残暑厳しい9月。
秋のGⅠ戦線が幕を開ける前に開催されるトレセン学園秋の大運動会。
運動会当日であるこの日、山西は物凄く憂鬱であった。
理由はとてもシンプルだ。プログラムの一つである余興レース『特別オープン・1500m・トレーナーズラン』に心底出たくないからである。因みに山西はダートに出走予定。
これは学園に所属するトレーナー全員が通る道であり、怪我や持病等の理由が無い限り出走が義務付けられているもの。
この余興レースは生徒たちの反応がとても良く、毎年これを楽しみにしているのもあって必ず組み込まれている。
トレーナーとして生徒たちの学園の思い出として一役買えることはいいとは思うが、多くのトレーナーは負けたいという気持ちがこれでもかと出てしまうのも事実。
何故なら勝ってしまうと閉会式でウイニングライブを披露しなくてはならない。しかもセンターで、歌が下手だろうがダンスが踊れなかろうがお構いなしで。
トレーナーたちの間でこれを―――
尊厳破壊
―――と呼んでいるが、そう呼ばれるのも無理はない。
歌が下手なら口パクで。ダンスが踊れないなら棒立ちで。どちらも駄目ならそれはそれで曲が終わるまで笑顔でステージに立って手を振るなり手拍子をするなりやらなくてはならない。
ある意味公開処刑であり、普通の社会人としてはとてもとても過酷で長い数分間を過ごさなくてはならないのだ。
しかしトレーナーたちに降りかかる災難はそれだけではない。
トレーナーズランの前にはこれまた余興としてトレーナーたちだけで行われる競技もあるからだ。
綱引き、徒競走、障害物競争、借り物競走、パン食い競走……この中から希望するどれかに出なくてはならない。
山西は徒競走、障害物競技、パン食い競走と経験してきた。一番平和な徒競走が最適解であるものの、今年は惜しくも抽選に落ち、綱引きに参加する。
この綱引きはただの綱引きではない。相手は現役アスリートウマ娘たちである生徒たちだ。
「勝てるわけない……もうダメだぁ……おしまいだぁ……!」
どこかの戦闘種族の王子みたいなことを静かにつぶやき、頭を抱える山西。
山西が今いるのは控室であり、綱引きに挑む他のトレーナーたちも皆表情が死んでいる。
山西のようにただただ嘆く者。窓もない壁を見て「オソラキレイ」と無機質につぶやいて現実逃避する者。怪我をしないように野球のキャッチャーやアメリカンフットボール選手が付けるような防具でガチガチにフル武装する者。
皆がまるでただただ死を待つ古代ローマのコロッセオで戦う運命を背負う剣闘士たちのような気持ちだ。
ただし、
「おい、みんな。辛気臭ぇ顔をしてんじゃねぇ。俺たちは今日、勝ちに行くんだ」
河名博一……チーム『無礼講』を率いるこの男だけは同僚たちを鼓舞するため、控室のドアの前に仁王立ちして言い放つ。
当然、河名の言葉に誰もが「無理でしょ」、「無理ゲーだよ」なんて返すが、河名は目を見開いて口を開いた。
「我々はやる気を失った。しかし、これは敗北を意味するのか? 否! 始まりなのだ!
アスリートウマ娘に比べ、我らがトレーナー陣の力は明らかに下である。
にもかかわらず今日綱引きをする羽目になったのは何故か?
諸君! 我らがトレーナー陣の綱引き目的が正義(臨時ボーナス)目当てだからだ。これは諸君らが一番知っている。
我々は激務に追われ、プライベートで金を使う暇もないが担当のためなら湯水の如く金を使う。
そして、一握りのウマ娘らが大食いで膨れ上がった腹を見ると満足し、もっともっと幸せにしたくなる。
トレーナー陣の掲げるウマ娘たち一人一人の幸せのための戦いを神が見捨てるはずはない。
しかし! それには金がかかる! その証拠に俺の財布は死んだ。
何故だ!?」
河名トレーナーさんが食わせ過ぎたからじゃ……と山西は思わずつぶやいてしまったが、河名は気にせず演説モドキを続ける。
「新しい食費を選ばれた我々が得るには、歴史に名を刻む必要がある。
ならば、我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷なトレーナー業務を生活の場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日までの実績を築き上げてきた。
かつて、秋川理事長は我々の昇給革新は我々の働きから始まると言った。
しかしながら可愛いウマ娘共は、自分たちが可愛いことを知っていて増長し我々にお強請りという抗戦をする。
諸君の札も、硬貨もそのウマ娘たちの可愛いお強請りの前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない! それを、財布は! 死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、ウマ娘たちに叩きつけて、初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、消し飛んだ給料全てへの最大の慰めとなる。
トレーナー陣よ立て! 悲しみを怒りに変えて、立てよ! トレーナー陣よ!
