――信じたっていいじゃないか、と言葉を発すればよかったのだろうか。
それとも、兄を信じると言えばまだ楽だったのかもしれない。
かかってきた電話は安否を確かめるもので、アルベルトは無気力のまま出ていた。
『……アルベルト、生きて、いたんだな……よかった』
「……兄貴はオレが死んだほうが楽だったんじゃないのか?」
『何を言うんだ……! 家族なんだ、心配して当然だろう。……ミラーヘッドの第四種殲滅戦では戦死者のリストなんて作られないんだ。死んだら墓も建ててやれないんだぞ』
「死んだら墓も、か。……兄貴、オレの仲間がたくさん死んだよ」
『それは当然だろう。警告はしたし、そういう掃き溜めの連中は死んだって誰も悲しまないさ』
墓も建てられないと言った同じ口から、自分の仲間を侮辱する言葉が出てくる。
家族だから心配したと言った人間から、誰も悲しまないなんて非情な言葉が出てくる。
「……兄貴。オレはどうすればいい……」
『地球へ降りろ。シャトルの定期便があるはずだ。今日中に近場のコロニーに亡命して、その後手続きを踏め。そうすれば地球圏で安全に暮らせる。お前はリヴェンシュタイン家の次男なんだ。そうしたって誰も文句は言わないし、わたしが言わせない。アルベルト、これが最後の警告になる。戻って来い。父さんも心配している。お前がどれだけ罪を犯していても、関係がない。だって家族なんだぞ』
「オレにとっては……凱空龍の仲間だって家族だったんだ……! あいつらと馬鹿騒ぎするのも……嫌いじゃなかったのに……」
『何を言っているんだ。悪い遊びはもうやめろ。そいつらとは縁を切れ。何がガイ何とかだ。お前は一から学び直せば充分に素質はある。勉強は嫌いじゃなかっただろう? お前なら一端の教師を付けてやれる。馬鹿げた仲間意識なんて切って、もう一度だけ素直なわたしの弟に戻って欲しい』
家族としての懇願なのは分かる。
兄が裏表なくそう思ってくれているのも。
しかし、そこには一ミリだって――今日死んでいった仲間達への憐憫も、哀悼も、何一つなかった。
自分がここに居る限り、リヴェンシュタイン家に迷惑がかかる。
その一事だけだ。
「……兄貴。オレは死んだ奴らに顔向け出来ない生き方は御免なんだ」
『おい、何を言っている? 死んだ奴ら? そんなのは運が悪かったか、そういう星の巡り会わせだっただけだ。いいか? 生きるべき人間と、死んでも問題のない人間はこの世にたくさん居る。お前は前者だ、分かるだろう? どうしたって死んでいった人間は死んでいった人間なんだ。お前のせいじゃない』
「だが……兄貴! オレはリヴェンシュタイン家の人間である前に……宇宙暴走族、凱空龍のヘッドだ! あいつらの人生背負っていたんだよ……! だってのに、オレだけ都合よく生き残って、都合よく何もかもを忘れるなんて出来ない……!」
心の奥を発露した気分だったが、通話越しの兄の声は冷たい。
『……お前がそうしてつまらない事にこだわっている間に、トライアウトがまたやってくるぞ。奴らに失敗の二文字はない。成功するまで追ってくる。前回は何故撤退したのかまるで疑問だったが、お前にリヴェンシュタイン家の気品を見て見逃してくれたのかもしれない。分からないのか? 軍警察に口が利くと言っても限度がある。トライアウトは本気でやってくるぞ。今度こそ、本気で……お前を殺しにやってくる』
脅しているつもりなのかもしれない。
だがその言葉で、ようやく覚悟を持てた。
「……兄貴。奴らがもう一回来るって言うんなら、それは望むところだ。弔い合戦をやる。オレ達凱空龍に手を出した事、後悔させてやる……」
『違うぞ、アルベルト。よく考えろ。後悔しない考えをしろ。何でお前がそんな奴らのために命を張るんだ。理由なんてないだろう?』
