機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第107話「トワイライトダンス」

 

「旦那様! 妹君が……!」

 

 給仕の声を聞いて視線を落としていた文庫本から顔を上げ、ジオは机に置いていた仮面を装着していた。

 

 銀髪を流し、困惑顔を向ける給仕と向かい合う。

 

「如何にしたか」

 

「また、勝手に外に……! 今宵は社交界ですのに……」

 

「自分が説得して来よう」

 

「そんな……! 軍務がおありでしょう!」

 

「自分が行かなければ説得出来ないのならばそのほうがいいはずだ」

 

 庭園へと出ると仕立てのいい黄色のドレスに身を包んだ姿が草原を寝転がっていた。

 

 爪先を揃え、顔を覗き込む。

 

「――ファム。困ったものだな」

 

 その言葉に対し、銀髪を跳ねさせたファムは頬をむくれさせる。

 

「どうして小動物の形態模写をする。その行動は不明瞭だ」

 

「にいさま、きらいー!」

 

「そうか。三年もここで過ごしていてもまだ、自分の事を好いてはくれないか」

 

「しゃこうかい、いやー!」

 

「何故だ。良い御仁と出会える場だ。大事にしたほうがいい」

 

「……ファム、しゃこうかいのおとな、こわいもん……」

 

「それは彼らが貴族階級だからだろう。我々と接点を持とうとしてくれているだけでもありがたい。そう思うべきだ」

 

「だから、にいさま、わからずやー! にいさま、ファムのこと、ちっともわかってくれないー!」

 

 ファムはそのまま機嫌を損ねてしまう。

 

 陽光を受けて照り輝く銀髪をなびかせて、草原の一部に佇む巨木へと駆けていく。

 

 その姿だけ見れば自由奔放な乙女だ。

 

「自分は妹を見ろと言われている。それはそちらのためだ」

 

「わかんないの。にいさま、なんでファムとおうたうたってくれないの?」

 

 小首を傾げるファムにジオは仮面の相貌を撫でる。

 

「自分は兵士だ。歌を紡ぐのは兵役に入っていない」

 

「じゃあ、へいしやめて」

 

「それは出来ないのだよ。自分は戦う以外にない。器用ではないのだ」

 

 むーっ、とファムは不機嫌になって巨木の周りをくるくると駆け出す。

 

「ファム、この三年間、自分は兄として的確に振る舞ったつもりだが、何が不満か」

 

「でも、にいさまはわかりっこない」

 

「分かるさ。この世で二人だけの血縁者だ。理解者のつもりだが」

 

「でも、にいさまからはいやなかんじがする」

 

「それは社交界の貴族よりも、かい」

 

 ファムは困惑したように首を引っ込めた後に、石を拾い上げ樹の表層を削っていた。

 

 そこに描かれていたのは抽象画めいた人形である。

 

「それは誰だ」

 

「えっとー、ファムとーアルベルトと、カトリナとー、バーミットと、それに、かれ」

 

「彼と言うのはまだ教えてもらえないのかな」

 

 五人が手を繋いだ絵柄にファムは先ほどとは打って変わって、頬を紅潮させて喜びを露わにする。

 

「それはひみつなの!」

 

「そうか。では聞くまい。しかし社交界に間に合わないといけない。ファム、少し手荒だが、我慢して欲しい」

 

 ジオは歩み寄るなりファムを肩に担ぎ、彼女の動きを封殺する。

 

「いやーっ! にいさま、いやーっ!」

 

「我慢してくれと言った。そんなに社交界が嫌なのか。踊っていればいいだけだろうに」

 

「……にいさまにはわかんない」

 

「そうかもしれない。だが、ファム、自分の居場所が戦場なように、ファムの居場所は社交の場だ。貴族らしく振舞って欲しい。それがどれほど難しくても」

 

「……しゃこうかい、いやなこたちばっかりきて、ファムをばかにするの」

 

