夏の大レース、サマードリームトロフィーも終わり、本格的に夏季休暇に入ったナイトスカイ。
トレセン学園に通う生徒たちの多くは、既にトレーニング合宿を行っているが、今年のナイトスカイはその合宿を8月に入ったら行う予定でいる。
7月はサマードリームトロフィーが終わったことでのクール期間として、メンバーの静養に当てるのだ。
ということで、
「トレーナー、構えー♪」
「ああ、このデータ入力が終わったらな」
シービーは早速吉部の元へ突撃中。
あすなろ抱きで、顎を彼が痛くない程度に乗せ、尻尾をパタパタと左右に大きく動かして構って攻撃をする。
しかしそこは吉部が良しとしない。
「むぅ、アタシと仕事どっちが大切なのー?」
「シービーが大切だから、この仕事を疎かに出来ないんだ」
「……ウマ娘誑し」
「なんでだよ……」
相変わらず画面の方へ顔を向けたままの吉部が苦笑いして返せば、シービーは「なんでもー」と返して今度は彼の肩に顎を乗せる。
不覚にも自然と『シービーが大切だから』と言われたことで、珍しく彼女の乙女スイッチが押されてしまったのだ。
その証拠に言葉は素っ気なくても、尻尾は絶好調と言わんばかりに優雅に揺れている。
(…………幸せ♡)
他のメンバーに言って今の時間だけは自分が大好きな彼を独占。
だからこそ、この乙女スイッチもオンになってしまう。
(好き……トレーナー、大好き……好き好き好きぃ♡)
無意識にグイグイと頭を吉部の方へ押し当てていくシービー。
吉部は『首が……』と思いながらも、ウマ娘特有のこの『甘えたい仕草』に優しく微笑んで、彼女の襟足の生え際を軽く搔くようにマッサージした。
「んふふ……最高♡」
「マッサージしたら退いてくれよ?」
「いやー♡」
「子どもっぽく言ってもダメだ」
「仕事早く終わらせて遊んでくれるー?」
「そうするつもりだ。昼前には終わるし、午後から仕事の予定は無い」
普段からやるべきことは早めに終わらせている吉部。
なので午後からは今いないメンバーも呼んで街へ繰り出そうと考えている。
「マッサージが終わったら、悪いが暇しているメンバーをここに集めてくれるか?」
「オッケー。何か必要なものは?」
「街を散策するから飲み物と汗拭きタオルかハンカチくらいだな。あと昼食も街で何か食べようと伝えてほしい。俺の奢りで」
「ん、りょーかーい♪」
それからシービーはもう少しだけ吉部からマッサージを受け、メンバーにメッセージアプリで招集メッセージを送れば、みんなは秒で返事を送って来た。
◇
時刻はお昼過ぎ。
イマイチぱっとしない曇り空の下、吉部はシービーたちを連れて近くの商店街へやってきた。
トレセン学園に通う生徒たちの寮から近いこともあり、生徒たちにとってはお馴染みの場所。
まずは商店街内にある定食屋で昼食を済ませ、あとはウィンドウショッピング。
商店街の中にはオーダーメイドを売りにしている蹄鉄店や最近出来たニンジン専門店、老舗テールオイル店もあり、ここがどれだけウマ娘と共に発展してきかが分かる。
その上、店の人々は温かい人たちばかりだ。
超が付く有名バだろうと、一人のウマ娘として接してくれる。
だからこそウマ娘たちも居心地が良く、足を運ぶのだ。
「トレーナー君、先程会計の時に店員から何かを受け取っていたようだが、何を?」
定食屋を出てすぐ、会計を終えて先に店先で待っていたメンバー。
その中でルドルフが吉部の上着の袖を軽く掴み、上目遣いで訊ねる。
何しろ会計をしたのはアルバイトかパートの吉部と同世代の女性店員。そんな人物から彼が笑顔で何かを受け取った。ルドルフにとっては由々しき事態である。事と次第によっては先程の女性店員と膝を突き合わせてキッチリと『話し合う』必要があるからだ。
しかし、
「ああ、今日は七夕だろ? だから商店街で店を利用してくれた客に短冊を配ってるみたいでな。その短冊を貰ったんだ」
ルドルフの心配は綺麗に消え失せる。
明らかに安堵するルドルフを見て、シービーたちは苦笑い。しかしもしも個人的な好意で連絡先やなんかを貰っていたら……シービーたちもニッコリと笑みを深めるしかないだろう。
「そういえば今日は七夕かぁ……曇りだから天の川見えねぇなぁ」
残念そうにウオッカが零すと、ブルボンも同じことを思ったのかコクコクと頷いていた。
「曇りでもいいだろう。寧ろそちらの方が私はいいと思うがな」
肩を落とす二人にブライアンはそう言う。
当然、ブルボンが「何故ですか?」と問うと、
