藍色の空に沈む夕陽が船と横浜の街を紅く照らし、心地よい初秋の風が夕映えに染まる木々と葉を優しく揺らす。
公園を賑わせていた子供達の声も今は無く、長い影を地に映し、静かに佇むジャングルジムの一番てっぺんで、仲良く並ぶ二つの小さな影があった。
夕陽を受けて、麦の穂のように黄金色に輝く髪をポニーテールのように後ろで束ねると、ぱっと空を仰ぎ、端正な顔立ちが陽光に映える。本人が飛び切りやんちゃなガキ大将で無ければ、絵本の中の王子様と言っても過言では無いような相貌だ。
『ん? どしたの零、チョコ欲しいの? あげるよ、ほら はんぶんこ♪』
幼さを感じさせつつ、良く通る可愛らしい声。零と呼ばれた女の子がおずおずと差し出されたお菓子を手に取り、かしかしと頬張る。それを見て、その子は可愛い妹に向けるような瞳を零に向けて微笑み、頭をよしよしと撫でる。
新しい引っ越し先で友達も出来ず、心の拠り所のお気に入りのヌイグルミを抱きながら、公園で楽しそうに遊ぶ子供達をフェンス越しに遠くぼんやり眺めていた自分を見つけ、この子は駆け寄ってきた。
『ねぇ、そんな所で見てないで一緒に遊ぼうよ! おいで、仲間に入れたげる!』
向日葵のような笑顔を向けてヌイグルミを抱く自分の手を力強く握り、子供たちの輪に駆け出すその子。それからは、零にとって初めての体験ばかりだった。大勢の同年代の子供達と楽しむ遊び。鬼ごっこや缶ケリ、川の魚やザリガニを網で捕まえ、笹船を川に流して追い駆け、カブトムシやクワガタを探して近くの裏山を時間を忘れて駆け巡る。
自分と同じ幼稚園に通う、皆から『りんちゃん』と呼ばれ慕われる年長組のこの子はいつも自分の傍にいてくれた。
(だけど、変だな…… どうして今、この子の事を思い出すんだろう……)
色とりどりの、この世のものとは思えない綺麗な花の咲くふかふかの心地よい野原に寝ころびながら、夢うつつとした意識の中で零は思う。
(あぁ、そうだ…… りんちゃんって、ダージリンさんに凄く似てるんだ)
まるで走馬灯のように自らの心に過る幼少の頃の大切な思い出。日常と年月が忘却させても、心の記憶には刻み込まれている大切な思い出。
「…い…ちゃん れ……ちゃん」
どこからか自分を呼ぶ声が聴こえる、だけどこの世界はひどく心地いい。穏やかな昼下がりのような陽気に、さらさらと川のせせらぎも聴こえる。あの川の向こう岸に行けば、もっと心地よさそうな花畑が広がっているに違いない。
(やだな…… 目を覚ましたくない。このまま、ずっと……)
仰向けに、野原で眼を瞑る自分に試合中から感じていた誰かの手を感じる。
(だけど、自分にはまだやるべき事が…… 一緒に戦っているみんながいる……)
開ききった掌に、弛緩しきった手の指に力が蘇ってくる。
(呑気に寝ている場合か 目を覚ませ! 大垣零!!)
「目を開けて、零ちゃん!!」
「はっ!? うっく…… ふんっ! 烈ちゃん、徹甲弾装填。三連射、いくよ!」
「はいりょ! 喜んで!!」
聖グロリアーナのチャーチル──40トンを超えるの鉄の塊が激突した衝撃で昏倒していた車長の目覚めに喜ぶ暇も無く、膝上で横たわる零を手当てしていた装填手の紅城は超反応で薬室に砲弾の弾込めを済ませる。
そして覚醒した零も、尻尾を踏まれた猫のように跳び起き、瞬時に砲撃の体勢を取りstrv m/40Lの主砲のトリガーを引き、無遠慮なまでの力押しの突進を続ける聖グロリアーナの隊長車に三連射のスポットバーストショットをお見舞いする。
「なっ…… よ、避けた!? そんな…… タイミングも計算通り、完璧だったはず!」
チャーチルの砲手、アッサムが信じられないという様子で驚きの声を上げる。
深手を庇うような緩慢な動きを繰り返すstrv m/40Lに対し、後部機関部を貫く必殺のシチュエーションで放った一撃は、まるで猫科の猛獣のような俊敏な体裁きで躱されてしまった。
「あの音は…… ルフナ様、敵のスポットバーストショットです! 高速徹甲弾の一点速射をまともに頂いたら、チャーチルでもどうなるか分かりません。十分にご注意を!」
砲声を分析するオレンジペコの言葉に操縦席の主、ルフナが親指をぐっと上げて答え、空のティーカップを差し出しオレンジペコに紅茶の補充を催促する。
普段から口数の少ない彼女だが、操舵に集中している時はそれを通り越して無口になる。頼れる操縦手の集中を絶やさぬよう、オレンジペコは揺動と振動に晒される中でも一滴も零さず、ルフナの燃料たる芳醇な香気を放つ紅茶をティーカップに注ぎきる。
「あらあら、王子様のキスも無しに目を覚ますだなんて…… 頂けませんわね、桔梗の眠り姫」
ダージリンも不満を漏らしつつ、口角が上がるのを堪えきれないという表情で呟くと同時に、スイッチが入ったように、自車の乗員達の集中力が瞬時に上がったのを感じていた。本物の戦車乗りは、戦う相手に緊張と集中を要求する。かつて共に過ごした友人が、自らの仲間達にそれをもたらした事に喜びを隠せない。
サイズも火力も、何もかもが対照的な二両の戦車は、砲火を交えつつ大洗の街路を内燃機関の轟音と振動を響かせながら、オコジョとキツネが追いかけっこをするように車両を疾駆させる。
