『下がって、下がって! ……敵陣は……退いていくっすね』
トーマの声が弾ける格納デッキでカトリナはノーマルスーツを着込んで帰還する機体を見据えていた。
『我が方の損耗率を伝えろ! 少しでも数に抜けがあると違ってくるぞ!』
サルトルの怒声を聞きつつ、カトリナは接触回線を開く。
「《ダーレッドガンダム》は? どうなりました?」
『……見た限りじゃ、想定以上だな。これはある程度予測出来たとは言え、まさかレヴォルの意志のデッドコピーでも、ミラーヘッドの……ジャミングみたいなのを仕出かしたMAを出し抜くとは……』
絶句している様子のサルトルのデータ端末を覗き見る。
そこにはミラーヘッド無効化の網が張られていたにもかかわらず、敵にも味方にもレコードされないミラーヘッドを行使したという実体だけは存在する。
「……まさか、《レヴォル》と同じなんて」
『正しくは、《ネクロレヴォル》と同じかもしれんな。エンデュランス・フラクタル上層部とマグナマトリクス社の造り上げた最新鋭機だって言うんだ。《ネクロレヴォル》隊のデータは受諾しているはずだから、それを基にして構築したんだろう』
アルベルトの《マギアハーモニクス》が帰投し、それに続いて《ダーレッドガンダム》がゆっくりと格納デッキに収まっていく。
『マニュアルはないんだ! 丁重に運べ! ……それにあの右腕の武装も気にかかる。クラードはあれをブラックホール砲として用いる事に決めたらしいが、それだけじゃなさそうなんだよな……。ただの高重力砲撃用装備にしては、用途不明な部分が多過ぎる』
黒塗りで潰された文字を目で追う中で、カトリナはその武装名をそらんじていた。
「……ベテルギウスアーム……。あれは、ただの強いだけの兵器じゃないって、そう思うべきですよね……」
『そうだと思わんとやっていけんよ……ったく。意味の分からん武装を取り扱うんだ。三年前の《レヴォル》よりもこっちは慎重になっていくってもんだ』
『《ダーレッドガンダム》は三番ハンガーに! 《マギア》は損耗している機体から修復に回すっすよ!』
声を張るトーマに、サルトルは頭を振る。
『……あいつも一端のメカニックになっちまって。それをさせちまったのはおれの責任でもある』
「いえ、それは……私の責任なんです。トーマさんに、傷を癒させるような時間も与えなかった……」
表情を翳らせた自分に、サルトルはぽんと頭に手を置く。
『気負うなよ、カトリナ女史。あんた……リーダーなんだろう? なら、リーダーってのはもっとどっしり構えておくもんだ。感情的になっちまうと、統率なんて簡単に乱れちまう。艦長は確かにフロイト艦長の職務だが、委任担当官であるあんたにはあんたにしか出来ん戦いがある。それはおれ達じゃ肩代わりは出来んからな。そればっかりは自分で決めろよ。戦う理由の一つや二つってのは』
「……戦う、理由、ですか……」
『クラードは帰って来た。フロイト艦長もそうだ。だが、全部が全部、万事うまく収まるって事もない。そんな事があれば、それこそ奇跡ってもんだ。おれは委任担当官として三年間、ベアトリーチェを引っ張ってきたお前さんを信用している。それは前に立って、誰よりも傷ついてきたからこそ、その背中に信を置くってもんだ。……だがクラードはそんなあんたを支えるだけの……それだけの男になって帰って来た。なら、戦いの中で意味を見出す事だ。委任担当官にしか出来ない戦場ってのも、この世にはあるはずだからな』
サルトルはその通話を潮にして接触回線を切ってオープン回線に切り替えていた。
『《ダーレッドガンダム》を格納したら、今度はミラーヘッドジェルの残量に気を付けろ! そいつは初めてのミラーヘッドだ! 何が起こるか分からんからな!』
整備班が応じる中で、カトリナは自分の掌に視線を落とす。
守るべきは、もうベアトリーチェクルーだけではない。
クラードとのかつての約束も、守るに値するもののはずだ。
「……でも私、賢しいですよね……。クラードさんとレミア艦長が帰って来れば、もう自分なんてお役御免になったほうがいいって、どっかで思っちゃってるんですから」
アルベルトが《マギアハーモニクス》のコックピットから離れ、整備班に指示を飛ばしてこちらへと漂ってくる。
その手を取ってカトリナは回線を繋いでいた。
「あの……っ、アルベルトさん……!」
『何すか? 撃墜されたのは……くそっ! オレが居ながら何てざまだ……! 墜とされた奴に言い訳も付かねぇよ……!』
