「ペパロニ! 一番テーブルさん、柑橘のジェラート二つとブドウジュース追加だ!」
「了解ねーさん! アマレット、十番テーブルさんのマルゲリータと鯛のカルパッチョ上がったぞ!」
「うぃッス、ペパロニ姐さん」
「おーいジェラート! 三番テーブルさんのジェラート早く持ってけジェラート~」
「オゥてめぇパネトーネ、わざと言ってるだろそれ!」
正午を前に活気づく、大洗のエキシビションマッチの観客席の一角に設けられたケータリングコーナーではアンツィオ高校の戦車道チームも出店しており、更なる戦力拡充と大洗戦で損傷したP40重戦車の修理費用獲得の為、その料理の腕を存分に振るっていた。
「ごきげんよう、安斎さん」「お久しぶりアンチョビ、遊びに来てあげたわよ」
「おぉ、誰かと思えばマドレーヌにヤイカじゃないか! よく来てくれたな! さぁさぁ、このテーブルに掛けてくれ。美味しい物を沢山準備して待っていたからな! 飲みと話しならこのドゥーチェアンチョビが直々にお相手するぞ!」
どんなに忙しい時でも、アンチョビは来客をとろけるような笑顔で迎える。それでいて、周りをまるで背中に目が付いているように細かい所まで気を配り目を配り、店を回し、客を楽しませ、満足して帰る客達をとびきりの笑顔で見送るのだ。
「ドゥーチェ、そろそろお昼のラッシュが来ます。接客は私達が引き受けますので先にお昼を済ませてはいかがですか? パニーノと飲み物を準備しておきましたので」
「おぉ、済まないなカルパッチョ。それじゃ、少し甘えるとするか」
開店から働きづめだった自身を気遣う後輩の言葉に甘えて、アンチョビはケータリングカーのタラップに腰掛けてしばしの休憩を取る。
「お疲れ様っす、ドゥーチェ!」
そう言ってペパロニが笑顔でハムとチーズと新鮮な野菜を挟んだパニーノとレモネードを差し出して来た。
「あぁ、ありがとうペパロニ。ふぃー 天気は晴朗、店は繁盛。全く最高の一日だな」
そう言って満足気に笑顔を浮かべたアンチョビがパニーノにかぶりつく。
普段は母校の屋台で腕を磨き、こうした戦車道のイベントにも足繁くケータリングトラックで参加して観客達の胃袋を満たしている彼女達は踏んだ場数が半端ではない。それ故に料理の腕と飲食業の運営ノウハウは大人顔負けだ。だが、その凄まじい料理に対する情熱と頑張りが中々戦車道に向かはないのが少々玉に瑕ではあった。
「そうッスね姐さん それに、今回は他校とのコラボも大当たり! 大洗の干し芋ジェラートにあん肝パスタ、しまなみの柑橘ジェラートと鯛のカルパッチョ。あ~もう最高っすね、なんなら毎月やってくれないっすかね~エキシビションマッチ♪」
笑顔で食事を楽しむお客さんで満席になったテーブルを眺めながらペパロニが上機嫌に話す。
昼を待たずして満員御礼となったテーブルの間を、みずすましのようにてきぱきとアンツィオの生徒達が料理を運ぶ。その活気とお客さんの笑顔が溢れるその様子は正に盛況そのものだ。
特に今年の夏を制した大洗と、準優勝のしまなみとの特別コラボで準備した料理は大好評で、見る見る内に食材が減っていく。それでも補充は新鮮自慢な地元大洗の食材と、学園艦から直接搬入できるしまなみの柑橘と養殖鯛が特別価格で回ってくるので台所事情が厳しいアンチョビ達にとって正に渡りに船であった。
「うむ、全くもって角谷と零には感謝感謝だ。後でドゥーチェ直々の手料理を振る舞ってやらねばなるまいな!」
上機嫌で笑いながら話すアンチョビの視線の先には、激しい戦いを繰り広げる六校のエキシビションマッチの映像が映る大型ビジョンが見えていた。
「姐さん…… やっぱあそこで戦いたかったですか?」
「んん? 何だペパロニ、藪から棒に」
