焼け爛れた鉄に炙られた機械油とグリスが醸す咽るような焦げた匂いと、硝煙の香り漂う太平洋の海原を臨む大洗の国道。
その広い車道の中央で、四両の突撃砲と巨大な砲塔を持つ一両の戦車が白旗を揚げ、組んず解れつまるで現代美術のオブジェのような様相を見せていた。
「うーん…… どっからどう見てもすごい光景」
五両の戦車がまるでゴンズイ玉のようになっている光景に、Ⅳ号突撃砲・ドクダミチーム車長の音森響もぽかんとした表情で見上げている。
「本当ですね、響さん。あぁ、私達のⅣ号が…… まるで子犬の昼寝ですね」
同じくⅣ号突撃砲を操るクローバーチーム車長のベアトリーセ・メルダースも、戦車がまるで何頭もの子犬がじゃれ合って寝ているように見える姿を見上げ、信じられない物を見たような声を出す。
「プラウダの皆さん、本当に強かったですね……」
国道を北進するカチューシャ率いるプラウダ隊としまなみの真っ向勝負は、互いの戦力の半分近くを消耗する凄まじいものとなった。
スチームローラーの如く、全てを轢き潰す勢いで前進して来るプラウダに対し、しまなみはARL44と二両のⅣ号突撃砲が正面で食い止め、二両の五式中戦車が側面強襲と本隊の援護を行うという作戦で迎え討った。
「レオン、照準に遅延が起きてる! グリフォンの牙はこんなもの!? 反応をもっと高めて!」
「ふんっ 手厳しいなレーヌ だが、今ここがボクの正念場か!」
ARL44車長のルイーズの檄で、砲手のレオンティーヌが最重要目標のKV-2重戦車に再度照準を絞る。
最高にタフな戦いである。手持ちの水筒に入れたお気に入りのカベルネジュースも飲み尽くしてしまった。
KV-2が大洗との全国大会で見せたような隙のある動きを全く見せないのだ。
数ある戦車の中でもヘビー級と言って過言では無い鈍重な重戦車の筈だが、野生の熊のように何発砲弾を当てても未だ倒れない。相当の命中弾を与えたが、KV-2は砕けた足を引きずるように転輪を回し、爛れ落ちる血液のように砲弾が貫通した動力室からオイルを滲ませ、末期の咆哮のように主砲から巨大な榴弾を撃ち出す。
不屈の闘志を見せつけるKV-2の姿に呼応するように、ISU-152が152mm砲から大会記録物の装填速度で砲弾を撃ち出し、二両のT-34が側面の五式中戦車を寄せ付けない鉄壁の防御を見せつけ、超高校級の砲手が乗るIS-2がARL44を貫かんとスナイパーのような精密射撃を浴びせ掛ける。
「カトレアチームに集中射が…… させない! 響さん!」
「分かっている。あの手練れのIS-2を黙らせよう」
大洗の冷泉麻子をして「もの凄く厄介な相手」と言わしめた音森が率いるドクダミチームのⅣ号突撃砲がIS-2の照準器を狙ったえぐい角度の狙撃を食らわせる。
デリケートな部位への集中射撃を嫌ってIS-2が守備に入り車両を不規則に前後させる。防御の為に車両を前後させれば照準を交わして被弾を減少させられるが、同時に射撃精度は大きく低下する。この回避機動を砲手であるノンナは物凄く嫌う。しかし、相手の精密なエイムをその身で味わった以上それを実行するのを嫌とは言えない。
「あのノンナをここまで手こずらせるだなんて……」
高校戦車道屈指の手練れである僚車が苦戦する様子を見て、カチューシャが二両のⅣ号突撃砲の射撃に舌を巻く。
本来であれば圧倒的な火力でこんな数キロ程の回廊などもうとっくに突破している筈だった。だが、幾度も事前にシミュレートした攻め手を破られ、半数の車輛を撃破され、自分達は地面を緑色の芋虫のように這いずり回っている。
「でも、楽しませてもらってるわよ!」
力と力のせめぎ合い、ラグビーのスクラムと同じく一見力勝負に見えて実は精緻な計算に基づいている最前線での硝煙が煙る中の攻防。普段のような部隊の後方指揮では味わう事の出来ない真っ向勝負の面白さに、カチューシャも思わず高揚の証のように口元から八重歯をちらりと覗かせる。
「くっ……そぅ 強い……」
(砲弾の消費が激しい……それに、車両へのダメージも。でも、プラウダは刺し違えてもここで止めて見せる!)
