罪悪感で身体が鉛になっていた。
地球に降りると言い出したのは自分だ。
だからファムの病状がどうであれ、自分が咎を負うべきだと、そう感じていたキルシーは医療ブロックより出てきた医者へと縋るように視線を振り向ける。
「ファムは……!」
「疲労のようですが、ともすれば地球の重力酔いかもしれません。今は安定に入っていますので、話が出来ますよ」
ホッと胸を撫で下ろし、キルシーは未だにベッドの上で横たわっているファムへと駆け寄っていく。
「ファム! ごめんなさい、私……!」
「ミュ、イ……? なんで、キルシー、あやまるの?」
「だって……あなたに無茶をさせたのは私だもの……。謝っても謝り切れないわ……」
ファムは額へと手をやる。そう言えば膝を折った時も頭痛を最初に感じていたような気がする。
「痛いの?」
「いまは、いたくない。でも、キルシー、すごくつらそう……。なんで?」
「何でって……! 当たり前でしょう! 友達が辛そうにしているのに……平気なわけがないじゃない……っ!」
感情の発露のような自分の言葉にファムは柔らかく微笑んで肩を引き寄せる。
「ミュイ! ファムも、キルシー、すきぃー……」
真正面から好意を向けられるとは想定しておらず、キルシーはぼっと熱を帯びた顔をファムから引き剥がしていた。
「と、とにかく! ……今は、回復に努めましょう。幸いにして一日前に地球に降りて正解だったわね。明日の社交界では、計画通りにリヴェンシュタイン家のフィクサーが来れば、私達の目的は果たされるようなものだし」
咳払いをして自身を落ち着かせつつ、キルシーはここまで講じてきた計画をそらんじる。
「リヴェンシュタイン家へと取り入っての、戦争行動への介入……。上手くいくとは到底思えないけれどでも……ファムと一緒なら、あなたとなら、上手くいきそうな気もするのよ」
「ミュイ! ファムも、キルシーといっしょなら、なんでもうまくいくようなきがするよ?」
「……だから、てらいのない好意は照れるんだってば……」
わざと視線を外しつつ、キルシーはファムの手を握り締めていた。
華奢な腕だ。
きっと、何事も起こらなければ、彼女はただの女として浪費されていただろう。
自分も同じであった。
ファムと出会わなければ。彼女の純粋さに光明を見出さなければ、きっと絶望の中で生きていた事だろう。
茫漠とした闇を切り裂いてくれたのは、自分にとっては掛け替えのない、この少女なのだ。
世界への叛逆を、たった二人だけでも実行出来るような感覚に陥る。
きっと世界の淵に立ったとしても、この友情だけは崩せないのだと。
「……でも、ファム。一個だけ、約束してちょうだい。危なくなったら、すぐに逃げて。私達の計画だって言っても、穴だらけなのは明白なんだから。それに、言ってしまえば見切り発車なのよ。私はいいけれど、あなたに危害が及ぶのを見ていられないわ」
「ミュイ? あぶないの? こわいの?」
「……うん、正直言うとね。とても怖い……。でも、それと同じくらい……満ち足りているわ。あなたと私で世界を変える。女の身分じゃ世界なんて変えられないと思われているけれど、でもいつだって、革命の女神は現れてきた。今回だって、確証はないけれど、どこかで女神が羽ばたけば、私達の抗いは無駄じゃなかったって言える。……そう、誇りたいだけなのよ」
視線を落とした自分にファムは掌を返してそっと握り締めていた。
「キルシーのて、あったかいね」
「……手があったかいと、心は冷たいらしいけれどね」
「ミュイぃぃ……キルシー、いじわるいう」
「ごめんね、ファム。ちょっと意地悪しちゃった」
お互いに微笑み合う。ちょっとした隠し事を共有するかのように。
だがその本質は、この世界そのものへの叛意。
「……ファム。社交界には参加する。だってそうしないと、私達が降りてきた意味がないもの」
「キルシーと、ファム。ふたりだけの、はんぎゃく、だね」
「そうね。たった二人の叛逆。こんな事したって、意味ないのかもしれないけれど」
あるいは、これで自分達は窮地に立たされる可能性さえもある。
無駄死に。それとも勇敢なる栄光。
分からない、何もかも。
しかし、それでも立ち向かうだけの意地だけは存在しているのだ。
「……栄養剤を打っておくように進言しておくわ。私はセーフハウスに戻っておく。明日には起き上がれるようになっているでしょうけれど」
手を離しかけてファムが一際強く握り返してくる。
「キルシー……ねむれるまで、そばに、いてくれる?」
「……うん。ファムの傍に居てあげる。だって、あなたはこの宇宙でたった一人の、本当の意味での友達だもの」
