力もさることながら、巨大な主砲と車体がもたらす迫力と威圧感がもの凄い。まるで巨大な猪か熊の化け物がこちらを見据えてにじり寄ってくるような光景に、不安を覚えずに居られる者はいないだろう。
「ほんまに凄い光景やなぁルイーズ。西住はんのねーやんと立ちおうた時も大概やったけど、なんちゅーか……プラウダのお前ら全員ブチ殺したるってオーラ半端ないわ」
操縦手のエステルも、プラウダ戦車隊の威容をもうちょっとマシな言葉で形容したいと思うが上手く言葉が見つからない。ロシアと欧州の大地で万余の血を吸って凄まじい進化を遂げたロシアの戦車だけが持つであろう野獣のような狂暴な雰囲気は、他国で比肩するものはおそらくドイツの戦車達だけだ。
「だけど、戦車の外観や性能が必ずしも勝利をもたらすとは限らない。物量は練度で、性能は戦術で凌駕する事が出来る。プラウダもきっと大変な鍛錬をこなした筈。だけど、私達もそれを遥かに凌駕する鍛錬をこなして来た。そんな私達だからこそ、彼女達を超える事が出来るはず」
副操縦手のアニエスも、眼前にプラウダを見据えつつ、冷静に話す。どんな敵も、度重なる修練で立ち向かって乗り越えて来た。大洗の仲間達を救いに行った零達の為にもこの化け物の如き戦車達を刺し違えてでも殺る。自分では珍しく頬が紅潮してきたのをアニエスは感じていた。
「その通りだアニエス。祖国の戦車を駆り、極北の獣達と牙を交えるのもなかなか悪くない。我らが駆るは降魔の鷲獅子。プリンセス達には指一本触れさせない――ペトラ、君の装填がボク達とグリフォンの心臓であり命綱だ」
「かしこまりですわレオン! マルティーナ達ばっかりにいい格好はさせませんわよ!」
装填手のペトロニーユがグローブの掌を拳で叩けばプラウダのニーナに負けないばすばすと威勢のいい音が鳴り響く。見た目も口調もお嬢様そのものというペトロニーユだが、元柔道のトップアスリートでありそのチーム随一の負けん気の強さはARL44のクルー達のカンフル剤になっている。
ちなみにこの掌を拳で叩く様子を見て、アニエスが「ゴリラのドラミングみたい」と口を滑らせた際は、地獄の体力トレーニングの刑に処されたのである道を極めた人間の前で滅多な事は言ってはならないと皆肝に銘じたのであった。
「さて、こちらカトレアチーム。現在敵との相対距離は2.7km。全車両長へ、お迎えの準備はいい?」
「こちらクローバーチーム。ルイーズ、準備完了です」
「ドクダミも同じく。いつでもいける」
「ウメチームも位置についた。丁度出遅れてくすぶっていた所だ、派手にいこう」
「ツバキチームも配置につきました。かどちゃん、それにレックス。張り切りすぎておろしたての新型エンジン壊さないようにね」
各車両長の報告に了解と返し、ルイーズは眼前の遠く、狭い回廊の遠くの陽炎の揺らめきから少しずつ大きくなってくるプラウダの戦車群を見つめる。
おそらくプラウダは側面を晒す事を警戒している。先ほどレオンがT-34を一撃で射抜いたからだ。そしてⅣ号突撃砲二両の狙撃の腕も知っているとすれば、スチームローラーの如く、正面から力でこちらを揉みつぶしにかかってくる筈だ。自分達のARL44と二両のⅣ号突撃砲の射撃と、側面から迂回攻撃を二両の五式中戦車で阻止する他に策は無いだろう。
砲塔から身を乗り出したルイーズが左右を見渡せば、頼りになる仲間達の車両がプラウダを見据えている。すべての準備は整った。
「仲間を救いに駆けだした姫君の背中を守る騎士達…… ふふ、なかなか私達にお誂え向きな舞台じゃない」