ルイーズは、プラウダの戦車隊の強さにここが自分達の死地になる事を予感しつつ、仲間を鼓舞し奮い立たせる。そしてそれに呼応するようにしまなみの戦車達がプラウダの猛攻を跳ね返す。
戦車道を始めてまだ半年に満たない戦車道履修生が、地吹雪のカチューシャが直々に統べる部隊のプレッシャーに耐え五分五分の戦を戦っている。それだけでも十分に称賛に値すると言える戦いぶりだった。
「まずい、プラウダが最終防衛ラインを超えた」
「ええ それに、あのスクラムのような過密なまでの密集隊形は……」
しまなみの猛烈な砲撃を鎬ぎ切ったプラウダの戦車隊が、危険水域と言える距離まで接近して来た。中央のKV-2重戦車と両脇のISU-152重突撃砲は更に密集を厚くしており、更に砲撃のサイクルを上げて来ていた。このまま後方の三両の猛烈な押し込みでプラウダが一気に中央突破に出れば、しまなみの包囲は容易に食い破られ蹂躙される――悪夢のようなシナリオがベアトリーセの頭を過る。
「ルイーズ、プラウダが最終防衛ラインを突破しました。更に重火力を集中し中央突破を企図していると推測。大洗市街地へ一時後退し市街地戦に持ち込む事を提案します」
冷静な判断力と豊富な戦車道の経験を持つベアトリーセからの提案にルイーズは思わず奥歯を噛みしめる。
本心を言えばこの回廊でプラウダを仕留め、後顧の憂いを排した上で大洗の救援に向かった零達を迎えに行ってやりたかった。自分達の役割を果たせず、一両も撃破する事も出来ずに後退を余儀なくされる。ルイーズにとって、受け入れ難い現実だ。
「――了解 本隊は砲撃レートを半分まで落とし大洗市街地まで後退! ウメチームとツバキチームは本隊の後退を援護しつつ市街地戦闘の準備を!」
ルイーズが長丁場になる戦闘に備え、砲弾の節約を指示し市街地への後退を全車に命じる。
「了解やでルイーズ、カーニバルはまだまだこっからが本番や。レオも落ち込まんと気ぃ引き締めや!」
「分かってるよ、エステル。済まないアニエス、引き続き砲撃のサポートを頼む」
「私は大丈夫、それより…… ペトラ、腕は大丈夫?」
「誰に聞いてますの? アニエス。このペトロニーユ・フェリエはこの程度で音を上げる程ヤワではありませんわ!」
後退を前にしても、共にARL44を駆る仲間達は互いに声を掛け合い前向きな態度を失わない。
楽勝出来ると自惚れていたわけでは無い、だが勝てないと諦めた訳ではまだない。零達はきっと大洗の為に今も必死に戦っている。ならばここは、自らの仕事に今一度全てを注ごうとルイーズは気持ちを集中させる。
と、自らに後退を具申したベアトリーセと、響のⅣ号突撃砲がその場に留まり後退をしていない事にルイーズは気が付く。
「ベアトリーセ、響。どうしたの? 遅れてるわよ」
ルイーズの呼び掛けに、二両のⅣ号突撃砲から返事が無い。一刻の猶予も無い状況を前にして何をのんびりととルイーズも語気を強めて再度呼び掛けようとする。
「皆さんは先に行って下さい クローバーとドクダミチームはここでプラウダを食い止めます」
「はぁ!? ちょっと急に何を言ってるの? 馬鹿を言ってないで早く後退して!」
声を荒げるルイーズに、ベアトリーセは静かに語りかける。
「ルイーズ、私達の相手はプラウダだけではありません。この先には黒森峰、そして聖グロリアーナが待ち構えています。戦いはまだ続きます。貴女達は先を目指してください」
「ルイーズさん、ベアトリーセさんの言う通り先に行ってくれ。私達とクローバーチームはKV-2とISU-152の動きを見切っている。それに、あいつらがこのままのさばらせておく訳には絶対にいかない相手である事はルイーズさんも分かっている筈。ここであの化け物どもだけでも撃破して見せるから任せて欲しい」
ルイーズとて言われずともプラウダのKV-2とISU-152がどれ程危険な相手かその身で十分に理解している。そして、彼女達ならばあの化け物の如き三両を撃破出来るであろう事も理解していた。
「――勝算があるのね」
ルイーズの問いかけに、ベアトリーセと響から応答は無い。本当に勝利を確信している者は易々と自分が勝てるだなどと口には出さない。もしも二人から勝てるという言葉が出たら首に縄を掛けてでも連れていくつもりだった。
「ルイーズ 夏の全国大会の準決勝で、貴女は黒森峰の隊長と副隊長を単騎で食い止め、私と零さんを送り出し、助けてくれましたね」
「えぇ……」
「だから今度は、私が貴女を送り出す番です。門野さん、椿さん 後はどうか宜しくお願いします」
「承知した」「了解です」
「さぁ、ルイーズ 早く行って! プラウダはもうそこまで来ています」
プラウダの戦車達の内燃機関の轟音が徐々に大きくなっている。ここで自分がまごついていてはベアトリーセと響の決死の覚悟を無駄にする事になりかねない。苦渋の決断をルイーズはマイクに絞り出す。
「――了解 クローバー、ドクダミの両チームはこの場に残って戦闘を継続。だけど……ベアトリーセ、響 仕事が終わったら、早く合流しなさい。貴女達の分の獲物は取っておくから」
「えぇ、全てが終わったらすぐに合流します」「ありがとう、ルイーズさん」
こんな時でも、自分達の帰還をルイーズは気遣う。帰還がまず不可能な任務である事は誰もが承知している。だが、その一言がベアトリーセと響には嬉しかった。