「ふふ、零 何年振りになるのかしらね。久方振りの再会、この逢瀬──もっと楽しませて頂戴な」
艶麗な笑みを浮かべ、美しい弧を描く唇がカップに触れる。絶え間ない縦横の振動に見舞われる機動戦闘中の戦車の中でも、ダージリンは紅茶を一滴も零す事は無い。
零が対峙するのは、高校戦車道きっての智謀兼武の将と名高い、聖グロリアーナ女学院・戦車道隊長のダージリン。チャーチルの猛チャージを完璧に受けきるしまなみの隊長車との熱戦を目の当たりにし、沸き立つ観客席から双方を応援する歓声が響き渡る。
かつてひと時結んでいた二人の縁は、今こうして戦車道で再びの邂逅を果たそうとしていた。
「はぁっ… はぁっ… どうやら、討手は撒けたようね…… ノンナ!」
「大丈夫です、カチューシャ様。敵影及び履帯の走行音は聴こえません」
その頃、しまなみの副隊長、ルイーズ・ベルナールが率いる迎撃部隊と正面からの真っ向勝負を果たしたカチューシャ達は大洗市街地を静かに進みつつ反攻の機会を伺っていた。
「う… くっ! 何がフォアグラよ! 美味しく平らげるよ!! とんでもない奴らだわ……!」
頭に血が上り、ヘルメットをばんばんと砲塔に叩きつけながらカチューシャが涙目で悔しそうに叫ぶ。回廊を突破する為、肉弾となった虎の子のKV-2と二両のISU-152はしまなみの二両のⅣ号突撃砲に食い破られ、追撃して来たARL44と五式中戦車とのくんずほぐれつの接近戦の中でクラーラの車両ともはぐれてしまい、無線も繋がらず撃破されたか不明のまま、仲間は最早ノンナのIS-2を残すのみになってしまった。
「落ち着いて下さい、カチューシャ様。今はしまなみの追撃を振り切り、クラーラと共に友軍と合流を果たすことを…」
「何よ! こんな状況で落ち着いてどうしろって言うの!? 他人事みたいに澄ました顔して言わないで!」
カチューシャがノンナに感情的な声色で返す。相手の戦力分析は完璧だった、作戦も夜通し思案し、脳味噌を振り絞り考えたつもりだった。だがやりたい戦い方が一つも出来ず、何もかもが上手くいかない。自らを気遣うノンナに当たり散らした所で、状況は一向に改善しない事は自分だって良くわかっている。だが、メンタルを揺さぶられ焦る気持ちがどんどんカチューシャをドツボに追い込んでいく。
感情のままに吐き出した自らの言葉に、一瞬影が差した親友の声色を察しカチューシャの胸に後悔の淀みが広がる。あんなに夜通し、一緒に作戦を考えてくれたノンナに酷い事を言ってしまった。だが、喉のそこまで出かかっている「ごめん」の言葉が出ない。苦しい状況に晒され、自己防衛のために膨れ上がる自尊心が、カチューシャの心を頑なな物にしていた。
すると、IS-2の主砲のハッチがおもむろに開いたかと思うと、ノンナがキューポラから身を乗り出しこちらに駆けて来た。そうして、カチューシャの前に直立不動で無言でカチューシャを見下ろす。
「な、何よノンナ…… 勝手に持ち場を離れて一体どういうつもり!? もう、このカチューシャ様に従えないって言うの!?」
自分より遥かに長身で、自身の体躯では到底実現しえない、コンプレックスに粗塩を塗り込むような長く美しい髪が風にそよぐ。ノンナは何も答えず、カチューシャを無言で見下ろしていた。
(あぁ……ノンナにこんな表情をさせちゃうなんて…… 仲間もみんなやられて、親友にも見放されて…… ひとりぼっちになっちゃうだなんて…… 『暴君』の最後なんて、こんなにも惨めなものなのね……)
何もかも諦めて、憔悴しきった様子のカチューシャを、ふわりと温かいものが包み込んだ。
「カチューシャ、申し訳ありません。私達…… いや、私が不甲斐ないばかりに、貴女にこんなにもつらい思いをさせてしまいました。どうか、お許し下さい」
カチューシャを抱きしめ、目を瞑り、神の御前で許しを請う信徒のような表情でノンナが声を絞り出す。ノンナとて、今年の全国大会準優勝校との正面対決であり、勿論警戒はしていた。だが、これほどの犠牲を伴うとは思っていなかった。
「ノンナ……」
心を占めていた怒りや焦り、カチューシャの心を氷のように冷たく、凍土のように尖ったものにしていた物が、ノンナの温かさに融解していくのをカチューシャは感じる。
「ですが、諦めるのはまだ早いですよ。我らプラウダの子達は、シベリアの春の泥濘のように粘り強く、相手を絡めとり、地の底にまで引きずり込むのが信条なのですから……」
「そ、そうね そうだったわね! こんな所でめそめそしていじけている場合じゃないわ!! 絶対に勝つわよ、ノンナ!」
闘牙を蘇らせた主の姿に、ノンナもほっと胸を撫でおろす。同時に、ハートの強い戦車道選手である筈のカチューシャを、ここまで憔悴させ、動揺させ、混乱させたしまなみの底知れなさに背筋にぞっとしたものを感じていた。
そこに、わずかな大気の振動を感じて二人は一気に戦闘モードに切り替わる。このエンジン音と振動は、五式中戦車のものでは無い、静穏性を高める為、回転数を落とし獲物を探す野獣の唸り声のように聴こえる特徴的な十二気筒エンジンの排気音。