「メインディッシュの前にフォアグラってのも悪くないわね。胸やけしそうだけど…… あんた達全員、カチューシャがそっくりそのまま美味しく平らげてあげる」
ルイーズが口角を上げて不敵に笑みを浮かべ、カチューシャはしまなみの副隊長車のARL44を獲物に見据えて上唇をぺろりと舐める。
「ルイーズ、先ずはKV-2をカトレア・クローバー・ドクダミのチームで集中射で釘付けにしましょう。あの戦車の榴弾が直撃したら最後、冥王星まで吹き飛ばされる事になります」
「両脇のISU-152重突撃砲の相手は私達とツバキチームに任せてくれ、まずは前衛の三両の自陣へのゲインを食い止めよう」
「了解 ベアトリーセ、門野、それにみんな。――宜しく頼むわよ」
互いの制空圏はとっくに触れている、後はこの小隊を任されたルイーズが号令を掛けるだけで、しまなみの総火力と言っても過言ではない五門の主砲が戦端を開く。
ルイーズが何かを掴もうとするように右手を前に出し、通信用のマイクを左手に持つ。
カチューシャも同じく、マイクを手に取り、思い切り息を吸い込み、体全体を仰け反らせる。
「「砲撃、開始!!」」
二人の渾身の号令を合図に、太平洋より打ち寄せる静かな波音を打ち消し、合計十一門の主砲が織りなす凄まじい砲声の協奏曲が鳴り響いた。
その頃、西住まほが率いる黒森峰隊も杏達大洗の小隊をあと少しという所まで追い込んでいた。
「あの砲声はしまなみとプラウダの…… 私達もこんな所でもたもたしていられないな」
手元の懐中時計を見ながら、まほは砲手に照準を杏達が乗るヘッツァーに合わせるように指示を出す。
別段今更彼女を恨みに思う事は無い。夏の全国大会でのみほの爆発的な成長と才能の開花、もしもみほが黒森峰にいたままであったら、到底目にする事は出来なかったであろう。その事を思えばむしろ感謝したいくらいだとまほは思う。だが、傷心の妹に脅迫まがいの真似をして無理やり戦車道を履修させた事は黒森峰の諜報部から報告を受けていた。その事を問い質しても、みほ自身からは全然気にしていないと言われている。
とは言え、それを只うやむやに納得出来る程、自分も人間は出来ていない。黒森峰では開花させる事が出来なかったみほの才能を引き出し、全国大会優勝の真紅の優勝旗をみほの手に持たせた立役者。いつかは自分が妹と全国大会の表彰台に登壇し、真紅の優勝旗を共に掲げるという密かな夢を自分が果たせなかった事への怒りか、寂しさか、はたまた嫉妬か――八つ当たりのような子供じみた心情。様々な思いがまほの胸に去来する。
「角谷さん、貴女達に恨みはない。だが……可愛い妹が世話になったな」
まほが砲手に砲撃を命じ、鬼神の8.8cm砲から徹甲弾が放たれる。避弾経始に優れたヘッツァーを絶好の角度で捉えた必殺の一撃は瞬きする間もなく白旗を揚げさせるだろう。
だが、奥の茂みから飛び出した影がヘッツァーの前に躍り出る、その影は自らをテールスライドさせながらヘッツァーを庇うように後部に徹甲弾を当てさせて砲弾を虚空に弾き飛ばし、自身をくるくるとコマのように回して着弾の衝撃を受け流す。まるで合気道の達人のようなしなやかなその動きに、まほと黒森峰の選手たちも思わず息を飲む。
「角谷さん、皆さん! お待たせしました!!」
無線機から聴こえる零の声、それが今、杏には、まるで大聖堂に響く天使の歌声のように聴こえていた。
「ふぅ、間に合った! お待たせエルヴィン」
「精霊は現れたまえり、待っていたぞマルティーナ!」
「助けに来たヨ、ノリコ!」
「待ってたよエレナー!」
「潮美ちゃん、四葉ちゃん!!」