最早相手との距離は800mを切った、プラウダの六両は野獣の吐息のように排気煙を燻らせ、内燃機関の轟音を響かせながら近づいて来る。
「思った通りだ、KV-2とISU-152は相当のダメージを負っている。流石はレオンティーヌさん、苦戦しつつも与えられた条件下でパーフェクトな仕事をする」
「ええ、雨滴が岩に穴を穿つが如く。全く素晴らしい腕前です。ですが、響さん……」
ベアトリーセは少し申し訳無さそうな声色で響の名を呼ぶ。自分達の二両のⅣ号突撃砲はクルー全員がプラウダと刺し違える覚悟でいる。だが、響達のドクダミチームは黒森峰と大洗と戦った全国大会の準決勝と決勝で一番最初に撃破されており、彼女達がしまなみで最初にやられてしまうジンクスをこのエキシビションマッチで払拭しようと意気込んでいた事をベアトリーセは気にしていた。
「分かってるよベアトリーセさん、しまなみの死番はドクダミでないと務まらない。皆がここまで御膳立てしてくれたんだ、私達は私達にしか出来ない役割を果たすまでだ」
「……ありがとうございます、響さん。ですが、今日の死番は『私達も』ですよ。黒森峰と戦った時みたいに先には行かせませんからね」
プラウダの戦車達の履帯がもたらす地響きが地面と大気を伝播して伝わってくる。おそらく回転砲塔では無いⅣ号突撃砲が相手であれば、プラウダは接近戦でケリを付けようとするだろうとベアトリーセは推測していた。
「響さん、合図で敵の懐に一気に踏み込みます。KV-2とISU-152の先程指定した箇所へ砲撃を浴びせれば、あの化け物のような戦車達から白旗が揚がる筈です」
「了解、どっちみち遠距離戦で止めを刺せる相手じゃない。前陣速攻は本業じゃないけど、やるっきゃないか。ベアトリーセさん、リズムを合せて行こう」
「了解です!」
もう相手は間近まで来ている、ギチギチという百羽の凶鳥の鳴き声のような履帯の軋み音も聞こえて来た。
最早後戻りは出来ないしするつもりも無い。二両のⅣ号突撃砲のクルー達に緊張が走る。
「さぁ来い、プラウダのちっこいの。お前が私の隊長に片膝をつかせる程の相手か、このⅣ号で確かめさせてもらう」
「勝負は一刺しで決まる…… 見ていて下さい。ルイーズ、零さん!」
それから間もなく、一気に飛び出したドクダミチームとクローバーチームの二両のⅣ号突撃砲はプラウダの戦車隊の懐深くに飛び込んだ。KV-2は砲塔の回転に時間が掛かり、ISU-152は側面に回り込まれたら絶望的である。援護に回る二両のT-34/85とIS-2を巧みに躱し、回転砲塔を持たない突撃砲である事を忘れさせるようなスライドコントロールと抜群のエイムを駆使し、追い詰められても尚必死の戦いを続けるKV-2と二両のISU-152から白旗を揚げさせたのだった。
時刻も昼前だ。戦車道連盟の回収車が来るまでの間、二両のⅣ号突撃砲とKV-2、ISU-152のクルー達は互いに昼食用に用意していた軽食を持ち寄りしばし談笑を楽しんでいた。
「お、美味しい! このおにぎり美味しすぎる……」
「んだんず、もっとけ! おづけもあっから!」
「わいはぁ、どんだば! この羊羹とサンドイッチ、たんげめぇなぁ~」
響達ドクダミチームはアリーナ達から青森のお米で作ったおにぎりをもらい、アリーナ達は響達からもらった愛媛銘菓の羊羹とバゲットサンドに舌鼓を打つ。
「宜しければ、食後のコーヒーとクッキーを持って来ていたんです。プラウダの皆さんのお口に合えばいいのですが」
「ひゃ~こんな美人さんにお酌してもらうなんてもったいないべな~」
「ふふ、プラウダの皆さんはお上手ですね。このアップルパイもとっても美味しいですよ」
ベアトリーセ達クロバーチームはニーナ達に食後のコーヒーとクッキーを振る舞い、ニーナ達はおやつにと準備していた青森林檎の手作りアップルパイをベアトリーセ達に振る舞う。
互いに死力を尽くして戦い合った仲だ。戦車道という疑似的な命のやり取りを経て、今の彼女達には最早敵味方の区別は無い。心地よい疲労感に互いが用意していた食べ物の美味しさが五臓六腑に沁み渡り、硝煙と排気煙に煤けた互いの笑顔がとても輝いて見えた。
世界中の女の子が戦車道をすれば、きっとこの世界から戦争なんて無くなる―― 戦車道の試合の後、ベアトリーセはいつもそんな気持ちになる。だが武器を手にして以来ひと時も戦火の絶えた事が無い人類の歴史を思い、骨の髄まで戦車道に染まった夢想家の戯言だと自嘲的な気持ちにもなってしまう。
晩夏の澄み切った青空を見上げ、ベアトリーセは今も戦っている仲間達の武運を祈る。
夕立の遠雷のように聴こえる砲声は未だ途切れる事は無く、更に激しさを増していくのだった。
「――こちら隊長車、了解です。クローバーとドクダミの皆に怪我が無くて安心しました。ルイーズさん達は引き続き大洗市街地でプラウダの要撃をお願いします」
「了解よ。零、こちらは心配無用。門野と椿と一緒に上手く捌いて見せるから貴女は自分の仕事に集中して。後で合流しましょう」
「了解です。ルイーズさん、宜しく頼みます。それから、どうか気を付けて」
「そっちもね、零。交信終わる」
ルイーズとの交信を終え、零は少し深呼吸をする。
