ウマ娘たちと担当トレーナーの日々   作:室賀小史郎

55 / 162
ジャイアントキリングの10月

 

 10月ももう後半。

 すっかり秋めいて朝晩が肌寒い。

 しかし昼間は気温も日差しのお陰で暖かく、穏やかだ。

 

 時刻は午前の11時を回ったばかり。

 そんな時間なのに、田添のいるトレーナー室をノックする音が響く。

 しかしそのノックに返ってくる声はない。

 ノックした主は「いないのー?」と問いながらトレーナー室に入ってきた。

 

 入ってきたのはテイオー。

 彼女の手にはスケッチブックと筆記用具がある。

 実は今、彼女は美術の授業中。

 授業内容は風景や草木を模写するといったものだったため、ならば自分はトレーナー室で田添を書こうとやって来たのだ。

 同じクラスのターボたちには悪いが、彼女らは既に外へ出て行ってしまったあとだったので、テイオーとしては二人きりになれる絶好のチャンス。

 

 だが、

 

「すぅ……すぅ……」

 

 目的のお相手田添は珍しく寝落ちしてしまっていた。

 しかしそれも仕方ないことだ。

 ウィンタードリームトロフィーの予選をチーム全員が突破したのだから、次の準決勝に向けてやることが多い。

 きっと家でもあらゆる分析をして、自分たちに必要なトレーニングプランを考えているのだから。

 

 なのでテイオーは田添を起こさないようにそっと扉を閉じて、物音を極力立てないようにしながら居眠りする田添を描いていくことに。

 

 愛する人の無防備な寝顔。

 別に初めて見る訳ではないが、何度見ても愛する人の寝顔は見ていてときめく。

 聞こえてくる規則正しい寝息と自身の腕を枕にしてデスクに突っ伏している田添を見ながら、スケッチブックに鉛筆を走らせていると、

 

(あ……)

 

 テイオーはある箇所に目が行った、

 それは田添の右手。正確には右拳の人差し指と中指のMP関節部分の皮膚だ。

 そこにはもう大分目立たなくなったが、変色している部分がある。

 これは傷跡だ。

 何かで怪我をしたというか、田添自らの過ちによって出来てしまった傷跡である。

 

 テイオーはそれを見て、当時のことを思い出した。

 

 ◆

 

 それは菊花賞の出走登録期限が差し迫っていた時だった。

 骨折してもどうにかして菊花賞に出走するためにあらゆる手段を模索した田添。

 しかしどんなに考えても、テイオーの今後のことを考えれば取るべきものがなんなのかは明白である。

 

 なので、

 

「菊花賞には出走しない」

 

「えぇぇぇぇぇっ!!!!?」

 

 田添の決断にテイオーは当然のように強い拒否反応を見せた。

 

 田添だってテイオーがあのシンボリルドルフに憧れて無敗の三冠ウマ娘になるという夢を知っているし、それを実現させるために共に走ってきた。

 しかしドクターストップを出されているのに、自身の眼を持ってしても走らせられないと分かるのに、出走させるなんてことは出来ない。

 

「どうしてよ! トレーナーが言ったんだよ!? 伝説を作ろうって! ボクはそれを信じて、トレーナーを信じてここまで来たのに! 今更諦めろだなんて、無責任過ぎるよ!」

「……本当に悪いと思っている」

「そう思ってるなら走らせてよ!」

「ダメだ。今の状態で走れば、最悪歩けなくなるぞ」

「いいよ! 歩けなくなったって! 菊花賞は一度しか出れないんだ! だったら――」

「――残りのバ生を無駄にさせるなら見過ごせない! そこまでの覚悟あるなら、俺にだってそれだけの覚悟があるんだ!」

 

 田添の見たこともない気迫に何も言い返せず、思わずたじろぐテイオー。

 

「お前の今後のバ生を考えれた上での決断だ。俺を一生恨んでくれていいし、許してくれなんて言わない。お前の脚とその後の生活を守れるなら、俺は喜んで悪人になろう」

 

 それからテイオーは田添を避けるようになった。

 顔も合わさぬまま、菊花賞はトウカイテイオー不在のまま幕を下ろす。

 