「とうとう来たわね」
「ええ、カチューシャ…… そのようですね」
あの黒森峰のティーガーと同じ心臓を持つ、フランスが生んだ重戦車ARL44。T-34すら一撃で屠った、その戦車道で使用可能な戦車の中でも最大級の短砲身型90mm主砲が、新たな獲物を探すグリフォンのように戦場を睥睨する。
「あのARL44…… アイツには、散々煮え湯を飲まされたわ… ここは二両で刺し違えてでも…」
「いえ、カチューシャ。貴女は先をお急ぎ下さい。ここは私が食い止めます」
「は、はぁ!? いきなり何を言い出すのよノンナ! ふざけてるの!?」
「残念ながら、私達のIS-2は足回りに深手を負っています。到底、この後に貴女と戦場を走れる程の余力は残っていません。時間稼ぎにしかなりませんが、ここは私たちが引き受けます。カチューシャ…… 貴女は早急にクラーラと友軍に合流し、反攻の機会をうかがってください」
「嫌よ!そんなの嫌!! どうしてそんな事を言うの!? 私もここで一緒に戦う! カチューシャをひとりぼっちにしないで!」
自らのパンツァージャケットの裾を、母親に縋りつく幼子のような表情でひっしと握るカチューシャを目の当たりにして、あまりの可愛さと庇護欲を猛烈にくすぐるその仕草に悶絶しそうになるが、心を落ち着けてノンナは言葉を絞り出す。
「気高く聡明なる、極北の空に広がる雲海のように広く寛大な心を持つ私達のカチューシャ…… 今こそが、ノンナ達の正念場です。ですが、貴女の居るべき場はここではありません。自らの死地は、自らで見つけるのです!」
カチューシャの必死の静止を振り切り、ノンナがIS-2の元に駆けだす。この車両の主である砲手を迎え入れ、IS-2が狼の咆哮のようにエンジンを嘶かせIS-2がARL44の射線上に躍り出る。
凡そ500mの距離を挟み、二両の重戦車が相対する。初秋の日差しを受けてARL44の90mm砲と、IS-2の122mm砲が血糊を帯びた戦場刀のように陽光を受けて鈍く、重く光る。
「もう、決めたのね……」
自らのスカートの端をぎゅっと握り、俯き、悔しそうに口端を震わせながらカチューシャが呟く。親友が自らの静止をも振り切り、行こうとする事への悔しさではない。親友がその身を挺し、自らの撤退を支援すると言っているのに、自分はこんな時ノンナにどんな言葉をあげればいいのか分からない。
「貴女を、この戦役の表彰台に何としてでも登壇させる……それが、私達のたった一つの願い。だから……カチューシャ様。今一度……あの時のように、私達にご命令を頂けませんか?」
ノンナの言う「あの時」とは、どの時なのかカチューシャは分かっている。昨年の全国大会、黒森峰のフラッグ車を射抜けと命じたあの時の事だ。カチューシャはマイクを取り、そして話し始める。
「こちらカチューシャ…… 二号車の全員に告げるわ。貴女達は、この場でしまなみのARL44を迎撃し、隊長車の…カチューシャの撤退を援護しなさい! う……くっ! 私は、私達は絶対に勝つ!しまなみにも、大洗にも! 絶対に勝ってやるわ! だから、みんな、ノンナ! 貴女達の命を私に頂戴!!」
渾身の大声で、無線機にカチューシャが叫ぶ。エキシビションマッチの前夜、自分は皆を肉弾になんてしないなどと、ノンナに綺麗事を言ってしまった。だが結局、自らの撤退の為にノンナ達をしんがりにしてしまっている。忸怩たる思いが、カチューシャの心に重く、ずしりと圧し掛かる。すると、無線機から轟音が聴こえて来た。
「Ураааааа! ! 」
IS-2のクルー全員が、叫んでいた。その声は、無線機から大気の振動となって伝播し、カチューシャのT-34のクルー達も一緒になって叫び出す。凡そ女性の声とは思えない程の、戦いを前に自らを奮い立たせ、主君を勝利に導こうとする戦士の雄叫び。カチューシャもその声を聴き、身体が震える。今、彼女達に自分はどんな言葉を捧げられるのだろう いくら考えても、彼女達の献身に捧げられる言葉が出ない。そんなカチューシャの心を読み、隊長車の操縦手が車両を追手の届かない後方へ撤退するべく、静かに車両を進めるのだった。
カチューシャの撤退を見届け、IS-2の砲塔ハッチからノンナが身を乗り出す。しまなみのARL44も同じく、砲塔のハッチから車長が身を乗り出し、互いに正面を向けあい、相対する形で向き合っていた。
「この期に及んで、先制砲撃をしなかった…… 礼を重んじる姿勢か、それとも余裕か… いえ、恐らく前者なのでしょうね」
眉根一つ動かさず、こちらと相対しているARL44の車長の表情を見てノンナが呟く。砲撃しようと思えばいくらでも撃ち込む事は出来た筈だ。だが、ARL44は一発も撃つ事無く、こちらの成り行きを見守っていた。
「うっひゃー、ものごっつい美人さんやなレオ! ルーブル美術館の彫像みたいや!」
「うん… そうだなエステル。あれが、IS-2の砲手。プラウダのもう一人の二つ名持ちか……」
緊張を緩和させてくれる操縦主のエステルの言葉でも、砲手のレオンティーヌは緊張を拭えない。