その頃零達はゴルフ場の地形に身を隠し、西住まほが率いるゼーフント隊が姿を現すのを待ち伏せていた。
西住まほのゼーフント隊は残り四両、それを迎え撃つ零と杏が率いる大洗・しまなみ合同隊は合計八両。数の上では此方が上回っており、地理に明るいメンバーが揃っている。何より遮蔽物の少ないゴルフ場は待ち伏せに絶好の場所だ。捲土重来、正面から砲撃を加え、更に両側面から強襲を行い挟み撃ちにしようという算段である。
「烈ちゃん、西隊長との通信は回復した?」
「駄目だよ零ちゃん、何度も呼び掛けしているけど、んーともすーとも言わない」
「そう……」
「黒森峰本隊と対峙している大洗の本隊も苦戦しているようだし、知波単と聖グロリアーナの動向が分からないのはどうにも困ったわね。それに、黒森峰の追手を巻く為に木を何本か倒して来たけど、一体どれだけ持つか」
操縦主の陸奥原が心配そうに話す。零達は撤退の際に時間稼ぎの為に林道沿いの木を何本か倒して来ていた。だがⅢ号戦車ならともかく、50トンを超える車重のティーガーⅠに対して倒木程度では何の足止めにもならない事はよく分かっていた。
「零ちゃん、どう思う? 西住さんのお姉さんはこのゴルフ場を通るかな?」
「そうだね…… 黒森峰が二手でこっちを攻める作戦を取るなら、大洗本隊と戦っている大貫橋方面の黒森峰本隊に早々に合流するのは考えにくいし、海側はプラウダ高校のテリトリーだから他校の猟場を荒らそうとはしないと思う。多分、まほさん達がこのゴルフ場を突っ切るのは正解だと思う」
「ほほう、零ちゃんがそう言うなら大丈夫だね」
零の言葉に安心したように装填手の紅城もぱっと笑みを浮かべる。が、紅城は先程から零が何やらきょろきょろもぞもぞ身じろぎしている事に気が付いた。
「零ちゃん、どうかした? どこか具合悪いの?」
紅城が心配そうに零に聞く。
「ううん、平気だよ。でも、何だかさっきから誰かに見られているような、触られているような気がしちゃって……」
「しっかり頼むわよ、零。そろそろ会敵予想時刻よ。二人とも気を引き締めて」
「あらあら 怖い狐が見張っているというのに、お友達を連れて呑気にゴルフ場をピクニック? それにしても、友軍の為に戦力の半分を割いて救援に向かうだなんて…… さすがは零、お人好しも相変わらずのようね」
数ある戦車の中でも随一の登坂性能を持つチャーチル重戦車を駆使し、大洗町内をぐるりと見渡す事が出来る高台の磯浜海防陣屋跡を獲った聖グロリアーナの本隊。到着後直ぐに観測点と狙撃陣地を構築し、偽装網を被せて完璧な擬装を施した戦車の砲塔上に佇むダージリンが妖しく微笑む。ゴルフ場で西住まほ達を待ち構える零達の動向は見張り役のクルセイダー隊からリアルタイムで報告を受けており全て筒抜けであった。
「そして、窮地に陥った大洗の別動隊を無傷で救い出し、あまつさえあの西住まほさんが乗るティーガーⅠとの一騎打ちを振り切った……」
「あら、アッサムも興味をそそられるのね」
「ええ、ダージリン。卓越した選手である事は分析からよく存じておりましたし、警戒もしていましたがまさかこれ程とは…… プラウダを残り三両まで追い詰めたしまなみの別働隊も気になります。隊長、最早お戯れはご無用かと」
しまなみを警戒し、不測の事態が無いようにアッサムがダージリンに釘を刺す。先ほどの知波単との戦いの時は見え見えの陽動にわざと乗っていたが、同じような気まぐれを起こされては困るという事だ。
「こちらから仕掛けますか?」
「当然。恋も戦争も大事なのは先手必勝の精神よ、オレンジペコ」
紅茶を飲み終えたカップをソーサーに置き、しなやかで優美な身のこなしでダージリンが車長席に腰掛ける。
「さて、まずは可愛い兎を巣穴から追い出さなきゃね。ローズヒップ以下クルセイダー隊はゴルフ場の大洗としまなみの動向を警戒しつつ座標のリアルタイム伝達を」
「かっしこまりでございますわー! ダージリン様! バニラ、クランベリー、ピーチ! 気合入れていきますわよ!」
ローズヒップの溌剌とした返事にアッサムは本当に大丈夫かとやや不安そうである。だが、人は仕事を与えてやらせて経験させなければ自信も成長も教訓も何も得る事は出来ない。何より彼女達にこの重要な役目を与えたのはダージリン自身だった、
「ルクリリ達は手筈通りに私達とゴルフ場への間接射撃を敢行。ニルギリとロータスも準備はよろしくて?」
「了解致しました、ダージリン様。ルクリリ隊以下三両、砲撃準備完了です!」
「こちらニルギリ、砲撃準備はすでに整っています。ダージリン様、いつでもご命令を」
「砲撃陣地の防備は万全です。こちらロータス、ニルギリ様には指一本触れさせません」
自らの愛する姉妹達からの準備完了の報告にダージリンの口角が上がる。戦闘開始前の静寂と、それを一刻も早く破りたい衝動。ウィーン・フィルオーケストラの指揮者でもこの高揚感は得られまいとダージリンはいつも思う。
「さぁ皆、大洗としまなみに本物の混沌を見せてあげましょう。全車両砲撃開始」
大袈裟でも無く、何の衒いも無い静かなダージリンの号令で、聖グロリアーナの五両の戦車から空を流れる流星のような曲射弾道の砲弾が放たれた。
「こちらアヒル! 黒森峰のⅢ号戦車三両とティーガーⅠを視認!」