「大人達よりもそっちが問題か。だがファム、いつまでも我儘ばかりを言ってはいられない。自分は社交界の場で守る事は出来ないが、他の全てからファムを守る事は出来る。それだけは分かって欲しい」

 

「……わかんないの。にいさまのばか」

 

「そうか。自分は馬鹿であったか」

 

 邸宅まで戻ってから給仕達にファムのドレスの仕立てと身だしなみを整えさせる。

 

「今日の社交界はローゼンシュタイン家が主催だ。あまり迷惑をかけるものでもない」

 

「いーやっ! しゃこうかい、いやーっ!」

 

「ファム様。どうかお静かに。旦那様は疲れておいでです」

 

 髪を梳かれるファムは相変わらず頬をむくれさせたままであったが、もう逃げ出す事はあるまい。

 

 ジオは仮面に装着されている着信を取ってから、失礼、と邸宅の一室へと入る。

 

 パスコードを入力し、自分だけしか知らない直通回線を得ていた。

 

『次元の姫君はどうか。ジオ・クランスコール』

 

「滞りなく。しかし未だに幼いようです」

 

 周囲の暗闇が蒼く波打ち、直後には天蓋を覆う胎児達の景色が視界を埋め尽くしていた。

 

『無理もあるまい。彼女は特別だ。それでもそろそろ決めねばなるまい。ローゼンシュタイン家は次元の姫を迎え入れる準備は出来ていると言っているのだから』

 

『王族親衛隊にも発言力を持つ家柄だ。次元の姫を迎え入れるのには打ってつけだろう』

 

「しかし、ファムの状態は不安定です。不用意な精神的干渉はあれを目覚めさせる事に成りかねない」

 

『ジオ・クランスコール。既にその問題は解消されつつある。この三年間、我々がただ手をこまねいていたわけではない。収容した《フィフスエレメント》と、そして《ネクロレヴォル》隊のデータは我らに充分な恩恵をもたらした』

 

『左様。既に扉の向こうの彼の者達は解読不可能な代物でもなくなっている。三番目の聖獣は大人しいではないか。ならば我らの行う事は、次の領域だ』

 

「次、と仰るのは」

 

『次元の姫だけでは鍵たり得ない。その血筋――即ち世継ぎが必要になってくる』

 

「ファムはまだ子供です」

 

『血縁だけでも構わない。次元の姫君だけでは不完全。よって完全なるダレトの鍵を得るのには、完成形の存在を世に生み出す必要がある』

 

『我々がそれに踏み切れない理由を貴様は知っておろう。拒む理由はあるか?』

 

「いえ。自分は所詮、兵士です。口を差し挟むべきではない」

 

『ならば下がれ、ジオ・クランスコール。全ては滞りなく行われるだろう。その時に余計な感傷は邪魔になるだけだぞ』

 

「了承しました。ですが自分は社交界に出られぬ身。要らぬ障壁を生みかねない」

 

『既に手は打ってある。余分な懸念を浮かべるな。貴様はただ戦っていればいい』

 

「ではその言葉通りに」

 

『ジオ・クランスコール。貴様、ここ最近、差し出がましい口をよく挟むようになったな。以前までの貴様は、そうではなかった』

 

「それは気のせいでしょう。自分は前に出る事くらいしか取り柄がございません。当然、政に口を挟むなど、恐れ多いだけ」

 

『分かっているのならば話はそこまでだ。ジオ・クランスコール。役目を果たせ。我らの生存権を確約するために』

 

「御意に」

 

 通信が切れ、蒼い光が波打って再び闇の中に呑まれる。

 

 静謐が漂った室内で、ジオは静かに呟いていた。

 

「だが、それは無力と、何が違う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――退屈。そう感じた時にはもう囚われていて。

 

 それでいてもう逃れる術もなくて。

 