自分たちが今相対しているのは、高校戦車道きっての名砲手。高校生にして二つ名持ちの『ブリザードのノンナ』だ。緊張するなという方がおかしい。
「それにしても…… ねえ、ルイーズ。何でIS-2に先制砲撃をしなかったんですの?」
装填手のペトロニーユが、車長のルイーズに問い掛ける。戦車道でもどんな武道でも、先制攻撃を行い相手から主導権を奪う事は重要だ。特に戦車道に於いては、砲弾がたった数秒で何キロもの距離を超えて飛んでくる。相手が砲撃のスペシャリストで、主砲も最強クラスの122mm砲であれば猶更先制を獲る事が重要である筈だ。
元柔道のトップアスリートである装填手のペトロニーユも、その辺りは心得がある。だからこそ、別段車長のルイーズの判断を疑うわけでも無いが、純粋に疑問を感じルイーズに問い掛ける。
「何となくだけど、向こうが先に砲撃してこない気がしたから。それに、主君を守ろうとする騎士を相手に、先に手を出すのも凄く無粋ってもんでしょ。ペトラ、心配しなくてもそれは相手も同じ筈よ」
目前に鎮座するIS-2を見据えながら、ルイーズがペトロニーユに静かに、自信を持った声色で答える。
「ふむ ルイーズがそう言うなら、間違いないですわね。それで、あの極北の騎士様を相手に、どう戦うのが最適解ですの? ルイーズ、アニエス?」
ペトロニーユが納得しつつ、ルイーズと副操縦手兼参謀役のアニエスに問い掛ける。向こうが二つ名持ちの相手なら、それなりの作戦を持って当たらねばあっという間に餌食にされるだけだ。
「そうね、あの手練れを相手に小細工なんて効くわけが無いし。先ずは距離を挟んでの狙撃。初弾を死ぬ気で躱したら、接近戦で討ち取る。どうかしら、アニエス?」
ルイーズから問われ、しばし黙考したアニエスが口を開く。
「距離を取っての撃ち合いだと、いくらレオンが砲手でもこちらが撃ち負ける可能性もある。それ程の相手。初弾を死ぬ気で躱して相手の懐に飛び込めば、長砲身のIS-2と比べてこちらは短砲身。接近戦では分があり、こちらにも勝ち目が見えてくると思うから、私はルイーズの策に賛成する。皆はどう?」
「もち賛成や! 重戦車同士の接近戦とか、操縦手の腕の見せ所やな。よっしゃ、気合入れてくで!」
「面白いじゃないか。二つ名持ちとの真っ向勝負はボクも望む所だよ、レーヌ」
「装填はお任せ下さいまし! どれだけ激しい機動をしても大丈夫ですわよ!」
クルー全員の賛意を聞き、ルイーズも微笑みながら頷く。
今年の全国大会で、黒森峰の西住まほが駆るティーガーⅠと、ティーガーⅡと真っ向勝負をしたが、その時とも違う緊張感とプレッシャー。牙を剥きだしの獣のような殺気とも違う、どこまでも澄んだ空気の極北の平原で、狼と対峙したような逃げ場の無い殺気がルイーズを襲う。と、ルイーズの手をレオンティーヌがぎゅっと握り、語り掛ける。
「ルイーズ、心配するな。プリンセスの護衛騎士はこんな所で喰われはしない。レーヌとプリンセスの前に立ちはだかる者は、全て貫き討ち果たして見せる。だから、任せろ」
「ふふ… ええ、頼むわよ『伯爵』 皆も頼むわよ!」
ルイーズがレオンティーヌの手を握り返し、クルー全員と頷きあう。そうして改めてIS-2を眼前に見据える。
主砲の初速はARL44が秒速1000メートル、IS-2が秒速795メートル。こちらが初弾を先取すれば、IS-2より先に砲弾が着弾する。だが、IS-2がどのタイミングで主砲を撃つのか。互いに先手を読もうと、一歩も動けないARL44とIS-2の間に極限の緊張が張り詰める。
ルイーズは意識を集中させ、IS-2の数ミリの動きを見逃すまいと相手の一挙手一投足に集中する。
まるで西部劇か、以前マルティーナに勧められて観た椿三十郎の最後の対決シーンのようだ。遠くに聴こえる砲声も耳に入ってこない。瞬き一つ許されない、全てが無音になったような世界で、剣豪ならぬ戦車乗り同士の覇気がぶつかり合う。
そんな中、ルイーズはIS-2の砲塔の前を一瞬、一枚の落ち葉が舞ったのを見逃さず一気に行動に移す。
「撃て!」
ルイーズの号令で、ARL44の主砲から砲弾が放たれるのと同時に、IS-2の主砲からも砲光が瞬く。同時に両戦車のエンジンが十二気筒の咆哮を上げ、被弾経始に優れた角度へ車両を遷移させる。500mの距離をワープする宇宙船のように飛んできた砲弾が互いの砲塔を掠り、砲塔を舐めるように進みながら後方に飛び道路に穴を穿つ。
「上手く避けましたね… ですが、初弾を躱して安心などさせませんよ……!」
ノンナの呟きに呼応するように、砲手が最高の砲撃を行えるよう、IS-2の乗員達は全身全霊を掛けて46トンを超える重戦車をまるでプリマドンナのように戦場を疾駆させ、車体がぶつかり合い、軋み、砲火に散る火花が乙女達の戦いに華を添える。
「成程、相当な手練れだな…… だが、こちらにはアニエスがいる! 頼むぞ!」
「了解、レオン だけど、砲撃のタイミングはレオンに任せる。大丈夫。レオンなら、やれる」
「手厳しいな! だが、心強い!」
士気の高さを輝かせる砲手の応えに、アニエスも微笑み、副操縦手としてレオンが最高の仕事を出来るようにARL44の細部の駆動に気を配る。