「今日は織姫と彦星が会える日だ。この天候なら雲が二人を隠してくれて、二人が私たちの目を気にすることなく過ごせるだろう?」
いつものブライアンらしくない乙女チックな返答に、ブルボンだけでなく他のメンバーも思わず呆けた顔をしてしまった。
それでもブライアンは気にすることなく、曇り空を見上げて優しく微笑んでいる。
「アタシは雨の方がいいんだけどなー♪」
いち早く復帰したシービーがそんなことを言うと、ブライアンが「それだと天の川が増水して会えないだろう」とまたも乙女チックなことを言った。
しかしシービーは「そういう説もあるよねー♪」と愉快そうにしながら、
「でも、七夕に雨が降るとそれは『催涙雨』って言って、やっと会えた織姫と彦星が嬉しくて泣いているって話があるんだよー♪」
そう付け加えた。
吉部も頷きながら「俺も子どもの頃にそんな話をお祖母ちゃんから聞いたな」と言えば、ブライアンは「おお」と目を見開いている。
「つまり今日は織姫と彦星は泣くことなく、笑顔で私たちに見られずイチャイチャするということだな」
「お前のそのセリフで台無しだな……くはは!」
目を爛々と輝かせて曇り空を見上げるブライアンを見て、シリウスは腹を抱えて笑った。
流石のシービーもルドルフも今のブライアンの言葉には苦笑い。
その一方、
「なるほど。やはり愛し合う男女がやっと会えればそうなりますよね。雲で隠せばイチャイチャし放題です」
「ま、まあ確かに、人に見られてるのにち、チュウとか出来ねぇもんなぁ……」
淡々と頷くブルボンと赤面して織姫と彦星がキスするシーンを妄想するウオッカであった。
◇
それから吉部たちがやってきたのは、商店街の組合が管理するビル。
一階にある一室で短冊に願い事を書き、その部屋の奥に寝かされている立派な笹竹に短冊を結び、夕方に商店街の表門に飾るのだそう。
「こちらのテーブルをお使いください。ペンは置いてありますから、ご自由にどうぞ」
受付の組合員から笑顔で案内を受け、それにお礼を言ってテーブルに向かう吉部たち。
テーブルにつくと、吉部は先程貰った短冊を一人一枚ずつ配る。
因みに短冊の色は黄色で、利用する店ごとに渡す色が違うという遊び心も。
「いざ願い事を考えてみると、これと言って浮かばねぇもんだな」
ペンを持ち、一考の後、唸るシリウス。
シリウスとしては今が十分に充実しているので、願い事が浮かばないようだ。
ペンで顎をトントントンと小突くシリウスの横で、
「アタシはいつも通りー♪」
「私はもっと肉が食いたいな……」
「俺は免許取りてぇ!」
「私はマスターの健康を願います」
他のメンバーは思い思いの願い事を書いて行く。
『楽しい日々が過ごせますように』
『肉フェスが年中無休で開催されることを願う』
『バイクの免許が一発で取れますように!』
『私の大切な人たちが健康でありますように』
シリウスはそれを見ながら、呆れたように息を吐きながら肩を竦めた。
みんな考えていることは相変わらずだな、と。
「私の願いはずっと変わらない」
ルドルフはスラスラと自身の願い事を書いて行く。
『全てのウマ娘が幸せになれる世の中を築けますように』
あの時から、今も変わらず追い求めていること。
全てのウマ娘が『幸せになれますように』ではなく、『築けますように』というのがルドルフらしい。
他力本願ではなく、あくまでもそうした世の中にするのは『自分の役目』であり『悲願』なのだ。
シリウスはルドルフの短冊の内容を横目に見つつ、思わず口元に笑みが浮かぶ。
相変わらず夢物語を掲げているな、と。
それでも今は、そんなルドルフの気持ちも多少は理解出来るようになったシリウス。
そう思えるようになったのも、
(こいつのお陰なのかもな……らしくねぇが、嫌じゃない)
吉部という唯一無二の存在と出会ったから。
ルールや規律によって爪弾きにされ、せっかく大金を叩いて入学したのに何も身にならない懲罰を受けてきたウマ娘たち。
たまたま同世代に自分よりも早いやつがいて、そのせいで勝てなくて退学するしかなかったウマ娘たち。
勝者の足元には常に無数の敗者がいる。
勝者が敗者を幸せにする。
笑わせるな。
敗者は常に無視される。
勝負の世界である以上、それは揺るぎない。
だからこそ、シリウスはルドルフの夢物語が許せなかったし、何の理由も聞かずにルール違反を悪だと決めつける大人たちが大嫌いだった。
そこで出会ったのが、吉部である。
態度が悪い、立ち振る舞いが悪い、言葉が荒い、そうした者たちに一切臆さず、同じ目線に立ってくれた。