 社交界に出るのは手慣れたものだが、もう自分にはその価値すらも見出せないで、鏡の前で何度目か分からない嘆息をついていた。

 

「お嬢様。そんなにため息をつかれると、幸せが逃げて行ってしまいます」

 

「あら、そんな事はなくってよ、シンディ。私、幸せなんて殿方と同じで、気紛れで、女を振り回すのがお得意なだけでしょう?」

 

「お嬢様は少し達観が過ぎます」

 

「そう? 私は現実主義者のつもりだけれど」

 

「こんなにお綺麗なのに、それでは殿方が委縮されますよ」

 

「シンディ、こういうことわざを知ってる? 案ずるより産むがやすしってね。どれだけ着飾ってどれだけ殿方の事を想っていても、それが実地で伝わらなければ同じ事よ」

 

「ですが、お母様譲りの絹のような茶髪に、見目麗しいのにそこまで仰られては、殿方も形無しと言うものでは……」

 

「……もういい。シンディ、これくらいでいいわ。どうせいつものローゼンシュタイン家の面々と顔合わせでしょう? 正直、子供の頃から飽き飽きしているの。いつもいつも、あの高慢ちきな伯爵とは気が合わないったら」

 

「まぁ! お嬢様! そんな事を仰るものではございません!」

 

 お付きの教育係の決まりきった文句に、とことん嫌気が指していた。

 

「……こんな事なら、家を出奔したお姉様のように軍属にでもなればよかったわ」

 

「またそのような事。あなたはこの家督を継ぐ令嬢なのですよ? ――キルシー様」

 

 名を呼ばれても鬱陶しいだけだ。

 

 キルシーは何度目か分からないため息で陰鬱な気分を打ち消す。

 

「シンディ……私はもう、馬鹿馬鹿しい事にうつつを抜かすのはうんざりなの。女なら大人しく、しおらしく振る舞って紳士の気を惹き、子を産めですって? ……とんでもない時代錯誤だわ」

 

「ですが、わたくし共の仕事はお嬢様がいつか家督を継がれるその時まで、こうして送り出すだけですので」

 

「まるで売りに出される仔牛の気分ね。ドナドナ、って感じ」

 

「お嬢様。振る舞いにはお気を付けください。殿方の前では頼みますから、そう言った口調は改めて……」

 

「はいはい、お分かりよ、シンディ。まったく、すぐに社交界に向かうわ。ポートホームで一分もしないでしょう?」

 

 数人の使用人がわざわざ後を付いて来るのだからこれも困った仕様だ。

 

 自分一人でも立てるのに。

 

 自分一人でも抗えるのに。

 

「……いや、それは間違いか。抗いなんて、もうとっくにやめた身分だものね。キルシー……」

 

「よいですか? 殿方の前ではつつましく……」

 

「分かったわよ、シンディ。武運だけを祈っていて。あなたは私の教育係なだけなのだから」

 

「……では、行ってらっしゃいませ」

 

「行ってきます。……世が世ならこんな因習……断ち切ってしまいたいくらいだけれど」

 

 ポートホームに座標を打ち込んでキルシーは転送先に着いた事を確認してから、歩を進める。

 

 先ほどまで邸宅に居たのがまるで嘘のように、絢爛豪華な社交場が開かれていた。

 

 ほとんどの貴族達が集まった形だ。

 

 ここが襲撃されれば事だろうな、と他人事のように感じてしまう。

 

「キルシー嬢。今日もお美しい……!」

 

 分かりやすいおべっかを振るのは仕立てのいいスーツに身を包んだ長身の優男であった。

 

 金髪碧眼、絵に描いたような爽やかな振る舞い。

 

「ローゼンシュタイン様。ご機嫌麗しゅう」

 

「ああ、君は会うたびに綺麗になっていくね」

 

 そんな歯の浮くような台詞をよく吐ける、とキルシーは内心舌打ちする。

 

