「――痛っ……」
不意に右手に痛みを感じて、カトリナはその部位を見据える。
そこにはいつか、クラードと買い物をした時に貼ってもらった絆創膏があった。
「……クラードさん?」
格納デッキを仰ぎ見たカトリナは、帰投してきた《マギア》を視界に入れていた。
『トキサダ! その深手じゃ再出撃は無理だ! 何度言ったら分かる!』
『分からねぇよ! ヘッドもクラードも行方知れずだって言うんだろ。なら、おれが出ないとか嘘だろ! 最低限度の修繕で軍警察を退ける!』
『無理っすよ! 《マギア》じゃトライアウトネメシスとやり合ったってジリ貧っす!』
トーマがコックピットから身を躍らせようとしたトキサダを制するが、彼は真剣そのものの面持ちで告げる。
『誰かがやらなくっちゃいけないんだ。なら、おれは凱空龍の副長。出ないわけにはいかないだろうが。トーマ、最速で頼むぜ』
『……分からず屋ぁっ! 整備班、《マギア》を直すっすよ!』
トーマが声を張り上げてトキサダの《マギア》に取りついていく。その最中にはカトリナはこちらへと抜けていくトキサダへと声を振り向けていた。
「あの……やりましたね、撃墜さん……」
「やめてくれよ、そういう言い方。別におれは連中と喧嘩したくってしているわけじゃないんだ」
失言であった、と言葉を仕舞った時には、トキサダは経口補水液を飲み干して言の葉を継ぐ。
「……ヘッドのシグナルは?」
「あっ、アルベルトさん……。分かりません、管制室には伝令が行っているはずなんですけれど、私、ずっとここに居るから……」
「……あんた、待ってるのか? クラードの事」
「……はい。私、だって約束しちゃいましたから。クラードさんに、オムライスを作ってあげるって」
「……オムライス、ね。そんな事をあのクラードがいちいち覚えているとは思えないけれど」
「あの……トキサダさんはでも、凱空龍で一緒に……」
「あいつはヘッドにべったりだったから、あんまり絡んだ事はないんだ。だが、おれは強さに関しちゃ信用している。ヘッドが認めた人間だ。おれも副長気取っているが、ヘッドはあいつこそが副リーダーに相応しいって思っていただろうからな」
「……トキサダさんは、クラードさんの事が嫌いなんですか」
「ああ、嫌いだね。澄ましやがって。だが嫌いなのと、その実力を認めるかどうかは別の話だ。おれはあいつがスゴイ奴だってのは充分に分かっているつもりだし、それにあいつはそういう……おれ達に足を取られたところとか、やっぱり一歩先を行かれている感じってのは分かっているからな」
意想外であったのは、トキサダは何も湿っぽい嫉妬のようなものを感じているのではなく、きちんと実力を認めた上での好き嫌いの話になっていた事でもある。
「……トキサダさんは、凱空龍をいつの日にか……?」
「ああ。どこでだっていい。復活出来るんなら、おれは最大限まで貢献する。……ただ、ヘッドはかなり責任とかそういうのに雁字搦めだからな。もしもの時は、おれが先導する。そうじゃないと、凱空龍も気持ちよく復活出来ないだろうに」
「……羨ましいですね」
ふと口から漏れた言葉にトキサダは訝しげにしていた。
「羨ましい? 変な事言うんだな、あんた」
「いえ、でも羨ましいですよ……。だって、アルベルトさんもクラードさんも、帰るべき場所ってきっちりあるじゃないですか」
「あんたもあるだろう? エンデュランス・フラクタルの正社員なんだから」
「……私なんてまだまだで。期待の新人って揶揄されちゃっていますし、それに私、何も成し遂げていないんです、まだ……。だったら、アルベルトさんやクラードさんのほうが、物を成し遂げていますし」
「おれ達はただの喧嘩集団じゃない。デザイアの独立愚連隊、凱空龍だ。成し遂げって言う意味じゃ、もうおれ達にだって帰る場所なんてない。デザイアは青春だった。その青春時代にはもう、戻れやしないのさ」
「……青春……」
「そろそろ行くぜ。ベアトリーチェの守りについているのはほとんどおれらだ。ヘッドがどこまで戦線の前方まで行ったのかも分からない。クラードだって、あいつはMFみたいな怪物とやり合っている。おれだけ休むわけにはいかない」