「いえ、アルベルトさんはよくやったと思います。……だって、ミラーヘッドオーダーをジャミングする敵なんて想定も出来ませんから……」
こちらの言葉尻が下がっていたのを感じ取ったのか、アルベルトが問いかける。
『……何かあったんすか』
「い、いえっ……何も……っ」
『嘘、下手なんすから、今さら取り繕わないでくださいよ。オレらからしてみても、長い付き合いっす。ミラーヘッド無効化なんて言う敵が出てくるのも第四種殲滅戦がここまで成り立った上なら想定内……それに、相手はあのピアーナの艦だって言うんでしょう。なら、どんな手を打って来たって不思議じゃねぇ。あいつは……オレらの事、分かってやっているんでしょうからね』
「……その、ピアーナさんと、一度でもいいから話し合いは……出来ないですよね。私ってば、また易い方向に流れようとしている……」
『いや、それくらい生ぬるい理想論語っていたほうが、あんたらしいっすよ。この三年間、ずっと切り詰めっ放しだったんですから。……クラードも帰って来たんです。少しは、あんたらしく……もう少し柔らかく笑えばいいんじゃないですか?』
「私らしく……でも私らしくって言ったって……もう、背負い過ぎてしまったから……」
『それはみんな同じっすよ。ユキノも、トーマも、他の連中だって同じってワケにはいきません。でも、それでも前にってのが連中のスタンスだって言うんなら、オレらはそれを尊重しないといけない。そうじゃないと、お互いにお互いのスタンスでぶつかり合って、こんな狭い艦内じゃすぐに窒息しちまいます。オレらはこれまで以上に、……ぬるい考え方っすけれど仲間ってのを信頼しないといけない。そうじゃないと、絶対に勝てねぇ。騎屍兵にも、ピアーナにも……』
切り詰めた様子のアルベルトにこんな時、どんな言葉をかけていいのか分からなかった。
彼は死んだ分の仲間の意思も背負っている。
その上で成り立つ自分の意思を何よりも重要視しているはずだ。
だと言うのに、自分は逃げ口上ばかりで、誰かの痛みを背負ったつもりになっているだけ。
「……私、ズルいですよね。自分が前に行けば、難しい事を考えずに済むからって……先送りにし続けて」
『……それはお互い様でしょう。オレだって、前に行くしか能のない人間っす。だから……死なせちゃいけねぇんだ。誰一人として……』
しかしそれはいずれアルベルトの生き方でさえも狭めてしまう。
そうなった時、彼はどうすると言うのだろうか。
エージェントとして戦い抜いたその先に、本当に光が待っていると言うのだろうか。
今回のような苦しい戦いを何度も強いられていくうちに、本当に大切なものを摩耗し尽くしてしまいそうで――。
「……アルベルトさん。あなたも私と、その、約束してもらえますか? 死にに行くような真似だけは、お互いにやめようって。だって、私もあなたもきっと……器用なほうじゃないですから」
『……いいっすけれど、それってフラグって奴っすよ? いいんすか? そんな事言っちまって』
「わ……私は死ぬつもりはありません……っ! それはアルベルトさんだって同じのはずです。だって言うのに私……あなた達にこの三年間、一つの約束もしてこなかったじゃないですか……」
そうだ。自分は前を行けばいいと思い込んで、アルベルト達に約束の一つもしてやれなかった。
そのせいで死んで行った人間の魂を背負わなくっていいと言う規定を自分の中で引いて、彼らの死を切り捨ててきたのだ。
それは許されざる、自分の罪のはず。
しかしアルベルトは、そのような賢しい自分の考えなど見透かしているようであった。
『……あんたが背負うべきじゃない。RM第三小隊の責任はオレのもんですし、死んで行った連中の魂を最後に引き上げるのはオレの仕事っす。……ただ、あんたが一つだけでも、オレら相手に約束をしてくれるって言うんなら、こっちからも一つだけ。もう、無茶だけはしないでください。あんたは……あんたが思っているよりもずっと、色んな人に慕われている。だって言うのに、無理やり前に赴いて、死に囚われるような事、あっちゃいけないはずなんだ』
それは自分の中では責任として線を引いていた部分に切り込む言葉であった。
アルベルトはこの三年間、自分の事をずっと見てくれている。
一度だって視線を外さないのだ。
身勝手を気取っている馬鹿なリーダーだと、そう断じたっていいはずなのに、自分の作戦に異を唱えた事はない。