「砲で仕留められないのなら、足を!」
「この履帯は斬らせはしない!」
アニエスが叫び、履帯の切断を狙うIS-2に対して主操縦手のエステルがARL44を履帯切断が不可能な角度に遷移させる。122mm砲の砲撃を受けた衝撃が車体全体に伝播し、操縦桿を武者震いのように震わせる。
「うはっ! この緊張感、ギリギリ感……ほんまマジで堪らんわぁ♪ 今が勝負どこやで、レオン!」
「分かってる!」
エステルが高揚の声を上げ、砲手のレオンもお返しだとばかりにIS-2の砲塔に砲弾を撃ち込む。初速にして秒速1000mの砲弾の直撃は撃破に至らずとも乗員に凄まじい衝撃を与える。互いの車両のクルー達は、驚くべきタフネスで砲撃戦を耐えていた。
そうして、幾度も切り結び、互いに決定打を欠いたまま、再度互いに距離を挟んでの睨み合いとなった。互いに出方を伺い、恐らくこれが最後の一撃になる事を確信しつつ、車両を避弾経始に優れた角度に遷移させる。
「小細工が通用する相手だとは思わなかったけど、流石は二つ名持ち。機動も砲撃も回避も桁違いね……」
重戦車を狩りの最中の狼のように俊敏に操り、気を抜けば一発で抜かれるような砲撃を仕掛けてくるIS-2を相手に、ルイーズも舌を巻く。
「ペトラ…… 榴弾の時限信管を撃発後0.25秒で炸裂するようにセット出来るかな?」
「え? ええ、朝飯前ですわレオン」
こんな重戦車の正面のぶつかり合いに、不釣り合いな榴弾のオーダーがレオンティーヌから出てペトロニーユも少々頭の上に?マークが浮かびそうな表情で榴弾の起爆時間をセットする。貫通力に乏しい榴弾では、到底IS-2を貫く事は出来ないからだ。
「アニエス、IS-2の砲弾の直撃にグリフォンの正面装甲は耐えられるか?」
「車両前面か、砲塔正面なら直撃してもギリギリ何とかいける。だけど、何度も耐えるのは無理。チャンスはもう一回だけ」
ARL44の正面装甲は120mm、砲塔正面は110mmの装甲厚がある。とんでもない厚さの装甲であるが、IS-2の砲撃を何発も正面で受ける事は出来ない。真正面で耐えられるのは精々一発が限界だ。
「エステル……」
「わーてるって、レオ! プラウダはんに芋引いたりせんけん安心しぃ」
大仕事を頼みたい雰囲気のレオンの声色を読み、エステルが操縦は任せておけと返し、眼球保護用のゴーグルを掛けて口角をぺろりと舐める。
「レーヌ… この一撃、ボクに策を任せてくれないかな?」
「何言ってるの、レオン 元より砲撃は貴女に任せてるでしょ。それで、あっちの騎士様ににどうやって勝とうっていうの? さぁ、勿体ぶらないで、早く教えなさい」
「足回りも最早限界ですね…… しかし、痛めた方の転輪を狙ってこないのは、何故?」
戦車道でも戦争でも、相手の弱点を攻めるのは勝利を目指すのであれば当然の行いである。だが、ARL44は、痛めた足回りを不思議と狙ってこない。随分とクリーンな戦いをするものだ。しかし、そんな戦い方で抜かれる程、自分達は柔な鍛錬をこなしてきたわけでは無い。ノンナの心に、ふつふつと闘争心が漲ってくる。
「フランスらしく、騎士道精神のつもりですか? 舐めた真似を…… そんな薄甘い牙で抜ける程、このノンナ達は柔ではありませんよ…!」
不思議と口角が上がり、身体が熱くなってくるのをノンナは感じる。これまで数多の敵を屠って来た、百発百中の絶死の初弾を躱し、この身に接近戦を挑んできた命知らずは久しぶりだ。脳内物質の分泌が過剰になり、鼓動が早く、精神の高揚を覚える。だが、それももうじき終わる。この122mmの狼の牙を前に、生き残れた者はいないのだから。
私は、『ブリザード』の二つ名を持つ女。だから、仏国人の尻をぶっとばしてどつき倒すのは得意な筈だ。
さぁ、誇り高きフランセ達よ。ナポレオンのように、地吹雪の中を、逃げ惑うがいい。
「行くぞ、皆! プラウダの狼に、この鷲獅子を駆るフェンサーの底力を見せてやろう!」
「C'est entendu! cmte!!」
ノンナが主砲のトリガーを引くのと同時に、ARL44の主砲からも砲炎が瞬く。IS-2から放たれた砲弾がARL44の正面装甲を蹂躙し、巨大なハンマーで殴られたような凄まじい衝撃がルイーズ達を襲う。車両正面のOVMを木っ端微塵に破壊し、辛うじて正面装甲に押しつぶされた砲弾が車両の側面を身も凍るような擦過音を立てて吹き飛んでいく。だが、ARL44から放たれた榴弾はIS-2のすぐ目前で炸裂し、辺り一面に爆煙を放ちノンナの視界を奪う。
「なっ… 榴弾!? 視界が……!」
こちらの虚をつくような榴弾の猫だましを喰らって、IS-2の動きが一瞬静止する。
極北の狼を狩る鷲獅子はこの好機を見逃さない。厚く煙る榴弾の爆煙の中から、まるで雲の中から獲物に襲い掛かろうとするグリフォンが姿を現すようにARL44がIS-2に襲い掛かる。
「レオン! IS-2の砲の向首を確認! パラード!」
「任せろアニエス!」
アニエスの声に、レオンティーヌがIS-2の主砲の下にARL44の砲身を潜り込ませて、IS-2の砲身を上に弾き飛ばす。相手の攻撃を剣先で払う、フェンシングのテクニック『パラード』のような妙技が戦場に映える。