すぐにパイロットスーツのバイザーを下ろしてコックピットへと戻ろうとしたのを、激震が見舞っていた。
トキサダは慌ただしげにギリギリでコックピットブロックに取りつき、天井を仰ぐ。
「状況は!」
『艦第三ブリッジに被弾。……まずいですね……このままでは……』
響き渡るピアーナの声にトキサダは《マギア》のコックピットに収まっていた。
『おれが出る! 直近の連中は下がらせろ! 他の奴らだって損耗しているはずだ!』
『トキサダ氏! 今の《マギア》じゃ無理っすよ!』
トーマが割って入ろうとしたが、その手を取ってトキサダは静かに告げる。
『……ミッシェルで買っておいたとっておきの指輪があるんだ。頼むよ、トーマ』
そう言ってトキサダは指輪の箱をトーマに差し出し、そのまま強硬的にコックピットを閉ざして隔壁へと押し通る。
『《マギア》改修機、トキサダ・イマイ。出るぜ!』
『……トキサダ氏……』
トーマの悔恨を振り切るようにトキサダは出撃するが、直上よりもたらされたのは拡散重力の磁場であった。
想定外の艦への砲撃に誰もがおっとり刀で対応する。
カトリナは管制室のメインモニターと同期した端末で声を弾かせていた。
「ピアーナさん! どうなって……」
『……最悪ですね。今ので艦を支持する一角を打ち破られました。内部隔壁を既に下ろしていますが、被害は抑えられない場所まで至っています。このままでは遠からず……』
その想定を打ち崩すように、再びの重力波がベアトリーチェを襲う。
レミアが手を払い、声を響かせていた。
『艦内隔壁を第十七まで! 火災を防がないと、内部からやられるわよ! ……サルトル技術顧問、現状での勝率は? MS隊の損耗率を教えてちょうだい』
『かなりヤバいって感じだ。帰投する《マギア》はどれもこれもが中破レベルだし……軍警察と真正面からかち合うにしちゃ、やはり《レヴォル》もクラードも居ないのは……』
『こちらヴィルヘルム、医務室に居たら狙い撃ちされる。わたしはこのまま格納デッキへと向かう。そっちのほうが安全そうだからね』
間もなくヴィルヘルムが辿り着いた格納デッキは半身を失った《マギア》が帰還してくる。
『凱空龍の《マギア》編隊はほとんど総崩れだ! いいか? これ以上の損耗はもう撤退戦に近い! ベアトリーチェから一機も出すな! 体のいい的になるぞ!』
サルトルの叫びに近い声にトーマが思わずといった様子で返答する。
『整備長! トキサダ氏が……!』
『……あいつ、こんな時にまともな装備を施していない《マギア》で出やがって……! トキサダ・イマイ! 帰還しろ! お前以外の部隊はほとんど帰り着いている! お前さえ帰投すれば――』
『いや、そうもいかないらしい……。直上から赤い《レヴォル》が二機……!』
因縁の相手を見据えた声にサルトルは落ち着くように声を張る。
『お前一人で何が出来る! 今は帰還するんだ! これより先は手痛い打撃になる……!』
『……なぁ、トーマ。誰かが赴かなくっちゃいけないんなら、それは副長の仕事のはずだよな?』
『……トキサダ氏……?』
「まさか……」
カトリナの予感は悪いほうに的中していた。
トキサダの《マギア》は二機の《オルディヌス》の飽和攻撃を受けながら、可変式のビームライフルを構え、そのまま敵へとミラーヘッドの残滓を棚引かせながら直進していく。
『ここで禍根は絶つぜ! 三機いるうちの一機でもいい! 墜とせりゃベアトリーチェは無事に月の軌道上に入れる……! 行くぜ……おれは凱空龍の副長、トキサダ・イマイだ! 《オルディヌス》だか何だか知らねぇが来るんなら来やがれ! ガトリングライフルの錆びにしてやる……ッ!』
「……駄目……っ! 行っちゃ駄目ですっ! トキサダさん!」
しかし自分の声は届かない。
届かない戦場で、トキサダの操る《マギア》はビームガトリングガンを掃射して《オルディヌス》を引き付けようとするが、その抵抗は虚しく、《オルディヌス》二機のミラーヘッドの前に阻まれる。