「来た! 了解だよ、磯辺ちゃん。みんな、まだ撃っちゃダメだからね! ギリギリまで引き寄せて必殺ショットでやっつけるよ!」
杏の号令で各車両の砲手が全神経を集中させトリガーを引き絞る。しまなみの隊長車、strv m/40Lの車内で零も照準器を覗き砲撃の合図を待つ。
そこに、先程よりも強い違和感。まるで傍から誰かに見られているような視線と、体を触られているような感覚に零はぞくりとした悪寒を覚える。とっさに砲塔の上部ハッチを開き辺りを見回すと、辺りには映画で聴いたような何かが空気を切り裂く飛翔音が響き渡っていた。零は総毛立ち、急いでハッチを閉めてマイクに叫ぶ。
「上からの攻撃です! 全車両、緊急回避!」
零の声に反応し、操縦主の陸奥原は咄嗟にギアをリバースに入れて全速で後退する。その直後、凄まじい爆音と閃光が辺りに響き渡った。
「ぐっ…あっ……」
凄まじい衝撃が車両の内部まで伝わり、零は体中をあちこちに打ち付けながらも必死に肢体を保持する。爆音のせいか耳鳴りが止まない。だが、ここにいたら危険だと本能が騒ぎ立てる。
「いたた…… 二人とも、怪我はない?」
「な、なんとか……」「こっちも同じくだよ、零ちゃん……」
「大垣ちゃん、大丈夫!? なんかすっごい音がしたよ って、うわ!」
「こちらアヒル! 敵からトップアタックを仕掛けられています! うわっまた来る、回避!」
続々とゴルフ場に陣取っていた各車両から悲鳴のような無線が舞い込む。零は一先ず陸奥原と紅城に落ち着くよう促し、遮蔽物の多い林沿いまで車両を後退させる。
「こちらキキョウチーム、各車両状況を報告」
「こちらアマリリス、オニユリチームと之字運動を行いつつ後退中。まずい、黒森峰のマークが外れた…… 零達を襲った砲弾とは別の弾も飛んで来ている!」
「零隊長、こちらユズリハです! ガーベラチームと後方のバンカーまで後退しました」
ソミュアS35を駆るユズリハチーム車長の朝河も僚車のガーベラチームを伴い後退したものの、何処から砲撃されているのか全く分からない。その上ソミュアは車長が砲手も兼任している為、砲塔から身を乗り出して敵を警戒していると砲撃が出来ない。両手を塞がれているような状況に朝河も苛立ちを隠せずにいた。
「くそっ このままでは……」
「潮美ちゃん、危ない!」
自分達を襲ってくる先程とは違う砲弾の飛翔音を察知して、ガーベラチームのソミュアS35がユズリハチームを庇うように車両を右に動かし必死に押し退ける。次の瞬間、凄まじい爆音と衝撃と共にガーベラチームのソミュアS35が爆炎に包まれた。
「うわぁー!!」
まるでドラムの中で叩かれているような衝撃と音が、砲塔のハッチから車内に転がり落ちてしまった朝河を襲う。これまで体感してきた砲弾とは全く異質なものが空から降ってくる、しかもどこから狙われているのか分からない砲撃まで襲ってくる。戦車乗りにとって正に悪夢のような事態が現在進行形で進んでいた。
「う……ん み、皆無事だな…… はっ、大丈夫か四葉!」
朝河がソミュアS35のハッチを開け、外に身を乗り出すとぶわっと厚のある熱風が吹き付けてくる。目の前に見えるのは車両後部の動力室に直撃弾を受けて白旗を揚げて大破炎上する僚車の姿だった。
「けほこほ…… 潮美ちゃん、こっちは大丈夫~ でもカーボンコーティングが無かったら死んじゃってたかも~ すみません隊長、撃破されちゃいました~」
間延びした荒川らしい声で無事の報告が入り、朝河も報告を受けた零もほっと胸をなで下ろす。だがほっとしたのも束の間、どこからか砲弾が飛んで来て車両を掠るか至近弾となり緑が美しいフェアウェイにクレーターを作っていく。
「ダージリン様! ニルギリ様! ソミュアS35一両の撃破を確認! お見事様でございますわー!」
「ローズヒップ、ラグが発生してる! 戦果報告はいいから敵車両の座標報告に集中なさい! この作戦は砲撃レートが下がったら全て台無しなのよ!」
高揚した声色で撃破報告をしてきたローズヒップに対し、アッサムが檄を飛ばす。
「ふふ… 零、いかがかしら? 『グロリアーナのオルガン』の音色はお気に召しまして?」
かつての大戦中、ロシアで運用されていた多連装ロケットによる攻撃は味方も恐怖する程の威力を誇り、戦場でそれを味わったドイツの兵士達は発射音から「スターリンのオルガン」と言って恐れたという。
飛来するビショップ自走砲の砲弾によるトップアタックの凄まじい破壊力。そして敵を一方的に砲撃出来る間接射撃を駆使したこの戦法はゴルフ場という遮蔽物が少ない場所で戦う零達を混沌と窮地に追い込んでいた。
「凄い弾薬の投射量だけど、照準と砲撃に何故かタイムラグがある……? 車両を回避運動させてたら当たらない、だけどこれじゃ正確な照準が出来ない!」
零は陸奥原に回避運動を絶やさないように命じる。だが、この状態では車両が砲撃で荒れた地面で上下左右に揺さぶられ、ジグザグ運動などした日には正確な照準など不可能に近い。更に、少しでも車両を静止させれば雨あられのように砲弾が飛んでくる。
「ひゃぁぁぁ! もうダメだー!! 前後左右から砲撃を受けている! うにゃー! やられたー!!」
「や、やられて無いってば桃ちゃん! しっかりして! しっかりしてったら!!」
「河嶋…… 表へ出ろ」
「はぃぃぃ!?」