「お仕事は順調ですの? 軍警察はお忙しいのでしょう?」

 

「ああ、構わないさ。少しばかり時間もあったから今日は参加させてもらっているのもあるからね」

 

 嘘つき、と内心毒づく。

 

 この男は、糊塗されたプライドばかりの人間だ。

 

 軍警察――トライアウトの士官だか何だか知らないが、それにしたところでこのような場に何の恥じらいも纏う事なく、自分の前に「毎回」現れるのだから、心底「恥知らず」としか言いようがない。

 

「だがキルシー。前回話した事、少しは考えてくれたかな?」

 

 話の半分ほど聞いていなかったが、キルシーはお得意の微笑みでそれを誤魔化す。

 

「ええ、でも少し時期尚早だとは思うのです。私はまだ子供のようなものですし、そのような勿体ないお話……」

 

「いや、君は宝石のように麗しい。それは子供の頃から見ているからよく分かっている」

 

「紳士ですのね、ローゼンシュタイン様」

 

「……いい加減、幼馴染なんだ。そろそろ名前で呼んでもらえないかな? 昔のように」

 

 昔――とキルシーは考え込んでいた。

 

 まだ相手の身分が分からなかった頃合いには互いに名前で呼び合っていたか。

 

 自らの愚かしい行いに心底吐き気を催してくる。

 

「そんな恐れ多いですわ。私はただの女ですのに」

 

「そうでもないさ。君は賢明な家系の女性だ。それに、口説きたい男も私だけではないはずだよ。独占していれば、私の身分とて危うい」

 

 肩を竦めた相手に、キルシーは思いっきり同じ仕草で対応したくなったがぐっと押さえておく。

 

 ここで問題を起こせば、シンディにこってりと絞られるのは目に見えているからだ。

 

 下階ではめいめいにグラスを傾け、今宵の饗宴に酔いしれている貴族達が歓談を楽しんでいる。

 

「今日は少し人が多いようですわね」

 

「ああ。新しい貴族の御家も来ているようだからね。何せこの三年間……少しばかり軍警察の仕事は減ってきているんだ。前のように統制も要らなくなっている」

 

「それは喜ばしいのではなくって? だって、みんな戦争がしたいわけではないのでしょう?」

 

「だがね、それでも仕事がなくなる事はない。困ったものだよ、世界と言うのは」

 

「……お話は耳にしていますわ。確か……統合機構軍の一部がレジスタンスを作っているとか何とか」

 

「君の耳に入れるほどの話じゃないさ、キルシー。これは軍属の職務でね」

 

「世界に目を光らせる事はいずれ必要になってくるでしょう? 私、無知蒙昧なまま生きていくのは少し……」

 

「ああ、それは悪い事をした。だが、貴族の耳に入って来るのはどれもこれも遅れた情報だ。平気で半年前の話題を出す人間も多い」

 

「意外……一家言がおありで?」

 

「あ、いや……。私も所詮、軍警察の士官に過ぎない。今のは忘れてくれ」

 

 微笑み一つで誤魔化せると思っている目の前の薄っぺらな男に対し、自分は含みのある笑みで応じてみせる。

 

 ――ああ、これも処世術。

 

 どれもこれも、紛い物なのは自分も何ら変わらない。

 

「下に降りましょう? 少しは歓談の席に華を咲かせないと、来た意味がないでしょうし」

 

「そう硬くなるなよ。君はもう二十歳だったか。だったら、もう十年選手だ」

 

「まだ二十歳ですわ。私は所詮、小娘ですもの」

 

「卑下するものじゃないさ。私の知っているキルシーはそういう娘じゃない」

 

 何を知っているのだ、と心がささくれ立つ。

 

 この男と話しているだけで、こうも苛立つと言うのに、家が取り決めた約束事のせいで、この男を振り切れないでいる。

 

 そんな自分に心底――嫌気が差すと言うのに。

 