IS-2も、獲物の喉笛に喰らいつかんとする狼のようにその身を死に物狂いでのたうち回らせるが、長砲身の懐に飛び込んだARL44が鉤爪で捕らえた獲物を逃さないグリフォンのように離さない。
IS-2の後部機関室を照準に捕らえ、まるで時間が静止し、何もかもがスローモーションになったかのようにゆっくりと時間が流れているようにレオンティーヌは感じていた。レーサーやアスリートが極限の高揚の果てに見出すという領域、最高の仲間達が連れて来てくれたこの瞬間。仲間達への惜しみない感謝と互いに最高の試合をメイクしたIS-2の砲手とクルーへの賛辞を胸に、レオンティーヌは主砲のトリガーに指を掛ける。
「このリポストは、皆の為に! 今だ、レーヌ! 私に奴を貫けと命じろ!」
「分かった! 絶対に外すな、レオン! 狙え…… feu!」
ルイーズの『撃て』の号令で、最高の砲手の手でARL44の90mm主砲が火を噴く
超高速の鉄杭が装甲を貫き、雷轟のような砲声が大洗の街に響き、砲煙が二両の戦車を包み込む。そして暫くして砲煙が晴れた時、IS-2の砲塔には白色の旗が青空を背に靡いていた。
「残念です…… ですが、人は何もかもを尽くして戦って負けて散った時、涙は出ないものなのですね……」
興奮を誘発する脳内物質の分泌が収まり、妙に冴えた頭でノンナはしばし自らの頭上を見上げる。撃破された悔しさ。クラーラを守り切れず、カチューシャを独りにしてしまった後悔。戦いの終わりの未練。様々な感情がノンナの胸に去来する。だが、全身が微熱を帯びたように熱く、重く心地よい倦怠が体を包む。息は少し荒く、頭がぼうっとする。戦いの余韻が絶えぬ波のように押し寄せて、頬も熱い。
「おかしいですね、悔しくて堪らない筈なのに……」
久しぶりに土を付けられたというのに、脳裏にあるのは、またあのARL44と戦いたいという気持ち。十八番の長距離狙撃では味わえない、彼女達との接近戦の緊張感と高揚をまた味わいたいという欲求。こんな心緒を覚える相手はノンナにとっても久しぶりであった。
「カトレアの花言葉は優美と魅惑…… その紋章は、貴女方にこそ相応しいのかもしれませんね」
照準器越しに見えるARL44の砲塔に見えるカトレアのパーソナルマークを見ながら、ノンナは先程まで死闘を繰り広げた相手に賛辞を贈る。そして互いに戦技の限りを尽くし、全力で戦った二両の戦車に観客達も惜しみない賞賛と拍手を贈っていた。
ルイーズ達とノンナの戦いに終止符が打たれたその頃、敵チームのフラッグ車、聖グロリアーナ女学院の隊長車に徹底的にマークされていたしまなみ女子工業学園の隊長車も必死の戦いを続けていた。
「はぁっ… はぁっ… どこにも隙が無い…… めっちゃくちゃ固い…… それに、なんて防御……」
重装甲のチャーチルを相手に運動戦を試みてみても、こちらの動きに追随するように重量級の車体を軽々と回してこちらが弱点に向かって撃ち込む砲弾を軽く斜めの角度──昼飯の角度を付けて優雅に軽く往なす。
撃たされている―――絶好球を打ちホームランを確信した打球を、観客席スレスレで連続キャッチされてる気分だ。砲弾の装填速度も凄いし、射撃も脱帽の精度だ。余程優秀な操縦手、装填手、砲手が搭乗しているのだろう。零はチャーチルとの戦いで相手を分析しながら、その戦いぶりに舌を巻く。
これまで対峙した、どこの学校の隊長とも違う。理詰めで徹底的に効率的な、鉄壁の要塞を相手にしているような戦い。熱くなったほうが負ける事を強いられているような、張り詰めた糸を目隠しで渡るような緊張感が零を追い込んでいく。
「成程、まほさんとみほさん。それにミカさんや島田流がお熱を上げるわけね。小口径の砲しか持たない、何でもない軽戦車をここまで上手く使いこなすだなんて……」
零と相対するダージリンも、戦いに満足するように紅茶を一口付けて満足そうに笑みを浮かべるが決して余裕をかましているわけでは無い。一瞬の油断で全てを失う事は、多くの戦史がそれを証明しているからだ。
大洗の街並みをダンスホールを舞うダンサーのように、二両の戦車が疾駆する。時にはボールルームダンスのように気品を持って、時にはフラメンコのように情熱的に。
相手のstrv m/40Lは、こちらの急所を狙う高精度の一点速射と、各部位への牽制射撃をうまく交えてこちらとの距離を上手く稼いでいる。唯々纏わりつき、砲撃をするだけでは無い。緩急をつけて、相手の呼吸を読み、頭を使って必死に戦っていることがありありと感じられた。
牛若丸と戦った弁慶も、きっとこんな気持ちだったに違いない。小兵が大兵を相手に舞うような大立ち回りを目の当たりにして、観客達の声援が大洗に響き渡る。
「クイック・クイック・スロー そうそう 上手よ、零。公園で遊んだ王子様とお姫様ごっこを思い出すわね」
ダージリンも優雅な振る舞いを崩さないが、回避しては撃ち込まれ、絶え間ない砲撃に晒され息をつく暇も無い。いくら装甲が厚く防御に優れるチャーチルでも、高速で大気を切り裂き徹進してくる37mm砲弾は脅威だ。しかも、strv m/40Lの砲手は凄まじいコントロールでこちらの急所に一点速射を喰らわせて来る。一発で勝つ必要は無い、雨滴が岩に穴を穿つように最後に勝てば問題無いのだから。
