蒸し暑い日が増え、雨の日が多い6月。
サマードリームトロフィー決勝を控え、豊藤はルビーたちに軽いトレーニングだけを施し、あとは明日に備えて休ませることにした。
したのだが―――
「……うーん、流石ロイヤルクオリティ〜」
―――豊藤はもう人生何度目なのか分からない無力感を味わっている。
本日はダイイチ家御用達の高級ホテルにて、婚約式が執り行われているのだ。
婚約式とは結婚の約束を家族や友人、知人に伝える儀式。キリスト教の伝統的な儀式であり、欧米なんかではプロポーズ後に教会で行われることが一般的だ。
一方で日本で行われる婚約式は結納よりも大勢の人の前で婚約を報告したい場合に行われることが多いため、今回の婚約式にはURAの関係者たちはもちろんのこと、秋川理事長ら学園のお偉いさんに各家と繋がりのある財界人たち、アイルランド王家と繋がりのある貴族たちとそうそうたる人たちが参列している。
加えてアスリートウマ娘専門の各メディア陣やアイルランドの報道陣がこの婚約式を生中継しているので、余計に豊藤は『あぁ、もうフラグが超合金になってしまった……』と諦めの表情が滲み出ているのだ。
仮に婚約なんて解消したものなら……考えるだけで生き地獄である。
ただ、
「多くの方々にお祝いをしてもらえて、嬉しいですね」
ルビーたちの笑顔がとても輝いているのは、素直に嬉しいと感じてしまう豊藤。
それだけ色々なプレッシャーや使命に押し潰されそうになっている彼女たちを支えてきたからこそ思えることだ。
この笑顔を守護れるなら、どんなことでもしてあげよう……そう素直に誓いを立ててしまえる。
フラグはダイヤモンドやタングステン張りの強度を誇り、外堀はアルカトラズ並み……もう覚悟を決める以外の選択肢が豊藤にはない。
「ソウダネ」
故に日本語が下手な留学生みたいな片言でしか返せなかった。
◇
盛大な婚約式が無事に終わり、来賓たちはホテルに泊まり、豊藤はルビーたちを連れて自身の邸宅に帰ってきた。
みんな今日は寮に戻るつもりはないようで、最初から泊まることを前提に寮にも外泊届を提出済み。
豊藤に至ってはルビーたちが泊まることには慣れてしまっているので、二つ返事で了承。
そして今はルビーたちが入浴中で、彼女たちのご厚意で先に風呂を済ませた豊藤はリビングルームのソファーに腰掛けながら、今日の婚約式のことを思い返していた。
アイルランド国王直々に婚約書を読み上げて頂き、ルビーたちのご家族から『娘をよろしく頼みます』と頭を下げられ、数々の著名人、要人たちから祝福の言葉を貰い、自身の家族からは肩を優しく叩かれた。
父の目はまるで『全てを受け入れなさい』と言われているかのようで、豊藤はただただ頷く他なかったのを今でも鮮明に覚えている。
一方で母からは『愛されて幸せね♪ 流石は私の息子!』なんて誇らしげに声をかけられて、苦笑いしか返せなかった。
しかし昼間何度も感じたように、
「……オレは無力だ」
今の自分にこの状況を覆せる程の力はない。
あるとすれば犯罪を犯して刑務所行きになって婚約破棄を狙う、といった荒唐無稽なことだ。
いや、例えそうしたとしてもルビーたちの持つ権力で揉み消し……またはこれ幸いと世間から隔離されてしまいかねない。それを平気で出来るのがルビーたちだ。
何しろルビーたちはそれだけの力を持っているのだから。
「なあ、じい」
「はい、なんで御座いましょう?」
「本当にこれでいいのかな?」
豊藤の問いに執事は何を言うでもなく、黙ったまま彼に『これでいいとは?』と返す。