一人パニックのどん底に陥り、無線で狼狽振りを流し続けている河嶋に、聞いたことも無いような杏の低い声で指令が下る。とうとう見捨てられたかと河嶋が絶望の表情を浮かべていると、すかさず杏のフォローが入る。
「河嶋、お前は目と耳が良い。普段、自分への陰口を決して見逃さず聞き逃さないお前なら、絶対にこの謎の砲撃の投射位置が判るはずだ。だから、落ち着け河嶋。お前ならやれる。お前にしか出来ない。お前の力で皆を救うんだ」
じぃっと河嶋の眼を数センチの距離で見つめながら、優しく杏が河嶋に言い聞かせる。すると、先程の狼狽振りが嘘のように晴れ去り、自信満々・張り切った表情で河嶋が声を上げた。
「お任せ下さい会長!! この河嶋桃、会長と柚子ちゃんと皆の為に喜んで命を捧げます! もしも死んだら骨は大洗の海に撒いて下さい!」
「「いやいや死んじゃダメだったら!!」」
「それでは行って参ります!」
どこから取り出したのか頭にハチマキを巻いて嬉々とした表情でハッチをバーンと開けてその身を外に乗り出した河嶋に杏と小山が両ツッコミを入れる。杏は杏で、ほっとしたような表情で干し芋をかじり、小山は杏と河嶋の主従関係もとい絆の強さを改めて実感する共に、もしやあれは精神支配というものなのでは……と、一抹の不安を感じるのだった。
その頃、ゴルフ場で零達との再戦を待ち侘びていた西住まほ率いる黒森峰ゼーフント隊は思わぬ足止めを食らっていた。
「西住隊長、これは一体……」
「これが聖グロリアーナの新戦術か…… 入間、それに皆。下手にゴルフ場を進めば砲撃をもらう可能性がある。決してこの場を動くな」
一応ダージリンにはこちらの位置を無線で知らせているので誤射の可能性は低いとはいえ、こんな状況で突っ込めば不測の事態を招く可能性もある。西住まほは冷静な指揮官であると同時に一人の高潔な戦車乗りだ。他校の独壇場で漁夫の利を狙う気にもなれず、只その目の前の光景の成り行きを見つめていた。
「ひいぃぃ! ひえぇぇぇ! わぁぁぁぁん!」
そんな中、河嶋は砲弾が飛び交う中を必死に目を凝らし、耳を澄ませる。自分の目の前を砲弾が飛んでいくという、一生の内に経験する事が無いような状況の中、河嶋の研ぎ澄まされし地獄耳は遂に敵の居所を察知した。
「敵の砲撃音を確認! 位置は……磯浜海防陣屋跡と大洗海岸と推測!!」
「よっし、でかした河嶋! 大垣ちゃん、無線聴こえてた? ここいらで私らも一丁反撃といこうか」
「了解しました、角谷さん!」
「零、この場のしんがりは私達が務める。貴女は早く皆と一緒に後退して」
「ズルいよ、マルティーナ! 隊長サン、オニユリチームも一緒に残りマス!」
「おっと、私達も忘れられては困るな。マルティーナ、カバさんチームも残るぞ。会長、そして大垣隊長。この場はどうか我々に任せてもらおうか」
「分かった、頼んだよ!」
直ぐに返事を返した杏をよそに、零は返答が出来ない。船の艦長と同じで、学園艦に何かがあった時に退艦するのは生徒会長である自分が一番最後だと心に決めている。戦車道でもそれは同じだ。仲間を置いて行けないという気持ちが言葉を出なくさせていた。
「――零、心配しなくても私達はまだこんな所でやられはしない。私達は、今私達がやるべき仕事をやり遂げたい。だから、先に行って私達を待ってて」
「シンガリは乙女のホマレ! 最高のダンスを黒森峰のヤツらに見せてやりますヨ! 隊長サン!」
零は二人の言葉を静かに聴く。きっと二人は帰ってこない――そんな予感が頭を過る。だが、覚悟を決めた二人を自分は自分の声で隊長として送り出さねばならない。
「了解しました。アマリリス、オニユリの両チームにしんがりを任せます。カバさんチームの皆さんも、どうか宜しくお願いします」
「ありがとう、隊長」
「オブリガーダ! 隊長サン!」
「桔梗の君からお言葉を頂けるとは光栄だ!」
回頭し、後退していく零が乗るstrv m/40Lをマルティーナはサムズアップで見送り、零もまたサムズアップで応えマルティーナ達を見送る。そういえば、全国大会の決勝の時もこんな感じで零を見送ったなとマルティーナはふと思い出す。零達を見送り、マルティーナは深く息を吐く。
「ふぅ うちの隊長さんはどうにも優しすぎて困るわね。偶には角谷さんみたくスパっと任せてくれてもいいと思うんだけど」
「でも、それだけ私達を大事に思ってくれているって事だし、そこが隊長サンのいい所だヨ。でなきゃ、マルティーナも私もシンガリを買って出たりしないもんネ!」
「当然。もう零にだけ重荷を背負わせはしない。それに……エレナと磨きに磨いたロッテ戦術で、エルヴィン達と一緒に黒森峰の西住まほに挑めるなんて機会はもうこの先無いかもしれないし」
エレナの言葉に、マルティーナもふんすと息荒く応える。マルティーナもエレナも、まだ戦車道を始めて半年に満たないが、修練を重ね幾多の修羅場も乗り越えて来た。これだけの大舞台を前にすれば否が応にも戦車乗りの血が滾る。
「嬉しい事を言ってくれるな、マルティーナ。ならば今この時、我ら喜んでこの槍を捧げよう!」
エルヴィンの声に応えるように、Ⅲ号突撃砲の長砲身7.5cm砲が猛将が持つ業物の槍のように黒く不敵に輝く。全ての準備は整った。
「キタ! 黒森峰がスタートしたヨ! マルティーナ!」