チャーチルが速度を上げて、strv m/40Lの側方に迫る。互いに数ミリの間隔を保って走るその様はオーバルコースを走るレーシングカーを思わせ、精緻なドライビングは互いの操縦手の優秀さを物語る。
「んっ…… ま、またこの感覚…!」
まるで狐が捕らえた獲物をじっくりと見ているような視線と、身体を触られているような感覚が零を襲う。
「―――プラウダをあそこまで追い詰め、大洗を黒森峰の挟撃から救い、西住まほとの一騎打ちを振り切り、あまつさえ聖グロリアーナ隊長車の直々の追撃を対等に戦うだなんて。零は欲張りね、欲張りすぎだわ」
ほうっと、ダージリンが恍惚とした様子でため息をつきながら言葉を紡ぐ。
「全く。こんな獲物をまほさんやカチューシャに味わわせるなんて、取られるなんて―――許せないわね」
「チャーチルが進路を変えない…! このままだと… やばい! 零、烈華! 衝撃に備えて!」
進路を変えない二両の戦車が家屋に突入し、木造の家屋が粉砕される轟音と土煙が巻き上がる。40トンを超える重戦車と、10トン程の戦車に突っ込まれたら木造家屋などひとたまりもない。粉塵の雲が晴れた時、そこにはチャーチルに主砲を突き付けられているstrv m/40Lが在った。
チャーチルは避弾経始に優れた昼飯の角度を取り、主砲を構えている。このシチュエーションではどこを撃っても絶対抜く事は出来ない。更にstrv m/40Lの背後には深い堀の川が流れており、絶体絶命の「詰んだ」状態を作られてしまった。
「零、こんな言葉を知ってる? ―――恋愛的な友情は恋愛よりも美しい。だがいっそう有毒だ」
オレンジペコはそれがフランスの作家、ロマン・ロランの言葉と合いの手を入れようとするが、熱病に冒されたような見た事が無いような車長の表情に言葉が出ない。そして聡明な彼女は、この言葉に続きがある事も知っていた。
もう、駄目か――― 誰もがしまなみの隊長車が血祭に上げられる事を確信し、ダージリンがアッサムに勝利の砲撃の号令をかけようとしたその瞬間だった。
二両の戦車の上に、雲がかかったように影が差す。その影の持ち主を照準器越しに見たアッサムは「ひっ」と声を出し、目を見開いていた。戦車が、空を飛んでいる――?
「吶喊!」
その刹那、チャーチルに乗る乗員達を凄まじい衝撃が襲った。
「「きゃぁ!」」 「……」
オレンジペコとアッサムは突然の事態に悲鳴を上げるが、操縦手のルフナはあくまで冷静に車両を立て直し、異常が無いか冷静にチェックを行う。アッサムも照準器に異常が無いか瞬時にチェックを行うために覗き込み、目の前の車両に仰天していた。しまなみの隊長車を庇うように凛と佇むあの戦車は、九七式中戦車。自分達に大敗を喫した知波単学園の隊長車、そのものだった。
「西さん!」
「お待たせ致しました、我が君!! 西絹代一同、我が君をお助けする為参上致しました! さぁ、私の影にお入り下さい!」
西は零にチハの後ろに隠れるように促し、47mm対戦車砲をチャーチルに撃ち込む。そして零も、西が乗るチハをサポートするべく、チハが次弾を装填する間にチャーチルに砲撃を加えて隙の無い火網を形成する。絶体絶命のピンチから、突然のチハのヒーロー的登場。そして二両の息の合った見事なコンビネーションショットを目の当たりにした観客席は大盛り上がりだ。
「我が君! ここは一先ず川を進み戦術的転進を! 殿軍は私どもが引き受けます!」
「分かりました。ありがとうございます、西さん! 行こう、むっちゃん!」
「了解よ!」
西の援護を受けながら、strv m/40Lが川の岸壁を斜めに下り、牽制射撃を加えていたチハも器用に後退しながらそれに続く。
「煙幕展開!」
溌溂とした西の号令で、チハとstrv m/40Lから煙幕弾が投擲され、辺りに視界を遮る白煙が広がっていく。アッサムが未来位置を予測して砲撃するが、濃霧のような煙幕に邪魔をされて上手く敵を捉える事が出来ない。
あっという間の脱出劇――― 手を打つ暇も無く、仕留める寸前だった獲物を搔っ攫われ、後に残るのは静寂と薄く煙る煙幕のみ。見事な撤退戦を目の当たりにして、観客席からも拍手が巻き起こる。
「……どうやら対岸にある護岸の法面をカタパルト代わりにジャンプして、私達の戦車に体当たりして来たようですね。照準器を覗いたら、戦車がこっちに向かって飛んでくるんですから、本当に寿命が縮む思いでしたわ」
「ですが、皆無事なようですし…… はっ ご、ご無事ですか!? ダージリンさ…ま ひぃっ」
先程から一言も発しない車長の様子を目の当たりにして、聡明なオレンジペコも思わず引いてしまう。それもその筈。チハのフライングボディアタックをまともに喰らった衝撃で、ティーカップからかやった紅茶をまともに顔面にかぶったダージリンは、顔も一張羅もびっちゃびちゃな悲惨な有様になっていた。
「あわわわ…… ど、どうぞ、ダージリン様 こちらにお顔を!」