「理由なら……! ある……。オレは腐ったって凱空龍のヘッドだ! 絶対に……裏切れねぇ……!」
『……家族の言葉を裏切っても、か?』
狡い言い回しだ。それでも、とアルベルトは唇を噛んでいた。
「……それでも、オレの決めた事だ」
『そう、か。……これは独り言だが、トライアウトが来るのは明朝だ。それまでにデザイアを抜ける術は十通りほどある。それを試せば軍警察とは言え、そこまで執念深く追ってはこないだろう。……逃げられる人間は逃げられる』
通話が切られ、情報だけが送付される。
今の忠告で逃げておけ、という正真正銘最後の警告。
それでも、いや、そのお陰で――覚悟を決められた。
アルベルトは踵を返す。
向かったのは凱空龍の集合場所である格納庫であった。並び立った改造型《マギア》の前には、自分の言葉を待つ凱空龍の者達が居る。
皆、不安げな眼差しを交わしていた。
「みんな、よく聞いて欲しい。明朝、トライアウトが仕掛けてくると言う情報を手に入れた。だが、危険な目に二度も三度も遭う事はねぇ。もし、死ぬのが惜しい奴はこれから指示する十通りほどの逃げ道がある。そいつを辿ればさしもの軍警察でも追跡は出来ないはずだ」
「ヘッド、あんたはどうするんだ?」
トキサダの問いかけにアルベルトは自身の《マギアハーモニクス》を仰ぎ、拳をぎゅっと握り締める。
「オレは……戦う。最後の一人になったってな。それが死んでいった奴らに出来る、オレなりの答えなんだ」
「なるほど、弔い合戦って事か。乗るぜ、ヘッド。てめぇら! 凱空龍の意地、見せてやれ!」
応! と声が響くのに、アルベルトは目頭が熱くなるのを感じる。
ここまで培った仲間達との絆、無駄にはしない。
ただ、とアルベルトは傍らの不在を感じていた。
いつもなら、言葉少なながらにも自分の隣に居てくれた存在――それが今は居ない事にここまで不安を覚えるなんて。
いや、と持ち直す。
クラードは己の道を行くのだ。ならば自分はここで朽ち果ててでも、自分の道を貫き通す。
それがクラードの問いへの答えにもなるはずだった。
「……クラード。オレは、行くぜ」
たった一人でも。虚栄の頂であっても構わない。
そこに意味を見出すのが人間のはずだからだ。
「ヘッド、全員の《マギア》の整備はしかし、数日レベルでかかる。それに関してはどうする?」
「ああ、整備不調の《マギア》は後方支援に徹してくれ。幸いにしてオレ達には直近で手に入れたミコシのパーツがある。このコロニー、デザイアでデカくなるためにこれまで踏み締めて来た連中の事だって馬鹿にはしねぇ。踏み締めた分だけ強くなるってのを見せつけてやる」
「よし、分かった。おれはメカニックを弄るが……明朝って言ったって、それは本当に朝方なのか、それともなのかは不明なままだ。ギリまで仕事をして万全じゃないまま出すわけにはいかない。今夜の三時までには終わらせて、残る奴らと行く奴らの分配をしておくぜ」
「ああ。……トキサダ」
「ん? 何だよ、ヘッド」
「いや……こんな無茶苦茶な状況でも、オレをヘッドって呼んでくれるんだな」
「あんたがヘッドじゃなくっちゃ、誰がヘッドになるって言うんだ。……あのクラードは、どうしたんだ? 白いモビルスーツも戦列に加わってくれるんなら、百人力なんだが」
「そうも……いかないらしくってな。あれの戦力は期待しないほうがいい」
「そう、か。まぁ、あのモビルスーツはちょっとイレギュラーだもんな。ライドマトリクサーの精鋭とは言え、期待はしないでおくか」
「……意外だな、トキサダ。オレはお前が、クラードの事を嫌ってるんだと思っていたよ」
「おう、嫌いだぜ? でもあいつ、実力だけは確かだからな。こういう断崖絶壁みたいな戦いじゃ、居てくれたほうが助かるって話なだけだが……」
「……そう、か。オレは、何も見えていなかったんだな……」
トキサダの気持ちも、クラードの真意も。