別段、トキサダとて使い手ではないわけではない。
ただ、今は状況があまりに悪い。
ガトリングガンの射撃網を潜り抜けた《オルディヌス》が近接兵装の一撃を《マギア》に見舞う。
それだけでもう、アステロイドジェネレーターは臨界寸前なのが窺えたが、トキサダは戦意を凪いだ様子もない。
それどころか、より果敢に《オルディヌス》へと飛びかかっていく。
『負けるかよ……トーマが待ってんだ! こんなところで……負けてられるかよ……!』
ガトリングガンを再装填し、《マギア》はミラーヘッドの蒼い残火を灯らせていた。
《オルディヌス》の致命的な格闘兵装の一撃はかわしたものの、相手の射程に潜り込んだ時点で下策と言える。
『駄目っす! トキサダ氏!』
トーマの声が響き渡る中で、トキサダの機体は滑るように《オルディヌス》一機の真正面へと入るなり、その頭蓋をガトリングガンの砲身で叩きのめしていた。
《レヴォル》と同じコックピット構造ならば、頭部が弱点のはずだ。
よろめいた敵機が次のミラーヘッドの加速度を点火する前に、トキサダの《マギア》は打ち下ろした勢いを殺さずに、そのまま砲口を《オルディヌス》の躯体へと押し込む。
『喰らえぇぇぇ――ッ!』
咆哮が通信網を震わせ、ゼロ距離のガトリングガンの照準が《オルディヌス》を内側から爆ぜさせる。
しかし、相手も何も見た目ばかり《レヴォル》に似ているだけではない。
その瞬間には《マギア》の頭部を引っ掴み、共通の駆動系であろう掌底を浴びせて《マギア》を貫通させている。
トキサダの《マギア》は人が頭蓋を打ち抜かれたように血飛沫を舞わせてそのまま宙域を漂う。
力なく浮かび上がった《マギア》へと、もう一機の《オルディヌス》が直上より加速度を上げて降下し、《マギア》の細いフレームの中心軸を足蹴にしていた。
『……よくも……。我々には、もう何も残されていないのに……!』
相手の怨嗟が響く中で、もう戦闘不能かに思われていたトキサダの《マギア》は眼光を棚引かせ、ガトリングガンを《オルディヌス》の頭部を狙い澄ましていた。
『……死なば、諸共よ……ッ!』
その銃身が火を噴く前に、《オルディヌス》の掌底が《マギア》のコックピットブロックへと叩き込まれる。
それは、同時であったのか。あるいはただの偶発的な要因として、稼働したのかは分からない。
分からないが、《マギア》のコックピットが吹き飛ばされるのと、《オルディヌス》の頭部が射抜かれるのはほとんど等しく、そして両者共に粉塵を上げて暗礁の宇宙で命を散らす。
トーマが、ああ、と声にならない叫びを伴わせて涙の粒を浮かび上がらせていた。
『……いやぁ……トキサダ……指輪が……指輪を頼むって! 言っていたじゃないっすかぁ……っ!』
外部モニターに縋りつくトーマをサルトルは無理やり引き剥がし、そのまま伝令を振る。
『こちらサルトル! 残った戦力だけでも撤退するしかない! ……こんな宙域に、もう勝ち負けも何もないんだ。残った命だけでも、繋ぐしかない……』
それは手痛い敗北を喫したのと何が違う。
すすり泣くトーマに、サルトルは何も言えないようであった。
『……分かったわ。現時刻をもって、全ての隔壁を閉鎖。ベアトリーチェは月軌道に位置するエンデュランス・フラクタル本社に向かい、そこまで撤退します』
「ま、待って! 待ってください! レミア艦長! まだ、クラードさんが……! それに、アルベルトさんも……!」
『……カトリナさん。今の状況で下手に帰投信号なんて打ったら狙い撃ちにされるのは分かるわよね?』
「でも……っ、でもっ! お願いですっ! ……三分くらいは……待てませんか……」
しかしレミアは非情なる声を振る。
『待っていて、ではベアトリーチェが轟沈すれば、誰が責任を負うの? ……今ならば私が全責任を負います。でも、死んでしまえば誰も責任なんて取れない』
「そ、それでも……っ! それでも……いいじゃないですか……。責任を誰が負うのとか言う話じゃなくってぇ……っ! みんなで、生き残れば――」