「ありがとう、オレンジペコ……」
オレンジペコが少々放心気味の車長を気遣い、美容院のスタッフのように優しくダージリンの顔と服を拭う。
「オレンジペコ。こちらは引き受けたから、貴女は御髪を整えて差し上げて」
「かしこまりました、アッサム様」
アッサムがタオルを受け取り主の顔を丁寧に拭い、オレンジペコが少しほつれ気味のダージリンの髪を綺麗に結い直す。そうして、ルフナが淹れた紅茶を口にした時、スイッチが入ったようにダージリンの顔に生気が戻って来た。
「全く…… ペコ、西さんにしてやられたわね」
「はい。まさかあの状態から、ここまでリカバリーしてくるとは思いませんでした」
ダージリンとしても、この完璧に整った盤面をこんな形でひっくり返されるとは思ってもみなかった。とはいえ、ゴルフ場での戦闘の際に、武士の情けで西の車両ににとどめを刺さなかった事に後悔は無い。だが、こうまで見事に意趣返しというか、天晴れなまでの突撃を見せられては立つ瀬がないというかなんとも複雑な気分である。
「もうっ 旧友との久々の再会にのぼせ上がるからこのような事になるのですよ。貴女はフラッグ車を担い、聖グロリアーナ・黒森峰・プラウダ連合を統べる立場にある御方。だからこそ、戦いに私情や私怨を持ち込んではいけないのですから」
少しきつめの口調でアッサムがダージリンを窘める。総勢六校の交流戦とはいえ選手は皆真剣に、必死に戦っている。更にダージリンは今回、聖グロリアーナと黒森峰・プラウダの三校を纏め上げる立場にある。統括的な立場にある人間が好き勝手をしていては、纏まるものも纏まらない。アッサムはその事を危惧していた。
「ごめんなさい…… でも、本当に待ち望んだ再会だったから……」
ダージリンがいたずらが過ぎて怒られた狐のようにしょんぼりとしている様はあまり見る事が出来ない光景だ。それ程に、旧友との再会は彼女にとって正に心躍るものだったのだろう。アッサムのダージリンの心の機微を察して、深く追及するような野暮はしない。
「もういいですわ。中々に良いデータが集まりましたし。かく言うこの私も、車長の熱気に当てられて結構自儘に戦わせて頂きましたから。これであいこですわ。ね、ルフナ」
「……」
「まぁまぁお三方、ここはお茶でも飲みながら小休止といたしましょう」
朗らかなオレンペコの音頭で、ささやかな茶会が始まった。長丁場に備えて準備していた、新鮮なキュウリとハムを挟んだサンドイッチも出して少し遅めの昼食を取る。呑気なものかと思われるかもしれないが、勿論四人は伊達に長年戦車道をやっているわけではない。何かあればすぐに動けるように警戒は怠っていない。
「それにしても、大垣さんも罪作りな方ですね。幼稚園の時に突然いなくなって、今回もするりとダージリン様の抱擁から抜け出すだなんて。大垣さんって、ダージリン様のユニコーンなんでしょうか」
ユニコーン―――伝説の一角獣。純潔の象徴とされ、いかなる手段でも捕らえられない孤高の幻獣。その性は勇敢にして獰猛、己の何倍もの大きさの敵にも果敢に立ち向かい、その角で突き殺すと言われる。
10トン足らずの軽戦車で40トンを超えるチャーチルに果敢に立ち向かい、撃破不可能と言われた最強の戦車の異名を持つ黒森峰のティーガーⅡを屠った戦歴を持つイレギュラー。捕まえようとすればいつも既の所で逃がしてしまう幻の獣。
「ふふ、随分と洒落た例えね。桔梗にユニコーン、確かに零にお似合いだわ」
「でも、ユニコーンは乙女以外に触れられそうになると怒り狂うとか…… あらあら? もしかして、ダージリンったら……」
「ち、違いますわ! 私の操は清いままです!!」
顔を真っ赤にしたダージリンが、タオルでアッサムをべしべしとはたきながら全力で否定する。そんなこんなで聖グロリアーナ隊長車のお昼は賑やかに過ぎていく。
「こほんっ さて、おふざけはここまで。少々私情に流され油断し不覚を取りましたが、もうそうはいきませんわよ」
車長の纏う空気が戦闘モードに変わったのを察し、各員がそれぞれの持ち場につく。長時間の戦闘になってはいるが、彼女達の表情に疲れは見えず、士気の高さが窺えた。
砲塔のキューポラから身を乗り出したダージリンの頬を心地よい初秋の風が撫でる。故郷の横浜の街と同じで、大洗も風に少し潮の香が混じっていてそれが何とも心地が良い。
ダージリンがおもむろに胸のインサイドポケットから取り出したペンダント。古くくたびれたそれを開くと、そこにはいつも変わらない在りし日の自分と零を収めた写真がある。そうだ、まだ時間は十分にある。だから慌てず、仲間達と、そして素晴らしい相手達とこの時間を紡いでいこう。
決意に満ちた表情で前のみを見据え、ダージリンがペンダントをぱちりと閉じる。
「この世で最も美しく、最も誇り高く、最も戦慄する、最も優しい獣…… この戦、必ずや聖グロリアーナに勝利を。さぁ、皆 仕切り直しますわよ」
一つの戦いを終え、また戦車と人が動き出す。聖グロリアーナ女学院の隊長車に掲げられたフラッグ車の証が、海原を征く大英帝国の戦列艦の帆のように風を受けて力強くはためいていた。