いつもの快活さとは違う、どこか自分に申し訳無さそうに話すペパロニの声色にアンチョビは小首をかしげて返す。
「いやだって…… 姐さんってあのおっかない黒校の隊長とダチだって聞きましたし、さっきからドゥーチェを訪ねて来るのって全国の戦車道やってる学校の隊長ばっかじゃんすか。色んな大学やプロのスカウトもめっちゃ来てもらった菓子折りやらがさっきからすげぇ山積みっすし…… なんか、私らなんかと一緒にいていい人なのかなーなんて思っちゃったり、後悔してないのかななんて思って……」
ペパロニも只のほほんと日常を過ごしているわけではない。アンチョビが卒業すれば、その後のアンツィオ高校の戦車道は自分とカルパッチョで仕切って行かねばならない。ひたひたと近づくその時を意識するにつれて、どれだけ自分達がアンチョビにおんぶにだっこでやって来たのかがよく分かって来た。
そうして、普段から料理の事しか考えて無い脳味噌の舵を戦車に向かって切って勉強を始めているが、弾道計算の数式に戦車道の戦術の数々と隊長としての心得、果ては600mm砲を備えた自走臼砲など図鑑や教本を見ているだけで頭が破裂しそうになってくる。
そんな中、過去の月間戦車道通信のバックナンバーを読む内に安斎千代美ことアンチョビの名が載る記事が多い事に気が付いた。過去の中学生の大会で幾度も表彰台に登壇し、当時から全国に名を馳せていた西住まほと並び東に安斎ありと言われた名選手。そんな人間が本当にここにいて自分達とつるんでいて良かったのだろうか、ふとペパロニはそう思ってしまうのだった。
「今更何言ってるんだペパロニ、その時の自分が最高の選択をした結果が今の自分だ。私はアンツィオを選んだ事を何一つ後悔なんてしてないぞ」
「え……」
陽光に照らされてアンチョビの翠色の髪が草原のように輝き、屈託のない微笑みを自分に向けるその姿にペパロニは思わず言葉を忘れ見惚れてしまう。
「過去の戦績、勝利数や輝くトロフィーの数々……誰にとっても思い出は美しいもんだ。だけど私はそんな物に浸りたいとは思わない。自分が進むべき道は、自分の足で見つけて選んでいかなきゃならないんだ」
「それにな、お前達と過ごした幾星霜は私にとって何よりの宝物なんだぞ。そりゃまぁ…… 正直苦労もさせられた事もそれに輪を掛けてあったかもしれないけどなっ」
「うぅ…… 今になってドゥーチェの有難さがわかるっていうか、ほんと姐さんには頭が上がらないっす」
アンチョビがペパロニの脇を軽く肘で小突きながら少し嫌味を漏らす。ペパロニも来年はアンツィオの戦車道を引っ張っていかねばならない立場だ。眼前のモニターで繰り広げられている同輩の隊長達の戦いを目の当たりにして少々弱気になっているのかもしれない。
「まぁ、心配するなペパロニ! 普段料理にこれだけ腕によりをかけられるお前だ、このやる気を戦車道に向けられたらもう向かうところ敵なしだぞ!」
「あはは、そうっすかねー……」
当人はそれが出来ないから困っているのである。なんだか母親に将来の夢はと聞かれてバレリーナ! と答えたら、あんたなら出来る!出来る子や! と言われた時のような気分になってしまい、ペパロニは悄然と答える。
「それにな さっさと私なんて追い出して、アンツィオの戦車道は私が番を張って仕切るんだっていうくらいの野心を燃やしたっていいんだぞ、ペパロニ」
「ちょっ、ドゥーチェを追い出すだなんて考えもしないし絶対イヤっすよそんなの! あ、それなら留年してもう一年アンツィオで戦車道しないっすか姐さん! どうせ卒業単位も足りてないんでしょう?」
「アホか! ドゥーチェを侮るな、出席日数も卒業単位もちゃんとクリアしとるわ!」