 世間ではテイオーが出走出来なかったことを惜しむ声が多い中、田添へバッシングも少なからずあった。

 父親がスポーツ医学の第一人者であり、幼い頃から本人もその知識を磨いている。なのに防げなかった。ああしていたら、こうしていたらのタラレバで無責任な口撃が田添を責めた。

 しかし田添は毅然とした態度を崩さなかった。

 自分が真摯に受け止めてこそ、次なる一歩があるのだからと。

 

 対してテイオーはターボやフラワーに相談し、チームから抜けることを告げる。

 当然二人は止めた。止めたが、テイオーを止めることは出来ない。

 

 トレーナー事務所で担当契約解消届を受け取り、テイオーは会いたくないが仕方ないと久々に田添のトレーナー室の前までやってくる。

 連日取り沙汰される田添のトレーナーとしての是非。どんなに言われようとも態度を崩さない田添。

 

 もう自分でもどうしたらいいか分からない。

 だったらもう他人になればいい。

 

 そう思って今に至る。

 しかしテイオーは既に隙間が開いている扉の向こうから、泣き崩れる田添を目撃した。

 

「俺だってテイオーが三冠バになる瞬間をこの目で見たかったさ! 何日も何日も考えた! どうやったら治してやれるか! 俺に出来ることは無いのかって! でも俺は神じゃない! 出来ないものは出来ないんだ!」

 

 素手で床を何度も殴りつけ、誰に向けてなのか分からない言葉を叫ぶ田添。

 

「そりゃあ期待していたファンには悪いことをしたさ。でもな、テイオーのバ生と三冠を天秤にかけたら、重いのは今後残ってるバ生の方が重いに決まってるんだ! もし無理にレースに出させてテイオーの脚が壊れたらどうする? 今後も楽しく走れたはずの未来を失って絶望を抱くのは彼女なんだ! そんなの俺が許せるはずないんだよ! 大切だから……ウマ娘にとって脚は命の次に大切だから!」

 

 子どものように大泣きし、殴りつける右手から血を流しながらの独白を偶然にも聞いたテイオーは、田添が自分以上に苦しんでいることを知った。

 それと同時に自分のことでもないのに、自分のためにこんなにも考えて、苦しんでくれたことに申し訳無さと感謝がとめどなく溢れてきた。

 トレーナーなんていくらでもいる。

 しかしそれはその反対も同じこと。

 なのに彼は自分を選んでくれた。

 自分なら優秀なトレーナーにスカウトされて当たり前。

 そんなの嘘だ。

 彼だから、無敗の二冠バになれたんだ。

 間違ってたのは自分だ。

 もう決して間違えない。

 彼が自分のトレーナーだから、悔しかったんだ。

 支えてくれたトレーナーに三冠バになる自分を見せられなくて。

 なら腐ってる場合じゃない。

 彼の隣に立てるウマ娘であるために。

 

 ◇

 

(そのあとトレーナーと仲直りして、手の手当てをして、ターボやフラワーがボクたちがケンカしたって勘違いして泣いちゃって……。誤解を解いたらまた泣いちゃって、大変だったなぁ)

 

 当時は辛かったことだが、今となっては笑いながら思い浮かべることが出来るテイオー。

 今こうしていられるのも田添のお陰だと思うと、テイオーはこの上ない愛情が胸の中で膨らんでいく。

 

(大好き……トレーナーがボクのトレーナーで、ボクはホントに幸せだよ♡)

 

 心の中でぽつりとつぶやき、我慢出来ずに居眠りする田添の頬にそっと口づけを落とすテイオー。

 そうすれば当然、田添は目が覚めた。

 微睡みながら、しっかりと目と目が合う。

 普段の凛々しい彼の顔とは違い、少年のようにくしゃりと表情を崩すので、テイオーもそれにつられて頬が緩んだ。

 

「おはよ、トレーナー♡」

「おお、テイオー……おはよう」

「ちゃんと夜寝ないとダメだよー?♡ 自分のことも大切にしないと、ボク怒るからね?♡」

「そんなニコニコで言われてもな」

「えへへ、居眠りするトレーナーはレアだからねー♡」

 

 田添の背中に顔を埋め、グリグリと擦り付けるテイオー。

 まるで友達のナイスネイチャが野良猫のお腹に顔を埋めているのを彷彿とし、テイオーは自分で自分が笑えた。

 

