本日は3月3日で桃の節句。
トレセン学園はこの日になるとひな祭りということで特別な催しをする。
そんな日の午後、宮武部はトレーニングを終えたあとでイナリたちを自宅マンションへ招待した。
この日のためにみんなには事前に外出届を提出してくるよう伝えている。
宮武部は年中行事を大切にするため、ひな祭りもイナリたちのためにすることにしているのだ。
一人っ子で実家では雛人形もひな祭りもしたことはなかったが、親戚や通っていた幼稚園でひな祭りを経験している。
なのでイナリたちのために雛人形はないにしても、菱餅や雛あられといった定番メニューを用意して振る舞うことにしているのだ。
「ではでは皆さん。本日は皆さんのためにご用意した席です。楽しんでください」
宮武部は静かにそう告げ、盃を上げる。
イナリたちもそれに倣い、盃を上げて『乾杯』と言って盃を空にした。盃といってもイナリたちの中に入っているのは甘酒。成人している宮武部だけは皆を代表して白酒を飲んだ。
「かぁーっ、お腹がぽかぽかしてきやがったぜ!」
「優しい甘さでほっこりするねぇ」
甘酒の味に大満足で声をあげるイナリとアキュート。イナリに至っては既に二杯目を注いでおり、ペースが早い。
しかしちゃんと宮武部がアルコール度数0%の物を用意したので酔ってしまう心配は不要なので、宮武部はそんなイナリをにこやかに見守るのみだ。
「ちらし寿司がとっても美味しいです」
「レンコンがいい味出してるね! サヤエンドウの色合いもいいし、栄養バランスもいい!」
「醤油漬けされたサーモンとイクラも丁度いい濃さで実に美味だ」
クリーク、ヒシアマ、ハヤヒデはちらし寿司に舌鼓を打ち、笑みを浮かべる。
他にも甘じょっぱく煮たニンジンとシイタケの細切れも混ぜ込まれているし、錦糸卵もほどよい甘さで絶妙なバランスだ。
おまけにイナリが好きだからといなり寿司の中の酢飯を、ちらし寿司にしたちらしいなりも用意している。なのでイナリもいつも以上にいなり寿司を頬張ってご機嫌だ。
「ハマグリのお吸い物が優しい味で落ち着くなぁ」
「同感だ。お麩も桃色で華やかで、ニンジンも梅の花を模してあって申し分ない」
一方、ローレルとエアグルーヴはお吸い物に顔をほころばせ、胸も温かくなるのを感じている様子。
みんなの笑顔を見て、宮武部は『用意した甲斐がありますね』と思いつつ、白酒を口に含む。
甘酒と白酒以外の料理は実家の料理人に頼んで出張してもらって作ってもらった物。幼い頃から食べ慣れているのもあるが、イナリたちにもその実家の味を堪能して欲しかったから。
宮武部本人も自炊はするが、手の込んだ物となると難易度が高いため、プロを呼んだのである。それにやはりひな祭りという大切な行事でもあるため、そこら辺で売っている出来合いの物を用意するよりはいいと思ったのだ。
「トレーナーさん、お酒のおかわりしますか?」
盃が空いたらすぐにクリークが白酒の入った徳利を持って、宮武部に笑顔で訊ねる。
「お気遣いありがとうございます。頂きます」
「は〜い。トレーナーさんも今日くらいはお酒を飲んで楽しんでくださいね」
「楽しんでますよ」
笑顔で宮武部がクリークに返せば、彼女は「はい」と返事をしつついつもの癖で彼の頭を優しく撫でた。
成人している男性が女学生に頭を撫でられるというのはなんともいたたまれないだろうが、宮武部はもう慣れてしまっている上にクリークへこうした行動を制限すると却って調子を崩す結果になるので、彼女の好きにさせているのだ。
しかし宮武部は容姿が容姿なので例え人前だろうと街のど真ん中だろうと、人々からは姉に撫でられている妹……または母に撫でられている娘にしか見えていなかったりする。
「おいおい、クリーク。ダンナをそう撫でくり回すなよ」
「あらあら……ごめんなさい。つい……」
「今日は無礼講です。構いませんし、もう慣れましたから」
「ダンナもクリークを甘やかすな!」
「しかし……こうしたことも含めてクリークさんですから」