『ではカトリナさん。あなたは今、死ぬかもしれない人達を切り捨てて、生存確率の低い人間のためにどうこう出来ると言うのですか?』
詰問の論調に、それはずるいと言い返せればよかった。
それくらい馬鹿になれればよかったのに、下手に賢しいだけの自分は、馬鹿にすらも成り切れない。
――分かっている。
ここで撤退するのは正しい。
クラードはMFの下へと赴いた。その時点で生きて帰るなんてどだい無理な確率だ。アルベルトも、トキサダも、それに他の皆も、別に死にに行ったわけではない。
ただ、結果論だ。
結果だけが全てにおいて優先されるのは常である。
「で、でも……っ、もう少し待てば……帰ってくる命だって……!」
『……私の言葉が聞けないのなら、あなたにも降りてもらいます。そうじゃないのなら、今は命令に背かないで。……私だって、平気だと思うの……!』
震える声に、そうだ、レミアとて平然としているわけではないと思い直す。
彼女はクラードと親しかった。彼の生存を一番に願っているはずなのに――。
「……でも、何でですかっ! 何で、みんな死ななくっちゃ、いけないんですかぁっ!」
吼えても、叫んでも、どれもこれも虚しいだけ。
頬を熱いものが伝い落ちる。
無重力ではそれも粒になって、バイザーの上辺に蓄積するだけだった。
そんな自分でも抗えないほどの無力感だけを噛み締めて。
『……宇宙はそれだけ非情なのよ』
レミアは冷徹に、今の自分に出来る事だけを実行しようとしている。それは艦長として正しい。
そして、人間としても恐らくは正しいのだろう。
だが自分は。
人間としても――委任担当官としても未熟な自分は。
「……クラードさん……っ。帰ってくるって、言ったじゃないですかぁ……っ」
果たされない約束。
成就しない願い。
どれもこれも、ただただ意味は存在せず、ただただ現実の前に塗り固められていくのみ。
格納デッキで、サルトルが声にする。
『……了解。艦長命令を受け、格納デッキをこれより閉ざす。帰還者は現時点でのみ概算。ここから先は――』
非情にもそう徹しようとした矢先、帰投信号を受信していた。
まさか、と希望にも似た輝きを感じ取ったカトリナはしかし、帰還したのがたった一機の《マギアハーモニクス》である事を視認する。
『アルベルトか! ……総員、対ショック! 四肢がもげてやがるが……生きているんだな?』
「あ、アルベルトさん? アルベルトさん! ……生きて、らっしゃるんですか……」
砂嵐の通信の中でほとんど呼吸と大差ないアルベルトの声が漏れ聞こえる。
『あ……あ、あ……オレ、生きて、んのか……』
『しっかりしろ。おい! 誰かレーザーカッター持って来い! 手動じゃビームが焼き付いて開けられん!』
サルトルの言葉に整備班はレーザーカッターによる強制排除を試みるが、カトリナはそんな最中でもアルベルトに呼びかけていた。
「アルベルトさん! アルベルトさん! ……クラードさんは……戦局はどうなりましたか……?」
そんな事を聞いても益体がないのは知っているだろうに。
そうだとしても、カトリナは問い質したかった。
クラードは生きているのか。今の戦局でも、アルベルトが生き永らえたのならば、クラードだって、と。
しかし、レーザーカッターでようやくコックピットから助け出されたアルベルトは満身創痍で、とてもではないがそんな事を聞き出せる状況ではなかった。
血溜まりの中で、アルベルトが激しくかっ血する。
『おい! ヴィルヘルムのところに寄越してくれ! このままじゃ手遅れになる……!』
サルトルの言葉に、カトリナは絶句する。
ようやくここまで辿り着いたアルベルトですら、手遅れになるレベルだ。
だと言うのに、何故クラードが生きているなんて希望を振り翳すと言うのだろう。
運ばれていくアルベルトはしかし、自分と視線を交わす瞬間、か細い声で問いかけていた。
「……ク、ラード……は……?」
こんな時までアルベルトはクラードの心配をしている。
その事実だけで胸が締め付けられそうになってしまう。
――自分は所詮、何も出来ない。