それはきっと、彼の中でも自分と言う存在が少しは大きくなっているからであろうか。
「……なら、お互いに指切りしましょう? それでこれまでのたくさんの……愚かしい行いがチャラに成るなんて思っちゃいないですけれど……背負い合うのなら」
『少しはマシになる、っすか。いいっすよ』
指を差し出しかけたアルベルトに、小指を絡めようとして、直上からの怒声を聞いていた。
『こらーっ! アルベルトさん! 何やってるんですか!』
『シャル? お前、戦闘待機だろうが』
『もう戦闘待機は解除されてますよーっだ! 何ですか、シンジョウ先輩と親しくして! ……あなたの委任担当官は私ですよ?』
こちらへとノーマルスーツを着込んだままのシャルティアが割り込んできて、アルベルトは複雑そうな顔をする。
『……ったく、何なんだよ、お前は。せっかくの空気に水を差しやがって』
『あーっ! 邪魔とか思ったんですか! これだから、いい加減な大人って言うのは!』
怒り心頭のシャルティアを何とか宥めようとするアルベルトに、カトリナは思わず微笑んでいた。
その様子を二人して不思議そうな顔で眺めている。
「あれ……? どうしたんです、二人とも……」
『いや、この三年間でそんな風に笑ったのって……』
『見た事なかったなぁって、思ったんです……先輩、そういう風に笑えるんですね』
そんな当たり前の事ですら、彼らにとっては意想外であったのだろう。
カトリナは救われるものもあると、二人へと微笑みかけていた。
「……ええ! 私はだって、皆さんと一緒なら、大丈夫ですからっ!」
今は自分の微笑み一つでさえも、感謝の証だ。
彼らが居なければだって、自分は笑う事さえも忘れていたのだろうから。
『ちょっと待て! クラード! どうした、クラード!』
サルトルの平時ではない声音にアルベルトと共に頷き合ってから、《ダーレッドガンダム》のほうへと流れていく。
「クラードさんが? どうしました!」
『……参ったな。こいつ寝てやがる』
サルトルの言葉に二人して《ダーレッドガンダム》のコックピットを覗き込んでいた。
鎧めいたパイロットスーツに包まれたクラードはどうしてなのだか、眠りこけている。
その様相にもしかしたら、とカトリナは気が気ではなくなっていた。
「思考拡張の……副作用ですか?」
『いいや。こりゃ単純に疲れだな。まぁ、《ダーレッドガンダム》の思考拡張のレベルが違うってのもあるんだろうが……今は寝かしといてやるか。意識レベル自体は安定している。……今になって寝とぼけてんじゃねぇよ、って言いたいが、こいつがあのMAを撃墜してくれなけりゃ、おれ達は全員、首を括っていたレベルだ。今はそっとしておいてやろう』
サルトル含め、整備班が《ダーレッドガンダム》の装甲を展開させ、整備モードへと切り替える。
カトリナとアルベルトはその様子を静かに見守っていた。
「……そういえばクラードさんが眠っているの、初めて見たかも……」
『……オレも、目の前で眠りこけちまっているのを見たのは初めてかもしれません。あっ、《レヴォル》と最初に遭遇した時もそうと言えばそうでしたが、あれは意識持って行かれちまってましたからね』
困惑顔のアルベルトに、カトリナは首肯していた。
「……今は、そっとしておいてあげましょうか」
『……っすね。にしたって、穏やかな顔で寝やがるんだな、こいつぁ……』
だがこの戦線を切り抜けたのはクラードの力と《ダーレッドガンダム》の性能によるものが大きい。
今のままでは、損耗するばかりのはずだ。
「……レミア艦長。敵勢は、後退しましたか?」
『そうね。現状、モルガンは後退機動に移っているわ。《ネクロレヴォル》隊も一時撤退、この宙域はしばらく安泰とでも……そう思いたいんだけれどね』
「……何か、懸念事項でも?」
含むところのあったレミアの論調に切り込んだ自分に、彼女は返答していた。
『……さすがに嘘はバレちゃうか。……三分前にブリギットのほうへと伝令があったのよ。合流軌道に移りたい、ってね』
「……軍警察の……!」
『あまり身構えないで。どうやら相手は、私達……ネメシスから離反した組と連絡を取り合いたいだけのようだから、あなたにまで背負わせるのは杞憂だと思ったのよ』
『艦長、それ言い出したらきりがないでしょう。今回はカトリナちゃんも同席、それでいいわよね?』
「えっ……あっ、はい……。でも、トライアウトネメシスの追撃なら……」