宮武部がクリークに注意してくれたイナリへそんな言葉を返せば、イナリは「かぁ〜!」と左手で顔を覆って天(井)を仰いだ。
何故なら、
「あら……あらあらあら♡ ではも〜っとなでなでしてさせてくださいね〜♡」
クリークがこうなってしまうから。
こうなってしまったら暫くはもう何を言っても無駄で、クリークは宮武部を膝の上に抱えて猫可愛がりする。
「相変わらずクリークさんの愛情表現は物凄いですね……」
撫でられながらポーカーフェイスを崩すことなく言う宮武部。
「クリーク、同じとこ撫で続けるなよ? ダンナの頭皮が心配だからな」
ああなったクリークはもうどうしようもないため、イナリは呆れ気味にだが注意はしておく。クリークに限ってそんな失態は犯さないが、一応念の為だ。
「トレーナー君のことはクリークさんに任せて、私たちは私たちで料理を楽しむとしよう。そうだな……10分くらいは様子見で」
「そうだね。まあクリーク先輩はあれが一番の癒やしだろうし」
ハヤヒデの提案にヒシアマが苦笑いで返せば、みんなも揃って苦笑いを浮かべて頷く。
こうして異様だが、チームとしては平常運転のままひな祭りは穏やかに過ぎていった。
―――――――――
ホワイトデーを迎えた本日は、宮武部はいつもより忙しそうにしている。
理由は同僚たちに律儀にもお返しのお菓子を返して回っているからだ。因みに理事長秘書様には白ワインを贈った。
お菓子は自分が好きな老舗米菓店の煎餅セット。
ホワイトデーに煎餅はどうなのかと思われるだろうが、宮武部は根っからの和の人間であり、洋菓子よりは和菓子を好む。故に寧ろ彼らしいとお返しをもらった者たちは納得しているし、大抵はみんな甘い系のお返しなので、煎餅はしょっぱい系な上に本当に美味なので喜ばれている。
「イナリさん、ヒシアマさんのお二人は仕掛けるタイミングが少し遅いですね。それだと貴女方の今のトップスピードではハナを走っている方を捉えきれません。次はもう少し早めに仕掛けてみてください。貴女方のスタミナならロングスパートは十分に可能です」
「おうよ!」
「はいよ!」
そんな日でも宮武部は変わらずみんなの指導に精を出していた。
彼が真摯に打ち込むからこそ、みんなもそれに応えようと己の限界を超えて更にパワーアップするのだ。
「クリークさんたちはもう少し呼吸法を意識しましょう。長距離で呼吸が乱れるのは致命的ですし、一番苦しい時こそ日頃のトレーニングを活かせる時ですから」
「分かりました」
「もう少し呼吸法を……だな。了解した」
「もう一本、ですね!」
「エアグルーヴさんとアキュートさんはコーナーリングをもう少し意識していきましょうか。外に膨らんでしまった場合でも焦らず冷静に」
「心得た」
「やってみるよ〜」
宮武部の指導を聞いてみんな素直にその言葉を聞き、次は修整し、タイムを縮められるよう努力する。
ヒシアマとエアグルーヴが中距離部門で競うのはシンボリルドルフを始め、ナリタブライアンやトウカイテイオー、ウイニングチケット、タマモクロス。
クリーク、ハヤヒデ、ローレルが出走する長距離部門でもメジロマックイーンとライスシャワーに加えて、メジロパーマー、メジロブライト、ゴールドシップという猛者揃い。
ダート部門にしてもスマートファルコンやシンコウウインディが出走する上に、今シーズンは芦毛の怪物であるオグリキャップとスーパーカーの異名を持つマルゼンスキーというビッグネームが集っていて、イナリとアキュートには厳しい戦いになるだろう。
ドリームシリーズの名の通り、そこに名を連ねるウマ娘たちに勝つには徹底したレース感覚を刻み込む必要があるのだ。
宮武部のこれまでの経験から能力的な差は些細な問題で、レース運びやコーナーの回り方、最終コーナーの入り方、踏み込みといった技術面で差を出さないと夢は叶わずに夢のまま終わってしまうことになる。
レースになればトレーニングの時のようにすぐ側で指示は出せないからこそ、トレーニングでその身に刻み込むしかないのだ。
「では長距離の人たちから順にスタートしてください。一周目は流し、二周目からレースだと思って先程私が話したことを意識して走ってください」