何一つ見えていないまま、これまでリーダーをやってきた。その不実を突きつけられているようであった。
「なに、暗い顔してんだ、ヘッド! おれ達凱空龍の最後の戦いだ。せいぜい、派手に行こうぜ!」
トキサダは手を振ってそのままメカニックに加わっていく。
その強さが、今は眩しい。
「……クラード。オレは何となく、死ぬ時までお前が隣に居てくれるもんだと思っていたよ」
そんな格好も付かない独白を吐いてから、アルベルトは馴染みの喫茶店に向かう。
半地下の喫茶店は不幸中の幸いにして崩落は免れたらしい。
いつもの席を掃除していたのは、マスターであった。
「ああ、いらっしゃい。すまないね、こんな状態で」
「いや、マスター。……こんな時まで営業準備か?」
「ここを使ってくれるお客が一人も居なくなるまで、儂は仕事を続けるとも」
そう笑いつつも、喫茶店の中の惨状は酷いものだった。
陳列された調度品はそこらかしこで砕け、いつもならば芳しい香りを放つコーヒーメーカーでさえも停止している。
それだけ非常時であるのを窺わせた店内で、アルベルトは気を遣う。
「その……客として、今は……」
「うん? ああ、構わんとも。いつもの席は綺麗にしてある」
「サンキューな、マスター。だが、あんたももう逃げたほうがいい。この逃走ルートなら、トライアウトの目も掻い潜れる。死なずに済むんだ」
端末に映した逃走経路に、マスターは渋面を作った後に、いいや、と頭を振る。
「何でだ? ここじゃない、もっとマシなコロニーで店を持てるだろ、あんたは」
「それを君が言うのかい? アルベルト君。元々掃き溜め同然だったこの喫茶店の治安を、取り戻してくれた功労者が」
元々、この喫茶店は裏取引に使われていた。
非合法な思考拡張施術、有機伝導技師を使っての薬物の流入。それらの治安が悪化の一途を辿っていた頃、この喫茶店を根城としていた派閥との抗争にもつれ込み見事勝利した自分達が今度は使わせてもらう事になったのだ。
とは言っても、他のメンバーはコーヒーの味も、ジャズも好かないと言うのでほとんど自分の貸し切り状態だったのであるが。
「……よしてくれ。あれだって凱空龍がまだちっさかった頃にクラードが……ああ、そうだった。あれはまだクラードが来たばっかの頃だったな」
その頃のクラードはまさに抜き身の刀のような鋭さを持っており、邪魔をする勢力を迷いなく次々と排除していったのだが、その時から今までずっと裏切られていたのだと考えると、自分もある種、人がいいようなものだ。
――クラードに助けられた。いいや、実際助けてもらってきた。
そのお陰で今の凱空龍の面子があるのもあるし、デザイアでの地位の確立にはクラードなしでは語れない。
だからこそ、今、隣に居てくれるはずのクラードが居ない事実が何よりもじくりと疼く。
自分のせいなのか、とアルベルトはレトロな換気設備を仰いで席に座り込む。
喫茶店の中ではいつものナンバーが流れ始めていた。
使い古されたレトロナンバー、自分のお気に入りの曲。
もしここで、凱空龍を裏切って地球に降りるのならば、とそんな益体のない考えに身を浸してしまう。
地球圏でも上手くやれるだろうか。
ここでの事を全て忘れて、何もかもが遠い幻の、過去だったと割り切って……。
「……馬鹿だろ、オレ。無理に決まってる……。忘れる事なんて出来るかよ。オレの魂の場所はここなんだ。なら、デザイアが朽ち果てるまでは、守らなくっちゃいけないはずなんだ」
何よりも自分の信念に。
誰かから与えられたものではなく、自分の信を置くものに。
マスターがコーヒーを提供する。
そっと香りを嗅いでから、口に含んだところでアルベルトは頬を伝う熱を感じていた。
「……マスター。今日のコーヒーはちと苦いな」
「いつもの味だよ。君が注文してくれる、ね」