「うー そうっすか、残念……」
「あ、ペパロニ姐さんにドゥーチェ! すんません、カルパッチョ先輩がお客さんに引っ張りだこで私らだけじゃもう現場はてんてこ舞いっス! すんませんがそろそろ……」
「おっと、長休憩になったか。すまんすまんアマレット、すぐ行く。よし、ペパロニも行くぞ!」
「ハイっす、ドゥーチェ!」
自分達を呼びに来たアマレットの声に、アンチョビとペパロニがてきぱきと仕事に戻る準備を行い彼女達の戦場に舞い戻る。
「おっかない黒校の隊長か…… ふふ、いい顔で戦うようになったじゃないか。西住……」
アンチョビの視線の先には、大型ビジョンに映し出される撃破したしまなみのM15/42中戦車の車長達と固く握手を交わす西住まほの姿があった。全力をぶつけ合い、互いを尊重し合うフェアプレーはどんな競技や武道でも見る人の心を打つ。観客達はそんな選手たちの姿と、息を飲むような戦技のぶつかり合いに惜しみない拍手と歓声を送っていた。
「がんばれよ、みんな……! さぁっ、ここからが本番だ。気を引き締めていくぞお前達!」
炎天の下で戦う選手達と自らの仲間達に激励の言葉を贈り、アンツィオの生徒達が歓声で応える。溌剌とした仲間の声を聴いて自然と口角が上がり、エプロンの紐をきゅっと固く結んでアンチョビは前だけを見据えながら歩く。その表情から漂う穏やかな緊張感と、溢れる士気の高さが周りの者全てを魅了するのだった。
一方その頃。大洗北西部に位置する赤色のアーチが掛かる、涸沼川に跨る大貫橋。その橋の上を鼠という名には余りにも不釣り合いな巨大な体躯の戦車が進んでいた。
遠くに見える丘や住宅地からその侵攻を阻止せんとチカチカと幾つもの砲炎が瞬き、数キロの距離を僅か数秒で進む砲弾が着弾しても、致命弾どころか掠り傷さえ与える事が出来ない。
過去の大戦の末期、戦車大国ドイツで誕生した、まるで陸上戦艦のような威容。黒森峰女学園が保有する虎の子、超重戦車マウスは圧倒的な火力と防御力を大洗の地で存分に発揮していた。
「よし、いいわよエマ! その調子で市街地まで一気に突破、大洗を串刺しにするわよ!」
「了解、副隊長」
張りのある声で隊員を鼓舞するエリカの声に、マウスの車長である飛騨エマが応える。
「くくく…… ふはは! 我こそは力なり! このマウスの全能感、やっぱ堪らないね~ みほさんには悪いけど、ここはパワーで押し通らせてもらおう!」
圧倒的な力を行使する楽しさを堪え切れないような、飛騨の高揚した声が無線を通して響く。
大貫橋から大洗中心地は数キロ程の距離しかない。マウスがいくら数ある戦車の中でも鈍足であると言っても到達までは大した時間はかからない。降り注ぐ砲弾をものともせず、自らの剛力でただ一筋に道を進むマウスは正に黒森峰を体現する戦車と言えた。
「一体なんなのよ、あの戦車は! レオポンさんチームの砲撃でも抜けないなんて校則違反よ!」
「いや~面目ない。レースみたいに性能調整でもないと、ありゃ正面を抜くのはムリっぽいな~」
「ぐぬぬぬ、もはやこれまで! 見ていて下さい、西隊長! 不肖福田、花の如く見事に散ってご覧に」
「あわわわ、ダメにゃダメにゃ! 試合中にヤケを起こすのは大罪にゃー!!」
あまりの装甲の厚さにカモさんチームの車長、そど子こと園みどり子が悲鳴を上げ、それにレオポンさんチームの車長ナカジマが頭を掻きながら申し訳なさそうにあっけらかんと応え、知波単学園から助っ人として大洗に派遣されていた福田のやけっぱちを、アリクイさんチームが車両を前に出して必死に抑える。
「めっちゃ応戦してくるし、相手がなんか殺気立ってるよ~ どどどどうしよう~みぽりん!?」