「待たせたな梓! それにみんな」「もう大丈夫だから安心してね~」
しまなみの援護部隊の到着に、大洗も皆歓喜の声を上げて彼女達を迎える。
だが、再会の喜びも束の間、黒森峰から討手の砲弾が撃ち込まれる。
「角谷さん、先ずはここから脱出して奥のゴルフ場へ退避を! 私達が援護します」
「了解だよ大垣ちゃん! 先ずはカバさんチームから! ビアンケッティちゃん、宜しく頼むよ」
杏の声にマルティーナも任せてと短く返し、被弾のダメージと長時間の砲撃でクルーの疲労が激しいカバさんチームをいの一番に退避させる。車両同士を牽引用ケーブルで繋いで力強く坂道を上がっていく様は頼もしい限りだ。
「次はウサギさんチーム! 朝河ちゃんに荒川ちゃん、サポートお願いね!」
「かしこまりました、角谷会長! ……梓、ちょっと重い。ダイエットしろ」
「なっ!? 違うもん! 重いのは戦車だもん! 私関係ないもん!!」
総重量27トン超えのM3リーを、二両のソミュアS35が後ろからぐいぐい押して坂道を駆けあがっていく。
「お次はアヒルさんチーム! エレナちゃん、先に行った皆の誘導頼むよ」
「お任せくだサイ! 角谷サン!」
エレナ達のM15/42中戦車が、捨て身の肉薄砲撃と度重なる偵察・陽動でダメージを負った八九式中戦車を後ろに隠れさせて退避していく。
「さぁて、それじゃあ久保田ちゃんは大垣ちゃんと一緒に「私も残ります!」
無線を通して久保田の張りのある声が響く。
「西隊長や細見小隊長、それに名倉先輩やみんなとの通信が途絶している今、私と福田だけが助かったとあっては皆に顔向けが出来ません! 何卒、私をこのしんがりの末席に加えて下さい! お願いします!」
黒森峰から猛烈な砲火が加えられる中、久保田の渾身の思いが響き渡る。
「仕方がないね…… 久保田ちゃん! 私と大垣ちゃんの射撃と動きにしっかり付いてくるんだよ!」
「は、はい!」
その後は久保田りんにとって驚きと学びの連続だった。
ヘッツァーは急ごしらえとはいえ、八九式との共同作業で構築した塹壕に上手く車両をハルダウンさせて黒森峰の砲撃を避けつつ狙撃手のような砲撃を黒森峰に与え、北欧の瑞典国製の小柄な、しかし精悍な容姿の軽戦車は、大きな岩石に身を隠しつつ、車両を器用に前後させて高速徹甲弾の礫を遥かに格上の戦車を駆る黒森峰に撃ち込み偵察と狙撃の見事な連携で翻弄していた。
「久保田さん!」 「かしこまりました! 戦車前へ!」
久保田もstrv m/40Lの真後ろについて、strv m/40Lが装填の為に後ろに下がったら自分が前に出て砲撃を加えて隙の無い火網を形成する。まるで自分達と二両の戦車が一つに繋がったような一体感、それは今までの突撃で得られるものとはまた違うものだった。
「Ⅲ号戦車一両の履帯切断を確認! おっほぉ、やるねぇ~久保田ちゃん!」
無線から心底面白そうな大洗の会長の声が聞こえる。
「久保田さん、素晴らしい射撃です! さぁ、みんなで畳みかけますよ!」
しまなみの隊長の声で、更に闘争心にブーストが掛かる。足を失ったⅢ号のもう一方の履帯にヘッツァーが砲撃を加えて完全に動きを封じ、ヨンマルが精密狙撃のような三連射のスポットバーストショットをターレットリングに撃ち込み、その着弾痕に自らのチハが最後の止めの砲撃を撃ち込む。
「Ⅲ号戦車一両の撃破を確認! おみそれしたよ久保田ちゃん、あんたの戦果だよ!」
「やりましたね久保田さん、素晴らしい戦果です!」
やった…… やったやったやった! 自分達の戦車の一撃があの黒森峰に白旗を揚げさせたんだ!!
