季節は秋となり、トレセン学園を包む空気も少しずつ冷たさを帯びてきた。チーム『モンスターズ』の面々も、冬の頂点決戦であるウィンタードリームトロフィーに向けて日々のトレーニングに励んでいる。
しかし、彼女たちにはウマ娘としての顔だけでなく、多感な時期を過ごす学生としての生活もある。今日は過酷なトレーニングを開始する前に、学園最大の行事『聖蹄祭』の出し物について話し合うことになった。
「まず第一に……お前ら、チームとして出し物をしたいか?」
山場武の問いに、腕を組んでグラスたちは「うーん」と思案の声を漏らす。
実のところ、彼女たちがチーム単位で出し物をしたことは一度もない。理由は極めてシンプルだった。彼女たちは全員が同じクラスに所属しているため、六人もごっそり抜けてしまうとクラス側の出し物に致命的な支障が出るからだ。
「みんなのクラスの方はどうなんだ、進捗は?」
「今年は『茶屋』をすることになりました。今のところは本格的なお茶と季節の和菓子を提供する予定です」
グラスが答えると、山場武は即座に納得したように頷いた。
「なら無理だな。グラスありきの出し物だろ、それは」
グラスは日本茶にも精通している。彼女の不在は戦力的にも、看板娘としての集客力的にも痛手すぎるのだ。結局、今年もチームでの出し物は見送るという結論に至った。
「やっぱり、やらないのが無難かなー」
「やりたい気持ちはあるけど、教室と持ち場を行ったり来たりするのは大変だもんね」
ツヨシとスペの言葉に、全員が同意するように頷く。
「よし、なら方針決定だ。話し合いは終わりだが……トレーニングの前に。スペ、起立!」
「え、あ、はいっ!」
唐突な号令に困惑しつつも、スペは軍隊のようにピシッと気を付けの姿勢をとった。山場武はスペのすぐ側まで歩み寄る。不安そうに瞳と尻尾を揺らす愛弟子の額を、彼は指先で軽く突いた。
「聖蹄祭を楽しむのは大いに結構だ。しかーし!」
「ひぇっ」
「スペ、お前は毎年のようにカロリーオーバーしているのを忘れるなよ?」
スペの耳が、目に見えてへにょりと垂れた。
トレーナーがこうも口酸っぱく言うのは、担当になって以来、彼女がイベントのたびに体重計の上で絶望し、血の滲むようなダイエットトレーニングを何度も何度も何度も繰り返しているからだ。
「げっそり痩せこけるよりはマシだが、あれもこれもと好き勝手食うんじゃないぞ」
「はい……」
「みんながドリームレースに向けて牙を研いでる最中、自分だけ体重管理のために泣きながら走ってるのは虚しいだろ?」
「…………はい」
「……今のは何の間だ?」
「え、っと……食べられなかった後悔よりは、食べてからの後悔の方がいいかなって……ほら、お祭りの雰囲気って、胃袋のリミッターが外れちゃわないですか!?」
あまりに素直すぎる吐露に、山場武はクワッと目を見開いた。本気モードのトレーナーの眼光に、スペは「ひぇぇ」と小さな悲鳴をあげる。
「別に食うなとは言ってねえよ。食い過ぎるなと言ってるんだ。自制しねえと、後々困るのは自分だぞ。分かるな?」
山場武の真剣な問いに、スペは「はいっ!」と今度は力強く頷いて見せた。
「よし。なら監視役としてグラスを付ける」
「えっ」
スペの表情が凍りついた。背後では、グラスが右頬に手を当てて「ふふっ」と、すべてを見通すような聖母の微笑みを浮かべている。
「スペちゃん? 何かご不満でも?」
「あ、ううん、違うよグラスちゃん! 決してグラスちゃんが怖いから嫌だなんて意味の『え』じゃないよ!?」
もう本音を漏らしているスペに、一同は苦笑するしかない。グラスの背後に阿修羅か金剛力士像が立っているように見えるのは、もはやチームの恒例行事だ。ウンスに至っては、手遅れだと言わんばかりに合掌している。
「グラス、徹底的にマークしろ。今の体重と運動量から算出した規定カロリー……そこまでは食わせていい。だが、それを一歩でも越えようとしたら……躊躇せず、やれ」
山場武が首を跳ねる仕草を見せると、グラスは涼やかな笑顔で頷いた。実際には手刀を浴びせて気絶させるだけだが、スペにとっては死刑宣告も同然だ。
「ちゃんと優先順位を決めて食べるように。いいな?」
「はい……分かりましたぁ……」
項垂れるスペだが、彼女の規定カロリーは常人の数倍はある。それに加え、模擬店は有料だ。彼女は今、レースの展開予想よりも真剣に、財布の中身とメニュー案を脳内でフルスロットルで回転させ始めた。
「スペちゃん、せめて実行委員から案内図が出てから考えなよー」
「スペさんはお食事系の各模擬店から要注意人物としてマークされてるはずだから、購入制限もかかると思うわよ。私なら顔写真付きの警戒リストを貼り出すもの」
キングの的確すぎる指摘に、スペは「えぇ!? 私、ちゃんと考えて注文するよー!」と反論するが、間髪入れずにみんなから一斉否定が飛ぶ。
「ま、そういうこった。対策をされた模擬店相手にどう立ち回るか考えておけ……じゃあ、トレーニングに移るぞ!」
山場武の号令に全員が威勢よく応え、部室へと駆け出していった。
◇
本日のトレーニングを終え、夕闇が迫る中でクールダウンのストレッチをしていた時。
「…………(くんくん)」
「スペちゃん、よだれよだれ!」