何も出来ない安全圏で、ただ喚いているだけ。
『今は喋るな! 肺に血が溜まっていたらどうしようもなくなってしまう……。医務室に……って、今は危ないんだったか。……予備の部屋に運び込むぞ! ピアーナ嬢! いいな?』
『今は是非を問いかけている場合でもないでしょう。ガイドに従ってアルベルト様を運び込んでください』
ピアーナの声はこのどん詰まりの戦闘宙域において少しの光明に思えていた。
「その……ピアーナさん! ……クラードさんは、生きています……よね?」
しかしその問いかけに、ピアーナは沈痛な声を返すのみ。
『……カトリナ様。貴女には恩義を感じている。当然、報いるべきだとも。ですが、ここまで戦場をシミュレートして……一滴たりとも、クラードと《レヴォル》が生存してここまで帰投するビジョンが見えません。分かりますか? それは不可能なのですよ』
ピアーナが自分に非情な言葉を振り向けるとはどうしても思えない。
だから、こんな時なのに、自分勝手な言葉が出てしまう。
「で、でも……! いつだって無理な戦場でも、クラードさんは生きて帰ってきました! 生きて帰って……今回も、ああ何でもなかったって……言ってくれる、そのはずなんですっ! じゃなかったら私……私、は……」
『カトリナ様。わたくしは事実だけを申し上げております。現状では、エージェント、クラードと《レヴォル》の生存率はゼロパーセント……いいえ、それより酷い。マイナスの領域でしょう。それでも信じるのは勝手ですし、わたくしに止める権利はありません。……ありませんが、貴女を慕う、ただ一人の人間として、忠告はします。――その背中に縋ったって、何もいい事はありません』
こんな冷酷な事を。
ここまで冷徹な事を、ピアーナに言わせている愚鈍な自分も嫌なら、現実として横たわる致命的な失点も何もかもから逃げ出したくなってしまう。
しかし、駄目なのだ。
自分は逃げてはいけない身。
委任担当官の仕事は、クラードの帰還を信じる事ではない。
現状で最もプラスに働く要因を見出し、そちらに舵を切る事だ。
だから――クラードがもし、生きて帰らなくとも、自分は全うしなければ、し続けなければいけない。
委任担当官としての職務。
エンデュランス・フラクタルの、エージェントと、そして凱空龍相手の、窓口として。
「……でも、こんなのって……あんまりですよぉ……っ!」
泣きじゃくるのも、そんな余裕なんてこの艦にはありはしないのだ。
分かっている。
トキサダが命を賭して《オルディヌス》の飽和攻撃を防ぎ、そして、クラードがMFを恐らくは戦闘不能にまで追い込んだ。
今、撤退を考えないでいつ考えると言うのだ。
戦力を整えると言うのならば、退き際も潔くなければいけない。
ここでベアトリーチェが墜ちれば、自分だけではない。
数十名のスタッフも死に行く運命になってしまう。
それだけは避けなければいけないはずだった。
「……クラードさん……。私、駄目ですよね……。だってそういう現実を分かっていても……分かっているはずなのに……あなたに生きていて欲しいと、心の奥底から願っているなんて……」
その時、カトリナの通信回線に割り込んできたのは、歌であった。
それはこの戦場を、ひいてはこれまでの戦いを慰撫するかのような、鎮魂の歌――。
「歌っているのは……ファムちゃん……?」
ファムがどこから、どうやって歌っているのかは分からない。
だが、彼女の歌は、彼岸に旅立ってしまったであろう魂を慰め、そして向かうべき場所へと赴かせるだけの、心のある歌であった。
多言語、多音階の入り混じった、まるで意味は不明な歌。
しかしそれでも、今の自分達にはありがたかった。意味なんてなくっても。言葉なんて必要なくっても――こんな時に欲しいのはただの救済だ。
それが自分達に向けられたものではなかろうとも、正者は祈るのみ。
そして、弱者は打ちのめされる。
この暗礁の宇宙で、運命がどう転ぼうとも。
胸元から浮かび上がった金色の鍵をぎゅっと握り締める。
「……生きて、クラードさん……」