勝者側であるくせに、反骨心やハングリー精神がビリビリと伝わってくる。
シービー、ルドルフを育てておきながら、
『まだ足りない』
『勝ちたい』
という欲望が伝わり、シリウスは尻尾の付け根がいい意味でゾクゾクしたのを今でも覚えている。
自分を慕ってくれるウマ娘たちのことも同期や知り合いのトレーナーとの橋渡し役になってくれて、小さなレースだが出走出来るようにしてくれた。
初めて自分を厄介者と決めつけなかった。
負けたとしても、前を向く勇気と力を植えつけてくれた。
そうしたらどうだ。負けても、悔しがりながらも、彼と関わったウマ娘は『次は勝つ』と更に担当のトレーナーとトレーニングに励むようになった。
幸せなんてのは一人ひとりの中でしか見つからない。
当然だ。神でもお釈迦様でもないのだから。
ルドルフの隣に彼がいれば、彼のようなトレーナーが増えるかもしれない。
そう考えたら、夢物語と笑ってはいられないことになるだろう。
シリウスはそう考えるようになった。
「……ん、どうした、シリウス?」
ジッと見詰められていたことに気がついて吉部が訊ねてくる。
その声が心地良くて、シリウスは『ああ、これが私の幸せか』と目を細めた。
「なんでもねぇよ」
シリウスはそれだけ返すと、ペンを走らせる。
『幸せが続くように努力する』
そう殴り書き、満足そうに頷いて短冊を結びに行った。
◇
「さっきからどうしたシリウス……?」
「私にだってこういう日はある。嫌とは言わせねぇからな?」
願い事を書いた短冊を笹竹に結び終わり、当初の目的であるウィンドウショッピングに戻った吉部たち。
しかし珍しくシリウスが他のメンバーに有無を言わさず、吉部の左腕に自身の両手を絡めるように身を寄せてきた。
シリウスの態度に困惑しつつも、吉部は吉部で持ち前の鈍感スキルを発動させて『シリウスもまだ女子学生だもんな』と思って彼女の好きにさせることにする。
「なあ、私アイス食いてえ♡」
「おやつにいいな。寄るか」
「おう、トレーナーセレクションに期待してるぜ♡」
「それで気分じゃないとか言うなよ?」
「それはお前の誠意次第だな♡ なんだ、私の好みくらい把握してねぇのか?♡ 私はお前の愛バだろ?♡」
ん?と挑戦的な笑みを見せて煽ってくるシリウス。
吉部は『今日は随分とご機嫌だな』と思いながら、「文句言うなよ?」と言ってからシービーたちに声をかけて商店街にある昔ながらのアイス屋へと向かった。
シリウスはそんな彼の横顔を愛情深い眼差しで眺めつつ、彼の太ももに尻尾をペチンペチンと当てて『こいつは私の』とマーキングしていた。
「…………ほう、つまり戦争だな?」
当然、それを真後ろで見届けるルドルフは皇帝の面構えでつぶやく。
「はぁ、また始まったな」
それに対し、ブライアンは呆れて言葉を零した。
「シリウス先輩があんなに甘えるのって珍しいッスもんねー。ルドルフ先輩が嫉妬すんのもしゃあねぇッスよ」
「普段は会長さんがマスターにベッタリする側ですからね。これを期にベッタリするのを見せつけられる側を体験すれば良いかと」
「いやいや、それはブライアンの時に体験してるからねー。シリウスが珍しくああなってるから、仲良くゴールしようねって言われてたのに抜け駆けされる気分みたいな感じなんじゃないかなー」
シービーがそう解説すると、ブルボンは『なるほど』と頷く。
「まあ衆人観衆の中でルナって泣き喚かないだけマシだな。そもそも右腕が空いているんだから反対側を占領すればいいものを……」
ブライアンはそう言いながら、ルドルフにそうアドバイスするでもなく、自分が吉部の右腕に両手を絡めに行った。
「……そうか、そうか。つまりそういうことなんだな?」
ルドルフは眼前で見せつけてくるシリウスとブライアンにそう零すと、膨れっ面になって吉部の背中に抱きついた。
「る、ルドルフさん?」
「今はルナ」
「二人きりじゃないのに?」
「いいの!」
こうなると彼女の気が済むまでは収まらない。
吉部は潔く諦めて、好きにさせることにした。
「帰り道は私とウオッカさんでマスターの両脇を占拠しましょう」
「お、俺もッスか!? ま、まあ、いいですけど……」
「ならアタシは背中ー♪」
こうして吉部は愛バたちに囲まれて、商店街の人々に温かい眼差しを向けられるのだった。熱中症対策の塩キャンディーをサービスされて。
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