涙目になってこちらを見つめる沙織の様子を目の当りにしても、みほは一呼吸置いて落ち着いた様子で皆に指示を出す。
「後方の大洗市街地に一時後退します、正面の撃ち合いで堅牢なマウスを相手にするには弾薬が心許ありません。遮蔽物の多い市街地に誘い込み、迂回攻撃で必殺のチャンスを狙います。レオポンさんはあんこうと前衛に、カモさん、アリクイさん、福田さん達は後衛に、聖グロリアーナの回り込みを警戒しつつ友軍との合流を急ぎましょう」
「こちらレオポン、了解!」
「そんな、敵に背中を見せるなど恥辱の極み! 絶対に嫌であります~!」
「いやもへちまもないわよ、西住隊長の命令は絶対なんだからつべこべ言わずに先を急ぐわよ!」
「まぁまぁ 後でいっぱい活躍して、知波単の皆に胸張って自慢したらいいぞな~」
あくまで敵陣へ突撃しようとする福田の九五式軽戦車を囲みながらみほ達は市街地へ急ぐ。
全国大会でもないエキシビションマッチに黒森峰が虎の子であるマウス超重戦車を投入した事への驚きは勿論ある。
だがみほは、自らの姉、西住まほがティーガーⅠとⅢ号戦車四両による潜水渡渉を駆使した迂回戦術で涸沼を越えた事を聞き、少なからず衝撃を受けていた。
そして聖グロリアーナはおそらく戦車道に投入出来る唯一の自走砲と言ってもいいビショップ自走砲を投入して来た。欠陥自走砲とよばれたビショップをここまで有効に活用出来る智謀兼武の将ダージリンと、本隊を後輩に譲り、王道である力押しでは無く泥臭い戦いを選んだ西住まほ。
皆、誰もが変わろうとしている。それに比べて自分は―― 三十両の戦車を統べる大隊長として今日の自分がここにいる。だが自分の薄甘い敵戦力の分析で知波単学園を危険に晒し、そして姉とかつての母校を甘く見た結果、しまなみにその尻拭いをさせてしまっている。
あぁ、まただ と、みほは背筋に悪寒を感じる。みほの心の奥底、墨を垂らした泥水のような後悔の泥沼から、もう一人の自分がまたそこに引きずり込もうとずぶずぶと音を立てて這いずり上がってくる。
「みほさんっ」
「ふえっ!?」
そのまま沈んで行きそうな自分を呼び止めるような華の声に驚き顔を上げると、自分の顔にぴっと数滴の雫が飛ぶ。するとふわりと、心地よく、優しい香りが広がりみほの心を蝕もうとする闇を洗い流す。
「――桔梗の花をイメージしたアロマウォーターです。神社で頂いた湧き水を使って、華道の合間に母と一緒に作ってみました」
華がそっとみほの手に自らの掌を添え、ゆっくりと話し始める。
「大丈夫です、みほさん。今がどんなにつらい状況でも頑張っていればいつか必ず挽回のチャンスは訪れます。しまなみの大垣さんも、知波単の西さんも、今必死になって戦ってくれています。沢山の苦楽を共にする仲間の皆さんが一緒に戦ってくれています。だから私達は、私達の役割を一つずつ、しっかりと果たしていきましょう」
そう言って、ねっ と首を傾けて優しく微笑む華の姿を見て、みほは急激に自分の心が落ち着いてくのを感じていた。そうだ、こんな所で一丁前に落ち込んでいる場合じゃ無い。同時に、むくむくと持ち前の闘争心が蘇って来た。憂いが見えていたみほの瞳に再び力強い光が灯り表情にも明るさが戻る。
「そうだね…… ありがとう、華さん」
華の手にみほが掌を重ね、ふわりと微笑む。この目の前の心優しく、しかしどんな危機も乗り越えられる強さを持っている少女に憂いや曇りなどは似合わない。再び闘志が宿ったみほの瞳を見て、華もほっと胸を撫で下ろす。
「それにしても…… このアロマ、とても素敵で優しくていい香り……」
みほがアロマの香りにうっとりと、魅了されたような表情で呟く。