 どれもこれも虚飾、偽り、そう「取り繕い」だ。

 

 だが偽りの線を外さないように生きているのが何よりも自分なのだ。

 

 そんな自己嫌悪、完結させてしまえばいいだけなのに。

 

「……むっ、珍しい令嬢が居るな。あれは確か……クランスコール家の……」

 

 足を止めた連れ合いに、キルシーは宴席のど真ん中で癇癪を上げる少女を視界に入れていた。

 

 星を散りばめたかのような銀髪をなびかせ、黄色のドレスに身を纏った彼女は歓談の中心で貴族相手に喚き散らしている。

 

「いーやーっ! にいさまぁー! いやーっ!」

 

「何を仰います。クランスコール家の淑女ならば、わたしが今宵、夜を共にしようと言っているだけなのに」

 

「いーやっ! ここ、いやーっ!」

 

 叫んで前髪の後退している貴族から離れようとする少女をキルシーは目に留めたまま動けなくなっていた。

 

「……クランスコール家の令嬢は今日もご立腹か」

 

「毎回、であるな。あの万華鏡の妹君とはまるで思えない。貴族の面汚しが……」

 

「どうせ、子を宿すくらいしか能のない家柄の女。すぐに抱かれてしまえばいいのに……」

 

 他の貴族達の潜めた声が漏れ聞こえてくる。

 

 どの声も、どの悪意も、彼女を助けようとはしない。

 

 いや、それも当然なのだろう。

 

 ここに居る者達は、誰も今を見ていない。

 

 この世界の外側から観測する事に慣れて、目の前の現実一つ処理出来ない連中ばかりなのだ。

 

 だから――だったのか。

 

 自分の足が不意に動いたのを、キルシーは自覚出来ていなかった。

 

 隣の声が呼び止めようとするが、キルシーはその諍いに割って入り、乱暴に少女の腕を掴んでいた貴族を、あろう事かその足を払い地面に伏せさせる。

 

 それは護身術の一つであった。

 

 咄嗟に東洋の「柔道」の技のうち、瞬時の制圧行動が出てきたのは我ながら僥倖であったと思う。

 

 これで相手を投げ飛ばしていれば外交問題に発展していただろう。

 

「な、何を……!」

 

「彼女は嫌がっていますわ。さすがに拒む相手を無理やり手籠めに、と言うのは、貴族の振る舞いに反するのではなくって?」

 

「……だが、わたしが見初めたのだ! クランスコール卿からはどう扱ってもよいと、既に連絡を受けている!」

 

「ではその命は今、少し遠ざかったと思ってくださいまし。私、ご歓談の席で殿方の腕を捩じり上げるなんてはしたない真似はしたくありませんの」

 

 力を加え、地に伏した貴族の腕を僅かにひねっただけで相手は悲鳴を上げてしまう。

 

 何とか弱い、愚者ばかりであろう。

 

「キルシー! 何をやっているんだ! 相手は地球圏の……!」

 

「どこの出身だろうと関係がないのではなくって? ここは紳士淑女の社交場。そんなところのど真ん中で、令嬢を泣き喚かせるなんて、それが大人のする事ですか」

 

「……大人だから、やるんだろうに……」

 

 抵抗のように声を上げてみせた貴族をキルシーは睨みつけ、そのまま背中を蹴飛ばしてやった。

 

 さすがに他の貴族達にも今のは刺激的であったのだろう。

 

 沈黙が降り立つ中で、キルシーは銀髪の令嬢の手を取っていた。

 

「……行くわよ」

 

 そのまま手を引いて人気のないテラスまで肩を荒立たせて歩んでいく。

 

 背中に声がかかるかに思われたが、毒気を抜かれた貴族達は仔牛よりも大人しかった。

 

 歓談の席を抜け、夜風の吹き込む場所に出てから、キルシーは顔を伏せて、ああっ! と喚いていた。

 