「だってさ……オレと歳の差あるし、オレなんかよりも色んな大変なことを背負ってる子たちじゃん? そんな彼女たちの結婚相手が家柄しか取り柄のないオレだなんて、間違ってると思うんだよ」
「康洋様……いえ、今は敢えて坊っちゃんとお呼びします」
坊っちゃん……それは執事が幼い豊藤を呼ぶ際に口にしていた呼称。彼が本格的にトレーナーとして独り立ちした際に止めたこと。
しかし執事は今は豊藤トレーナーの執事ではなく、幼い頃から面倒を見てきたおじさんとして、若輩者へ言葉を送ることにしたのだ。
「先ず第一に『歳の差』はこの際関係ありません。現代でも年齢差のある結婚は珍しくありませんからね」
「そりゃあ、まあ……」
「次に『家柄しか』と仰る点ですが、坊っちゃんのトレーナーとしての手腕はメディアでも取り上げられる程の物です。確かに一部ではウマ娘の実力が高いから結果が出ている……との声もありますが、実力があるウマ娘を見出すこともトレーナーとしての眼が確かだからこそかと、素人ながら坊っちゃんを見てきた私だからこそ言えます」
「…………」
「婚約者様方がどんなに重い使命をお持ちでも、坊っちゃんが真摯に受け止め、トレーナーとして柔軟に対応し、その上で結果を出せた……であるならば、この方とも人生の……いえ、ウマ娘ですからバ生ですかな? とにかく、一族の使命も重責も、坊っちゃんが隣にいてくれるのであれば何も怖くない……皆様はそう思い、坊っちゃんを選んだ、のではないかと」
「…………オレはただ必死にみんなが楽しく走れるようにサポートしてきただけなんだけど?」
「ではレースを引退されても、必死に皆様が楽しくバ生を送れるようにサポートすれば良いのでは?」
「……オレ、トレーナー続けたいんだけど?」
「その家専属トレーナーという道がありますでしょう。メジロ家のトレーナー様みたいに」
「…………独身でいたい」
「諦めてください。詰んでます。チェックメイトです。四方八方を塞がれて成す術もありません。万策尽きています」
執事からのトドメに豊藤は顔を両手で覆った。
だよね。知ってた……と。
「私から敢えて言わせてもらえば、あれだけ幼い頃から婚約者様方の男性感を木っ端微塵に破壊し尽くして何を言っているんだ?と存じます」
「えぇ……オレが悪いの?」
「ウマ娘の将来結婚する、は人間同士のモノとは全く違うのですよ。そう言わせてしまった時点で、更に坊っちゃんよりも社会的にも能力的にも格上な相手なのですから、尚更。私としましても、坊っちゃんはリセットの出来ない人生において敢えて結婚RTAをしているのかと考えたこともありますね」
「…………」
「無自覚とは恐ろしいですね。孫にも……いずれ会うことになるひ孫にも、坊っちゃんの生き様をお教えしようと思いますよ。人生は無自覚イケメンスパダリムーブによって詰んでいくのだ、と。その際、その結果が坊っちゃんです、と決め台詞を吐く予定です」
胸に手を当て、晴れ晴れとした表情のまま胸を張る執事を見て、豊藤はその顔をひっ叩きたくなったが、堪える。暴力に訴えたところで、結局余計に執事の子々孫々まで反面教師にされてしまうのだから。
「……そもそも坊っちゃん」
「何さ?」
「婚約者様方のこと、お嫌いではないのでしょう?」
執事のド直球な質問に豊藤は思わず硬直する。
「ダイイチルビー様を始め、皆々様は気心の知れた間柄。妹のように接してきた、という部分があるにせよ、時折坊っちゃんへのみお見せする乙女な部分やお甘えになる部分も、結局はお嫌いではないからこそ受け入れて居られるのでしょう?」
「……まあ、どうでもいい相手なら無視してるからね」
「ということは?」