「ふふ、花の香りのアロマは五十鈴流の新事業でもあるんですよ。桔梗の花はとても香りが繊細なので、これは特別に私の推しをイメージして作ったんです。――きっと、みほさんにも気にってもらえると思ってましたので」
華の言う「推し」が誰かみほには説明されなくても分かっていた。桔梗の花のパーソナルマークの戦車を駆る、心優しい可憐な自らの好敵手の姿が心に浮かび、パンツァージャケットの胸ポケットに入れて来た、零お手製のボコのぬいぐるみにそっと手を添える。
「へぇー、華ってばアロマにも凝ってたんだ。あ、じゃあさじゃあさ! 私にはどんな香りのアロマが似合うかな?」
「沙織には柑橘の匂いがピッタリだ」
「柑橘? それってお花じゃないけど、どうしてなの麻子?」
「武部殿は髪色が美しく明るく包容力のあるお人柄です。冷泉殿の言わんとする所は、武部殿は正に降り注ぐ太陽の光をたっぷり浴びて育った柑橘の化身である。という事ではないでしょうか?」
「ナイスフォロー、流石だ秋山さん」
「え~ やだやだもう麻子にゆかりんったら♪ お母さん困っちゃう~」
本当は夏休みを経て少々ふっくらした沙織を案じ、すっぱい匂いの漂うおデブになるなよという戒めのつもりだったのだが、多分それを言ったら首を絞められておばあよりも先にあの世に送られてしまいそうなので麻子もゆかりに感謝しつつ、見ざる・言わざるの構えを取る。
敵戦力に圧されての後退を前にしても、Ⅳ号戦車のクルーは皆明るい。そんな皆の様子を見て、みほも安堵したように微笑む。
「それにしても、やられっぱなしというのも何だか癪なものですね。みほさん、あちらの副隊長さんに一つ出入りでも仕掛けます?」
「うーん、今の状況ではちょっと危険かも。あ、華さん! それじゃぁ……」
「大洗が後退か― 張り切ってるエマには悪いけど、流石にマウスを投入だなんてやり過ぎじゃないのかな~」
戦線を後退していく大洗の戦車達を見つめて、パンター中戦車の車長・小島エミがなんだか申し訳ないという感じで頭を掻きつつ話す。全国の決勝でようやく投入するような虎の子を、大会後のエキシビションマッチに送り込むというのは黒森峰でも初の出来事だ。
「いえ、大洗としまなみが相手ならもう一両マウスを投入してもいいくらいです。――私には、それでも食い破られそうな気がします」
ある意味、黒森峰の余裕を感じさせる小島の言葉に、唇を固く結んだ表情の赤星小梅が応える。彼女もエキシビションマッチにパンター中戦車の車長として参戦していた。
「小梅の言う通り、今は絶対油断しない方がいいね。何より、相手はあのみほさんだし。地形と遮蔽物死ぬほど上手く使って私らを翻弄してくるよ多分」
三両目のパンター中戦車の車長・バウアーも緊張した面持ちで話す。彼女にとっては大洗の後退も、一対一でもチーム戦でも一回も白旗を取れなかった相手が地の利を持って自分達を迷宮に引きずり込もうとしているようにしか見えなかった。
「分かってるってバウアー、それに小梅。そういやさ…… かどやんと椿ちゃんの五式もまだ撃破されてないんだよね? 私にはみほさんとやれるのもだけど、あの二人を相手に又戦えると思うと滾ってウズウズする」
「応よ!」
「それは、皆同じです。私も、椿さんとの再戦を心待ちにしていましたから」
小島はしまなみの長原門野と室町椿が駆る五式中戦車との戦いが待ちきれないというように、自らの口角をぺろりと舐める。彼女達三人は、夏の全国大会の準決勝でしまなみの二両の五式中戦車と死闘を繰り広げた。
今回のリターンマッチの為に、彼女達は夏の猛暑の中を並々ならぬ修練を重ねて来たのだった。
「貴女達、なにを無駄話しているの!? まだ試合は始まったばっかりなんだから気を引き締めなさい!」