『はい!』
◇
「皆さん、本日もお疲れ様でした。身支度を整えて部室前に集合してください」
『ありがとうございました!』
トレーニングが終わり、クールダウンも済ませ、宮武部の指示に従ってイナリたちは汗を流しにシャワー室へ向かう。
宮武部はその間に備品の片付けと彼女たちの蹄鉄の消耗具合をチェック。
ウマ娘にとって蹄鉄は繊細な脚を守るための物で、トレーニング用の物でも消耗が激しければ学園に装蹄師を派遣してもらい全交換か修復かを判断してもらうのだ。一方で蹄鉄の店もトレセン学園の近くに何件もあるので直接店に持って行くことも可能。
(そろそろ交換の時期ですかね……今度皆さんを連れて行きましょうか)
すり減り具合を見てそう判断した宮武部はタブレットを起動させ、スケジュールを確認。その後贔屓にしている店舗へ予約を入れ、スケジュール表にも追加した。
「戻ったぜ、ダンナ!」
「お帰りなさい、イナリさん。しかし髪はちゃんと乾かしましょうね。3月とは言えまだまだ肌寒いですから」
「てやんでい! こんくらいで風邪を引くほどイナリ様はひ弱じゃねぇってんだ!」
「病は気からと言いますが、予防しないのもいけません。ほら、こちらに座って」
「へへへ♡」
イナリは『計画通り』と思いながら宮武部に言われた通りに彼が座るベンチの左隣に座る。
宮武部はイナリの性格を熟知しているため、こういう時のために充電式のドライヤーと櫛を持ち歩いているのだ。
そしてイナリはそれを知っていてわざと髪をただタオルで拭くだけに留めている。こうすれば大好きな宮武部に頭を撫でられながら髪を整えてもらえるという乙女心からだ。
「またトレーナーの手を煩わせているんですか、イナリ先輩?」
背後からの声に二人が振り向けば、そこには他のメンバーが勢揃いしている。
コメカミを手で押さえ、眉間にシワを寄せるエアグルーヴが先の言葉の主だ。
「イナリさんがこうなのはいつものことですからね」
「おうよ!」
「何故そうも誇らしげに胸を張れるのか甚だ疑問だ……」
イナリの態度を見て苦悶の表情を浮かべるエアグルーヴだが、クリークやハヤヒデに『いつものことだ』と言われれば、
「お二人やトレーナーが甘やかすから、直らないのでは?」
と真っ当な言葉を返す。
エアグルーヴも思いやるなとは言わない。しかし優しくすることと甘やかすのでは雲泥の差があるし、彼女の性格上こうした自分で出来ることくらいは幼子ではないのだからしっかりしてほしいのだ。先輩ならば尚のこと。
「そういうエアグルーヴだってトレ公に甘えて定期的に掃除とかさせてもらってるじゃないか。お互い様だと、アタシは思うけどね」
ヒシアマに痛いところを突かれ、エアグルーヴは思わずたじろぐ。
「皆さん、お揃いですね。では解散前にホワイトデーのお返しを渡しますよ」
タイミングを見計らって宮武部が言えば、みんなは口論をやめて目を輝かせた。
宮武部は普段料理をしないが、こういう時はお手製のお菓子を用意する。そうすることで少しでもイナリたちに感謝の気持ちを返したいから。
「昨年好評だったので今年もクッキーにしました。ビターチョコとバニラに加え、紅茶と抹茶も今年はご用意しました」
『おぉぉぉっ!』
宮武部お手製クッキーはイナリたちの大好物。その味はエイシンフラッシュも認める味で、一時期は弟子入りしたいとトレーナー室までやってきたこともあるほどだ。因みにクッキーには『友達でいましょう』という意味があるが、イナリたちは全く気にしていない。何故なら宮武部がホワイトデーのお返しの意味なんてわざわざ考えて返してくるタイプではないと熟知しているから。
「ありがとうな、ダンナ! 大切に食べるぜ!」
『ありがとう(ございます)!』
こうしてイナリたちの笑顔を見れた宮武部は温かく微笑んで頷き、改めてトレーニング後のミーティングを始めるのだった。
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