まるでジェットコースターのように、未体験の感覚が久保田の心に押し寄せてくる。勿論戦果は嬉しい、だが力任せの突撃では得る事の出来ない達成感や高揚した気分、誰かと一緒に諦めずに戦う面白さや一体感と充実感は今まで体験した事の無いものだった。
「あ、ありがとうございます! お二方の支援のおかげです! うわっ!!」
零のstrv m/40Lと、久保田の乗るチハが隠れる大岩にまほのティーガーから砲弾が撃ち込まれ、砕けた岩石が礫雨のようにチハに降り注ぐ。
「おっとぉ、もうここいらが潮時みたいだね」
「角谷さん、早く塹壕から脱出を! こちらで援護します!」
「悪いね大垣ちゃん、サポート頼んだよ。さぁて小山、全速後退 大垣ちゃんを援護しつつゆっくり急ぐよ」
杏達のヘッツァーがよじよじと身を捩らせながら塹壕から這い出し、黒森峰に砲撃を加えながら後退していく。
「久保田さんは角谷さん達のヘッツァーの撤退の援護を、私達も直ぐに後を追います!」
「かしこまりました! 大垣隊長、ありがとうございます。どうかお気を付けて!」
黒森峰からの砲撃を大きさが半分になった岩石で上手く身を隠しつつ、strv m/40Lは敵陣に砲撃を加え続ける。
と、黒森峰からの砲撃がピタリと止み、零は全神経を耳に集中させる。巨大な歯車と巨大な内燃機関の息吹、そして履帯の軋む音、この音は夏の全国大会で聴いて以来、ひと時も忘れた事は無い。
その時、まるで巨大な虎に睨まれたような殺気を感じて、零は操縦主の陸奥原に緊急回避を命じる。
数秒前まで自分達を隠してくれていた大岩が粉々に砕けて、辺り一面に火山の噴石のように大小の石が飛び散った。まるで一つ目の巨人が棍棒で暴れまわっているような惨状に、もし回避が遅れていたら自分達も只では済まなかった事を自覚して零はぞっとする。
しかし、ぞっとするのも束の間、数秒で再装填と照準を終えた8.8cm砲から新たな砲弾が撃ち込まれるのをマタドールのように寸手の所で必死に回避する。一発でももらえば一瞬で白旗を揚げさせられる――以前の自分達であれば、もう既に白旗を晒している。だが、高校戦車道きっての戦車乗りである継続のミカとの荒稽古と一対一の決闘を戦った今、眼と体が慣れているような感覚に驚く。きっと操縦主の陸奥原も同じ感覚だろう。
撃ち込まれ翻弄されている、しかし洗濯機の中で容赦無く掻きまわされているようなものでは無く、時間がゆっくりと流れ、自身が台風か竜巻の中心にいるかのような不思議な感覚だった。
だが、ティーガーの8.8cm砲から撃ち込まれた榴弾が穿った穴に足を取られ、零達のstrv m/40Lは姿勢を崩してしまう。その一瞬の隙を西住まほは見逃さない。ゆっくりとスローモーションのように黒点になっていくティーガーⅠの砲口――それに対して零は主砲を正対の角度に取り、冷静に引き金を引く。
ティーガーⅠとstrv m/40Lの間の空中で、轟音と共に火の玉が爆発した。
まるでスタングレネードが炸裂したかのような爆発光と轟音が辺りに鳴り響く。動きが止まったティーガーを見て、零は操縦手の陸奥原に撤退を命じる。スモークを発生させ、まるで猫が喧嘩から飛び出し去っていくように驚くような速度で回頭し車両を加速させstrv m/40Lが去っていく。あっという間の撤退、後には硝煙の煙と静寂が漂う。
「大丈夫ですか!? 西住隊長!」
電池が切れた虎の玩具のように動かなくなったまほのティーガーⅠを心配して、慌てて一両のⅢ号戦車が駆け寄って来た。
「あぁ…… 済まない、入間 少し目を回してしまったらしい。もう大丈夫だ」
Ⅲ号戦車の車長、一年生の入間アンナに目線を向けそう言って、まほは直ぐにティーガーのクルーに声を掛けて車両を立て直させ、全車両へ点呼を促す。あれだけの大立ち回りを演じていたのに、その直後であってもすぐに冷静にまほはゼーフント隊の皆に指示を出している。その精神力と胆力に入間は素直に驚いていた。
「こちらは一両被撃破か 怪我は無いか?」
「はい、西住隊長…… 申し訳ありません、こんな所で撃破されるなんて……」