『それも違うようなのよ。合流したいと申し出ている相手の所属は……トライアウトジェネシス。三年前の月軌道決戦時より、権威の失墜したジェネシスの申し出なら、今は呑んでおいたほうがいい』
思わぬ名前にカトリナは問い返していた。
「トライアウトジェネシス……? でも軍警察なら同じなんじゃ……」
『トライアウトジェネシスは現状、三年前の月軌道決戦時の謀反によって権限が奪われている……かつての軍警察下部組織レベルにまでね。そんな彼らが、ブリギットとオフィーリアを有する我が方に接触したいとなれば、それは何かしらの含みを持っていると意味する事が出来る』
「……有益な情報があるって言うわけですか?」
『さすがに少しばかり聡くはなったようね、カトリナさん。ええ、そうなのだと思わなければ、統合機構軍同士で戦い合っている私達に、ちょっかいをかけるだけだもの。意味はあるのだと信じたいわね』
『だが、軍警察だって言うんでしょう。オレが護衛に付きます。第三小隊の連中で固めさせてください。相手がトライアウトだって言うんなら、オレらに一家言くらいはあったっていいはずです』
回線に割り込んだアルベルトに、レミアが通信の向こう側で頷いたのを感じ取っていた。
『ええ、頼むわ。今、クラードは……?』
その疑問に二人して顔を見合わせて、示し合せる。
「ちょっとその……今は無理そうです」
『っすね。今はクラードの手は借りられません』
その意味するところをレミアは悟ったのかどうか分からないが、認めるのは早かった。
『……そう。あまりクラードに頼ってばかりでは駄目だものね。ではアルベルト君、あなたには私達の護衛を頼みます。相手はブリギットのポートホームを使って、こちらと接触してくる予定よ。……もしもの時の迎撃も頼むわ』
もしもの時、と言うのは相手がブリギットを犠牲にしてでも自分達に一矢報いる可能性を加味しての話だろう。
自分とアルベルトは首肯し合う。
「ええ、それは了解しました。でも……今さら軍警察の、それもジェネシスが何の用なんでしょう? それだけは分かりませんけれど……」
『私達が統合機構軍の内部抗争のような真似をしているのを察知しての接触なのか、あるいは他の要因があるのかもしれないわね』
「他の要因……」
カトリナの視線は自ずと《ダーレッドガンダム》に向いていた。
あの機体が災厄か、あるいは幸運を招いて来るのか。
今はそれがどちらなのかも分からない。
『いずれにしたところで、これを好機と見るべきなのは確かよ。エンデュランス・フラクタル上層部と袂を分かつのなら、どこかで決断しておくべきだもの。もしもの時に支援が受けられない状態じゃ、ただジリ貧になっていくだけ。少しでも希望が見出せるのなら、それに縋っていきましょう』
『艦長。だが敵だった時には……』
『ええ、容赦はしないわ。それくらいの覚悟は持っておくべきでしょうから』
通信が切られ、アルベルトはシャルティアに言いやっていた。
『……シャル。お前は別室で待機――』
『何言ってるんですか。私も同席します。エンデュランス・フラクタルの委任担当官として……やらなくっちゃいけない事があるはずですから』
『だがよ……お前は本社から送られてきた身だ。オレらみてぇな独立愚連隊とは違うんだから、下手に背負う事なんざ……』
『いえ、私も背負いたいんです。それが……職務を全うするって事でしょうから。アルベルトさんも同席ですよ! なら、私が居ないのは嘘でしょう……!』
シャルティアはその言葉を潮にして格納デッキを流れていく。
その勝気な後ろ姿にアルベルトは嘆息をつく。
『……あいつ、何怒ってんだ……。分かんねぇなぁ、ったくよぉ……』
当惑するアルベルトに、カトリナは少しだけシャルティアの気持ちが分かったような気がしていた。
かつて自分も、空回りを続けてきた。
それと同じようなものを、彼女も感じているのかもしれない。
「……でも、トライアウトジェネシスが我々に繋ぎたいなんて……何があるんでしょう」
『ロクな事じゃないのだけは確かだと思いますけれど……いずれにしたって奇襲だってあり得る。《マギアハーモニクス》の損耗状態! オレはいつでも出られるようにしてくれ!』
整備班に呼びかけるアルベルトに、カトリナは自分を持て余す。
「……私にしか出来ない事も……きっとあるはず、カトリナ……」
クラードが《ダーレッドガンダム》で前に出る事を選んだのならば、自分もまた戦いにおける意義を見出すべきだ。
それが理由を探すだけの旅路だと言うのならば、苦しみでさえも今は甘受しよう。