試合中のおしゃべりを戒める副隊長のエリカの声に、三人も了解と応えて制帽と襟元を正して前を向く。
「全く、目を離すとすぐこれなんだから…… くっ!」
騒がしい仲間の雑談を注意したのも束の間、エリカが駆るティーガーⅡの正面に一発の遠当ての砲弾が着弾する。
「ふ、ふんっ! このケーニッヒスティーガーの正面装甲がこんな遠距離射撃で抜けると思って…… いたっ!」
ふんすと息荒く、正面からは貫通不可能と言われる愛車の自慢をしたのも束の間、再度砲塔正面に砲弾が撃ち込まれる。
「だから無駄な足掻きだっての…… おぐぅ! くっ…… くおらぁ、みほ! こんダラが! 今日と言う今日はもう許さんばい!」
あんこうチームのⅣ号戦車から、おちょくるような一人狙いの三連射を食らったエリカが怒り心頭といった様子で砲手にⅣ号への砲撃を命じる。が、当のⅣ号は挑発するように車両を前後させて砲弾を回避する。
「おおおぉ、三連射お見事でした五十鈴殿! 黒森峰の副隊長がキューポラからを身を乗りだしてじたばたしています! 西住殿、おちょくり作戦大成功です!」
双眼鏡を覗き黒森峰の様子を伺っていたゆかりの楽しそうな声色の報告に、みほがまるで天使のようなにっこりとした微笑みで返す。
「あっはっは! さっすがみほさん。エリカ副隊長も最近は大分落ち着いてたのに、みほさんが相手だとすぐ瞬間湯沸かし器になっちゃうんだから」
自らの副隊長の姿に、小島も心底面白いものを見たときのように大笑いしている。その様子は、悪友同士の喧嘩を見ているようでどこか楽し気だ。
「ふふ、本当に。エリカさんもとっても楽しそう……」
普段クールなエリカが地元の方言丸出しでじたばたする様子に、赤星もこみ上げる笑みを堪える。
試合前、やっと言えた命の恩人へのお礼。自分が差し出した手をそっと握り返してくれたその手はあの時と同じ温かさと力強さで、お互いに健闘を誓いあった声もあの時と同じ優しさで――
今日は、勝ちたい―― あの戦車の神様に愛された存在に、もうお前達は大丈夫だと安堵してもらいたい。そして、もっと知りたい―― あの、物静かな「副隊長」が、こんな悪戯のような事が出来る、夏の世の夢のいたずら好きの妖精みたいな人だったなんて…… あぁ、もっとみほさんの事を、椿さんの事を。そして皆の事を知りたい。戦車で、もっと激しく汗を散らして語り合いたい。
赤星の心に様々な想いが去来する。あの滑落事故で大きく変わった運命、だがみほも赤星も、二人は今日も戦車に乗る。あの夏の決勝のような無遠慮に降る雨と曇天は今ここには無い。空には雲一つない澄み切った青空が広がり、降り注ぐ太陽の光が彼女達を祝福するように降り注いでいた。
M15/42中戦車のアマリリス・オニユリチームと、Ⅲ号突撃砲のカバさんチームの見事なしんがり務めによって、辛くも聖グロリアーナの地獄のような間接射撃の殺し間と、西住まほが統べる三両の戦車の追撃という絶体絶命の状況を脱した零と杏達は二手に分かれ、それぞれに聖グロリアーナ本隊の捜索・追撃、及び大洗本隊の援護と、海岸に布陣しているであろう自走砲隊の追撃の任を果たすべく先を急いでいた。
「零隊長、敵影ありません」
「こちら久保田、同じく敵影無し。隊の前進可と判断出来ます、大垣隊長」
「後ろにも敵影はありません、こちらも大丈夫です」
家屋が立ち並び、前後の見通しが悪い市街地を警戒しつつ先を急ぐ。前衛に張り出したユズリハチーム・ソミュアS35車長の朝河と、知波単の久保田りんが車長を務めるチハと、そして後方警戒を続けるウサギさんチーム・M3リーの車長・澤梓からの報告を受けてしまなみの隊長、大垣零が前進を命じる。