「これ、絶対にシンディのご高説を聞くパターンね……まったく。にしたって、夜のお誘いなんて歓談の席でやるものでもないでしょうに。あんたも相当なのに取り憑かれるなんて運がないわね」

 

 銀髪の令嬢は自分の様子を目にして何やら驚愕の面持ちで黙りこくっている。

 

「ああ、この喋り? だって貴族の喋りって堅っ苦しくってやってられないでしょう? 女同士なんだし、別にいいわよね? 第一、この非常時にパーティだなんていうのが馬鹿のやる事だって言うのよ」

 

「……あの……」

 

「名前」

 

「……ミュイ……?」

 

「名前、教えてくれる? クランスコール家のご令嬢さん? あなたの名前、知りたいわ。あの高慢ちきなだけの貴族の鼻っ柱を折ってやったんだもの。それくらいの報酬はあってもいいわよね?」

 

 銀髪の令嬢は戸惑った後に、そっと声にする。

 

「……ファム・ファ――。ファム・クランスコールが、なまえ……」

 

「ファム? ふぅーん、いい名前じゃないの。私はキルシー。――キルシー・フロイト。これでも貴族なの。よろしくね、ファム」

 

 手を差し出すと、ファムはおずおずと握り返してきた。

 

 華奢な細腕だな、とキルシーは感じ取る。

 

「でも、ちょっと意外。普通は私達みたいなのってお飾りだから、誘いを断るのなんて原則出来ないのよ? ちょっとつつましく笑えば遠ざかるけれど、いつかは抱かれちゃう。それも一方的にね」

 

「ミュイ……キルシー……? は、いやなの?」

 

 平時ならばここでも「取り繕い」の言葉を投げていただろうが、どうせこの少女には通用しなさそうだ、と素の自分を投げ出していた。

 

「……ええ、吐き気がするほどにね。この世界の常識なんて、全部裏返ってしまえばいいのよ。でも私には力がない。どれだけフロイト一族がこの数十年積み重ねてきた力があっても、私は所詮、女だもの。出来る事なんてほとんどないわ。……お姉様が居てくれたら違ったかもしれないけれど……」

 

「ミュイ……キルシーは、ファムのしっているひとに、よくにている、ね」

 

「あら? ファムの知り合いに私みたいな手合いが居るって言うの? それは意外ね。だって、あなたクランスコール家でしょう? 有名よ。ジオ・クランスコール、万華鏡の渾名を取る最強のミラーヘッド使いの家系」

 

「ミュイ……! にいさま……!」

 

「お兄さんなんだ。へぇー、私も知らなかったな。ファムみたいな子が妹だなんて」

 

「……でも、にいさま、きらい……。ファムがいやっていっても、ぜんぜんきいてくれないの……」

 

「クランスコール家は元々、戦士の家系だったと聞くわ。こういった社交場には顔を出さないタイプだったって。それがどうしてなんだか、あなたみたいな子が出て来るって事は、クランスコール家も手段を選んでいられなくなったって言うのかしらね」

 

 ファムは天上を仰ぎ星空を指差す。

 

「ミュイ……! きれい!」

 

「月のトワイライトよ。それもこれも、三年前に統合機構軍が不穏な動きを見せなければ、ここまで私達は来られなかったでしょうけれどね」

 

 今も目に映るのは星々の輝きではない。

 

 遠いどこかでの戦火の灯火だ。

 

 誰かの命が散り、誰かが諍いを繰り返している。そんな人類の歴史を矯正しようともせずに、権力者は胡坐を掻き、自分達の地位に固執するばかりだ。

 

「ここに居る人間達なら、あの瞬きを止められるだけの力があるって言うのにね。やるせないわ」

 

「……キルシー、は……ほし、きらい?」

 

 小首を傾げたファムに、どうかな、と曖昧に応じる。

 

