トレセン学園が行う行事の中でファン感謝祭に次いで凄い盛り上がりを見せる聖蹄祭。
その準備でトレセン学園はいつも以上に賑やかな声が聞こえてくるが、河部のトレーナー室はまるで悠久の時の中にあるような、そんなことを思わせるほどにゆったりとした時間が過ぎていた。
理由は簡単。チーム『メジロ』の出し物は午前と午後に行われるステージ発表のみだから。
やることも決まっているのであれば、他の生徒たちのように忙しくする必要もない。
故に河部は仕事も終え、みんなが来るまでのんびりとお茶を嗜む。
本日の紅茶はロージーオータムナル。
ほんのりと紅く染まった水色からバラ色の秋を感じさせるお茶で、今回はロシアンティースタイルで頂く。
温めたポットにディンブラの茶葉を入れ、3分蒸らす。
同時に温めておいた別のポットにラズベリーを10粒ほど入れ、茶漉しを使って紅茶を注ぎ、蓋をしてまた3分ほど馴染ませる。
温めたカップにラズベリーを3つ入れ、先程馴染ませた紅茶をその上に注げば、出来上がり。
仕上げとしてラズベリージャムやハチミツを添えれば、完璧だ。
「…………うん、いい」
思わずそうつぶやいてホッと一息吐く河部。
ウマ娘のレース観戦を除けば、唯一長続きしている趣味の一つがこのお茶である。
「失礼致します」
そこへしずしずと入室して来たのはアルダン。
アルダンは入室してすぐにトレーナー室に広がる紅茶の香りに、思わず笑みが零れてしまう。
何故ならこのロージーオータムナルはアルダンにとって思い出のお茶だから。
「いらっしゃい、アルちゃん」
「今日は私が一番ですね♪」
「そうだね。ちょうどお茶淹れたとこだし、どう?」
「はい、是非」
アルダンは返事をすると、スルスルと河部の膝上に腰を下ろす。
小さい頃から何度もお世話になった愛する彼の膝の上。大きくなった今でも、彼の膝上はアルダンにとって特別席だ。
「相変わらず甘えん坊だなぁ、アルちゃん」
「トレーナーさんにだけでーす♪」
「アルちゃんはハチミツだったよね」
「はい♪」
アルダンは弾んだ声で返事をし、ロージーオータムナルを口に含む。
すると河部が小さなスプーンでハチミツをすくって口元まで運んでくれた。
それを口に含むと、あの頃と同じ味がする。アルダンはそれだけで『今日は最高の一日』と思えた。
「アルちゃんはロージーオータムナルが好きだね〜」
「私が熱で辛い時、このお茶をトレーナーさんが用意してくれて、とても飲みやすくて……とても安心したんです。その時から、このお茶は私の特別なお茶になりました」
「よくおねだりされたから、お陰でロージーオータムナルは一番淹れるのが上手くなったよ」
「うふふっ、私のお陰ですね♪」
コロコロと鈴の音のような笑い声を響かせるアルダンを、河部は『言うようになったな』と思いつつ彼女の髪を優しく手で梳く。
小さい頃は見ていて可哀想に思えてしまうほどか弱く、儚い子だった。それでも周りに心配させないように笑う、強い子。
そんな子を心から笑顔にさせたくて、用意したのがこのロージーオータムナルだった。
紅茶は熱が下がってからもカテキンが風邪予防になるし、ラズベリーのビタミンやハチミツのプロポリスも風邪の際には役立ってくれる。
何よりラズベリーやハチミツのお陰で紅茶が美味しく飲めた。勿論当時は幼かったので、カフェインが入っていることからおやつ時に1杯と決めて。
「トレーナーさんが絵本を読んでくださって、それを聴きながら飲むロージーオータムナルが一番美味しかったんです……」
「なら今も絵本読もうか?」
「いいですね……でも、もう子どもではありませんから、トレーナーさんとの将来のお話をしたいです♪」
アルダンはそう言って河部の頬を軽くツンツンと突いた。
「大人をからかうのはやめろ」
「あら、婚約者ですよ?」
「節度を重んじるんでね」
「ふふふっ、私はいつでも構いませんからね」
圧倒的強者。アルダンは攻めに転じると強い。それがメジロの重戦車なのだ。
河部がアルダンに蹂躙されそうになっている時、
「こんにちはー、トレーナーさん! あ、アルダンさんもこんにちは!」
救い手ライアンがやって来た。
いつものライアンなら男性の膝上に女性が座っていれば赤面して逃げてしまうところだが、ライアンは河部×アルダンはもう見慣れたカップリングなので耐性が付いている。
故に、
「独り占めはもうお終いですよ、アルダンさん」
アルダンを止めに入ってくれるのだ。
そしてアルダンも「もう少し甘えていたかったです」と微笑みつつ、ライアンの言葉に素直に応じて円卓の自身の席に戻った。
「ライアン、他のみんなもそろそろ来るか?」
「だと思います。マックイーンはちょっと遅くなるかもしれませんが……」
「……それは何故?」
「えっと〜……その〜……」
歯切れ悪くあとの言葉が出てこないライアン。
「大丈夫だよ、ライアン。俺はライアンを叱ろうとしているんじゃない」
「その……自分のクラスの出し物の味見をするって……」
「ほう……」
ライアンの言葉に河部は笑みを深め、自身の手を組んだ。真顔で色眼鏡を掛けていればなんたらゲリオンに出てくる総司令みたいだろう。
「やはりマックイーンはドラムを担当してもらおう。ドラムは一番カロリーを消費するからな」
「あはは……そうですね……」