遂に動き始めた西住まほ率いるゼーフント隊の動きを察知したエレナが声を上げる。と、そこに聖グロリアーナが放った砲弾の飛翔音が聴こえて来た。
「この時を待っていた! エレナ、エルヴィン! 行くよ!」
「あいヨ相棒!」「jawohl!」
「西住隊長、前方にM15/42中戦車二両と三号突撃砲一両を視認! こちらに向かって来ます!」
三両のⅢ号戦車による楔形隊形の先頭車両の車長よりまほに無線が入り、各車に緊張が走る。更に聖グロリアーナのビショップ自走砲の砲弾の飛翔音まで聴こえて来た。
「了解。聖グロリアーナによる砲撃に注意しつつ、我ら四両で出迎える」
その直後、飛翔してきた聖グロリアーナの自走砲砲弾がフェアウェイに着弾し、辺りに轟音と衝撃、そして爆炎と共に舞い上がった砂煙に辺り一面が覆われる。
と、その砂煙の中から一両のM15/42が飛び出して来た。
「はっ 砂煙でこちらを欺いたつもりか!?」
おそらくもう一両が反対側にいてこちらを挟撃するつもりだ、素人上がりにしては手の込んだ真似をすると前衛の三号戦車の車長を務める一年生は予測する。だが、彼女は先程の籠城戦で相棒を撃破され気が立っており何が何でも溜飲を下げようと躍起だった、それ故に今年の全国大会の後、先輩である飛騨エマが上げていた報告書の内容を失念していた。
瞬間、一両だと思っていたM15/42の後ろからもう一両のM15/42が姿を現す。動きを完璧にシンクロさせて二両の戦車を一両に見せるマルティーナとエレナのコンビが生み出した離れ業だ。
「嘘だろう!? はっ しまった、車両急速転回! 左に向けろ!」
「駄目です、間に合いません!」
不意を突かれた三号戦車の車長は対応が一瞬遅れた。だが、その一瞬を得られただけで、マルティーナとエレナには十分だった。
「今更気付いたって、もう遅い!!」
並走しながらⅢ号戦車に向かって突っ込んで来るM15/42の二門の47mm対戦車砲がすれ違い様にⅢ号戦車のターレットリングに向かって放たれる。轟音と着弾煙が晴れた時、そこにはギチギチと金属音を立てて回転不能になったⅢ号戦車の砲塔が姿を現した。
「よし、主砲は縫い付けた。後は任せたエルヴィン!」
「心得たマルティーナ、左衛門佐! 目標正面のⅢ号!」
「二人とも任せろ! 乾坤一擲、今度は捉えて見せる!」
Ⅲ号突撃砲の7.5cm砲から放たれた直球の砲弾が車両正面に着弾し、息絶えた獣のようにがくりと動きを止めたⅢ号戦車より白旗が揚がった。二両のM15/42中戦車とⅢ号突撃砲の目が覚めるような鮮やかな連携プレーに観客達からもわっと歓声が上がる。
「ほう、あれが飛騨の報告にあったしまなみのロッテ戦術の使い手か。Ⅲ突とのコンビネーションといい素晴らしい……」
「感心してる場合じゃ無いですよ隊長! あいつらこっちに向かって来ますよ!」
落ち着いた様子のまほをよそに、入間の慌て声の通信が入る。
「M15/42は私達で引き受ける。どうやら彼女らのお目当ては私達のようだからな」
「ならば私達はⅢ突を狩ります。援護します、隊長」
「了解した入間、頼んだぞ。全車、panzer vor!」
まほの戦車前進の合図で、主の腕から放たれた鷹狩りの鷹のように二両のⅢ号戦車が散開し、最大戦速で突進して来るM15/42とラインが交錯する。
「エルヴィン、二両のⅢ号がそっちに行った。警戒して!」
「了解した、わざわざ我らのキルゾーンに踏み込んで来てくれるとはな。歓迎しよう!」
「エレナ、背中は任せた!」
「了解、マルティーナ キヨマサモードでイクよ!」
目の前の巨大な鋼鉄の城、虎の名を持つ世界最強の重戦車。被弾すれば即白旗であろう8.8cm主砲の砲弾を頬が掠るかと思うような紙一重で躱し、度胸の片道切符を頼りにその懐に一気に飛び込む。
50トンを超過する戦車とは思えないような滑らかな車両捌きにマルティーナは思わず見入ってしまう、まるで猫科の猛獣のような敏捷性だ。高校戦車道きってのティーガー乗り達が操る戦車を、二両の戦車を駆る若武者達が大胆な連携機動で追い込んでいく。
「エレナ、左ターン!」「あいヨ、ほいっとナ!」
合図で後方に位置していたオニユリチームのM15/42が車両後部に軽く車体を当ててマルティーナの車輛を高速でターンさせる。まるで機織りのようにラインを交錯させ緑色のフェアウェイに美しい軌跡を描く。
ローマの剣闘士のように、相手の斬撃を払い、往なし、跳ね返す。砲が剣となり、装甲は防具、履帯は足だ。
西住まほ相手に距離を取って戦う事は出来ない、精々弾切れになるか射撃の的になるだけだ。スペックで劣る戦車が勝機を掴むのであれば接近戦に持ち込む他ない。だが、まるで一秒が一分に感じる。早く終わらせろと本能がざわつく。時間を掛ければ掛ける程、チャンスは砂時計の中の砂のように減っていくからだ。
「僚車との滑らかな連携と、ダンスのような大胆な車両機動…… 面白い乗り手達だ」
幾度も斬り結ぶ中、まほは冷静に相手の弾筋を見切り、砲撃を往なしつつ思惟する。もしも彼女達が黒森峰に所属していたら優秀なパンター中戦車乗りとしてレギュラー入りは間違い無い。それ程の腕だ。
「だがしかし、私達の前に出るにはまだ早いな」
「ティーガーの動きが変わった……? 嘘っ は、速い!?」