「了解しました、この角を右折すれば磯浜海防陣屋跡まであと少しです。直線道路なので待ち伏せに警戒しつつ、前進を続けましょう」
零の声に、他の三両のクルー達が「了解!」と応える。小高い丘にあり、大洗市内全域を見渡せる海防陣屋跡に聖グロリアーナのフラッグ車が堅固な狙撃陣地を構築している。このままあそこに陣取られていては市内を戦車で走行する際に瞬く間に狙撃されてしまうのだ。
零達四両の任務は、「聖グロリアーナ本隊の追い出しと、狙撃陣地の確保」だ。高さのある場所を確保すれば、圧倒的に優位な態勢で試合を運ぶ事が出来る。だが、その逆はほぼ無いのが戦場における鉄則だ。
「ねぇねぇ、あや。なんか今日のしおみんカッコよくない?」
「わかるぅ~ しおみん今日は一段とキリっとしてて、凛々しくてカッコいいよね~」
「なんか知波単の人もすっごく落ち着いてるし、しまなみの隊長さんって猛獣使いなのかな?」
「え~ じゃあ私も零お姉様にムチで躾けて欲しいかも~」
車内の仲間達が姦しくおしゃべりを楽しむのをよそに、車長の澤梓は朋友の朝河と、知波単の久保田、そしてしまなみの隊長のスムーズな連携を目の当りにして少し焦燥感に囚われていた。
自分はまだ、自らの隊長である西住みほとあんなに以心伝心というか、お互いが背中を預け合うような雰囲気にはまだなれていない。だからと言って、連携が取れていないとかそういうワケではないのだが、三人の姿を見るうちに、澤はなんだか妙に心細いような気分になってしまう。
「澤さん」
「は、はい!」
突然、しまなみの隊長から名指しの通信が入り、澤は慌ててスロートマイクに触れる。
「後方警戒、宜しくお願いします。西住隊長と朝河さんからウサギさんチームの皆さんは狭路や市街地での戦いがとても上手だと聞いています。どうか力を貸して下さい」
「た、隊長!? それはっ こほん…… 背中は預けたぞ、梓」
「澤さん。今年の最優秀新人賞の実力、どうかこの若輩の身に勉強させて下さい」
しまなみの隊長と、朝河、そして久保田から通信が入り少し鼓動が早まる。
「すっご~い、梓 しおみんが背中は任せる! だって~」
「実力見せて下さいだってさ。梓、こうなったらみっともない戦いは出来ないね」
仲間たちが無線を聴いてはやし立てる。初めて仲間として組む相手からの、実力を認めている、背中を任せるという通信を聴けたのだ。否が応でも士気が高まる。それに、自分では実感が湧かなかった最優秀新人賞まで引き合いに出されてしまった。こうなったら、いい戦いが出来るように頑張るしかない。決心を固めて、澤はスロートマイクに触れて力強く、溌剌とした声で応える。
「分かりました、頑張ります!」
「了解、梓 頼りにしてる」
「こちらこそ、宜しくお願いします。澤さん」
「澤さん達が一緒で心強いです。皆で互いに連携して、弱点を補いながら進んでいきましょう」
自らの覚悟の応えに同輩の二人の車長からの信頼しているという言葉と、自らの隊長が好敵手と言っていたしまなみの隊長から心強いとまで言われて、澤は全身が何だかくすぐったく、心に士気が漲ってくるのを感じていた。
「待って! 紗希が何か言おうとしてる!」
と、そこにM3リーの75mm主砲の砲手、山郷あゆみの声が車内に響く。普段口数の少ない紗希が口を開く時は、何か勝利への突破口を開く名案だったり、迫りくる危機を警告するものだったりする。ウサギさんチームの皆が耳を澄ませて言葉を待つ。
「来る……」
「来る? 来るって誰が……」
と、戦車の厚い装甲を通してまるで大きな地震が迫って来るような不気味な地響きが響き渡る。
「な、な、な 何なの…… これは?」