河部の言葉にライアンは苦笑い。
何しろ今の今でマックイーンはヴァイオリンを担当する予定だったからだ。
チーム『メジロ』がステージ発表するのは、楽器演奏。
ピアノはラモーヌで、アルダンはフルート。パーマーはクラシックギターを担当し、ライアンはコントラバスを担当。ブライト、ドーベル、マックイーンがヴァイオリンということだった。
しかし今日、マックイーンはヴァイオリンから外される。
「やっほー、トレーナー!」
「ご機嫌よう、ですわ〜」
「こんにちは」
そこへパーマー、ブライト、ドーベルがやって来た。
怖いくらいニッコニコの河部に苦笑いのアルダンとライアン。そんな場の妙な空気を察したパーマーとドーベルは『何事?』と思ったが、ブライトだけは気にすることなく自身の席に座って「トレーナーさま、本日のお紅茶をくださいな〜」とおねだりした。
「何かあったの?」
河部が紅茶の準備をしている中、パーマーは隣の席のライアンに訊ねる。
そしてライアンから例の話を聞かされると、パーマーは腹を抱えて笑い、ドーベルは思わずこめかみを押さえた。
「マックイーンも懲りないね〜、あっははは〜!」
「欲望に忠実過ぎるのよね……チームのエースとしての自覚はあるのかしら……」
「でも〜、実際にマックイーンさまと長距離レースをすれば〜、わたくしたちは遠く及びませんものね〜」
ブライトの言葉にパーマーもドーベルも『確かに』と頷く。
ブライトが言うようにマックイーンは春の天皇賞を2連覇するという偉業を成し遂げ、それはラモーヌですら敬意を示している。
アルダン、パーマー、ライアン、ブライトも長距離レースは走れるが、やはり長距離になるとマックイーンの独壇場だ。
現に今行われているドリームシリーズの長距離部門で、マックイーンは大差で決勝行きの切符を手にしているのだから。
そんな彼女と肩を並べるのはライスシャワーやスーパークリークといったビッグネームたちだ。
「実力は確かだが、自制心が足りないのは相変わらずの課題だ。別に甘い物を食べるなとは言ってない。食べ出すと止まらなくなるのが問題なんだよ、マックイーンは。だから『お嬢様(笑)』とか言われるんだ」
みんなの分のお茶を用意し、カップをそれぞれの前に置きつつ、ぼやくように零す河部。
彼も別にマックイーンが憎くてお仕置きしているのではない。彼女の自制心を養うために、敢えてムチを打っているのだ。
「で、確認したいんだが、マックイーンのクラスはどんな出し物やるんだ?」
「確か、ドーナツ屋さんだと聞きましたよ。チームに所属していない子たちが中心でやるみたいでした」
「チームに所属してればチームの出し物が優先されるからな。しかしドーナツ……ドーナツかぁ。小麦粉を油で揚げて砂糖ファッサァ〜よなぁ。カロリーの暴力だわぁ」
ライアンの答えに河部は思わず頭を抱える。
「あいつどれだけ味見すると思う?」
「ん〜、とりま全種類味見するのは確定っしょ。だってマックイーンだよ?」
「さすがは『メジロの誇り(笑)』ですわ〜♪」
「だよなぁ。そうだよなぁ。しちゃうよなぁ。マックイーンだもんなぁ」
河部は嘆きつつ、マックイーンの今後の食事メニューの考案に入った。彼女は食べれば食べるだけ身についてしまう体質。そして甘い物なら満腹中枢が軽くぶっ壊れて際限なく食べてしまう。
そして毎回増えた体重に泣きを見るのだ。
「せめて誰か止めてくれる人がいればいいんだがぁ」
河部がそんな風に嘆いていると、ノックの音と共にトレーナー室に入ってくる者がいた。
それはラモーヌ……
「ちょうど知り合いにとても似た愚者を見つけたから、連行して来たわよ」
……と彼女の小脇に抱えられ縮こまっているマックイーンだった。
マックイーンの口元にはチョコやらクリームやらがついており、更に手にはドーナツが入っているであろう紙袋もある。
それを見たメンバーは当然苦笑いだ。パーマーに至っては『期待を裏切らない』と声を押し殺して机に顔を突っ伏して笑っている。
「ラモちゃん、愛してる」
「私はそれ以上に貴方を愛しているわよ。で、この愚者は何処へ送るのかしら?」
「豚小屋と言いたいところだが、とりあえずこちらで一度預かる」
「良くってよ」
こうしてマックイーンは河部の前へ連れて来られ、問答無用で正座させられた。
「さて、懺悔の時間だ」
「……」
「味見という浅はかな名目で愚かにも何個平らげましたか?」
「……」
「沈黙の数だけ個数を増やします」
「7個ほど……」
「…………おお、神よ。迷える子豚を罰する我をお赦しください」
そう言ったあと、河部はマックイーンの両頬を鷲掴みする。
「自制心が働かず、ドーナツを7個も食べた罪深きこの頬肉の主はだーれだ?」
「……メジロマックイーンですわ」
「今後3日間はしらたき野菜のスープだけだ」
「ドー……」
「カロリーは真ん中に集まってて、その真ん中をくり抜いたドーナツはカロリーゼロだとかアホぬかすなよ?」
「そうなんですの!?」
「それを本気で信じてるお前が怖いよ、俺は」
その後マックイーンは一人黙々とトレーニングコース場を追加で激走し、3日間おやつ抜きのダイエットメニューという過酷の日々を送ったそう。
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