突然、猛烈に回転数を上げるティーガーⅠの内燃機関の音が響き渡り、ギアが切り替わったように50トンを超過する戦車と思えないような鋭い旋回でマルティーナとエレナを翻弄する。ほんの数十秒間だけ許された、手練れ揃いの西住まほのティーガーⅠだから可能な限界を超えた極限機動だ。
「くわぁ!」 「エレナ!」
エレナ達が乗るオニユリチームのM15/42がティーガーⅠのフルパワーのタックルを受けて砕かれた転輪を巻き飛ばしながら横転し白旗を揚げる。更に機動力で勝るマルティーナが駆るアマリリスチームのM15/42を強引にオーバーシュートさせてティーガーⅠの主砲の目の前に引きずり出す。
「終幕だ、Feuer!」
「がふっ!? こんっのぉ 負けるかぁ!」
M15/42の正面にティーガーⅠからの絶死の8.8cm砲の砲弾を食らって、水泳の腹打ちのような衝撃が砲塔から身を乗り出したマルティーナを襲う。だがそれでも白旗は揚がらない。結局、ティーガーⅠがM15/42から白旗を揚げさせたのは三発目。その不撓不屈を体現するかのような戦いぶりに、観客の誰もが息を飲むのだった。
「あー…… 空が青い……」
8.8cm砲からの三発目を食らって、横転したM15/42から投げ出されたマルティーナはゴルフ場のふかふかの芝に身を横たえながらぼんやりとした頭で澄み切った空を見上げていた。
「頭は、打ってない…… 骨は、折れてない……」
ハイの頂点を極めていた直後で頭がちっとも働かないが、マルティーナは自身の状態をのそのそとセルフチェックを行う。投げ出された先が柔らかいベッドのような芝だったのが幸いしてか、どこにもダメージは無さそうだ。
「大丈夫か!?」
駆け足の足音が聞こえ、声のする方向に頭を向ける。
「西住、まほ…… はっ み、みんなは!? い、痛ぅ……」
「待て、慌てて動くな。足だな、軽い捻挫といった所か。君たちの車輛の乗員も、僚車とⅢ突の乗員も皆無事だ。だから安心しろ」
自らの状況と、仲間達の状況を伝える西住まほの言葉にマルティーナも胸を撫でおろす。カバさんチームのⅢ突も向こうで車両後部から煙を上げ擱座していた。だが、入間アンナの相棒のⅢ号を道連れに撃破していたのは流石といった所である。
「全く、無茶をするな。8.8cm砲を正面で三発受けて耐えたのは君らが初めてだ。肩を貸そう、立てるか?」
「このくらい、全然平気…… って、うわ!?」
「下手な強がりはよせ。戦車から投げ出されたんだぞ。黙って先達の言う事を聞け」
強引に西住まほに引き起こされて肩を貸される。マルティーナ自身としては少し足を挫いたくらいだと思っていたのだが、妙に説得力があるまほの言葉と雰囲気になすがままになってしまう。
「何で、こんな真似を……」
マルティーナは純粋に疑問に思いまほに問う。黒森峰と言えば、勝利を至上としている高校戦車道日本最強の学校だ。自身も夏の全国で互いに刃を交えてその戦いへ赴くストイックなまでの気高さや勝利への姿勢は身をもって知っている。だが、撃破した相手を介抱する今の姿は想像できなかった。
「戦いが終われば、敵も味方もあるまい」
まほはマルティーナの問いに短く簡潔に答える。そこには偽りも衒いも何も無い。零が戦車道の権化と言っていた西住まほの高潔な心そのままの言葉にマルティーナには感じられた。
「そう その…… ありがとう」
「なに、当たり前の事だ。気にするな」
よたよたとしたマルティーナを支えながら、まほは横転したM15/42までゆっくりと歩く。先程まで互いに死力を尽くして戦い合った人間に肩を貸されて歩いている。何だか妙な気恥しさを覚えつつ、マルティーナはまほに素直に礼を述べるのだった。
「よし、これでいい…… じきに連盟の回収車が来る。大事無いだろうが所詮素人の応急処置だ。医務スタッフに後で診てもらって患部を氷水でよく冷やしておけ」
マルティーナの足に冷湿布を貼り、まほは全員乗車の号令をクルーに発する。幸いグロリアーナの砲撃で大破炎上したソミュアS35のガーベラチームの乗員も全員怪我は無く、入間アンナとその僚車のクルー達と談笑していた。
「色々とありがとう、西住まほ隊長。だけど、この借りはいつか絶対に返す。次は、絶対に負けない……」
「あぁ、楽しみにしているぞ。マルティーナ・ビアンケッティ。それにエレナ・カルネイロ」
まほがふわりと微笑みを浮かべ、マルティーナとエレナの手を固く握り握手を交わし、颯爽とティーガーⅠに乗り込む。
そうして二人は、内燃機関の轟音を響かせながら去っていくティーガーⅠとⅢ号戦車を見送っていた。
「あーぁ、悔しいなぁ……」
「そうだネー……」
珍しく返す言葉も少なく、精魂尽き果てたような様子の相棒のエレナの肩に頭を寄りかけながら、マルティーナが呟く。
全力を尽くしても勝てなかった事を思えば悔しくて当たり前だ。だが、最高の戦車乗りを相手に仲間と全力を尽くせたからこそ得られる達成感や充実感もある。戦車道はいつだって勝っても負けても面白い――マルティーナはもう次の試合でどう戦うかを考えていた。
「とりあえず、お腹すいた……」
マルティーナがぽつりと零した一言を聞いて、チームの皆が思わず噴き出す。
総勢六校の絢爛たるエビシビションマッチは、終演に向かって更に加速していくのだった。