スペが我慢の限界を迎えていた。秋の風に乗って、聖蹄祭の準備に励む生徒たちの模擬店から試作料理の匂いが漂ってきたのだ。
ただでさえウマ娘の嗅覚は鋭い。トレーニングで全エネルギーを使い果たした今の彼女たちにとって、この香りは暴力的なまでの誘惑だった。
「スペちゃんじゃないけど、トレーニングでお腹減ってるとこにこの匂いは効くね〜。魂が抜けそう」
「デース……流石のエルもこれにはノックアウト寸前デース。まるでグルメ市場に迷い込んだようなスパイシーな誘惑……!」
ウンスやエルの言葉に他のメンバーも同意するように苦笑いする。
「どこのクラスなのかしらね、この食欲をそそるカレーを作っているのは」
「チームの方かもしれませんね。香りの層が厚いです」
キングの言葉にグラスがにこやかに返すと、キングも「当日が楽しみね」と優雅に笑みを返す。
その一方で、
「スペちゃん、よだれ! よだれが滝のようになって芝生を濡らしてるー!」
ツヨシは必死にスペの口から排出されるよだれをタオルで拭き取っていた。
「ほらほら、ストレッチしっかりやれー。終われば着替えたあとに飯連れてってやるぞー」
山場武が手を叩きながら促すと、スペは一瞬で目を輝かせ、驚異的な集中力でストレッチを完遂。誰よりも速い脚でシャワールームへと消えていき、みんなはそれに苦笑いしながら続いた。
◇
そして山場武がみんなを連れてやってきたのは、外周コースのルート沿いにある静かな公園だった。
そこには不定期で現れる押し屋台のラーメン屋がある。山場武は中央へ来て以来、このラーメンの味に惚れ込み、わざわざ連絡先を交換してまで情報を追いかけている常連なのだ。
「どうも、大将さん。もうやってますか?」
「おう、来たのか」
暖簾をくぐると、いぶし銀の老主人がぶっきらぼうに出迎える。この大将、かつてゴールドシップとの勝負に打ち勝った伝説を持つ猛者だ。
「こんばんはー! 大将さん、私『大将スペシャル』ください! あとご飯も!」
スペの速攻注文に、大将は短く「おう」と応じ、調理を開始した。
彼女の頼んだ『大将スペシャル』とは、もやし一袋を丸ごと茹で上げた山脈を築き、その内部にコーンを隠し、周囲を厚さ三センチの角煮とナルトが包囲する、まさに「要塞」のような一杯だ。
「アタシは塩バターラーメンにコーントッピングでお願いします!」
「私は醤油ラーメンでメンマ多めでお願いします!」
エルとツヨシが注文する一方で、グラス、ウンス、キングの三人は大盛り一杯をシェアすることにした。みんなも食べようと思えば食べられるが、寮での夕飯を考えるとシェアするのが一番なので一流の自制心を見せる。
「俺はチャーシューメンください。醤油で……あと持ち帰りでモツ煮ください」
みんなの注文にも大将は「はいよ」と短めに返事をしつつ淡々と調理していった。
「お待ち」
ドスン、と重量感のある音を立ててスペの前に『要塞』が着陣した。
「いただきまーす!」
スペがラーメン山脈の登頂を開始する。もやしの壁を突き崩し、脂の乗った角煮を頬張る。その表情は、先ほど部室で注意された「後悔」のことなど、1ミリも覚えていないかのようだった。
「ウンス、キング。チャーシューやるよ」
「ありがとう、トレーナーさん。やっぱりチャーシューは主役だよね〜」
「ありがとう、トレーナー。これは一流のたんぱく質だわ」
山場武が自分のチャーシューを二人に分け与える。こうすることで全員にチャーシューが行き渡るのだ。
「……トレーナーさん、自分の分がなくなっちゃいますよ?」
ツヨシが心配そうに覗き込むが、山場武は「いいんだよ。お前らがしっかり食って、明日からまた元気に走ってくれりゃな」と笑った。
屋台の裸電球の下、湯気の向こうで笑い合う六人のウマ娘とトレーナー一人。
スペは最後に、ライスを残ったスープに投入し、具材の旨味を余さずかき込んだ。
「あぁ〜……幸せです! やっぱり『食べたあとの後悔』の方が、人生得してる気がします!」
膨らんだお腹をさすりながら満足げに笑うスペに、山場武は「ま、今日くらいはな」と苦笑いを漏らす。
「……でも、聖蹄祭が終わったら、いよいよウィンタードリームトロフィーレースかぁ」
ふと、ウンスがスープを飲み干して呟いた。その瞳には、いつもの飄々とした雰囲気の奥に、鋭い勝負師の光が宿っている。
「ええ。お祭り騒ぎもいいけれど、私たちの本分はターフの上。浮かれてばかりはいられないわ」
キングが口元をポケットティッシュで拭い、真剣な面持ちで頷く。
「最高のお祭りを全力で楽しんで、そのままの勢いで駆け抜けるデース!」
「うん! チーム『モンスターズ』の底力、見せてやろうね!」
ツヨシの言葉に、全員が力強く頷く。
大将が静かにスープをかき混ぜる音と、彼女たちの賑やかな決意。
山場武は、空になったどんぶりを見つめながら、これから始まる熱い季節を思い、教え子たちの頼もしい背中を見守るのだった。
「ごちそうさま……さあ、帰るぞ。明日からはまた、地獄のトレーニングだ。それとスペ、その腹の分、しっかり走ってもらうからな」
『はーい!!』
秋の夜風を切り裂くような元気な返事が、静かな公園にいつまでも響いていた。
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