「ちゃんと起きるから勘弁してくれ」

「ダメー♡ もうちょっとこのままー♡」

「……仕方ないな」

「フフーン♡」

 

 その後もうんと田添に甘えたテイオーだったが、すっかり模写のことを忘れてしまったため、美術の先生からお叱りを受けたのはまた別のお話し。

 

 ―――――――――

 

 ウキウキ。ワクワク。ドキドキ。

 ソワソワしながら、落ち着きなく両サイドにある自慢の大きなお下げを弄くり回す。

 その主はマーベラスサンデー。

 いつも元気いっぱいで、何かと周りを振り回すことの多い子が、今に至っては借りてきた猫のよう。

 理由は、

 

「にしても偶然だな、まさかマーベラスに会うだなんて」

 

 田添と二人きりでカフェにいるからだ。

 

 今日は日曜日。チーム『ジャイアントキリング』もトレーニングがお休みで、田添も仕事は休みであるが、実家の法事があるということでメンバーは仕方なく思い思いの休日を過ごすことに。

 マーベラスもいつならばメンバーの誰かやサクラローレル、ナイスネイチャといった仲が良い友達らと遊びに行くことが多いが、今日はマーベラスな予感がするということで一人で気ままに散策していた。

 

 公園をぐるりと走ったり、野良猫と戯れたりといきあたりばったりに過ごしていたところに、法事を終えて帰宅途中の田添とばったり会ったのである。

 そしてせっかくこうして会ったのだからと近場のカフェにやってきた。

 

 いきなりやってきた絶好のシチュエーションに、流石のマーベラスも乙女全開で田添の方をチラリチラリと覗き見ながら、頼んだショートケーキを食べる。

 

「今日はみんなと会えないと思ってたから、マーベラスにだけでも会えて嬉しいよ」

「アタシも嬉しい、よ♡」

 

 田添の天然火の玉ストレートにマーベラスは思わず言葉がぎこちなくなってしまった。

 しかし田添は気にすることなく、相変わらず優しい笑顔を浮かべながらブラックコーヒーを嗜んでいる。

 

「今日、マーベラスは一人で何をしていたんだ?」

「えっと……色んな公園を走って回って、猫ちゃんを追いかけたり、わんちゃんと追いかけっ子したり、してた!」

「楽しい休日を過ごしているようで何よりだ」

「ぴぅ♡」

 

 マーベラスの妙な鳴き声に田添は小首を傾げた。

 しかし仕方ない。マーベラスにとって二人だけの空間は幸せ過ぎてキャパオーバーなのだ。

 なので、

 

「やっほー、お二人さーん!」

「タァァァボがぁぁぁー! 来たぁぁぁっ!」

「こんにちは、トレーナーさん、マーベラスさん♪」

「マベちん朝ぶりー♪」

「こーんにーちーはー♪」

「えへへ、来ちゃった♡」

 

 マーベラスはせっかくの二人だけの空間を壊すのは勿体ないが、田添に変な子だと思われないためにチームのグループチャットに『トレーナー発見! 〇〇カフェにアタシといるよー!』と送っておいたのだ。

 そうすれば何をしていてもみんなは田添のもとへ馳せ参じる。

 

「おぉ、みんな。マーベラスが呼んでくれたのか?」

 

 コクコクとなんとか返すマーベラスに田添は「ありがとう」と満面の笑みで告げれば、マーベラスは『もう無理ぃ!』とばかりに「おしっこ!」と言って席を立った。

 田添は気にすることなく見送るが、

 

「あれは無理だよ」

「マーベラス頑張った」

「頑張りましたね」

「マヤも無理だ〜」

「胸がうらら〜ってしちゃうね〜」

「罪作り製造機だもんね〜♪」

 

 他のメンバーはマーベラスに敬意を払う。

 田添はなんのことだかさっぱりであったが、会えないと思っていたテイオーたちに会えてご機嫌で、テイオーたちも天然火の玉ストレートを食らって胸がずきゅんどきゅんし、まさに田添無双なひとときを幸せいっぱいに過ごすのだった。




読んで頂き本当にありがとうございました!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。