我ら綱引きに挑むトレーナー陣こそ選ばれたトレーナーであることを忘れないでほしいのだ。
優良種である我らこそ人類を救い得るのである。ファイトー!」
熱い熱い河名の雄叫びのような演説に、
「何言ってんだ?」
「ヤバいクスリでもやったんじゃね? ほら、担当の子から貰って」
「もうドーピングじゃん」
「さっき笹針と会ってたのは見た」
「あ、ならドーピングじゃないな」
「でもなんか緊張は解れたわ」
お通夜ムードは消えた。変わりに河名を色んな意味で心配するムードにはなったが、河名自身は全く気にしていない。
山西も、
(河名トレーナーさんは相変わらず面白い人だなぁ)
なんて思って和んだ。
そして運動会実行委員から運命の出撃命令(案内)が来て、みんなは和やかな気持ちでグラウンドへ向かう。
しかし彼らに待っていたのは、メジロライアン・サクラチヨノオー・タニノギムレット・ヒシアケボノ・カワカミプリンセスという四天王プラス魔王なのだから、河名の演説も結局はパワーの前に理不尽にも吹き飛んだ。
◇
「…………」
大運動会が無事に?終わりを迎え、今は閉会式と片付けも終わり、みんな帰り支度をしている。
そんな中、山西は現在進行形で尊厳破壊を受け、両手で顔を覆っていた。
理由は、
「トレーナーさん、恥ずかしがる必要はねぇ。トレーナーさんは怪我人なんだ。でも家に帰らなきゃだろ? だからあたしがおんぶしてるだけだ」
エースにおんぶされているからである。
大運動会の綱引きはウマ娘たちの圧倒的大差でトレーナー陣は敗北。まさに瞬殺であった。
そして山西は何も防具を身に着けていなかった。更に先頭で綱を持っていたため引きずられ、倒れ込んだ際に後ろにいる同僚たちがなだれ込んだことで右足首を捻挫してしまったのである。
捻挫事態は軽く、あとに控えていたトレーナーズランも見事に回避出来たことは僥倖であった。
しかしエースたちは山西ガチ勢。愛する山西が怪我したのなら、絶対に一人で帰らせるなんて選択肢はないのだ。
故にこのようにエースが強制的に山西をおんぶし、彼のアパートへ向かっている。因みに誰が山西をおんぶするかは、運動会のチーム対抗リレーでアンカーを務め、あのシンボリルドルフの猛追を逃げ切って優勝を山西に届けたエースということに。
よってエースは先程から上機嫌に愛する山西をおんぶし、他メンバーからの嫉妬の眼差しに愉悦を感じている。
「本当は抱っこしたかったんだがな……」
「やめて。それは僕の精神に効く」
「だからおんぶにしたんだ。でもおんぶもいいもんだ。なんかこう……しっくりくる」
「分かったから……恥ずかしいから、早くアパートに連れてって……」
「分かった分かった! なら口閉じとけよ!」
エースはそう返すと山西が酔わないように駈歩でアパートへ向かって走り出すのだった。ちゃんと交通ルールを守って。
―――
「運動会乙っしたー☆」
『お疲れ様ー!』
山西をアパートに送ってはいさようならではない。
ちゃんと運動会の打ち上げを予定していて、アイネスたちがしっかりと準備した。
エースとヘリオスが山西を看て、その間にアイネスが持ってきた材料で料理を作り、スズカ、タップ、キタサンの三人は近所のスーパーで飲み物を買ってきた。
何も知らされていなかった山西は驚きはしたが、こうした打ち上げも思い出の一つになると思って快く部屋を貸すことに。
こうしてヘリオスの音頭で始まった打ち上げ。
アパートであるため周りの迷惑にならないよう、普段から大声のヘリオスも声のボリュームをちゃんと抑えている。
「始まってから確認するのもアレなんだけど、みんなちゃんと寮には外出届提出してきたんだよね?」
みんなが普段から過ごす寮には門限があり、門限を破ると厳しい罰が寮長から言い渡される。なので帰りが遅くなることが分かっている場合は、外出届を提出することで通常の門限を過ぎても罰は発生しないのだ。因みに最終門限は22時。
「ちゃんとみんな提出済みだ。心配すんなよ」
右隣をちゃっかりキープして肩を組んでいるタップに言われれば、山西は「そっか」と笑顔で返す。
彼女たちを受け持つトレーナーとして、そういうところはしっかり確認しないと責任問題になるからだ。
「そんなことよりトレーナー! 早く食べて食べて!」
「アイネス先輩が作ってくれた焼き餃子、とっても美味しいですよ!」
「打ち上げに餃子パーティーって面白いですよね」
「しかも色んな餃子あってちょーアガる!」
アイネスが打ち上げ用に用意した料理は餃子。
ニンニクは使わず、ニラ、白菜、キャベツ、長ネギ、豚と鶏の挽き肉を使ったシンプルな物。それ以外にもヘリオスが言うように、チーズやエビ、カニかま、キムチチーズ、ニンジンチーズ、ミートソースを包んだイタリアン風と様々だ。
「ホットプレートでどんどん焼いてるから、どんどん食べて!」
「ありがとう、アイネス。アイネスはいいお嫁さんになれるよ」
「っ……うん、(トレーナーのお嫁さんに)絶対なるの♡」
山西からの不意打ちにアイネスは胸の奥がずきゅんどきゅんする。その証拠に彼女の尻尾は上機嫌に揺れ、両隣にいるスズカとヘリオスに当たっている。
当然、それを聞いたエースたちは内心舌打ちをするが、楽しんでいる山西を曇らせることは絶対にしない。
「ほらトレーナー、このチーズの美味いぜ? 食わせてやるよ。ほら、あーん」
「わっ、ありがとう、タップ……あむ」
「どうだ?」
「デリシャス」
「そうかそうか♡」
ナチュラルにアーンをしたタップ。
それを見て他のメンバーが黙っているはずもなく、
「トレーナーさん、こっちのも味見ろよ。あーん」
「こっちのは丁度いい熱さなの! あーんってして、トレーナー!」
「トレぴ、これウチのイチオシ! 食べてみ! あーん!」
「あの、エビのも美味しいですよ……あーん」
「あ、あたしも食べさせてあげたいです! お口開けてくーださい!」
みんなも山西に向かって餃子を差し出してくる。
「じゅ、順番にお願い……ちゃんと食べるから」
こうして山西はみんなに言われるがまま、ギブアップするまで餃子を食べさせられ、最終門限まで走って間に合う時間までエースたちは山西と時間を共にした。
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