「星を見ているとね……お姉様の事を思い出しちゃう。あの日……出奔されたお姉様はきっと、どこかに居るんだろうけれどでも、私じゃ手が届かないってね。分かっちゃってさ」

 

「キルシーのおねえさんは、うちゅうにいるの?」

 

「そうよ。多分今も……戦っているわ。お姉様はだって私と違って抗う道を選んだんだもの。運命に抗い続ける……そんな辛い道を……」

 

「ミュイ……。キルシー、いやなの……?」

 

「嫌ってわけじゃ……ただ自分に何も出来ないのが、とてつもなく歯がゆいだけの……いいえ、これも理由ね。馬鹿馬鹿しい、自分を正当化したいだけの理由。私、女だからって子供を産んで、ただ殿方の言う通り、はいはいつつましくってのはちょっとどうかなって思っているだけの……そうね、勘違いも甚だしい女子供なだけなのだと思う。だって力なんてないんだもの。何も出来やしないわ……」

 

 今も宇宙で散っている命に報いる事も、その誰かの戦場を肩代わりする事も出来ない。

 

 ただの夢想家――力もない愚者。

 

「でも、ファムをたすけてくれたよ?」

 

「助けたなんて大それたものじゃないわ。あんなの、最低な奴が最低なだけだもの。ま、怒られちゃうのは私のほうなんだけれどねぇ……」

 

 それもこれも憂鬱でため息を漏らしていると、ファムも同じように肩を落としていた。

 

「……何であなたまで辛そうなのよ」

 

「だって……ファムのせいでキルシー、おこられちゃうんでしょ? おこられるのは、いやだもん」

 

「あのねぇ……あなたはあのままじゃ、あの男の相手をさせられて……望まない事になっていたかもしれないの。それが私の中じゃ……何となく、許せなかっただけの……」

 

 言葉を探っているとファムがぎゅっと手を握ってくれる。

 

 その手が温かくってキルシーは目を細めていた。

 

「……ファムの手、あったかいのね」

 

「ミュイ……! それだけがじまん……!」

 

 本当に、柔らかく解けるように笑うのだな、とキルシーは見惚れてしまう。

 

 打算も何もないかのように、自分のように下手に賢しく生き永らえているわけでもない。

 

 ファムはこの世に生まれた意味を謳歌している。

 

 それがたとえ囚われた生まれであったとしても。

 

「……そんな風に笑えるんなら、だってそれは幸福だったって事じゃないの」

 

「ミュイ……?」

 

「ファム。今日はどうせ、あの歓談の席には戻れないんだから、ちょっとここで待ってて。私、とっておきの美味しいものを取ってくるから。ここに居なさいよ。さっきの貴族に見つけられたら事だからね」

 

 ファムは大人しく窓際で頷いていた。

 

 キルシーは下階へ下りる途中、連れ合いに声をかけられる。

 

「キルシー! ……さっきのはまずいぞ……」

 

「あら、ローゼンシュタイン様。私の事を心配してくださるの? でも、とんだ見当違いですわ。だって私、護身術くらいは身に着けていますもの」

 

「そうではなく……! 幼馴染なんだ。護らせてくれよ」

 

「それは貴族としての言葉でしょう。私を本心から心配しての言葉ではないですわ。ローゼンシュタイン様」

 

「……昔のように、ガヴィリアと……呼んではくれないのか」

 

 ここまでくれば情けなさすら漂う相手――ガヴィリアに、キルシーは応じていた。

 

「それもこれも、何も知らなかった無垢には、戻れないだけでしょう?」

 

 しかして今は違う。

 

 ファムのためにとっておきの料理を持って来よう。

 

 それが自分の、この退屈が過ぎる世界における抗いとなるはずだから。

 

 先ほどの騒乱に貴族達は遠巻きに自分を眺めるばかりであったが、今はその好奇の視線がある意味では心地よい。

 

 キルシーはようやく、自分の世界に生きている感覚にふけっていた。

 

 

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