そう言うとファムは安心したのか、すーすーと寝息を立てて眠りの淵に落ちて行った。
「……寝ちゃったか。私は、でもあなたに、ある意味では裏切りのような行為を、しているのでしょうね」
ファムの手を離し、キルシーは端末の番号を呼び出していた。
『こんな時間にどうした? キルシー。何かあったのかい?』
「何でもないですわ、ローゼンシュタイン様。ご存知かと思いますが、私、地球に降りましたの」
「取り繕い」の自分を前に出し、ガヴィリアの声を聞いていた。
『心配なんだ……。これは極秘情報の一つではあるのだが……地球圏は間もなくきな臭くなる。出来れば月に上がっておいたほうがいいかもしれない』
「あら、ご心配なさってくださるの?」
『当然じゃないか。だって幼馴染だろう?』
本当に、これほどまでに「恥知らず」だと笑えてさえも来るのだが、キルシーは舌打ち一つでさえも滲ませない。
「……私は大丈夫。ですが、同伴のクランスコール家の令嬢が熱を出しまして。明日の社交界には出られる見込みですが」
『そんな外面的な事を言っているんじゃない。単純に……危ないんだ。地球圏の明日の社交界、ともすれば予見されていた人々は参加を見送るかもしれない』
「それはどうして? 分からないですわ」
ああ、分かり切っているとも。
こんな「取り繕い」で騙せる程度の相手だ。
恐らく重力圏に入る際に目にした防衛艦隊が関係しているのだろう。
明確に何とは断言出来ないが、何かが起こりつつある。
ガヴィリアはそれを懸念しているに過ぎない。
『……未確定情報だが、降下したのはアンノウン……。本当に、こちらまで情報が下りてこない。ここまでの厳命は恐らく初めて……いいや、三年前に一度だけあった。月軌道決戦だ』
「MFですか?」
『逸るものじゃない。まさか、そんな。MFが地球に降下したなんて冗談……』
だがここまで引き出せたのは僥倖だろう。
ガヴィリアは個人的な心象にせよ、他言出来ない理由にせよ、MFが地球降下を行った、ある程度の裏付けがあるのだ。
「……ですが、今日降りて明日とんぼ返り、とも行きません。社交界は予定通り、参加します。ローゼンシュタイン様はどうなさいますか?」
『……君の身の安全を考えれば参加する。……そのつもりだが、こちらもどうにも上手くいかない事ばかりでね。機密だが』
この男は枕詞のように機密を使うのだな、と感じる。
『トライアウトジェネシス内部での叛意があった。言い方は適切でないかもしれないが、クーデターだよ。ジェネシスの一派がレジスタンス組織に寝返った。理由はまるで分からない。……私の同期や上司もその一部に加担している。こうして君と話しているような時間さえもないんだ、実はと言えば』
「では明日の参加は見直されたほうがよろしいのでは?」
『……いや、私は軍警察であるのと同時に君の騎士だ。だから君を守るよ』
ここまで歯の浮いた台詞を言えるのも才能だな、とキルシーは考えてしまう。
「それは心強いですわ。だって、トライアウトのナイトなら、私の杞憂なんて消し去ってくださるでしょうし。まさか、MFが地球圏に降りているのに、私達のような要人が一同に会する場があるなんて」
『しっ。傍受されていれば事だ。……まぁとは言っても、一般回線をMFが傍受するなんて事は、あり得ないのだろうが……。しかし、タイミングが悪いと言うか何と言うのか……』
「リヴェンシュタイン家の家督を継がれる方が参加されるのだと小耳に挟みました。それも中止の方向で?」
『いや、リヴェンシュタイン家が参加するなんて恐らく二年に一回あるかないかだろう。何があっても、恐らくは参加するさ。そういう家系だ』
通話先の「恥知らず」以上にプライドに糊塗された人物だという事か。
キルシーは降り始めた雨音を聞いていた。
「でも、心配ですわ……。まさか社交界が中止ともなれば少しばかり慌ただしいでしょう? せっかく地球に降りてきましたのに……」
しおらしさを演じてやると通話先のガヴィリアはここが好機とでも言うように口説き文句を発する。
『キルシー、約束しよう。何があっても、君を守る、いいや、護らせてくれ。だって君は、私にとっての――』
「あら、ごめんあそばせ。雨でノイズが入ったようですわ。……また明日、ローゼンシュタイン様」
そこで通話を切ってやる。
キルシーは窓に反射した自分自身でさえも、また彼らと同じく卑しい貴族なのだと思い知っていた。
「……それでも、私は行くしかないでしょう。ここから先に、何が待っていようとも。だって、ファムと約束したのよ。私は、キルシー・フロイトは、この世界に叛逆すると……だから……」
端末を握り締める。
これ以上の答えは、必要ないはずであった。