悔しそうに、喉に小石が詰まったような声で返事をする撃破されたⅢ号戦車車長。その声を聴いて入間はバツが悪そうな顔をして後ろ頭を少し掻く。彼女は大役を任せられた事に一番張り切っていた、それ故に撃破されてしまった落胆もきっと人一倍だろう。
と、その声を聴いたまほが戦車を降りてⅢ号戦車に駆け寄り、車両をすいすいとよじ登る。そうして砲塔から身を乗り出し、がっくりとした様子のⅢ号戦車車長の肩を抱き寄せ、頭をぽふぽふと優しく撫でる。
「あ、あの 西住隊長……?」
「お前はよくやった、だからそうしょげるな。必ず敵を取ってやる」
そう言ってまほは颯爽とⅢ号戦車から駆け下りティーガーの元へ駆けていく。その後ろ姿を、Ⅲ号戦車の車長は頬を染め、ぽーとした表情で見つめていた。まるで少女漫画の一幕のような光景に入間も「私も撃破された方が得だったかな?」と妙な事を考えてしまう。
「大洗はこの先のゴルフ場に撤退したようですね。あ~もう! しおみんにあらちゃんめ! 私らの獲物をかっさらいやがって、覚えてろー!」
煙幕が晴れ、大洗としまなみの戦車達が通った坂道に向かって入間が恨めしそうに声を上げる。
「戦意を喪失したかに見えた大洗だったが、救援部隊の到着から息を吹き返したように統率を取り戻したか。零の奴め、しまなみの車両のほぼ半数を救援に回すとは随分と思い切ったものだ。それにしても…… 入間、しおみんとあらちゃんとは?」
「は、はい! しまなみのソミュアS35の車長の朝河さんと荒川さんの事です。夏の大会の準決勝でやりあって以来、私達一年の友達って言うか、ライバルっていうかそんな感じでして あ、でも勝負に対してはお互いバチバチ真剣にやってますのでどうかご心配なくです!」
隊長の自分を前にしても、入間は他の先輩と同じような態度と口調で話す。この辺りの物怖じの無さや裏表の無い態度がエリカをはじめとした上級生に可愛がられる所なのだろうとまほは思う。
「そうか、あの時の…… 入間、いい友人が出来て良かったな」
「はい! ありがとうございます、西住隊長!」
可愛い後輩との雑談もそこそこに、まほは思いを巡らす。
混乱する大洗の統率を取り戻させ、知波単の跳ねっ返りを手懐け、あまつさえⅢ号を一両撃破し、自身との一対一の戦車白兵戦を振り切ったこの撤退劇の立役者の事を。
みほは以前、零の事を「私のお姫様」と言っていた。だが、姫は姫でも、まほの頭に浮かぶのはかつてこの日本で名を天下に馳せた武将の娘であり、妖術使いとしての伝説で有名な姫の名だ。
「古城跡で、傾城如月に篭絡されそうなこの私は、さしずめ大宅太郎光圀といった所か ふふ……零の奴め、どこまでも魅せてくれる」
strv m/40Lとの戦いを思い出し、まほは背筋の戦慄きを覚える。操縦手の度胸と技量、装填手の高速装填、そして必殺の榴弾を空中で迎撃して見せた砲手の圧巻の集中力――なぁ、零 お前は今さっき何をやって見せた? どうかもう一度、私にそれを見せてくれないか――思い出すだけで戦車乗りの血が次なる戦いを求め騒ぎ立ち、戦いの衝動が滾る。
「西住隊長、ご命令を! 早くしないとグロリアーナとプラウダに美味しい所を全部持ってかれちゃいますよ!」
入間の出陣の催促でまほも我に返る。戦場は生き物の如く刻一刻と変化する、物思いに耽る場合では無い。
「そうだな、入間。あんなに面白い連中は、私達だけで独り占めだ。これより我々は、大洗及びしまなみの追撃に移行する! 全車両、楔形隊形に陣形変換!」
「jawohl!」
まほの号令で三両のⅢ号戦車が前衛の楔形隊形を組み、その中央にまほのティーガーⅠが付く。楔形陣形の前衛の先頭は入間が車長のⅢ号が務める。
「零、お前は必ずこの私が討ち取って見せる。大垣の姫君よ、お前は私の獲物だ――ゼーフント隊全車 panzer vor!!」
まほの戦車前進の号令に、四両の戦車が内燃機関の咆哮と駆動系が織り成す重奏音で応えた。
戦車道の権化、西住まほの誇りをかけた追撃戦の始まりである。