「……嫌いというよりは、断然好きだよ。当然でしょ、あんなに素直に好意向けられて、喜ばない男はいないって」
その言葉を聞いて、執事は優しくニッコリと笑みを見せ、深々とお辞儀をした―――
「ありがとうございます」
―――と。
豊藤が唐突な感謝に「は?」と困惑している最中、
「話は聞かせて頂きました。私も貴方が好きです♡」
と普段見せない年相応の愛くるしい笑みのルビー―――
「やっとキミの言葉で聞けて最高の気分だよ♡」
と両手を組んで満面の笑みのファイン―――
「言えたじゃないの♡」
と満足げに腕組みをしているダスカ―――
「短い言葉でこんなにも気分が高揚するものとは思いませんでしたわ♡」
と乙女心全開の屈託のない笑みを見せるジェンティル―――
「素直になってくれて嬉しいわ♡」
と腰に両手をやって聖母のように微笑むクラウン―――
「……ふへへ♡」
と豊藤の本心が聞けてふにゃふにゃになっているドゥラメンテ―――
「結婚式が待ち遠しいですね♡」
もう早くも結婚式を心待ちにするダイヤ―――
ずっと扉の前で聞き耳を立てていたルビーたちがホクホク顔で入室して、口々に喜びを告げた。
豊藤が物凄い速度で執事へ向き直ると、執事はクールに優しく微笑むのみ。つまりはお節介だと知りながらルビーたちの気配を察知して豊藤の本心をわざわざ口にさせたのである。
その証拠にファインのSP隊員や豊藤宅にいるメイドたちが無言で互いに拳をぶつけ合っているのだから。当然、今の言葉はしっかりとSP隊員たちによって録音済み。
「…………なんでこうなるかなー」
力なくソファーの背もたれにもたれる豊藤。
しかしルビーたちの容赦ない自分へ向けた愛おしい視線が降り注ぐ。
時間差で間接的に、しかも意図しない形で、自分の嘘偽りのない気持ちを知られてしまった恥ずかしさが込み上げてきて、豊藤はそのままソファーにごろりと横になり、顔を両手で覆った。
「そんなことしても可愛いだけなんだけど?」
「さっきまで凛々しかったのにー」
ダスカとファインの追撃が余計に豊藤のちっぽけなプライドをオーバーキルする。
しかし豊藤も男。恥ずかしがってばかりではいけない。これだけは伝えなくてはいけない。そう思って、口を開いた。
「みんなのことが好きです。将来結婚します。でもダイヤが卒業するまでは社会人としてのモラルを守らせてください」
横になって顔を両手で覆ったまま、消え入りそうな声でもなんとか伝えておきたい言葉を豊藤が伝えると、ルビーたちはまるで凱旋門賞を連覇したかのような……いや、それにも勝る喜びに頬が緩んだ。
何も知らない人が見れば、なんとも情けないプロポーズだろう。
しかし豊藤とルビーたちを繋ぐ絆の前では、どんな状況だろうとロマンス小説のワンシーンだ。
「おめでとうございます、殿下!」
「誉れで御座いますね!」
「明日はお赤飯を炊かないといけませんね!」
「陛下へお伝えせねば!」
「バカ者! それは殿下が直接するからこそ意味がある!」
やいのやいのとSP隊員たちが騒ぎ、メイドたちも加わってまるで何かのお祭りのよう。
しかし執事が「あとは婚約者様同士のお時間を」と言えば、一斉に口を噤み、SP隊員一人とメイド一人以外は持ち場に戻った。
その後、豊藤は恥ずかしさと照れ臭さの中、ルビーたちと今後の予定を話し合い―――
結婚はダイヤが卒業してから(譲歩された)
結婚式はアイルランドと日本で挙げる
キスまではOK(押し切られた)
浮気はダメ、絶対(したら監禁エンド)
婚約指輪を常時つける(ルビーたちはトレーニングやレースの際は外す)
―――まで決めるのだった。
読んで頂き本当にありがとうございました!