何かとんでもない危機が自分達に迫って来ている。澤は慌ててM3リーの二階のハッチから顔を出して周囲を見渡す。次の瞬間、目の前のしまなみの隊長車が家屋を突き破って猛牛のように突進してきた緑色の戦車に弾き飛ばされた。
「ひゃっ! 何、これ 何なの!? こほっ、こほっ 何でプラウダの戦車がこんな所に!?」
徐々になぎ倒された家屋が巻き起こした粉塵の嵐が晴れてきた。だが、その目の前の緑色の戦車を見て澤は驚愕する。プラウダ高校の戦車だと思っていたそれに翻るのはフラッグ車の証。そして砲塔に燦然と輝くティーポットとカップの校章。それは正に聖グロリアーナ女学院の隊長車、智将ダージリンが駆るチャーチル歩兵戦車だった。
澤も、朝河も、久保田も皆揃ってその光景に呆然とする。なんでこの先の堅固な狙撃陣地にいる筈の聖グロリアーナの隊長車が陣地を放棄してここにいるのか。目の前のあまりの光景に脳の思考が追い付かない。
だが、集まる一年生組の視線にも我関せずというように、チャーチルのコマンダーキューポラから身を乗り出し、優雅な美しい金色の髪を風になびかせながら、英国の高名な窯元のティーカップを片手に聖グロリアーナの隊長がにっこりと微笑み、そして呆然と見つめる三人に言い放つ。
「貴女達の隊長は頂いていきます。それでは、御免あそばせ」
恭しく頭を下げて、水平対向12気筒液冷ガソリンの大排気音を響かせながら、再度しまなみの隊長車のstrv m/40Lにチャーチルが猛烈なチャージを仕掛けて追い立てる。
「はっ 隊長、零隊長! くそっ、無線に雑音が…… アンテナが揺れまくってるのか!」
朝河も必死に無線で零に呼び掛けるが、チャーチルの突進に妨害されて上手く通信が出来ない。
「待って、潮見ちゃん。私達で大垣隊長を助けに…… きゃあ!」
零の救援に向かおうとしたが、ウサギさんチームのM3リーの正面装甲に砲弾が撃ち込まれた。
「お前達の相手はこの私だ。その身に聖グロリアーナの戦い方を教えてやる」
「くそっ! こいつら…… 邪魔だ、どけ!」
チャーチルの後続の三両のマチルダⅡが姿を現し、朝河達三人の前に立ちはだかる。堅牢な装甲を持つマチルダⅡはちょっとやそっとの事では抜く事は出来ない。聖グロ随一のマチルダ乗りであるルクリリが率いる隊を相手に、防戦一方の戦いを強いられる。
「これだけの荒事がまかり通るだなんて、流石はアッサム。GI6で更に交渉術を磨いたようね」
「いえ、これしきの事、大した事ではありません。私が出来る手は尽くしました、隊長……」
「分かっているわ、必ず聖グロリアーナを勝利に導いて見せます」
戦車道の市街地戦には、家屋の損壊が付き物だ。だが、試合によって破壊された家屋には日本戦車道連盟から手厚い保険が適用され、新築や修理といった対応が成されるので住民から不満が生まれる事はまずない。
今回、聖グロリアーナは家屋の破損・倒壊で住民達の不満が起こらないように詳しい説明会で事前に根回しを行い、更に保険国家イギリス調の校風に合わせて、系列企業と協力して保険の保証内容も拡充してきた。それは、このエキシビションマッチの勝利に向けて、聖グロリアーナが凄まじい人員と資源の投資を行っている証であった。
「隊長、零隊長ーっ!!」
硝煙と家屋の砂塵が煙る戦場に、朝河の零を呼ぶ叫びが空しく木霊する。
「ふふ、桔梗のお姫様。貴女はワルツ、それともタンゴがお好き? さぁ、二人っきりのダンスパーティーと参りましょう」
眼前のされるがままにチャーチルの凄まじい突進を受け止める戦車を見つめながら、ダージリンが怪しく微笑み、自らの手の甲にそっと口づける。それはダンスパートナーの手の甲への口づけとは言い難い、艶麗な艶めかしさに満ちていた。